2017年2月 

  

AIと芸術と政治と・・・・森本恭正
 2017年に入り、日本のマスメディアはAI(人工知能)の話題で喧しい。AIが将来人間の仕事を肩代わりし、次第に仕事が失われてゆくかもしれないとの危惧と、AIにまかせることで得られる利益に様々な憶測がなされている。すでに、チェス、将棋、囲碁などでは、AIは人間の手の届かない領域に達しているようだ。単純な(といっては語弊があるだろうが)勝つか負けるかの争いでは、すでに決着はついているのではないだろうか。それはあたかもAIロボットと腕相撲をとるようなもので、むしろそのような戦いをAIに挑むこと自体不毛だといえるのだろう。人工知能のIQが10000にもなり、人間の知能を遥かに凌駕する日は、現実的に近いといわれている。AIが作曲をし、小説を書き、美術作品を手掛ける、つまりAIが現実に芸術活動をする日も近いのだろうか。AIが実際に芸術作品を次々に作り出す姿を想像する前に、そもそも私たちは芸術をどのようにして生みだしてきたのか、少し空想を広げてみる。

 2017年米国ゴールデングローブ賞のスピーチで、女優のメリル・ストリープは映画スターウォーズの登場人物の言葉を借りてこう言った。「傷ついた心を取り出してアートに変えるのよ」(Take your broken heart, make it into art)それを聞いていて、私は、これは人類が芸術を造ってきたプロセスなのではないかと、ふと思った。

 人は何もない地平から芸術を創造する。そのとき、そこには何かきっかけが必要だろう。たとえそれが誰かに委嘱されての創造であったとしても何かの引き金が必要だ。その引き金とは、人の心が何かに傷つき、何かに動揺して感動し、それによって心になにがしかの負荷を負うことではないだろうか。その最初のイニシアルな負荷が、人をしてゼロから、目に見え、手で触れ、耳に聴こえる作品を創り出すという作業を促しているのではないだろうか。そして、そのようにして造られた芸術作品に触れて、今度は受け手の側の人々の心がざわつき、感動という名の負荷を受け、再び心に共感という傷を負う。美しい作品に触れたとき、私たちが涙する理由もそこにあるのではないだろうか。何も悲しいわけではないのだから。

 芸術はそのようにして創造されるものと仮定して、将来のAIがある種の「心」を持ち、何かに傷ついたり感動したりできる存在であったとしたら、AIの持つ10000にも達するIQは、芸術活動の胎芽ともいえる「心に負荷を負う事」に対し何の役に立つというのだろうか。

 人の心が感動し傷つき負荷を負うこと、そしてその傷ついた心の揺れに共感することにIQの高さは何も関係がないだろう。IQ100の人間もIQ200の人間も赤く熟れたリンゴを齧れば等しく美味しいと思う。それと同じだ。確かにIQが10000もあれば、何十声部にもわたる複雑な構成を持つフーガを数秒で作り上げることも可能だろう。だが、作品を作り上げる速さや量と芸術的な価値は正比例しない。芸術的な価値を示すのならば声部は4つで十分である。

 あらためて4声部で書かれたJ.S.バッハの「フーガの技法」を聴いてみる。レ、ラ、ファ、レという最初のテーマが聴こえ、それらが次々に受け継がれてゆく。私はたちまち心を鷲掴みにされ沈思して座り込む。しかし、喩え彼のフーガ作曲の技法がどんなに優れているとしても、私はその技法に感動しているわけではない。彼の音楽にある夥しい何かの存在に圧倒されて座り込んでいるのだ。そしてその夥しい何かに感応して私の心が動くことや、フーガを書き始める前にJ.S.バッハが抱え込んだであろう何か途轍もなく大きな創造という名の創(きず)は、私の凡庸なIQともJ.S.バッハの優れたIQとも何の関係もない。

