2016年6月 

  

Classic CD Review【現代音楽(鍵盤ハーモニカ)】

しばてつ「プラスティック・プネウマ Plastic Pneuma」〜13 improvisation from about “60 etude for keyboard harmonical(s)”
ふたり(レーベル):問い合わせ:http://www.ftarri.com/hitorri/992/index-j.html
 「プネウマ」とは古典ギリシャ語で「気息・風」、ギリシャ哲学では存在の原理として「聖なる呼吸・超自然的存在」あるいは「悪魔・精霊」を意味した。コンポーザー=パフォーマーのしばてつによる初のソロCD「プラスティック・プネウマ」は、プラスティック製鍵盤ハーモニカの「気息・風」、「聖なる呼吸・超自然的存在」あるいは「悪魔・精霊」というような意味が含まれている。
 全13曲のエチュードにはそれぞれタイトルがあり、第1曲「ベンディング・ワウワウ」、第2曲「長いハイ・トーンでのフィンガー・カッティング」、第3曲「ビート・サウンド(2台使用)」、第4曲「ビート・サウンド(声を伴う)」第5曲「マウス・トレモロ」、第9曲「ホースと息」、12曲「ポーコ・アッチェレ」など、鍵盤ハーモニカの特殊奏法などが表題となり、エチュードとしての意味をなしている。ゆるりとねじまがるピッチ、息をすばやく区切る鳥のさえずり、震える同音の出会い…息と鍵盤のかけっこあるいはリズム・カノン、ホースをこする旧式なドアの開閉、対話する農民の兄弟歌、フリーなるものへの逃走、音は沈黙をまとって…。
 即興のため、どのエチュードも奏法をメインに据えているものの、断片的でいつまででも続けられそうな曲だ(一切多重録音は使われてない)。だが、現代音楽的な特殊奏法による「楽器の異化」ないしは「奏法の見本市」というより、楽器に精通したしばてつが呼吸し、音を遊戯しているというほうが近い。そこにはさまざまな音楽ジャンルが合流している。ケージなどを含む現代音楽、ノイズ・ミュージック、フリー・ジャズ、民俗音楽などなど。「プラスティック・プネウマ」と名付けられたこの真剣なる遊戯は、プラスティック(合成樹脂)に息という小さな竜巻を起こし、現代の「精霊」を呼び覚ます作業なのだ。(三橋圭介)

Classic CD Review【交響楽】

「プロコフィエフ:交響曲 第1番 ニ長調 作品25「古典」、交響曲 第7番 嬰ハ短調 作品131 / アンドレ・プレヴ゛ィン指揮、ロンドン交響楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、パーロフォン1977年録音・2016年5月クラシック・マスターズ新シリーズとして再発/WPCS -23271)
 プロコフィエフの「古典交響曲」と第7番交響曲の人気カプリング盤。「古典」はプロコフィエフが「もしハイドンが生きていたら」との想定で1916年から翌年にかけて作曲した曲で、SPの頃から人気の高い曲である。しかし古典派のセオリーを完全に守って作っているわけではなく、転調、テンポなどは可成りの自由さで作ったため、聴いていても実に楽しい。しかし演奏は決して易しくはないとも言えよう。印象に残るのは第2楽章最初の第1ヴァイオリンの高音部でのユニゾンで弾くいとも美しいメロディだろう。フィナーレでの木管楽器は難易度が可成り高い。片や第7番はそれまでの革新的な色彩ではなく、ユーモアとペーソスに溢れ、そして美しいメロディと軽やかさをもつ音楽となっている。だから彼の曲の中では最も聴きやすい曲と言える。この録音時期はプレヴィンが48歳でまだ若さに溢れており、音楽にも元気一杯の明るさが感じられる。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【管弦楽曲】

