ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

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三浦大知「1Song Home Live」に見る音楽の世界

松島 耒仁子(クニコ)

写真  コロナ感染で世界中から歌声が消えた。
 コンサートもライブ活動も全く出来ない日々が続く中で、多くのアーティスト達がリモートを使ってコラボしたり、YouTubeで配信をしたりしている。
 その中で自分のライブ予定日に自宅から生歌を配信する「1Song Home Live」という取り組みを三浦大知が行っていた。

 彼は今年1月から6月の約半年、昨年行ったアリーナツアー「COLORLESS」のホールツアーを全国25会場で開催することを予定していた。しかし、コロナの感染拡大を受け、わずか4カ所コンサートを行っただけで残り全てのコンサートが中止に追い込まれた。 楽しみにしていたファンにとってこれほど悲しいことはない。そのファンの気持ちを掬い取るように彼は生歌の配信を始めたのだった。

 最初はトークと3曲を歌っていたが、後にInstagramでファンからリクエストを募り、その中から1曲を選んで歌っている。音源も生配信を始めた頃はカラオケのようなものだったが、その後、きちんとした音源になった。
 彼は椅子に座り、カメラに向かって歌う。
 マイクもなく、何の演出もなく、得意なダンスパフォーマンスもない。
 生歌そのものの配信は声が丸裸になる。
 息遣い、音程、リズムの刻みなど、なんの誤魔化しも出来ないファーストテイクの世界だ。
 それをずっとライブの最終日まで続けていた。その数は49曲になる。

 三浦大知は1997年、沖縄出身者で結成されたグループFolderのメインボーカルとしてデビュー。当時9歳だった。その後、変声期を経て、ソロとして再デビューしたのが2004年。翌2005年から本格始動し、ソロでR&Bの担い手として活動してきた。
 彼の歌って踊れるパフォーマーとしての実力は海外で先に認められ、「グラミー賞に一番近い日本人」と言われるほどである。しかし、それほどの実力の持ち主でありながら長年、日本ではTVなどのメディアへの露出が叶わず、不遇な状況の中、若年層で人気を博した。ネットを媒体として彼のパフォーマーとしての実力が拡がったからだ。

 彼がその名前と実力を多くの人に知られるようになったのは、2019年2月の天皇陛下御在位三十年記念式典において、当時の天皇陛下が書かれた詞に皇后様が曲を付けられた「歌声の響」を演奏したことによる。
 それまでダンスの実力を持つ歌い手という印象だったが、この曲においては、一切のパフォーマンスを行わず、歌だけで沖縄の海に響く歌声の景色を描ききった。
 その歌唱力はこれまでの彼のイメージを一気に覆すものとなり、バラード曲における彼の歌手としての実力を十分知らしめることとなった。
 この歌によって彼は、老若男女、誰もが知る国民的歌手のポジションを固めたのだ。

 彼はR&Bをソロで演奏するというスタイルだけでなく、言葉と音楽を一体化した世界を描いた「球体」というアルバムを2018年に出している。このアルバムは音楽でありながら非常に哲学的で、文学と音楽の融合という彼にしか描けない世界が見えてくる。

 彼の音楽は活動的なパフォーマーという側面とは対称的に非常に客観性に溢れており、どんな局面においても非常に冷静で音楽との距離感を持つ。
 主体的で楽曲と距離感のないアーティストが多い中では特異な存在とも言える。しかし、彼の描く音楽の世界は非常に単純で温かい。
 それは「音を楽しむ」ということ。
 彼の音楽の世界は「音とダンスと言葉の融合の世界」
 その根底に流れるものは「音楽は楽しいものだ」というシンプルなスタンスだ。

 「三浦大知の音楽の世界に触れていってください。音楽で繋がりましょう!」と彼はライブで必ず呼びかける。このスタンスこそが三浦大知の音楽の原点だ。

 「1Song Home Live」はそんな彼の気持ちから生まれたもので、どんなに困難な状況にあっても「音を楽しむ」「音楽で繋がろう」という彼からの強烈なメッセージが見えてくる。

 どんな時でも「音楽」は私達を癒してくれる。
 音楽がそばにある限り、希望も未来も失われることはない。

 三浦大知の取り組みは、私達にそう教えてくれている。