2014年3月 

  

グラス・ルーツのオリジナル・アルバム、遂に日本初CD化!・・・上柴とおる


「冷たい太陽」
(UICY-76088)
(ユニバーサルミュージック)


「今日を生きよう」
(UICY-76089)
(ユニバーサルミュージック)


「ラヴィン・シングス」
(UICY-76090)
(ユニバーサルミュージック)
 

 日本でも「今日を生きよう」(1967年:オリコン89位)、「ペイン(恋の傷跡)」(1970年:同88位)、「恋は二人のハーモニー」(1971年:同40位)、「涙の滑走路」(1972年:同71位)といった全国区のヒット曲があり、'ヤンキー・サウンド'とも呼ばれてとりわけ1970年代前期の洋楽ファンには広く親しまれていたはずのグラス・ルーツ。だが、その後、今日に至るまで彼らの音源はどれほど'大切に'扱われて来たのだろうか?彼らが所属するオリジナル・レーベル(Dunhill)の発売権は日本ビクター→東芝音楽工業(グラス・ルーツの現役時代はここまで)、その後は日本コロムビア→ワーナー・パイオニア→MCAビクター→ユニバーサルミュージックと移り変わったが、再発盤として出されるのはお決まりのベタなベスト盤のみでオリジナル・アルバムはパスされるばかり。CDの時代になってからすでに四半世紀余りになるが、出されたCDと言えば1996年11月21日発売の「スーナー・オア・レイター〜グレイテスト・ヒッツ」(MCAビクター:米国編集盤+日本独自の1曲)1枚っきり。実は海外でも似たような状況で、ポップス・ファンにとっては苦々しい思いを抱く日々が長らく続いていた。全米チャートには21曲も送り込み、世界的に見ても彼らの曲を愛好するファンは少なくないのに需要と供給のバランスがとれていなかったと言える。
 しかし、ようやく!である。昨年からダンヒル・レーベルの人気グループだったスリー・ドッグ・ナイト、ステッペンウルフ、ママス&パパスのオリジナル・アルバムを次々と紙ジャケット盤で復刻して好評を得ていた(セールス的にも好調♪)ユニバーサルミュージックがついにグラス・ルーツに手をつけ、3月26日にひとまず5枚が(同社が出せるのは全8枚分)陽の目を見ることになった。
 売れっ子のソング・ライター&プロデューサー・コンビであるP.F.スローン&スティーブ・バリのスタジオ・セッション・グループとして産声を上げるも評判が高まったことでツアーに出る'実体'が必要となり、既存のグループを'グラス・ルーツ'に仕立てあげたのがそもそもの始まり。
L.A.のトップ・スタジオ・ミュージシャンのサポートと有能なソング・ライターが書き下ろす作品の数々を得て彼らはヒットを連発。当初は時代背景もありフォーク・ロック系ではあったが、1968年の「真夜中の誓い」を契機にブラス・セクションを取り入れた華やかなポップ・ロック・サウンドへと変身。快活でキャッチーな魅力全開で時代を突っ走った彼らをシングル・ヒットだけではなくアルバムで聴くといろいろな発見もあるだろう。メンバー自身のオリジナル曲も少なくない。じっくりチェックしていただきたいところだ。
 ちなみにおなじみのヒット曲「今日を生きよう」「真夜中の誓い」「いとしのベラ・リンダ」「ラヴィン・シングス」「ザ・リヴァー・イズ・ワイド」はいずれもカヴァー曲なのだが、そういった楽曲をモノラルのシングル音源でまとめ上げたのが「The Complete Original Dunhill/ABC Hit Singles」で、偶然にも紙ジャケ盤のタイミングとピッタリ合致(3/21国内配給)。ファンにとってはまさに降って沸いたようなグラス・ルーツ人気の再燃。長生きはするものだ♪



「神に願いを」
(UICY-76091)
(ユニバーサルミュージック)


「ムーヴ・アロング」
(UICY-76092)
(ユニバーサルミュージック)


「コンプリート・オリジナル・ダンヒル・
エイビーシー・ヒット・シングルズ」
(BSMF-7508) (BSMF Records)

フォーク界の巨星 アメリカの良心 ピート・シーガーを悼む・・・鈴木道子
 米国フォーク・ソング界の第一人者で、反戦・人権・環境問題などの闘士として活躍し続けたピート・シーガーが1月27日、亡くなった。94歳だった。彼はボブ・ディラン、ジョーン・バエズからブルース・スプリングスティーン、日本のフォーク・シンガーたちにも大きな影響を与えた。
 ピートはニューヨーク市出身。両親とも音楽家で、少年時代からウクレレで人々を楽しませていたが、音楽学者アラン・ロマックスと親しかった父の仕事から、アパラチア山脈の音楽に魅せられて、フォーク歌手/バンジョーの名手となり、彼が書いた教則本によってバンジョーを弾くようになった人は多い。またハーバード・カレッジ時代にはラディカルな政治運動に情熱を燃やし、フォークと社会的な発言とが一体となって、彼の人生を貫いている。
 1940年代、50年代、60年代をフォーク歌手として最前線で活躍し、まずアルマナック・シンガーズ、ウィーヴァースの設立メンバーの一人としてラジオ、テレビで多くの支持者を集めた。しかし、音楽による政治的発言から、「赤狩り」によって仕事を奪われてしまった時期もあったが復活し、「グッドナイト・アイリーン」はじめヒットを飛ばし、キングストン・トリオがこれに追随したのを皮切りに、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズはじめ多くのフォーク歌手・グループが登場して、フォーク・リヴァイヴァルが現出。ピートはその中心人物となった。自作の代表曲は「天使のハンマー」「ターン・ターン・ターン」、特にベトナム反戦を訴えた「花はどこへ行った」は、多くの歌手が歌っている。また賛美歌からとられた「勝利を我等に」を有名にして、公民権運動はじめ社会運動には欠かせぬ歌としている。彼は古謡や草の根にある歌を掘り出し、シンプルなメロディーに乗せて、弱い立場の民衆側に立って権力に抗する歌詞を歌い続けた。またニューヨークのハドソン河浄化運動にも情熱を燃やし、原爆反対にも力を注いだ。
 彼を支えた最愛の妻トシは日系二世。日本にも家族を連れて何度か来ているが、ちょっと奇妙な思い出がある。1986年に来日した時のこと、記者会見の時もおかしいなと思ったが、広島でのコンサートは「ノー・モア・ヒロシマ・コンサート」と題され、確か日比谷公会堂だったと思うが、東京公演の司会者T氏は、原爆に反対するピートの発言を歪曲して伝えた。これにはCIAの意向がバックにあったという噂が流れた。が、今では確かめる術もない。ステージではワイシャツ姿でバンジョーを抱え、淡々とメッセージ・ソングやおなじみのフォーク・ソングを力強く歌い、歌の合間には曲の説明や原爆反対の意思などを雄弁に話しかけていた勇姿を思い出す。
 近年のピートはオバマ大統領就任記念コンサートで、ブルース・スプリングスティーンや聴衆と「我が祖国」を歌ったり、彼の90歳を祝う催しがあちこちで開かれ、アース・デイの集まりでは元気にスピーチや歌を歌ったりし、終生フォークと社会運動に尽くした。


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