2017年2月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲(ニューイヤー・コンサート)】

「ニューイヤー・コンサート2017/グスターボ・ドゥダメル指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」(ソニー・ミュージック・エンターテインメント ソニークラシカル/SICC-2141~2)
 ウィーン・フィル2017年初頭を飾る行事、ニューイヤー・コンサートのCDが今年も演奏後20日足らずでリリースされた。今年招聘された指揮者は100年に1人の天才ともいわれているベネヅエラ生まれのグスターボ・ドゥダメルである。ドゥダメルは2007年に初めてウィーンでウィーン・フィルの指揮台に立って以来たった10年でそれもこのような夢の大舞台に呼ばれた幸運児である。そしてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートといえば極端に言って、ウィンナ・ワルツを始めとする独特な癖のあるウィーン子のための曲を演奏するコンサートであり、ウィーンの血が流れていないドゥダメルが振るウィンナ・ワルツは果たしてどのような結果になるのだろうか、というのがこのコンサートに集まった地元のオーディエンスが危惧したことではないだろうか。確かに幕開けは何となく静けさが漂っていたようだ。
 しかし始まって直ぐのレハールの喜歌劇「ウィーンの女たち」よりの”ネヒレディル行進曲”の勇ましい序奏の後の主部、PPで1st Vnが奏く何回かの3拍目のターンを聴いた途端、これこそウィーン・フィルの真骨頂とも言える優しさと絹のような美しい音色に驚いてしまった。それは指揮者の気持ちがオーケストラの面々に乗り移ったとしか言いようのない見事さだった。この1曲目が終わった時の素晴らしい拍手はこの日の聴衆の心からの気持ちだったろう。この日はシュトラウス一家を始めとしてレハール、ワルトトイフェル、ズッペ、ニコライ、ツィラーの全21曲、そして初登場の曲は8曲であった。この日の演奏はどちらかというと強烈ではなく、殆どが優しさに包まれていたように感じられた。そしてすべてが実に素晴らしい演奏であった。
 尚、DVDとBDは2月22日リリース予定。 (廣兼正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「迫昭嘉の第九 vol.2」(12 月24日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 2台のピアノでベートーヴェン(リスト編)「第九」を披露するシリーズの第2回が、2016年のクリスマス・イヴに行なわれた。第1部はまず、ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op.24「春」を、迫昭嘉のピアノと加藤知子のヴァイオリンで。その後に超大作の演奏が控えているにもかかわらず、迫はエモ—ションをたたきつけるかのようにピアノを鳴らした。休憩をはさみ、いよいよ第2部へ。ステージには2台のピアノが運び込まれ、迫と斎藤龍が向かい合うように演奏する。斉藤は迫に師事していたことがあるので、いわゆる師弟関係にあたる。しかしプレイ面ではまったくの対等だ。問答をしあうかのようなパフォーマンスから徐々に高揚し、ピアノの全鍵盤が歌声をあげるがごときクライマックスへと突入する。演奏し終えた二人の顔には、大仕事をなしとげた達成感が広がり、客席からもブラボーの声がやまない。渾身のプレイを満喫した、という気持ちでいっぱいになった。(原田和典)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「チョ・ソンジン、ピアノリサイタル」(1月9日、キタラ大ホール)
