2015年3月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲(弦楽合奏・他)】

「モーツァルト:弦楽四重奏曲第1番 ト長調「ローディ」 K.80(弦楽合奏版)、カッサシオン ト長調 K.63、セレナード第6番 ニ長調「セレナータ・ノットゥルナ」 K.239 / 長岡京室内アンサンブル、音楽監督:森悠子」(N&F、NF60107)
 長岡京室内アンサンブルが「スークとドヴォルザークの弦楽セレナード」のCDで2003年度第16回「ミュージック・ペンクラブ音楽賞」を獲得して早いもので既に11年が過ぎた。そして今回が7枚目のCDリリースとなる。このアンサンブルはパイヤール室内管弦楽団で活躍した森悠子をリーダーとして京都の長岡京市をフランチャイズとして1997年に創設されたから、今年で18年になる。メンバーは森の母校桐朋学園の出身者をはじめ、技術的にも音楽的にも秀でた逸材が多く、このところのこのアンサンブルの急激な進歩は目覚ましい。先日今回のCD発売記念演奏会が、東京文化会館小ホールで行われた。その演奏は前回に較べても遙かに流麗なものになっていた。さて収録では楽器の位置をパート単位でなく、弦楽四重奏単位として配置して録音する方式で行われたが、今までの方式より丸みを持った柔らかな音に聞こえる。この3曲はすべて耳あたりが良く、最初の弦楽四重奏曲第1番の「ローディ」は、原曲のクァルテットに較べ肉厚な弦楽合奏版であり、原曲よりも遙かに良い感じを受ける。またカッサシオンも普段余り聴く機会がない曲だが、7楽章構成の実に美しい曲で流石天才モーツァルトと言える曲。最後は古典楽器のティンパニを使ったセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」で楽しく締めくくられる。このCDを聴いてみると、地方で生まれたアンサンブルが日本を代表する室内アンサンブルになるまでに育て上げた、リーダー森悠子の飽くなき情熱がひしひしと感じられる。(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン、ヴィオラ)】

「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集〜第1&5番、協奏交響曲 / ヴィルデ・フラング(ヴァイオリン)、マキシム・リザノフ(ヴィオラ)、ジョナサン・コーエン指揮、アルカンジェロ(管弦楽)」(ワーナーミュージック、ワーナー クラシックス/WPCS-12939)
  ヴィルデ・フラングがEMI時代、シベリウスとプロコフィエフの第1番で日本に於けるCDデビューを果たしたのは2011年の始めである。その時にノルウェー大使館での記者会見があり、そこでの第一印象は彼女の持つ素晴らしく透明で清楚な音だが、疲れのせいか少し充実感に欠けるような感じだった。それから4年、今回のモーツァルトはヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K.207では以前の透明感と清楚さに加え、音に幅が出て全体に充実感が感じられてきたと言える。 そして第5番イ長調K.219では力強さも加味されて音楽に大きさも出てきたようだ。そして最後のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364は熱演と言えるが、充実したヴァイオリンに較べ、リザノフのヴィオラがフィーリングで今一つの感がある。これはヴァイオリンとヴィオラのアーティキュレーションの違いに原因があるようだ。しかしヴィルデ・フラングだけに関して言えば、彼女とモーツァルトとの相性は素晴らしいの一言。いつか協奏曲の残りと、ソナタを聴きたいと思う。(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン)】

「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219 《トルコ風》、ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調 作品31 / ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニ−・ブレーメン」(ユニバーサル ミュージック、ドイツグラモフォン/UCCG-1694)
