2015年12月 

  

13年ぶりで宝塚の「ガイズ&ドールズ」・・・・・・ 本田悦久 (川上博)
☆フランク・レッサー作詞・作曲の “GUYS AND DOLLS” は、1950年初演のブロードウェイ・ミュージカル。日本では、1984年に宝塚歌劇団が初演、2002年に再演した。

それから13年ぶり、3回目の上演が、8月21日から9月28日まで宝塚大劇場で、10月16日から11月22日まで東京宝塚劇場で行われた。(筆者の観劇日は10月21日) 今回は星組の新しいトップ・コンビ、北翔海莉と妃海風のお披露目公演でもあった。北翔は入団18年目、専科を経てトップになったベテラン、その体験を経て、さすがにカッコいい。青井陽治翻訳、岩谷時子訳詞、酒井澄夫脚色・演出。

舞台は1948年頃のニューヨーク。根っからのギャンブラー、ネイサン・デトロイト (紅ゆずる) は、14年間婚約したままのショー・ガールのアデレイド (礼真琴) をほったらかして、クラップ・ゲームをやりたいのだが、ブラニガン警部 (美稀千種) に睨まれて、場所取りが出来ず、狙っていたガレージも前金1,000ドル必要なので、ギャンブラーたちにせっつかれても手が出ない。そこへ5万ドル儲けたというギャンブラー、スカイ・マスターソン (北翔海莉) が現れる。ネイサンは彼をつかまえて、自分が指名する女をキューバのハヴァナに連れて行ったら1,000ドル払うと提案する。自信満々のスカイは話に乗るが、ネイサンが指名した女は救世軍の娘サラ・ブラウン (妃海風) だった。スカイは早速、教会に出向く。伝道の成果が上がらず困っているサラをハヴァナでの食事に誘い、行ってくれれば、祈りの会に罪人を1ダース送り込むと約束する。お堅いサラだが、人が集まらないので、集会所が閉鎖されそうになり、仕方なくハヴァナ行きを承知する。

救世軍の伝道師らしく、お堅く振る舞っていたサラだが、甘いミルクと思って飲んだ初めてのカクテルと、開放的なハヴァナの雰囲気に、すっかり酔いしれてしまい、乱闘騒ぎを起こす始末。正反対の生き方をしてきた二人だが、意気投合の上、恋に落ちてしまう。しかし、ニューヨークに戻ると、何とネイソン率いるギャンブラー達が、教会で賭博をやっていた。サラは、教会での賭博もスカイの企みと誤解、二人の仲は大混乱。

事態収拾の為に、スカイは自分が勝ったら、全員教会の祈りの会に、負けたら、一人に1,000ドル払うとギャンブラー達を相手に大博打、「運命よ、今夜は女神らしく」(Luck Be A Lady, Tonight) を歌い上げる。この場面のダンス・シーン (群舞) は、活気に満ち溢れていて、スカイの祈る思いを際立たせる。賭けに勝ったものの、サラを本気で愛したスカイは、自分はサラに相応しくないと、身を引くために教会を後にする。スカイの真意を悟ったサラは夢中で後を追う。

続いての舞台では、スカイとサラ、ネイサンとアデレイドの結婚式がにぎにぎしく行われ、フィナーレでは、北翔海莉が「運命よ、今夜は女神らしく LUCK BE A LADY 」を英語で歌い、ニュ―ヨークらしさを出して、観客を魅了した。

アデレイドが出演するクラブの楽しいショーをはさみ、舞台はいかにも宝塚らしい。その上、新トップ・コンビ、北翔海莉と妃海風の登場が舞台を更に華やかに彩り、「私がベルならば」「初めての恋」「運命よ、今夜は女神らしく」「スー・ミー」等佳曲揃いで、楽しさ満載の舞台となっていた。

<写真提供: (c)宝塚歌劇団>

------------(余談)「ガイズ&ドールズ」は筆者の大好きなミュージカルの一つ。
東京宝塚劇場で初めて観たのは1985年3月26日の月組 (大地真央、剣幸、黒木瞳、春風ひとみ、他)、2回目は 2002年4月1日の月組 (紫吹淳、大和悠河、映美くらら、霧矢大夢、他) だった。
2002年1月22日、大劇場での月組新人公演の映像を観たが、北翔海莉はネイサン・デトロイト役だった。