 チョ・ソンジンの音楽には、愉悦や躍動よりも、完成や成熟という言葉が似合う。とはいえ老け込んでいるわけではない。細部まで解釈を煮詰め、それを冷たいほど完璧に彫琢された外観で提示するのだ。どれほど感情が振幅を強めようとも高所から理性の眼が絶えず光っている。アジア出身のスター・ピアニストが多い現在だが、ラン・ランやユジャ・ワンとはまったくタイプが異なる。
 プログラムは、ベルクのピアノ・ソナタop.1、シューベルトのD.958、ショパンの24の前奏曲op.28。ベルクは、まだ調子が上がらないように見受けられた。4度と増三和音と半音階からなる基本モチーフが変奏され種々の旋律が形成されてゆく構図ばかりが聴こえてくる。まだマーラーの影響が色濃いセリー前夜の濃密な抒情性が影を潜めているのだ。響きのコントロールも十分ではなくチョ・ソンジンとしては珍しく崩れを見せる場面があった。
 次のシューベルトは一転素晴らしい。第一主題は♩=120で速い。14小節でほんのわずかに減速するのが巧さを感じさせる。2小節単位でフレーズの距離が短い第一主題の前半は、22・24・26小節の頭を頂点とする小さな漸強弱を形成し、フレーズが長くなる第一主題第二楽句(27小節)との対比を明確にする。さすがである。驚いたのは第二主題(39小節)。ここでテンポを♩=96-100にまで落とした。そして第二主題の推移楽句にあたる67小節から元のテンポに戻す処置を行った。その67小節からの16分音符のなかに溶け込んでいる第二主題は、あからさまに強調されるのではなく、品よく自然に耳に飛び込んでくるようにコントロールされている。このあたりのセンスの良さも見事であった。このように提示部は大きく手が入れられていたが、その処置はまったく恣意的ではない。少々敷衍しよう。この楽章の展開部は新しい素材によって別な音楽が始まったかのように感じられる。しかし、ここには提示部のモチーフと対応する箇所が複数ある(例えば115−116小節と提示部の77‐78小節等)。それらが、提示部でのリズムと漸強弱、テンポに精密に重ね合わされるのだ。これによって楽章の構成感が強められる。また楽章終結のハ短調和音の綿密な連打も印象に残った。ここはハ短調主和音が連続する中でバス声部がG-Es-Cと移行する。このGとEsが突出すると和声感が崩れるのだが、単純なだけに難しい箇所ながら完璧なコントロールを聴かせた。第二楽章では主題を構成する64分音符が出てくるたびごとにppで語りかけるように歌われる。形式も歌曲に近いが、弱音の美しさを壊さずに詩的に歌い上げる音楽はリートのようだった。全楽章に言及できないのが残念だ。
 休憩を挟んでショパンに入ると、音にはさらに自信が漲る。変ロ短調のpresto con fuocoで激情が爆発するときも怜悧とも言えるほど冷たい響きが維持されるのはチョ・ソンジンらしい。15番変ニ長調は調性が目まぐるしく変化する。そのなかで一貫するAs(Gis)の連打が、怖いほどにダイナミクスを変化させ優しい旋律との対比を形作った。内向的でやや夢想的なop.28の性格に深く共感しているように感じられた。アンコールのドビュッシー「月の光」も冷たい詩情が美しく、スター・ピアニストの確かな実力を感じさせるコンサートとなった。(多田圭介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「千葉交響楽団特別演奏会New Year Concert」(1月9日、千葉県文化会館)
指揮とお話:山下一史 ソプラノ:小林沙羅
J.シュトラウスII:喜歌劇「メトゥザレム王子」序曲
レハール:喜歌劇「ジュディエッタ」より“私の唇にあなたは熱いキスをした”
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「おしゃべりなかわいい口」
J.シュトラウス:皇帝円舞曲 他全13曲

