2015年4月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲】

「ブラームス:セレナード第1番&第2番 / リッカルド・シャイー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1416)
 シャイーとゲヴァントハウス管の組み合わせではこの2曲は初めての録音である。セレナードと名付けられたこの2曲はブラームスとしては最初の管弦楽曲であり、セレナードと言っても演奏会用の曲で、ハイドン、モーツァルトの影響が強いことを感じさせてくれる。曲はブラームス20代後半の作品であり、両曲ともに一般的なブラームスの印象とは異なる若さと明るさに溢れた楽しい曲である。同じ頃作曲されたピアノ協奏曲第1番でも見せるような陰鬱な感じは全くない。第1番は最初5本の管と弦4部の室内楽編成で現在の第1,3,6楽章 の3楽章形式の曲だったが、ブラームスは最終的に2つのスケルツォとメヌエットの3つの楽章とトランペット、ホルンを加え、編成も大きくし、現在の大編成オーケストラ用に改訂した。また第2番は最初から小編成オーケストラ用に5楽章の曲を書いたが、第1番との最も大きな違いは弦楽器からヴァイオリンを外し、ピッコロを加えたことである。シャイーはこの2曲を明るく楽しく、そして実に軽妙に表現している。たまには楽しいブラームスも如何だろうか。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】

「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集第4巻「超越」 ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 作品10-1、第6番 へ長調 作品10-2、第7番 ニ長調 作品10-3、第11番 変ロ長調 作品22、第29番 変ロ長調 作品106 「ハンマークラヴィーア」 / 小菅 優(ピアノ)」(ソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニー・クラシカル/SICC-10216~7〈2枚組〉)
  小菅優がベートーヴェンのピアノ・ソナタ・チクルスに取り組んで第1巻「出発」、第2巻「愛」、第3巻「自然」、そして今回の第4巻「超越」が発売され、これで全32曲中25曲が既発売となり、残るは後7曲だけとなった。この第4巻にはベートーヴェン最後のピアノ・ソナタ、作品109,110,111への最後の砦とも言える難曲「ハンマークラヴィーアのための大ソナタ」が控えており、この意味から小菅も第4巻のタイトルを敢えて「超越」としたのである。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは弦楽四重奏曲と共に、それを制覇するには大変な精神力が必要であることには間違いない。今回のCDに関して言えば、小菅はこれまでより精神的にも音楽的にも可成り大きく進歩していると思うし、このチクルスの最後には、恐らくこのままで進めば30歳台前半までにベートーヴェンのピアノ・ソナタ全てのレコーディングを完成してしまうだろう。そしてこれは彼女でなければ中々出来得ない事と言えるのではなかろうか。最後に彼女のような個性的なベートーヴェン・ソナタ全曲の演奏が世界の音楽ライブラリーに残されることは大変喜ばしいことではなかろうか。
(廣兼 正明)

Classic CD Review【歌曲】

「グリーン〜フランス歌曲集第2集/ジャルスキーほか」(ワーナーミュージック・ジャパン:WPCS-13035/6 *Erato原盤、2枚組)
 1978年、パリ生まれの人気カウンターテナー歌手フィリップ・ジャルスキーによるフラン ス歌曲集の第2弾。フランスの象徴派詩人ポール・ヴェルレーヌの詩に付けられた曲 をテーマに、フォーレの歌曲からレオ・フェレのシャンソンまで収録。ヴェルレーヌが残した500篇 を超す詩のなかから、よく知られた詩作品に焦点をあて、さらに「心のなかに涙が降っている」はフォーレやドビュッシーなど4人の作曲家の曲、「空が、屋根の上で」はアーンなど3人の曲、「グリーン」もカプレなど3人 の曲、「白い月」はショーソンやマスネ、ポルドゥスキ、フォーレの曲を歌うなど、有名な詩作品の聴き比べができるのも、当盤の妙味といえ よう。
 表現力豊かなジェローム・デュクロのピアノとエベーヌ四重奏団による絶妙な伴奏も、ナタリー・シュトゥッツマンとの二重唱も、洒落た味わいで、ジャルスキーのノーブルで清澄な美声と名唱を支えて実に魅力的。(横堀 朱美)

