2016年2月 

  

Classic CD Review【協奏曲・他(ヴァイオリン)】


「ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21、サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン 作品20、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 / ルノー・カピュソン(ヴァイオリン)、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、パリ管弦楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、エラート/WPCS -13327)
 今やフランスを代表するヴァイオリニストであるルノー・カピュソンが、昨年オープンしたばかりのホール、フィルハーモニー・ド・パリで5月と9月に録音した最新盤である。収録した曲はすべてルノーが12歳の時に初めて取り組んだフランス、スペイン、ドイツ3カ国の作曲家による3曲で、そしてそのすべてが誰もが知っている超有名曲と言われる曲ばかりである。このディスクを聴いて先ず感じるのは音が実に甘く美しい、と言うことだ。彼が今弾いている楽器は、戦後も大活躍したかのアイザック・スターンが愛用していた1737年製のグァルネリ・デル・ジェスだが、筆者はスターンよりもルノー・カピュソンの方がより相性が良いのではないかと思う。最初のスペイン交響曲では当然のことだろうが5楽章のフル・ヴァージョンである。最後のブルッフの協奏曲は叙情味に溢れ素晴らしいが、2つの協奏曲に挟まれているツィゴイネルワイゼンの哀愁に満ちた演奏は例えようもなく美しく、この3曲のなかでは、一頭地を抜く出来映えである。最後にパーヴォ・ヤルヴィとパリ管の制御されたバックアップの完璧さも一言加えておきたい。(廣兼正明)

Classic CD Review【器楽曲 (ヴァイオリン)】

「ニコラス・マッカーシー / ソロ〜左手のためのピアノ編曲集 ニコラス・マッカーシー(ヴァイオリン) 」(ワーナーミュージック・ジャパン、エラート/WPCS -1333)
  2015年9月にメジャーのワーナー・クラシックスからデビューしたニコラス・マッカーシーはロンドンの近郊で生まれたが、先天的に右手が全く使えなかった。彼は小さい頃から電子ピアノで遊ぶことが好きな子どもだった。14歳の時に友達が弾いたベートーヴェンの「ワルトシュタイン」に触発され、ピアニストになることを決心したという。その後紆余曲折を経て17歳でロンドンのギルドホール音楽演劇学校ジュニア部門のオーディションに無事合格したが、彼はピアニストになるために右手が使えない致命的なハンディキャップを乗り越えて、他の生徒とは違う左手1本のピアニストを目指して死にものぐるいの練習に励んだ結果、学校の年間ピアノ賞を獲得するまでに成長したのである。1989年生まれのニコラスは今年27歳になるが、この1枚のCDを聴くに付け、収録されている16曲のすべてが、まさか左手1本だけで演奏しているとは思えない完璧な迄の音楽に驚く。
CDの収録曲:1.エイナウディ/マッカーシー編:I. Giorni、2.マスカーニ/マッカーシー編:カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲、3.プッチーニ/マインダース編:ジャンニ・スキッキより「私のお父さん」、4.ベッリーニ/フマガッリ編:ノルマより「清らかな女神よ」、5.ラフマニノフ/マインダース編:ヴォカリーズ、6.リスト/ジチー編:「愛の夢」、7.ショパン/ゴドフスキー編:「別れの曲」、8. ショパン/ゴドフスキー編:練習曲「大洋」、9.スクリャービン/シミーリョ編:練習曲「悲愴」、10. スクリャービン/シミーリョ編:練習曲 作品2-1、11. スクリャービン:2つの左手のための小品 作品9-2「夜想曲」、12.ブルーメンフェルト:左手のための練習曲 作品36、13.ワイルド:ガーシュインによる7つの超絶技巧練習曲「私の彼氏」、14.ガーシュイン/マッカーシー編:ポーギーとベスより「サマータイム」、15.R.シュトラウス/マン編:「明日」、16.ヘス:夜想曲 (廣兼正明)

