2014年9月 

  

Up-and-Coming Concert【オペラ推薦コンサート】

「モーツアルト若き日の傑作『イドメネオ』、意欲的な顔ぶれで東京二期会初演」(9月12から15日、新国立劇場オペラパレス)

お問い合わせ:二期会チケットセンター(03-3796-1831)
東京二期会ウェブサイト特設ページ:
http://www.nikikai.net/lineup/idomeneo2014/index.html

 1781年にミュンヘンで初演された『イドメネオ』は、モーツァルトのオペラ・セリアの傑作であると同時に、若き日のエネルギーをすべてぶつけた意欲作でもある。モーツアルトはこの作品で、それまで培った音楽書法の多くを投入していると同時に、主要なテーマである父と子の葛藤に、それまでの人生を支配した自らの父と自分とのそれを投影したのだった。
 その『イドメネオ』が、今月、東京二期会においてカンパニー初演を迎える。意欲的な公演で評判であり、またモーツアルトとも関係が深いアン・デア・ウィーン劇場との共同制作とあって、キャストも豪華。指揮の準メルクルは、本作が初演されたミュンヘンの出身。新国立劇場における『ニーベルングの指環』のプレミエを成功に導いたオペラの達人だ。演出のダミアーノ・ミキエレットは、30代の若さで世界からオファーが殺到する才人。今回のプロダクションでは、時空を超えた人間の葛藤を、現代風でありながら最終的にはそれを超越した舞台で鋭く描き出す。フレッシュな若手から中堅まで、歌い盛りの歌手たちにも注目だ。(加藤浩子)

Classic CD Review【管弦楽曲(野外フェスティヴァル)】

「ウィーンフィル・サマーナイト・コンサート2014 / クリストフ・エッシェンバッハ指揮、ラン・ラン(ピアノ)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」(ソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニー・クラシカル/SISS-1711)
 10年前の2004年から毎年行われているシェーンブルン宮殿でのウィーン・フィルの無料野外コンサートは、今や冬のニューイヤー・コンサートと共に夏の夜を彩るウィーン・フィル最大イヴェントとなっている。今年は5月29日にエッシェンバッハの指揮、ピアノにラン・ランを迎えて行われた。曲は今年の6月11日に生誕150年 を迎えたR.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル」、「ブルレスケ」ニ短調(ピアノ:ラン・ラン)をはじめとし、R.シュトラウス同様ウィーン・フィルとの縁が深いベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲、リストの交響詩「マゼッパ」、最後にJ.シュトラウスⅡの「狂乱のポルカ」が演奏された。ウィーン・フィルは定期演奏会とは異なり、聴衆と一体になって音楽を楽しんでいるリラックスしたムードが感じられる。しかし収録が野外であり条件が厳しい中、録音に携わるスタッフたちの苦労はさぞかし大変だったろうと思う。そして近い内に発売されるBDも 楽しみに待ちたい。(廣兼 正明)

Classic CD Review【管弦楽曲、室内楽曲(チェロ)】

「R.シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》作品35、チェロ・ソナタ ヘ長調 作品6/マキシミリアン・ホルヌング(チェロ)、ヘルマン・メニングハウス(ヴィオラ)、ベルナルト・ハイティンク指揮、バイエルン放送交響楽団、パウル・リヴィニウス(ピアノ〈チェロ・ソナタ〉)」(ソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニー・クラシカル/SISS-1711)
 このところ急激に名前を聞くことが多くなったドイツ期待の大型チェリスト、マキシミリアン・ホルヌング、彼は19歳でドイツ音楽コンクールを制覇し、2013年までの5年間をバイエルン放響のトップを任された逸材である。2012年末ハイティンク指揮のバイエルン放響とソニー・レーベルにソリストとして録音したでR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」のCDがようやく日本ブレスで登場した。ホルヌングは主役ドン・キホーテの性格を最初の序奏に於ける紹介からその後の10の変奏と最後のエピローグまで物の見事に表現している。恐らく指揮のハイティンクと何回も意見を言い合ってのことだろう。これは後半にカプリングされている同じ作曲家のチェロ・ソナタ へ長調Op.6(2014年4月収録)の自由奔放な弾き方を聴けば納得することが出来る。そしてCDの表紙写真を見て羨ましく感じるのはかれの背の高さと指の長さである。まさにチェロを弾くために生まれてきたかのようだ。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン他)、器楽曲】

「バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV1060R、ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003 他/リサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン)、フランソワ・ルルー(オーボエ&オーボエ・ダモーレ)、エマニュエル・パル(フルート)他、バイエルン放送交響楽団室内管弦楽団」 (ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1665)
 今や真っ盛りのリサ・バティアシュヴィリが生まれ育った、グルジアの首都トゥビリシでのコンサート・ライヴである。全体的に清楚な中にも感情を込めた美しい演奏だ。ここに収録されているのはJ.S.バッハ5曲とC.P.E.バッハの1曲で、特に最初に入っている夫、フランソワ・ルルー(オーボエ)との「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」の見事なアンサンブルは流石と言える。3曲目の「ヴァイオリン協奏曲 ホ長調BWV1042」の輪郭のはっきりとした演奏もバッハの魅力を十二分に伝えている。そしてもう一つ、名手エマニュエル・パユ(フルート)との「C.P.E.バッハ:トリオ・ソナタの美しく趣のある演奏も捨てがたい味わいに満ちている。この1枚のCDにはバティアシュヴィリのバッハに対する敬意のすべてが入っている。(廣兼 正明)

Classic CD Review【室内楽曲(弦楽四重奏)】

「モーツァルト:弦楽四重奏第14番 ト長調 K.387《春》、第16番 変ホ長調 K.428、第19番 ハ長調 K.465《不協和音》/カザルス弦楽四重奏団=アベル・トマス・レアルプ(Vn)、ヴェラ・マルティナス・メーナー(Vn)、ジョナサン・ブラウン(Va)、アルノー・トーマス・レアルプ(Vc)」(キングインターナショナル、ハルモニアムンディ/HMC-902186)
 他のヨーロッパの音楽大国と比較してこれと言った著名なクァルテットが思い浮かばないスペインだが、大先輩カザルスの名を冠したスペイン初めての大物クァルテットである。兎に角彼等が弾くモーツァルトは研ぎ澄まされた今まで聴いたことがないような不思議な感触を持ったモーツァルトである。これは現代楽器を使った古典的奏法という矛楯さを感じるが、聴いているといつの間にか引き込まれてしまう強い引力を持った演奏である。この演奏がモーツァルトに相応しいかどうかは聴く人によって異なるだろう。いずれにせよ残った3曲、欲を言えば全23曲をすべて聴いてみたいと思う。そこにはきっと聴き方の新しい発見があるかも知れない。 (廣兼 正明)

Classic BOOK Review【小澤征爾】

小澤征爾『おわらない音楽 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)
 小澤征爾が2014年1月1日から31日まで日本経済新聞朝刊で連載した「私の履歴書」が単行本となった。≪どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」かもしれない。≫という巻頭の言葉通り、小澤征爾のサクセス・ストーリーの陰には、決定的な場面で重要な役割を果たした様々な人々との出会いがあった。
 両親、兄弟、成城の仲間たち。ピアノを教えた豊増昇を始め、特に重要な人物は桐朋学園の創始者のひとりで小澤に指揮を教えた斎藤秀雄であることは自明である。
 初めて海外へ渡航したとき援助してくれた実業界の人々、ブザンソン指揮者コンクール参加を助けてくれたアメリカ大使館員。師事した偉大な指揮者ミュンシュ、バーンスタイン、そしてカラヤン。N響事件でバックアップしてくれた錚々たる文化人たち。ラヴィニア音楽祭に紹介した敏腕マネージャーのウィルフォード。小澤を音楽監督に指名したトロント響、サンフランシスコ響、ボストン響のマネージャーや理事たち。N響との和解を進言してくれたロストロポーヴィチ。サイトウ・キネン・オーケストラを支援したスポンサー会社。ウィーン国立歌劇場のホーレンダー総監督などなど。中でも食道がんの闘病生活の支えとなった家族の力は大きい。これほど周囲の人々に恵まれた音楽家がほかにいるだろうか。
 今回読み直してみて、小澤征爾という音楽家の原点は人を引き寄せる魅力ある人間性であることを改めて実感した。その人間性が演奏家たちはもとより、彼に関わるすべての人々を魅了することは確かだが、では小澤征爾の指揮する音楽がどこまで深く人を感動させるか、はまた別の問題だ。中学生時代からの小澤ファンとして、また要求の多い聴き手として、これまで数え切れないほど実演を聴きいてきたが、心の底から感動した演奏会は、新日本フィルとの「カルミナ・ブラーナ」、N響との歴史的和解コンサート、病気復帰後のサイトウ・キネン・オーケストラとのチャイコフスキーの弦楽セレナーデ第1楽章、潮田益子を追悼した水戸室内管とのモーツァルトのディヴェルティメント第2楽章など、その数は決して多くはない。小澤征爾は巻末をこう結んでいる。「これからも音楽の勉強をつづけたい。おそらくどれだけ時間をかけても終わりはないのだろう。僕はもっともっと深く、音楽を知りたいのだ。」タイトルの「おわらない音楽」は音楽の高み、深さ、難しさ、そして怖さをも暗示しているように思う。(長谷川京介)