☆フランク・レッサー作詞・作曲の “GUYS AND DOLLS” は、1950年初演のブロードウェイ・ミュージカル。日本では、1984年に宝塚歌劇団が初演、2002年に再演した。
それから13年ぶり、3回目の上演が、8月21日から9月28日まで宝塚大劇場で、10月16日から11月22日まで東京宝塚劇場で行われた。(筆者の観劇日は10月21日) 今回は星組の新しいトップ・コンビ、北翔海莉と妃海風のお披露目公演でもあった。北翔は入団18年目、専科を経てトップになったベテラン、その体験を経て、さすがにカッコいい。青井陽治翻訳、岩谷時子訳詞、酒井澄夫脚色・演出。
舞台は1948年頃のニューヨーク。根っからのギャンブラー、ネイサン・デトロイト (紅ゆずる) は、14年間婚約したままのショー・ガールのアデレイド (礼真琴) をほったらかして、クラップ・ゲームをやりたいのだが、ブラニガン警部 (美稀千種) に睨まれて、場所取りが出来ず、狙っていたガレージも前金1,000ドル必要なので、ギャンブラーたちにせっつかれても手が出ない。そこへ5万ドル儲けたというギャンブラー、スカイ・マスターソン (北翔海莉) が現れる。ネイサンは彼をつかまえて、自分が指名する女をキューバのハヴァナに連れて行ったら1,000ドル払うと提案する。自信満々のスカイは話に乗るが、ネイサンが指名した女は救世軍の娘サラ・ブラウン (妃海風) だった。スカイは早速、教会に出向く。伝道の成果が上がらず困っているサラをハヴァナでの食事に誘い、行ってくれれば、祈りの会に罪人を1ダース送り込むと約束する。お堅いサラだが、人が集まらないので、集会所が閉鎖されそうになり、仕方なくハヴァナ行きを承知する。
救世軍の伝道師らしく、お堅く振る舞っていたサラだが、甘いミルクと思って飲んだ初めてのカクテルと、開放的なハヴァナの雰囲気に、すっかり酔いしれてしまい、乱闘騒ぎを起こす始末。正反対の生き方をしてきた二人だが、意気投合の上、恋に落ちてしまう。しかし、ニューヨークに戻ると、何とネイソン率いるギャンブラー達が、教会で賭博をやっていた。サラは、教会での賭博もスカイの企みと誤解、二人の仲は大混乱。
事態収拾の為に、スカイは自分が勝ったら、全員教会の祈りの会に、負けたら、一人に1,000ドル払うとギャンブラー達を相手に大博打、「運命よ、今夜は女神らしく」(Luck Be A Lady, Tonight) を歌い上げる。この場面のダンス・シーン (群舞) は、活気に満ち溢れていて、スカイの祈る思いを際立たせる。賭けに勝ったものの、サラを本気で愛したスカイは、自分はサラに相応しくないと、身を引くために教会を後にする。スカイの真意を悟ったサラは夢中で後を追う。
続いての舞台では、スカイとサラ、ネイサンとアデレイドの結婚式がにぎにぎしく行われ、フィナーレでは、北翔海莉が「運命よ、今夜は女神らしく LUCK BE A LADY 」を英語で歌い、ニュ―ヨークらしさを出して、観客を魅了した。
アデレイドが出演するクラブの楽しいショーをはさみ、舞台はいかにも宝塚らしい。その上、新トップ・コンビ、北翔海莉と妃海風の登場が舞台を更に華やかに彩り、「私がベルならば」「初めての恋」「運命よ、今夜は女神らしく」「スー・ミー」等佳曲揃いで、楽しさ満載の舞台となっていた。
<写真提供: (c)宝塚歌劇団>
------------(余談)「ガイズ&ドールズ」は筆者の大好きなミュージカルの一つ。
東京宝塚劇場で初めて観たのは1985年3月26日の月組 (大地真央、剣幸、黒木瞳、春風ひとみ、他)、2回目は 2002年4月1日の月組 (紫吹淳、大和悠河、映美くらら、霧矢大夢、他) だった。
2002年1月22日、大劇場での月組新人公演の映像を観たが、北翔海莉はネイサン・デトロイト役だった。
国外で初めて観たのは1976年11月24日、ブロードウェイ劇場のオール・ブラック・キャスト版。それから1985年8月27日のソウル・セジョン・カルチャー・センターの韓国語版。1988年5月18日のフィンランド・コトゥカ劇場、1991年11月9日のイスラエル・テルアヴィヴのシネラマ劇場、1998年9月19日スエーデン・ストックホルムのオスカーズ劇場等が忘れられない。
1955年にはハリウッドで映画化された。日本で公開された時の邦題は「野郎どもと女たち」。スカイ・マスターソンはマーロン・ブランドで、フランク・シナトラは、ネイサン・デトロイト。ミュージカル俳優でもないマーロン・ブランドがスカイとは・・・このキャスティングに納得できないシナトラは、その後、自分のコンサート等で連発していた。テリブル・テリブル・・・ヒデェ、ヒデェ・・・
|