日本のロックは、といまさら言ってもと思うが、日本にロックはあるのだろうか。1952年アメリカのDJアラン・フリードが「ロックンロール」と叫んで以来、60年のロックのヒストリーはあるのだが、日本にはいちはやくロックは伝わって今日があるのだが、時代の背景と若者の動向とロックのリズムの流れが続いて来ている様に見えるがそれは間違いないが、プリミティブなロックの音楽感は変化してしまい、その独特の音楽的感性は、失われているとしか思えないのだが。早い話、ストレートなロックに出会えない。
そんな中でロックにこだわって来た男がいる。内田裕也だ。自分の歌はさておき、ロックの光を見せる男達を捕まえ、世の中に投げ出して来た。毎年年末に、NHKの紅白ぶっ飛ばせと、1973年以来、41年もロックフェスを続けている。継続は力なりというだけではすまないが、裕也流にロックに関わり表現し、その場を提供して来た男でもある。
40+1st New Years World Rock Festivalは、博品館で銀座の未明に鳴り響いた。オープニングは、「石橋勳BAND」マジメ過ぎるストレートなロックだ。つづいて、久方ぶりの「金子マリ」のブルージーなバラード。不思議な惹き付けるシャウトは貴重だ。「氏神一番」はその歌舞伎コスチュームは飽きるほどだが美声の中に諦めぬロックがあるのだろう。10代の頃からの美少女も10年近くなる優子の「新月灯花」は、女性だけの魅せるバンドでもあるが、ハードな反戦ソングをロックする。「Mil9」のビリーはそのムーヴィングにシャープなキレがある。もっとメジャーに登場して良い男だ。「PANTA & NUMBER42」は、PANTAの吟遊詩人的ロックを語る。大太鼓を打つ女性の鼓手の射つリズムにハラハラしながらカウントダウンを迎える。「内田裕也 & Truman Capote Rock'n'Roll Band」が登場。内田裕也が「朝日のあたる家」を熱唱。裕也舞いも見られ、歌に対する熱さを、そしてロックが歌える男の存在を魅せた。セレモニーの後、「カイキゲッショク」のヒロがアヴァンギャルドハードロックを毎年だが、これでもかとパフォームする。そして、ソウルの匂いを背負い、「白竜」が切なるロックを披露する。トリは、「シーナ&ロケッツ」が会場を一変する。35周年を迎えてるシーナ&マコトのロックのベーシックなオーラを秘めての中で、これほどのパフォーマンスできるエネルギーに驚く。フィナーレは、オールロッカーズで「Satisfaction」で締めくった。
そのパフォーマンスを見てると、ロックは、ディスク盤より、ライヴだなと痛感する。ロッカーの感情、歌のクオーリティ、ムーヴィングのパフォーマンス、何よりロックが好きだと言う感性がオンステージで見れる事である。
日本中の街の地下のライヴハウスでロックする若者達に、一流のステージでPAで、ライティングで、歌う事のロックのクオーリティ&パフォーマンスを見て欲しいものだ。
今回は、福島の石巻でも「三原康可」プロデュースでロックフェスを行った。惨状から立ち上がった若きロッカーをロックができる事で内田裕也はバックアップしている。また、London,New York,Taipei,Seoulの地でも現在の若手のロックンローラーをテレビプログラムで紹介した。世界のロックの流れも現状や、先行きどんなディレクションになるかは、なかなか見えて来ないが若者の気概はある様だ。
日本では、松田優作、原田芳雄、ジョー山中、安岡力也、桑名正博等の第二世代のロックンローラーが登場してコンティニューしていくと思うのだが。この不安な日本で、ホンモノのロックを武器にして人々を喚起させる必要があると思う。
内田裕也はそれでもロックで突き進む。「死ぬなよ」と切に願う。
<Photo by Tohru IKENO>
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