  このCDはヒラリー・ハーンがヴァイオリニストを志した幼いときに大きな影響を受けた二人の師、クララ・ペルコヴッチとヤッシャ・プロツキーからそれぞれレッスンを受けた時に渡されたヴュータンの協奏曲第4番とモーツァルトの協奏曲第5番の2曲の初めてのカプリング盤である。この2曲はその後現在まで、ヒラリーのコンサート・プログラムの中心となっているばかりか、彼女が友人と言ってはばからない特別な関係の曲だと言う。そのヒラリー久し振りのリリースが、以前からお互いに仲間と言える、今や最も多忙なパーヴォ・ヤルヴィ率いるドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの組み合わせで実現した。
 最初に収録されているモーツァルトの5番でのソロと伴奏の絶妙なバランスのとれた演奏は、見事なまでの緊張感が曲の隅々にまで漲っている。このモーツァルトは聴いていて実に明るく清々しい。これはヤルヴィとオーケストラの上手さが、ソロにも影響を与えているのだろう。
後半に入っているヴュータンの4番はソロが圧巻だ。モーツァルトと異なりロマンチシズムに溢れる表現は、ヒラリーの今までの音楽からは考えられない濃密さを感じる。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【室内楽曲(クラリネット・他)】

「ブラームス ハンガリアン・コネクション、ブラームス:クラリネット五重奏曲、2つのワルツ、レメーニ/ブラームス:ハンガリー舞曲第7番、ボルゾー/ブラームス:ハンガリー舞曲第1番、ヴェイネル:2つの楽章、トラディショナル トランシルヴァニア舞曲 / アンドレアス・オッテンザマー(クラリネット)、レオニダス・カヴァコス(ヴァイオリン1)、クリストフ・コンツ(ヴァイオリン2)、アントワーヌ・タメスティ(ヴィオラ)、シュテファン・コンツ(チェロ)、エーデン・ラーツ(コントラバス)、オスカール・エケレシュ(ツィンバロン)、プレドラグ・トミチ(アコーディオン)」(ユニバーサル ミュージック、ドイツグラモフォン/UCCG-1693)
  クラリネット好きならば大いに楽しめるCDだ。アンドレアス・オッテンザマーはウィーン・フィルの首席であるエルンストを父に、同じウィーン・フィル首席のダニエルを兄に持つ、今や超有名なエリート・クラリネット一家オッテンザマー家の次男であり、留学はハーバード大学へ、そして在学中にカラヤン・アカデミーに入学、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席を経て4年前に何と22歳でベルリン・フィルの首席に就任した逸材なのだ。そして彼は2年足らず前に同じドイツグラモフォンから「ポートレイツ」のタイトルでCDデビューを果たしている。そして何と驚くべきはヨーロッパ大手のモデル事務所と契約し、服飾関係のCMにも出演していることだろう。更に2007年には兄のダニエルたちとサッカーチーム("ヴィーナー・ヴィルトゥオーゼン")を結成、このチームはオーストリアのアマチュア・リーグに所属しており、彼の所属チームは上位に位置する常連チームとのことだ。
 さてこの類い希な履歴を誇るアンドレアス・オッテンザマーはこのCDで、彼のルーツであるハンガリーとブラームスを中心に曲を選んでいる。そして一緒に演奏するメンバーを見て流石これはアンドレアスらしいと思った。アンドレアスはこれらの曲をやるに当たって最も適したメンバーを選んでいる。基本的にクラシック音楽であり、そしてジプシー音楽のセンスを考えるとこれは正しい。第1ヴァイオリンはパガニーニ・コンクール一位のギリシャ出身のカヴァコス、第2ヴァイオリンはウィーン・フィルの第2ヴァイオリン首席であるクリストフ・コンツとチェロはベルリン・フィルのシュテファン・コンツ兄弟、コントラバスはウィーン・フィルのエーデン・ラーツ、そしてヴィオラはソリストで室内楽の名手、フランス出身のアントワーヌ・トメスティ、その他ツィンバロンにツィンバロンのパガニーニといわれているハンガリーのオスカール・エケレシュ、そして最後アコーディオンは多彩な演奏が出来るプレドラグ・トミチである。最初のブラームスのクラリネット五重奏曲は何となく遅く重たい。いくらブラームスでも一寸、と言うところである。しかし次のブラームス「2つのワルツ」あたりからは美しさとハンガリー独特の哀愁を込めた民族的な音楽と踊りのリズムを心から楽しませてくれる。ベルリン・フィルやウィーン・フィルのメンバーたちの音楽表現の幅広さが如何に多彩かを証明する1枚である。(廣兼 正明)

