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レナード・バーンスタイン没30年、再映画化…
よみがえる「ウエスト・サイド物語」

バーンスタイン再評価と「ウエスト・サイド物語」
関根礼子(クラシック)

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バーンスタインと小澤征爾

 レナード・バーンスタイン(1918~1990)は2018年に生誕100年、今年2020年には没後30年と記念イヤーが続き、前夜祭よろしく2017年くらいから再評価を促す企画がいろいろ行われてきた。
 バーンスタインといえばまずは指揮者として有名で、同時代のヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)やゲオルク・ショルティ(1912~1997)と並ぶ20世紀後半を代表する世界の巨匠である。ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を1958年から69年まで11年間務めてアメリカのクラシック音楽界の中心人物としての地位を確立したのを皮切りに、その後はフリーの指揮者として世界の第一線で活躍。情熱的で親しみやすい音楽性で名声を高め、スター性にも恵まれてカラヤンと人気を二分したといわれる。子どものための「青少年コンサート」にも力を入れたほか、若い指揮者を多数育てたこともよく知られている。日本人では小澤征爾、大植英次、広上淳一、佐渡裕らが彼の薫陶を受け、NHK交響楽団の首席指揮者でエストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィも彼のもとで学んだ一人だ。ヤルヴィは「バーンスタインは子供の時から自分のアイドルだった」と言っている(注1)。
 没後30年といえばカラヤンとて昨年はそうだったわけだが、指揮者としていかに突出していても作曲はしなかったので、記念イヤーを機に世間で大きな話題が再燃するという社会現象は起きなかった。それに比べてバーンスタインの再評価が盛んなのは、何よりもクラシックの作曲家として多数の作品を残したからにほかならない。
 マルチな能力を持つゆえに各界から引く手あまただった彼であってみれば、ブロードウェイでもっと多くの作品を残してほしかったとか、メトロポリタン歌劇場のレパートリーになるようなオペラだって書けたのではないかとか、多才ぶりをむしろ惜しむ声さえある。だが、彼の代表作とだれもが認めざるをえないのは、結局、ブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド物語」にほかならないのだ。同作があまりにも有名になったために、作曲したのはバーンスタインだといっても、彼はクラシックの指揮者ではないかと、すぐには信じてもらえないことがあるほどだ。

作曲家のキャリアへの注目の中、
ひときわ輝くウエストサイド


 「ウエスト・サイド物語」は、1957年、バーンスタイン39歳の年の作品である。彼自身としても、その後、同作を超える作品を書きたいと念じ、オペラ、ミュージカルなどの劇音楽のほか、管弦楽曲等もいろいろ残した。そうした個々の作品はバーンスタインの創作過程を明らかにし、興味深い面を多々備えているのだが、作品としての完成度にはいまいちのものが少なくなく、今日、演奏される機会は多くない。ここ数年の記念イヤーを機に、主に彼のもとで学んだ指揮者たちによって、それらの作品群が上演されたのは貴重な機会だった。
 例えば佐渡裕は2019年7月、自身が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターで彼のミュージカル第1作「オン・ザ・タウン」(1944)を大々的にプロデュースして気を吐き、広上淳一は2018年1月のNHK交響楽団定期で彼の「政治的序曲『スラヴァ!』」(1977)と「セレナード~プラトンの『饗宴』による」(1954)を五嶋龍のヴァイオリン独奏で鮮やかに聴かせた。2017年の大阪国際フェスティバルでは井上道義指揮で「ミサ」(1971)を上演。新型コロナで公演中止にならなければ、佐渡裕はさらに2020年4月の東京フィルハーモニー交響楽団定期で「ディヴェルティメント」(1980)、「前奏曲、フーガとリフス」(1949、1952改訂)、交響曲第3番「カディッシュ」(1963、1977改訂)を演奏するはずだった。
 こうした記念企画のいくつかを筆者は楽しく聴くことができたのだが、その一方で、やはり何と言っても「ウエスト・サイド物語」の完成度は抜群だと改めて思い知ることにもなった。そのことを強く実感させたのは、2017年7月、東急シアターオーブで観劇した「ウエスト・サイド・ストーリー」公演である。(同作はパーヴォ・ヤルヴィもNHK交響楽団を指揮して2018年3月、Bunkamuraオーチャードホールで演奏したが、演奏会形式だったため、音楽面の魅力が大きく表現された一方で、演出や演技、ダンスなどミュージカルとしての総合的な表現力を知ることはできなかった。)