「プロコフィエフ:交響的物語《ピーターと狼》作品67、ブリテン:《青少年のための管弦楽入門》作品34、 / アンドレ・プレヴ゛ィン指揮、ロンドン交響楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、パーロフォン 1973年録音・2016年5月クラシック・マスターズ新シリーズとして再発/WPCS -23273)
 この1枚は上記の交響曲2曲より4年前、1773年プレヴィン44歳当時の収録である。前半はプロコフィエフがオーケストラの楽器を分かり易く楽しめるようにという意図のもとに作曲した子どものための音楽付き物語「ピーターと狼」である。そしてこの物語の台本はプロコフィエフ自身が書いたものであり、続くブリテンの「青少年のための管弦楽入門」も含め、2曲ともナレーション付きである。「ピーターと狼」での物語の登場人物に扮する楽器は「小鳥=フルート」、「あひる=オーボエ」、「猫=クラリネット」、「おじいさん=ファゴット」、「狼=3本のフレンチホルン」、「ピーター=弦楽器全体の合奏」、「銃と狩人たち=ティンパニと大太鼓」であり、どの楽器も選ばれて妙。そして「ピーターと狼」のナレーターはプレヴィンが録音した当時の夫人であり人気女優でもあったミア・ファロー、彼女のナレーションは職業柄とは言えやはり素晴らしい。 そして後半に収録のブリテン「青少年のための管弦楽入門」は1946年に英国BBC制作の映画「オーケストラの楽器」のために1945年12月にパーセルの劇音楽の一部を主題として作曲したもので、最初主題を提示し、続けて木管、金管、弦、打、の4つのセクションを紹介、全楽器合奏の後、各楽器を紹介、最後は全楽器のフーガで締めくくられる。この曲のナレーターは指揮者プレヴィンが引き受けており、その声自体聴きやすく英語の発音も大変分かり易い。そして彼の器用さにも驚く。このCDにはオリジナルLPジャケットのデザインがそのまま使われており、その表紙にはジェームス・プレヴィン、ミア・ファロー夫妻が彼等の双子の息子マシューとサーシャと共に一家で嬉しそうに写っている。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲 (ピアノ)】

「マルタ・アルゲリッチ アーリー・レコーディングス / モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第18番 ニ長調 K.576、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 作品10の3(以上CD1)、プロコフィエフ:トッカータ 作品11、ラヴェル:夜のガスパール、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第3番 変ホ長調 作品28、ラヴェル:ソナチネ、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 作品83 (以上CD2) / マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1743〜4)
 このアルバムにはアルゲリッチがまだドイツ・グラモフォンから最初のLPがリリースされる1年前の1960年と1967年に当時の西ドイツ放送ケルンと1960年に北ドイツ放送ハンブルクで放送の為に録音された上記7曲が収録されている。1957年にブゾーニ国際ピアノ・コンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールで共に一等賞を取り、天才少女として世界に名が知られるようになって3年足らずである。この時マルタはまだ19歳で、このCDのライナーノーツに載っている彼女の写真にはどことなくまだ少女のあどけなさが残っている。CD1に収録されているモーツァルトとベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いてみると、先程見た写真と演奏との距離感が離れすぎており、不可思議な気持ちが収まらない程演奏の大きさを感じてしまう。
 CD2は3曲のプロコフィエフと2曲のラヴェルだが、プロコフィエフについては、トッカータは今まで経験したことがないような衝撃的な演奏であり、その他の2曲でももて余し気味な素晴らしい技術を先行させたテンポの速さに充分ついて行っており、ラヴェルの2曲については若さに似合わない木目の細かさを見せるが、聴いてみると矢鱈に新鮮であることに驚く。デビュー当時の演奏を聴いて今のアルゲリッチの原点がここにあったことが納得出来た。
(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲 (ピアノ)】

「フィールド:ノクターン全集(第1番〜第18番) / エリザベス・ジョイ・ロウ(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1428)
 ジョン・フィールド (1782~1837) はアイルランド・ダブリン生まれのロマン派作曲家兼ピアニストだが、それよりも彼はノクターンの創始者として有名である。このCDを聴けば約30歳後輩の、ショパン、リストを始め、フォーレ、ラフマニノフ等に対して如何に大きな影響を与えたロマン派ピアノ音楽の先達であったかが分かる。彼のノクターンは後のショパンのそれと比較しても勝るとも劣らない美しさを持っており、心が芯から癒やされる。この18曲はフィールドの詩情と呼ぶに相応しい美しさに溢れている。エリザベス・ジョイ・ロウの 情感を込めた優しさを感じるピアノも好感が持てる。晩年のフィールドはアルコール中毒で不遇な人生を送り55歳の時モスクワでその一生を閉じた。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲 (ヴィオラ)】

