2016年12月 

  

Classic CD Review【交響曲】

「ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73、悲劇的序曲 作品81、大学祝典序曲 ハ長調 作品80 / パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン」(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、ソニー・クラシカル/SICC-10239)
  日本のクラシック音楽ではこのところパーヴォ・ヤルヴィの人気が沸騰している、と言っても過言ではない。それにしてもこの第2番は何と美しい演奏だろうか。冒頭の基本動機のチェロ、バスによってドルチェで奏でられる3つの四分音符の音の柔らかさはこの曲を聴き終わっても脳裏から離れない。その後暫くしてヴァイオリンで歌われる優しさに満ちた旋律は今回パーヴォが作り上げた絶品とも言える表現の一例である。そしてこの演奏に不可欠だったのが、パーヴォ第1の主兵であるドイツ・カンマーフィル・ブレーメンのメンバーたちである。これほどアンサンブルに長けたオーケストラは少ない。このところブラームスの第2番を聴く機会が多いが、このパーヴォの素晴らしさは図抜けている。またこの曲の後に収められている悲劇的序曲と大学祝典序曲の2つの序曲は悲しさと嬉しさを実に上手く手堅く纏めあげていてる。(廣兼 正明)

Classic CD Review【交響曲】

「ハイドン:ザロモン交響曲全集・第93番 ニ長調 Hob.I-93、第94番 ト長調 Hob.I-94「驚愕」、第95番 ハ短調 Hob.I-95/第96番 ニ長調 Hob.I-96「奇跡」、第97番 ハ長調 Hob.I-97、第98番 変ロ長調 Hob.I-98、/第99番 ニ長調 Hob.I-99、第100番 ト長調 Hob.I-100「軍隊」、第103番 変ホ長調 Hob.I-103「太鼓連打」、/第101番 ニ長調 Hob.I-101「時計」、第102番 変ロ長調 Hob.I-102、第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」、〜104番(全12曲)/ サー・トーマス・ビ−チャム指揮、ロイヤル・フィルハ−モニー管弦楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナークラシックス/WPCS-13460, 13461,13462,13463)
 ワーナー・コンプリート・再発分売新譜シリーズ。初回発売時に買いそこなったか、新しいハイドン・ファン、ビーチャム・ファンにとってはとても貴重な12曲のザロモン交響曲全曲である。それもステレオ初期(1957~59)にかけて録音されたビーチャムの貴重なLegacyである。そのビーチャムはオペラ団を作ったり、70歳少し前に今回ハイドンを指揮したロイヤル・フィルを組織したりしたかなりの富豪だった。オックスフォード大出身のビーチャムは生粋の英国紳士だが、その毒舌は有名だったという。しかしその毒舌が彼の元気の素だったらしい。今回の録音を聴いてみてもこの歳に似合わない元気さが至るところで感じられる。この演奏は確かに昔の古さをしのばせるが元気さは格別である。言い方を変えれば若さに溢れているので、彼の元気が聴く方にも迫ってくるようだ。筆者はこのハイドンを良しとしたい。そしてこのCDはこの頃の音としても決して悪くはない。(廣兼 正明)

Classic CD Review【歌劇】

「モーツァルト:歌劇《ドン・ジョバンニ》 / ドン・ジョヴァンニ=ディミトリス・ティリアコス(バリトン)、レポレッロ=ヴィート・プリアンテ(バリトン)、騎士長=ミカ・カレス(バス)、ドンナ・アンナ=ミルト・パパタナシュ(ソプラノ)、ドン・オッターヴィオ=ケネス・ターヴァー(テノール)、ドンナ・エルヴィラ=カリーナ・ガウヴィン(ソブラノ)、マゼット=グイド・ロコンソロ(バリトン)、ヅェルリーナ=クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ)テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナ」ソニー・ミュージックエンタテインメント、RCA Red Seal / SICC-30287〜9)
 ギリシャ出身の若手テオドール・クルレンツィスと手兵、ピリオド楽器オーケストラ、ムジカエテルナによるモーツァルトのダ・ポンテ3部作第2弾、「コジ・ファン・トゥッテ」が、第1弾の「フィガロの結婚」の発売5ヶ月後の今月リリースされた。クルレンツィスの演奏は、フィガロと同様にピリオド楽器独特の歯切れの良さと斬新な躍動感に満ちた明るい演奏を楽しませてくれる。そして天才クルレンツィスに鍛え抜かれた一糸乱れぬムジカエテルナの完璧なアンサンブルは、このオペラ・ブッファの価値をより大きく高めている、と言っても言い過ぎではないだろう。それ程このオーケストラは素晴らしい。言い方を変えればこの演奏の土台には先ず「ムジカエテルナ」があり、それをクルレンツィス自身が思う通りムジカエテルナを動かす所までで、既に80%が完成していると考えても良いと思う。そしてその上に6人のソリストたちが後から参加してこのオペラが100% 出来上がったと見てもあながち間違いではないように思える。尚ダ・ポンテ3部作の最後である「ドン・ジョバンニ」は来年秋にリリースされるとのことがCDケース表紙の裏面に書かれている。第2弾までを聴いたところでは、きっと素晴らしい出来上がりになるであろう。
(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】

