2016年9月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲】

「R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 作品35、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら、「ばらの騎士」組曲 / パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団、トゥルルス・モルク(チェロ)、佐々木亮(ヴィオラ)」(ソニー・ミュージックジャパン、デッカ/UCCD-1432)
 日本を代表するオーケストラ、N響のCDがメジャー・レーベルから発売されることは大変結構なことである。これまで長い間、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルを始めとする多くの外国の有名オーケストラがメジャーのCDカタログを賑わせて来たが、ようやくN響もCD市場でも良く名前を見かけるオーケストラとして登場する期待を感じさせてくれる。 日本の音楽ファンとしても喜ばしい事であろう。既に日本のN響は世界でもトップクラスのオーケストラであることは今回のパーヴォ・ヤルヴィをはじめとしてN響に数多く客演する外国人指揮者の間でも完全に認められている。
 今回は前回15年9月発売の「英雄の生涯」と「ドン・ファン」に続くパーヴォ・ヤルヴィとN響による「R.シュトラウスの交響詩チクルス」第2弾であり、第1弾から言われているこのコンビの相性の良さは格別で、今回も第1弾に勝るとも劣らない名演である。ソロはドン・キホーテ役のトゥルルス・モルク(チェロ)と サンチョ・パンザ役の佐々木亮(N響首席ヴィオラ)で、二人の素晴らしいソロも聴き物だ。そしてこの二人を支えているN響の色彩感覚は蓋し絶品である。この演奏を聴くとしみじみとパーヴォの偉大さを感じることができるだろう。(廣兼 正明)

Classic DVD Review【交響曲、協奏曲(ヴァイオリン)】

「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61、交響曲第6番ヘ長調 Op.68《田園》 / ベルナルド・ハイティンク指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)」(キングインターナショナル、EURO ARTS/KKC 9164)
 今回のDVDはこのところ人気上昇中のドイツ人女性ヴァイオリニスト、イザベル・ファウストと86歳の今も矍鑠とした指揮振りを見せるオランダの名指揮者、ベルナルド・ハイティンクによる2015年4月にドイツのバーデン=バーデン・イースター音楽祭で収録された最新ライヴである。前半に収録されているヴァイオリン協奏曲でイザベルは彼女のベートーヴェン感を曲の隅々まで行き渡らせることに成功したと言って良いだろう。その一つは他のソリストが殆ど使わないティンパニ入りのピアノ協奏曲用カデンツァをヴァイオリン用にアレンジしたカデンツァであり、これが実に素晴らしい効果をもたらすこととなった(特に第二楽章から第三楽章へのブリッジ部分)。そして第二楽章に於けるピアニッシモを極めた正に擦れんばかりの奏法による見事な効果である。
 そして後半の「田園」の何と爽やかなことか。筆者にとってこれほどアンゲネームな「田園」は初めてである。86歳の年を感じさせない万年青年と大きく若返った名門オーケストラのコンビが予想だにしなかった完璧な演奏を再現させてくれたのだ。この1枚のランニングタイムは筆者にとって至福の時と言う以外に言葉が見当たらない。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オペラ】