Classic CD Review【室内楽曲(弦楽五重奏・七重奏)】


「ベートーヴェン:弦楽五重奏曲 ハ長調 作品29、七重奏曲 変ホ長調 作品20 / ハウスムジーク〈モニカ・ハジェット/Vn、パヴロ・ベズノシウク/Vn、ロジャー・チェイス/Va、サイモン・ウィスラー/ Va、リチャード・レッサー/Vc、アントニー・ペイ/Cl、アントニー・ハルステッド/Hr、ジェレミー・ウォード/Bn、チーチ・ワノク/Db〉」(ワーナーミュージック・ジャパン、エラート/WPCS -16247)
 このアルバムはワーナーから再発されたピリオド楽器演奏シリーズ”Originale”からの1枚である。 演奏している「ハウスムジーク」は1980年代の終わりから1990年代にかけて特にイギリスではベートーヴェン以降ロマン派にかけての曲をピリオド楽器のオーケストラで演奏することが流行し、それに呼応して室内楽も次第にピリオド楽器による演奏が幅広く行われるようになった時期に、ピリオド楽器演奏の実力者であるヴァイオリンのモニカ・ハジェットたちによって創設された。ここで演奏されている2曲はベートーヴェンの初期の曲であり、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第3番、弦楽四重奏曲第2~6番、ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ピアノ・ソナタ「月光」等とほぼ同じ時期に作られている。
 さてこのハウスムジークの演奏は多くのピリオド楽器での室内楽グループと同様速めのテンポではあるが、思ったよりも堅固なアンサンブルであり、特に弦楽五重奏曲では全楽器の均衡の取れたバランスがこの曲の魅力をより高めていると言える。そしてベートーヴェン初期の傑作である七重奏曲では主導権を持つ第1ヴァイオリンのモニカ・ハジェットの上手さに室内楽奏者としてのセンスの良さを感じる。(廣兼正明)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「第3回 アート×アート×アート「能×現代音楽×ファッション 能オペラ Nopera AOI」(12月14日 富ヶ谷・Hakuju Hall)
 音楽と他ジャンルのアートが出会う好評企画「アート×アート×アート」の第3弾が行なわれた。“能オペラ”とはいったい何ぞや、と思って会場に向かったのだが、こういうときはあれこれ考えず、無心にパフォーマンスに没頭するしかないと思い直して着席した。顔ぶれは東フィル首席奏者である斎藤和志(フルート)、池上英樹(打楽器)、それに能アーティストの青木涼子。第1部はストラティス・ミナカキス「ApoploysII ホメロス時代の破片」等、2012〜13年に書かれたナンバー。空間の中に音をちりばめるような楽器陣と、英語やギリシャ語も取り入れた“Noh Voice”が混然一体となった世界は、ぼくにとって初めて体験するものであった。第2部はトークのあと、馬場法子作曲の「能オペラ Nopera AOI葵上」を世界初演(抜粋)。山縣良和デザインの衣装を身につけた青木の鬼気迫る動作と目線、携帯電話を小道具や音源として使用したアイデア等、これまた意表をつく瞬間の連続で、時の経過をあっという間に感じた。この能オペラの全幕初演は、来年4月22日〜23日にパリの日本文化会館で予定されているという。(原田和典)

写真:(C)Junichi Takahashi

Classic CONCERT Review【室内楽】

「ミカラ・ペトリ リコーダー・リサイタル」(12月17日 富ヶ谷・Hakuju Hall)
 リコーダーほど日本人に身近な楽器はないだろう。学校の音楽の授業で吹かされる、あの「縦笛」だ。コントロールがほんとうに難しく、穴を押さえる指が少しずれても、息の量が多すぎても少なすぎても音が裏返ったりかすれたりしたことを思い出す。ミカラ・ペトリはデンマーク生まれのリコーダー奏者。ジャズ・ピアニストでクラシックも堪能なキース・ジャレットとの共演歴もある。この日は(ぼくが確認した限り)ソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テナーを使い分けて、西山まりえのチェンバロ(アンコールのみヒストリカル・ハープ)とのデュオ・パフォーマンスでJ.S.バッハの「フルートと通奏低音のためのソナタ ト短調BWV.1034」やG.ジェイコブ「リコーダーとチェンバロのためのソナチネ」等を演奏。G.タルティーニの「ソナタ ト短調 悪魔のトリル」は文字通りの難曲で、どう考えてもリコーダー奏者泣かせに違いないのだが、ミカラはこれを涼しい顔で軽々と吹きこなす。息の量の配分、無駄のない指の動きに、ぼくは、やはり身近な楽器で至高の芸術を奏でたハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンスの姿をダブらせた。(原田和典)