 人工知能という機械に芸術領域への進出を際限なく認めてゆくと、本来注意深く扱われなければならない速さや量に裏打ちされた「効率」に、人間が振り回されることになりはしないだろうか。確かにAIに頼れば人間よりも遥かに早く強く効率的に仕事が完遂する。だが、速さや強さや無駄のなさといった能力は、芸術や文化の価値にとって殆ど意味をなさないものなのではないか。ロッシーニがオペラを3週間で完成させても、ブラームスが10年かけて交響曲を書いても、そのことが両作品の価値を左右するものではなく、また私たちは一度もそのような価値判断を示したことがなかったではないか。

 けれども、ふと現実を見回すと、AIはとっくに我々の生活の芸術領域にも入り込んできている。デザインや設計はコンピューターの助け抜きで製作されることはもうない。生活の周りはコンピューターによって形となったもので溢れており、我々もすっかりそうしたものに慣れてしまっている。ここでいう「そうしたもの」とは、AIによって達成された高い効率だ。そうした効率を求めるが故に私たちが失ったものはおおきい。

 もうふた昔も前、メルセデス・ベンツの新車のヘッドライトの楕円のデザインを見て、「ちょっと失礼」といって座り込んだ友人がいた。訊くと、「あれは人が描いた楕円じゃない。・・・気持ち悪い」といって彼は本当に少し嘔吐した。CG(コンピューターグラフィック)で描かれるものに何かぬめっとした気味悪さを感じている人は、実は多いのではないか。現代の生活をするうえで、そうした気味悪さを感じなかったことにしているだけだ。少なくとも私はそうだ。車を見るたびにいちいち嘔吐していては生活できないから。

 金沢にSP博物館がある。そこには100台を超えるSP蓄音機があり、全て実際に聴くことができる。私は聴いた。それは、信じられない音響体験であった。あたかもSPプレイヤーの小さな箱の中にコンサートグランドピアノが入っているのではないかと思った。一体どんな仕掛けになっているのかと私はその30センチ四方くらいのSPプレイヤーをひっくり返したい強い衝動に駆られた。「人類は何故この音色を手放したのだろう?」そう呟くと、「3分半しか入りませんから」と館長が応えた。

 そしてLPになり、CDが現れる。初めてCDを聴いたときの「あれ?」と思った違和感をもう私は忘れかけている。音楽という本来digitalに変換してはいけないものに、私たちは手を出してしまったのではないだろうか。

 今日手書きで文章を書く人がどのくらいいるだろう?そして、手で書いていれば絶対にあり得ないような漢字への変換ミスを見落とした経験は、誰にでもあるはずだ。それでも、いまこうして、私はPCのキーボードを打っている。

 産業革命以来人類は効率の名のもとに、本当は残しておいたら良かったのにと思われる様々なものを捨ててきた。その果てにAIが登場しそれによってこの捨てていってしまうスピードは格段に上がった。そして・・・・IQ10000のAIからみれば、IQ100の人間は無能つまりunproductive(非生産的な者)に見えるだろう。

 それを理由にかつて、このunproductiveな人々を抹殺した政府があった。ヒトラー率いるナチスドイツである。信じられないことに、おおくのドイツ国民がこの政府の方針に従った。当時、ナチス政府に抵抗した数少ない人物の一人アウグスト・フォン・ガレン枢機卿は、こう述べた。「貧しい者や病人、非生産的な人間はいてあたりまえだ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ、生きる権利があるというのか。非生産的な市民を抹殺してもよいという原則ができ、実行されるならば、私たちが老いて衰弱したとき、私たち自身も殺されることになるだろう」

 まさか、いくらなんでもAIに殺されることはないと思う。

 だが、この「抹殺」という言葉を「排除」という言葉に置き換えたらどうだろうか。

 メリル・ストリープが暗にしかし強烈に批判した新しい米国大統領ドナルド・トランプは、その新閣僚がかつてない高IQ集団であると胸を張った。彼のこの子供じみた発言を決して看過してはならない。Ethical(倫理的)な視点のない者に「効率」というIQが渡ったとき、どのような悲劇が拡大されてゆくか、私たちはもう充分に学んだ筈だ。

