2015年12月 

  

Classic CD Review【協奏曲・他(ヴァイオリン)】


「レジェンド/ 五嶋 龍《チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35、ヴィエニャフスキ: 伝説 作品17》/五嶋龍(ヴァイオリン)、 アンドレア・オロスコ=エストラーダ指揮、フランクフルト放送交響楽団」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォンUCCG-9998)
 五嶋龍は今年11月にNHK音楽祭にこのCDと指揮者、オーケストラともに、同じ組み合わせによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏したので聴かれた方も多いと思う。このCDは同じ今年の8月にドイツ・ヴィースガーデンで行われたラインガウ音楽祭で、このところ話題になっている2014年シーズンからフランクフルト放響の音楽監督となったコロンビア生まれの若手指揮者、アンドレス・オロスコ=エストラーダによるフランクフルト放響のソリストとして、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏したときのライヴ・レコーディングである。今回のチャイコフスキーを聴いて、全般的に遅いテンポでよく歌う実に落ち着いたチャイコフスキーなので、どうしてもチャイコフスキーのヴィルトゥオーゾなイメージとは異なる印象が強く残る。この点余白のヴェニャフスキの小品「伝説」では大きな長所となっている。
 彼は音楽以外でも物理学、アスリートとしての空手でも活躍していることは良く知られているが、やはり五嶋龍活躍のメイン舞台はヴァイオリン奏者であり、筆者は今後もより高みを目指したレヴェルでの活躍を望んでいる一人でもある。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ヴァイオリン)】

「イエロー・ラウンジ ライヴ / アンネ=ゾフィー・ムター 《ヴィヴァルディ:「四季」〈夏〉より第3楽章、〈冬〉より第1楽章、ガーシュイン:3つのプレリュード、J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲より第3楽章、第1楽章、チャイコフスキー:メロディ、ブラームス:ハンガリー舞曲 第1番、ドビュッシー:ゴリウォーグのケーキウォーク、サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ、ドビュッシー:月の光、コープランド:ホー=ダウン、J.S.バッハ/グノー:アヴェ・マリア、ベンジャミン:ジャマイカン・ルンバ、ウィリアムス:「シンドラーのリスト」のテーマ》 / アンネ=ゾフィー・ムター〈ヴァイオリン〉、ランバート・オーキス〈ピアノ〉、ムターズ・ヴィルトゥオージ、マハン・エスファハニ〈チェンバロ〉」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン / UCCG-1720)
  クラシック音楽を他ジャンルの音楽ファンなど、より多くの対象に気楽なリラックスしたムードでクラシックを楽しんで貰おうとドイツ・グラモフォンが提案している新しいクラシック音楽空間「イエロー・ラウンジ」がある。今回のイエロー・ラウンジであるベルリンのクラブ「ノイエ・ハイマート」に今年の5月7,8日に初めてヴァイオリンの女王であるアンネ=ゾフィー・ムターが登場した時のライヴCDである。大ホールでもスタジオでもないリラックスしたクラブでの初の試みでムターもそして伴奏者のピアニスト、ランバート・オーキスもそして若い「ムターズ・ヴィルトゥオージ」の少女たちも、普段のクラシック・コンサートでは見られないリラックスした顔を客の前に見せたことだろう。このCDを聴く限りこの試みは大成功だったと言えよう。ムターと同行したオーキスも恐らくクラブでムターを伴奏することなど生まれて初めてでは無かろうか。CDのリーフレットにはこのクラブに来た客から話しかけられたのだろう。ムターとオーキスが楽しそうに笑っている写真も写っている。その他、ムターのアンサンブルである「ムターズ・ヴィルトゥオージ」のメンバーたちもリラックスして弾いている。さて彼等がここで弾いた曲は上記の通りだが、すべての曲では演奏が終わると聴衆の拍手と嬌声が可成り大きく、その大きさは曲目が進めば進むほど大きくなったが、編成の大きな曲(ヴィヴァルディ、J.S.バッハ、ハンガリー舞曲等)と超絶技巧の曲(序奏とロンド・カプリチオーソ)。最後には「シンドラーのリスト」のテーマ(拍手喝采の部分は編集時にカットされている)も入ってはいるが、やはり選曲には相当の難しさがあるように思える1枚である。(廣兼 正明)