Classic CONCERT Review【室内楽(トランペット)】

「B→C バッハからコンテンポラリーへ 169 高見信行」(2月17日、東京オペラシティリサイタルホール)
 トランペットに改めて惚れ直した。そしてジャズが、いかにこの楽器の偏った側面しか表現していないかよくわかった。高見信行はライプツィヒ室内管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団などと共演を重ねてきたクラシック・トランペットの気鋭。今回はドイツからの“来日”となった。いわゆる普通のトランペットのほか、ロータリー・トランペット、コルノ・ダ・カッチャ、ピッコロ・トランペット等も駆使した内容。曲によっては様々なミュートを用いながら、明るく暖かなトランペットの世界を120%味わわせてくれた。白石光隆のピアノ、青山貴のバリトン・ヴォイスも好助演だったが、個人的には無伴奏ソロでプレイされたヘンツェ「ソナチネ」、ツィーナーの日本初演「雨の一雫の物語」が鳥肌ものだった。(原田 和典)

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「チョン・ミョンフン 東京フィル マーラー交響曲第6番〈悲劇的〉」(2月26日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 チョン・ミョンフンは「この交響曲をそれ以前と以降への転換点であり、必ずしも《悲劇的》ではなく、ロマン派からシェーンベルク、ベルクといった20世紀音楽につながる重要な作品」と語っている。そのためなのか、どこか醒めた演奏で、感情的というより、客観的でドライな音や表現が目立ち、マーラー自身の悩みや戦い、感情を露わにするのではなく、ショスタコーヴィチが好むようなマーラーの別な側面、冷徹さ、皮肉、諧謔が露わになっているように思えた。
 たとえば、第1楽章の第2主題の表情。マーラーの妻アルマを表現したと言われる情感が感じられる旋律だが、意外なほど荒々しく甘さはない。荒々しさと言えば、第1楽章全体が激しい表現で終始した。チョン・ミョンフンはあおりすぎ、鳴らし過ぎと思われるくらいで、東フィルは学生オケが目いっぱい鳴らすような粗さのある演奏を展開、金管が大きすぎ、弦楽器の音も美しくない。嵐のように第1楽章が終わった。
 16-16-14-12-10という大編成のオーケストラが咆哮すればオペラシティ・コンサートホールは音が飽和し、団子になってしまう。
今回は第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテ・モデラートの順で演奏されたが、スケルツォはショスタコーヴィチを聴いているように強い諧謔が感じられた。
 第3楽章アンダンテ・モデラートは普通ならしばしの憩い、マーラーの美しさに酔う楽章だが、プログラム野本由紀夫氏の解説にある「不吉な影」が強調される。前半の荒い表現は第3楽章から収まり、第4楽章ではバランスが戻って来たが、激しい表現、ざらついた表情でダイナミックに音楽は展開されるものの、感情移入できる部分が少なく、チョン・ミョンフンが何を言いたいのかつかみきれないままだった。
 しかし、最後のコーダの悲痛な総奏とそのあとの弱奏には息を呑むほど素晴らしい緊張と音楽の充実があった。
 あれだけの深い表現、心に響く音があるのなら、なぜそれを全体に敷衍しなかったのか不思議だ。
 チョン・ミョンフンのマーラーは今回初めて聴く。これまで東フィルとのベルリオーズ「幻想交響曲」、アジア・フィルとのベートーヴェンの7番、ブラームスの1番を聴いたが、いずれもチョン・ミョンフンらしい追い込みが激しく、感情を込めたうねるような演奏が魅力だった。かつてチョン・ミョンフンの指揮する「巨人」「復活」、3番、9番を聴いた方の話によると、いずれもエモーショナルな名演だったとのこと。今回のマーラーにも同じような演奏を期待していたが、「悲劇的」に関しては、20世紀音楽のさきがけというとらえ方で、感情よりも無調へ移らんとする前兆を強調しようとしたのかもしれない。
(長谷川 京介)
写真:(c) K.Miura

