2015年10月 

  

Classic CD Review【交響曲】


「ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88 B163、交響曲第9番 ホ短調 作品95 B178 《新世界より》/ イルジー・ビエロフラーヴェク指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」 (ユニバーサル ミュージック、デッカ / UCCD-1422)
 紆余曲折を経て2012年20年振りにチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に復帰を果たしたビエロフラーヴェクがそのチェコ・フィルとドヴォルザークの2大交響曲、第8番と第9番「新世界より」が2013年11月(第8番)、12月(第9番)のルドルフィヌムでの録音でようやくCD化された。指揮者のビエロフラーヴェクの音楽作りには決して華々しさはない。一言で言えば地味である。しかしドヴォルザークの音楽も地味であり、ボヘミアの土の香りに満ちた存在である。現在この演奏が最高のものと言えるかどうかは分からないが、自他共に認める正統的な演奏であることには間違えない。ドヴォルザークの曲、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が1901年に今の形で出来上がってからの経過を辿ってみると、最も正統的と言わざるを得ないのではなかろうか。今後は指揮者とオーケストラの世代交代もあるだろうが、当分はこのままの状態で推移するだろう。それはさておきチェコ・フィルをルドルフィヌムでそして日本で聴くときにいつも思い出すのは、やはりチェコ・フィルは特に弦の質が素晴らしいオーケストラであると言うことだ。世界中で遍く有名なヴァイオリン教育の始祖、シェフチックが編み出した奏法による薫陶を受けているからで、チェコでは今もそれが子どもからプロの演奏家に至るまで、綿々と受け継がれていると言う。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】

「ショパン:プレリュード全集 / ユンディ・リ(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン / UCCG-1712)
  今年10月に開催される第17回ショパン・コンクールでは15年前の2000年に行われた第14回の優勝者、ユンディ・リが2000年とは逆の立場で審査員席に座る。その今年6月、ベルリンのジーメンス・ヴィラでショパンの作品45嬰ハ短調と遺作である変イ長調プレリュードを含む全26曲の新録音が行われた。優勝時の美しい音には益々磨きがかかり、切れの良いタッチとペダル扱いの見事さは流石である。そしてこの10月始めに33歳になろうとするまだ若いユンディ・リの音楽に15年の歳月は、技術の進歩とより高い音楽性を惜しげもなく与えることとなった。これは彼の音楽の幅が大きく拡がった事を意味する。このままで行けば今後何処まで成長するのだろうか。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(チェロ)】

