2015年9月 

  

「飯田さつき ミュージック・ペンクラブ音楽賞・ブライテスト・
ホープ受賞記念LIVE」 7月29日 BODY&SOUL(東京南青山)
巧みな選曲と宮本貴奈のエスプリを感じさせる
編曲が、持ち前の声の魅力を輝かせた。
 久方振りにイキの良いジャズのスピリット溢れる若い歌手が誕生した。飯田さつきが20歳代の半ば、アメリカに渡って修行を積み、初のアルバムを制作してからの数年間、目ざましい進境をとげ、今回のBODY&SOULでの受賞記念ライブでは、卓越して個性的才能を具有するジャズ歌手の域に達していることを実感させた。

 いつも冒頭に歌うディズニー映画(『シンデレラ』)からの「ビビディ・バビディ・ブー」は、彼女の巧みな解釈によって楽しく新鮮なジャズ曲に生れ変った。スタンダード曲にも、新しい魅力が付け加わる。選曲のセンスも抜群で「The Way We Were」と「Just The Way You Are」を対比させてきかせるのにいつも感心する。引き続いての努力と精進を期待したい。(瀬川昌久)

尚、ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞記念全国ツアーの最後がBODY&SOULだった。アンコールの「ムーン・リヴァー」の後、飯田さつきさんに当会会長・鈴木道子がお祝の言葉とともにMPCJからの花束を贈呈し、池野徹音楽賞委員、長老の瀬川昌久氏からもおめでとうの言葉が送られた。

当会会長の鈴木道子が
ジャズボーカルの
新星を讃える。
2014年度功労賞を受賞した
ジャズ評論界の大御所、
瀬川昌久も駆けつけた。
当日は全国縦断
コンサートツアーの
ファイナルステージだった。

ブロードウェイ・ミュージカル「ピーターパン」日本版上演35周年
・・・本田悦久 (川上博)
 「ピーターパン」が7月20日から30日まで、東京国際フォーラム ホールCで、8月2日には大阪・梅田芸術劇場メインホールで上演された。(筆者の観劇日は7月21日のマティネー)
 ムース・チャーラップとジュール・スタイン作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ピーターパン」が1981年に日本で初演されてから、通算上演回数が何と1,570回になったという。「アニー」の日本上演が始まったのは1986年だから、ピーターが5年先輩ということになる。

 最新版の演出・振付・台本は、昨年に続き玉野和紀。ピーターパン役は今年3年目の唯月ふうか、1981年の初演の榊原郁恵 (7年連続出演) から数えて9代目。

<ストーリー> ロンドンのダーリング夫妻 (大貫勇輔、白羽ゆり) には、女の子ウェンディ (入来茉里と佐藤すみれのタブル・キャストで、この日は佐藤すみれ) と男の子ジョン (松本拓海) とマイケル (堀越友里愛と杉浦百恵のダブル・キャストで、この日は杉浦百恵) の3人の子供がいる。ある夜、ダーリング家の窓から、永遠の少年ピーターパン (唯月ふうか) が、妖精ティンカーベルと飛び込んでくる。

 ピーターは3人の子供たちを夢の島ネバーランドへと誘う。その島でウェンディは、迷子たちの母親になったり、タイガー・リリー (白羽ゆり) 率いるインディアンたちと交流があったり、楽しい時を過ごしていたが、ロンドンの家が恋しくなって帰宅を決意する。ところが、ウェンディ以下子供たちがフック船長 (大貫勇輔) 率いる海賊たちに捕まってしまい、ピーターとフックの戦いが始まる・・・。

 「ネバーランド」「アイム・フライング」「「大人にならない」等のミュージカルナンバーは楽しく、会場を沸かす。ダーリング氏とフック船長役の大貫勇輔は、鍛えぬいたダンサー、折々に見せる華やかなダンスは海賊たちのシーンにピタリとはまり、楽しさを倍加する。ダーリング夫人の白羽ゆりもタイガー・リリー役では、切れのいい激しいダンスで、観客を魅了する。強面の海賊たちのセリフもかなりコミカルで、笑わせてくれる。そして、時に客席まで飛ぶフライング・シーンは最高で、「ピーターパン」はいつ観ても楽しい!! 