チョン・ミョンフン 東京フィル プッチーニ「蝶々夫人」(演奏会形式)(7月22日、サントリーホール)
 チョン・ミョンフンが、オペラ指揮者として真価を聞かせた。これほど深く、劇的な、プッチーニの「蝶々夫人」を、聴いたことはない。ミョンフンの指揮は、冒頭から最後まで緊迫感を保ち、勢いある水流のようにしなやかに、力強く進む。ミョンフンと東京フィルの創りだす音楽は、雄弁で繊細。劇の進行をリードし、登場人物の心理をきめ細やかに反映する。ミョンフンに献身的に応えた東京フィルは破格の名演。オーケストラがこのオペラの主役ではないか、と思わせた。
 歌手では、蝶々夫人を歌ったヴィットリオ・イェオを讃えたい。第1幕の初々しい花嫁から、第2幕の強く誇り高い母としての蝶々夫人までの成長を、見事に演じ分け、「ある晴れた日に」をはじめ、長丁場を力強く歌い切った。長身を生かした声量と、舞台映えする存在感。何よりもその若さが、蝶々夫人に最適だった。 
 ピンカートンのヴィンチェンツォ・コスタンツォも25歳と若い。声量も、声の伸びもあり、圧倒する存在感はさすがにないが、世間知らず、怖いもの知らず、無知で傲慢なピンカートンにぴったり。
 シャープレスの甲斐栄次郎も素晴らしい出来。声量、声の質、たたずまい、いずれも堂々としたものだ。スズキの山下牧子も、奥ゆかしく、控えめで、情に厚いスズキにぴったりの、温かで奥行きある声で、存在感を示した。新国立劇場合唱団は、第1幕で蝶々夫人とともに登場する友達の女声合唱や、第2幕ハミングコーラスで、きれいなハーモニーを聴かせた。ミョンフンの卓抜の指揮が合唱の力を引き出した。
 指揮者、オーケストラ、歌手、合唱が一体となった熱演に、終演後はスタンディング・オベイションとなった。オペラの音楽自体を味わうには、演奏会形式が優れていることを如実に示す好企画だった。(長谷川京介)

写真:(c)上野隆文

OPEN LECTURE Review【オーケストラ】

「マエストロの白熱教室2016 指揮者・広上淳一の音楽道場」(7月24日フィリアホール)
 広上淳一が、東京音楽大学の指揮科の学生たちに行っている授業を、そのまま公開するユニークなイベント。
 この日は、ベートーヴェンの交響曲第7番が課題曲。4人の学生が1人1楽章ずつ指揮、その後、広上ら講師が講評する。オーケストラは東京音大生によるものだが、ティンパニは元名古屋フィルの首席、藤田崇文が参加。小型だが、よくまとまったオーケスラだ。
指揮を始める前のあいさつから、広上の叱責が飛ぶ。「声が小さい!」。確かに何十人ものオーケストラに指示を与えるためには、大きな声で、はっきりと伝えなければならない。
さて、学生たちの指揮だが、大きな破綻はない。ただ、4人とも音楽が流れているだけで、深く訴えてくるものはない。
 第1楽章を指揮したNJ君に、広上からのアドバイスは、「同じことをやっていても音色を変えなさい。音が移る瞬間が大事。そこはドルチェだろう。どう振ってもいいが、わかって振りなさい」と、厳しい。
第2楽章はA君。彼を紹介する広上の言葉は辛らつだが温かい。オーケストラのメンバーからは「木管とホルンが出した音に最後まで責任を持ってほしい。何かを恐れている。」と言われ、ティンパニの藤田からは「深みがない」と一言。講師の一人、東京交響楽団のセカンドヴァイオリンの女性は「縦の線はリーダーについていけばいい。中につまったものをどう対処するか指示してほしい。」と指摘された。
 休憩をはさみ、後半はS君が第3楽章を指揮。音楽の奥行きがあってとてもよい。講師陣も「肩の力が抜けていていい」と高評価。「どういう気持ちで指揮しているか」と聞かれ、S君は「イメージから入ります」と答えていた。
 第4楽章はNI君。身体が固く、いろいろ指示は出すが、音楽がワンパターンに感じられた。広上から「2拍目のビートがどこに行くかわからない」と言われ、もう一人の講師からも「アタマを振っているのか、ウラを振っているのか、わからない。」と指摘があった。先の東響の奏者は「オーケストラのpは全体としてpであって、一人一人がピアニッシモで弾いて、ちょうどpになる。ソリストとは違う。」という貴重なアドバイスもあった。
  4人のあとは、一般人からなる聴講生や、1年から3年生の学生たち、総勢14人くらいが、ベートーヴェンの7番の一部を交替で指揮していった。かつて、NHKTVがドキュメンタリーでこの教室を紹介していたが、その時より広上の言葉使いは優しかった。フィリアホールを満席にした聴衆を前に遠慮したためだろうか。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】