デビー・レイノルズ死去・・・・本田悦久 (川上博)
☆映画や舞台のミュージカル女優として大活躍したデビー・レイノルズが、(2016年) 12月28日にロサンジェルスで亡くなった。84才だった。

 デビーは人気ポピュラー・シンガーのエディ・フィッシャーと結婚し(その後離婚)、2人の愛娘だったキャリー・フィッシャーが、奇しくも前日27日に亡くなり、キャリーの葬儀の準備をしている時に体調悪化し、病院に救急搬送されたが、帰らぬ人となった。

 デビーの映画は、ジーン・ケリーやドナルド・オコナーと共演した「雨に唄えば」 (SINGIN' IN THE RAIN, 1952) を始め、「土曜は貴方に」(THREE LITTLE WORDS, 1950)、「奥様は芳紀17才」(SUSAN SLEPT HERE, 1954) 、「艦隊は踊る」(HIT THE DECK, 1955)、エディ・フィッシャーと共演の「歓びの街角」(BUNDLE OF JOY, 1956)、
「不沈のモリー・ブラウン」(THE UNSINKABLE MOLLY BROWN, 1964)、「歌え!ドミニク」(THE SINGING NUN, 1966) 等のミュージカル映画は、昔、映画館や映画会社の試写室で観たものだが、今ではDVDのお陰で茶の間でいつでも観られる。

 筆者は昨日 (1月6日)、「歓びの街角」を観た。ノーマン・タウログ監督、RKO映画で、エディ・フィッシャーとデビー・レイノルズ夫妻の他に、アドルフ・マンジュー、トミー・スーナン、テレビの人気女優ニタ・タルボット等の芸達者な人たちが共演している。
デパートの女店員 (デビー・レイノルズ) が捨て子を拾ったことから、若社長 (エディ・フィッシャー) と知り合い、玉の輿に乗るというシンデレラ物語。ミュージカル・ナンバーの作曲はジョセフ・ミロー、作詞はマック・ゴードン。エディ・フィッシャーが歌う「いつの日かきっと」(Someday Soon)、「恋のすべて」(All About Love)、デビー・レイノルズとエディ・フィッシャーのデュエット「ララバイ・イン・ブルー」(Lullaby in Blue) 等、楽しい曲が揃っている。


 写真は1974年10月25日にデビー・レイノルズ主演の「アイリーン」を、ロサンジェルスのシュバート劇場に観に行った時に、終演後の楽屋で筆者が撮影。因みに、この年は、2月8日にブロードウェイのミンスコフ劇場で、ジェイン・パウェル主演の「アイリーン」を観ている。
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マイアミでデビー・レイノルズの「アニーよ銃をとれ」
http://www.musicpenclub.com/talk-201604.html

追悼 ジョージ・マイケル
復帰を目前にしての豊かな才能の早過ぎる逝去・・・・朝妻一郎
 今年はいつもの年に比べて大物のミュージシャンが随分多く亡くなったな、と何気なく1年を振り返っていた12月25日、クリスマスソングの定番の一つとなっているワムの「ラストクリスマス」があちこちから聞こえて来ている中、ジョージ・マイケルがロンドン郊外の自宅で亡くなった事が伝えられた。いかにもジョージ・マイケルらしいドラマティックな設定であり、改めて2016年を多くの音楽ファンに記憶させることとなった。53歳という若さだった。

 1963年6月25日、ギリシャ系移民を父に、ゲルギオス・キリアコス・パナイオトゥとしてロンドンで生まれたジョージは学生時代の友人アンドリュー・リッジリーとデュオを組み1982年にデビューした。

 ポップで軽快な曲調と二人のルックスの良さが売り物のこの二人組はMTV時代という追い風と、敏腕マネージャーの力もあり、あっという間に人気グループになったが、ジョージとアンドリューの音楽的、芸術的センスの違いはすぐに明らかになり、ジョージはワムからの独立を考え、ワムとして活動していた1984年に既にソロで「ケアレス・ウイスパー」を発表している。