「カンブルラン指揮読響 五嶋みどり」(10月19日、サントリーホール)
 コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は映画音楽的な甘さとは無縁の超名演、別の作品のように聞こえた。最近の五嶋みどりの特長である弱音は聴き手に集中を強いる。そのピークは第2楽章の弱音器を使った部分で、息苦しさを覚えるほど。カンブルランと読響の絢爛豪華な響きは五嶋みどりの行き方と違うが、音量はソリストを邪魔しないよう適切にコントロールされていた。
 J.M.シュタウトのヴァイオリン協奏曲「オスカー」は初演を弾いた五嶋みどりに作曲者が献呈したもの。日本初演となった。打楽器の使い方がユニークな繊細な作品で、前衛性だけではなく、保守的なヨーロッパの聴衆にもなじめるような側面があり、伝統や文化の重みも感じる。作品の繊細さと強靭さは、五嶋みどりの特長と合致している。カデンツァの迫力と、最後にヴァイオリンの音が上昇していくさまが印象的だった。
 デュティユーの交響曲第2番「ル・ドゥーブル」は、12人からなる小オーケストラが指揮台を取り囲み、その輪の外を通常のオーケストラが囲む。ふたつは重なり、時に絡んでいく。色彩感のあるカンブルランの指揮はいつもながら冴えていたが、カンブルランならもっとできるのでは、という不満は残った。まとまってはいるが、もうひとつ突き抜けた思い切りのよさがなかった。なお、最初にシューベルト(ウェーベルン編)の「6つのドイツ舞曲」も演奏された。(長谷川京介)
写真:(c)読響