Classic CD Review【声楽曲(クリスマス)】

「ウィーン少年合唱団 / ウィーン少年合唱団のクリスマス 《神の御子は今宵しも、喜ばしきクリスマスに、牧人ひつじを、オ・ホーリー・ナイト、神の子は生まれた、キャロル・オブ・ザ・ベル、もろびとこぞりて、ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス、雪を降らせましょう、ウィンター・ワンダーランド(すてきな雪景色)、レット・イット・スノー、赤鼻のトナカイ、ジングル・ベル、ジングルベル・ロック、フェリス・ナビダ、おめでとうクリスマス、ハッピー・クリスマス、きよし、この夜》/ ウィーン少年合唱団〈合唱〉、サラ・オレイン〈ヴォーカル〉、フィル・ブレッヒ・ウィーン、シューベルト・アカデミー、ヴィーナー・ヴンダー・アラーライ》」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ グラモフォン / UCCG-1721)
  ウィーン少年合唱団のクリスマス・キャロル新録音盤である。全部で18曲の収録曲だが、アレンジは教会風と言うより殆どが今風と言って良い。そしてこの少年合唱団が今までにリリースしたCDやレコードと異なる所は、コラボレーションの相手を純然たるクラシック歌手以外から選んだり(オーストラリア出身のサラ・オレイン、4、8曲目)、15人編成の金管・打楽器のアンサンブル「フィル・ブレッヒ・ウィーン」を起用(11,12曲目)、その他のキャロル(8,10,13~17)をヴィーナー・ヴンダー・アラーライに依頼して全体的にワールドワイドなムードを盛り上げているのは楽しい。このところのウィーン少年合唱団は、より広い音楽の世界を構築してきており、今後の変化にも楽しみが持てる。
(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ハンヌ・リントゥ フィンランド放送交響楽団」(11月2日、すみだトリフォニーホール)
 リントゥによるシベリウス交響曲全曲演奏会第3回。2回目までは新日本フィルが担当したが最終回はフィンランド放送響が登場、交響詩「タピオラ」、交響曲第7番、交響曲第5番の3曲が演奏された。
 弦の響きから北欧のひんやりとした空気や高い空が浮かんでくる。白樺や赤松の生木を割いたような少し尖った鋭い音はどのオーケストラからも聴いたことのない響きだ。強く刻まれるトレモロは新日本フィルとの違いが際立つ。金管も晴らしい。木管は新日本フィルも対抗できるかもしれない。
 フィンランド放送響はリントゥが意図する明確で曲の構造がはっきりと見えるメリハリあるシベリウスを構築することに十二分に応えていた。交響曲第7番が特に成功していた。
 アンコールのシベリウスの組曲「ベルシャザール王の饗宴」からの「ノクターン」ではひそやかなトレモロが美しい。首席フルート奏者の小山裕幾のソロがフィーチャーされた。「悲しきワルツ」の暗さとほのかな明るさは北欧のオーケストラならではの響きでこれが本当のシベリウスだと思わせる。
(長谷川京介)

写真:(c) Kaapo Kamu

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】


「トゥガン・ソヒエフ ベルリン・ドイツ交響楽団 ユリアンナ・アヴデーエワ」(11月3日、サントリーホール)
 ベルリン・ドイツ交響楽団の音は重く、華やかさはなく地味である。やはりベルリンのオーケストラなのだろう。バイエルン放送響の明るく輝くような音と較べると、北ドイツの響きがする。
 ブラームスの交響曲第1番では、第1楽章から第3楽章まで生真面目ではあるが心が動かされるような箇所は少なかった。それが第4楽章に入ると音楽が生き生きと動き出す。ソヒエフの指揮もヴァイオリンからヴィオラやチェロへの旋律の受け渡しが冴え、また全体のバランスも細かく整えられ、パズルが解けていくようにスムーズな流れが生まれた。
 ユリアンナ・アヴデーエワの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、ショパンを聴いているようだった。テクニックも完璧で第2楽章の再現部のピアノの細やかな動きは素晴らしい。しかしショパンならピアノに語らせれば音楽になるが、ベートーヴェンの場合はその前に思想があるべきだと思う。アヴデーエワの場合はピアノの響きの美しさに頼り過ぎているように感じた。もっともベートーヴェンをロマン派のさきがけと位置付けるならば、アヴデーエワの行き方もあるのかもしれない。
 1曲目はメンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」。ソリストアンコールはショパンの前奏曲「雨だれ」。オーケストラアンコールはグリーグの「2つの悲しい旋律」から「過ぎし春」、そしてモーツァルト:「フィガロの結婚」序曲だった。(長谷川京介)