「ソングス・フロム・アーク・オブ・ライフ、 バッハ/グノー:アヴェ・マリア、ブラームス:子守歌、ドヴォルザーク:わが母の教えたまいし歌、ゲーゼ:タンゴ・ジェラシー、フォーレ:夢のあとに、エルガー:愛のあいさつ、サン=サーンス:白鳥、シューベルト:アヴェ・マリア、チャイコフスキー:メロディ、他で全22曲 / ヨーヨー・マ(チェロ)、キャサリン・ストット(ピアノ)」 (ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、ソニー・クラシカル / SICC-30234)
  これは今年10月に還暦を迎えるヨーヨー・マが30年の間演奏のパートナーを組んできたピアニスト、キャサリン・ストットの協力を得て今年3月に録音された最新盤である。このCDへの収録曲は、彼等が生まれてから今までの互いの人生経験を最も上手く現している曲を思い出し、意見を述べ合って選りすぐった、まさに人生をピタリと音へ置き換えることが成功したアルバムである。
 内容は人生最初生まれたときの「バッハ・グノー:アヴェ・マリア」から始まり、還暦の現在を「シューベルト/アヴェ・マリア」で回帰するこれまでの人生行路の中には、幼少期の「ブラームス/子守歌」、「ドヴォルザーク/わが母の教えたまいし歌」、「フォーレ/パピヨン(蝶々)」、青少年期以降には「ゲーゼ/タンゴ・ジェラシー」、「シベリウス/夢なりしか」、「フォーレ/夢のあとに」、「エルガー/愛のあいさつ」、「ディーリアス/ロマンス」、「ドビュッシー/美しき夕暮れ」等全部で19曲からなる音による人生行路が完成した。そして彼等からは「ソングス・フロム・アーク・オブ・ライフ」のタイトルがついたこの1枚を二人から聴いてくれた人たちへの招待状と名付け、我々と一緒に人生経験を想像して欲しいとのコメントもライナーノーツに附記されている。このCDを聴いてみて、選ばれた曲はCD制作の趣旨に完全に合っており、演奏表現も抜群で、やはり彼等は何と素晴らしい音楽家なのだろうかとの思いをあらたにする。
 尚、今回日本でリリースされたCDにはボーナス・トラックとして「フォーレ/ロマンスOp.69」、「チャイコフスキー/メロディ Op.42-3」、「ファリャ/ナナ」の3曲が追加されている。そして10/26(東京)、27(名古屋)、28(大阪)での日本公演ではこのアルバムからの曲も演奏される予定とのことである。
(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「アジアユースオーケストラ東京公演2015」(8月29日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 アジアユースオーケストラ(AYO)はオーディションでアジア各国から選ばれた17歳から27歳までの若者たちが3週間の厳しいトレーニングを経て毎年夏にアジア各都市を巡る。今年は特にオーケストラに清らかな音があふれていて印象深かった。
 芸術監督リチャード・パンチャスの指揮は、以前はリズムが重く感じられたときもあったが、今回は切れ味の良い明晰さが光った。
 ベートーヴェン「エグモント」序曲冒頭の鮮烈な響きは胸を打った。純粋で美しい気持ちが若者たちの演奏からはっきりと伝わってくる。
 ハイドンのチェロ協奏曲第2番のソリスト、スティーヴン・イッサーリスは、オーケストラとアイコンタクトを保ちながら冒頭からチェロパートを一緒に弾く。自然でやわらかなガット弦の響きは生き生きとして喜びに満ち、最後はオーケストラ全員が立ちあがって弾く演出で盛り上がった。
 創立25周年の今年はベートーヴェンの第九が演奏された。AYOの真摯で技術的にも高いレベルの演奏はふだん聴きなれた第九に新鮮な息吹を吹き込んだ。ソリストたち(ソプラノ:イー・ソヨン、メゾソプラノ:ジェニー・ホー、テノール:イ・ヨンフン、バリトン:ベンノ・ショルム)も張りのある歌唱。
 AYO東京合唱団はこの日午後一回だけのリハーサルにしてはまとまりのよい合唱で、パンチャスは合唱指揮のファビオ・ピアッツァルンガに感謝していた。
 AYOはエルガー「ニムロッド」でツアー最終日を締めくくる。今日を限りに同じメンバーで二度と演奏することはない若者たちがステージ上で抱き合い号泣するフィナーレは毎年もらい泣きする。(長谷川京介)
写真:(c)アジアユースオーケストラ)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「東京都交響楽団第792回 定期演奏会Aシリーズ」(9月2日、東京文化会館)
 2006年、読響の初代正指揮者に迎えられ、2013年4月には首席客演指揮者に就任、翌年は京響常任客演指揮者に就任した下野竜也が都響の定期を指揮した。下野の音楽を聴いていつも感じることは、この指揮者がどこのオーケストラを振っても、豊かで力強い響きを引き出すことである。鋭さではなく、大きな音楽を聴いたという喜びで、帰路につくことができ、幸福な気分になる。彼の人間性が音楽の中に表われているのではないだろうか。
 プログラムの最初は、コダーイの「夏の夕べ」。コダーイはハンガリーの民謡を地道に収集し、それを彼の音楽の中に反映したが、「夏の夕べ」も室内楽風な落ち着いた表現の中に、牧歌的な気分が始終息づいており、聴きやすい。正直に言って筆者はこの作品を初めて聴いたが、定期演奏会で滅多に演奏されない曲を紹介することも大切である。ここでは演奏の良し悪しを記すことはできない。
 第2曲目は、グリーグの組曲《ホルベアの時代から》(ホルベルク組曲)。あえて盛り上がりを控えめにして、バロック的な憧憬を美しく描き、第4組曲のアリアは実に美しい。都響の弦楽合奏は、緩急濃淡の表情が自然に表出されていた。
 プログラムの後半はドヴォルザークの「交響曲第4番」。下野といえばドヴォルザークというイメージが強い。筆者もこれまでに彼が指揮したドヴォルザークを何度も聴いてきた。滅多に演奏されることの少ない「第4番」は下野の個性がはっきりと出ていて、リズムを強調し、力強く音楽を進行させ、聴いていて胸がスカットするのである。特に終楽章の音楽的高揚感はベートーヴェン以来のことだが、ここでの下野は聴き手を釘付けするように音楽を進めてゆく。躍動感は満点。(藤村貴彦)
撮影:堀田力丸 提供:東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【楽劇】