Classic CONCERT Review【室内楽】

「アンドレイ・イオニーツァ チェロ・リサイタル」(10月27日、浜離宮朝日ホール)
 2015年のチャイコフスキー国際コンクール優勝者。弱冠22歳だが、豊かな音楽性の持ち主だ。右手の滑らかな動きが生み出すチェロが実に美しい。使用楽器はドイツ音楽財団貸与のジョヴァンニ・バッティスタ・ロジェリ(1671年製)という名器。
 バッハの無伴奏チェロ組曲第3番はスケールが大きい。プレリュードの深く柔らかな響きを聴いただけで、イオニーツァの音楽性に魅せられる。
シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」は憧れと悲しみの表情が良く出ており、特に第1楽章コーダで音が消えていくさまが美しかった。園田奈緒子のピアノも繊細にバックアップした。チャイコフスキー「ペッツォ・カプリチオーソ」は高音域の速弾きでテクニックの凄さを見せつけた。
 後半のチャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」は、感情過多にならず美しい響きを聴かせた。ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタは、繊細さとダイナミックさを兼ね備えたイオニーツァの特長と、作品の相性を感じた。抒情的な第1楽章から火を噴くような第2楽章へと移っていく切り替えも鮮やかで、第2楽章のフラジオレットのグリッサンドも見事。第3楽章ラルゴで深い表現力を聴かせ、第4楽章はピアノと一体となり緻密な演奏を聴かせた。
 ルーマニア、ブカレスト生まれのイオニーツァは、アンコールでバルトークのルーマニア舞曲と、ディミトレスクの「ルーマニアン・ダンス」を弾き、自国ものならではの乗りの良さを聞かせた。フォーレ「夢のあとに」は持ち前の美音を披露した。次に聴くときどれだけ成長しているのかが楽しみなチェリストである。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 バンベルク交響楽団 ブルックナー:交響曲第7番ほか」(11月4日、東京オペラシティコンサートホール)
 会場で会った知人の多くがブロムシュテットのブルックナーを絶賛する中、一人輪の外にいた。座席は3階3列目中央。全体がバランス良く聞こえるが、ステージから遠い。そこで聴いたので、個人的な感想である点をご容赦願いたい。
バンベルク交響楽団の技術は決して一流ではないと思った。オーボエは問題ないが、木管が平凡。トランペットとトロンボーンが時々音をはずす。ワーグナー・テューバも第1楽章終結部が揃わない。ただそれ以降は良くなった。弦は、ヴィオラとチェロの中音域が素晴らしいが、第1ヴァイオリンはよく揃うものの迫力はない。コントラバスのピチカートの響きがよい。うまい奏者とそうではない奏者が混在している。
第2楽章アダージョの展開部からようやくオーケストラにまとまりが出てきた。練習番号Sからの、楽章最大のクライマックス(ノヴァーク版ということだったが、シンバル、トライアングルは叩かれなかった)は、良くまとまっていた。しかし、身震いするような感動はなかった。厳格な菜食主義者であるブロムシュテットの指揮が淡泊なこともあるのだろう。「粘り」が感じられない。最後のワーグナー・テューバとテューバの5人のハーモニーは素晴らしかったが。
 第4楽章も清潔でピュアな印象はあった。金管は悪くはないのだが、圧倒的な迫力で迫ってくるものではない。コーダのティンパニも名手の技という感じはなかった。非常に端正なブルックナーの7番だが、ブルックナーを聴いたという充実感は少なかった。
最初のモーツァルトの交響曲第34番のほうが内容的に良かった。ノンヴィブラートに近い透明な弦で、中でもヴィオラとチェロが充実しており、そこに木管と金管が絶妙のバランスで溶け込んでいく。音楽には、一本筋が通っており、格調が高かった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ「ミサ曲ロ短調」」(11月11日 東京オペラシティコンサートホール)
 バッハのミサ曲ロ短調は、東日本大震災の年に聴いたヨス・ファン・フェルトホーヴェン指揮オランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団がとても温かく人間的な演奏で心が揺さぶられたことを思いだす。
 今夜のバッハ・コレギウム・ジャパン(以下BCJ)の演奏の印象を一言で言うと、「バカラのクリスタルのように磨かれ、洗練された美しいバッハだが、その冷たい触感とよそよそしさに、喜びはあまり感じられなかった。」というもの。
 BCJと鈴木雅明は、合唱もソリストも古楽器オーケストラも、「完璧」というゴールを目指しているように思える。ハーモニーやピッチ、イントネーションやアーティキュレーションの正確さは、確かにレベルが高い。合唱の透明感、オーケストラの正確さ、誠実な演奏ぶりは印象的だった。ただホルン(オリヴィエ・ピコン)と3本のバロック・トランペットはあまり調子が良くなかったが。
 自分にとって不思議だったのは、感情表現の薄さ。全体に客観的で冷静な演奏ぶりだ。典型は第17曲「クルツィフィクスス」。<われらのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られたまえり>と歌われるところは、受難の苦しみ悲しみが生々しく感じられない。
 もう一点は、バッハを歌うという喜び、楽しさよりも、厳格な追及、正確さが先に来ているように思えること。
 良かったところは、第8曲「ドミネ・デーウス」のソプラノ(朴瑛美)とテノール(櫻田亮)の天上的な二重唱や第24曲「アニュスデイ」のダミアン・ギヨシ(アルト)の滑らかで美しい歌唱。
 とても美しく素晴らしい演奏だとは思うが、BCJの目指す方向と、自分の好みとは違うことを感じたコンサートだった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ワシリー・シナイスキー指揮 新日本フィル」(11月14日、サントリーホール)
 シナイスキーと新日本フィルの共演は初めて。最近の定期では、最も心豊かになるコンサートだった。演奏後の楽員の充実した表情を見るのも久しぶりだ。 
 シナイスキーの優れた点は、まず人間性。楽員を威圧しない。第2に演奏しやすい環境づくり、すなわち各パートとオーケストラのバランスを保つことに長ける。第3に「音楽性」がとびぬけている。音楽が内側からあふれ出てきて生き生きしており、指示が明解で筋が通っている。
 ショスタコーヴィチの交響曲第9番は生命力があった。軽やかな第1楽章はシナイスキーにぴったり。第2楽章以降は、新日本フィルの優れた木管奏者たちの名演を引き出す。第3楽章スケルツォ冒頭の難しいクラリネット・ソロが名演で、その乗りの良さがトランペットに伝搬、ついでオーケストラ全般に良い影響を与えるという理想的な循環が実現。第4楽章でのファゴットのソロと、続く金管のファンファーレも素晴らしかった。好調なファゴットがそのまま第5楽章の冒頭の主題を吹き始め、オーケストラも全員が集中し盛り上がっていく。鮮やかなコーダ。言うことなしの名演だ。
 チャイコフスキーの交響曲第5番のテンポは速め。チャイコフスキーとは思えないくらい明るいが、各パートのバランスが自然で無理がない。どの奏者も余裕を持って演奏している。ホルンがあれほど楽々と気持ちよさそうに第2楽章冒頭ソロを吹くのを見るのは初めてではないだろうか。その第2楽章の何度も訪れるクライマックスで鳴らされる金管のフォルティシモの輝かしさ。少し軽めだが、金管本来の輝かしく華やかで、突き抜けるような快感を覚える響きは、これまでの新日本フィルでは聴いたことがないものだった。
 チャイコフスキーというと、重く引きずるようなテンポ、慟哭するようなたっぷりとした歌いまわしのイメージが強いが、シナイスキーは、チャイコフスキーの書いた音楽そのものを、余計な飾りを排してすっきりと描く。しかし、内容は実に豊富で、どのフレーズをとっても音楽のバランスが良く、明解に構造が見通せ、鳴るべき楽器がきちんと鳴っている。名匠と言うしかない。シナイスキーにはぜひとも再演にきてほしい。
(長谷川京介)

