ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
ミュージック・ペンクラブ・ジャパン

クロスレビュー

最新号

追悼 オリヴィア・ニュートン=ジョン

写真
Dame Olivia Newton-John
26th Sept.1948-8th Aug.2020

ひとの何倍もの人生を駆け抜けた気骨のある女性
三塚博(ポピュラー)

 オリヴィア・ニュートン=ジョンさんが8月8日、南カリフォルニアに所有する牧場で亡くなった。享年73歳。30年にわたって乳がんと闘いながら音楽活動や一連の社会活動を維持継続してきた。
 ブロンドの愛らしい顔立ち、澄んだ心地よい歌声、清楚なイメー ジ、というのがデビュー当時からの印象だった。国境を越え、たくさんの人たちの心の奥底までそれらが浸透するのにそれほど多くの 時を必要とはしなかった。豪州を代表する世界的なスターとなり、1979年にはエリザベス女王から大英帝国勲章を授けられるまでに なった。
 大の親日家としても知られている。たびたび来日公演を行い、2015年には福島で東日本大震災からの復興を祈る追悼コンサート 「Pray for Fukushima」を開催している。昨年秋の褒章で、日本政府から「日本の音楽文化の発展と日豪の友好親善に寄与した」として旭日小綬章を授与されたことは記憶に新しい。

 彼女が米国を活動の舞台に選んだのは1971年のこと。「イフ・ノット・フォー・ユー」が米国のヒット・チャートを上昇したことと、同じ豪州出身の女性シンガー、ヘレン・レディの助言があってのことだった。1970年代の米国といえば、ポピュラー音楽シーン、それを支える音楽産業ともにマグマのようなエネルギーに満ち溢れていた。ロック、ソウル、R&B,フォークと多様な分野から 歌手やグループがキラ星の如く登場した。シンガー・ソングライ ターの登場もこの頃である。20歳そこそこのオージー・ガールがその真っ只中に一人で飛び込んだのだからそれは勇気のいる決断であっただろう。それだけの気骨を持った女性であったからこそ、今日までに様々な偉業を成し遂げたのだ。

写真
   「そよ風の誘惑」
  (Have You Never Been Mellow)(1975年)
 米国音楽シーンでは順調にヒットを出し続け、1974年リリースの 「愛の告白」は米国チャートNo.1を記録、同年度のグラミー賞最 優秀レコード賞を受賞した。翌年の「そよ風の誘惑」が再び全米 チャートNo.1に輝き不動の地位を築いていく。それをさらに強固なものとしたのは1978年の映画「グリース」だった。ジョン・トラヴォルタとの共演によるミュージカル映画は当初の予想を覆して 全米No.1の興行収入を記録。また映画公開前にサントラ盤からシ ングル・カットされた「愛のデュエット」はたちまち全米1位を記 録した。
 この頃になると日本でもラジオやテレビで当たり前に彼女の歌声が流れることになる。当時、若者文化の旗手ともてはやされたFM放 送から頻繁に聞かれたし、TVコマーシャルのBGMとしても使われるようになった。日本のファンの間では、オリヴィア・ニュートン =ジョンといえば「ジョリーン」や「カントリー・ロード」を思い 起こす人も少なくないはずだ。後者は1976年に日本でシングル・カットされオリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週 連続1位を獲得している。
 その後もELOと共演した「ザナドゥ」クリフ・リチャードとのデュ エット曲「恋の予感」アンディ・ギブとの「愛は微笑みの中に」と快調にリリースしてきた。1981年には「フィジカル」が彼女自身の最大のヒット曲となった。白いヘッドバンドに赤のタンクトップという出立の彼女は、多くのファンが抱いてきたそれまでのイメージとは異なるものだった。

 エンターテイナーとして奔走する一方で、自らのブランドを立ち上げる実業家でもあった。また動物や自然環境の保護活動に力を注いで世界中を旅したり、オリヴィア・ニュートン=ジョンがん健康研究センターの設立に尽力するなど、社会活動に多大な貢献をした実に存在感のある女性だった。
 2020年には、一連の慈善活動、ガン研究基金の財団設立そしてエンターテインメントへの貢献が認められ、大英帝国勲章第2位 (DBE)が授与された。
 安らかなる眠りをお祈りします。

ポップシーンと銀幕のスターの素顔は聡明で陽気。安らかにお眠り下さい。
櫻井隆章(ポピュラー)

 2022年8月8日に、73歳の若さで他界した、シンガーで女優のオリヴィア・ニュートン=ジョン。1992年に乳がんが見付かり、一度は克服するも2013年に再発。2021年秋の日本の叙勲で旭日小綬章を受章した際には脊椎などへの転移が進み、最早末期がんの症状だったそうだ。

 実は筆者、音楽ライターとしての活動の他、ラジオ番組制作者としても仕事をしている。そんな中で以前に制作していたのが、「レギュラーでアメリカに取材に行く番組」で、日本の放送史上(ラジオのみならず、テレビも含め)、初めての大掛かりな規模のものであった。この番組は1979年から1987年まで続いたが、その中で1985年にロサンジェルスでオリヴィアに取材をしたのである。
 この時期が実に微妙な頃で、この前年に彼女は1980年公開の映画「ザナドゥ」で共演した11歳年下のポーランド出身のダンサーの男性と結婚、当方の取材当時は何と妊娠中であった。なのだが、その時彼女は新曲のミュージック・ヴィデオの撮影中で、取材が行われた場所も、そのヴィデオの撮影スタジオの控室であったと記憶する。とは言え、ヴィデオを撮影する程だから、まだ彼女のお腹は大きくなる前であり、充分に魅力的なプロポーションは維持されたまま。そして、その控室には当のダンナ様もいたのだが、こちらが「彼にも一言訊きたい」と言ったら、そのダンナ様は「僕は、ダメ、ダメ」と逃げて行ったのだった。

 更にこの時期が彼女にとって微妙な頃だったのは、彼女の「日本は鯨やイルカを殺しているから良くない」的な発言が日本国内で問題視されていた時期でもあったこと。当然ながら当方の最大の関心事もそこにあったのだが、当人を前にしては、さすがにそれは訊けない(苦笑)。当方からの質問は、その新曲に付いて、そして近況などに終始したのであった。
 とは言え、実はその「イルカ事件」が起きたのが1978年。その後に日本の音楽関係者から事情説明の手紙が届くと、その後の来日時に音楽番組に出演した際に謝罪し、イルカと日本の漁師の共生の為にと日本公演の利益から2万ドルを寄付。ただ、あまりその件は日本国民に知られることも多くは無く、結構その「イルカ事件」のイメージは長く日本人の記憶に残ることとなったのは残念だった。
 
 以降は健康上の問題もあり、表立った音楽活動は影を潜める。近年は環境問題に取り組んでいた。素顔の彼女は至って聡明で陽気。当方の質問にも総て即答で、流石に学者家系の出であるなと思わせられたものだ。そして、当方の取材の翌年に生まれた女の子は、今は30代中盤になっているハズ。何処で何をしているのか。オリヴィアはカリフォルニアの自身が持つ牧場で家族に見守られながら旅立ったとの報道であったが、そこに彼女はいたのだろうか。謹んで、Rest In Peace……。