「シルヴァン・カンブルラン指揮 読響 ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》」(演奏会形式)(9月6日、サントリーホール)
 オペラ指揮者としてのカンブルランの本領を見た。個人的にこれまであまり評価してこなかったカンブルランだが、今回の指揮で見直した。
 重いドイツ風の「トリスタンとイゾルデ」ではないが、全体に音楽の流れがすばらしく良く、歌手とオーケストラのバランスが絶妙に保たれていた。金管が咆哮する最強音でも歌手の声が聞こえてくる。特に最後の「イゾルデの愛の死」での歌手にぴたりとつける信じられないほど細やかなニュアンスの指揮には驚嘆した。
 「オーケストラはトリスタンとイゾルデに次ぐ3人目の主役」というカンブルランの言葉通り、読響は情景や登場人物の心理を繊細な音で紡ぎ、最後まで集中力を切らさなかった。コンサートマスターは長原幸太。
 歌手陣は脇がしっかりと支えていた。ブランゲーネのクラウディア・マーンケ、マルケ王のアッテイラ・ユン、そしてクルヴェナルの石野繁生が世界レベルの歌を聞かせた。特にユンと石野が素晴らしい歌唱だった。マーンケがサントリーホールオルガン下で歌った第2幕のブランゲーネの警告の歌唱は、深々として立派。
 主役のトリスタン役エリン・ケイヴスとイゾルデ役のレイチェル・ニコルズ(クリスティアーネ・イーヴェンの代役)は健闘していた。慣習的にカットされる第2幕の300小節を超える「愛の二重唱」も今回はカットなしで歌い切った。
多少単調な歌唱と思わせるところもあったが、若く美しい二人の舞台は見栄えがあり、清々しい歌唱は好感が持てた。
 カンブルランが自分の息のかかったシュトゥットガルト歌劇場の専属歌手(ケイヴス、石野、メロート役のアンドレ・モルシュ)を起用したことも全体のまとまりが良いことに貢献したと言えるだろう。
新国立劇場合唱団(男声)は分厚いハーモニーを聴かせた。第3幕の牧童の吹くイングリッシュ・ホルンとイゾルデの船が着く知らせのホルツ・トランペット(長い木製のトランペット)はオルガン下で吹かれ効果的だった。
 非常に残念だったのは、同じ人間による第1幕最後と第3幕最後の最も余韻を味わいたいところでの心無いブラヴォの絶叫。音楽の破壊行為以外の何物でもない。(長谷川京介)
写真:(c)読売日本交響楽団

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「白石光隆 ピアノリサイタル vol.28」(9月9日、東京文化会館小ホール)
 白石光隆のプロフィールを読むと、彼は子供たちへのプログラムに積極的に取り組み、更新への指導や様々なコンクールの審査員を努め、1年間の活動の集大成として、毎年定期的に東京で開催するソロリサイタルは28回を数えるとのこと。
 白石光隆のリサイタルに何度か接したことがある筆者だが、彼の音楽を聴いて感じることが常にある。白石は音楽を長い時間かけじっくりと追求し、微妙精細な音楽の作りを、ニュアンスを豊富に聴かせ、静かに聴き手の心を引き込んでゆく。この点が白石の独自性のように思われるのである。
 今回のリサイタルではベートーヴェンの後期の三大ピアノ・ソナタが演奏された。これらのソナタを一曲でも弾くことは難しい。白石で聴く後期のソナタの全体の特徴は、前述したように彼の個性がはっきりと出ており、優しさと気品が渾然と溶け合い、実に深い芸術である。見えにくいところにも神経を使っている感じであった。白石の云うところの一年の集大成とも云うべきもので、確実に聴手に手応えを持って訴えてくるのである。
 プログラムの前半は第30番と第31番。特に印象に残ったのは、第30番の第三楽章である。この楽章は主題と六つの変奏から成り、第四変奏のロマン的な書法は、ショパンの響きを彷彿とさせる。夢幻的な美の世界とも云うべきで、ここでの白石は、あの第二楽章の激しい楽想と対比させ、均整のとれた流動感は聴きごたえがあった。
 プログラムの後半は第32番。学生の頃からこのソナタはレコードで何回も聴き、そしてコンサートでも接してきた。すごいソナタである。第二楽章がよく、コーダの高音のトリルで、静かに曲を閉じる。普通のソナタの終わり方ではない。白石で聴いた後に、筆者は深いため息を付いた。勿論、満足のため息であったことは云うまでもない。(藤村貴彦)
写真:(c) 岩切等

