2016年5月 

  

Classic CD Review【器楽曲 (チェンバロ)】

「イマジン〜J.S.バッハ:チェンバロ作品集、組曲ハ短調 BWV997、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調 BWV1003(ソナタ ニ短調 BWV964 W.F.バッハによる編曲)、伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より(シャコンヌ ブラームスによる編曲)、 無伴奏フルートのためのパルティータ BWV1013(ステファヌ・デルプラスによる編曲)、イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV1005 (ソナタ ト長調 BWV968 W.F.バッハによる編曲) アダージョ、」/ ジャン・ロンドー(チェンバロ)」(ワーナーミュージック・ジャパン、エラート/WPCS -13341)
 ワーナーミュージック「ライジングスターズ」シリーズの1枚。このCDのケースに添付されているライナーノーツの表紙のジャン・ロンドーの写真を見て驚いたのは、どう考えてもあの大バッハとの接点が見つからないことだった。先ずどう見てもサイケデリックなイメージであり、彼がチェンバロでバロック音楽、それもJ.S.バッハを奏でるなど、とても連想(イマジン)することなど不可能だった。しかし今の若いクラシック音楽ファンから見たら異質には見えないかも知れない。それどころか色々な資料を読むと今やフランスを代表する若手チェンバロ奏者でありコンクールの受賞歴も数多い。何はともあれロンドーのデビュー盤であるこのCDを聴いてみた。先ず良かったのはブラームスが右手を痛めたクララの為にアレンジした有名なシャコンヌである。実に几帳面な音楽であり、ヴァイオリンの原曲と比較してもより楽しめる曲に変身しておりロンドーも素晴らしい演奏を聴かせてくれた。そしてこのアルバムで唯一のアレンジものでないイタリア協奏曲は全体的に見ても流石に見事な出来と言える。今回はこの1枚をきいただけだが、若いロンドーの今後には大きな期待を寄せたいと思う。
(廣兼 正明)

