2015年9月 

  

Classic CD Review【交響曲】


「ベートーヴェン:交響曲 第2番 ニ長調 作品36、第8番 へ長調 作品93 / 小澤征爾指揮、水戸室内管弦楽団」 (ユニバーサル ミュージック、デッカ / UCCD-1421)
 水戸芸術館専属の室内オーケストラとして1990年に創設されたこのオーケストラ、日本では最も優秀で多忙な奏者を集めたアンサンブルとして知られている。そのため他の多くのプロ・オーケストラとは異なり、演奏会毎のメンバーは一定でない。即ち常設のオーケストラではなく、日本のプロ・オーケストラ連盟にも加盟していない(加盟出来るのはメンバーが固定しているオーケストラのみ)。さて総監督である小澤征爾と共に創立以来25年を共に過ごしてきた小澤&ヒズ・オーケストラは前作の第4番・第7番に次ぐ第2番・第8番を今年1月と5月の水戸に於ける定期演奏会を行い、このCDはその時のライヴ録音なのだ。この時小澤は、病後のリハビリからようやく抜けだし、指揮活動に復帰した頃である。このCDを聴くと病気に打ち勝った安堵の気持ちと、再び起きた強いやる気、それに小澤自身の感謝の気持ちがこの明るく素晴らしい音楽を作り上げたと言って良い。そしてベートーヴェンの交響曲の中でも最も明るい2曲を採り上げたことは誠に当を得たものである。(廣兼 正明)

Classic CD Review【管弦楽曲】

「R.シュトラウス:英雄の生涯 作品40、ドン・ファン 作品20 / パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団、ヴァイオリン・ソロ:篠崎史紀」 (ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、ソニー・クラシカル / SICC-19003)
  今や時代の寵児となったパーヴォ・ヤルヴィが、今年9月にN響の首席指揮者に就任するにあたり、今年2月にサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィを招いて行われたN響定期のライヴが今回9月に発売されるこのパーヴォの首席就任の記念CDである。N響はローゼンストック以来、ドイツ音楽を得意としており、このところメンバーの若返りも行われ、パーヴォとの完全なコミュニケーションも充分にとることが可能になったと言えよう。事実このCDを聴くとN響は海外の一流オケと比較してもトップクラスのランクをもらえることは確実ではなかろうか。そして重要な役目を担うコンサートマスター、篠崎史紀のソロも全般的には見事である。ジェネレーションの近いパーヴォ・ヤルヴィと楽員たちの繋がりは、今後益々親友同士のようなその絆を強めるのではなかろうか。期待度は非常に高い。(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ピアノ)】

「ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15、第2番 変ロ長調 作品83 / ダニエル・バレンボイム(ピアノ)、グスタフ・ドゥダメル指揮、シュターツカペレ・ベルリン」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン / UCCG-1707〜8)
  このCDには「オーケストラは社会の縮図」と言う考え方から1975年に南米ベネズエラで始まった子供たちを社会悪から守るために作られた音楽教育システムである「エル・システマ」の出身で、現在34歳、今をときめくスター指揮者グスターボ・ドゥダメルと、「エル・システマ」の強力な支援者でドゥダメルの個人的な良き指導者であるバレンボイムがピアニストとして共演したブラームスのピアノ協奏曲全2曲が入っている。この2曲を恐らく何十回も演奏してきたバレンボイムのブラームスに対し、伴奏を司るドゥダメルは大先輩バレンボイムに臆することなく、オーケストラを巧みに操り、美しい彼のブラームスをホール一杯にバランス良く響かせている。オーケストラのシュターツカペレ・ベルリンも流石にベテランオーケストラらしくドゥダメルの考えをそのまま聴衆に伝えることが出来たようだ。筆者は近頃、世界トップクラスのオーケストラを振っているドゥダメルのCDを聴く機会が増えたが、聴く程に彼の豊かな音楽性の素晴らしさに驚くことが多くなったようだ。これから何処まで伸びていくのだろうか。(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン)】〈再発新譜〉

