2016年1月 

  

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】


「ホロヴィッツ / ライヴ・イン・シカゴ 1986 《D.スカルラッティ:ソナタ ホ長調 K.380、ソナタ ホ長調 K.135、モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540、ロンド ニ長調、K.485、ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330(300h)、スクリャービン:練習曲 嬰ハ短調 作品2の1、練習曲 嬰ニ短調 作品8の12(以上CD-1)、シューマン:アラベスク ハ長調 作品18、リスト:ペトラルカのソネット 第104番、ウィーンの夜会 第6番、マズルカ 嬰ハ短調 作品63の3、マズルカ ヘ短調 作品7の3、スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20、《アンコール》=シューマン:トロイメライ 作品15の7、モシュコフスキ:花火 作品 36の6、ラジオ・インタビュー1、2》/ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォンUCCG-1723~4)
 このCDの元となった録音テープは今から2年前の2013年、シカゴで最古のクラシック・ラジオ局WFMTで発見されたものである。ウラディーミル・ホロヴィッツは1903年10月1日、キエフのユダヤ人一家に生まれたが、23歳の1926年1月に生まれ故郷のロシアを離れ、ベルリンで西ヨーロッパ・デビュー、そして2年後の1928以来、彼の第2の故郷とも言えるアメリカに居を移した。そしてホロヴィッツはアメリカの中でもシカゴという街に対して大変気に入っていたようだ。生涯40回に近い数のコンサートをシカゴで開いており、シカゴでの人気も突出していたという。そして1986年に行われたこのテープに遺された録音もホロヴィッツが考えた、大好きなシカゴ市に対する最後の贈り物としてのシカゴのオーケストラ・ホールに於けるリサイタルを、クラシック・ローカル局WFMTが録音し1回だけ放送されたものである。
このCDでもホロヴィッツの演奏は考えられない程の強烈なフォルティッシモから、同じ弾き手とは思えないほど繊細なピアニッシモ迄、彼の卓越した表現力が聴衆を感動させたことが明らかに分かる。ホロヴィッツは渡米して以来、RCA、CBS,そして再びRCAに移動し、最後にはドイツ・グラモフォンの専属となったが、その間何回も演奏活動を中止していた時期もあった。しかしレーベルを変わる度に以前よりも人気度が上がったこともあったようだ。このCDを聴いてみると、1枚目のD.スカルラッティとモーツァルトの見事なタッチと音の切れ、2枚目は特にリストの「ウィーンの夜会(シューベルトによる)」と最後のモシュコフスキが素晴らしい演奏だ。このアルバムを聴いた後、83歳にしてこれだけ崩れのない完璧に近い演奏を楽しませてくれるホロヴィッツの凄さに驚きを禁じ得ない。そしてこのCDの余白には1986年10月25日と1974年10月30日の2回に分かれて放送されたラジオ・リサイタルのラジオ・インタビューがすべて英語で収録されている。しかし残念ながらインタビュー原文・日本語訳共ライナーノーツには印刷されていない。(廣兼正明)

Classic CD Review【器楽曲(チェロ)】

「PLAY〜チェロ小品集《モンティ:チャルダッシュ、エルガー:愛の挨拶 作品12、パガニーニ:ロッシーニの「エジプトのモーゼ」の主題による一本の弦での変奏曲、グラズノフ:吟遊詩人の歌 作品71、ロストロポーヴィチ:ユモレスク 作品5、フォーレ:エレジー 作品24、ドヴォルザーク:森の静けさ 作品68-5、プーランク:愛の小径、サン=サーンス:あなたの声に心は開く〜「サムソンとデリラ」より、フランセ:常動曲、チャイコフスキー:感傷的なワルツ 作品 51-6、マスネ:悲歌 作品10-5、ポッパー:妖精の踊り 作品 39、シューベルト:アヴェ・マリア、グルック:精霊の踊り、ブロッホ:祈り〜ユダヤ人の生活より、ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3》 / エドガー・モロー(チェロ)、ピエール=イヴ・オディク(ピアノ)」(ワーナーミュージック・ジャパン、エラート/WPCS -13321)
  このところワーナー・クラシックとエラート・レーベルではクラシックにも力を入れてきたようで2015年11月からライジング・スターズと銘打ったニュー・スターとなるべき新人紹介をメインとしたシリーズを立ち上げた。第2回の12月はチェロの若手エドガー・モローの登場である。17歳でチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門で第二位を獲得した、パリ生まれの若さ溢れるチェリスト、エドガー・モローがその2年後に出したデビュー・アルバムである。彼は若くしてテクニックも音楽性も併せ持っている素晴らしいチェリストである。このアルバムには17曲のチェロ向きとも言える良く知られた小曲が収録されており、すべての曲は曲の美しさもさることながら演奏の上手さもこの手の小品集の中では抜群ではなかろうか。チェロの美しいメロディはチェロの音色が好きな人には耐えられないだろう。アレンジを必要とする曲の手の加え方も実に見事である。BGMとしても抜群のアルバムだ。(廣兼正明)