<写真提供: ホリプロ>



(余談) 筆者は外国で何回か「ピーターパン」に出会っている。

1979年10月28日、ブロードウェイのラントフォンテイン劇場。ピーターはサンディ・ダンカン。
1990年6月26日、ロサンジェルスのパンテイジス劇場。ピーターは元オリンピック体操選手のキャシー・リグビー。
1991年11月12日、パリのカジノ・ド・パリ。フランス語版で、ピーターはギヨン・ファビエンヌだった。


香港の広東語クチパク「ピーターパン」
http://www.musicpenclub.com/talk-200901.html

ミュージカル「グッバイ・ガール」、18年ぶりの日本版上演
・・・本田悦久 (川上博)
 「ピーターパン」が7月30日に終わった東京国際フォーラム ホールC で、8月7日から23日まで、「グッバイ・ガール」が上演された (筆者の観劇日は10日)。

 売れっ子の劇作家ニール・サイモンのアメリカ映画「THE GOODBYE GIRL」(1977) を、サイモンの脚本、マーヴィン・ハムリッシュの作曲、デイヴィッド・ジッペルの作詞でミュージカル化。1993年にブロードウェイのマーキス劇場で初演された。
 日本では1996年と1997年に、渋谷のPARCO劇場で上演している。

 さて、今回の久しぶりの日本公演は、演出・脚本: マキノノゾミ、出演は紫吹淳、岡田浩暉、中尾ミエ、児玉萌々、森加織、岸田研二、佐藤日向、木下政治、関谷春子、西田薫子、他。

 元ダンサーのポーラ (紫吹淳) は、シングル・マザー。ニューヨークで、役者の彼氏トニーと一人娘のルーシー (吉井乃歌と児玉萌々のダブル・キャストで、この日は児玉) との三人でアパート暮らしだが、トニーはスペインで映画の仕事が入ったからと置手紙をして出て行ってしまう。ルーシーの実の父親も売れない役者だった。
 これで、何度目の別れだろうか、もう役者はこりごりと落ち込むポーラ。アパートの管理人クロスビー夫人 (中尾ミエ) からは「いつ部屋を出て行くの?」と追い打ちをかけられ、ガックリ。このクロスビー夫人が要所々々で舞台に陰影を添える。
 そこに、トニーから部屋を又借りしたというエリオット (岡田浩暉) が、トニーが持ち逃げした家賃4か月分の領収書まで持って現れる。ポーラは他に行く所もないので、不承不承ながらエリオットと部屋をシェアすることになる。同居するについては、「ルールを守って」というポーラに、エリオットは「家賃を払っているボクが家主だから、ルールを決めるのはボク」と云われて、ポーラはギャフン。
 スピード感あふれるコミカルな会話運びは、ニール・サイモンの面目躍如、日本語訳も違和感がなく、笑わせる。すったもんだのやりとりの末、部屋割りは何とか決まるが、余り売れない役者で、かなりの変人のエリオットは、夜遅くにギターを弾いたりして、ポーラのイライラは増すばかり。そんな或る日、エリオットは念願の舞台で主役の仕事が入り、ポーラ母娘を招待する。ところが、これがとんでもない失敗作。観客は次々と退場。残ったのはポーラ母娘だけだった。エリオットはその夜、グデン・グデンに酔っぱらって帰宅、その様子にポーラは胸を痛める。翌朝、感の鋭い娘のルーシーに「ママはエリオットが好きになったのでしょう?」と言われ、「そんなことないわ、ただエリオットに同情しているだけ」と答えるが、どうやら恋の始まりらしい・・・・。
 「ア・ビート・ビハインド」「マイ・ルールズ」「グッド・ニュース、バッド・ニュース」「フットステップス」等のミュージカル・ナンバーも佳曲揃い。楽しい18年ぶりの「グッバイ・ガール」だった。