リプロダクションで浮かび上がった
作品の深い内面性


 2017年は東急シアターオーブの5周年で、その記念を飾った「ウェスト・サイド・ストーリー」は、「レナード・バーンスタイン生誕100年記念ワールドツアー」としてニューヨークで企画・制作されたプロダクション。演出・振付のジョーイ・マクニーリーは「ウエスト・サイド物語」の演出・振付をミラノ・スカラ座、パリのシャトレ座、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場、劇団四季ほか世界の代表的プロダクションで手掛けている第一人者で、1957年の初演時の演出・振付をしたジェローム・ロビンスの薫陶を受けている。音楽監督・指揮はドナルド・チャン。同作を世界各地で3000回以上指揮しているベテランである。キャストは全員粒ぞろい。歌、演技、セリフ、ダンスとも実に上手な人ばかりで、しかもその各面が均等に訓練され、「踊りはいいが歌はイマイチ」などというアンバランスは全く感じさせない。そんなキャストが31人そろっていて、アンサンブルとしての全体の統一感は抜群だ。
 中で筆者が最も感銘を受けたのはトニー役のケヴィン・ハックだ。気持ちの良い自然な声で歌い、感情表現にも説得力がある。この「自然な声」は、一見簡単に歌っているように感じられるかもしれないが、そうではない。楽譜を克明に読み取って正確に再現するというクラシックの基礎をマスターしたうえで、歌唱技術や美声に頼らず、その時々のドラマ展開に即した表現にしなければならないのだ。キャラクターや社会背景への深い理解も欠かせない。歌に加えてダンスも同様で、オペラやバレエのように技巧で勝負するのではなく、あくまでもドラマの流れと一体化した表現が要求される。これは作者たちの初演時の理念であり、初演から60年を経てもなお、そのとおりに再現して作品の特性を最大限発揮してみせたプロダクションに敬意を表したい。
 オーケストラには日本人も多かったが、チャンの指揮でエネルギッシュな好演を聴かせて不満はない。クラシック、ジャズ、ポップス、バレエ等様々な要素を巧みに配したバーンスタインの音楽がいかに精密に作られているか、いかにユニークな魅力を持っているかを存分にアピールしてやまなかった。バーンスタインの作曲はやっぱり一流だ。ミュージカルでこれだけの作曲ができるのなら、指揮活動をやめてブロードウェイに賭けた方が億万長者になれたかもしれないなどと筆者は不謹慎にも考えてしまったほどだ。むろん「ウエスト・サイド物語」の成功の裏には、作曲だけでなく脚本や作詞、演出、振付が一体となって燃焼した偉大な力が潜んでいたのはいうまでもないことだが。
 「ウエスト・サイド物語」は、それまで娯楽性に傾きがちだったミュージカルに、深い内面性を与えたといわれる。歌、ダンス、ドラマの3要素が緊密に一体化してこそ、内面を深く掘り下げる表現力が得られるのだろう。「ヴォツェック」以降の現代オペラにも、演劇性が強調される中で音楽が変わっていく過程をみることができる。そして日本のミュージカル界では、最近、クラシックの基礎を習得した有力なキャストが複数出現している。その能力が劇を自然に展開させる方向でより一層生かされていくことを期待したい。

*注1:毎日新聞2018年2月28日、インタビューに応えて


今も生き続ける、映画『ウエスト・サイド物語』
安倍 寧(ポピュラー)

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公開時の映画ポスター

 ブロードウェイ開幕が1957年、映画化が61年、映画の日本公開は61年12月、クリスマス・シーズンだった。70ミリスクリーンの迫力もあって、「ウエスト・サイド物語」の人気は一挙に高まる。私の周辺でも寄ると触るとこの映画の話題で持ち切りだった。映画「ウエスト・サイド物語」はこの作品自体の凄さだけではなく、ミュージカルというジャンルの凄さにも世間の目を向けるふしさえあった。
 永六輔が「『ウェスト・サイド物語』に最敬礼」というすこぶる興味深い文章を残している。アーヴィン・シュルマン作、大久保康雄訳「ウェスト・サイド物語」(映画のノヴェライゼーション本、日本版62年刊)に解説文として収められている。まず映画公開以前からいかにこの作品の熱烈なファンだったか、次のように書く。

人さまざま。語り継がれる
60年前の衝撃


 「ミュージカルのLP(オリジナル・キャスト盤)を集め始め、そのLPを聞くだけで舞台を想像し、胸をはずませるようになってからでも、『ウェスト・サイド物語』のLPほど興奮を味わったものはない。
 LPを頼りに、取り寄せたプログラムや舞台写真を並べ、もしニューヨークでこの舞台を見たという人があると、その実際の様子を聞きにいった。
 中島弘子サン、井原高忠サン、中村八大サン……。
 ニューヨーク・フィルが来日した時は、作曲家のレナード・バーンスティンのサインが欲しくて追いかけまわした…」