写真
トゥガン・ソヒエフ:(c)Patrice Nin
ユリアンナ・アヴデーエワ:(c) Harald Hoffmann

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「NHK音楽祭2015 イルジー・ビエロフラーヴェク チェコ・フィル スメタナ『わが祖国』」(11月4日、NHKホール)
 ビエロフラーヴェクとチェコ・フィルによる「わが祖国」はこの曲のスタンダードと言わざるを得ない説得力があった。 
 「モルダウ」冒頭2本のフルートの微妙な強弱や表情、モルダウ主題の弦の少しくすんだ音色、田舎の踊りの軽いリズム感、急流の中低音弦とヴァイオリンの厚いハーモニー。どこをとってもチェコ以外の国のオーケストラでは出せない味わいが充満している。
 チェコ・フィルは16型。ビエロフラーヴェクの希望で木管は倍管にされていた。その指揮は真摯なもので、誇張がなく、スメタナに奉仕するように真正面からこの作品に向かい合っていた。
 「シャルカ」「ボヘミアの牧場と森から」「ターボル」が特によかった。シャルカを表すクラリネットのソロ、騎士ツチラドを示すチェロの音色が味わい深い。「ボヘミアの牧場と森から」は草原の匂いが押し寄せてくるようだ。「ターボル」での金管群の柔らかく輝かしい響きとフスの讃美歌の木管の温かなハーモニーも素晴らしい。「ブラニーク」も決して咆哮興奮することなく格調が高い。アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲作品72の第1が演奏された。
(長谷川京介)

写真:(c) Lloyd Smith

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「小山実稚恵 デビュー30周年記念 〜秋〜」(11月5日、サントリーホール)
 ショパンのピアノ協奏曲第1番では小山実稚恵の伸びやかで純粋な広々とした世界を、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番では小山のラフマニノフへの限りない愛と憧憬を感じた。それぞれの第2楽章は繊細で夢のような世界が広がった。
 ラフマニノフでは冒頭の鐘の音が徐々にクレッシェンドしていく部分に小山の気迫が込められていた。また終楽章のコーダで華麗にピアノが主題を歌い上げていくクライマックスでは、広上淳一指揮のN響もここぞとばかり熱の入った演奏を繰り広げた。
 広上とN響の細やかで心のこもったサポートには感嘆の限り。折からNHK交響楽団の発展に顕著な功績をおさめた関係者、関係団体を授賞の対象とする「有馬賞」に小山が選ばれたことも華を添えた。
 アンコールでは広上と小山による微笑ましい連弾によるブラームスの「ワルツ」作品30の第2番と第3番、そして広上が指揮に戻り、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」から第18変奏が演奏されたが、これが素晴らしかった。やはりラフマニノフは小山にとって特別な作曲家だと思う。
(長谷川京介)