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「ラルフ・ワイケルト 新日本フィル トリフォニー・シリーズ 第536回(2月28日、すみだトリフォニーホール)
 新国立劇場、N響への客演でおなじみのラルフ・ワイケルトが初めて新日本フィルを指揮。この日はカール・アントン・リッケンバッハーが指揮するはずだったが、昨年2月28日に急逝、旧友でもあるワイケルトが代役になったいきさつがある。奇しくもリッケンバッハーの命日の1年後のコンサートになった。
 ワイケルトが指揮するオペラは二度聴いたが、コンサートは初めて。歌手が歌いやすい絶妙な間合いやオーケストラが気持ちよく流れる指揮から予想した通りの見事な演奏だった。いまや数少ない巨匠と言っても過言ではないのではないだろうか。
 何が素晴らしいのか。
 第1に、楽譜に忠実な演奏。昨今の若手が行うハッタリや誇張、激しいテンポの動かしは全くない。しかし何も足さない何も引かない指揮は、木管、金管、弦が収まるところにバランスよくきちんと収まり、どの楽器もクリアに実に美しく響いてくる。
 第2に、インテンポの自然な音楽の流れ。イントネーションが正確で滑舌のよい美しいナレーションを聴いているようなスムーズな流れが心地よい。
 第3に、ドイツ音楽への深い造詣と、長年にわたるオペラ指揮者としての実績が楽員の信頼と尊敬を得て、短時間のリハーサルで信頼関係を築けること。公開リハーサルを聴いた友人からは予定よりも早く終わらせたと聞いた。効率の良い練習は楽員に歓迎される。
 最後に、人間性の素晴らしさ。実はマエストロとはグルベローヴァのコンサート後、上野から新宿まで道案内をしたことから偶然知り合ったが、電車内で会話を交わした時から飾らない気さくで温かい人間性を感じた。2年後に新国立劇場の楽屋を訪問したさいは皇太子殿下来場のため会うことができなかったが、後日自筆の心温まる礼状をいただき、その細やかな心遣いには日本人以上に義理人情に篤い人柄を見る。その温かな人間性が柔らかな表情として音楽に反映されている。
 個々の演奏について。
 ウェーバー、歌劇「魔弾の射手」序曲序奏のホルンの四重奏のハーモニーが美しい。コーダに向かう盛り上げ方も堂に入っている。オペラ指揮者の面目躍如。
 ヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」は多様な表情が見事だった。公演後楽屋に伺うと、「ヒンデミットのDensity(密度の濃さ)は理解できたか?」と開口一番に聞かれたが、確かにすべてのフレーズ、楽器の表情と響き、合奏、ソロが完璧に丁寧に描かれていた。第2楽章の3本のホルンによるトリオ主題の表情や、第3楽章のクラリネットの主題にからむフルートの細かな動きも素晴らしかった。25分4楽章の曲の中にぎっしりといろいろな要素が込められていることがよくわかる明晰な指揮だった。
 メインのブラームスの交響曲第1番。公演後聴衆の一人と会話がはずみ、お互いの感想が「まるで2番を聴くような1番」という点で一致したが、ワイケルトの人柄そのものの穏やかな音楽に身を浸すことができた。
バランスは全く安定しており、どの奏者ものびのびと演奏していることが伝わってくる。弦の響きもまろやかで、これほど美しい響きを新日本フィルから聴くのも珍しい。
 第1楽章冒頭のティンパニもフォルテの指定をフォルティシモ以上に激烈に始める指揮者も多いが、ワイケルトはたんたんと始める。最後のコーダまで一貫した構成と流れをしっかりと見極めている。
 ワイケルトの指揮だと第2楽章アンダンテ・ソステヌートのオーボエをはじめとする木管のソロとそれにからむオーケストラの響き、第3楽章ウンポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソの穏やかな表情は最高の聴きものになる。
 第4楽章のコーダは堂々と盛り上げる。まさに王道を行く風格がある。
ワイケルトを見ていると、かつての巨匠たち、ワルターやモントゥーといった指揮者を彷彿とさせる。尖ったピリピリとした演奏や、聴く者の腰を浮かせるような過激な演奏に疲れた耳には、ワイケルトの音楽はしみじみとした味わいがあって何とも心地よく腑に落ちる。また彼の指揮を聴く機会を鶴首して待ちたい。(長谷川 京介)