「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216、第5番 変イ長調 K.219 「トルコ風」 / フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)、イェルク・フェルバー指揮、ハイルブロン・ヴュルテンブルク管弦楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23200)
 ワーナー・クラシックの再発シリーズ「クラシック・マスターズ」の1枚。1984年に新譜として発売。フランク・ペーター・ツィンマーマンは現在BISレーベルから出ている期間限定の常設弦楽三重奏団「トリオ・ツィンマーマン」の創始者。このモーツァルトの協奏曲2曲は彼が19歳の時の録音である。彼の演奏は非常に几帳面であるが、音は清らかで美しい。強いて言えばモーツァルト向きであろう。特にこの2曲は彼に合っている。今回はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲が再発された。どの曲も彼の代表的な演奏であろう。そして彼は室内楽のアンサンブルにも長けている。2010年だったと記憶しているが、BISレーベルからリリースされたアントワーヌ・タムスティ(Va)、クリスチャン・ポルテラ(Vc)とのモーツァルト:ディヴェルティメントK.563はこの曲の中でも最高の出来である。こちらの方も一聴をお薦めしたい。
(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン)】〈再発新譜〉

「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.61、ロマンス 第1番 ト長調OP.40、 ロマンス 第2番 へ長調OP.50、/ フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23201)
  ツィンマーマンが上記のモーツァルトより3年後の1987年22歳の時に録音したベートーヴェンである。何としっかりした、ベートーヴェン協奏曲のお手本のような立派な演奏であることか。悠然としたテンポの中でも、彼の持ち味である清々しさに溢れ、聴く人に幸せをもたらしてくれる。特に第2楽章ラルゲットの素晴らしさは、まだ若い22歳の演奏とは信じられない。終楽章のロンド・アレグロも決して焦らず、完全に足が地に着いた落ち着きを感じさせる。
余白に収録されているG Durと F Dur2つの「ロマンス」も何処までも甘く美しい。これがヴァイオリン音楽の極致なのかと思ってしまう。伴奏のジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団のサポートも秀逸。久し振りに心が満たされた1枚だった。(廣兼 正明)

Classic CD Review【室内楽曲(クラリネット五重奏曲、ホルン五重奏曲)】〈再発新譜〉

「モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581、ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407/ (1~4ザビーネ・マイヤー(クラリネット)、エーリッヒ・ヘバルト(第1ヴァイオリン)、ペーター・マツカ(第2ヴァイオリン)、トマス・リーブル(ヴィオラ)、ルドルフ・レオポルド(チェロ)、5~7 ブルーノ・シュナイダー(ホルン)、エーリッヒ・ヘバルト(ヴァイオリン)、トマス・リーブル(第1ヴィオラ)、ジークフリート・フユーリンガー(第2ヴィオラ)、スザンネ・エン(チェロ)」 (ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23210)
  カラヤンに見出されたことで話題になったドイツの女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーがウィーン弦楽六重奏団メンバーと組んで1988年に録音したモーツァルトの五重奏曲である。演奏は全体的にウィーンの古き佳き時代を彷彿とさせる美しさに満ち溢れている。ドイツ生まれのマイヤーだがここではウィーンの貴婦人を連想させてくれる。この5人の奏者たちのアンサンブルには室内楽を聴く楽しみと最上級の品位を感じる。後半はモーツァルトが書いたたった一つのホルン五重奏曲で、スイス生まれのホルン奏者ブルーノ・シュナイダーとクラリネット五重奏曲と同じウィーン弦楽六重奏団メンバーとの組み合わせによる演奏である。この曲はクラリネット五重奏曲などに較べ演奏回数は遙かに少ないが、楽器編成の特殊性もありホルン奏者にとっては不可欠の曲である。そしてやはりモーツァルトの曲だけに独特の諧謔性があり楽しい。この奏者たちに取っては嬉しいレコーディングだったことだろう。(廣兼 正明)