「星は光りぬ ルイーザ ビオラは歌う2/ プッチーニ:《私のお父さん》〜歌劇「ジャンニ・スキッキ」、《星は光りぬ》〜歌劇「トスカ」、ジョビン:《ルイーザ》、ロータ:インテルメッツォ、シューマン:おとぎの絵本 作品113、ヒンデミット:ヴィオラ・ソナタ(1939)、シューマン:ミルテより《はすの花》Op.25-7/ 須田祥子(ヴィオラ)、松本望(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、N&F/MF-25902)
 98年桐朋学園大学を首席で卒業の1年前から国内外で多くのコンクールを制覇し、現在は東フィルの首席ヴィオラ奏者として活躍する傍ら、ソリストや室内楽奏者としても第一線で活躍している須田祥子が2014年にN&Fから「ビオラは歌う1」でCDデビューして以来、今回早くも同レーベルから第2弾の「ビオラは歌う2」をリリースすることとなった。今回もヴィオラを弾かせれば超一流のヴィオリストだったヒンデミットのヴィオラ・ソナタ(1939)をメインに、プッチーニの2曲の名アリアをはじめ、有名なシューマンのヴィオラ曲「おとぎの絵本」と歌曲集〈ミルテの花〉から「はすの花」、その上ブラジルの作曲家ジョビンの「ルイーザ」そしてイタリアのニノ・ロータのヴィオラ曲「インテルメッツォ」まで盛り沢山である。
 須田の演奏は最初のプッチーニでは、感情移入に若干の不満を感じさせる。しかしジョビンとロータの2曲は異国の雰囲気が楽しめる。次のシューマンとヒンデミットは実にしっかりと曲の内容を把握しており、楽器の鳴らし方も堂に入っており、ここで本来のヴィオラ奏者が現れる。最後の「はすの花」はやはり歌曲で、ヴィオラ用の曲にアレンジするには運弓とヴィブラートも含め、やはり問題点があるようだ。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【声楽】

中嶋朋子が誘う音楽劇紀行 第一夜 声の物語化〜グレゴリオ聖歌、バロック・オペラ(5月11日、東京・Hakuju Hall)
 年2回のペースで2018年まで続く一大シリーズの第1弾が行なわれた。この第一夜はグレゴリオ聖歌に始まり、バロック・オペラ(モンテヴェルディ、ヘンデル等)、ロマン派オペラ(ヴェルディ等)等を経て、レナード・バーンスタインがミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」に書いた楽曲で締めくくられるという怒涛の展開。ヴォーカル・ミュージックの懐の大きさ、底の深さを改めて思い知った。音楽家の中では、顔の筋肉を恐ろしく細かくコントロールしながら倍音を駆使し、とてつもなく豊かな響きを生み出した森谷真理の歌唱がひときわ光った。案内人の中嶋朋子は時代背景や歌詞の大意を紹介し、とあるパートでは出演者たちとドラマも演じた。女優や朗読者としての実績がある彼女に、実にふさわしい役割といえるだろう。次回開催は12月14日。(原田和典)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「高関健指揮 東京シティーフィルハーモニック管弦楽団第297回定期演奏会」(5月14日、東京オペラシティコンサートホール)
シベリウス:交響曲第7番
マーラー:交響曲「大地の歌」(ソプラノ:小山由美、テノール:小原啓桜)
 シベリウスの第7番は1楽章形式で演奏時間は20分強である。高関はプレトークで全曲は、ゆっくり→スケルツォ風に速く→ゆっくり→速く→ゆっくりと構成されているが、各モチーフ相互の関連を捕らえにくく、なんだか分からないままなんとなく終わってしまうなどと語っていた。しかし、聴いていてそんなことはまったくなかった。交響詩のような物語を感じさせてくれ、オケの説得力は抜群だった。
 マーラーでも、まずオケの魅力をこれ以上ないほどに感じさせてくれた。もちろん、マーラーの作曲技法が素晴らしいのだが、それをオケのすべての楽器がマーラーが求めたように表現していた。フルートをはじめとする各管楽器のソロ、弦楽器のソロなどそれぞれがいい演奏を聴かせてくれた。この作品では生の諦念、孤独、寂しさ、若さ、美、あるいは牧歌や自然などが描かれているが、それぞれの情景描写が見事だった。第1楽章はソナタ形式で書かれているが、その形式構造を明確に感じさせてくれたのはさすが高関だ。ソプラノの小山はオケとのアンサンブルに少し手こずっていたようだが、長い終曲までよく声を出していた。最後の「永遠にewig」の繰り返しは深い精神世界を感じさせてくれた。テノールの小原は冒頭からオケと見事に溶け合い、酒を飲んで人生の悲哀を感じる男を見事に表現していた。ただ、高関、そして独唱者を含め、オケ全体は全6楽章のうち第4〜5楽章あたりで少し消化不良といった感じがしたのは残念だった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