Classic CONCERT Review【室内楽(フルート)】

「リタ・ダルカンジェロ 〜フルートリサイタル〜」(10月9日、イタリア文化会館アニェッリホール)
 イタリアのキエーティ県出身でジェームス・ゴールウェイの愛弟子、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の第1フルート奏者を務めたこともある名手のリサイタルが開かれた。特注のゴールド・フルートから放たれる音は肉厚でまろやか、ジャズ系のギザギザしたフルートを聴きなれている自分にとっては別物に感じられる瞬間もあった。ピアノは濱野基行が弾いたが、基本的に伴奏に徹しており、息継ぎしている時と譜面をめくっている時と曲の合間以外は常にリタのフルートが鳴り響いているような状態だった。優雅かつ流麗に吹き続けるスタミナに恐れ入る。無伴奏で綴られた「ヴェネツィアの謝肉祭」(デ・ロレンツォ)に引き込まれ、高音と低音を交互に吹いて複数のフルートが同時に鳴っているような効果を出した「カルメン幻想曲」(ボルヌ)に目を見張った。(原田和典)

Classic CONCERT Review【記者会見】

「中嶋朋子が誘(いざな)う 音楽劇紀行 バロック・オペラからミュージカルへ 〜音楽劇の歴史を追う」記者発表(10月14日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 来年5月から、舞台・朗読でも活躍する女優の中嶋朋子を案内人に、音楽劇史の主な形式を6つに分け(バロック、古典、ロマン派Ⅰ、ロマン派Ⅱ、オペレッタ、ミュージカル)、各公演で時代を追いながら音楽劇の表現形式の変遷をたどる意欲的な企画がスタートする。演出家の田尾下哲が総合プロデューサー、作曲家でピアニストの加藤昌則が音楽監督を務め、選りすぐりの歌手や演奏家が各回に登場。中嶋は演奏の合間に、その時代を代表する詩や歌詞、戯曲などを朗読し、その時代時代の音楽劇と言葉による表現の関係性を紐解いてゆく。各回を「バロック特集」や「オペレッタ特集」のような特定の形式に割り当てるのではなく、必ず毎回バロックからミュージカルまでの音楽劇が届けられるのも大きな特色だ。
 第一夜のサブタイトルは「声の物語化〜グレゴリオ聖歌、バロック・オペラ」と題され、加藤昌則(音楽監督/ピアノ/オルガン/チェンバロ)、ヴォーカル・アンサンブル カペラ(声楽アンサンブル)より花井哲郎他(音楽監督)、藤木大地(カウンターテナー)、森谷真理(ソプラノ)、中川晃教(シンガーソングライター)らを集めて来年5月11日に開催される予定。「グレゴリオ聖歌 復活祭のためのミサ固有唱より」からレナード・バーンスタイン作曲のミュージカル「ウェスト・サイド物語」に至る楽曲が披露される。第二夜「古典派オペラ」は同年12月、第三夜「ロマン派オペラI(イタリア/フランス)」は2017年春、第四夜「ロマン派オペラII(ドイツ他)」は同年秋、第五夜「オペレッタ」は2018年春、第六夜「ミュージカル」は同年秋の公演が計画されている。
 ドイツ人演出家ミヒャエル・ハンペに西洋演劇と演出を師事、アンドレアス・ホモキや野田秀樹の助手を務め、この9月には平幹二朗主演「王女メディア」を演出したばかりの田尾下哲。東京芸術大学を首席で卒業し、オペラ・管弦楽・声楽・合唱曲など幅広い分野に才能を発揮する加藤昌則。国民的テレビドラマ「北の国から」で22年の長きにわたって蛍役を務め、朗読・執筆・講演にも独自の感性を発揮する中嶋朋子。この才人たちが、どんな音楽劇の世界へ我々を案内してくれるのか。クラシック・ファンのみならず、幅広いエンターテイメントに関心を持つ層にも大いに訴えるシリーズになりそうだ。(原田和典)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「エベーヌ弦楽四重奏団「Classic+Jazz、新しいエベーヌ」(11月3日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 1999年にフランスで結成された気鋭集団が意欲的なコンサートを行なった。第1部がモーツァルト「ディヴェルティメント ヘ長調 K.138」とベートーヴェン「弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132」、第2部がジャズと銘打たれたプログラムだ。実際、第1ヴァイオリンのピエール・コロンベと第2ヴァイオリンのガブリエル・ル・マガデュールはジャズ・ドラムを、チェロのラファエル・メルランはジャズ・ピアノを専攻していたことがある。