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ナタリー・シュトゥッツマン指揮 新日本フィル」(9月11日、サントリーホール)
 シュトゥッツマンの指揮は昨年1月水戸室内管弦楽団とのメンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」をテレビで視聴し、9月1日マエストロ・オザワ80歳バースデー・コンサートでラヴェル「子どもと魔法」の一部を聴いたが、その指揮ぶりは表面をなぞっているようで未熟に感じられた。しかし、新日本フィルとの初共演の指揮を聴いて、いい意味でその印象が覆された。
 武満徹「弦楽のためのレクイエム」では新日本フィルから美しく引き締まった響きを引き出す。主題の再現からディミヌエンドのコーダに至る繊細な響きが素晴らしい。
 シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」の第1楽章はティンパニ、金管の鋭い鳴らし方が新鮮で実に切れがいい。第2楽章アンダンテはシューベルトの歌心が溢れんばかり。全体にシューベルト特有の旋律の美しさと流れの良さを表現し、ダイナミックの幅も充分な演奏だった。
 後半のビゼー「アルルの女」第1組曲、第2組曲は色彩感のある響きに満ち溢れ、新日本フィルがフランスのオーケストラに変身したようだった。第1組曲「アダージェット」と第2組曲「間奏曲」の抒情としみじみとした味わいは格別。第2組曲「ファランドール」のコーダへの鋭い追い込みも迫力がある。
 新日本フィルとの一体感のある演奏は楽員の信頼を得ていることをうかがわせ、奏者ひとりひとりの力を引き出すカリスマ性もあるように見えた。
シュトゥッツマンは「声が出なくなったので指揮をすると思われたくない。声楽家として脂が乗っていながら指揮も深めたい」と語る。その志を応援したくなる充実感に満ちたコンサートだった。(長谷川京介)
写真:(c)Simon Foweler

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「尾高忠明指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第291回定期演奏会」(9月12日、東京オペラシティ・コンサートホール)
 シベリウス・プログラムを聞いた。組曲「恋人たち」、ヴァイオリン協奏曲ニ短調、交響詩「4つの伝説曲」である。
 ヴァイオリン協奏曲以外は標題音楽であり、交響詩に属する。その物語を尾高氏は見事に描いてくれた。「恋人たち」は二人の男女のやりとりが、劇的というよりは可愛らしく描かれていた。聴衆は知らず知らずのうちに微笑んでいただろう。ヴァイオリン協奏曲のドン=スク・カン氏は、的確なテクニックを見事に聴かせてくれた。そして、オケとの調和が快かった。この協奏曲でうっとりさせられるとは。心打たれた。オケの中に溶け込んでいるのだが、その中から生き生きと自分の姿を現す。これには尾高氏の伴奏の冴えも大きく貢献していただろうが、非常に好感の持てる素敵なソロ、そしてアンサンブルだった。「4つの伝説曲」もシベリウスを堪能させてくれた。これは物語、しかも幸せあり、事件あり、劇的な展開あり、クライマックスありの多彩な物語だが、それぞれの情景が容易に目に浮んだ。特に第3曲は説得力があり楽しめた。シベリウスの管弦楽曲の魅力は弦と金管、それに可愛く合の手を入れる木管が中心だと思うが、その魅力を十全に味合わせてくれていた。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 マーラー交響曲第3番」(9月13日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
 第6楽章がこの日のすべてだった。これほど美しく儚いマーラーを聴けるとは。この楽章だけで満足できるコンサートだった。ジョナサン・ノットを聴くのは今回が初めてだが、その素晴らしさを確認できてよかった。
 正直に書くと、第1楽章から第5楽章までは東京交響楽団のパワーのなさが気になった。弦は厚みがなく、金管も音は大きいもののたくましさと厚みが足りない。木管も力強さと切れ味が欲しい。
 ミューザ川崎は三階席だと音圧が足りないという声を友人から聞いており、そのためもあるのかと思ったが、第6楽章は最弱音から最強音までダイナミックの幅と厚み、強さが感じられたので、楽章による集中度の違いが演奏にでたのではないかと思う。
 ノットがプログラムの対談で、第6楽章を「いつか確信を得られるのではという希望を抱いたものの、結局かなわない。ほんとうに悲しい音楽、深い憂愁を帯びた幕切れです」と語っている通り、第6楽章冒頭主題のひそやかな弦のハーモニーを聴いたとたん、ノットの意図がはっきりとつかめた。孤独で、どこかこの世ではないような茫漠たる光景がどこまでも広がって行く。
 これまで聴いてきたマーラー3番の終楽章のなかでも、これほど人間の孤独を感じさせた演奏はなかった。この曲の本質を教えてくれたノットに感謝したい。
 藤村実穂子の独唱はいつもながら立派だった。完璧すぎて第4楽章だけが独立した曲のように聞こえることに少し違和感を覚えたのは贅沢な不満かもしれない。(長谷川京介)
写真:(c)堀田力丸/東京交響楽団