Classic BOOK Review【オーディオ・クラシック (音楽再生術)】

「鳴らす力 聴く力 二人が語るこだわりの音楽再生術 /貝山知弘/青澤唯夫・共著」(音楽之友社・刊)
 この一冊の書はともに「ミュージック・ペンクラブ・ジャパン」の会長を経験したオーディオ研究の第一人者、貝山知弘と音楽評論の第一人者、青澤唯夫の二人が一堂に会して丁々発止の持論をぶつけ合い、究極の音楽再生方法のベストをお互いに探求しあう事から始まる。そして実際に音楽を作り上げる専門家として、現在広く活躍中の有名ピアニストと自ら新しい音の世界を求めてレコード制作会社を経営しているレコーディングの専門家をもゲストに迎え、演奏と録音の現場で遭遇する問題点をどのように解決しているのかなど、音楽愛好家の知りたい事をざっくばらんに解明して行くプロセスが実に分かり易く書かれている。そしてCDに収録されている音を如何に完全に再生できるか、そのためにどんな再生装置が必要なのか、という二人が導き出したヒントがこの1冊には数多く詰まっている。その他にも、例えば雨の日にコンサートに行く際の最低限の聴衆マナーとして実際にはこんな事もあるのかと考えさせられる。本書はより良い音を求めている音楽ファンにとっては又とない座右の書としての一冊とも言えよう。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「ザイラーピアノデュオ グランドコンサート2016」(3月26日、よみうり大手町ホール)
 ピアノを二人で、4手で演奏するピアノ連弾の演奏家として44年にわたり活躍しているザイラーピアノデュオによる8年ぶりという東京でのリサイタル。「ブラームス×マルクス 光と影の旋律」が副題で、マルクスとはハンブルクの音楽出版社が若い作曲家たちに編曲を依頼するさいに使用したペンネーム。ブラームスもそこに名を連ねていた。
 二人の演奏は温かく慈愛にあふれ、息の合ったハーモニーはエルンストがバスとテノール、カズコがアルトとソプラノを担当した完璧な四重唱の趣がある。
 アーティキュレーション(音の切り方つなぎ方)からダイナミック、ハーモニー、音色にいたるまでぴったりと一致する演奏は本当に見事で、一見小品のように聞こえる曲も、実は相当の熟練度と芸術的表現が必要とされることがわかる。
 コンサートのメインはブラームスの18曲からなる「愛の歌」。もともとピアノ連弾伴奏つき四重唱として作曲され、のちにピアノ連弾版にされたもの。この日はもとの歌詞の抄訳をカズコが曲ごとに朗読した。愛と微笑みに満ちたブラームスは暗く重いイメージとは正反対だ。
 ザイラーピアノデュオは二年ごとに「かやぶき音楽堂デュオコンクール」を開催している。かつてヨーロッパで最も普及した室内楽である連弾を通して、室内楽への理解を深め、二人で音楽を作っていく喜びを知ってほしいという目的で始まった。ピアノ連弾は西洋音楽の土台のひとつと言ってもいいくらいだ。今回は連弾の奥深さを知るよい機会となった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「小澤征爾 水戸室内管弦楽団 東京公演」(3月29日、サントリーホール)
 天皇皇后両陛下がご臨席されたベートーヴェン交響曲第5番「運命」は室内オケならではの研ぎ澄まされた鋭い響きと合奏の緻密さ、透明感があり、ラデク・バボラークや工藤重典をはじめとする錚々たる名手たちが演奏の完成度を高めていた。
 小澤の指揮は譜面のすみずみまで目配りをした求道士のごとく壮絶なもの。
 第2楽章の冒頭主題のヴィオラとコントラバスの響き、第50小節からのチェロが加わった変奏、第114小節からのチェロとコントラバスの響きは少人数とは信じられない重みと深さがあった。第3楽章スケルツォのトリオでの低音弦も素晴らしい。第4楽章コーダでのホルンとピッコロのソロも見事。最後は輝かしい勝利に終わる。
 こういう演奏を聴いていると様式感がないとか日本的だとか批評することが無意味に思えてくる。小澤征爾は最後まで小澤征爾を貫いているのだ。
 竹澤恭子がコンサートマスターを務めた指揮者なしのシベリウスの「悲しきワルツ」は室内楽のような演奏。
 モーツァルトのクラリネット協奏曲では渡辺實和子がコンサートマスターを務め、リカルド・モラレスをきめ細かくフォローする。モラレスの滑らかなクラリネットは時に幽玄な響きで深みを出すが、全体に明るい響きのため哀感がもうすこし出ればと思った。
 コンサートの最初に水戸室内管のメンバーでもあったウィーン・フィルのティンパニスト、ローランド・アルトマンを追悼するため、小澤の指揮によりモーツァルトのディヴェルティメントニ長調第2楽章が拍手無しで演奏された。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「東京春祭ワーグナー・シリーズ「ニーベルングの指輪」第2日《ジークフリート》」(4月7日、東京文化会館)
 ワーグナー作品の演奏会形式にこだわり、「私の指揮の個性は、明晰さ」と言うヤノフスキの真骨頂が発揮された、完璧なバランスと構造を持つ≪ジークフリート≫だった。
 昨年に続きライナー・キュッヒルをコンサートマスターに、ヴィオラのトップには新日本フィルの篠崎友美を迎えたN響の弦セクションは立体的で流麗、澄んだ響きでヤノフスキの精確な指揮に応える。
 ジークフリートの角笛のホルンソロを舞台前面で吹いた福川伸陽をはじめとする金管の安定ぶりは見事。クラリネット、ファゴットなど木管も充実した演奏。
 歌手陣の充実ぶりは昨年を上回る。中でもジークフリートのアンドレアス・シャーガーが若々しく覇気に満ちた歌声で、「今最も注目されるヘルデンテノール」という評判通り最高の出来栄えだった。第3幕の抒情的で声量も必要とされる場面まで最高のコンディションを保ち、軽妙で時にナイーブなジークフリートとしての演技も見せた。
 次にミーメ役のゲルハルト・シーゲルが立派だった。ミーメとしては堂々としすぎて、ジークフリートを食うくらいの存在感を見せた。そして知的で品格のあるアルベリヒを感じさせたトマス・コニエチュニーが圧倒的。ブリュンヒルデのエリカ・ズンネガルドも美しい容姿とドラマティックな歌唱力があり、さすらい人のエギルス・シリンスはやや一面的なヴォータンだったが、声量は素晴らしい。ファーフナーのシム・インスンは昨年の「ワルキューレ」でも同役だったが今年も好調。エルダのヴィーブケ・レームクールは豊かな声。森の鳥を歌った清水理恵は上階から歌い、空間が広がり効果的だった。聴衆の反応は熱狂的で、最後はスタンディング・オベイションとなった。(長谷川京介)