 ウィンナ・ワルツ、ポルカ、行進曲、序曲、そしてオペレッタのアリアなど、New Year Concertでは定番のプログラムとはいえ、その構成と曲目の選択では工夫が感じられ、よかった。楽しかった。非常に快いウィーンの舞曲の数々。気取らない、素直な、押しつけがましくなく、親しみのもてるウィーンの味覚だった。オケは非常にまとまりがあり、響き全体は柔らかく、美しく、金管だけでなくすべての楽器が気持ちよく溶け合っていた。打楽器が可愛かった。小林はウィーンの雰囲気が見事。彼女の人柄・色気が歌唱の情熱的な表現力とうまくマッチしていて、聴衆を魅了していた。New Year Concertは会場の雰囲気が大切だと思うのだが、山下や小林の話はそれを後押しするようでとってもよかった。「おらが町のオーケストラ」と謳う千葉交響楽団は今後もこの特徴を続けてほしいと思った。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「小泉和裕 東京都交響楽団 ブルックナー交響曲第5番」(1月10日、サントリーホール)
 速めのテンポで進む真面目なブルックナー。細部まで丁寧に組み立てられている。しかし、心は動かされない。CDを聴いているような模範的な演奏だが、表情の変化や奥行き、ふくらみがなく、ブルックナーを聴いたという充実感が持てなかった。冒頭の弦のピチカートは深みがあり、期待を持たせるが、最強奏の金管は厚みや威圧感がなく、第1楽章は聴いていても気持ちは高揚せず、たんたんと音楽が流れていった。
 第2楽章は第2主題がたっぷりと歌われ、ようやく自分が思い描くブルックナーが聴けたと思った。第3楽章のスケルツォは遊びもなく、さらりとしている。第4楽章は弦のフーガに活気が出る。コーダの合唱主題をはじめとする金管も迫力があった。弦楽器はチェロとコントラバスはよかったが、ヴァイオリンとヴィオラはあまり鳴っていなかった。重量感を持って終わると、盛大なブラヴォが飛ぶ。会場を出てモニターを見ていると、ソロ・カーテンコールがあり、小泉和裕はコンサートマスターの四方恭子とセカンドにいた山本友重の手を引きながら現れた。楽員をたてる小泉の謙虚さが出ていた。
 小泉と都響のブルックナーは、集中力と熱演ぶりはすばらしいが、オーケストラの厚みや奥行き、新鮮な解釈が与える驚き、夢見るようなファンタジー、心が動かされるような高揚感が感じられず、平板に聞こえたのが残念だった。(長谷川京介)

