ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Classic Review 2020年12月号

CONCERT Review

浪漫の花束 - 三宅麻美ピアノ・リサイタル・シリーズ

 

第1回ベートーヴェン「生誕250年」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ<月光> /幻想曲 作品77 /6つのバガテル 作品126
同:歌曲<アデライーデ>作品46、<自然における神の栄光>、<ゲーテの詩による3つの歌曲>作品83、連作歌曲集<はるかな恋人に寄す>作品98
バリトン:三塚至

11月2日(月)王子ホール

アーティスト写真

 前半は幻想曲を中心としたピアノ、後半はリートという興味深いプログラムだった。前半の冒頭、<月光>第1楽章が静かに始まると、ホールに満ちる響きの豊かさに驚いた。瞬時に気持ちが暖かくなった。そして、かなりゆっくりしたテンポが重厚な深みのある緊張感を演出していた。これを全楽章持続した三宅の確かな表現力を感じた。<月光>はベートーヴェン自身が「幻想曲風」と名付けているが、次の<幻想曲>や<バガテル>も幻想曲的な側面が強く、これらは古典派からロマン派に導いたベートーヴェンを示すもので、プログラム構成の意図が感じられた。特に<幻想曲>は下降音階とさまざまな装飾的音型が印象に残る面白い演奏だった。<バガテル>は6曲から構成されるが、第3曲のやはりアルペッジョやトリルの表現はそれまでとは違う快く清い夜空を感じさせてもらった。第4曲も強い性格の表現が楽しめた。
 後半、リートが聴けて嬉しかった。リートは近年演奏される機会が減っている。しかしリートだけが表現できる独自の世界がある。歌手にはオペラだけでなくリートも忘れないでと言いたい。三塚の伸びやかな優しい声に心はさらに暖かくなった。三塚の声は無理のない発声法で響きが豊かで美しかった。三宅のピアノは三塚が入っても伴奏ではなかった。二重奏、いやそれ以上にリートをリードする演奏で、この意味では、前半の雰囲気をそのまま持続していた。一般的にリートの伴奏ではピアノの蓋を少し開けるだけにすることが多い。ところが、三宅は前半の独奏で使ったまま蓋を全開にしていた。もちろん、これで三塚が声量的に劣るわけではなく、まさにこの点でも二重奏だった。リートは叙情詩が多く、一般的には優しい印象になりがちだが、選曲の結果でもあるだろうが、ベートーヴェン的重々しく堂々としたリート演奏だった。これはバリトンという声域のせいなのかもしれない。<自然における神の栄光>は曲想自体が荘厳なものなので、バリトンならではの説得力があった。<はるかな恋人に寄す>は、内容は非常にロマンチックなものだが、変奏曲なのでむしろ変化を付けるのが難しいかもしれない。繰り返されるテーマを歌う柔らかい発声も快かった。ピアノの鳥のさえずりなどの音画的表現は説得力があった。ただ、最後の第5,6曲あたりはドイツ語の発音、音楽的表現の点で三塚は少し疲れたのかという印象を受けた。全力投球を続けた結果かもしれない。
 このリサイタル全体を通して興味深かったのは、幻想曲とリートというプログラム構成だ。そして印象に残った重厚感もリサイタルとしては珍しかったが、納得のいくものだった。欲を言えば、リサイタル全体の彩りを豊かにするために軽い、遊びの一面もあるとさらに楽しめたのではないだろうか。(石多正男)

CONCERT Review

吉江忠男バリトン・リサイタル

 

~シューベルトのバラードと名歌曲集~
人質D216 / 魔王D328など(以上前半全7曲) / さすらい人D489 / ガニュメードD544など(後半全9曲)
ピアノ:小林道夫

11月21日(土)午後14時開演 サントリーホール・ブルーローズ

アーティスト写真

 リートの素晴らしさを改めて感じた。声楽曲とはいえリート(ドイツ歌曲)は、オペラのアリアや教会、コンサートでオーケストラの伴奏で歌われる他のジャンルとは本質的に異なる。テキストがそもそも詩として独自の価値をもち、言葉のひと言ひと言に込められた意味は大きい。多くの場合叙情詩により、私的な小さな世界を描くことになる。だから作曲も非常に繊細になり、それを演奏する歌手にもオペラなどにはない繊細さが要求される。伴奏も、シューベルト以降のピアノはそれにふさわしい繊細な表現が求められ、高度なアンサンブル能力も期待される。この日は、吉江・小林のそういった能力がよく感じられたリサイタルだった。
 前半に歌われたバラードは物語なので、リート(本来リートはバラードとは違い、心の感情を吐露する叙情詩によるもの)とは違い劇的な表現がより強く期待される。劇的というのは、喜怒哀楽が明確、大きな感情の起伏があることである。その意味でも聴きごたえ十分の演奏だった。後半は「名歌曲集」と銘打ってさまざまなリートが歌われた。吉江の甘く優しいバリトンには後半のリートの方が合っていたかもしれない。「さすらい人」や「シルヴィアに」、そして特に最後の「ガニュメード」は素晴らしかった。吉江、そして詩の主人公「ぼく」の感情がしっかり伝わってきた。聴衆も胸が熱くなった。演奏全体を振り返ると、吉江は高音の発声に非常に高い意を払っていたのはいいが、それによって声が音として出るまでにわずかながら時間がかかっていた。それが、ピアノとのアンサンブルや演奏のテンポに微妙な影響を与えていた。小林の伴奏はそれに見事に応えていたが、それでも聴衆は少しストレスを感じたのではなかろうか。 (石多正男)