Classic CONCERT Review【協奏曲】


音楽ネットワーク「えん」 第4回コンチェルト演奏会(2015年12月25日、渋谷区文化総合センター大和田<さくらホール>)
 音楽ネットワーク「えん」は佐伯隆氏が主宰する1992年発足の個人宅やイベントスペースでサロンコンサートを行う市民グループ。今回はホールを使用し、オーケストラとソリストが共演する大規模な企画を催した。
 バックを務める「特別編成オーケストラ」はプロや各種音楽コンクール入賞者、現役の音大生などが参加する総勢59名という立派なもの。コンサートマスターは大フィルと名フィルのコンマスを兼務している田野倉雅秋が務めた。指揮は第2回バルトーク国際オペラ指揮者コンクール優勝の橘直貴。
 モーツァルトの「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲変ホ長調K.297b」は、4人のソリスト(オーボエ:最上峰行、クラリネット:大成雅志、ホルン:大森啓史、ファゴット:井上直哉)が気心の知れた「エロイカ木管五重奏団」のメンバーということもあり、フレーズのやりとりもスムーズで流れがよい演奏だった。
 2番目に登場した青木尚佳のヴァイオリンによるブルッフ「スコットランド幻想曲」は最高の聴きものだった。多様な音色、フレーズ、細やかな表現からダイナミックなものまで、ヴァイオリン一挺がまるでオーケストラのように響いてくる。特別編成オーケストラも青木の演奏に生き生きと反応した。青木のヴァイオリンとハープそしてフルートとのやりとりが美しかった。
 後半はバリトンの萩原潤によるマーラー「さすらう若人の歌」。豊かなよく響く声で、第3曲「ぼくは燃える刃を抱え」の切迫した歌唱がよかった。
 最後に登場したのはピアノの中桐望。浜松国際ピアノ・コンクール第2位(日本人最高位)の経歴がある。ショパンのピアノ協奏曲第1番を公開の会場で弾くのは初めてとのことで、慎重になったのか美しく丁寧な演奏だが、音楽がやや平板でダイナミックが不足していたように感じた。しかし、第2楽章のエピソードや経過句は細やかで素晴らしかった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ピエタリ・インキネン プラハ交響楽団 ニューイヤー・コンサート」(1月12日、武蔵野市民文化会館大ホール)
 昨年からプラハ交響楽団の首席指揮者に就任したインキネン指揮によるニューイヤー・コンサート。前半はスメタナ「モルダウ」、シベリウス「フィンランディア」、ドヴォルザーク序曲「謝肉祭」、ブラームス「ハンガリー舞曲第1番、第5番」、ドヴォルザーク「スラブ舞曲第10番、第8番」というポピュラーなプログラム。
インキネンとプラハ響の相性はいいのではと思わせる熱く覇気のある演奏だった。プラハ響は若者からベテランまで混じったオーケストラだが、まとまりがあり、家族的な雰囲気が好ましい。弦は渋いシルキーな響き、木管はローカルな雰囲気だがまろやか、金管は肺活量からくる強さがある。
 インキネンがこれほど激しくたくましい表現をするとは意外だった。日フィルとのシベリウス交響曲ツィクルスのときの繊細さとは違う印象があった。特に「謝肉祭」はインキネンとオーケストラが燃え立つようだった。
 後半はドヴォルザークの交響曲第6番。今回の日本ツアーでは多くの会場で「新世界より」が演奏されているが、武蔵野だけが滅多に聴けない第6番であり、貴重な機会となった。曲想は春の到来を祝うかのような喜びと歌に満ちており、ニューイヤー・コンサートにふさわしいが、聴衆は馴染みがないためか緻密で熱い演奏にもかかわらず反応がいまひとつだった。それでもアンコールの「ラデツキー行進曲」はコンサートを楽しく締めくくった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ(声楽)】




ダニエル・ハーディング 新日本フィル ブリテン「戦争レクイエム」(1月16日、すみだトリフォニーホール)
 最後の合唱が消えてから60秒余り静寂がホールを支配した。テノールのイアン・ボストリッジがその間頭を垂れていた姿にも強く打たれた。多くの聴衆が「祈り」の気持ちで余韻に浸ったのではないだろうか。
 反戦のメッセージよりも、理不尽に命を奪われたことに対する無念さがこの曲からは感じられる。ボストリッジは原詩を書いたウィルフレッド・オーウェンの化身のように、痛切な感情を激しい中にも抑制した表現で語りかけるように歌い上げた。バリトンのアウドゥン・イヴェルセンも最後のソロを味わい深く繊細に歌う。
 二人が「さあ、そろそろ僕たちも眠ろう・・・ Let us sleep now 」と声を合わせるところに児童合唱、ソプラノ、合唱が重なってくるクライマックスは全ての奏者の気持ちが一体となっているようで、このコンサートの価値を高めた。
オルガン下で歌ったソプラノのアルビナ・シャギムラトヴァは最初から素晴らしかった。何よりも栗友会合唱団(合唱指揮:栗山文昭)が繊細なピアニッシモから厚く強いフォルティシモまで緻密で力のこもった合唱でこのコンサートの最大の功労者だった。そして東京少年少女合唱隊(児童合唱指揮:長谷川久恵)も天国的な響きをもたらした。関係者から聞いた話では、児童合唱の位置は何度も検討され、ホール内は響きすぎるということから、最終的に三階の一番上の下手側ドア外側にひな壇を設置したという。
 ダニエル・ハーディングの指揮は最初から最後まで明晰だった。その冷静な指揮が、ブリテンの「戦争レクイエム」では効を奏し、抑制の中にも強く訴えてくるものがあった。新日本フィルもダニエル・ハーディングの指揮に見事に応えていた。室内オーケストラは崔文洙(チェ・ムンス)が、通常のオーケストラは西江辰郎がコンサートマスターを務めた。(長谷川京介)