 結局、ワムは1986年6月28日のウエンブリー・アリーナの解散コンサートを最後に解散するが、その前年の85年に欧米のアーティストとして初めて中国でコンサートを行い大きな話題となっている。その辺りのいきさつはダスティー・スプリングフィールドのヒット「この胸のときめきを」の英詩の作詞者でもあるマネージャーのサイモン・ネイピア・ベルの著書「I'm Coming To Take You To Lunch」に詳しい。

 ソロになっての最初のアルバム「フェイス」(1987年)は世界中で2000万枚の売り上げを上げ、それまでイギリスに比べて人気の低かったアメリカでも4曲のシングルがナンバーワン・ヒットを記録する素晴らしい成績を残し、一挙にマドンナやプリンスと並び称される時代の音楽を代表するビッグアーティストの一人に仲間入りを果たした。

 このアルバムはグラミー賞の最優秀アルバムに選ばれている。改めて聞いてみると、ジョージ・マイケルのヴォーカルの素晴らしさ、音楽性の多様性、そして作家としての才能の幅広さといった魅力が詰まったグラミー賞受賞がフロックでなかったことが実感できる。

 1998年に公衆猥褻で逮捕され、その後すぐにゲイであることをカミングアウトしたことが影響しているのか、あるいは所属していたソニー・ミュージックとの2枚目のソロアルバム「Listen Without Prejudice Vol.1」を巡る裁判沙汰のせいか、1990年に発売されたこの2枚目のアルバム以降2014年に発売された「シンフォニカ」までの24年の間にジョージはわずか5枚のアルバムしか発表していない。

 遺作となった「シンフォニカ」は2011年8月からスタートした「シンフォニカ」ツアーのパリ公演に於けるライブアルバムだが、プロデューサーのフィル・ラモーンにとっても亡くなる前の最後のアルバムになっている。ここでもヴォーカリストとしてのジョージの卓抜した素晴らしさが見事に表現されている。

 この「シンフォニカ」ツアーが始まって間もない10月にロイアル・アルバート・ホールのコンサートをキャンセルしたことからジョージの健康状態に問題があることが明らかになる。この時はウイルス感染症と発表されたが翌月、今度はウイーンでのコンサートの直前に肺炎で入院し、一時は意識不明になるなど重篤な状態だったことが伝えられたが12月21日に無事退院している。

 その後2012年の2月にイギリスのレコード大賞にあたるブリット・アワードに出演し、最優秀アルバム賞を受賞したアデルへのプレゼンターを務めた他、8月のロンドンオリンピックの閉会式で「Freedom '90」と「White Light」の2曲を歌っている。

 ゲイをカミングアウトした後に発表したアルバムのタイトルを「Listen Without Prejudice」(先入観や偏見なしに聞いて欲しい)としたのはジョージの心の底からの気持ちだったに違いない。

 本当に先入観や偏見なしにジョージ・マイケルの音楽活動を思い返してみると、彼が、とてもソウルフルな歌手であり、素晴らしいステージを見せてくれるアーティストであり、そして何より非常に優れた作詞作曲の能力を持っていた、卓抜した芸術家であったことを実感するばかりである。

 新しいアルバムの制作に取り組むというニュースが少し前にあったが、もしこれが本当なら、体力と気力の充実した状態で彼がどんな音楽を聞かせてくれたのか、とても興味深い。

 しかし53歳は若過ぎる。

韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」の日本初演
・・・・本田悦久 (川上博)
☆韓国で大ヒットした韓国ミュージカル「フランケンシュタイン」FRANKENSTEINが、日本で初めて上演されている。東宝とホリプロの共同制作で、東京は1月8日から29日まで日生劇場、大阪は2月2日から5日まで梅田芸術劇場メインホール、福岡は2月10日から12日までキャナルシティ劇場、そして愛知県芸術劇場大ホールでの2月17-18日で終演となる。