Classic CD Review【声楽曲(ソプラノ)】


「アレルヤ!〜バロック・モテット集 / ユリア・レージネヴァ(ソプラノ)、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮、イル・ジャルディーノ・アルモニコ」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1415)
  1989年、ロシア極東のサハリンに住む地球物理学者の家に生まれたユリア・レージネヴァは、5歳からピアノと声楽を始め、音楽高校を卒業後、モスクワ音楽院で声楽とピアノの勉強を続け、17歳でエレナ・オプラスツォワ国際コンクールで優勝し、世界的にも注目を集めるようになった。2009年ヘルシンキのミリアム・ヘリン国際声楽コンクールで第1位となり、翌年パリ国際オペラコンクールでも優勝、その年にキリテ・カナワの招きでロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、ロッシーニの「湖上の美人」に出演しセンセーションを巻き起こした。その後3年連続でザルツブルク音楽祭への出演を始めとして、多くのオペラやコンサートに出演するなどし、2011年にはデッカの専属アーティストとなり、この「アレルヤ」が契約後初のデビューCDとなる。彼女の声は明るく澄んでとても美しい。その上コロラトゥーラの技術は全く難を付けられない程完璧である。このCD収録曲はヴィヴァルディ、ヘンデル、ポルポラ、そしてモーツァルトの17世紀の終わりから18世紀にかけてのバロック時代のモテットを集めたものだが、彼女の声質からすると、モーツァルトは別格として、ヴィヴァルディとヘンデルの曲に聴き応えを感じる。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「新国立劇場〈さまよえるオランダ人〉」(1月31日、新国立劇場)
 オランダ人役のトーマス・ヨハネス・マイヤーは、最終日以外聴いていないので比較できないが、暗い声質を求められるオランダ人らしさはあるものの、声に張りがなく押し出しが少し弱い。これまで4回歌い切った疲れがあったのかもしれない。
 ゼンタ役のリカルダ・メルベートは、高音がすこしキンキンするが、ワーグナーのオペラのドラマティックな歌(ゼンタのバラードなど)をしっかりと聴かせてくれた。
ダーラント役のラファウ・シヴェクが好調。のびのびとして広がりのあるバスは聴いていて気持ちがいい。二人のテノール、エリックのダニエル・キルヒと舵手の望月哲也は悪くはないけれど、ほれぼれとするところまではいかなかった。
 新国立劇場の合唱は今日も素晴らしい。女声は第2幕の「糸紡ぎの合唱」できれいなハーモニーを、男声は第3幕冒頭の「水夫の合唱」で厚みと前に出てくる力強さを聴かせた。指揮の三澤洋史にはカーテンコールで大きな声援が送られていた。
 演出(マティアス・フォン・シュテークマン)の問題だが、第3幕第1場で、幽霊船の船員たちが水夫たちと対抗して歌う合唱が効果音とともに録音で流れたのは人工的で失望した。できれば生の合唱でふたつのグループを競わせてほしかった。
 飯守泰次郎の指揮は丁寧で、歌手たちをしっかりと支えリードしていた。東京交響楽団は特に金管がホルンに傷があるものの健闘。金管のがんばりのためか、ワーグナーのオーケストレーションのせいか、オケピットから鳴る音は金管が突出して響いていた。「オランダ人」ではいたるところでトロンボーン3本が使われているとプログラムのなかで岡田安樹浩氏が書いているが、それも影響しているのだろうか。金管が目立つ分、弦セクションの迫力が感じられなかったけれど、終結部でハープとともに奏でる「救済の動機」のクライマックスは心に響いてきた。
 「さまよえるオランダ人」自体のスケール感から「トリスタンとイゾルデ」や「パルジファル」、「ニーベルングの指輪」と同様の重厚さや感銘度を求めるのは無理があり、またイタリア・オペラのベルカントの美しさを期待してもいけない。ワーグナーの「救済」のカタルシスと合唱の充実ぶりを味わえたという点では満足できる公演だった。(長谷川 京介)
写真撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「広上淳一 読響 第579回サントリーホール名曲シリーズ」(2月7日、サントリーホール)