写真:(c) ND CHOW

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「藤岡幸夫指揮 東京シティ・フィルハーモニー第293回定期演奏会」(11月6日、東京オペラ・シティ)
 ベートーヴェン:交響曲第6番≪田園≫、ヴォ—ン・ウイリアムズ:交響曲第3番≪田園≫
 前半、ベートーヴェンの第2楽章、聴衆のひとりの女性がリズムに合わせて軽く頭を振っていた。筆者は、もう30年ほど前になるが、ウィーンのフォルクス・オーパーでオペレッタを聴いたとき、一番後ろの席にひとりでポツリと座っていた老婦人、けっしてお金持ちには見えなかった婦人が、小さな声で舞台に合わせて歌っていたのを見た。これが文化だと感じた。今回もコンサートを楽しむとはこういうことかなと感じた。
 さて、指揮者によって凡庸な作品も名曲に生まれ変わるとはよく聞く。藤岡は開演前のプレトークで、ヴォ—ン=ウィリアムズの≪田園≫について、「聴衆が寝てしまう」と語っていた。とはいえ、これは彼がもっとも好きな曲だという。そして、これを聴くには作曲された第1次世界大戦の時代背景を考えなければならないとのこと。プログラムの後半だからか、第1楽章開始早々、各楽器が美しく響き始めた。前半のベートーヴェンの固くぎこちない音とこれほど違うか。生演奏は面白い。確かにヴォ—ン=ウィリアムズの第1楽章は各主題が一般聴衆には覚えにくく、それを把握できないと寝てしまうかもしれない。しかし、藤岡の指揮からは明確な構成感が感じられた。交響曲の第2楽章は「眠くなる」定番の楽章だが、ここではこれがもっとも楽しめたかもしれない。この交響曲は「田園」とはいえ、第1次世界大戦の戦場のその後の田園を描いているのだろう。第2楽章では、その情景がありありと目に浮かんだ。いまだ、火薬の臭い、そして死臭が漂う中で、トランペットのソロがなんと悲しい思いを伝えてくれたことか。第4楽章は魂の天国へのいざないなのだろうか。ソプラノの半田は、歌唱時間が短いとはいえ、非常に美しく我々を天上の世界へ導いてくれた。3階の隅の客席から歌っていたが、それが会場全体に天使の声のごとく降り注ぎ、響き渡った。
 どのくらいリハーサルをしたのか筆者は知らない。しかし、藤岡の読譜力は素晴らしいものがあると思う。作曲者の意図を見事に再現し、我々に伝えてくれた名演だった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「日本フィルハーモニー交響楽団 第675回東京定期演奏会」(11月7日)
 今月の日フィルの定期は、2016年9月からこの楽団の主席指揮者に就任するピエタリ・インキネンが指揮。プログラムの前半は、シベリウス生誕150周年記念として、「歴史的情景第一番」作品25と組曲《ベルシャザールの饗宴》である。後半は、マーラーの「大地の歌」。今回はマーラー撰集Vol.6であり、様々な角度から、インキネンの豊かな音楽性を聴衆に聴かせようという、ねらいがあったように思われた。インキネン&日フィルが長い時間をかけて話し合い、シベリウスとマーラーを配したのであろう。
 インキネンはフィンランド出身の指揮者である。プログラム・ノートに広瀬大介氏も記していたが、彼はジャン・シベリウスが存在しなかったならば指揮者として存在しなかったであろうと述べている。
 シベリウスの作品の中でも滅多に演奏される機会の少ないそれは、リズムの柔らかさ、音の運びも美しい。特に「歴史的情景」の第2曲「ある情景」と組曲《ベルシャザールの饗宴》の第2曲「孤独の歌」は室内楽風な落ち着いた表現であり、ここでは日フィル奏者の妙技が印象に残った。
 マーラーの《大地の歌》は、テノール:西村悟、バリトンが河野克典である。テノールとバリトンという組み合わせで聴いたことは滅多になかったが、両者は、作品のスタイルと歌の内容に応じて、それを巧みに使い分けてゆく知性と技術の統制力がくっきりと表現されていた。《大地の歌》の中では終曲の「告別」が最も長いが、ここでの河野克典は、感情表出を排して静かに内面を重視し、節度のある歌い方であった。
 インキネンノ指揮は、訴えるような叙情に貫かれていたのは云うまでもない。聴衆がインキネンに大きな期待を抱いているような演奏であった。
(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ハーディング 新日本フィル ハーデンベルガー」(11月8日、サントリーホール)
 トランペットの名手、ホーカン・ハーデンベルガーによるディーン(1961-)の「ドラマティス・ペルソネ」の日本初演と、ベンヤミン=グンナー・コールスによる新版を使った> ブルックナー交響曲第7番日本初演という意欲的なプログラム。
 「スーパーヒローの転落」「独白」「偶発的革命」の3つの楽章からなる「ドラマティス・ペルソネ」(ラテン語で、劇作品における主役を意味する)はハーデンベルガーのために作曲された。弱音器を使った微妙な音から、バリバリと豪快に吹き続ける部分まで、ハーデンベルガーの超絶技巧を堪能できる作品で、視覚的にもハーデンベルガーがオーケストラに加わりトランペットセクションの一員となって吹くなど、現代音楽の取りつきにくさがなく楽しめた。アンコールは「マイ・ファニー・バレンタイン」。
 ハーディングのブルックナーは、細部まで目が行き届いた明快で精緻な指揮だった。新日本フィルも健闘し、非常に良くまとまっていた。
 ただインパクトがそれほどでもないのは、ハーディングが目指したのは静謐で室内楽のような演奏であり、巨大な建築物のようなブルックナーではない、ということからくるのかもしれない。
 ベンヤミン=グンナー・コールスの改訂版は以前の版とどう違うのか、聴いただけでは判別できなかった。(長谷川京介)