 19世紀初め頃の物語。科学者ビクター・フランケンシュタイン (中川晃教と柿澤勇人のダブル・キャスト。筆者の観劇日1月12日のマティネーは柿澤勇人) は、執事のルンゲ (鈴木壮麻) を伴って、戦死者の死体を蘇らせる研究をしていた。ビクターは、敵兵の治療を行ったことから殺されそうになった軍医のアンリ・デュプレ (小西遼生) を助ける。ビクターの研究は「神の摂理に触れる」行為だと反発するアンリだったが、「理想の世界を自らの手で実現したい」というビクターの情熱に心打たれ、研究を手伝うことになる。

 戦争が終わり、姉のエレン (濱田めぐみ) や叔父でジュネーヴ市長のステファン (相島一之)、娘のジュリア (音月桂) たちが待つ故郷に帰ってきたビクターは、挨拶もそこそこに、医師だった父の城で研究を続ける。しかし、戦場と違い、死体は容易に手に入らず、葬儀屋と交渉するうちに、殺人を犯してしまう。アンリはビクターの身代わりとなって逮捕され、ギロチンにかけられる。ビクターはアンリを何とか生き返らせようと、その首を持ち帰り、蘇生させようとする。だが誕生したのは、アンリの記憶を失った化け物だった。化け物は執事のルンゲを惨殺し、逃亡する。一般に誤解が多いが、ビクター・フランケンシュタインは、博士の名前であり、化け物には名前はない。

 三年後、ビクターとジュリアは結婚して、幸せな日々を送るが、じわじわと化け物の復讐劇が襲う。醜い姿故に人間扱いされず、迫害され続けた化け物 (小西遼生、アンリとの二役) は、地獄のような体験をしたことから、創造主のビクターを恨み、同じ苦しみを味わわせようとする。

 闘技場の残虐非道な主人ジャック (柿澤勇人、ビクター博士との二役) とエヴァ (濱田めぐみ、エレンとの二役)、奔放な下女のカトリーヌ (音月桂、ジュリアとの二役) とジャックの手下で道化のイゴール (鈴木壮麻、執事との二役) 、金になる闘技場を手に入れようと企む金貸しフェルナンド (相島一之、市長との二役) 等が闘技場をめぐっておぞましい乗っ取り劇を繰り広げる。悪の華のような闇の闘技場で、捕らわれの身となった化け物は、ケダモノ扱いで鎖に繋がれ、毒薬を飲まされた上で戦うという、悲惨な体験を味わう。主だった出演者全員が真逆の二役を演ずるというのは、見ていて興味深い。

 化け物に愛する姉と最愛の妻を惨殺されたビクターは、遂に化け物を追い詰め、死闘を繰り広げる。闘技場のシーンの凄まじさ、そしてフランケンシュタイン否怪物の復讐劇は何とも悲惨ではあるが、楽曲の美しさは抜群で、観客を飽きさせない。

 作曲: イ・ソンジュン、脚本&作詞: ワン・ヨンボム、日本語訳詞: 森雪之丞、潤色・演出: 板垣恭一、振付: 黒田育代、森川次郎、音楽監督: 島健。ビクターやアンリたちが歌う「一杯の酒に人生を込めて」、アンリが歌う「夢の中で」、ビクターが歌う「生命創造の歴史が始まる」、ビクターとジュリアの「貴方なしでは」等のミュージカル・ナンバーが心に残る。

<写真提供: 東宝演劇部>

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(余談 1)
 筆者は2007年10月20日に、ニューヨークのオフ・ブロードウェイ37 ARTSで、マーク・バロンとジェフリー・ジャクソン作詞作曲の「フランケンシュタイン」を観た。ビクター・フランケンシュタイン役はハンター・フォスターだった。
(余談 2)
 韓国の「月刊ミュージカル」雑誌を発行しているパク・ビウン・スン氏が、雑誌を毎月送ってくれる。ハングルは読めないので、写真を見るだ けだが、韓国はミュージカルが盛んなことは判る。写真は1月号の表紙です。

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