写真:ダニエル・ハーディング (c)Harald Hoffmann、
アルビナ・シャギムラトヴァ(c) Andrei Bogdanov、
イアン・ボストリッジ(c) Sim Canetty-Clarke

Classic CONCERT Review【室内楽(チェロ)】

藤原真理 「誕生日にはバッハを」 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 全曲演奏会(1月17日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 誕生日にバッハの無伴奏チェロ組曲全曲を弾くという催しを15年続けている藤原真理。毎回曲順を変えるとのことだが、今年は第3・2・4番、第1・6番、第5番の順で演奏し、二度休憩を入れた。
 第1番と最後に弾かれた第5番はゆったりとした流れと藤原真理自身の人生を語るような趣があった。しかし全体として緩やかなプレリュードとかサラバンドは味わいがあるのに対して、クーラント、ブーレ、ジーグなどテンポが速い曲では弓が追い付かず、ぎくしゃくとしていた。中でも技術的に難しい第6番は格闘しながらかろうじて弾ききったという印象で、聴いていて少しつらいものがあった。もうひとつ気になったのは、豊かに響くチェロにも関わらず、ここぞという強奏で力が入らず、芯のない演奏になることだった。
 こうした疑問は全曲を弾き終わったあと、藤原真理が語った言葉で氷解した。六十肩を患っているという。五十肩も六十肩も呼び方が違うだけで、自分も経験があるが、腕を上げたり曲げたりする時に激痛が走る。コンサートをキャンセルしてもよかったのではと思うが、15年間続けていること、武蔵野市民文化会館が改修に入るため次は2年後になることから、無理を押したのではと想像する。1月17日は阪神淡路大震災の日でもあり、追悼の言葉と共に、2年かけてリハビリしますと締めくくった。藤原真理が体調万全の時にもう一度聴いてみたい。(長谷川京介)

(c)Atsuya Iwashita

Classic CONCERT Review【室内楽(ヴァイオリン)】

「イザベル・ファウスト〜バロックとバルトーク無伴奏の夕べ〜」(1月19日、王子ホール)
 イザベル・ファウストのソロ・リサイタル。前半はバロック時代の作曲家ヴィルスマイアー、ギユマン、ビゼンデル、ビーバーの無伴奏作品で、これらはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータに影響を与えた。後半はバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタで、バルトークは作曲にさいしてバッハから多くのヒントを得ている。つまりバッハの無伴奏作品に関係する曲を集めたプログラムと言える。
 ファウストは1曲目のヴィルスマイアー「パルティータ第5番」では指定されたスコルダトゥーラ(E線を1音下げD音にする調弦)にしたヴァイオリン「シュタイナー製ヴァイオリン」とバロック弓を使用した。ちなみに、シュタイナーはバッハやヴィヴァルディの時代にはストラディヴァリウスよりも評価が高く、コレッリやタルティーニも愛用していた。
 他の曲はストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティー」とバロック弓を使って演奏したが、作品的にはそれほど深いものは感じられず、ファウストの艶やかでみずみずしい音を聴くことに意味があるように思えた。しかし最後のビーバーの「パッサカリア ト短調」はバッハのシャコンヌへの影響が指摘されるように、その変奏の有様はバッハの世界と通じるものがあり、感銘を受けた。
 後半のバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタは「スリーピング・ビューティー」と通常の弓を使用。第1楽章が終わったあと調弦していたが、確かに音程がどこかおかしく、音楽にも勢いがなかった。しかし第2楽章最後から突然音楽に生気が蘇り、第3楽章メロディア、アダージョでは最高の演奏を聴くことができた。弱音器をつけた中間部、緊張の糸が極限まで張りつめた繊細な弱音が奏でられている間は時間が止まったようだった。
 第4楽章プレストのスピード感と力のみなぎった演奏には民族色は感じられず、非常に理知的、都会的で、ファウストの演奏の特徴の一部が理解できた。
アンコールは今回のプログラムの隠れた主役、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からの「ラルゴ」で締めた。(長谷川京介)