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「日本シベリウス協会主催 シベリウス150年シリーズ」(3月3日、すみだトリフォニーホール大ホール)
 今年はシベリウス生誕150年記念の年でもあり、シベリウス協会は、技術的にも規模の上からも上演が難しいと云われる、シベリウスの若き日の名作「クッレルヴォ」を演奏した。「クッレルヴォ」の物語を簡単に記すと、彼はゆりかごにいるときから復讐を誓い、最後は自殺するという悲劇で終わり、フィンランド人の宿命的な世界観が表現されているという。
 聴いている筆者も自発的・創造的な気持ちになり、合唱を伴った交響曲のように思え、生き生きとし、生命力を持った作品に感じられたのである。聴衆は感銘をもってこの作品を素直に受け入れたのではないだろうか。
 シベリウス・ワン統括マネージャー、アンドリュー・バーネット氏は、プログラム・ノートに、日本ほどシベリウスの生涯と作品が認められた国は他になく、優れた演奏の長い歴史と、何人もの世界的に有名なシベリウスの解釈が存在すると記していた。日本シベリウス協会の会員は優れたシベリウス演奏家の方が多い。
 日本シベリウス協会会長の指揮者、新田ユリもその一人であり、今回の「クッレルヴォ」の指揮も実に見事であった。第1楽章の冒頭で提示される3連符のリズムやピッチカートの修辞は、シベリウスの作品でよく見られるが、鳴り出した時の恐ろしいほどの緊張。そしてそれを表す感情の深さ。最初の表現から新田はこの作品をよく理解しているように思え、上演に向けて努力を重ねてきかのであろう。
 長大な第三楽章「クッレルヴォと妹」において二人のソリストと男性コーラスが導入されるが、フィンランド男性合唱団ラウル・ミエヘトとお江戸コラリアーズが力強く美しい。音楽が、自然に内からこみ上げてくるような趣があって、合唱団の一人一人が、この作品に対する共感から出発し、それで貫いているような印象を受けた。メゾ・ソプラノは駒ヶ根ゆかり、バリトンが末吉利行。高い水準の歌唱のように思えた。オーケストラはアイノラ交響楽団。シベリウス協会が「クッレルヴォ」を演奏した意義は大きい。(藤村 貴彦)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「イェフィム・ブロンフマン ピアノ・リサイタル」(3月4日、すみだトリフォニーホール)
 イェフィム・ブロンフマンは旧ソ連のタシケント生まれ。1973年にイスラエルに移住し、アメリカのカーネギー・ホールやエイヴリー・フィッシャー・ホールでもリサイタルを行なっている。今回のプログラムはプロコフィエフが1939年から44年にかけて書いたピアノ・ソナタ第6番、7番、8番(通称「戦争ソナタ」)にスポットを当てた内容。椅子にお尻を完全につける前から猛烈な勢いで両手を鍵盤へと振り下ろし、重厚なタッチをホール全体に響かせる。7拍子で綴られる「第7番 第3楽章」はパワフルそのもの、クラシックを語るときにはまず使われないであろう“グルーヴ感”という言葉を用いたくなるほど、強烈なノリが感じられた。
(原田 和典)
写真:(c) 三浦興一
写真提供:すみだトリフォニーホール

