2015年8月 

  

ブロードウェイ・ミュージカル「JERSEY BOYS」の来日公演・・・
本田悦久 (川上博)
「JERSEY BOYS The Story of Frankie Valli & The Four Seasons」は、10年前 (2005年11月6日) にブロードウェイのオーガスト・ウィルソン・シアターでオープン、今も続演中の大ヒット作。2006年のトニー賞では、8部門でノミネートされ、最優秀ミュージカル作品賞、主演男優賞 (ジョン・ロイド・ヤング)、助演男優賞 (クリスチャン・ホフ)、照明装置賞 (ハウェル・ビンクリー) の4部門で受賞した。
 そのツアー・カンパニーがキョードー東京の企画・制作・招聘により:来日、東急シアターオーブで6月25日から7月5日まで上演した (筆者の観劇日は初日の6月25日) 。
 ニュージャージー州出身の4人組ヴォーカル・グループ「ザ・フォー・シーズンズ」の物語。演出のデス・マカナフは、10才の頃、初めて買ったLPレコードが「シェリー」他11曲入ったザ・フォー・シーズンズの10インチ盤だったという。何というご縁だろう。グループ名に因み、第1幕が「春」「夏」、第2幕が「秋」「冬」となっているのが洒落ている。
 ニュージャージーの貧しい地区に生まれたフランキー・ヴァリは、その美しいファルセットの歌声に才能を見た兄貴分のトミー・デヴィートとニック・マーシに誘われて、バンド活動を開始するが、リーダー格のトミーの思惑は外れ、下積みが続いている。やがて、フランキーの歌声に魅了されたシンガー・ソングライターのボブ・ゴーディオが加わり、彼の作曲による“BIG GIRLS DON'T CRY” “SHERRY”“CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU”など数々のヒット曲を出して、この4人のグループはスター街道を駆け上る。
 しかし、栄光の座についたものの、トミーがバンドのギャラを着服する不祥事からメンバー間の確執が生まれ、ニックはバンドを辞め、兄貴分のトミーとも大きく距離が出来たフランキーは、作曲に専念し始めたボブの助言で、ソロ活動を始めるが、昔からの地元の仲間との別れの寂しさは、癒されることはなかった。
 トラブル続きから現実にはグループ活動は続いていなかったが、圧倒的なヒット曲が人々に長く愛され続け、1990年に「ロックの殿堂」入りが決まり、4人は久々に “ザ・フォー・シーズンズ”として、華やかに数々のヒット曲を披露する。文字通りグループの再来のような舞台に、客席は大きく盛り上がり、拍手が鳴りやまなかった。
 筆者がその昔、日本ビクターに入社した頃、レコードは78回転のシェラック盤から、45回転ドーナツ盤、33 1/3 回転のLP盤に変わる過渡期だった。築地スタジオの文芸部編集課に配属され、洋楽に携わっていた。洋楽といっても、アメリカのRCAビクターから入ってくる音源だけだった。
 間もなく、アメリカではマイナー・レーベルの全盛期を迎える。日本ビクターでもドット、アトランティック、インペリアル、リプリーズ、トップ・ランク、ヴィー・ジェイ、シーコ等々のマイナー・レーベルを次々に契約し、ワールド・グループ・レコード部を立ち上げ、筆者が担当した。
 フォー・シーズンスの「SHERRY」、「BIG GIRLS DON'T CRY」(恋はヤセがまん)、「WALK LIKE A MAN」(恋のハリキリ・ボーイ)、「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU」(君の瞳に恋してる)・・・そんな邦題をつけたな・・・と、懐かしい昔を思い出し、感無量の想いで会場を後にした。

(Photo by Keiko Tanabe)