写真:(c) Harald Hoffmann

Classic CONCERT Review【室内楽】

「小林響率いるA・レブランク弦楽四重奏団&ピアノの大巨匠 イェルク・デームス」(11月8日東京文化会館小ホール)
 アルトゥール・レブランク弦楽四重奏団は、カナダで広く認められ、2013年結成25周年を迎えたとの事。小林響は、この四重奏団の第1ヴァイオリン奏者であり、2005年よりケベック州ラバール大学の客員教授。今回のコンサートでは、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第7番とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」である。
 この四重奏団の一人一人の音楽性やテクニックについては、彼らの演奏を聴いてよくわかるが、重奏としての特色を挙げると、楽器の微妙な調和は、機械的、人工的なものを全く感じさせない。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏の演奏は、比較的無機的な演奏が多い中で、この四重奏団のそれは、いつも細かい神経が通っていて、聴き手の心の中に静かに語りかける。弱音による微細な表現が印象に残り、四重奏団としての巧みな合奏としてではなく、他の追随を許さない独自の境地を、A・レブランク弦楽四重奏団は持っていると思う。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲も同様であり、第3楽章のメヌエット・グラチオーゾが美しく、この四重奏団の演奏を聴いていると、合わせるという努力を感じさせず、ひとりでにそろってしまう自然さがあるように感じさせられた。日本の弦楽四重奏団からはなかなか見られない現象である。
 プログラムの後半は、イェルク・デームスを迎えての公演。最初にデームスは、ブラームスの「3つのインテルメッツォ」を弾いたが、技巧の冴えは以前と同様であり、彼は1928年の生まれ。今年で87歳。デームスはソノリティの独特な美しさがあり、湿っぽさのない明晰な響きである。日本人のピアニストからはなかなか聴けない響きである。
 A・レブランク弦楽四重奏団と共演したブラームスのピアノ五重奏曲は、どの楽想でも響きは決して濁らず、隅々まで心を通わした演奏だったことを記しておく。
 このような素晴らしいコンサートが、3回の公演だけでは寂しい。室内楽の美を多くの聴衆が聴くことによって、日本の音楽界がさらに豊かになってゆくことであろう。感銘深い室内楽のコンサートに、これからも足を運びたい。今後のA・レブランク弦楽四重奏団の来日が楽しみである。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「新居由佳梨 ラヴェル ピアノシリーズ(最終回) Vol.3プリズムを求めて」(11月11日(水)銀座・王子ホール)
 演目は前奏曲、水の戯れ、鏡、マ・メール・ロワ、スペイン狂詩曲。
ピアノの魅力を最大限に発揮してくれる作曲家、作品とは? 筆者はドビュッシーやラヴェルだろうと思っている。計3回の「ラヴェル・ピアノシリーズ」と銘打ったこのリサイタルには、サブタイトルとして「プリズムを求めて」とあった。確かにその通りだと思った。色彩感、空気や光とのふれあい、さざ波の戯れ、これらはやはり印象派のピアノが一番だ。新居のピアノはそれを十分に感じさせ、楽しませてくれた。指がきれいに回っていること、そしてグリッサンドだけでこれだけ人を魅了するとは!
 後半は低音パートに橘高を加えての連弾だったが、ここではアンサンブルの能力が示された。橘高がやや遠慮していた感じがしたが、逆に新居のリーダーシップのようなものを感じた。美しいffにも心を動かされた。近年、室内楽に積極的に関わっているとのことだが、いろんな人とのアンサンブルの経験を積み、時には和の精神で、時には決闘の気合いでその才能を伸ばしてくれるのではないかと期待する。
 全曲を通して音のダイナミックさと繊細さの両方に満足した。ただ、王子ホールのよく響く音響のせいかもしれないが、スペインの舞曲などでは荒々しく明確なリズム感をもう少し表現してくれたら、また別の味わいがあったのではと思った。とはいえ、聴きごたえ十分のとても質の高いリサイタルだった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】