写真:(c)東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】

「ニューイヤーコンサート2017 川瀬賢太郎 東京都交響楽団」(1月13日、サントリーホール)
 日本赤十字社献血チャリティ・コンサートであり、小学生以上の子供たちのためのコンサートでもあった。前半は荒木奏美のソロによるモーツァルトのオーボエ協奏曲と、高木綾子と吉野直子を迎えてのフルートとハープのための協奏曲。
 荒木の音は艶やかで美しいが、音は大きくなく繊細なため、サントリーホールでは不利に思える。緊張のためか硬くなっていたようだ。第2楽章のオーボエは遠くから響く「こだま」のように聞こえた。川瀬&都響のバックはモーツァルトにしては重心が低く、テンポも遅めで荘重な印象があった。
 フルートとハープのための協奏曲は、吉野直子のハープが素晴らしかった。すべての音に生命が宿り、音楽も勢いを持って流れ出す。これこそモーツァルトと思わせる格調の高さと、貴族的なセンスを備えている。高木綾子のフルートも力強く明解だが、やや単調で吉野の音楽性の深さには届かない。ただ第3楽章の高木の演奏は積極的で表情が豊かだった。川瀬&都響は、吉野に刺激されたのか、弦の響きが洗練され、音楽も生き生きとしていた。
 ベートーヴェンの交響曲第7番で川瀬は、第1楽章から第2楽章をアタッカで続けた。その狙いは何か、楽屋に伺ったとき聞けばよかったが、後の祭り。緊張の糸を切らしたくなかったのだろうか。しかし、川瀬と都響の息がこの2つの楽章ではかみ合っていなかった。音楽が上滑りして流れるだけで、聴き手に訴えてくるものが少ない。ところが、第3楽章が始まったとたん、音楽に血が通いだし、一気にヒートアップした。川瀬の意図を都響が瞬時につかみとり、指揮者とオーケストラは一体となって燃え上がって行った。第4楽章の両者の集中度は見事だった。若々しい演奏であると同時に、奥行きもあり、単に勢いで進む音楽に終わっていないところに、川瀬賢太郎の才能を見る思いがした。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ヤク・ファン・ステーン 新日本フィル 江口玲(ピアノ)」(1月14日、すみだトリフォニーホール)
 オランダ出身、ドイツのドルトムント歌劇場の音楽監督を2013年まで務めたヤク・ファン・ステーンの指揮、江口玲のピアノによるアメリカン・プログラム。バーンスタイン交響曲第2番「不安の時代」をはじめとする意欲的な内容で、充実した演奏だった。メインのバーンスタイン作品では江口のピアノがこなれており、特にPart2「仮面舞踏会」のジャズ的なピアノが冴えていた。ステーンの指揮は傑出した特徴を感じさせるものではないが、オーケストラをまとめ上げる能力が優れており、しっかりした構成感を新日本フィルとともにつくりあげた。また音楽が温かく人間味が感じられる。新日本フィルは冒頭のクラリネットやフルートの二重奏をはじめ、全員が健闘。エピローグでの木霊のような江口と小ピアノの対話が印象的だった。江口がアンコールで弾いたガーシュインの「ブルー・ララバイ」はブルースのフィーリングに満ちており絶品。江口がいつも使うニューヨーク・スタインウェイの音もバーンスタインとガーシュインにふさわしいものがあった。
 後半のバーンスタインの代表作、ウエストサイド・ストーリーより「シンフォニック・ダンス」は新日本フィルのメンバーのフィンガースナップや「マンボ!」の掛け声もよく揃う。「ランブル」のダイナミックな演奏から「フィナーレ」の抒情味まで、細かな部分まで目配りが行き届いた指揮と演奏だった。ほかにアイヴズ「答えのない質問」、コープランド「市民のためのファンファーレ」が演奏された。アンコールは、ステーンが「アメリカに住んだもう一人の作曲家」としてストラヴィンスキーの名を挙げ、シューベルトの軍隊行進曲をパロディにした「サーカス・ポルカ」を演奏。ステーンは演奏前「アリガトウ」と日本語であいさつし、続いて英語で、この曲が実際にサーカス団の巨大な象たちのためのバレエ曲として作曲されたいきさつも話した。
 新日本フィルハーモニー交響楽団やそのメンバーは糸魚川市をコンサートや病院慰問のため何度も訪れており、その縁もあって先日の大規模火災の被害者への募金活動がロビーで住民の人たちによって、また終演後は楽員も協力して行われた。ささやかながら寄付した。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京シティ・フィル第47回ティアラこうとう定期演奏会 藤岡幸夫指揮」(1月21日、ティアラこうとう大ホール)
ディーリアス:春初めてのカッコウの声を聴いて
吉松隆:サイバーバード協奏曲(アルト・サックス:須川展也、パーカッション:山口多嘉子、ピアノ:小柳美奈子)
ブラ—ムス:交響曲第2番

 鳥のさえずりや田園風景の描写を集めた興味深いプログラムだった。藤岡の得意とする領域だろう。ディーリアスからして森の奥深くでさえずる「かっこう」が快かった。クラリネットは当然だが、コントラバスまでこれに呼応するのは作品としても面白かった。この日のメインと言ってもいい作品は「サイバーバード」だったかもしれない。プレトークで吉松を交え藤岡が第2楽章の(吉松が妹さんを失った)悲しさ、そして切れまくる終楽章について語っていた。そして、その後に演奏するブラームスへの気持ちの転換が難しいとも。サイバーとは、インターネット上のサイバー攻撃などで知られるように、「情報空間上の、電脳的」だが、それと自然の鳥の融合が作品としても演奏も素晴らしかった。サックス、ピアノ、パーカッションの3つの独奏楽器とオケが見事なアンサンブルを聴かせてくれた。初演以来というが、お互いを知り尽くしたようなアンサンブルは見事だった。須川のテクニックは秀逸で、見事だが、ピアノもパーカッションも聴き手の心を奪った。予告通り第2楽章の悲しさを誘う表現は説得力があった。パーカッションの山口はアンコール曲でも鈴一つであれだけ聴衆の心を掴めるとは。
 さすがに、休憩の15分を挟んだとはいえ、「ブラームスの田園交響曲」の冒頭は心の準備が藤岡もオケもそして聴衆もできていなかったようだ。藤岡の語った通りだった。とはいえ、第2楽章から第3楽章へと進むにつれ、楽器も良く鳴るようになり、不揃いだった音にもまとまりが出て、最後は非常に快いブラームスを聴かせてくれた。(石多正男)

