2016年6月 

  

永田文夫さんを悼む・・・・・ 鈴木道子
 永田文夫さんが急逝された。永田さんはミュージック・ペンクラブ・ジャパン元会長であり、一昨年、その前年、総会で名議長ぶりを発揮されたことを覚えていらっしゃる方も多いと思う。やや問題のあった時期の議長だったが、鮮やかに議事を進められ、本人は「面白かったよ」などと言って、あの穏やかで楽しげな笑顔をみせていらした。丁度今から50年前の1966年、MPCJの前身だった音楽執筆者協議会の設立メンバーとしても活躍された。

 永田さんは1927年、大阪市生まれで、京大を卒業されて間もなく上京され、月刊「シャンソン」を刊行されたが、シャンソンのみならずタンゴ、ラテン、カンツォーネにも精通しておられ、それらの名曲とレコードについて多くの著書があり、音楽関係者はみな辞典がわりに愛用していた。また訳詞家としても優れた才能を発揮され、日本のシャンソン歌手で、彼の訳詞で歌ったことがない人は一人もいないのではないか。特に岸洋子が歌って大ヒットとなった「恋心」は素晴らしく、「愛の讃歌」「暗いはしけ」ほか優れた歌詞で多くのファンがいる。

 日本訳詞家協会現会長として長年職務を達成された。80歳を過ぎられてもシャンソンの講座で精力的に全国を回られたり、放送や特に若い女性歌手を育てることにも情熱を注いでおられた。タンゴ界の女王前田はるみさんは奥様。「永田文夫卒寿記念」のポピュラー音楽祭が5月18日から行われる直前の13日、突然この世を去られた。生涯現役の89歳。死因は虚血性心不全だった。日本の音楽界のリーダーを失った哀しみは大きい。いずれ「お別れ会」が開かれる予定。遺稿となった「シャンソン・カンツォーネ・ラテン永田文夫訳詞集」も刊行される。天国でも大好きな温泉につかってのんびり過ごしてください。ご冥福をお祈り致します

言論の自由とミュージック・ペン・クラブ・・・・・ 森本恭正
 去る4月20日、第28回ミュージック・ペン・クラブ音楽賞授賞式が、文京シビックセンターで行われた。2時間近い授賞式のなかで述べられた受章者の方々の言葉は、いずれも興味深く、また受賞の歓びに満ちていた。ところが、華やいだ雰囲気の中、クラシック部門特別賞を受賞された音楽学者皆川達夫氏の言葉に、場内が一瞬静まり返った。ご自身の研究に関する話題を脇に置き、彼は、現在の日本の政治状況に対する危惧を切々と述べられたのである。

 88歳になられる皆川氏が体験した、戦争へと進んでいった戦前の状況に、いかに現在の日本が似てきているかを、大きく明瞭な声で語った。そして、言論の自由は何としてでも守らなくてはならないと宣言し、その為に当ペンクラブも尽力して欲しいと、訴えたのである。

 同じ4月20日、朝日新聞朝刊にNHKニュースキャスター河野憲次氏に対するインタヴュー記事が載った。いうまでもなくNHK夜9時からのニュース番組のメインキャスターである。彼はNHKニュースの公平さを強調し「NHK9時のニュースでそう言っているんだから、と納得してもらえるようにならないといけない」と語った。

 ニュースの公平さについて考えてみる。ニュースソースを「公平に」流すだけならば、ソースの持つ声の大きい方がそのまま大きな声で、視聴者に伝わる。それは、例えば金管アンサンブルとリコーダーを同時に1本のマイクロフォンで録音した時のことを想像すればわかる。リコーダーの音は大音量の金管にかき消されて殆ど聞こえない。そんな時、我々音楽のプロはリコーダーにできるだけマイクを近づけ、その上で、録音した音を電気的に操作する。リコーダーは大きく、金管は小さく聴こえるように。そうして初めて、リコーダーの音(声)も金管アンサンブルの音(声)も「公平に」耳に届く音楽になる。

 河野キャスターが、ともかく不偏不党でニュースを流そうという姿勢でいることはよくわかる。だが、それだけで我々は入手すべき情報を「公平に」手にすることができるのだろうか?金管の音を絞らないと聴こえてこない1本のリコーダーの旋律の中に実は、国民にとってかけがえのない情報が詰まっているということはないのか、それを見抜いて我々に伝えるのが、ジャーナリズムに問われる最も大きな仕事の一つではないだろうか。