「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 グスターボ・ヒメノ ユジャ・ワン」(11月13日、サントリーホール)
 ユジャ・ワンは期待通りの超絶技巧でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番を聴かせた。第1楽章展開部の長いカデンツァや第3楽章コーダでの怒涛のピアノは圧巻だった。技巧だけではなく弱音や抒情的な演奏にも惹かれる。第1楽章第2主題のリリカルな歌わせ方や、アンコールで弾いたシューベルト(リスト編)「糸を紡ぐグレートヒェン」のひんやりとした感触が素晴らしかった。4曲もアンコールを演奏してくれたのは日本ツアー最終日のサービスだろうか。
 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)はオーケストラの究極の形を思わせる。弦楽器は豊かで温かく奥が深い響きを持ち、木管は色彩感があり艶やか。金管はホルンを始め安定している。最も素晴らしい点はプログラムで指揮者のグスターボ・ヒメノが語っているように、楽員がお互いに啓発することだろう。いいソロがあるとさらにいいソロを生むという理想的な形が出来上がっている。
 コンサートマスター、リヴィウ・プルナルのソロをはじめ、チェロ、ファゴット、オーボエ、フルート、ホルンの各首席のソロは聴き手を別世界へいざなう。RCOの生み出す色彩感、豊潤な音の坩堝は空前絶後。特に第2楽章「カランダール王子の物語」からどんどん音楽が充実していき、RCOの伝統であるお互いに更に上を目指す演奏が生まれていった。
 グスターボ・ヒメノの指揮は、ストレートで衒いがなく開放感があった。(長谷川京介)

写真
グスターボ・ヒメノ:(c) Marco Borggreve
ユジャ・ワン:(c) James Cheadle

Classic CONCERT Review【ヴァイオリン】

「クリスティアン・テツラフ バッハ無伴奏を弾く」(11月14日、紀尾井ホール)
 そびえたつ大伽藍でもなければ、厳しい戒律に縛られた修行僧のようなバッハでもなく、色彩感あふれる艶やかなバッハでもない。テツラフは草原に吹き渡る風のようなバッハを弾いた。風はつかもうとしてもつかまらない。
 なぜこういう解釈になるのか。テツラフは過去に二度「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」を録音している。最初の録音(93年)はまだ初々しくレガート気味で丁寧な演奏だが、二度目の録音(2005年)ではより自由で柔らかくなっている。今回の演奏はそれをさらに推し進めたものと言える。パルティータ第2番の長大な「シャコンヌ」も一つ一つの変奏は繊細に弾かれるが、どこが山でどこが谷か、はっきりとした表情の区別が希薄だ。ソナタ第2番「アンダンテ」も旋律の下の音を強く出すことはなく柔らかく弾かれる。
 ニューヨーク・タイムズ(ジェームズ・R・エストライヒ)はテツラフを「彩色名人」と呼び、「アーティキュレーション、弓使い、装飾音は自在に色分けされ、細部にわたって色付けられる」と評している。確かに水彩画のような淡彩が細やかに描き分けられていたとは言える気がする。
最後にテツラフはパリのテロで犠牲になった人たちのためにと話して、ソナタ第2番「アンダンテ」をもう一度弾いた。さきの演奏とは表情が違っていた。(長谷川京介)