 前半はハチャトゥリアン「仮面舞踏会」から「ワルツ」、ボリス・ベルキンをソリストにショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、後半はショスタコーヴィチ交響曲第5番が演奏された。
 ボリス・ベルキンのヴァイオリンは独特の音色と響きを持っている。2年前紀尾井ホールのリサイタルで聴いたシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための幻想曲」はたんたんとして暗くどこか醒めていて、孤独の影が感じられた。今回のショスタコーヴィチではそこに深みも加わり、広上淳一がベルキンを称して言う「深い深い優しさ」も感じられる。
 それが最も顕著に表れたのは第3楽章パッサカリアのカデンツァ。ここでのベルキンの深みのある表現は圧巻で、旧ソ連からの亡命という過去を重ねたくなる。弱音器をつけた第1楽章中間部の細やかなニュアンスも素晴らしかった。
 ベルキンの親友でもある広上のバックは完ぺきで二人の息はぴったり合っている。読響も、特に木管群が第2楽章スケルツォの速いパッセージで見事な演奏を聴かせ、演奏後ベルキンは何度も感謝のあいさつを送っていた。
 第4楽章ブルレスケのプレストのコーダへ広上読響とともに一気になだれ込んだ。
 ショスタコーヴィチの交響曲第5番で広上淳一は何を伝えたかったのか。
 広上淳一の指揮は徹底して「醒めている」。この交響曲をがっちりとした檻に入れてじっくりと観察する。
 第1楽章のクライマックスへ運ぶアッチェランド(速度を速める)で緊張と興奮を一気に高めるその手腕は素晴らしいが、常にコントロールをきかせてはみだすことはない。
第2楽章スケルツォは生き生きとしたユーモアと表情が豊かで、あざやかな舞曲はエネルギーにあふれている。トリオもとびぬけた皮肉に満ちている。読響の木管、金管は見事。広上は何度楽員に向け親指を立てて「イイネ!」を送っただろう。この楽章はひとときの祝典か、憂さ晴らしに騒ぎ立てる民衆の乱舞だろうか。
第3楽章ラルゴは3つの主題をじっくりと描き分ける。しかし感情に溺れて我を忘れることはなく、ここでも広上は冷静だ。
 第4楽章激烈なティンパニとグランカッサ(大太鼓)の連打、管弦楽の咆哮によるコーダの味はどこかほろ苦く、凱歌の裏側には醒めた視線が感じられる。
 聴き終わったあとの興奮に酔うことはなく、深く考えさせるような重みをもつ演奏だった。
 この曲に対する作曲者の真意については今もなお様々な議論が行われている。
 広上淳一の答えは、自分の胸にずしりと残った重みにあるのではないだろうか。(長谷川 京介)
写真:(c) Greg Sailor

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「パーヴォ・ヤルヴィ N響 マーラー〈巨人〉」(2月8日、NHKホール)
 ヤルヴィはN響を一皮剥けた新しいオーケストラへと変身させた。N響の限界を試すように次々と繰り出すヤルヴィの指示に対し、N響も負けずと応える。両者の真剣なやりとりに指揮者とオーケストラの理想的な関係を見る思いがした。
 N響がこれほど熱く演奏するのを見るのは2年前のマゼール以来だが、あのとき以上の高揚感が楽員の表情から感じられるのは、ヤルヴィという世界最高峰のアーティストを首席指揮者に迎えるという期待と興奮が楽員に浸透し、モチベーションが一気に高まったためではないかと推測する。
 マーラーの交響曲第1番「巨人」は全く新鮮に聞こえた。その理由は以下の理由による。
 第1に、ヤルヴィの指揮が最後のクライマックスへ向け、各楽章の描き分けから、細部の表情に至るまで綿密に計画され練られていること。そのため全曲を聴き終えたあとに首尾一貫した流れとカタルシス(浄化)が感じられる。
 第2に、ひとつひとつの主題や動機の表情づけのメリハリ、ダイナミックの幅が非常に大きく、また深く細やかなこと。そのため楽章ごとの充実感が尋常ではなく、最終楽章で再現する主題や動機の印象をより深める効果がある。(具体的な例としては、第1楽章冒頭のオーボエとファゴットの動機の表情。第2楽章冒頭のバッソ・オスティナートのチェロの響きの凄さ。何事が起きたのかと思う。楽譜の指定ではフォルテだがどうみてもフォルティシモだ。第3楽章の第2主題「さすらう若人の歌」第4節に関係する第2主題の異様なまでの静謐さと細やかさなど。)