とはいえ第2部は「ジャズ」というよりも「クラシック以外の音楽の詰め合わせ」といった感じの選曲で、アストル・ピアソラ「リベルタンゴ」、ビートルズ「カム・トゥゲザー」、いわゆるジャズ・ミュージシャンのソングブックからはマイルス・デイヴィス「オール・ブルース」、ジョン・コルトレーン「ジャイアント・ステップス」等が演奏された。アドリブ・ソロ・パートらしきものはすべてヴァイオリンに与えられていたが、ぼくは改めて、この楽器でシンコペーション満載の音楽をプレイすることの難しさを教えられたような気がする(ジャン・リュック=ポンティやズビグニェフ・セイフェルトは超絶的な例外なのだ)。一番気持ちよく、時間を忘れて聴けたのは、山あり谷ありの展開を持つ「弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132」であった。(原田和典)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「タンゴマドンナ&リンボウ先生 豊田での第1回コンサート」(11月22日、ムジカこどもアート)
 タンゴを通して人々の心を慰め、安らぎを与えるという目的で、タンゴマドンナが誕生し、第1回ライブは7月18日カフェホールwith遊で行われた。中央線豊田のムジカこどもアートでの演奏会は今後も継続し、今回はその第一回である。
 先行きの見えない昨今の日本の現状、人々は疲れ果て、少しでも心にゆとりを得たいためにコンサートに通うが、クラシック会場には、事改まった雰囲気が伴いがちである。タンゴマドンナは、音楽を通して聴衆と対話を楽しむ。その意味では今回のコンサートは成功である。
 タンゴマドンナのメンバーはヴァイオリン安田紀生子、ヴォーカル賀川ゆう子、ピアノ&アレンジ&作曲二宮玲子である。三人は本格的にクラシック音楽を学んだ。ともすれば交通整理された形で演奏されがちな日本のタンゴ演奏とは異なり、哀愁を漂わせながら、気持ちの良いリズム、明確なフレージング、歌わせ方の巧さが印象に残った。
 リーダー格のヴァイオリンの安田紀生子は、これまでにタンゴの演奏経験も豊富で、今や熟しきった境地に達しているように思った。特に〈愛と情熱のタンゴ〜男と女の恋物語〉と題された第二部の後半で弾いた「エル ウルティモ カフェ」のヴァイオリンの美しさをどのように表現したらよいのであろうか。楽器の精霊が至純の声で歌うかのようであった。
 ヴォーカルの賀川ゆう子は、声量が豊かであり、広い音域で美しく歌う。アンコール曲で歌った「忘却」が印象に残り、聴衆に静かに語りかけるような演奏で、叙情美は忘れることができない。
 ピアノの二宮玲子は自作の「アヴェ・マリア」と「恋の予感」を発表しているが、彼女の内面と結びついて、音が全面的に心を語っているような感じを受けた。ピアノ演奏は始終一貫、美しい音で鳴らしていた。
 特別ゲストヴォーカルの林望氏は今回のコンサートのために、作詩・訳詩でタンゴマドンナを応援し、「いまひとたび」での湧き出てくるような歌唱、そして賀川ゆう子と共演した「リベルタンゴ」(編曲・二宮玲子)では、両者は自分のものにした歌い方で聴衆を楽しませた。
 音楽に国境はない。クラシック、ポピュラーと境界線を引くのはおかしいのである。川端康成は「伊豆の踊り子」の中で「いい人はいいね」と記した。「いい音楽はいいね」である。
 安田紀生子、二宮玲子のトークも聴衆にタンゴの魅力を身近に感じさせたに違いない。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「小山実稚恵の世界 ピアノで綴るロマンの旅 第20回」(11月28日、オーチャードホール)
 「究極のアリア」と名付けられた今回はバッハの「ゴールドベルク変奏曲」が演奏された。
「ゴールドベルク変奏曲」はアリアに始まりアリアに帰る旅で、第30変奏「クオドリベット」は旅人を迎える民衆の歌が遠くから近づいてくるようだと語る小山。弱音から徐々にクレッシェンドしていく「クオドリベット」は感動的だった。再び登場する「アリア」は冒頭とは異なる表情を持っていた。それは演奏者だけではなく聴き手も30の変奏を聴いた後変化しているということだろう。
 小山は変奏ごとの曲想の違いをはっきり描き分け、中でも圧倒的なテクニックを見せた第20変奏から悲痛な第21変奏に移る転換が見事だった。第17変奏トッカータは快適なテンポでチャーミングに弾いた。
 一方で崇高な第13変奏と巨峰のような第25変奏をあっさりとした表情で弾いたのは意外だった。また第1、第10、第12変奏は少し平板に感じられた。
 アリアに始まりアリアで終わるゴールドベルク変奏曲になぞらえたのか、プログラムをシューマン「花の曲」で始め、アンコールをこのリサイタルシリーズの最初に弾いたシューマン「アラベスク」で締めた。(長谷川京介)