写真:(c)Marco Borggreve

Classic CONCERT Review【声楽】

「第18回「中屋早紀子メゾソプラノ リサイタル」」(11月17日、よみうり大手町ホール)
 中屋早紀子のリサイタルは、これまでに何度か接してきたが、彼女の音楽を聴いていると、どこでどうというあからさまな手口を見せず、聴き手を自然にプログラムの終りまで優雅に案内してしまうのである。技巧や表情を前面に出すのではなく、品性を守り抜く志操と、人間的な暖かさとが、微妙に調和しており、本当に中屋早紀子の歌に対する感情と共感から出発し、それを貫いている事が彼女の音楽的特徴ではないであろうか。
 プログラムの前半はドイツ歌曲。ベートーヴェン「ゲレルトの詩による6つの歌」、シューベルト「ゲーテの詩による歌曲」、マーラー「子供の魔法の角笛」よりラインの伝説、この世の生活、美しいトランペットが鳴り響く所の三曲が演奏された。中屋早紀子は、通常の知的な把握を超えた本当の意味での「理解」をドイツ・リートの対して所有していると思う。どの曲も美しかったが、特に印象に残ったのは、糸を紡ぐグレートヒェン(戯曲「ファウスト」より)である。柔らかく湧き出て、人の心を優しく包み込むような叙情があった。聴きても作曲者の内面の声にじっと耳を傾けていたに違いない。
 プログラムの後半は石桁真礼生の「二つのはなし」と平井京子の「聖母への三つの歌」、初演曲は平井京子の「あられふりける」三好達治の詩によるメゾソプラノと三味線のためにである。ここでは初演局に触れておく。この作品は三味線でうたわれる歌曲であり、たいへんきめ細かく作り上げられ、ピアノ伴奏とは一味違い、内容的な質も自然であった。三味線は本條秀慈郎。
 ピアノ伴奏は渡辺晴子であり、どの作品も神経が行き届き、美しい流れを作り出し、中屋早紀子との呼吸もぴったりと一致していた。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan ホール・オペラ ワーグナー:楽劇『ラインの黄金』」(11月18日、サントリーホール)
 ティーレマンのワーグナー指揮者としての真骨頂を聴いた。ワーグナー演奏の伝統を受け継ぐシュターツカペレ・ドレスデンの持つ、奥深い暗めの響きを最大限生かしながら、ティーレマンは細部まで知りぬいた「指輪」の世界を深く追及していく。指揮者とオーケストラがこれほど緊密な意思疎通を行うのを見るのは驚きであり、ワーグナーで結ばれた両者の強い絆を目の当たりする思いがした。
 冒頭のホルンこそわずかに乱れたものの、それ以降はシュターツカペレ・ドレスデンの演奏に圧倒された。ヴァイオリン(対向配置)のシルクの響き。ヴィオラとチェロの重層的で内から湧き出る豊かな音。コントラバス(8台)の分厚く奥の深い響き。木管のほの暗い音。ほれぼれとするほど豊かなホルンとワーグナーテューバ。英雄的なトランペットと厚く重厚なハーモニーを聴かせるトロンボーン。存在感のあるティンパニなど、シュターツカペレ・ドレスデン独特の音に魅せられるばかり。これらの名手たちの創りだすオーケストラの響きこそ、ワーグナーが思い描いたものに違いない。
 ティーレマンの指揮は、微に入り細に入り、実に細やか。歌手よりもオーケストラがワーグナーの世界を雄弁に、具体的に、深い心理までも語る。巨人たちが登場する音楽の奥行きのなんと深いこと。
 第4場でアルベリヒが指輪に呪いをかける場面で「指輪の主人は指輪の奴隷となれ」と叫んだ後のオーケストラの和音の強烈な響きと、底知れないゲネラルパウゼには畏怖を覚える。幕切れのトランペットが奏する「剣の動機」の抑えた格調高い響き。この音はここでしか聴けないという感慨が深まる。
 オーケストラの圧倒的な出来栄えと較べると、歌手陣はやや迫力に欠ける。良い歌手たちなのだが、ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンが素晴らしすぎるのだろう。フリッカの藤村美穂子と、ファーゾルトのステファン・ミリング、そして個人的にはこの夜一番の出来だと思ったファフナーのアイン・アンガーが出色だった。
 ホール・オペラということで、P席前に高く組まれた舞台の上で歌手たちは歌うが、狭い空間は動くのが難しい。プロジェクションマッピングの使用はなく、簡素な演出だった。今年聴いたコンサートの中で、圧倒的な印象をもたらしたもののひとつであることは間違いない。(長谷川京介)