クリスチャン・ヤルヴィ 東京都交響楽団 ペルト&ライヒ(5月18日、サントリーホール)
 クリスチャン・ヤルヴィは母国エストニアの作曲家ペルトと、ライヒを得意とする。特にペルトは亡命を通して家族同士の結びつきも深い特別な作曲家だ。ペルトとライヒはミニマル・ミュージック(素材を極度に切り詰めた長い持続音や反復による音楽)の作曲家として幅広い音楽ファンに人気があり、それを示すように客席もほぼ埋められていた。
 ペルトの「フラトレス〜弦楽オーケストラとパーカッションのための」(1977/91)は打楽器奏者がクラベス(中米・カリブの硬い拍子木)と大太鼓を「トン、トントン」と規則正しく鳴らすと3つの声部からなる弦楽オーケストラが答える。それが音程を下げ9回繰り返されるが、クリスチャンは都響から繊細で洗練されたハーモニーを引き出す。どこか懐かしく瞑想的な旋律と響きは何度も繰り返されると催眠状態に誘われる。
 ペルトがグレゴリア聖歌やルネサンス時代の合唱曲を研究して作曲した交響曲第3番(1971)は3つの楽章からなる25分ほどの作品。「ランディーニ終止」と呼ばれる宗教的な音階と上下行する動機が多用されるが、歌舞伎の拍子木を思わせる第2楽章最後のティンパニの強打と、第3楽章末尾近くのトロンボーンのソロが強烈な印象を残した。
 後半のライヒは、洗練されたエンタテインメントだと思った。「デュエット〜2つの独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための」(1993)は2人のヴァイオリン奏者と舞台上手に配置された弦楽オーケストラが絡み合う。ヴァイオリンはカノンを展開、オーケストラは抑揚のないリズムを規則正しく刻む。爽やかな風が吹き渡る気がする。
 大編成のオケに懐疑的だったライヒに、管弦楽のための協奏曲を書くよう勧めたマイケル・ティルソン・トーマスに敬意を表したい。「フォー・セクションズ」(1987 日本初演)は、バルトークのように独奏者がオーケストラと対話するのではなく、同種の楽器が集まってオーケストラと競うアイデアがとられている。2台のピアノ、2台のヴィブラフォンが網の目のように細かく組まれたリズムで重なり合う第2楽章が最高に楽しく、クリスチャンの鮮やかで明解な指揮はこの作品の心躍るようなエンタテインメント性を見事に引き出していた。客席には父のネーメ・ヤルヴィが奥様とともにさかんに拍手をしている姿が見えた。(長谷川京介)