写真:(c) ND CHOW

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「オスモ・ヴァンスカ 読響 シベリウス交響曲第5番、第6番、第7番」(12月4日、サントリーホール)
 読響の音が変わった。特に弦楽器。澄み切って冷たい鋭角的な音。やはりシベリウスはこの音でなくてはと思わせる。コンサートマスターはケルンWDR放送響の萩原尚子がゲストで務めた。ヴァンスカの読響へのリハーサルは徹底を極めたのではないか。弦だけではなく、木管はバランスが良く透明感があり、金管はシベリウス特有の朗々と響きわたるハーモニーを見事に聴かせた。日本のオーケストラからこれだけ北欧的な響きを聴いたのは初めての経験だ。
 ヴァンスカの指揮はダイナミックであると同時にきわめて緻密で、シベリウスの一作一作全く異なる世界を深く掘り下げていく。シベリウスが作品を練り上げていく過程での苦悩や希望が赤裸々に語られるのを聞くようでもあった。
 第5番最後の全身が震撼する6つの和音からはシベリウスの真実の叫びを、第6番の上昇するコーダはシベリウスの神や自然への祈りを、第7番の雄大なコーダはよぎる不安と戦いながら希望を捨てないシベリウスの決意を聴くようだった。(長谷川京介)

写真:(c)Ann Marsden

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「NHK交響楽団第1823回定期演奏会 Aプログラム」(12月4日、NHKホール)
 2008年から毎年12月にNHK交響楽団の指揮台に立つシャルル・デュトワのAプログラムはR.シュトラウスの楽劇「サロメ」である。デュトワは、演奏会形式による歌劇を度々取り上げており、「エレクトラ」も忘れがたい名演であった。デュトワの指揮は美しい。細やかな感受性と透徹した知性がしっかりと結び合っているからである。日本のオーケストラからこれほどR.シュトラウスの楽劇の臭気を感じられたことは滅多になかった。デュトワの音楽の特徴は、明快なディナーミク、すっきりとした旋律の歌わせ方、キビキビとしたリズムとテンポ、それらのことにあると思う。それと同時にたくましい造形力もデュトワの魅力であり、聴き手を強くひきつけて離さないのである。
 特に第四幕までのクライマックスへ持ってゆくまで、どの細部にも照明がゆき渡っており、有名な「サロメの踊り」は、打楽器や金管を加えて、オーケストラの鳴りは凄く、聴いていて体が震えるほどであった。シュトラウスは全体の作曲を終えてから、この曲を書き上げたとのことだが、彼の中に、はっきりとしたイメージが出来上がるまでに時間がかかったのであろうか。
 歌手陣に触れると、サロメのグン・ブリット・バークミンのソプラノは、常識的な練磨の域を超えて、天性的な美感を持った声楽家のような気がした。ドイツのソプラノ歌手である。ヨカナンのエギルス・シリンスのバス・バリトンは、深い声のひびきがあって、感情の陰影や思念の重みを充分にのせて歌っていたのが印象に残った。ヘロデのキム・ベグリーのテノール、へロディアスのジェーン・ヘンシェルのメゾ・ソプラノも、深く聴き手を引き込んだ歌を聴かせたことは云うまでもない。日本人の歌手も彼らに負けない力強い歌い方であった。
 オペラは演奏会形式の方が音楽に集中ができ、忘我の状態でその中に入ってゆくことができることを実感した演奏会であった。今後のN響の定期は更にオペラの演奏会形式を積極的に取り上げてもらいたい。
(藤村貴彦)