国外で初めて観たのは1976年11月24日、ブロードウェイ劇場のオール・ブラック・キャスト版。それから1985年8月27日のソウル・セジョン・カルチャー・センターの韓国語版。1988年5月18日のフィンランド・コトゥカ劇場、1991年11月9日のイスラエル・テルアヴィヴのシネラマ劇場、1998年9月19日スエーデン・ストックホルムのオスカーズ劇場等が忘れられない。

1955年にはハリウッドで映画化された。日本で公開された時の邦題は「野郎どもと女たち」。スカイ・マスターソンはマーロン・ブランドで、フランク・シナトラは、ネイサン・デトロイト。ミュージカル俳優でもないマーロン・ブランドがスカイとは・・・このキャスティングに納得できないシナトラは、その後、自分のコンサート等で連発していた。テリブル・テリブル・・・ヒデェ、ヒデェ・・・

監獄で劇中劇、風変わりなバルセロナの「ガイズ&ドールズ」
・・・・・・本田悦久(川上 博)
☆スペインではマドリードよりもミュージカル上演の多いバルセロナで、「ガイズ&ドールズ」(現地語での題名は “ELLS I ELLES”) が初演された。劇場は昨年9月に完成したばかりのカタルーニャ国立劇場 (筆者の観劇日は1998年7月7日)。900席のメイン・ホールで4月に始まり、今月末まで上演されるが、マリオ・ガスのユニークな演出で評判になっている。出演者は現地の役者達なので馴染みはないが、アベル・フォルク (スカイ)、モニカ・ロペス (サラ)、ペップ・モリーナ (ネイサン)、ヴィッキー・ペーニャ (アデレイド)、エスティーヴ・フェラー (ナイスリー・ナイスリー)、 等々。 ニューヨークの賭博師スカイ・マスターソンと救世軍の伝道師サラ・ブラウンの恋を中心にした物語だが、サルバドール・オリバ訳詞によるカタルーニャ語で上演されるこの舞台は、ケネディ大統領が暗殺された1963年、ネブラスカ州の監獄で演じられる劇中劇というスタイルをとっている。 女性判事の発案で、感謝祭の行事にミュージカル「ガイズ&ドールズ」を上演することになり、演出家兼スカイ役としてブロードウェイからトム・キャラウェイが招かれる。彼はハリウッドの俳優だった頃、マッカシー議員の赤狩りに引っかかり、ブタ箱経験もあった。トムは囚人達を集めて稽古を開始する。真面目に上手く演じた囚人には刑期短縮のご褒美つき。だが、所詮はにわか役者の素人集団、囚人達は文句は派手に言うし、ダンス・シーンでは人の尻を蹴飛ばして喧嘩になる。舞台は大騒ぎだが、客席は大爆笑。一番のワルは、第1幕の終わりに電気椅子で処刑される。 この面白さ抜群の異色作は、原作に忠実に沿ってはいない。フランク・レッサー作のミュージカル・ナンバーはすべて使われているが、稽古場面が挿入され、話が前後し、曲順も入れ替わっている。原作では賭博師2人で歌うタイトル・ソングが、ここでは男囚達と女囚達の素っ裸のシャワー・シーンで歌われ、驚かされる。 ショーは大成功したのに、舞台には一人、何と囚人服姿のトム。 囚人達の大脱走を助けた罪で、3年間の服役というオチがつく。

(1998年8月6日 朝日新聞 Around the World 欄に掲載)

ミュージカル「スコット&ゼルダ」日本初演・・・本田悦久 (川上博)
☆フランク・ワイルドホーン作曲、ジャック・マーフィー脚本・作詞のミュージカル「SCOTT & ZELDA」は、2005年に米国ニュージャージー州マールトンで初演され、2012年にはノース・カロライナ州のフラット・ロック・プレイハウスで上演された。

そして2015年、10月17日から11月1日まで東京の天王洲 銀河劇場で、11月7日と8日に大阪の新歌舞伎座で上演された。(筆者の観劇日は10月19日)

「グレイト・ギャツビー」の作家スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルドの愛と破滅を描いたジャズ・ミュージカル。

舞台は1948年のノース・カロライナ州アッシュビル。ゴシップ作家のベン・サイモン (山西惇) が、ハイランド精神病院を訪問する。入院患者のゼルダ (濱田めぐみ) を取材するためだ。理由は二つ、すでにスコットは亡くなっているものの、再び「グレイト・ギャツビー」などが、ブームになっていること。かつて、社交界でその華やかさと大胆な振る舞いで、話題を独占していたゼルダが何故精神病院にいるのかという話題性に興味を持っていた。ゼルダはベンの要望に応えて、過ぎ去った日々の話を始める。