写真:(c) Giorgia Bertazzi

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】


「NHK音楽祭2015 アンドレス・オロスコ・エストラーダ hr交響楽団 五嶋龍」(11月16日、NHKホール)
 五嶋龍はエストラーダ、hr交響楽団とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを発売したばかり。両者の阿吽の呼吸は見事だが、最初は録音を再生するようで即興性に欠けるところがあった。第3楽章は熱を帯び、後半モルト・メーノモッソになって第2主題をたっぷりと聴かせるところは味わいがあった。終結部はオーケストラと共に燃え上がるようで大きな喝采が起きた。
 五嶋龍は力強さがあり技巧も備わっている。しかし深みや作曲家にふさわしい様式感はこれからの課題と思われる。アンコールはイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1楽章を弾いた。
 エストラーダは柔軟で生き生きとした若々しい音楽をつくる。ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲は明るくはじける勢いがあり、抒情的な第2主題も爽やかに歌う。
 マーラーの交響曲第1番「巨人」は前任のウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者就任披露演奏会でも取り上げたエストラーダが得意とする曲。マーラーの青春時代を表すようなみずみずしい演奏で、粘り気や諧謔性は少ないが、第4楽章のコーダは白熱し充実していた。
 hr交響楽団(旧称フランクフルト放送交響楽団)は放送交響楽団らしい精確で硬質な切れ味のある音を持つ。木管は特にオーボエが美しく、金管群は輝かしく力強い響きで、「巨人」の最終楽章でも存在感を示した。
 アンコールのブラームス「ハンガリー舞曲第6番」は、長くウィーンで学び活躍してきたエストラーダのウィーンへの共感を表す演奏だった。
(長谷川京介)

写真
アンドレス・オロスコ・エストラーダ:(c) Werner Kmetitsch
五嶋龍:(c)E.Miyosh

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「クシシュトフ・ヤブウォンスキ ショパン ピアノ・ソナタ全3曲」(11月17日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 1985年ショパン国際ピアノコンクール第3位入賞のヤブウォンスキのピアノはまろやかで、倍音がどこまでも美しく伸びていき、心安らぐものがある。
 ショパンのソナタ全曲という意欲的なプログラムだが、演奏は先生の模範演奏のように進められていく。ただめったに演奏されないショパン17歳のときのソナタ第1番は、ヤブウォンスキも自信があると語っている通り霊感のある演奏で、第1楽章のどこからとも知れず湧き起ってく不気味さ、第3楽章の清冽な美しさなど、評価の低いこの曲の新たな魅力を教えてくれた。第3番の第4楽章はスケールが大きい演奏だった。
 アンコールのマズルカ2曲(第14番、第15番)の民族的な味わいはポーランドのピアニストならではのものがあった。(長谷川京介)

写真:(c) Rafal Wegiel

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「エマニュエル・アックス ピアノ・リサイタル」(11月19日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 アックスの幸福な演奏を聴いていると、彼が第1回アルトゥール・ルービンシュタイン国際コンクール優勝者というのはうなずける。ルービンシュタインも聴く者を幸福感で満たした。ルービンシュタインはワインと香水とヴィルトゥオーゾの巨大さを感じるが、アックスは朴訥で威圧感はなく、羽根で包み込むような温かさがある。
 ベートーヴェン「悲愴ソナタ」は明朗で清澄な演奏だった。序奏グラーヴェは、重厚だが和音に濁りがなく明るく澄んで美しい。アックスは感情を露わにするのを避けるかのようにピアノを美しく響かせるが、聴き手としては少し物足りない。
 ベートーヴェンの「創作主題による6つの変奏曲」の飄々とした味わいや、ソナタ第16番の持つユーモアはアックスの演奏が壺にはまる。第16番第2楽章の滑らかで珠を連ねるようなトリルは絶品だった。
 後半ショパンのスケルツォ全曲も短調の第1番から第3番までは暗さや悲愴感は感じられず、スケルツォ本来の意味「諧謔」「軽快」にふさわしい洗練された演奏だった。予想どおり軽快で幸せな雰囲気を持つ第4番が素晴らしい出来で、中間部から主部に戻るさいの見事な流れとコーダの輝かしく壮大な演奏はこの日の白眉と言えた。アンコールは幸福感に満ちたノクターン第5番だった。
(長谷川京介)