写真:(c)Chris Lee

Classic CONCERT Review【吹奏楽】

「東京佼成ウインドオーケストラ 第126回定期演奏会《ロシアの夢物語》」 (12月5日、東京芸術劇場コンサートホール)
 久しぶりにTKWらしい熱のこもった演奏会であった。その中心になっていたのは、やはり指揮者トーマス・ザンデルリンクの人柄とロシアの音楽に対する深 い愛情であった。最初のボロディン作曲・淀彰編曲による歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」は、あの印象的なティンパニのリズムに乗って異国的情 緒溢れる華麗な演奏が繰り広げられた。二曲目のアルフレッド・リードによる「ロシアのクリスマス音楽」は吹奏楽ファンにはお馴染みの作品で、1944年に ニューヨーク市内のロシア系教会から借りたコラール集を参考にして作曲したものであるが、アメリカ人から見た「ロシア」への憧憬がリードらしい手法で、イングリッシュ・ホルンの美しい音色で描かれている。
 三曲目のリムスキー=コルサコフ作曲交響組曲「シェエラザード」Op,35は、指揮者ザンデルリンクが育ったサンクトペテルブルクで初演され幼い頃から馴 染み深い作品であるという。編曲はTKWのコントラバス奏者でもあった稲垣卓三のオリジナル版で演奏された。原曲ではヴァイオリン独奏で表現されるシェラ ザードの主題はエスクラリネット・ソプラノサックス・ピッコロで演奏され、ツェロの独奏部分はテナーサックスで演奏された。各パートが名手ぞろいのTKO ならではの華麗な音色に聴衆は聴きほれていた。第一楽章が始まった時そのテンボが緩やかであったことに意外な思い雅したが、それは、指揮者がこの曲の細部 にまでしっかりとした音楽的意図によるものであったことに気づかされる。第二楽章・第三楽章と続くにつれて会場はアラビアン・ナイトの世界に引き込まれて いった。
 吹奏楽らしいフォルティッシモの部分はもちろんだが、ザンデルリンクのわずかな動きによってつくりだされるピアニシシモの美しい響は、TKWならではのも のであった。いつもは会場をうめている吹奏楽部の学生達が、この日は期末試験のためかあまり見かけられなかったのが、残念であった。演奏終了後、一階ロ ビーでは、この演奏会をもって定年で退団するTpの久保義一、Hrの西郷雅則にエールを贈るファンの人々が大勢集まっていて、TKWの人気が偲ばれた。(斎藤好司)

写真:Atsushi Yokota

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京都交響楽団・調布シリーズNo.17 モーツァルト&メンデルスゾーン名曲選」(12月6日 、調布市グリーンホール大ホール)
 演奏者から指揮者として活躍の場を広げている人も多い。例えばトスカニーニ、アーノンクール等。「調布シリーズ」を指揮したポール・メイエは1965年フランスのアルザスに生まれ、世界有数のクラリネット奏者であり、指揮者としてのキャリアも着実に築いているとのこと。
 メイエで聴く都響は、楽員がのびのびと力を出し切って、豊かな響きが出ており、指揮者と楽員との信頼関係が良かったと思う。メイエの表現したい音楽は真っ直ぐに客席に届いているのである。東京文化会館やサントリーホールでのコンサートでしか都響を聴いた事がなかったが、それらのホールと比べて一回り小さな調布市グリーンホール大ホールでは、本当に良い音楽がどんなものか実感できたことが嬉しい。聴衆と楽団員が対話をしているような印象を受けた。
 プログラムの最初はメンデルスゾーンの序曲《フィンガルの洞窟》。音力の増減、旋律の歌わせ方、バランスの微妙な工夫等、入念な配慮があって、実にすがすがしい演奏であった。
 モーツァルトのクラリネット協奏曲はポール・メイエの独奏。メイエは人間的な暖かさがあって、表現したい音楽をすべて的確に表現できるテクニックを持っている。これからもクラリネットと指揮の両方で活躍してもらいたい。
 プログラム後半はメンデルスゾーンの交響曲第4番《イタリア》。特に第一楽章と第四楽章の急楽章がよく、一言で云えば指揮をしすぎている演奏ではなく、音楽は内側から流れてくるような感じであった。
 調布ホール大ホールは、京王線調布駅から歩いて1分である。少子高齢化の今後の日本。京王沿線に住む高齢者の方々には非常に便利なホールである。充実した「調布シリーズ」を期待したい。多くのファンの為に。
(藤村貴彦)