 今と違いブロードウェイがいかに遠かったことか。ちなみに中島弘子は服飾デザイナー、NHKテレビの音楽番組「夢で逢いましょう」でホステス役を務め人気が出た。井原高忠は日本テレビ「光子の窓」などで知られる名プロデューサー、ディレクター、中村八大はジャズ・ピアニスト出身、いわずと知れた「上を向いて歩こう」の作曲家である。
 もともと「ウエスト・サイド物語」の魅力にとり憑かれていた永は映画をどう見たか。

 「ファースト・シーンは豪華な顔見せ興行とでもいいたいところ。そして実際の街、つまりアスファルトで踊っているとは感じさせない演出の心憎さ。ここにこの映画のすべてがある。
 アメリカの良いところ、悪いところをゴチャゴチャにして、それを現代の魅力、エネルギーにまで高めたスタッフの根性に最敬礼…」

 永のこのような文章は、映画を見て脳天をうち砕かれたかのように感じた日本の観客の気持をそのまま代弁しているものと思われる。
 あの頃、洋画の大作ロードショウは現在のような大規模展開はなかった。「ウエスト・サイド物語」は私や私の友人たちは皆、有楽町ピカデリーで見ている。都内の他の映画館でも上映されただろうか。
 ピカデリーでの「ウエスト・サイド物語」についてソプラノ歌手の島田祐子がとても興味深いエピソードを語ってくれている(私が全篇聞き役を務めた「劇団四季半世紀の軌跡/62人の証言」所収。2003年刊)。

 「私は一度、芸大受験に失敗してミュージカルに力をもらったんです。合格発表を見に行った帰り、家族ががっかりすると思うとまっすぐ家に戻れずに、銀座をブラブラしてたんですね。そうしたらちょうど、有楽町のピカデリー劇場で映画の『ウェスト・サイド物語』をやっていて、人垣をかき分けるようにして見るうち、バーンスタインの音楽に圧倒されてしまって、「やっぱり頑張ろう。これで諦めてなるものか」って(笑)。当時は浪人なんてほとんどいませんでしたけれど、『ウェスト・サイド物語』からもらったパワーで一年頑張って、次の年、芸大に受かったんです。
 一九七七年、四季が『ウェストサイド物語』を再演した時、「サムホエア」の場面の〝影ソロ〟を歌わせていただきましたが、これもまた、何かの縁のような気がしています。」

 この島田の体験は62年2月か3月のことと思われる。
 1961年に製作・公開された映画「ウエスト・サイド物語」は、ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンスのふたりが監督として名を連ねる。舞台版で原案・振付・演出と三部門にクレジットされ、自他ともにクリエイティヴ・チームの統轄者、統率者を任じてきたロビンスは、映画化に当たっていくらワイズが老練だからといっても、彼ひとりには任せ切れなかったのだろう。しかしロビンスは極度の予算超過のため中途でその任を解かれてしまう。
 ワイズは、都会の只中にキャストを解き放ち、思う存分踊らせた。4年後、「サウンド・オブ・ミュージック」を映画化したとき、こんどは出演者たちを大自然の中に誘い出し、圧倒的な画面作りに成功した。「ウエスト・サイド」「サウンド・オブ・ミュージック」ともにアカデミー賞作品賞、監督賞のダブル受賞に輝いている。