 戦前のジャーナリズムはあってないようなものだった。政府の伝える大きな声をそのまま大きく報じただけであった。そのあげく全てのジャーナリズムが、国民を戦争へと煽動する事に加担した。政府の発表を正しく伝えただけだ、と戦前のジャーナリスト達は言うだろう。だが、その姿勢がジャーナリストとしていかに間違ったものであったかは、開戦から敗戦へと辿った歴史をみれば明らかである。政府をはじめとする巨大権力を監視すること。それを怠ったジャーナリズムは単なる公報でしかない。

 NHKは危うい。

 現NHK会長の籾井勝人氏はその就任時に「政府が右ということを左とはいえない」と言った。これは自ら、NHKは公報なのですよ、と認めたに等しい。音楽賞授賞式前日の4月19日、調査のため国連人権理事会の任命により日本を訪れたデイヴィッド・ケイ米国カリフォルニア大学アーバイン校教授は、日本の報道機関の独立性が「政府からの見えない圧力によって脅威に晒されている」(Japan Times)という声明を出した。冒頭の皆川氏が感じているのも正にこの点であろう。「NHK9時のニュースで言っているのだから」ではなく「NHK9時のニュースで言っているけれども」と国民全員が普遍的に捉えられる社会にしなくてはならないと思う。

「アニー」 2016年版 ・・・・・ 本田悦久 (川上博)
☆チャールス・ストラウス作曲、マーティ・チャーニン作詞のミュージカル「アニー」を初めて観たのは、ブロードウェイのアルヴィン・シアターで1978年4月11日だった。日本版は同じ年の8月28日、東京の日生劇場、千秋楽の日だった。

日本テレビが制作を始めたのは1986年で、昨年30周年を迎えた。

東京公演は1986年からずっと青山劇場だったが、一昨年を最後に取り壊されることとなり、昨年から新国立劇場 中劇場に移った。演出は1986年以前は篠崎光正、1987年からジョエル・ビショッフ。

東京周辺にいると、毎年春には「アニー」に会える。今年の東京公演は、4月23日から5月9日までだった。アニー役は河内桃子と池田葵のダブル・キャストで、筆者の観劇日4月27日は、小学校5年生の桃子ちゃんだった。ついでに云うと、野良犬の役もサンディとオズのダブル・キャストで、この日は9歳で4回目の出演となるサンディ君だった。

時は1933年、所はニューヨーク。11歳のアニー (河内桃子) は、7人の女の子たちと孤児院暮らし。殆どアル中で意地悪の院長ミス・ハニガン (遼河はるひ)に、お仕置きばかりされるのでたまらない。11年前に、赤ん坊の自分を孤児院前に置いていった両親を探そうと、クリーニング屋さんが取りに来た洗濯袋に潜り込んで、孤児院を脱出する。アニーは野犬狩りを逃れたサンディ君と友だちになるが、警官 (鹿志村篤臣) に保護され、孤児院に戻されてしまう。そんな騒ぎの後、大富豪ウォーバックス氏 (三田村邦彦) の秘書グレース(木村花代) がウォーバックス邸でクリスマス休暇を一緒に過ごす孤児を探しにやってくる。ミス・ハニガンの猛反発に会うが、グレースはアニーを気に入り、連れて帰る。当のウォーバックス氏は男の子が良かったとのことで、アニーはがっかりする。しかし、アニーは持ち前の明るさで、ウォーバック氏の心を掴み、すっかり仲良しになり、ルーズベルト大統領 (園岡新太郎)表敬訪問にも同行する。

アニーを養子にしたいと思い始めるウォーバックス氏だが、実の両親を待つアニーの心を知り、両親が現れたら「5万ドルの賞金を渡す」とラジオ放送する。さて、豪邸の前は5万ドル目当ての偽親が大勢集まり、ミス・ハニガンの弟ルースター (大口兼悟) とその彼女リリー (野呂佳代) も、アニーの両親に化けて現れる。しかし、危機一髪ルーズベルト大統領の調査で、両親は亡くなっていたことが分かり、ミス・ハニガンたち三人は逮捕される。晴れて、アニーは大好きなウォーバックス氏の養子になる。一方、共にアニーの世話をするうちに、グレースの魅力に気づいたウォーバックス氏は、グレースにプロポーズ、一気にアニーには素敵なパパとママが。今日はクリスマス、孤児たちも招待され、賑やかにパーティが開かれる。