 第3に、演奏全体が贅肉のない鍛え抜かれた強度を持ち、しっかりとした土台の上でゆるぎなく進行していくこと。ヤルヴィの意図とN響の能力がかみ合う事から生まれた強靭な響きがあったこと。
 第4に、以上の各点を総合することにより、ヤルヴィの解釈の個性が際立ち、他の誰とも違うように聞こえ、しかもそれがマーラーの意図通りだと思わせる説得力があること。
 第4楽章の「最高度の力」と指定されたクライマックスとホルンが立ち上がって吹く斉奏とともに終わるコーダにはひさしぶりの身震いを覚えた。
 N響の金管全体は大健闘。特にトランペット。木管群も素晴らしい。ティンパニの芯のある打音も。コンサートマスターにアムステルダム・コンセルトヘボウのコンマス、ヴェスコ・エシュケナーゼが座り、弦セクションも万全。
 前半、エルガーのチェロ協奏曲を弾いたアリサ・ワイラースタインはすでに世界の一流オーケストラに招かれており、またバレイボイムとジャクリーヌ・デュ・プレゆかりのこの曲を録音したことで注目を浴びている。
 豊かで響きのいい音、弱音も美しい。明るく健康的な表現。しかしそれがエルガーとなると、もうすこし陰影もほしくなるが、これから先の将来が開けていることは確かだ。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲から第3番のサラバンドが演奏された。(長谷川 京介)
写真:(C) Ixi Chen

Classic CONCERT Review【室内楽】

「第13回 ワンダフルoneアワー 長原幸太×田村響 デュオ・リサイタル 雄志で魅せる、期待のデュオ」(2月12日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 すごく息が合っていた。音符の合間から、一糸乱れぬ呼吸が伝わってくるような感じだ。しかしこれが正真正銘の初共演なのだという。長原幸太は5才よりヴァイオリンを始め、東京芸術大学やジュリアード音楽院でも学んだ。ハノーファーNDR放送交響楽団にソリストやゲストコンサートマスターとして招かれ、サイトウ・キネン・オーケストラ(指揮/小澤征爾、他)のコンサートマスターも務めている。田村は3歳よりピアノを始め、18歳でザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に留学。国内の主要オーケストラから招かれる一方、数多くのリサイタルを開催している。田村はソロでショパンやリストの曲も聴かせてくれたが、圧巻はやはりデュオで演じられたコルンゴルト「「から騒ぎ」からの4つの小品op.11」とヤナーチェクの「ヴァイオリン・ソナタJW VII/7」。まさに技の応酬、しかしとてつもなくさわやかなのだ。(原田 和典)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ラデク・バボラーク&新日本フィル」(2月13日すみだトリフォニーホール)
 前半は清水和音とともにベートーヴェンのホルン・ソナタとシューマンの3つのロマンス、イェヘズケル・ブラウンのホルン・ソナタ。後半は新日本フィルとグリエールのホルン協奏曲を指揮しながら演奏し、最後にマルティヌーの「サンダー・ボルトP-47」を自ら指揮した。
 コンサートでホルンがひっくりかえることはよくあるが、バボラークを聴いていると至極簡単な楽器に思えてくる。
 弱奏のコントロールが見事で、どんな繊細なニュアンスも表現できる。力みがなく、強奏でもホルン特有の炸裂する耳障りな音がなくすべてが滑らか、跳躍や早いパッセージも難なくこなす。
 バボラークの音楽性は彼が指揮するオーケストラからもよくわかる。昨年12月に桐朋学園大学オーケストラを指揮したブラームスの交響曲第1番は、彼のホルンそのままの柔らかな響きが印象的だった。
 そのあまりにスムーズな吹奏に物足りなさを覚えるのは「ないものねだり」かもしれない。彼の指揮のように脱力して流れの良さをつくる「ソツの無さ」がもどかしい。これは指揮者カラヤンに対する批判や嫉妬に似ている。余りに完璧で美しいものが目の前に提示されると、それを称賛するよりどこか欠点を見つけたくなる心理が働くのだろう。
しかし、グリエールの協奏曲のような「ホルンの全てが含まれている(バボラークの言葉)」25分もの大曲を完璧に吹くのを聴くと、脱帽せざるを得ない。