写真:堀田力丸/提供:東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【室内楽】

エマニュエル・パユ with フレンズ・オブ・ベルリン 〜フルート四重奏の夕べ(5月19日、王子ホール)
 パユとベルリン・フィルの仲間達(ヴァイオリン:マヤ・アヴラモヴィチ、ヴィオラ:ホアキン・リケルメ・ガルシア、チェロ:ステファン・コンツ)の演奏は、気心が知れた者同士の和気藹々とした雰囲気で進められたが、もう少し緊張感や奏者同士の突っ込みがあってもいいのではないかとも思った。しかしこれは第1番を除いて自作が疑われているモーツァルトの典雅な作品のせいもあるのかもしれない。いずれにせよモーツァルトのフルート四重奏曲を全曲聴くのはどこか過剰なものがあった。他にロッシーニのフルート四重奏曲第2番。
 モーツァルトの4曲の中では、傑作である第1番の演奏が溌剌とした勢いがあり最も充実していた。パユは太い低音から伸びの良い高音まで、強靭さと美しさを併せ持つのが良い。モーツァルトの第3番では第5変奏の美しい旋律の歌わせ方が印象的だったが、ソロを吹いた武満徹の「エア」はモーツァルトでは聴けないパユのシリアスな面を知ることができた。ピアニシモとフォルティシモの振幅が大きく、空間の広がりを感じる。特に最後の音が天高く消えていくようなスケールの大きい表現はパユの凄みを感じた。
 アンコールのドヴォルザーク(コンツ編)弦楽四重奏曲「アメリカ」第4楽章ではヴァイオリンパートをフルートに編曲。縦横無尽に吹きまくるパユと、ベルリン・フィルの仲間たちの乗りの良さで圧倒した。(長谷川京介)