スピルバーグ演出×ジャスティン・ペック振付へ、
期待は高まる


 多くの皆さんがご存知のように、ことしの年末、スティーヴン・スピルバーグ監督の手になるリメイク版が公開される。撮影は、すでに昨年9月末、終わっているという。なぜ今、「ウエスト・サイド物語」なのか。スピルバーグはいつ頃からこの題材に関心を持っていたのか。スピルバーグという名前が巨大なだけに興味尽きない。一日も早く見てみたい。
 このリメイク版では振付にジャスティン・ペックが起用されている。ペックは1987年生まれ32歳とまだ若いが、2014年以来、ニューヨーク・シティ・バレエ団のレジデント・コレオグラファーを務めるアメリカ・ダンス界期待の星である。ロビンス及びロビンス作品と縁の深いニューヨーク・シティ・バレエ育ちだけに、オリジナルの振付はじゅうぶん体得しているにちがいない。その上でどのような新感覚のダンス、アクションを見せてくれるのか、正直いって期待半分、不安半分というところだろうか。
 最近、59年前の映画「ウエスト・サイド物語」をブルーレイ・ディスクで見直してみた。もとのブロードウェイの舞台がいかに優れているかがひしひしと迫まってくる。とりわけ革新的なレナード・バーンスタインの音楽とそれに負けず劣らず先鋭的なジェローム・ロビンスの演出・振付が一体化していることがこの耳、この目でしっかり確認できた。
 もちろん、この映画は原作の舞台の凄さを伝えるだけにとどまるものではない。シネミュージカルとしても驚くほど卓越している。一例を挙げる。目前に決闘を控え、ジェッツ、シャークス、アニタ、トニー、マリアそれぞれが「トゥナイト」の曲と詞に自らの思いを託し絶唱する「五重唱」。この場面の歯切れのいいカット割り、それがもたらす躍動感には胸が震える。
 映画公開時、ダントツの人気を集めたのはベルナルド役のジョージ・チャキリスだったが、彫りの深い顔立ち、切れのいいダンス、全身に漲るセクシーさ、すべてが今もって微動だもしない。ワイシャツの紫色が目に染みる。チャキリスは永遠です。


「ウエスト・サイド物語」三つの全曲盤を聴き比べる
大橋伸太郎(オーディオ)

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三種の全曲盤LP&CD

 1957年のブロードウェイ初演以来「ウエスト・サイド物語」は、世界中で繰り返し上演されてきた。日本を例にとっても、1964年の日生劇場でのブロードウェイ版の招聘に始まり、1968年の宝塚版、1974年の劇団四季、 2004年には少年隊や嵐の演じるジャニーズ版が上演された。
 2019年8月から2020年5月にかけてTBSテレビなどによりIHIステージアラウンド東京においてブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」が始まったが、日本人キャストによるセッション2の中途でCOVID-19によって公演キャンセルになった。
 そうした数々の後年のプロダクションやジョン・オーウェン・エドワーズ指揮による演奏も録音に残されているが、同曲の代表的な全曲録音というと、1957年のブロードウェイ・オリジナルキャスト版、1961年のロバート・ワイズ監督による映画版、そして1984年にレナード・バーンスタインがオペラ歌手を起用して自身の指揮で録音した盤の三種類につきる。最後に「三つのウエストサイド物語」を聴き比べてみよう。

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ブロードウェイ初演版
 まず、ブロードウェイ初演版。「ウエスト・サイド物語」の初演の経緯をざっと紹介しておくと、1957年8月20日にワシントンD.C.でトライアウト(試験興行)。同年9月26日にマンハッタンのウィンター・ガーデン・シアターでブロードウェイ初演が行われた。演出・振り付けはジェローム・ロビンズ。その年のトニー賞最優秀振付賞を受賞した。初演は大きな反響を呼び732公演を重ねた後、地方ツアーを経て1960年セカンドシーズンを開始、253公演を行った。 オリジナルキャストは無名の新人中心で、ラリー・カートのトニー、キャロル・ローレンスのマリア、アート・スミスのドック、チータ・リベラのアニタ。
 マックス・ゴーバーマン指揮のオーケストラは編成も少規模であえて伴奏の域に止まる。映画版やバーンスタイン指揮版を聴いてしまうと、音が薄く軽量級に聴こえるが、女声陣が奮闘しとくにマリア役のキャロル・ローレンスの清冽なソプラノが聴き手の心を60年前の初演舞台のステージサイトへ連れて行く。

70ミリ撮影の大画面にバランスする
重厚で華麗な演奏


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映画版サウンドトラックアルバム
 1961年にロバート・ワイズ監督の映画版が公開される。歌手は大半が吹き替えで、マリア役がマーニ・ニクソン。歌唱力が高いだけでなく、スター女優の声色で歌うことが出来たので「王様と私」「マイ・フェア・レディ」も担当した「吹き替えの女王」「ハリウッドの声」である。ただしフィナーレでは主演女優ナタリー・ウッドが歌っている。ウッドは歌える女優だったため、「トゥナイト」など主要なシーンで自分の歌が吹き替えられて使われないことを撮影終了後に知っておかんむりになり、クランクアップ後の編集への協力を拒否。セリフの一部もマーニ・ニクソンが吹き替えたエピソードはよく知られている。
 他に、トニーがジム・ブライアント。演技はリチャード・ベイマー。ベルナルド役のジョージ・チャキリス、リフ役のラス・タンブリンは演技と歌を兼ねている。アニタ役のリタ・モレノはダンスが本領の女優で歌の一部をベティ・ワンドが吹き替えた。
 映画の大半はロサンゼルスに作られたオープンセットで撮影されたが、冒頭のシーンは映像にアクチュアルな現実感を生み出すため、本来の舞台であるニューヨークの下町の実景を活かして撮影された。映画ならではのクレーンショット撮影がダイナミックな印象を見る者に叩きつける。冒頭のこのシーンで映画の成功は約束されたようなものである。
 「ウエスト・サイド物語」のオリジナル・サウンドトラック・アルバムはアメリカのアルバムチャート首位に延々と君臨し、「スリラー」が登場するまで米レコード史上のタイトルホルダーであった。
 70mm撮影の大画面とのバランスを考慮した華麗で重厚な演奏である。オケの規模も大きく使用楽器にグランドハープまで含む。連結曲形式の序曲とインターミッションミュージックが加わり形式が整いスケールアップした。熟達の吹き替え歌手陣の貢献も大きくウエルメードという点で随一だが、サウンドトラックは映画という総合芸術の一部分である。舞台の制約を脱して街頭へ飛び出したダイナミックな演出演技、美術、撮影と最良のピースが組み合わさり掛け算になって映画版の偉業がある。やはり映像と一緒に聴いたほうがいい。