Classic CD Review【歌曲(ソプラノ)】〈再発新譜〉

「モーツァルト:歌曲集 (全19曲) / バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)、マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)、イェラン・セルシェル(ギター)、ミカ・アイヒェンホルツ(指揮)、ローザンヌ室内管弦楽団」 (ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23215)
 バーバラ・ヘンドリックスは米国アーカンソー州生まれのリリック・ソプラノ歌手。ネブラスカ大学で数学、化学を専攻、卒業後ジュリアード音楽学校で声楽を学ぶ。彼女の声は透明でエレガント、正にモーツァルトの歌曲にぴったりだと言われている。このCDには全部で19曲が収録されている。このCDの聴き所はこの素晴らしい歌い手の伴奏がモーツァルト弾きのマリア・ジョアン・ピリスであることだ。19曲の中には歌曲として広く知られている「春へのあこがれK.596」、「すみれK.476」、「クローエにK.524」と共にレシタティーヴォとアリア「どうしてあなたを忘れられよう〜おそれることはないわ、いとしいひとK.505」も最後に入っているが、この曲は初演時にピアノのオブリガートをモーツァルト自身が弾いたとされているので、今も一流のピアニストが弾くことが多いという。1990年のこのCDではピリスがモーツァルト役を引き受けている。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「上岡敏之×読響の室内楽」(7月26日、よみうり大手町ホール)
 指揮者上岡敏之はピアノの名手としても知られる。彼のピアノを聴くのは2007年11月のヴッパタール交響楽団との初来日以来。あのときはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を弾き振りしたが、流麗なピアノが印象に残っている。今日は読響のメンバー(ヴァイオリン:山田友子/赤池瑞枝、ヴィオラ:長岡晶子、チェロ:松葉春樹)との室内楽。
 モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番ト短調では弦の4人は主張することなく控えめで、上岡が主役のピアノ協奏曲のようだった。第1ヴァイオリンはセカンド首席代行の山田だったが、セカンドの性格からか彼女のリード自体が弱く感じた。上岡のピアノもひたすら優しく、全体としては平凡な出来だった。
 後半のブラームスのピアノ五重奏曲ヘ短調は作品自体の持つ力強さももちろんあるが、第1ヴァイオリンを担当した赤池を始め、他の奏者も主張とお互いの対話があり、ようやく室内楽らしくなってきた。上岡のピアノはもうすこしダイナミックの幅があってもよいと思われたが、読響メンバーの陰となり日向となり、音楽の向かうべき方向性を指し示し、作品に対する理解の深さを感じさせた。5人が一体となって突き進む第4楽章結尾の高揚感が素晴らしかった。
 アンコールは「ピアノと管弦楽のための五重奏曲(弦楽四重奏曲版)」から第3楽章で、原曲は「ピアノ、クラリネット、オーボエ、ホルン、ファゴットのための五重奏曲K.452」の第3楽章「ロンド」だった。
 上岡がピアノを弾きながら行ったモーツァルトとブラームスの作曲の癖や、他の作品との類似性に関するプレトークは非常に面白くためになった。
(長谷川 京介)
写真:(c)読売日本交響楽団