写真:(c) Lisa Marie Mazzucco

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】


「ウラディーミル・フェドセーエフ N響  チョ・ソンジン」(11月20日、NHKホール)
 2015年ショパン国際ピアノ・コンクール優勝のチョ・ソンジンを迎えて会場は満席。しかし演奏はコンクールの映像とは違って精彩がなかった。10月にコンクールが終わって休む間もなくツアーや記者会見が続き、疲労がたまっているのだろう。ショパンのピアノ協奏曲第1番では第1楽章でピアノが入るところでミスタッチがあった。全体に打鍵も平板でダイナミックの幅が狭く、デッドなNHKホールなのでなおさら響きが弱い。第3楽章のコーダに向かって、ようやく乗って来たと感じた。弱音や三連音の美しさは印象的に残った。チョ・ソンジンには来年1月の入賞者ガラ・コンサートで本来のピアノを聴かせてくれるものと期待したい。
 後半はフェドセーエフが得意とするロシア音楽集。フェドセーエフは指揮台に飛び乗る元気な姿を見せたが、今年2月の急病からの復帰後のため本調子ではないように見えた。それでもハチャトゥリアンの「ガイーヌ」から「剣の舞」「レズギンカ舞曲」は、民族色が強く感じられたし、チャイコフスキーの序曲「1812年」では、増強された金管と打楽器群の大活躍で聴く者を圧倒した。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル」(11月21日、すみだトリフォニーホール)
 ヴィルサラーゼの弾く音符ひとつひとつに文字が浮かび、それが連なり意味を持って聞こえてくる。こういう体験は初めてだ。たとえばベートーヴェンの「熱情」、第2楽章第3変奏。主題が32分音符で左右の手で弾かれるが、その細かな粒となった音符が目に見えるように浮かび上がり、深い内容を持って伝わってくるのは驚倒するほかなかった。
 モーツァルトの2曲のソナタ(第13番、第11番「トルコ行進曲付き」)では、左手の低音が意味深く響く。それは右手の珠のように美しいメロディーと二人して会話するように聞こえてくる。音やフレーズは密接に関連づけられ、モーツァルトが立体的な構造を持つ堂々とした作品となって現れてくる。
 シューマンの「謝肉祭」はテンポが速く、全曲を貫く躍動感、生命力が見事だった。ロマンティックに演奏されるシューマンはあまたあるけれど、ヴィルサラーゼのようなたくましく若竹を割ったような演奏を聴くと、目から鱗が落ちる。「謝肉祭」はこう演奏されるべきだと説得された気がする。
アンコールの3曲も素晴らしかった。ショパン:マズルカ作品34-1、シューマン(リスト編曲):「春の夜」、ショパン:ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」。ショパンの格調の高さ、シューマンの深さ。圧倒的で絶対的な価値を持つコンサートだった。(長谷川京介)
写真:(c) 能登直

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「スクリャービン/ピアノ・ソナタ全10曲演奏会 イリヤ・ラシュコフスキー」(11月23日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 2012年第8回浜松国際ピアノ・コンクール優勝のイリヤ・ラシュコフスキーが今年没後100年になるスクリャービンのピアノ・ソナタ全10曲を一回のコンサートで演奏するという挑戦的なプログラム。ピアノはヤマハを使用していた。
 ショパンの影響からスクリャービン独特の無調とも言える世界に至る過程がわかると同時に、ラシュコフスキーの演奏も番号が進むにつれて演奏に熱が入り、内容も深められていくのは興味深かった。スクリャービンの底知れない闇はまだ表現し切れていないが、若さ(31歳)からくる清冽な抒情と思い切りのいいダイナミックな演奏は今後楽しみなものがある。
 スクリャービンが「星は歌う」と呼んだ第3番第3楽章の夢見る世界と、切れ目なく入る第4楽章の暗い情念はよかった。また第4番第2楽章コーダのスピード感は爽快。傑作である第5番も緩急の切り替えが見事で密度が濃い。第7番「白ミサ」には法悦よりも狂気を感じた。第10番「トリル・ソナタ」まで二度の休憩をはさみ3時間におよぶコンサートを全曲暗譜、ほぼノーミスで弾ききったラシュコフスキーを讃えたい。(長谷川京介)