写真:(c)堀田力丸

Classic CONCERT Review【声楽】

「ヴァッシリキ・カラヤンニ ソプラノ・リサイタル」(12月8日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 ギリシャ出身のコロラトゥーラ・ソプラノ、ヴァッシリキ・カラヤンニの日本での初リサイタル。ギリシャ国立歌劇場の専属で、2012年ミラノ・スカラ座での「ホフマン物語」オランピア役でデビューという経歴。
 コンディションは万全ではなかった。歌唱は硬く音程も不安定。前半最後のベッリーニ「私はかわいい乙女」(歌劇「清教徒」)でやっとほぐれてきた。声量と強靭さ、ドラマティックな歌唱力は伝わって来る。
 後半1曲目、サン=サーンスの歌詞無しの「ナイチンゲールとばら」は高い音まで出て実力を見せ、次の難曲トマの「私も仲間に入れてください」(歌劇「ハムレット」)でのオフィーリア狂乱の場は強靭なコロラトゥーラの迫力があった。
 ヴェルディ「不思議だわ〜花から花へ」(歌劇「椿姫」)は拍手が一番大きかったが、よく知られた曲だからでもあり、歌唱そのものは柔軟さがなかった。
 最後に、映画「日曜はダメよ」の音楽を作曲したギリシャの作曲家ハジダキスの「夢の道」(主題歌と同じ旋律)が歌われた。
 アンコールは、越谷達之助作曲石川啄木作詞の「初恋」とギリシャ歌曲「Glatos」だった。
 カラヤンニの歌唱は鋭角的でフレーズが一本調子になりがちなところがあり、滑らかさが感じられないが、デビューで成功したモーツァルト歌劇「魔笛」の夜の女王のアリアなどはぴったりかもしれない。ピアノは斎藤雅弘。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ(協奏曲)】

「ミヒャエル・ザンデルリンク 東京都交響楽団 アレクセイ・スタドレル」(12月10日、東京文化会館)
 2年前ドレスデン・フィルを指揮したザンデルリンクの印象は「作品を白紙から読み直したフレッシュな演奏」というものだった。この日もそれを感じた。
 ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番はチェロのスタドレルともども重く暗くならず明快にすすめていく。第3楽章カデンツァではスタドレルのチェロがよく聴きとれた。精確で少し乾いた良く響くチェロだ。テンポを速めて第4楽章に向かうところは少しあっさりしていた。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲から第6番アンダンテ。
 チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」もメリハリのあるクリアで見通しの良い指揮だった。第2楽章「陰鬱な土地、霧深き土地」では若きチャイコフスキーの感傷を感じた。それはザンデルリンク自身の感傷でもあるだろう。ザンデルリンクはこの曲を「夜の世界から光の世界へ。春に向かう過程を描いている」と語っているが、言葉通り第4楽章は明るく輝きに満ちていて金管の響きにそれがよく表れていた。(長谷川京介)

写真:堀田力丸

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「シャルル・デュトワ NHK交響楽団 マーラー 交響曲第3番」(12月11日、NHKホール)
 デュトワのマーラーはヤルヴィのようにギリギリと締め上げる緊迫感を持つものではなく、明るく開放的で色彩感にあふれている。オーケストラ・コントロールは余裕がありN響の力を十二分に引き出す。深刻なマーラーではないが、スコアの細部が目の前で示されるような緻密で明快な指揮であり、スケールが大きいスペクタクルな演奏はオーケストラを聴く楽しみをとことん味あわせてくれる。
 N響は金管が特に素晴らしく、トロンボーンを始め、ホルン、トランペットもほれぼれとする演奏を聴かせた。第3楽章のポスト・ホルンは舞台上手奥から聞こえてきたが見事なソロで、デュトワは演奏終了後奏者を抱擁していた。
 アルトのビルギット・レンメルトは温かくどっしりとした歌唱。合唱は東京音楽大学(女声合唱)とNHK東京児童合唱団だった。
 明るく色彩感に満ちたマーラーではあるが、第6楽章の弦が奏でる主題は表面上の幸せな響きの裏に寂しさや孤独感がにじみでていた。これは9月に聴いたノット東京交響楽団の演奏に通じるものがある。こうした響きを導き出すデュトワの指揮もすごいが、それに応えるN響の弦セクションの底力はその上を行くものだ。本当に今のN響は絶好調と言える。(長谷川京介)