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「十束尚広指揮 新日本フィルのハイドン」(7月31日、すみだトリフォニーホール)
 新日本フィルの持つ柔らかな響きと、ウィーンで研鑽の日々を送る十束尚広のすっきりとして見通しの良い指揮が相乗効果となり、ハイドンらしい古典的な様式感を持ち、典雅なウィーンの雰囲気も出た演奏が実現した。
 交響曲第44番「かなしみ」第1楽章ではホルンが不調だったが、十束の指揮は対位法が明確に描かれ、ハイドンが自分の葬儀に演奏してほしいと言った第3楽章の弦の響きも柔らかく美しく表現された。
 オーボエ首席古部賢一、ファゴット首席河村幹子、コンサートマスター西江辰郎、チェロの横坂源による協奏交響曲はオーケストラとの一体感があった。ソロ楽器は対話するように絡み合う。ファゴットとオーボエのソロが見事だった。西江のヴァイオリン・ソロはソプラノのレチタティーヴォのように美しく語り掛ける。チェロは少し不安定だった。第4楽章のカデンツァは西江のオリジナルと後から聞いて驚いた。いかにも自然な流れを持ち、てっきりハイドンのオリジナルだと思っていた。
 交響曲第103番「太鼓連打」冒頭のティンパニは十束尚広のアイデアで数小節のカデンツァが加えられ、陣太鼓のような面白い効果をあげていた。この曲でも十束の指揮は構成力、バランス、対位法の明確な表現まで行き届いたものがあり、指揮者として成熟の道を歩んでいることを感じさせた。
 十束の指揮でマーラー、ブルックナー、ベートーヴェンなどの大曲や名曲をぜひ聴きたい。新日本フィルへの再登場を切に願う。(長谷川 京介)
写真:(c)Tsutomu Kaneko

Classic CONCERT Review【室内楽】

クリストフ・
コワン



マリア=テクラ・アンドレオッティ


金子陽子

「クリストフ・コワンと仲間たち」(8月3日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 モザイク・クァルテットの結成者であり、チェリスト、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、指揮者、教育者として活躍するクリストフ・コワンのチェロと、その夫人マリア=テクラ・アンドレオッティのフラウト・トラヴェルソ、パリを中心に活躍する金子陽子のフォルテ・ピアノによるベートーヴェン、ハイドン、そして同時代の忘れられた作曲家ヨーゼフ・ヴェルフル、イグナツ・プレイエルの三重奏曲のプログラム。
 古楽器を聴くのはひさしぶりで、最初のプレイエルのトリオホ短調とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番は、フォルテ・ピアノの音量が小さいこともあり音楽になじむことができず惜しいことをした。
 3曲目のヴェルフルのフルート・トリオヘ長調を聴く前に、「これは豪華なサロン・コンサートとして聴けば良いのでは」と考えを改めたところ、スムーズに音楽が心の中に染み入って来た。このヴェルフルのトリオは最近コワンがウィーンの図書館から取り寄せた数曲の中から3人で選んだということだが、素朴で何とも言えない鄙びた味わいと哀愁があり、いっぺんで心を奪われてしまった。
 後半は聴き方もわかったため、本当に楽しめた、ベートーヴェンの魔笛の主題による7つの変奏曲のコワンと金子の温かな会話、ハイドンのフルート・トリオニ長調Hob.XV16でのアンドレオッティのフラウト・トラヴェルソ(オリジナル、ロレンツォ・チェリーノ、1750年頃)の柔らかく優しい響きは最良の癒しを与えてくれた。
 金子のフォルテ・ピアノ(クリストファー・クラーク1995年製、アントン・ワルター・モデル、1794年。故小島芳子氏蔵)は終始、音楽の土台をつくり推進し、素晴らしく音楽性に満ちたものだった。
 コワンの弾くバロック・チェロ(オリジナル、グランチーノ、1710年頃)はガット弦ならではの柔らかく底深い響きがあり、ピリオド楽器の良さを再認識させるものがあった。(長谷川 京介)
金子陽子写真: (c)T.Yoshida