ミュージカル「サンセット大通り」3年ぶりの再演・・・本田悦久 (川上博)
「サンセット大通り」と云えば、名匠ビリー・ワイルダー監督の同名映画 (パラマウント 1950年) を思い出す。グロリア・スワンソン扮する、サイレント映画時代の大スター、ノーマ・デスモンドが、トーキーの出現で落ちぶれてしまう。(ジョー・ギリス役はウィリアム・ホールデン)
 この物語をミュージカルにしようと考えたのは、「キャッツ」「エビータ」「オペラ座の怪人」等の作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーだった。彼はそれまでの作品のように全編歌ではなく、セリフの部分も加えた。作詞ドン・ブラックとクリストファー・ハンプトン、脚本クリストファー・ハンプトン、演出トレヴァー・ナン。初演は1993年7月12日、ロンドンのアデルフィ劇場、ブロードウェイは1994年11月15日、ミンスコフ劇場だった。
 今回は東京 (赤坂ACTシアターで7月4日-20日)、名古屋 (愛知県芸術劇場で7月25、26日)、大阪 (シアターBRAVA! で7月31日-8月2日)の3都市で上演された。(筆者の観劇日は7月9日のマティネー)
 日本版を観るのは2012年6月9日の赤坂ACTシアター以来3年ぶりだ。演出は鈴木裕美、訳詞は中島淳彦。
 売れない脚本家のジョー (この日のマティネーでは、柿澤勇人) は、映画プロデューサーのシェルドレイク (戸井勝海) に売り込むが相手にされず、借金取りから逃れようと、往年の大スター、ノーマ (この日のマティネーでは、濱田めぐみ) と執事のマックス (鈴木綜馬) が住む大邸宅に迷い込む。映画界復帰を狙うノーマはジョーが脚本家と判り、自分が書いた脚本の手直しを依頼する。ジョーは生活のために引き受けて、ノーマの屋敷で暮らすことになる。
 ある日ジョーは、映画スタッフのベティ (夢咲ねね) に、お蔵入りになっていたジョーの脚本を一緒に書き直そうともちかけられる。ベティは助監督で親友でもあるアーティ (水田航生) の婚約者だが、仕事を続けるうちに感性の良い彼女にジョーの心は動く。ノーマは脚本が出来上がった後もジョーを屋敷に留め、高級な服を買い与えたりして、ジョーの自由を奪っていく。嫌気がさしたジョーは屋敷をとび出すが、マックスからノーマが自殺未遂を起こしたとの電話を受けて、また元の暮らしに戻る。 
 脚本を届けたバラマウントからの連絡で、ノーマは旧友のセシル・B・デミル監督 (浜畑賢吉) に会いに撮影所を訪問。往年の大女優時代の日々が甦るが、デミルにその気はない。
 ジョーはベティが忘れがたく、荷物をまとめて屋敷を出ようとするが、その時、ジョーを狙ってノーマの拳銃が火を吹く。
 落ち目大スターの葛藤は、胸が痛くなる程凄まじいが、「サンセット大通り」「サレンダー」「ウィズ・ワン・ルック」「パーフェクト・イャー」等、ロイド・ウェバー・メロディーの数々が素晴らしく、緻密な演出に応える共演者一人一人の好演があって、見応えのある舞台だった。
 筆者が「サンセット大通り」の舞台に出会った最初は、1994年2月2日のロンドン・アデルフィ劇場だった。トレヴァー・ナン演出で、ノーマ役はパティ・ルポンの筈が彼女の休演で、アンダースタディのキャロル・ダフィーが出演、ジョーはジェラルド・キャシーだった。
 続いて同年4月27日のロサンジェルス、シュバート劇場。主役の二人はグレン・クローズとアラン・キャンベル。それから1995年10月16日のニューヨーク、ブロードウェイのミンスコフ劇場。ノーマ役のベティ・バックリーが休演で、代役はカレン・メイスン。ジョーはアラン・キャンベルだった。1996年7月3日に再びロンドンのアデルフィ劇場に縁があり、ペテュラ・クラークとグラハム・ビックレイの共演を観た。
 英語圏以外では、1996年6月12日にドイツ・ニーデルンハウゼンのラインマイン劇場で、ドイツ語上演だった。ここでも演出はトレヴァー・ナン。主役の二人はヘレン・シュナイダーとウーヴェ・クレイガー。終演後、ヘレンの楽屋を訪ねて、雑誌の為のインタビューをさせてもらった。

<写真提供: ホリプロ>

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