Classic Concert Information

「プラシド・ドミンゴ&ルネ・フレミング プレミアム・コンサート・イン・ジャパン」東京国際フォーラムホールA 3月13日(月)19:30開演
 オペラ界の頂点を極める特別な二人によるコンサートが、一夜限り実現する。ドミンゴは2012年の東日本大震災の直後、キャンセルするアーティストが多い中に来日公演を行い、音楽賞も受賞したが、今年で来日30年の節目を迎える。日本とは「魂の絆」が感じられるという。その特別な年に、オペラ界きってのプリマドンナ、フレミングとの夢の共演がかなう。コンサートによる最高のオペラの夕べが楽しめるに違いない。(S)

写真:(c)Barbara Davidson

Classic Book Review

「追分日出子著『孤独な祝祭 佐々木忠次〜バレエとオペラで世界と闘った日本人』(文藝春秋 2016)
 ウィーン国立歌劇場ほかヨーロッパの一流歌劇場の招聘で知られるプロデューサー佐々木忠次氏が、2016年4月に83歳で逝去した。本書はその半年後の10月に発行された評伝である。佐々木氏は業績が型破りなだけでなく、周囲との人間関係や人物像にとかく風評が絶えず、理解しにくい面のある方だっただけに、こうした評伝がすぐに刊行されたのは時機を得ている。
 著者は各界の人物伝を多数取材・編集・執筆しているライターで、佐々木忠次氏に初めて会ったのは2000年、雑誌「AERA」の人物ルポでの取材だったという。その後、病状が進み、晩年ほとんど寝たきりで喋ることもできなくなった佐々木氏から、「自分の軌跡を書き残したいという強い思い」を感じ取った著者は、2015年夏から本書執筆に向けて取材を始めた。係わりのある方々はむろん、「絶縁状態」にあった少なからざる方々にも会って話を聞き、残された古い手帳から30年以上に及ぶ行動の記録を探り出した。
 本人の芸術上の意見や社会的主張などについては、生前に発行された4冊の著書に明確に記されているのだが、その裏にある心模様や対人関係の不可思議さまでは分からない。第三者の目を通して書かれた本書を読むことで、佐々木忠次という方がようやく多少は納得しうる人物になったというのが、正直、私の実感である。ちなみに私自身は同じオペラの世界で長く仕事をしながらも、幸か不幸か佐々木氏とは個人的な係わりをほとんど持たずに済んだ一人である。先輩の音楽評論家や業界の方々と佐々木氏とのすさまじい対決ぶりを見るにつけ、小心者の私などに出る幕のあろうはずはなかったのだ。
 本書では、佐々木氏の気骨ある人生と奇跡的な業績をたどるなかで、「本物志向」、「超一流・祝祭性」を「過剰」に追及し、「完璧主義」に徹して執念の塊となり、「幸福」でありながらも「怒り」と「絶望」にさいなまれていた「人間関係の下手な」佐々木氏の「孤独」を、温かい視点で描き出している。著者は音楽やバレエの専門家ではないため、芸術的業績の位置づけは掘り下げていないが、これは今後の研究が解明していくことだろう。(関根礼子)