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「PMF東京公演」(8月4日、サントリーホール)
 チャイコフスキー・コンクールの優勝者に対する期待が大きすぎたのか、ドミトリー・マスレエフの調子が悪かったのか。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は満足できる内容ではなかった。ゲルギエフ指揮のPMFオーケストラは締まった筋肉質の演奏を繰り広げるが、マスレエフのピアノは音が小さくタッチも強靭さがなくオーケストラに負けていた。それでも、ピアノ中心の第2楽章中間部はマスレエフのきれいな響きのピアノを聴くことができたし、アンコールに弾かれたメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からのスケルツォ(ラフマニノフ編)でも繊細さと正確さがよくわかったが、協奏曲の出来は、彼がこの先大成するかどうか、いささか不安なものを感じさせた。
 ゲルギエフとPMFオーケストラは1曲目のロッシーニ「ウィリアム・テル序曲」をイタリアのスパークリングワインのように颯爽と演奏した。
 ショスタコーヴィチの交響曲第10番もしなやかで締まっている。ゲルギエフは暗さ、重さ、苦さ、甘さなど、この交響曲のいろいろな要素を明確に描いていく。最強音でもPMFオーケストラは安定しており、嵐のような第2楽章アレグロでも、第1、第4楽章のクライマックスでも崩れることはない。特にヴァイオリン群は強靭で、最後のプルトまで全力で弾ききっている姿は若さにあふれるPMFオーケストラらしいものがあった。
 金管もしなやかで力強く、第3楽章でのホルンのソロも僅かな疵はあるものの、朗々とした強い響きがあった。クラリネット、フルート、オーボエ、ファゴット、イングリシュホルンなど木管群も高い水準を保っていた。
 ゲルギエフの指揮は、明快で構築力に富んでいる。もっと重く粘着性のあるショスタコーヴィチを予想していたが、しゃれていてモダンな感性すら感じさせたのは意外であった。(長谷川 京介)
写真:(c) PMF組織委員会

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

秋山和慶


アルゲリッチ

「広島交響楽団 平和の夕べ」(8月11日、サントリーホール)
 毎年原爆投下前日の8月5日に広島で開催している広島交響楽団の「平和の夕べ」が、被爆70年の今年は秋山和慶指揮により東京でも開催された。
ベートーヴェンの「エグモント」序曲の序奏は日本のオーケストラとは思えない重厚さがあった。管楽器にもう少し音色の美しさと透明感があればさらによかった。
 ヒンデミットの交響曲「世界の調和」の前に、アニー・デュトワと平野啓一郎によるチャールズ・レズニーコフ「ホロコースト」からの朗読があった。正直な気持ちとして、大量虐殺を糾弾する詩の後に音楽を聴くことには抵抗があった。ヒンデミットの妻がユダヤ系であり、アメリカに亡命したという経緯があったとしても、作品と「ホロコースト」の間には何の関係もない。もし、聴衆がこの交響曲の出だしの緊張感を持つ響きから、ユダヤ人の悲劇を思い起こしたとしたら、音楽本来の意味を取り違えることになる。自分としては、先入主なしに聴くよう努めたが、秋山と広響はヒンデミットの濃密な音楽を力強く見事に表現していたと思う。
 アルゲリッチのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番の始まる前に、天皇皇后両陛下が入場された。美智子様は冠動脈の検査後初の公務であり、聴衆は立ち上がり拍手でお迎えした。
 演奏前に同じ朗読者二人により、自身も被爆した原民喜の「鎮魂歌」の朗読があった。詩は直接原爆をうたったものではないが、英訳では「レクイエム」であり、死者の魂に呼びかける内容である。このあとに聴くベートーヴェンはふだん聴くものとは異なる印象があった。
 アルゲリッチの演奏もいつもの奔放さとは違い、語りかけるような、内省するような静けさと美しさがあり、特にそれは第2楽章で際立っていた。
 アンコールに第3楽章が繰り返された。両陛下は楽員がステージから去っても拍手を続けられ、聴衆もそれにならったため、アルゲリッチと秋山和慶二人へのカーテンコールは3回となり、最後は両陛下が立ち上がって拍手され、会場全体がスタンディング・オベイションとなった。(長谷川 京介)
アルゲリッチ写真:(c) Rikimaru Hotta