 このホルン協奏曲は1951年という時代とは無縁のロマン派のような美しい作品で、ホルンのあらゆるヴィルトゥオジティ(名人芸)が充満している。しかし第1楽章の長いカデンツァもバボラークには低い障害でしかない。
 新日本フィルもバボラークの指揮に応え一体感があった。第1楽章の第2主題を吹くホルンを装飾する重松希巳江のクラリネットが見事、再現部では今度は荒川洋が吹くきれいな高音のフルートの副旋律がからみ、そして再びクラリネットが加わる。ここは素晴らしかった。バボラークが演奏後二人を称賛していたのも頷ける。
 前半のベートーヴェンのホルン・ソナタでは清水和音がベートーヴェンの雄渾さをよく表現するなど、バボラークと対等に音楽を形作っていた。
 弦楽のみをバックにアンコールに吹かれたチャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章のホルン・ソロ(コンセプト:ラデク・バボラーク T.イレ編曲)は、「バボラークのソツの無さ」という見解を雲散霧消させた。あのように深いところから響いてきて、聴く者を包み込み、どこか遠い世界に運んで行くようなホルンを聴いたことはこれまでなかった。(長谷川 京介)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「バッティストーニ ヴェルディ〈リゴレット〉(東京二期会オペラ劇場公演)」(2月19日、東京文化会館)
 まさにバッティストーニの一人舞台と言えるような「リゴレット」だった。歌手と合唱、オーケストラを束ね、劇的な流れと緊張感を緩めず進める手腕はとても20代の指揮者とは思えない。
 公演前イタリア文化会館での講演会で「オーケストラはカラオケのような伴奏ではない。アリアや二重唱に参加し、意味を与える」「歌手たちの言葉で語られていない言葉をいかに語るかについて突き詰める」と話しているが、その言葉通り歌手につける音楽は伴奏を超えて、雄弁に語り掛けてくる。
 たとえば、ジルダの有名なアリア「慕わしい人の名は」では佐藤優子の歌う歌詞ひとつひとつのフレーズにぴったりと寄り添いリードし後押しする。
 他の歌手たちにも同様に、バッティストーニとオーケストラがつくる音楽に乗せられ包まれ、バッティストーニの指揮に忠実に反応しようとするのが2階席からはよくわかる。
 またヴェルディ特有の煽るようなリズムと爆発するようなエネルギーがバッティストーニの身体から飛び出してくる。それらは特に各幕の最後を締めるクライマックスで炸裂する。第3幕の嵐の前触れの合唱と管弦楽が奏でる不気味な音楽の表現も背筋がぞっとする。
 バッティストーニの指揮は、ヴェルディの「リゴレット」のオーケストレーションがいかに優れているか、雄弁であるかを証明するものとも言える。東フィルはバッティストーニの指揮によく応えていたが、金管など非力なところもあった。
 これに較べると日本の歌手たちの歌唱はバッティストーニの音楽についていくのに精いっぱいのように見える。歌詞を歌うことに追われ、登場人物の性格や感情をあらわにするというレベルに達していなかった。
 リゴレット役の上江は力演でブラヴォが最も多かったが、見せ場の「悪魔め、鬼め」ではもっと父親としての感情を爆発させてもよかったのではないだろうか。
マントヴァ侯爵の古橋郷平は声が軽く、ジルダの佐藤優子も線が細い。
 むしろスパラフチーレ役のジョン ハオが野太くよく響くバスで存在感を見せていた。
第3幕になり、ようやく歌手陣の調子が出てきて、マッダレーナ、公爵、ジルダ、リゴレットの四重唱は各人の声がはっきりと聞き取れ、ここは素晴らしかった。
 装置、演出はパルマ王立劇場との提携で、第2幕、第3幕の闇の暗さが印象に残った。
 余談だが、カーテンコールのさいの拍手やブラヴォの発生源がバッティストーニと歌手陣とでは微妙に違うのが面白い。バッティストーニ目当ての聴衆と、バッティストーニをまだ知らない聴衆がいることがよくわかる現象だった。(長谷川 京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「パーヴォ・ヤルヴィ N響 R.シュトラウス〈英雄の生涯〉」(2月21日、横浜みなとみらいホール)
 快進撃を続けるヤルヴィとN響。R.シュトラウスの「ドン・ファン」「英雄の生涯」も素晴らしい演奏だったが、ピアノのピョートル・アンデルジェフスキとのモーツァルトのピアノ協奏曲第25番にまず感心した。