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「イェフィム・ブロンフマン プロコフィエフ「戦争ソナタ」全曲演奏会」(3月4日、すみだトリフォニーホール)
 ブロンフマンは体型を生かした重く力強い打鍵と超絶的なテクニックを持つ。若手ピアニストならテクニックだけで聴かせるところをブロンフマンは音楽の大きさ、深み、広がりで聴かせる。どの曲も掘り下げが深く、プロコフィエフの多様性が感じられる演奏だった。第8番のみ譜面を置いたがほかは暗譜。いずれの曲も練り上げられている。
 前日のトッパンホールの演奏を聴いた方の話だと、出来はそちらのほうが良かったとのこと。京都に始まる連続4日間の「戦争ソナタ」全曲演奏はいくら頑強なブロンフマンといえども疲労のピークにきていたのではないかと思わせ、全体に精彩に欠けたところがあった。主催者はもう少しスケジュールに余裕を持たせることはできなかっただろうか。せっかくの巨匠ピアニストの至芸を味わうためには万全の体調で聴きたかった。
それでもブロンフマンが得意とする第7番の第3楽章プレチピタートの8分の7拍子のリズムとスピード感、緊迫する表現力と強烈な打鍵は圧倒的で、これには会場が沸いた。
 第8番の抒情性、思索性はブロンフマンの音楽の深みを知るにはぴったりだ。第2楽章アンダンテ・ソニャンドはしみじみとした味わいがあった。
 ブロンフマンの別な側面はアンコールで聴くことができた。
 スカルラッティのソナタ ハ短調K11はよくアンコールで弾くようだが、その粒立ちの良い心に沁みとおるような美しい響きは生で聴くとやはり素晴らしい。驚いたのはショパンの12の練習曲より第8番ヘ長調作品10の8の羽根が生えたようなピアノのタッチ。このショパンはプロコフィエフやラフマニノフ、チャイコフスキーといったロシアものを得意とするブロンフマンのイメージを根本から変えるような衝撃があった。
(長谷川 京介)
写真:(c) 三浦興一
写真提供:すみだトリフォニーホール

Classic CONCERT Review【室内楽(ヴァイオリン)】

「第103回スーパー・リクライニング・コンサート 岡本誠司 ヴァイオリン・リサイタル 祝・国際バッハ・コンクール優勝! 若き名手が無伴奏に挑む」(3月6日、すみだトリフォニーホール)
 2014年7月、第19回J.S.バッハ国際コンクールで日本人として初優勝。東京芸術大学音楽学部に在籍中の気鋭ヴァイオリン奏者が無伴奏リサイタルを開催した。無伴奏だから当然、プレイをやめれば音が途切れる。弓弾きをしながら使わない指で弦をはじき、まるで複数のヴァイオリン奏者が一堂にプレイしているような効果を生み出すかと思えば、今度は低音の解放弦を鳴らしっぱなしにして他の弦を重音奏法で鳴らし、ひとり弦楽四重奏とでもいうべき効果を生み出すなど、見ても聴いても驚きの瞬間が多々、訪れた。もちろんこうしたテクニックも、表情豊かに楽器を鳴らすという、当然の基本があるから生きてくるわけで、ともかく1時間以上の間、ぼくは「なんてエキサイティングなんだ」と心を熱くしっぱなしだった。エルンスト「シューベルトの「魔王」による大奇想曲op.26」はまさしく名演、隠し録りしたくなるほどだった。(原田 和典)

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「東京ニューシティ管弦楽団第98回定期演奏会 東京合唱協会 第23回定期演奏会(合同)」(3月14日、東京芸術劇場コンサートホール)
 東京ニューシティ管弦楽団は、2015年4月に創立25周年を迎え、更なる発展を目指しているとのこと。私はこのオーケストラを聴いたのは今回で三度目であり、ニューシティの個性とは何かを記す事は難しい。楽団員が熱心に音楽に取り組んでいる様子が客席からもわかり、1月に聴いた時よりも、弦に潤いと弾力が出てきたように思う。今回はこのオーケストラと東京合唱協会の音楽監督を勤める内藤彰が指揮。プログラムはプーランクの「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲ト短調」、それにメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」である。日本のオーケストラからは滅多に演奏される機会のない曲であり、それだけでも今回の演奏会は聴く価値があった。日本で常時このような曲目が聴かれなくなると、オーケストラも単調になり、どこのオーケストラの演奏がどうのこうのと騒ぐのはそれほど意味がないように思う。最近は、どこのオーケストラも曲目に大した違いはなく、外国のオーケストラの来日公演も同様である。その意味での内藤彰の今回のプログラミングは、ひとひねりしてあって、興味深い。
 内藤彰の指揮は、それ程鋭くもなく、ジェスチャーも大げさなものではないが、この指揮者は、伸張性に富み、独自の芸術をニューシティ管弦楽団から引き出していたように感じられた。鋭さではなく、豊かな、そして、スケールの大きな音楽を聴いたような印象を受け、喜びを持って帰路につくことができた。
 プーランクの作品でオルガンを弾いたのは、カレヴィ・キヴィニエミ。はちきれんばかりの生き生きとした表情が素晴らしく、日本のオルガニストからは滅多に聴くことはできない表現である。
 メンデルスゾーンの「讃歌」を歌った東京合唱協会はプロフェッショナルの合唱団体であり、分析的、機械的な所はなく、力強さと優しさが同居して、聴き手を充分惹きつけた。響かせ方は満点。(藤村 貴彦)