<写真提供: キョードー東京>



(余談) 筆者が「THE GOODBYE GIRL」に初めて出会ったのは、1993年5月15日、ブロードウェイのマーキス劇場だった。マリオット・マーキス・ホテルの中にある劇場で、1986年にオープンした。こけら落とし公演は「ME AND MY GIRL」で、同年の9月17日に観ているので、この劇場を訪ねたのは2回目だった。
 この時の演出はマイケル・キッド、主演はバーナデット・ピータース (ポーラ)、マーティン・ショート (エリオット)、キャロル・ウッズ (ミセス・クロスビー)、タミー・ミノフ (ルーシー) だった。
 筆者の部屋に、この時のポスターを飾っている。ブロードウェイのポスターは珍しくはないが、「THE GOODBYE GIRL」は立体的に出来ていて、臨場感があって楽しい。
 1997年5月20日には、ロンドンのアルベリー劇場に行った。その時の演出はロブ・ベティンソン、主演はアン・クラム (ポーラ)、ゲイリー・ウィルモア (エリオット)、シーズウェー・パウェル (ミセス・クロスビー)、ルーシー・エヴァンス (ルーシー) だった。

東宝ミュージカル「貴婦人の訪問」・・・本田浩子
 「8月14日、シアタークリエでミュージカル「貴婦人の訪問」を見る。原作は、スイスの劇作家フリードリヒ・デュレンマットの戯曲「貴婦人の訪問」。1956年にスイスで初演され、1958年にはブロードウェイでも上演された。1964年には、イングリッド・バーグマンとアンソニー・クイーンの共演で映画化されている。

 今回のミュージカルは脚本: クリスティアン・シュトルペック、作曲: モーリッツ・シュナイダーとマイケル・リード、作詞: ヴォルフガング・ホファーの4人により、2013年にスイスのトゥーンで初演され、2014年にはウィーンのロナハー劇場でも上演された。

 そして今年2015年に、早くも日本上演が実現した。演出: 山田和也、翻訳・訳詞: 竜真知子。タイトルこそ「貴婦人の訪問」と優雅だが、内容は心理スリラーともいえる人間の欲望の極限を描いた悲喜劇だ。

 ドイツの小都市ギュルンは、財政破綻していて、町には失業者が溢れている。マティアス市長(今井清隆)、クラウス学校長(石川禅)、ゲルハルト警察署長(今拓哉)、ヨハネス牧師(中山昇)は、今や大金持ちになり、久々にギュルンに帰ってきた未亡人クレアに、どうやって大金を出してもらうか相談を始め、昔クレアと恋仲で今はマチルデ(春野寿美礼)と結婚して雑貨店を営むアルフレッド・イル(山口祐一郎)にクレアとの交渉を一任する。

 さて、歓迎体勢が整う中、クレアは、ボディガード二人とペットの黒豹を従え、全身黒い衣装に身を包み、大富豪らしく、汽車ではなく、プライベット飛行機から降り立つ。出迎えた人々に笑顔一つ見せないその姿に、市長もアルフレッドもシドロモドロの歓迎の挨拶しかできず、何とか夜の歓迎会の招待はできたものの、クレアは無表情でさっさと退場してしまう。涼風クレアの存在感は抜群で、大富豪の未亡人が帰ってくるという喜び溢れた雰囲気は、曰くありげな彼女の登場と共に、消え去ってしまう。

 歓迎会にまたもやクールに登場したクレアは、街の人々全員に総額20億ユーロというとてつもない大金を寄付すると約束する。狂喜する人々に、クレアの条件はただ一つ、アルフレッドの死と伝えると、退場してしまう。彼女は狂っている、そんなことはできないと、歌い踊る人々、校長(石川禅)の苦悩に満ちた動きが人々の心の混乱を象徴している。

 クレアに反発していた人々だが、やがてお金が入ると思い、アルフレッドの雑貨店に現れてはクレジットで次々と買い物をする。皆、既に新しい洋服や靴、帽子を身につけている。クレアの条件に衝撃を受けたアルフレッドは、人々のおびただしい買い物に更に恐れをなして、旧友の警察署長、市長等を訪ねて、不安を訴える。しかし、同情を示し、誰も君の命を奪ったりしないという彼らだが、警察署長は新しい靴を、市長も牧師までも何やらゴージャスな衣装に変わっていて、アルフレッドの恐怖はとどまることがない。唯一妻のマチルデだけが味方だが、二人の子供たちでさえ、車を買ったり、英会話を習ったりとお金を使っていく。そんなアルフレッドの唯一の楽しみは、クレアとの思い出の森で、二人で過ごす時間だった。このシーンには、若い頃の二人、飯野めぐみ、寺元健一郎も登場して、4人のロマンティックな歌声が響く。甘い思い出に望みを抱くアルフレッドだが、かつて妊娠していた自分を捨てて、マチルデと結婚したアルフレッドをクレアは許す気がない。