「チョン・ミョンフン 東京フィル <チョン・ミョンフンの情熱>」(7月27日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
 フェスタサマーミューザのコンサート。ヴァイオリンはクララ=ジュミ・カン。
 ミョンフンは21日に同じチャイコフスキー交響曲第4番を指揮した後、22日、24日の「蝶々夫人」(演奏会形式)をこなしており、中2日でのコンサートは、疲労がないと言えばうそになるかもしれない。
 交響曲第4番は、全体にゆったりとしたテンポ。金管は余裕を持たせながら、たっぷりと吹奏させ、木管もよく歌わせる。16型のオーケストラの中低音は豊か。コーダはテンポを速めて、緊迫の度合いを強め、東京フィルも熱く盛り上がり、多数のブラヴォを呼んだ。ただ、「蝶々夫人」の名演を聴いてしまった耳には、少し精彩がなかった。
 むしろ、前半のヴァイオリン協奏曲の方が、個人的にはよかった。クララ=ジュミ・カンが素晴らしい。品の良い美音、繊細な弱音。自然な流れで、無理がない。過剰な表現や、にぎにぎしさはなく、すっきりとしている。ドイツ、マンハイム生まれの韓国系ドイツ人で、父はバイロイト音楽祭の常連、オペラ歌手のフィリップ・カン。彼女の演奏は、ヨーロッパ育ちの伝統を感じた。ミョンフンの指揮も万全で、ソウル・フィルとの韓国ツアーをこなした二人は、お互いの意志の疎通が充分であることをうかがわせた。カンがアンコールで弾いた、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ラルゴは、儚いほどに繊細だった。(長谷川京介)

写真: (c)青柳聡
提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

Classic CONCERT Review【オーケストラ】




「川瀬賢太郎 神奈川フィルハーモニー管弦楽団〈モーツァルトへのオマージュ〉」(8月5日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
 これもフェスタサマーミューザのコンサート。川瀬賢太郎は、これまでも東京フィルや母校東京音大のオーケストラで何度も聴いてきたが、彼が常任指揮者を務める神奈川フィルとの演奏を初めて聴く。すごい才能のある指揮者だということを改めて確認した。
 何がすごいのか。それは、音楽の生命力とエネルギー。内から湧き起る強い力に満ちた音楽は、聴く者の心を鷲掴みにする。また、フレーズの作り方に、譜読みの深さを感じる。例えば公開リハーサルでモーツァルト「フィガロの結婚」序曲最初の7小節を、一息でひとつのフレーズとして吹いてほしいと木管に指示するなど、きめ細かい。
 今日の白眉は、R.シュトラウス歌劇「ばらの騎士」組曲。中でもアンコールでも演奏された、スネアドラムから始まる終曲の爆発力は凄まじかった。神奈川フィルの響きの密度の濃い強奏は、分厚い音の塊となって向かってくる。
 ソプラノの高橋維(たかはしゆい)によるR.シュトラウスの歌曲4曲(「わたしは小さな花束を編もうとした」「明日には!」「セレナーデ」「万霊節」は、繊細で情感も出ていたが、声量が足りず、表現と奥行きがやや浅い。 
 神奈川フィルの首席二人(ヴァイオリン:崎谷直人、ヴィオラ:大島亮)によるモーツァルトの協奏交響曲変ホ長調K.364は、気心知れたオーケストラとの一体感が感じられた。
 川瀬の指揮でひとつリクエストがある。それは「ワルツ」。数年前、東京フィルとのベルリオーズ「幻想交響曲」でも、第2楽章舞踏会のワルツがどこかぎこちなかったが、今日も「ばらの騎士」の「ワルツ」は遊びがなく、硬さが感じられた。ウィーン風の優雅で洒落た感覚のワルツが聴けたら、更に良かった。(長谷川京介)