10型のオーケストラ。ヴィブラートは自然にかけている。
ヤルヴィはN響からヨーロッパのオーケストラのような響きを引き出し、洗練されたモーツァルトを聴かせた。
 それはロココ調のシェーンブルン宮殿のきらびやかな装飾が浮かんでくるような華やかで優雅な響きを持ち、とりわけ浮遊するような弱音が美しい。
アンデルジェフスキのピアノはタッチも響きも、旋律を歌わせる流れも、すべてが珠玉の美しさを持っている。
 以前イギリスのピアニスト、ポール・ルイスがこの25番の協奏曲を「大きな室内楽」と表していたが、まさにその言葉通りの演奏で、N響の木管とアンデルジェフスキとの対話も親密で細やか。アンデルジェフスキもオーケストラと一体となり、お互いの音を確かめながら理想的なバランスと響きのモーツァルトをつくりだす。このモーツァルトならヨーロッパでも立派に通用するだろう。
 「英雄の生涯」は細部まで磨き抜かれたバランスの良い演奏。ヤルヴィはオーケストラに無理をさせない。N響の楽員もヤルヴィへの信頼感が厚いためか、緊張はしているものの、思い切り自分たちの力を発揮しようとする積極性が見られる。第2部「英雄の敵」では批評家たちを表すフルート、オーボエ、テューバのソロが見事。第3部「英雄の伴侶」での篠崎史紀のソロは神経が行き届いている。一番の聴きどころは第6部「英雄の引退と死」だった。特に最後のホルンと篠崎史紀のソロの対話が素晴らしく、この日の演奏のハイライトとも言える高みに達していた。ヤルヴィがホルン奏者を真っ先に立たせたのも、むべなるかな。
 マーラーの「巨人」、そして今日の「英雄の生涯」と2回にわたりヤルヴィ&N響を聴いたが、予想を上回る演奏レベルの高さに、首席指揮者に就任する10月以降のコンサートへの期待はふくれあがるばかりだ。
(長谷川 京介)
写真:(C) Ixi Chen

Press Conference Report【国際ダブルリード・フェスティバル2015東京】

「国際ダブルリード・フェスティバル2015東京 in association with ADRA」
記者会見レポート
 30年の歴史を持つ国際ダブルリード協会(IDRS)の年次コンファレンスが、今年8月15日から19日まで初めて日本で開催される。その記者会見が2月23日汐留ホールで行われた。
 ダブルリード(オーボエとファゴット)の催し(教育プログラム、コンクール、コンサート、楽器楽譜展示)としては、おそらく世界最大規模と思われるが、それは参加するアーティストの一覧を見れば一目瞭然だ。彼らをはじめ参加者すべてが手弁当でかけつけることにも驚かされるが、それだけコンファレンスの内容が充実していること、アーティストや若い奏者、教育関係者、楽器関係者にとって得るものが多いことを物語っている。
(参加アーティストリスト)
http://idrs2015.org/?page_id=40&lang=ja
 会見は、実行委員長の元NHK交響楽団のファゴット奏者菅原眸氏のあいさつから始まり、コンファレンスコーディネーター山上貴司氏(東京都立総合芸術高校講師)から日本開催にこぎつけつるまでの意欲と経緯、このフェスティバルが「ダブルリードのディズニーランド」と言えるほど素晴らしいこと、今回はアジアで初めての開催であり、アジアダブルリードアソシエーション(ADRA)との共同開催であることが説明された。
 プログラミングディレクターのNHK交響楽団オーボエ奏者和久井仁氏は特に今回は日本の若手を紹介したいと語り、プログラミング担当執行役員の東京都交響楽団首席ファゴット奏者岡本正之氏は4つの会場で終日繰り広げられるコンサートやマスタークラスへの期待を語った。
 オープニングコンサートは8月15日茂木大輔、ゴードン・ハント、田中祐子指揮の国際ダブルリード東京2015フェスティバル・オーケストラと世界のトップ奏者たちとの協奏曲、クロージング・コンサートも同じオーケストラで協奏曲が演奏されるが、トップ奏者のほかに、今回期間中行われる2つの国際コンクールの1つ「2015年度IDRSフェルディナンド・ジレ=フューゴ・フォックス国際オーボエ・コンクール」の優勝者も加わる。
 ダブルリードの関係者だけではなく、一般の音楽愛好家にとってもまたとない機会となるこの催しの成功を祈りたい。
国際ダブルリード・フェスティバル2015東京 in association with ADRA ホームページ
http://idrs2015.org/?lang=ja
(長谷川 京介)