 誰かに殺されると恐れるアルフレッドは、誰よりも殺しに反対する校長に泣きつくが、彼でさえ、苦悩しながらも、富の力に負けて、いつか私も人々の側に入っていくと言いだす始末。こうなったら、街を逃げ出すしかないと焦るアルフレッドを、人々は許さない。市長は、かつて身重のクレアを捨てたアルフレッドを裁判にかけ、アルフレッドにその結果に従うように迫る。毎晩クレアに森で逢っていると知ったマチルデも、裁判では、アルフレッド有罪に挙手をする。

 物語はアルフレッドの死で終わるが、遺体にすがるクレアの姿は、愛と憎しみが背中合わせと語りかける。人間の弱さや愚かさを前面に出す、異色のミュージカルを支えるのは、演出、山田和也の切なくもコミカルな舞台、楽曲の素晴らしさ、それを体現しうる個性豊かな役者陣、そして、前田文子の衣装ではないだろうか。クレアの初登場シーンの黒ずくめの衣装は、シンプル且つゴージャスで舞台を絞めている。二幕になると、街の人々の衣装だけでなく、牧師に至るまでどこか華やかになっていて、殺すなんてとんでもないと言っていた人々の心変わりを、コミカルに視覚的に印象づけてくれる。

 因みに、今回のミュージカル・プロダクションの前に、この戯曲は、2001年に「キャバレー」のジョン・カンダーとフレッド・エブのコンビでミュージカル作品として、チタ・リベラ主演で上演され、2008年にチタ主演で再演、2015年4月チタ主演でブロードウェイでオープンしたが、同年6月14日に終演し、ロング・ランには至らなかった。

写真提供: 東宝演劇部

国際ダブルリード・フェスティバル2015東京 オープニング・ガラ・コンサート(8月15日、国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール)
・・・長谷川京介
 30年の歴史を持つ国際ダブルリード協会(IDRS:International Double Reed Society)の第44回年次コンファレンスが、アジアダブルード協会(ADRA:Asian Double Reed Association)との共催で、8月15日から19日まで初めて日本で開催された。オーボエとファゴットの催し(教育プログラム、コンクール、コンサート、楽器楽譜展示)としては世界最大規模で「ダブルリードのアミューズメントパーク」とも言われる。準備に10年かかったという。
 そのオープニング・ガラ・コンサートに行った。これだけまとめてオーボエとファゴットの協奏曲を聴くのは初めてだが、日本と海外の奏者の違いが手に取るようにわかるのは得難い体験だった。
 日本からは青山聖樹(N響首席オーボエ)と岡本正之(都響首席ファゴット)、による<ヴィヴァルディ:オーボエとバスーンのための協奏曲RV545>と、金子亜未(札響首席オーボエ)の<長生淳:オーボエ協奏曲「満庭の秋」>を聴いたが、共通するのは正確な技術となめらかできれいな音。金子は少し硬さがあった。
 日本の奏者のあとに、ジャン・フランソワ・デュケノワ(フランス放送フィル首席ファゴット)による<モーツァルト:ファゴット協奏曲>を聴くと、その香り立つような色彩感ある響きに驚かされる。水墨画から極彩色の油絵の世界に変わったかのようだ。
 ジェローム・ギシャール(リヨン国立管ソロオーボエ)の<マルティヌー:オーボエ協奏曲>も色彩感が素晴らしい。ジャン・ルイ・カペッザーリ(リヨン国立音楽院教授)の<ハイドン:オーボエ協奏曲>は、正確であるだけではなく、音が大きくどっしりとした存在感がある。
 ハンノ・ドネヴェーグ(南西シュトゥットガルト放送響首席ファゴット)による<サン=サーンス:ソナタ(オーケストラ編曲版)>と、クリストフ・ハルトマン(ベルリン・フィルオーボエ)による<パスクッリ:「シチリア島の夕べの祈り」の主題による大協奏曲>は、ドイツのオーケストラ奏者らしい、かっちりとした音が印象的で、どこか日本の奏者に通じるものがあった。
 こうして聴き較べてみるとプレイヤーの個性に加えて、属しているオーケストラの性格も演奏に反映されていると言えるかもしれない。
 バックを務めたのは「国際ダブルリード東京2015フェスティバル・オーケストラ」。その中心は茂木大輔が20年近く続けている「もぎオーケストラ」で、コンサートマスターは元N響第2ヴァイオリン首席の永峰高志。N響からは他にフルート首席の甲斐雅之、ティンパニ久保昌一、オーボエ坪池泉美が参加。日フィルオーボエ首席杉原由希子、新日本フィルファゴット首席河村幹子の顔も見えるなど豪華なメンバーだった。
 指揮は茂木のほか田中祐子、N響オーボエ奏者和久井仁(長生淳:オーボエ協奏曲のみ)が担当したが、様々な曲と奏者個々に丁寧に柔軟に対応していて見事だった。