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「世田谷交響楽団 メモリアルコンサート」(3月15日、府中の森芸術劇場どりーむホール)
 1990年に世田谷交響楽団を設立した上杉裕之氏が昨年亡くなり、この楽団の名のもとに、彼を偲んでの追悼演奏会を聴いた。小林研一郎も世田谷交響楽団を数多く指揮しており、指揮者の起用も意欲的である。プロもアマチュアもオーケストラを運営・経営してゆくことは、至難の技であり、楽団の責任者が常に私に口にすることは苦労話である。上杉裕之氏はトランペット奏者兼団長として、運営に奔走する傍ら、指揮者としても活動を始め、地方のアマオケを指導に出かけた先での過労死とのことである。
 プログラムの最初は、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」。ヴァイオリン独奏は、日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスターの木野雅之である。木野は協奏曲のレパートリーは40曲にも及び、これまでヨーロッパのオーケストラと数多く共演している。木野の特徴は、作品の細部まで丹念に見極めて弾き、曲の奥行をありのままに再現しようとするところにあるように思う。超絶技巧を要求する第2楽章は、木野の緻密な技巧が光り、この人の優れたところを見せたものとして印象に残った。
 指揮は久保田悠太香。この人の指揮に初めて接したが、全ての楽想が生き生きと息づいていた。
 続いてマーラーの交響曲「第9番」。世田谷交響楽団は、初結成でこの交響曲を取り上げたことも驚きであり、指揮者も第一回の演奏会同様、金子健志である。25年ぶりのマーラーの「第九」であり、私は初結成の演奏は聴いてはいない。金子にとっても25年の月日の流れは、彼をより人間的に成長させ、喜怒哀楽の人生の味わいも25年前とは異なるのである。それが音楽に表出され、楽団員も金子を信頼し、指揮者と楽員が懸命に良い演奏を目指している様子が、客席からも伝わってきた。特に終楽章は秀逸。弦楽器群の消え去ってゆく表情は、プロのオーケストラも顔負けである。
 最後は、前述したように、これまで数多くこの楽団を指揮してきた小林研一郎が駆けつけ、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より“モルダウ”を指揮。小林はこの作品を聴衆にわかりやすく説明し、彼の暖かな口調が会場を優しく包んだ。演奏は伸びやかで、各パートを充分歌わせ、管弦楽の能力をフルに発揮した美しい演奏であった。
 上杉裕之氏は東日本大震災の被災地の支援にも従事していたとのこと。今の日本で一番必要とされる芸術家は「ジャン・クリストフ」のような人である。上杉氏は人々の幸福を願い、社会の矛盾と戦う一人の音楽家として、後半生は生きたような気がする。トルストイの「戦争と平和」の主人公、ピエールが悲惨な経験を通して考え抜いた人間の生き方の理想に、上杉氏の後半の生き方が重なるのである。人の幸福とは、人の為につくすというそれである。上杉裕之氏も天国で音楽好きな方と語り合い、さらなる団員の成長を願いながら聴いていたのである。世田谷交響楽団の足跡は消してはならない。誰がために鐘は鳴らし続けてゆくことが大切である。(藤村 貴彦)