写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:青柳聡

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「サー・ネヴィル・マリナー アカデミー室内管弦楽団」(4月9日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 1曲目のプロコフィエフの「古典交響曲」を聴いて仰天した。サー・ネヴィル・マリナーがこれほどの大指揮者とは。初めて生を聴く者として恥じ入るばかり。アカデミー室内管の弦は絹糸のように繊細でアンサンブルは最高級の絹織物のように精緻で気品がある。フルート、ファゴットのソロも素晴らしい。92歳とは思えないマリナーの若々しい指揮と中庸のテンポ感も絶妙だ。
 2曲目のヴォーン・ウィリアムズ「トマス・タリスの主題による幻想曲」では舞台下手奥に第2合奏団、中央に弦楽四重奏を中心とした第1合奏団が並ぶ。ヴィオラのソロの深い響きに打たれる。ヴァイオリン・ソロと弦楽四重奏の対位法的な響きは天国的。
 後半のベートーヴェンの交響曲第7番は8型とは思えない豊かな響きがあった。ふわりと柔らかく奥行きがある弦とまろやかな木管、そして張りのある金管が絶妙にブレンドされる。第2楽章アレグレットでの第2ヴァイオリンの主旋律とヴィオラ、チェロの対旋律が対話する部分が最も印象に残った。
 アンコールの2曲がまた素晴らしかった。モーツァルト「フィガロの結婚」序曲の天馬空を行くような響き。そして「ダニー・ボーイ」での弦楽アンサンブルの豊かな低音が心を揺さぶる。中間部で吹くホルンのソロも威厳があった。
 これがサー・ネヴィル・マリナーとアカデミー室内管弦楽団の日本での最後のツアーというのはかえすがえす残念で仕方がない。(長谷川京介)

写真: (c)Bill Page

Classic CONCERT Review【室内楽】

「東京・春・音楽祭 荒木奏美 オーボエ・リサイタル」(4月12日、上野学園 石橋メモリアルホール)
 伸びやかな美しい高音と艶やかな音色、自然体でスケールの大きいオーボエ奏者という印象を持った。藝大在学中の昨年6月東京交響楽団首席オーボエ奏者に就任。同年10月、第11回国際オーボエコンクール・軽井沢で日本人初の第1位[大賀賞]を受賞という順風満帆の中での初リサイタル。 
 前半は硬さが感じられたが、後半最初の上記コンクール課題曲、細川俊夫「≪スペル・ソング ─呪文のうた─≫オーボエのための」での風がいっぱいに吹き渡るような演奏に魅了された。「ブラヴォ」という声は細川本人ではなかっただろうか?振り返ると立って拍手している細川がいた。この曲は今後も荒木奏美の看板曲になると思う。
 東響の仲間達(ヴァイオリン:水谷晃、ヴィオラ:青木篤子、チェロ:伊藤史嗣。いずれも首席)とのブリテンの「幻想四重奏曲」は安定した演奏。続くモーツァルトの「オーボエ四重奏曲」の第2楽章アダージョはもっと聴いていたいと思わせるほど。ただこの曲を初めて吹くという荒木は他の3人と有機的に混じり合うところまでは行っていなかったように思う。
 ピアノの宇根美沙惠とのパスクッリ「≪椿姫≫の楽しい思い出」では超絶テクニックをみせた。
 1曲目のバッハ「フルート・ソナタ(原曲ホ長調)BWV1035」は緩急が極端で、緩やかな楽章ではよく歌うが縦の線があいまい、速い楽章はスピードに流されてしまうなど課題もあるが、伸びしろの大きいアーティストであることは間違いない。これからの活躍が楽しみだ。
(長谷川京介)