写真:(c) Felix Broede

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「トーマス・ダウスゴー 新日本フィル シベリウスとニールセン」(1月22日、すみだトリフォニーホール)
 ダウスゴーはこれまで新日本フィルと都響で聴いて、そのダイナミックな指揮と音楽の核心をつかみとる手腕に感服した。今回もシベリウス≪組曲「レンミンカイネン」─ 4つの「カレワラ」伝説≫とニールセン交響曲第5番で期待通りのツボを押さえた鮮やかな指揮を聴かせてくれた。
 ただ残念だったのは新日本フィルがダウスゴーの意図に百パーセント応じ切れていないことだ。2012年3月、両者初顔合わせのニールセン交響曲第4番「不滅」では、素晴らしい演奏をしただけに、今回の出来は首を傾げたくなる。「戦争レクイエム」以降のハードスケジュールの疲れがあるのかとも思う。
 「レンミンカイネン」では弦楽器に厚みがなく、金管も響きが薄く迫力がいまひとつ。第3曲「トゥオネラのレンミンカイネン」のクライマックス「死のテーマ」の深刻さが皮相的になる。第4曲「レンミンカイネンの帰郷」は盛り上がったが、弾むような力強さはない。むろん良いところもあった。第2曲「トゥオネラの白鳥」のイングリッシュ・ホルンやチェロのソロは美しく、静かなコーダも冥界にふさわしい響きだった。
 後半のニールセンの交響曲第5番はニールセンの特長であるうねりや粘り気が感じられない。第1楽章第2部アダージョの小太鼓が出るクライマックスではオーケストラは小太鼓の勢いに押され気味だ。ただコーダのクラリネットのソロは素晴らしかった。第2楽章第1部は淡泊な響きで、第3部の弦のフガートも張りがない。第4部のクライマックスはいまひとつ充実した響きがあればさらによかった。
 関東ではいくつものオーケストラが新しい音楽監督や首席指揮者を迎え充実した演奏を展開し、評価を高めている。新日本フィルも今年9月に上岡敏之が音楽監督に就任する機会をとらえ、ぜひ飛躍してほしい。(長谷川京介)

写真:(c) Per Morten Abrahamsen

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ読響 ブルックナー交響曲第8番」(1月23日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 読響がつけた演奏会タイトル通りまさに「究極のブルックナー」だった。最初の一音から最後の一音まですべての音符、フレーズがこれしかないというバランスと響きで鳴る。作曲家でもあるスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの「作曲家はスコアに無駄な音は書かない。スコアに書かれている以上、すべての音が聴衆に聞こえるべきだ」というポリシー(出典:ウィキペディア)が完璧に具現化された演奏とも言える。 
 これほどひとつの音やフレーズに生命力と意味が宿って聞こえてくるブルックナーは空前絶後と言える。しかしそれだけで終わらないものが今日のスクロヴァチェフスキの指揮から感じられた。それは若々しさとみずみずしさ。92歳という老人の音楽ではない。エネルギーに満ち溢れた壮年の音楽にしか聞こえない。また、突然起こるブルックナー休止の切り口の鮮やかさと、休止から音楽が立ち上がるときの素早い指揮の動きは年齢をまったく感じさせない。
 読響の演奏がこれ以上ないほど素晴らしかった。弦楽器群はブルックナーにふさわしい格調と質感を持ち、金管の最強奏にも負けない強靭な響きを保っていた。金管はトランペットをはじめトロンボーン、ホルン、ワーグナー・テューバまでホルンの些少な疵を除けば、その輝かしさと力強さ深さにおいてブルックナーにぴったりの音を奏でた。木管群も完全にブルックナーの音楽と一体化しており、バランスが最上だった。ハープがブルックナーの希望通り三台あったのもうれしかった。
 ただ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが指揮棒を下ろしていないにもかかわらず放たれた心無いブラヴォによってせっかくの名演の余韻が消されたのは残念だった。
 3年前と較べて歩くのが困難になり、背中もさらに丸くなったマエストロだが、全曲立って暗譜で指揮。ソロカーテンコールは二度繰り返された。完売公演だったが、8割もの聴衆が会場に残りスタンディングオベイションでスタニスラフ・スクロヴァチェフスキを讃えた。(長谷川京介)

写真: (c) 読響