写真:(c) Matthias Creutziger

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル」(11月19日、すみだトリフォニーホール)
 「すみだ北斎美術館」開館(11月22日)記念企画。葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を自作交響詩「海」の表紙にするなど、北斎の浮世絵に魅せられたドビュッシーにちなみ、ロジェが弾くステージのバックに、曲のイメージに合った北斎の浮世絵を映すという企画。しかし率直な感想として、映像の質があまりよくないのと、絵と曲のイメージが違い過ぎ、落ち着かないことおびただしい。途中からスライドは見ないで、演奏だけに専念することにした。
 ロジェのドビュッシーの前奏曲集は、繊細で薄いタッチで弾かれ、独特の響きを作り出す。それは水の流れのようでもあり、漂う大気のようでもあり、水彩画のようでもあった。ただ第1集も第2集も、各曲が同じようなアプローチで、たんたんと弾かれるのは単調に感じた。「音と香りは夕暮れの大気に漂う」と「沈める寺」があまり違わない表現というのも、どこか納得が行かなかった。ただ、「花火」はさすがにテクニックの冴え、華やかな色彩感があった。
この夜の白眉はアンコールの「月の光」。一音一音タッチとニュアンスが異なり、アーティキュレーションは魔法のように滑らかで、妖しい雰囲気を醸す。神秘的で耽美的、浮遊する幻想を見るような「月の光」は絶品だった。続いて弾かれたサティの「ジムノペディ第1番」が、これまた凄かった。ドビュッシーとは全く違う別世界。どこか遠くから響いてくる音楽、過去から流れてくる音楽のようだった。(長谷川京介)

写真:(C)Nick Granito

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「小山実稚恵の世界 ピアノで綴るロマンの旅 第22回」(11月19日、オーチャードホール)
 12年24回におよぶシリーズも、今回が終わるとあと2回を残すのみとなった。1回も欠かすことなく続けてきた小山実稚恵に敬意を表すとともに、その強靭な体力と精神力を讃えたい。厳しい自己管理なくしてはできない偉業だと思う。ただご本人は会うたびに、まったくそのようなそぶりは見せず、いつもにこやかに話しかけてくださるのだが。
 小山実稚恵のコンサートでいつも感じるのは、彼女の演奏は女神のように聴く者に癒しと慰めを与えてくれるということだ。どこか宗教めくが、小山実稚恵のコンサートに来る人は皆幸せな気持ちになり、よい気分でホールを後にできるのではないだろうか。今日も満席の客席を見てそう思った。
 ベートーヴェンの後期のソナタから、第30番が最初に弾かれた。出だしの第1主題のドルチェは文字通り甘く柔らかで、たとえようもなく優しい。これぞ小山実稚恵の世界。第3楽章の6つの変奏は激しい部分よりも、主題が祈りのように終わる第6変奏が最も素晴らしかった。
 ブラームスの6つの小品は、第3曲バラードはやや叩きすぎ。小山らしくなかった。小山自身ブラームスの小品の最高傑作と言う第6曲間奏曲は難しい。小山が苦心惨憺している様子は伺えるのだが、曲の本質をよくつかめないうちに終わってしまったという印象だった。
 最後のシューベルトのピアノ・ソナタ第20番D959は、やや速めのテンポで進められた。この曲は2分、4分、8分、16分音符という音価(音の長さ)によりテンポ感を出していると、事前のレクチャー&サロンで音楽学者平野昭氏が語っていたことを思い出す。今回のテンポはそういう譜読みの上で決められたのかもしれない。ただ提示部を繰り返さなかったのは不思議だった。この曲でも第1楽章第2主題のような歌謡性のある部分が小山らしく、第2楽章、第4楽章の抒情性も素晴らしい。今はシューベルトに深く傾注していると語った小山実稚恵の愛情が感じられる名演だった。(長谷川京介)

