コール・ポーターのミュージカル・ナンバーは“I GET A KICK OUT OF YOU”“YOU'RE THE TOP”“EASY TO LOVE”“FRIENDSHIP”“IT'S DE-LOVELY” “ANYTHING GOES”“BLOW, GABRIEL, BLOW” “ALL THROUGH THE NIGHT” 等、劇を離れても、アメリカン・ポピュラー・ソングのスタンダード・ナンバーとして広く歌われている。これだけの名曲を揃えたミュージカルも珍しい。
曲目は筆者が選んだ「港の灯」HARBOR LIGHTS、「引き潮」EBB TIDE、「美わしの夜」THE LOVELIEST NIGHT OF THE YEAR、「月の入江で」MOONLIGHT BAY、「虹を追って」I'M ALWAYS CHASING RAINBOWS、「夕陽に赤い帆」RED SAILS IN THE SUNSET、「マナクーラの月」THE MOON OF MANAKOORA、「カナダの夕陽」CANADIAN SUNSET、「アイ・サレンダー・ディア」I SURRENDER DEAR、「ア・マン・ウィザウト・ラヴ」A MAN WITHOUT LOVE、「モア」MORE、「夢で逢いましょう」I'LL SEE YOU IN MY DREAMSに、アメリカ発売を考慮したトニー側の希望で、ロシアのヒット曲を英国のメリー・ホプキンが英語で歌ってヒットした「悲しき天使」THOSE WERE THE DAYS、ミュージカル「ヘアー」の中の「アクエアリス」AQUARIUSが加わった。
そこで一つ問題が起きた。編曲・指揮の八木正生氏の編曲がモダン過ぎてトニーには合わないという。トニー側の音楽監督センドリー氏が多少手直しすることで解決した。続いてもう一つ、楽しい問題が起きた。「日本で録音するのだから、日本曲を1曲加えようではないか」と誰かが言い出した。「それなら目下ヒット中の「ブルー・ライト・ヨコハマ」(作曲: 筒美京平、作詞: 橋本淳、唄: いしだあゆみ) が良いのでは」となり、トニーとセンドリー氏の2人で素早く英語の歌詞を書いて、BLUELIGHTS OF YOKOHAMA となった。レコーディングは深夜までかかったが、目出度く完了した。
このアルバムはビクターが日本発売したほか、アメリカ、スペイン (ZAFIRO)、シンガポール (CHIANG HUAT)、フィリピン (A & W)、 台湾 (第一唱片) 等にライセンスされ、現地生産のLPやカセットが発売された。