国際ダブルリード・フェスティバル2015東京 クロージング・ガラ・コンサート(8月19日、国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール)
・・・長谷川京介
 フェスティバルの掉尾を飾るように、ソリストたちが個性を発揮して素晴らしい演奏を繰り広げた。
 小山莉絵(ミュンヘン国際第2位)による<ジョリベ:ファゴット協奏曲>はファゴット奏者が一度は挑戦してみたいという難曲。第2楽章「アレグロ・ジョヴィアーレ」でのテクニックが光る。演奏は思い切りのいい男性的なものを感じた。
 カレフ・クリユス(北ドイツ放送響首席)の<モーツァルト:オーボエ協奏曲(ベーレンライター原典版)>は引き締まりがっちりとした盤石のオーボエで、まさにドイツ風。
 ヨシ・イシカワ(コロラド大教授)<D.ケロッグ:バスーンと管楽器のための「呼吸」(新作)>は作品の内容からか、途中ちょっと弛緩する部分もあったが高音の弦をバックに静寂をしっとりと表現していた。
 マティアス・ラクツ(チューリッヒ・トーンハレ管首席)の<フンメル:ファゴット協奏曲>は素晴らしかった。フンメルの快活で楽しく明るい音楽が充満。他の奏者は黒いシャツ姿だったが、彼だけは赤いシャツで曲想に合っていた。
 今回のフェスティバルでは、2015年度フェルナン・ジレ=ヒューゴ・フォックス国際オーボエコンクールも行われたが、優勝したセルジオ・サンチェス(ベネズエラ)による<グーセンス:オーボエ協奏曲>はのびのびとしたきれいな音が印象的。まだ協奏曲の経験も少ないと思うがよくまとめていた。
 ソフィー・ダルティガロング(ウィーン・フィル)による<トマジ:ファゴット協奏曲>は地中海を思わせる明るい曲にぴったりのチャーミングな演奏。ステージ映えする演奏姿も美しく、スター性がある奏者だ。
 ゴードン・ハント(ロイヤルアカデミー名誉会員、フィルハーモニア管首席)のオーボエによる<モーツァルト:協奏曲ヘ長調(フルート協奏曲ト長調編曲版)>はさすがの品格があった。
 ジュリアン・アルディ(フランス放送フィル)の<ウェーバー:アンダンテとハンガリー風ロンド>はこの日最も印象に残った演奏だった。作品自体がファゴットのユーモアと活力ある響きを引き出しているが、音楽を身体全体で表現するアルディの技術と表現力は会場を沸かせた。
 「国際ダブルリード東京2015フェスティバル・オーケストラ」はオープニングコンサート以上に積極的で、メンバーが自主性を発揮し、ソリストとの一体感や対話があった。コンサートマスターは初日と同じく元N響第2ヴァイオリン首席の永峰高志。ホルンにN響首席の今井仁志、東響の曽根敦子。オーボエに東響の最上峰行、フルートに竹山愛など豪華なメンバーだった。指揮はゴードン・ハントと田中祐子が務めた。
 日本で初めての国際ダブルリード協会(IDRS)のコンファレンスは、アジアダブルリード協会(ADRA)との共催もあり、中国の120名をはじめアジア各国からの参加者が増え、出席者数は1300名と30年の歴史の中でも最も多かったとのことで、大成功と言えるだろう。山上貴司事務局長はコンサートに先立つあいさつで、寝る時間を割いてがんばった作業チームと、数百名のボランティアへの深い感謝の意を表していた。

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