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「マレク・ヤノフスキ ベルリン放送交響楽団 ブルックナー交響曲第8番」(3月18日、サントリーホール)
 これほど緊張の糸が最初から最後まで張られたブルックナーを聴くのは初めて。座席はP席最前列中央、ヤノフスキの真正面。常に眼前にある視線の鋭さは聴き手ですら怖いと感じるのだから、楽員の緊張は尋常ではないだろう。ホルンが第1楽章提示部最後のソロでミスをしたのも頷ける。
 プログラムのインタビューの中で、ヤノフスキはブルックナーを音楽以外の事柄に左右されない「絶対音楽」と語っている。ブルックナーがカトリック信者だからと言って、宗教的で神々しい演奏を目指すのではない。「5度音程や4度音程に対する恭順こそがブルックナー」だと言う。
 ヤノフスキの指揮によるブルックナーは、情感的な表現は極力排除され、全体の響きと細部に至る構造が明晰に示される。弦と木管と金管のバランスに細心の注意が払われ、音楽の流れは最初から最後まで一貫しており、弛緩するところはない。そして弱音から最強音までのダイナミックの幅は極めて大きく、ブルックナーの音楽に畏怖の念を抱かせるには充分な迫力がある。全曲を暗譜で指揮し、この曲を完全に掌握していることがよくわかる。
 この厳格なブルックナーはヴァントやセルに通じるものがあるが、ヤノフスキは金管のコントロールに特に神経を使う点で、更なる緻密さ全体の均衡を求めているように思える。
ベルリン放送響の弦はやや暗めの響きを持っている。特にチェロとヴィオラの中音域の響きは味わいがあり、ブルックナーの内声部の温かさを表すのにはぴったりの音と言える。
 第1楽章最後のトランペットとホルンによる信号音の強奏の芯のある音、第2楽章スケルツォのトリオで聴かせた弦の少し暗めの音は印象に残った。
 第3楽章のチェロとヴィオラによる第2主題の渋い音も忘れられない。180小節目pppの静謐さから第1主題が回帰する受け渡しの変化も繊細。そこからクライマックスまでの流れが精巧。シンバルとトライアングルが加わった頂点のfffからpへの移行の緊張感にも瞠目した。
 第4楽章はコーダが圧倒的。「静かな穏やかな」の指示通りゆったりとしたテンポから緊張を高めていく。ワーグナー・テューバの響きが美しい。ホルンのスケルツォ主題とともに第1楽章第1主題が回帰して荘厳に終わる。しばらくの間静寂が続き、感動を倍加する時間が確保され、胸が熱くなった。素晴らしい聴衆。
 ヤノフスキの一分の隙もない情感を抑えたブルックナーからこういう感情が湧き起ってきたのは不思議な気がする。ヤノフスキが言う「絶対音楽の背景に隠れていたブルックナーの想念と思想」が演奏の成果として露わにされたためかもしれない。(長谷川 京介)
写真:(c) Felix Broede