写真:(c)Chris Lee

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「マルク・ミンコフスキ 東京都交響楽団 ブルックナー交響曲第0番」(12月15日、サントリーホール)
 ミンコフスキと都響によるブルックナーの交響曲第0番は室内楽のような緊密さと強固な構造を持ち、響きは限りなくピュアで宝石のようであり、その奥深い世界は天上に輝く星のような高みがあった。ステージ上はただ音楽だけが鳴っており、指揮者も演奏者も視界から消えてゆく。こういう経験は滅多にない。
 都響の弦の響きの細やかさ、透明度、奥行きの深さはかつて聴いたことのない域に達しており、金管についてもミンコフスキは第3楽章スケルツォや終楽章でグラデーションを描くように自在にコントロールする。響きがすっきりしているので、ブルックナー特有の対位法の構造がはっきりと透けて見える。
 ブルックナーがこれほどの精度で演奏されるのを聴いたことはかつてなかった。それでいて力強さも兼ね備えている。
 今回ブルックナーの交響曲0番を指揮することはミンコフスキの希望だったという。バロック音楽の第一人者というイメージがあったが、ブルックナー指揮者としても優れていることを再認識した。
 前半のルーセルのバレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第1組曲&第2組曲はフランス音楽をという都響のリクエストで決まったようだが、これも名演といえるもので、色彩感とリズムはまばゆいものがあった。しかし今夜は何と言ってもブルックナーにつきる。
 都響定期での指揮者へのソロ・カーテンコールは珍しい。ミンコフスキにはぜひ毎年都響に来てほしい。(長谷川京介)

写真:堀田力丸

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「大友直人指揮 群馬交響楽団東京オペラシティ公演」(12月17日、東京オペラシティ)
 モーツァルト:交響曲第39番K.543、R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 チェロ:堤剛、ヴィオラ:川本嘉子
 筆者はたまたまステージの真横の2階席に座った。こんな機会はあまりないので、座る席によって楽しみ方も変わるという観点で少し書きたい。
指揮者の顔が見えるので、興味深いことに気づいた。大友は各楽章の間で、次の楽章のテンポをコンマスと確認していた。ホールに座った聴衆だと気づかないわずかな仕草だ。曲中ではそれほど強くオケをリードしている感じはしなかったが、しっかりコンマスと意思疎通を交わせていることが分かった。人間味を感じた。モーツァルトの演奏も面白かった。室内楽的な楽しさが伝わってきた。特に、第4楽章は単一主題のソナタ形式だが、随所の展開部的な個所で、そのモーツァルトの遊び心を楽しく表現していた。
 さて、「ドン・キホーテ」だが、これはステージ横の席では少々きつかった。大オーケストラから聴こえる音のバランスが非常に悪かった。したがって、適正な批評はできない。とはいえ、やはり堤のチェロはさすがに説得力があった。川本のヴィオラもそれとよく対抗していた。この曲での指揮者の力の見せどころは、R.シュトラウスが描く物語をどれほどリアルに再現できるかがだが、「風車への突進」「小舟での冒険」など面白かった。特にテノール・チューバはサンチョ・パンサの田舎者的滑稽さなどをよく表現していた。
 蛇足ながら、一考をお願いしたい点がある。このような標題音楽の場合、オペラで字幕が付くように、序奏から10の変奏を経て終曲にいたるストーリーを舞台横に提示するのはどうだろう。オペラの字幕を嫌がる歌手は多いと聞く、またプログラム・ノートにはちゃんと書いてある。しかし、演奏時間に45分も要する「ドン・キホーテ」のストーリーをまったく把握できずに聴いている聴衆が少なからずいたとしたら、それは残念ではないだろうか。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「アンドレア・バッティストーニ 東京フィル ベートーヴェン第九」(12月18日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 初めて聴くような第九だった。テンポは速い。60分を切っている。第1楽章は第2楽章スケルツォと同じくらいのテンポ。第3楽章はさすがに歌わせるが、それでも速い。第4楽章も速い。チェロとコントラバスのレチタティーヴォは通常の2倍くらいの速さ。異様とも言うべき集中と熱狂が全曲を支配し、火を噴くような第九だった。
 全てはバッティストーニの狙い通りだろう。東京フィル公式ページの「アンドレア・バッティストーニが語る『第九』のねらいとディティール」という映像で本人が語る言葉を要約するとこうなる。
 1.ベートーヴェン演奏で大事なことは(当時の)聴衆の感嘆の気持ちを再現すること。
 2.ベートーヴェンは第九で交響曲のメカニズムを覆そうとした。
 3. 第九は困難と試練の旅。 困難が限界に達し古典的交響曲が打ち砕かれた時、これまでのテーマが繰り返され、新しい目標を指し示すため歌い手が登場、困難な旅程から目覚めさせる。「歓喜」は人間の様々な感情や理性を導く閃光。
 この考えは苦悩を通して歓喜に至る古典的ベートーヴェン像に近いが、バッティストーニのとったテンポや表現は第九の革命的な側面を強調するとともに、聴く者に衝撃を与える目的があったのだろう。
 その代償もあった。第1楽章の対位法は嵐に埋もれ、第3楽章で第2ヴァイオリンが美しく歌う第2主題も、第4楽章の神秘的な合唱もゆっくりと味わう余裕はないくらい切迫していた。それでもバッティストーニの指揮は有無を言わせぬ説得力と衝撃があった。
 合唱は東京オペラシンガーズが熱唱。ソリストは安井陽子(ソプラノ)、竹本節子(アルト)、アンドレアス・シャーガー(テノール)、萩原潤(バリトン)。中ではシャーガーがよく響く声で立派な歌唱だった。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「パーヴォ・ヤルヴィ NHK交響楽団 ベートーヴェン第九」(12月22日、NHKホール)
 60分を少し超える速いテンポの第九。しなやかで強靭、構成もしっかりしており、演奏は熱く、最終楽章では文字通り歓喜の合唱となって結ぶ。現代の感覚にマッチした見事な第九だった。弦はヴィブラートとノンヴィブラートのミックスのようで透明感があった。バッティストーニ&東京フィルも刺激的だったが、ヤルヴィも初めて聴くような驚きと発見に満ちた第九を聴かせた。
 そこかしこにヤルヴィのこだわりと工夫がこめられていた。第1楽章展開部では木管がマーラーの交響曲のように楽器を高く掲げる。チェロとコントラバスによる第4楽章「歓喜の主題」はピアノではなくピアニシッシモくらいの繊細な弱音で始められた。続く115小節からの第2ファゴットはコントラバスと同じ旋律を吹くが、これはベーレンライター版によるものだろう。ここは繊細で感動的だった。同じく第4楽章でテノールが歌う行進曲のバックではトランペットも加えられていた。
 独唱陣は日本のトップクラスが集まった。ソプラノは森麻季が透き通った美声を聴かせ、アルト加納悦子、テノール福井敬は安定した歌唱、バリトンの妻屋秀和も重厚感があった。日本の歌手陣で固めたことでまとまりの良さが出た。合唱は国立音楽大学の235人もの大合唱団だったが、ハーモニーが混濁せず透明感があり、ヤルヴィの方向性と一致していた。
 ヤルヴィが演奏後ラジオ生出演で語ったように「第九はあらゆる表現に耐えうる名作である」ことを改めて実感させてくれる名演だった。(長谷川京介)