オペラ歌手の声域、声量で露わになる
「ウエスト・サイド物語」の本質


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オペラ歌手版アルバム
 「ウエスト・サイド物語」を作曲するにあたり、バーンスタインが心掛けたことは、オペラの罠にはまらない、ということだった。劇の筋の運びに関係なく、ここぞとばかりに歌手が声をひけらかすことを止め、現実の社会問題を織り込んだミュージカルドラマにふさわしい自然な流れと起伏を大切にすることだった。それは成功し、物語に現実的な魅力を吹き込み、親しみやすさを生み出した。しかし、「ウエスト・サイド物語」のスコアの各所から、否応無しにクラシックの名指揮者レナード・バーンスタインが顔をのぞかせる。
 たとえば、第一幕の幕切れ前のトニー、マリア、アニタらの混声の五重唱は、モーツアルト、ロッシーニ、そしてヴェルディのオペラで約束事のアンサンブル、登場人物それぞれの胸に秘めた想い(多くは復讐の誓い)を歌で交錯させ、後半へと盛り上げて行く伝統的なオペラの手法そのものだ。
 「トゥナイト」「マリア」は今ではポピュラーな名曲だが、声域の広さ、声量共に歌手に高い実力が求められる。つまり、ミュージカルのスタイルをまとっていても、音楽作品としての「ウエスト・サイド物語」の本質は現代のヴェリズモオペラなのだ。
 バーンスタインもどこか満足がいかなかったのだろう。レコード会社と考えが一致、1984年に自身がオーケストラを指揮しソリストに有名オペラ歌手を起用した、いわばオペラ版「ウエスト・サイド物語」が録音された。
 トニー役にスペインのホセ・カレーラス、マリア役がニュージーランド出身のキリ・テ・カナワ、アニタ役をアメリカのタチアーナ・トロヤノスと、ボーダーレスな国際キャスト。「サムホエア」の声にアメリカで絶大な人気のあったアルト、マリリン・ホーンが起用された。
 このアルバムが発売された時に皮肉まじりに話題になったのは、トニー役のホセ・カレーラスの英語にスペイン訛りがあることだった。ヒスパニック系のシャーク団のベルナルド役ならノープロブレムだが、敵対するユダヤ系のジェット団のトニーにスペイン訛りがあるのは確かに少々問題。
 それ以上に、三大テノールの中で一番折り目正しく端正なカレーラスの歌は、どうみても下町の不良ではなく、奨学金を得て医科大学に進学する親孝行な優等生しかイメージできない。
 一方のマリア役のキリ・テ・カナワも、クリーミーな響きの美声は耳に心地よく引き込まれるが、ふくらみ豊かな肉感的な歌は、恋に恋するうぶな乙女というより女盛りのフェロモンを発散する「恋愛の黒帯」の熟女。しかし、楽曲本来のパフォーマンスを引き出した点で聴き応え十分な三つ目の「ウエスト・サイド物語」がここにある。
 さて、三つの「ウエスト・サイド物語」全曲盤。聴き手それぞれに好みが分かれることだろう。私はというと、少々こじんまりしているが、ブロードウェイ初演版の無名の歌手たちの覇気に満ちた歌声に、「ウエストサイド物語」の初心を感じる。
 今年のクリスマスシーズンにスティーヴン・スピルバーグ監督(製作総指揮リタ・モレノ)による再映画化版がアメリカで公開される。四つ目の「ウエスト・サイド物語」全曲盤を私たちは楽しみに待とう。