写真:(c)Hiro Isaka

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「2015年東京国際音楽コンクール<指揮>入賞デビューコンサート 管弦楽/読売日本交響楽団」(5月19日、東京オペラシティコンサートホール)
コリーナ・ニーマイヤー指揮プロコフィエフ:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」より第2組曲、太田弦指揮チャイコフスキー:幻想的序曲「ロメオとジュリエット」、ディエゴ・マルティン・エチェバリア指揮チャイコフスキー:交響曲第5番
 このコンクールの主催者は民音だが、このコンサートはそのおかげで実現している。ありがたい。同じオーケストラを三人の指揮者が振ると、どう違うか。非常に楽しめたコンサートだった。三曲ともロシアの音楽で、しかも全体として曲想も似ていたため、比較しやすかった。そして、やはり面白かった。指揮者の能力の第一歩は、100人規模の楽団員が出す音をどれだけそろえられるかという点にあると思うが、三人とも激戦を勝ち抜いてきただけあって、そのような点で気になるようなことはなかった。次に自分の考えが音となって引き出せるかだが、これは手の振りがそのまま音となって聴こえてくるかという視点から見るとわかると思う。ニーマイヤーは楽譜を見ながらだったためか、手の振りと音が必ずしも合っていなかったように感じた。作品の理解、読譜が十分にできていたか、消化不足ではなかっただろうか。おそらくリハーサルの時間は限られていただろうし、コンサートの最初の演奏は楽器も鳴らないことが多いので、その点はハンディだったかもしれない。太田の振りは生き生きとしていて、彼の考えがはっきり音に表れていた。視覚的にも楽しめた。オケを振ることにはすでに十分な経験があるようにすら感じられた。作品の解釈の観点からは交響詩としての物語を十分に感じさせてくれた。好感の持てる明るい人柄は今後女性ファンの心をつかむことになるかもしれない。これから本当に楽しみな指揮者だ。エチェバリアはすでに独り立ちした立派な指揮者だった。右手で拍子、左手で表情を付ける指揮法も完成されたものだった。多種多様な楽器がそれぞれの個性を発揮させつつ、有機体としてのオケの統一された魅力を十全に感じさせてくれた。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「山下一史指揮 ニューフィル千葉第99回定期演奏会」(5月22日、習志野文化ホールチャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”
同:弦楽のためのセレナード ハ長調 作品48
同:交響曲第5番 ホ短調 作品64
 「山下一史音楽監督就任記念」と銘打たれた演奏会。演奏が終わった後、山下が聴衆に「これが我々の今の実力です」と言ったが、これはあまりにも謙虚すぎる。細かいことはともかく、生演奏から伝わる全力投球の熱演に、聴衆は大いに満足した。全身で全霊をこめて演奏する姿には、どんな人をも引き付ける魅力がある。プログラムはよく考えられたものだった。ニューフィル千葉の実力、特性を考えてのことだろう。チャイコフスキーを選んだのは多くの聴衆に受けがいいとのことだろうが、2曲目に弦楽合奏を入れて、楽器をよく鳴るようにしておいて後半の交響曲第5番を導いたのではなかろうか。オケ全体もよく音が出ていた。もう少し澄んだ響きがほしい、あるいはフォルテばかりの印象が強いなどと思ったところもあったが、アンサンブルとして聴いた場合のオケはよく統一が取れていた。木管は弦とうまく溶け合い、ホルンは朗々とした響きを、トランペットは明確なリズムを刻んでいた。楽しいひと時だった。今後も全力の演奏を期待したい。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「高関健指揮 東京シティーフィルハーモニック管弦楽団第45回ティアラこうとう定期演奏会」(5月28日、ティアラこうとう)
ヴァイオリン独奏:松田理奈
モーツァルト:交響曲第1番 変ホ長調 KV16
同:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調KV219「トルコ風」
同:交響曲第41番ハ長調KV551「ジュピター」
 五月晴れの午後、モーツァルトを聴いた。交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲を間に入れて、後半第41番という組み合わせ。プログラム構成がいい。松田のヴァイオリンはまず顔や容姿の表情がなんと豊かだったことか。それが音楽に反映するから、生の魅力ここにあり、といった感じだった。作品を知りつくし、モーツァルトのスペシャリストと言えるほど、細部まで的確な表現をしていた。オケとのアンサンブルも見事だった。高関の伴奏のうまさもさえていた。アンコールもヴァイオリンの魅力をよく聴かせてくれた。これで、松田のファンも増えたことだろう。
 モーツァルトの8歳で作曲された第1番と32歳で作曲された最後の交響曲を一つのコンサートで聴けるのは面白かった。プレトークで「ド‐レ‐ファ‐ミ」の主題がいずれでも演奏されることが紹介されていた。これを意識して聴いた聴衆も多かっただろう。また、オケの配置も「ジュピター」に合わせ、工夫されていた。これも演奏が視覚的に楽しめる点を後押ししていた。ただ、残念ながら弦の音が大きすぎたように思う。近年、オリジナル楽器による演奏が広まっているためか、多くの演奏では弦は少人数で演奏され、管楽器が独奏楽器のようによく聴こえる。筆者も無意識のうちにこれに毒されているのかもしれないが、木管も金管も非常にきれいに演奏していた分、ちょっと残念な気がする。(石多正男)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「ワルター・アウアー フルートリサイタル」(5月28日、文化会館小ホール)
ピアノ:沢木良子
A.ルーセル:フルートを吹く人たち、G.フォーレ:ファンタジー、F.プーランク:ソナタ、A.ガゼッラ:シシリエンヌとブルレスク、P.J.チャイコフスキー:レンスキーのアリア、R.シュトラウス:ソナタ 変ホ長調op.18
 前半はオーストリアの貴公子がフランス近代の作品を演奏した。アウアーはオーストリア・ドイツで教育を受けた。しかし、フルート作品のレパートリーはバッハやモーツァルトを除けば、フランス近代作品が中心になる。アウアーはドイツ人よりもフランス人的な容姿・雰囲気を持っており、それがフランスのきらびやかな作品に合っていた。よく知られた名曲で楽しませてくれた。後半はまずチャイコフスキー。「レンスキーのアリア」での辛い苦悩の表現は説得力があった。最後のR.シュトラウスは若い頃のシュトラウスの意欲作だが、作品自体が分かりにくいことも手伝って、その魅力が聴衆には十分に伝わらなかったかもしれない。とはいえ、アンコールで演奏したシューベルトの「音楽に寄せて」はとってもいい配慮だった。音楽への感謝を歌うリートの傑作だが、自身がオーストリア人であることを暖かい情感で包み込んでくれた。ピアノの沢木は非常に優れたアンサンブル奏者だった。ピアノが出過ぎではないかと感じる箇所がなかったわけではないが、協演を十分に楽しませてくれた。(石多正男)