劇中どの曲も馴染みやすく、心に残るが、実の母親をしのんで歌う「メイビー」、ハニガンに床掃除を命じられた孤児たちが歌う「ハード・ノック・ライフ」の2曲で孤児たちの辛さに負けないパワーが伝わってくる。不況で、ルーズベルト大統領はじめ政治家たちが悩んでいる時、アニーが明るい明日が待っている「トゥマロウ」と歌って励まし、大統領達も唱和するシーンは圧巻。ウォーバックス氏に連れられて、アニーが初めて観るブロードウェイの劇場で、タップのスター(長江愛実)を中心に広げられる、タップ・キッズの華やかなタップも心躍る。

東京公演が5月9日に終わった後、8月6日と7日に福井のフェニックス・プラザ大ホールに始まり、8月10日から16日までは大阪のシアター・ドラマ・シティ、8月20日と21日の福岡市民会館、8月26日から28日までの愛知県芸術劇場大ホール公演が行われる。

<写真提供: Annie2016 (c)NTV>

マニヤーナ・・・マニヤーナ・・・ブエノスアイレスの「アニー」
・・・・・ 本田悦久 (川上博)
☆「アニー」はブロードウェイ (1978.04.11.) 以来、東京初演 (1978.08.28. 日生劇場、尾崎洋一演出、愛田まち、若山富三郎、平井道子、他の出演)、ロンドン再演 (1983.01.28. アデルフィ・シアター、マーティン・チャーニン演出、アマンダ・ルイーズ・ウッドフォード、チャールス・ウェスト、ウルスラ・スミス、他の出演) と続き、4回目の観劇はブエノスアイレスのテアトロ・ローラ・メンブリーブスでのスペイン語版となった。アルゼンチンでミュージカルを観るのは初めてだ。

演出はウィルフレッド・フェラン、出演はノエリア・ノト (アニー)、ラウル・ラビエ (オリバー・ウォーバックス)、ヨビタ・ルナ (ミス・ハーニガン)、アレクサンドラ・マリア (グレイス)、他。ストーリーの展開も、ミュージカル・ナンバーもブロードウェイと全く変わらない翻訳上演だが、アニーの子役がとびきり可愛い。彼女が歌うマニヤーナ・・・マニヤーナ・・・(トゥマロウ) が耳から離れない。サンディは赤茶に白と黒の混じった毛色の犬で、ブロードウェイ同様よく訓練されていた。



ところで、アルゼンチンのインフレはもの凄い! とうとう100万ペソ紙幣が現れた。1米ドルが69,300ペソ、ブラック・マーケットのヤミ値は91,000ペソ。絵はがき1枚が1万ペソ、LPレコードが45万ペソ、シェラトン・ホテル一泊7百48万4千4百ペソ。5年半前に来たとき残った1ペソ、50ペソ、100ペソなど、紙くず同然。タクシーのメーターは前のままなので、何回転したか、支払いチェックするのが大変だ。しかし、これもあと2か月。6月にはデノミが行われるそうだ。

(1983.04.08. 記)

韓国ソウルで「アニー」初演・・・本田悦久 (川上博)
☆クリスマス間近のソウルで、韓国版「アニー」に出会った。韓国芸能界随一の人気俳優チェ・プラム氏 (崔佛岩) が創設した現代芸術劇団最初のミュージカル上演。劇場は現代百貨店の中の現代芸術劇場。

小劇場で、客席は子役出演者達の家族や友人達が多く、賑やかな声援が飛び交い、舞台と客席が一体となったような、和気あいあいの雰囲気の中で進行した。

演出: キム・ヒョギュン、出演者は、アニーがキム・ジュヨン (金周妍), ウォーバックス氏はチェ・ジョンウォン (鍾元), ミス・ハニガンがユン・ソジョン、ウォーバックス氏の秘書グレースがユン・ソッカ、ハニガンの弟ルースターがチョン・スンホー、そのガール・フレンドのリリーはイ・ウンヨン。チェ・プラム氏もルーズベルト大統領役で出演していた。全員歌が上手いし、韓国語のリズムが曲にピタリとはまって快い。



(同行者は友人の高井達雄氏)  (1985.12.21. 記)

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