写真:(c)ND CHOW

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】

「NHK交響楽団1848回定期公演」(11月20日、NHKホール)
 デイビット・ジンマンを迎えてのオール・シューマン。曲目は、マンフレッド序曲、ピアノ協奏曲(Pf.アンスネス)、休憩を挟んで交響曲第3番「ライン」。
 曲順は前後するが「ライン」から述べる。ジンマンは冒頭のEs-durの主和音を強靭に奏しすぐにfpをかけた。冒頭和音がまるでベートーヴェンの「英雄」かのように響いて驚かされた。「これはシューマンの英雄なんだ」といわんばかりである。fpすると跳躍進行による第一主題と2つのリズム動機がシンコペーションの明晰なアクセントを伴ってこれ以上なくクリアに響く。これに類する演奏となるとスクロヴァチェフスキが思い起こされるが彼はマーラー編曲版からのアイデアを引用し響きの合理化を図っている。それに対してジンマンはブライトコプフ新版に依拠しての正面突破だった。シューマンのオーケストレーションは「木管と弦の重ねすぎ」がしばしば指摘されるが、それすら有意味に響かせる。また、4本のホルンがときに和声の充填を、ときに勇壮な旋律を担当し大活躍であった。特に印象的だったのは第一楽章再現部直前のL(367 小節)。Hr.はまず遠くから響いてくるように断片を奏し、主題の完全な音型に入ると同時にそれをfffで高らかに歌い上げた。実に芸が細かい。第5楽章のコーダでTb.が登場すると、絡み合った動機の結び目が解れてゆき視界が開けるような高揚を味わった。厚塗りせずに明晰さを終始保った結果の勝利である。
 ピアノ協奏曲も、ソリストのアンスネスがスマートながらその中から優しい歌心が溢れてくるようで見事だった。変イ長調に転調する第一楽章展開部でのクラリネットとピアノの親密なかけあいは体温を感じさせとりわけ美しい。ジンマンとN響も素晴らしい。特に第2楽章からアタッカでフィナーレに入る際、第一楽章の主題を長調と短調で2回回想するが、一歩足を止めてそこから思い切って輝かしい未来へ踏み出すような表情の陰影には惹きこまれた。マンフレッド序曲は、展開部ヘ短調でのTp.とFl.の和音の荘厳な響き、続く嬰へ短調の翳りの濃い低弦の立体感(Vc.とCb.が反行する)が印象に残った。NHKホールの劣悪な音響をものともしないジンマンの職人技とそれに見事に応えたN響楽員に盛大な拍手が送られた。座席は2階Rブロック前列。(多田圭介)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「第20回相曽賢一郎ヴァイオリン・リサイタル2016」(11月24日、東京文化会館小ホール)
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番BWV1003 / 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番BWV1006 / 無伴奏チェロ組曲第5番BWV1011(ヴィオラによる演奏) / 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番BWV1005
 暖かくて、優しい気持ちにさせてくれたバッハだった。力強く人を圧倒するような演奏ではなかったが、それがよかった。相曽の温厚さが音楽に現れていたのであろう。音楽というより快い響きに全身が包まれた。重音奏法の的確さに魅了された。無伴奏チェロ組曲をヴィオラで弾いてくれたが、それがリサイタル全体に変化とメリハリを付けれくれた。ヴィオラとヴァイオリンの音、響きの違いをこれほどはっきり聴かせてくれたのは面白かった。作品の鑑賞としては後半のチェロ組曲のサラバンドの語り、ガヴォットの親しみやすさ、そして最後の無伴奏ソナタの全曲、特にフーガとアレグロ・アッサイは圧巻だった。一人で一つの楽器で一夜のリサイタルを完遂するのは、想像を絶する努力と力量があってこそだと思うが、十分に楽しめた。(石多正男)