写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:飯田耕治

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「下野竜也 読響 フィンジ「霊魂不滅の啓示」ほか」(4月14日、サントリーホール)
 めったに演奏されることのない英国の作曲家ジェラルド・フィンジ(1901-1956)の大作「霊魂不滅の啓示」をとりあげてくれた下野竜也に敬意を表したい。池辺晋一郎「多年生のプレリュード」(2011年)とベートーヴェンの交響曲第2番を前半にもってくるプログラムも凝っている。 
 下野の指揮は明解で、エネルギーに満ちた池辺作品を鮮やかに聴かせる。続くベートーヴェンは師匠の朝比奈隆を思わせる中低音が充実した重厚さの中に、下野の切れ味の良い解釈が加わる。 
 フィンジではテノール独唱をロビン・トリッチュラーが、合唱は二期会合唱団(合唱指揮:冨平恭平)が担当した。下野の指揮は生命力にあふれダイナミックで、合唱も清らかで分厚いハーモニーを展開する。トリッチュラーの歌唱は繊細でナイーブ。そのため時に合唱とオーケストラの音の渦に負けることがあるのはやむを得ない。
 ひとつだけ気になったのは、第3部から第4部にかけて、例えは適切ではないかもしれないが、余りにもオーケストラを鳴らすためかスペクタクルな映画音楽のように聞こえたこと。ここはオラトリオのような色合いを持たせた方がフィンジにはふさわしいのではないだろうか。
 それでも全体的にはホルンをはじめとする読響の優秀な奏者の力量を最大限引き出した下野の指揮は見事なもので、フィンジの魅力を存分に味あわせてくれたことは確かだ。この演奏会と次の定期をもって読響の首席客演指揮者を退任する下野竜也の花道を飾るにふさわしい名演だった。(長谷川京介)

写真:(c)Naoya Yamaguchi

Classic CONCERT Review【室内楽】


「東京・春・音楽祭 ミュージアム・コンサート 青木尚佳(ヴァイオリン)&伊藤悠貴(チェロ)」(4月16日、国立科学博物館 日本館講堂)
 15年来の友人でいながら共演は初めてという青木尚佳(ロン=ティボー=クレスパン国際コンクール第2位)と伊藤悠貴(ブラームス国際コンクール、ウィンザー祝祭国際弦楽コンクール日本人初優勝)によるリサイタル。ハルヴォルセンの「ヘンデルの主題によるパッサカリア」の胸のすくような演奏がよかった。
 最後の曲、ラヴェルの「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」はラヴェル自身が「むきだしの音楽、和声の放棄、旋律の反発」と述べているように、1920年代としては前衛的な音楽。この難曲を二人は息の合った乗りの良い演奏で弾ききった。
 ソロでは伊藤がバッハの無伴奏チェロ組曲第1番を、青木は無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番を弾いたが、その演奏は対照的だった。伊藤は出だしの前奏曲が流れが良く「これはいい」と思わせたが、アルマンド、クーラントと進むにつれ、バッハの何を伝えたいのかわからない演奏になっていく。サラバンドは素直に弾かれ、かえってこのほうがよいと思わせる。
 一方、青木は真正面からバッハに向かっていく。素のまま音楽に集中しているように見える。結果的に大木がそびえたつようなバッハが浮かんでくる。ひとつひとつの音の意味を探りながらいくのがよいのか、あるいは思い切って挑戦するのがいいのか、バッハは難しいと実感させられた二人の演奏だった。
(長谷川京介)

青木尚佳写真(c)井村重人

Classic CONCERT Review【オペラ】

「ジョルダーノ アンドレア・シェニエ」(4月20日、新国立劇場オペラパレス)
 主役の三人は水準以上の歌唱。タイトルロールのカルロ・ヴェントレは数多いテノールの聴かせどころのポイントをはずさない。第3幕でマッダレーナ役のマリア・ホセ・シーリは「死んだ母を」で劇的な表現力を聴かせ、ジェラール役のヴィットリオ・ヴィテッリも「祖国の敵」を手堅く歌う。ヤデル・ビニャミーニも指揮者としてのキャリアは短いが、メリハリのある指揮で東京フィルをまとめあげていた。
 全体的に不満のない公演だが、もうひとつ感激がうすい。その要因は歌手たちが迫真のリアリティを出し切れていないことにあるのかもしれない。
 アンドレア・シェニエの詩人としてのたぎる情熱、フランス革命により貴族生活はもとより肉親も失ったマッダレーナの絶望、ジェラールの貴族に対する憎しみ、マッダレーナへの情欲と理性の狭間で苦悶する有様などが真実味を欠き、借り物であることが感じられてしまう。ヴェリズモ(写実主義)オペラの代表作であればこそ、もうすこし踏み込んだ歌唱や演技があってもいいのではないだろうか。
 2005年プレミエのこの舞台、演出・美術・照明はフィリップ・アルローで、ギロチンの刃が切り裂いたような舞台装置やギロチンの映像、音を使う。最後にシェニエとマッダレーナが断頭台に向かう時、目隠しをされた大勢の人々が後ろから現れ全員が一斉に倒れる演出は、フランス革命の犠牲者を表しているのだろう。その狙いはよくわかるが、シェニエとマッダレーナの「愛」の描写がうすまる側面も持っていた。(長谷川京介)