写真:(c) Julia Baier

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「上岡敏之 読売日本交響楽団 ベートーヴェン第九」(12月24日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 上岡もバッティストーニ、ヤルヴィと同じく60分前後の快速テンポの第九だった。しかし印象はずいぶん違う。バッティストーニは炎、ヤルヴィは高層ビル、上岡は流線型ジェット機とでも形容できるだろうか。
 レガートがかかり急流のように速い第1楽章、軽々と高く跳躍する第2楽章スケルツォ。第3楽章はアンダンテのテンポで緩徐楽章ではないと言う上岡の言葉通り、羽根を広げて滑空する鳥のように滑らかに流れていく。
 第4楽章も個性的な演奏で、上岡はこの楽章を「自由を勝ち取る決意表明」と定義づける。冒頭の各主題にたいする低弦のレチタティーヴォはひとつひとつ表情が異なり言葉が聞こえてくる。「そうじゃない」「違うと言ってるだろう!」「絶対に違う!!」と徐々に激しくなる。
 バリトンの第一声はアジテーターが「労働者諸君立ち上がろう」と叫んでいるようだ。上岡は4人の独唱に続いて合唱が歌う「そして天使ケルビムは神の前に立つ」のVor Gottのフェルマータを一瞬で断ち切る。コーダのマエストーソも超快速で溜めを一切作らず合唱を切り上げ、プレスティシモで終わる。闘争はこの先も続くことを予感させる。
 上岡の指揮は最初の一音から最後まで、全てのフレーズが新鮮に聞こえる。「定番」の演奏は大嫌いという上岡の姿勢が強く出た全くユニークで新しい第九だった。
 独唱者4人は上岡敏之の指揮に対応するかのように強い発声だったが、中でもバリトンのオラフア・シグルザルソンが抜きんでていた。他はソプラノがイリーデ・マルティネス、メゾ・ソプラノ清水華澄、テノール吉田浩之。
 新国立劇場合唱団は、今回聴いた3つの合唱団の中では力強さ、発音の明確さ、強靭なハーモニーで最高の合唱を聴かせた。(長谷川京介)

写真:(c) 読売日本交響楽団