Classic CONCERT Review【管弦楽】

「マレク・ヤノフスキ ベルリン放送交響楽団 ブラームス交響曲二夜連続公演」(3月23, 24日、武蔵野市民文化会館大ホール)
 ヤノフスキのブラームスは先月聴いたラルフ・ワイケルトの第1番同様、作品の構造を明らかにする精緻な演奏だった。指揮者の仕事は作曲家が労作した内容を正しく伝えることにあり、余分な感情移入が作品本来の姿をゆがめることをはっきりと示した。 
 ヤノフスキはインタビューでブラームスについて「主題からモチーフを取り出し対位法的に関係づけていく技にかけては真のマイスターであり、しかもそれが3秒以内に起こることが多い」と語っている。
 その言葉どおり、今回の4曲それぞれが小さなモチーフが次々に発展していくさまが明確に描かれ、頻繁に出現する対位法的な構造が透けて見えるような見通しのよい演奏になっていた。
 2日間とも16型のベルリン放送響はチェロとヴィオラに顕著なほの暗く渋い響きを持ち、これがブラームスの交響曲に良く合う。木管群は技術的にはもう少しと思わせるところもあったが、アンサンブルの統一感により、内声部の充実ぶりに貢献していた。金管はホルンが素晴らしかった。
 各曲で印象に残った点は以下の通り。
 第1番。第1楽章序奏ではオーボエがソロをミスするなど、最初は調子が出なかったが、第2楽章から音楽が生気を取り戻し、第3楽章、第4楽章と盛り上がっていった。内声部が充実し、木管楽器の響きが明快に聞き取れる。アルペンホルン風のホルンソロも見事。第4楽章再現部の弦の音も充実していた。
 第2番ではチェロ、ヴィオラのほの暗い音が曲に深みを与えた。旋律の受け渡し、楽器間の対話、対位法的な部分に聴きどころが多数あった。
 二日目も良かった。特に第3番は細部までよく理解でき、これまで聴いた生演奏で一番納得できる演奏のひとつになった。クラリネットが吹く第1楽章第2主題の後半フレーズをppに落とすところの描き分けがはっきりしている。こうした強弱の明快な描き分けもヤノフスキの特長のひとつだ。第3楽章の憂愁の主題は、ベルリン放送響のチェロの魅力が充分に味わえた。同じ旋律を再現するホルンも見事だった。第4楽章ではチェロとホルンによるハ長調第2主題の張りのある響きにベルリン放送響の音色の特長が出ていた。
 圧巻はコーダ。管楽器によって奏されるコラール動機と、それを支える弦の刻む細やかな動きの美しさは忘れられない。美しいグラデーションを描いて消えていく虹のようなはかなさと切なさ。どの指揮者にとっても表現するのが難しいこの部分をヤノフスキは見事に聴かせたと思う。ただひとつ残念だったのはせっかくの余韻を消すようなブラヴォの大声。
 第4番は第2楽章第2主題を歌うチェロとそれに対位法的にからむヴァイオリン群が本当に美しい。再現部で再び出る第2主題は8声に分かれ分厚い対位法的な響きになり、これぞブラームスを聴く醍醐味と言える。ヤノフスキが最も大切にしている表現のひとつだろう。第4楽章パッサカリアは第24、25変奏の切れ味にすごいものがあった。コーダはすこし押え気味に感じた。
 二夜ともアンコールがあったが、初日のワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第3幕前奏曲には唸るほかなかった。会場の空気が一変する神聖な音楽。2日目はシューベルトの「キプロスの女王ロザムンデ」からバレエ音楽第2番アンダンティーノが重厚なプログラムの緊張を解くようにユーモラスに演奏された。(長谷川 京介)
写真:(c) Felix Broede

Classic CONCERT Review【室内楽】

「古典音楽協会 第150回定期演奏会」(3月27日 東京文化会館小ホール)
 古典音楽協会室内合奏団は、その名の通り「古典」にこだわり、創立者である故三瓶十郎氏の遺志を引き継いで演奏会を続けてきて、一昨年には60周年の節目を越えて、今回150回を迎えた。当日のプログラムはテレマンの組曲「ドンキホーテ」ト長調・バストンのリコーダー協奏曲第1番ト長調・ヴィヴァルディの二つのヴァイオリンの協奏曲二短調・ジェミニアーニの合奏協奏曲二短調「ラ・フォリア」・J,S,バッハのブランデンブルク協奏曲第5番二長調であった。メンバー構成はコンサート・マスター角道徹、ヴアイオリン新谷絵美・中藤節子・石橋敦子・今村恭子・山元操・中嶋斉子、ヴィオラ東義直・梯孝則、チェロ重松正昭・前田善彦、コントラバス田中洪至、リコーダー片岡正美、フルート大澤明子、チェンバロ佐藤征子、同人三瓶詠子であった。ブログラム最後のブランデンブルク協奏曲は、当時はバッハ自身がチェンバロを演奏していたかも知れないと思われるような見事な演奏であった。小さく「二人の喜寿を感謝して」とのメッセージが書かれていて、この合奏団の古典音楽に対する敬虔な姿勢と、会場に足を運んでくれた聴衆への感謝の思いが伝わってくるような温かい演奏会であった。(斎藤 好司)