「グレイト・ギャツビー」等の作品が次々と大ヒットして、時代の寵児ともては やされたスコットは、連日のようにパーティを開き、その豪遊ぶりが評判だった。一方、スコットの妻ゼルダは、その美貌ゆえにもてはやされ、華やかな行動が常に話題となっていたものの、自身への物書きとしての関心しかないスコットとの関係に孤独感を深めていく。その上、彼女自身、自分にもスコットのお飾りでなく、何か才能がある筈と悩み、彼に対抗すべく、真剣にバレエに打ち込んでみたりする。

話を聞くうちに、ベンは、スコットという天才と、天賦の才能がありながら、花 を咲かせる機会のなかったゼルダの悲劇のように、感じ始めていた。

スコットとゼルダが歌う「運命の二人」、スコットが歌う「言いたいことがある」、ゼルダが最後に歌う「追憶」、等々フランク・ワイルドホーン作曲によるミュージカル・ナンバーは、二人の高揚感、ゼルダの悲しみ等を、その美しいメロディで見事に表現して、舞台を盛り上げる。(作詞・脚本はジャック・マーフィー)

日本語上演台本: 蓬莱竜太、訳詞: 高橋亜子。演出は鈴木裕美。

フランク・ワイルドホーン作曲のミュージカルが日本で上演されるのは、「ジキルとハイド」(2001年) に始まって、「ルドルフ」「Never Say Goodbye」「ドラキュラ」「ボニー&クライド」「モンテ・クリスト伯」「カルメン」等々・・・これで14作品となった。

<写真提供: ホリプロ>

自分探しの旅に出よう ! ー カモメに飛ぶことを教えた猫 ー
・・・本田悦久 (川上博)
☆3年前に上演されたザ・ライフ・カムパニイのミュージカル・コメディ「自分探しの旅に出よう! --カモメに飛ぶことを教えた猫-- が、東京・品川の六行会ホールで、11月4日から8日まで全6回限定再演された。 (筆者の観劇日は8日)

原作はチリの小説家ルイス・セプルヴェダの「カモメに飛ぶことを教えた猫」。出演者はカモメと猫と鼠とチンパンジー・・・人間は最後に詩人 (かぶきひさお)だけ。役者たちは動物らしい衣装を着けていないが、カモメや猫の仕草でよく判る。

舞台はヨーロッパの北の海。旅芸人の一座が演ずる自分探しの物語。海の廃油にやられた瀕死のカモメのケンガー (沙桜志穂音) が、猫のゾルバ (大塚庸介) に3つのお願いをして息を引き取る。3つの願いとは、「ケンガーが産んだ卵は食べない」「雛が生まれるまで。その卵の面倒をみる」「雛に飛ぶことを教える」。ゾルバは、猫仲間の大佐 (柳瀬大輔)、秘書 (たにむら玲子)、博士 (宇部洋之) に相談して、ケンガーが残していった卵を毎日温め続ける。すると、ある日突然、卵が動き出し、雛が殻を破って飛び出した。ゾルバ達4匹の猫は雛の誕生に感動するが、育て方が分からない。フォルトゥナータ (河西里音) と名付けられた雛は、自分が猫だと思い込み、ゾルバをママ!と呼んで、自分を食べようとする悪猫やネズミ達が襲ってくると、ママに助けを求める。

だがある日、チンパンジーのマチアス (みやした陽子) が、「お前はカモメだ。猫たちはお前を食べる為に育てているのだ」と脅かす。びっくりしたフォルトゥナータは、ゾルバに疑問を投げると、ゾルバは「君はカモメで僕は猫、でも私たち猫は君を愛しているのだ」と、異なるもの同士の愛を歌い上げる・・・・

さて、どうやって飛ぶことを教えるか・・・詩人 (かぶきひさお) の想像力の力を借りて、ケンガ―との約束を果たす。

脚本・作詞・演出・美術は、ザ・ライフ・カムパニイの代表かぶきひさお。翻訳は河野万里子、作曲は隼田義博、振付は小沼葉子。

夢のような楽しいファンタジーだった。

<写真提供: ザ・ライフ・カムパニイ>

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