写真:(c)青柳聡
提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

Classic CONCERT Review【ピアノ】


「中桐 望ピアノ・リサイタル」(8月7日、尾上邸音楽室)
 音楽ネットワーク「えん」主催のサロン・コンサート。中桐 望(なかぎり のぞみ)は、2012年浜松国際ピアノ・コンクールで歴代日本人最高位第2位。昨年1月にオクタヴィアレコードから「ショパン&ラフマニノフ」を発売している。
 中桐のピアノを一言で表すと、「中庸の美」。癖がなく、素直で伸び伸びとしている。プログラムのテーマは「幻想=ファンタジー」。
 モーツァルト「幻想曲」ニ短調は冒頭の分散和音の響きが深い。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」は、ピアノの美しさ(会場のピアノはベーゼンドルファー)を無理なく引き出す。
 ショパン「幻想曲」は変イ長調の主題に広々とした世界が感じられた。ショパンのバラード第3番は複雑な難しい作品。中桐の演奏から確たるものを感じ取ることができなかった。もっとも聴き手がわからないだけかもしれないが。
 後半はグリーグ「ペール・ギュント」組曲「朝」から始まり、続いてピアノ・ソナタが演奏された。ロマンティックで素朴な内容が中桐に合っている。
 中桐にはシューマンもぴったりだと思っていたが、「幻想小曲集」では、第2曲「飛翔」の自由に空を舞うような表現が爽快。第8曲「歌の終り」の開放感もよい。最後の和音が、1曲目モーツァルトの「幻想曲」冒頭の分散和音を思わせ、プログラムがひとつの輪のようにつながっているように思われた。終了後のパーティーで本人に聞くと、そこまでは意図してはいなかったとのこと。
 リサイタルの前に、プレコンサートがあり、妹の中桐かなえが、姉の伴奏で、日本の歌曲、レスピーギ「舞踏への招待」、プッチーニ歌劇「ラ・ボエーム」より「私が街を歩けば」、クルティス「忘れな草」を歌った。弱音を生かす歌唱であればさらによかったのではないだろうか。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「PMFオーケストラ東京公演 指揮:ワレリー・ゲルギエフ ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス」(8月9日、サントリーホール)
 ゲルギエフの指揮は、繊細で緻密。メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」は、微妙なグラデーションを描くようにpとppの変化をつけていく。テンポは遅めで、明るいカラッとした「イタリア」ではない。流れるような弦と、トリオに幻想的なホルンの二重奏が登場する第3楽章は、夢のようだった。
 この夜のハイライトはカヴァコスによるブラームスのヴァイオリン協奏曲。カヴァコスの特徴とは何か。アンコールに弾かれたバッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番よりアンダンテ」を聴いて、はっきりわかった。それは「音楽に意味を与えること」「音楽の背後にある広大な世界を表現できること」。昨年聴いたエリソ・ヴィルサラーゼのピアノに通じるものがある。彼の弾く、ひとつのフレーズ、全体を貫く音楽は、言葉で何かを語るかのように、メッセージが伝わってくる。
 もちろん、カヴァコスのやわらかく美しい、芯のぶれない、品格を感じさせる響きは最大の魅力ではある。しかし、その響きは何を表現したいのか明確だからこそ、聴く者に感銘を与える。カヴァコスはブラームスが寄って立つ、ヨーロッパ音楽の重層的な伝統を、聴き手に説いて示すように弾いた。第1楽章のカデンツァの誇り高い演奏、第2楽章アダージョ中間部の詩を詠むようなヴァイオリン、第3楽章の堂々としたスピーチのような表現など、全て説得力があった。
 ショスタコーヴィチの交響曲第8番は、メンデルスゾーンと同じく、室内楽を聴くような精密さと静寂が際立っていた。ゲルギエフはオーケストラを徹底的にコントロールし、第4楽章ラルゴで深い感銘を与えた。第1楽章最後のイングリシュホルンの長いソロをはじめ、第3楽章行進曲風の部分でのトランペット、第5楽章冒頭のファゴット、チェロとオーボエなど、PMFオーケストラの各奏者たちも見事な腕前。ショスタコーヴィチらしい突然のアレグロや、長い上昇を続けるクライマックスもパワフルだったが、それらは見事な弱音があればこそ引き立つ。低音弦の静かなピチカートで終わる第5楽章のコーダと、会場内に保たれた20秒近い静寂は、演奏の感動をより深くした。(長谷川京介)

写真:(c)PMF組織委員会