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

Classic CONCERT Review【声楽】

「モイツァ・エルトマン」(4月22日、王子ホール)
 よく練り上げられたプログラム。キーワードは「花」「死」「祈り」「星」と見た。「もの言わぬ花」(R.シュトラウス)で始まり、「すみれ」(モーツァルト)、「花束を編みたかった」(シュトラウス)、「野ばら」(シューベルト)と進む。踏みつけられ手折られる花の背後には「死」がある。「イヌサフラン」(シュトラウス)の「todlich(死に至る)」と「重苦しい夕べ」(シューマン)の「Tod(死)」という言葉を強調して歌う。
 同じシェイクスピアのハムレット「オフィーリア狂乱の場」をシュトラウス(「3つのオフィーリアの歌」)とリーム(「オフィーリアは歌う」)で対比するアイデアも秀逸だ。リームはオリジナルの英語の歌詞。ピアノのマルコム・マルティノーが対話するように間の手を入れる。 
 エルトマンの声は透明感があるが同時に音域の広さと強靭さも持っている。歌い方や曲の解釈にユーモアのセンス、諧謔性を感じさせる。美しい声の持ち主だが、ただ清らかに歌うということはない。だからこそ歌詞の裏にある意味が浮かび上がってくる。
 後半最初にアカペラでスポットライトを浴びながら演技たっぷりに歌ったライマンの「ヘレナ」にその魅力が端的に出ていた。現代音楽に秀でたエルトマンならではの劇的で迫力ある歌唱は他の歌手たちと一線を画す。
 一方、シューベルト「万霊節のための連祷」での抑えた歌唱は彼女の違った一面を聴かせた。ここではマルコム・マルティノーのピアノ伴奏も素晴らしかった。最後は星にまつわるR.シュトラウス「星」、アカペラでライマン「かしこい星たち」で締める。アンコールのモーツァルト「夕べの想い」は絶品。R.シュトラウス「明日の朝」は癒されるものがあった。(長谷川京介)

写真:(c) Felix Brode

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ジョナサン・ノット 東京交響楽団 ブラームス「ドイツ・レクイエム」ほか」(4月24日、サントリーホール)
 ジョナサン・ノットの音楽性と指揮者としての優れたバランス感覚、センスあるプログラミングに脱帽させられた。東京交響楽団と東響コーラス、ソリスト2人がノットと共に遥かな高みに向かっていく演奏は見事というほかない。
 ユダヤ人虐殺をテーマにしたシェーンベルク「ワルシャワの生き残り」とベルク「ルル組曲」(ナチスはベルク作品を否定)は鎮魂と救済の「ドイツ・レクイエム」へと続く。残虐性と冷血が崇高さと並べられることで、レクイエムは一層痛切に聞こえてくる。
 ノットの指揮は繊細さと劇的な面とのバランスが絶妙で、隅々まで血が通っている。ひとつひとつのフレーズにノットの意図が感じられる。
 バス・バリトンのクレシミル・ストラジャナッツとソプラノのチェン・ルイスはそれぞれがソロで「ワルシャワ」と「ルル」に登場、「レクイエム」では共演したが、二人の温かな声は人間愛を感じさせた。
 今日のコンサートの立役者は毎回厳しいオーディションを経て暗譜で歌う東響コーラス。「ドイツ・レクイエム」ではピアニシモからフォルティシモまで濁りのないハーモニーを聴かせた。最大のクライマックス第6曲の「死は勝利に呑まれてしまった」の壮麗なコーラスは圧倒的だった。頂点から一気に大フーガへ入り、引き締まった弦の響きを引き出すノットの指揮も冴えている。
東京交響楽団のオーボエの天国的な響きをはじめとする木管と、正確な金管、「ルル」での弱音器を付けた繊細な室内楽のような弦も素晴らしかった。
(長谷川京介)

写真:(c) K.Miura