Classic CONCERT Review【室内楽】

「アルキュオン・ピアノトリオ2015」8月8日、小金井宮地楽器ホール(小金井交流センター 小ホール)
 アルキュオン・ピアノトリオは、日野市に在住(結成当時)の演奏家で結成され、同市の「市の鳥」である「カワセミ」から名を取り、ギリシャ語でアルキュオンと名付けられたという。
 ヴァイオリンは安田紀生子、チェロが高群輝夫、そしてピアノは蓼沼明子である。日本では、ピアノトリオのコンサートは比較的珍しいが、今回の演奏でも音が充実して室内楽らしい精密なあやと引き締まった響きが聴かれ、また発想がのびのびとし、表情に生きている点でも優れた演奏であった。三人の呼吸がよほど「ぴったり」と合わなければ、このような演奏にはならないだろう。表現したいものが聴衆に伝わり、技心両面、調和のとれた成長である。
 今回のコンサートは、「近代ピアノトリオ傑作選2ドゥムキーとスラヴ音楽と題されており、プログラムの前半は、ボフスラフ・マルティヌー「5つの牧歌集」とヨハネス・ブラームス「ハンガリー舞曲 第2番と第8番」。特にブラームスが印象に残り、快いリズムとテンポ、明快な強弱法によって、しっかりした形式感が与えられ、迫力も充分であった。今回のピアノ三重奏では、ベコヴァ・シスターズの編曲によるものを使用。ピアノ三重奏曲で聴くハンガリー舞曲もなかなか興味深い。
 ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」は、6つの楽章から成り、どの楽章もスラブ舞曲風の感じで、親しみやすく、それでいて感覚と詩情がしっくりと溶け合い、いかにもドヴォルザークの音楽である。もう少し旋律を豊かに歌わせてもよかったが、三者は、作品の持ち味を綿密に探り、表現を作り上げてゆくいき方をしていたと思う。これからも活動を続け、ピアノ三重奏曲の魅力を多くの人に伝えてもらいたい。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「千葉フィルハーモニー管弦楽団 第27回サマーコンサート」8月2日、習志野文化ホール
 アマチュア・オーケストラ千葉フィルは、創立満30周年を迎え、四年目から始まったサマーコンサートも27回目とのこと。音楽監督 兼 常任指揮者は金子建志である。プログラムは、ワグナー「パルシファル」第1幕への前奏曲、そしてマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。
 連日の猛暑が続き、駅から近い会場までの短い距離を歩いても汗が流れ、集中力を持って大作を聴くことができるのかと心配したが、演奏が始まると朝の新鮮な空気が会場に流れ、ワグナーは久しぶりに聴く夢心地の音楽であった。美麗な主旋律と伴奏部のバランスの良さ、アマチュア・オーケストラを聴いている意識はなく、ただ流れの美しさに身を置いていたのである。商業主義やセンセーショナリズムの園外にある演奏といえばよいのであろうか。千葉フィルハーモニーの各奏者の一人一人は、完全な技術と心のゆとりをもって、豊かに大きく、ワグナーを奏でていたことが印象に残った。
 次は大曲、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」。数多くのコンサートに接する私も、真夏にこの曲を聴くことは初めてである。金子建志は、彼の持つ全指揮能力と、音楽の知識の全てをこの曲に傾けていたようであった。金子建志といえば、音楽評論家として名が知られ、交響曲や管弦楽曲を徹底的に分析し、それらの著書も多い。金子の正確無比な棒の指示は巨大な曲の隅々までに光を与え、深い表情を描き尽くす。バランスの端正さによる対位法的書法の表現は見事というほかはない。人によってはあのマーラーの大音量と、自由な開放的気分が欲しいと思うかもしれない。それは好みの問題であろう。金子のマーラーはしっかりとした形式感に保たれ、要所要所はきちんとしたクサビが打たれていたのである。終楽章が聴きごたえ充分であった。来年の7月24日に演奏されるマーラーの交響曲第2番「復活」も楽しみである。(藤村貴彦)