2013年1月 

「月に憑かれたピエロ」12月10日すみだトリフォ二_ホール 大ホール・・・藤村 貴彦
 
「月に憑かれたピエロ」は5人の演奏家と声楽家によって演奏されるが、今回は能と映像を取り入れ、これまでにない斬新な舞台作品を作り上げていた。不自然なところはなく、主旋律に対する伴奏の作り方、あるいは対旋律の動き方、どの楽想を取っても自然であり、すべての奏者が自発性に富む表現を行っていたのが印象に残った。特に能の奏者が至難な声楽パートに、見事に合わせていたのは感心。一方が息を吐けば、一方が息を吸う。そのように演奏者全員が、自然に呼吸しながら表現の豊富な音楽を形作ってゆく。
 今回の企画は、ソプラノの中嶋彰子が新たな芸術表現の可能性を探りたいとの事で実現したが、この作品が始めからこのような形で作曲されたのではないかと思われ、まさに新しい芸術形式の誕生である。
 それにしても中嶋彰子は凄い。ピエロをこれほどまでに演じられるソプラノ歌手は日本にはあまり存在しないのではないだろうか。明暗濃淡の歌い方、リズムの処理などに、中嶋の個性が表れており、すべてが自然である。歌曲やオペラを立派に歌い、そのことで人気を得ようとする声楽家が多い中で、中嶋は、これだけではすまないという舞台人としての一面があり、この人は素晴らしいものを授かった幸福な歌手である。
 シテは渡邊荀之介。クラシック音楽と能のコラボレーションで新境地を開いているとのことだが、渡邊の持ち味を出して、幻想の世界を作り上げていたと思う。
 「月に憑かれたピエロ」の初演から100年経ったとの事だが、このような形で上演された事は画期的な事である。オーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーも精緻な演奏を行っていた。指揮はニルス・ムース。シェーンベルクの難解な音楽構成が、ムースの指揮によって、くっきりと描かれていた。20世紀に書かれた声楽と室内楽の編成の作品をこのような形で聴いてみたい。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」を、馬場マコト著「従軍歌謡慰問団」は、検証して見せてくれる。・・・池野 徹
 著者、馬場マコトは、時代の変化とともに、歌は変わって来たが、時代を変えるほどの思想ある歌は、ビートルズ以外にあったろうかと言う。しかし、時代を振り返ると確かにその時代の歌が存在する。歌というより音楽世界とみれば、クラシックの音楽時代から、ポピュラーの音楽時代になり、現代に存在する音楽ジャンルは多岐に渡っている。そんな中で時代を変えたと言うか、1950年代以降ロックミュージックは、若者社会を変えたと言えるのではないだろうか。歌う事を躯で表現するリズム、社会の不条理に対するアンチテーゼ表現。

 しかし、現時点での日本では、AKB48とか、ジャニーズの歌が全盛である。これは、歌と言うか、音楽と言えるものだろうか、学芸会レベルから、集団の踊りと擬音の集まり、平成の巫女的集団で、民衆を折伏している様にしか見えないのだが。この現象は、仕掛けているプロデューサーがおり、一般的音楽世界を席巻している。この現象をどう見るだろうか。音楽の混沌、デジタル世界のお遊戯にしか見えないのだ。馬場マコトは、明るくリズミカルで人心を煽るのみの音楽の時代になった時が怖いと言っている。それは、戦争と言う否応無しの世界へ引きずり込まれていく現象が音楽的に現れて来ている危惧があると警告している。

 馬場マコトは、昭和の戦争を背景にした中で第一作の「戦争と広告」第二作「花森安治の青春」そして第三作「従軍歌謡慰問団」を発表したのである。戦争を背景にした時代の広告、媒体、音楽界を透過して、人は戦争にどう反射し、傾斜するかを書いたと言う。その描写は綿密な調査とくに、現地を旅して集めた情報と体験から引き出した事実のエッセンスをコアに表現したその精緻さは驚くべきものがある。小説的見地からそこに著者自身の意識見解にフラストレーションを残さなかったかと聞いたが一切無いと明快な答えだった。

 この「従軍歌謡慰問団」は第一章 藤山一郎と「影を慕いて」から始まる。1932年、古賀政男の「影を慕いて」を藤山一郎が歌い大ヒットさせた。藤山一郎は東京音楽学校の学生だった。これは当時満州国をまぼろしと歌い上げたものだった。この時代すでに音楽歌謡の世界は、レコード会社、作詞作曲家と歌手との奪い合いでヒット曲を狙っていた。まさに現代と同じである。日本の軍部の満州中国東南アジアへの進出とともに、音楽慰問団が結成され、西条八十が団長となり南京から揚子江と中国へ狩り出されていった。さらに芸能慰問団として、吉本興業の芸人、横山エンタツアチャコ等、若き日の女優、当時は前座の歌手として、森光子も参加していたとは驚きである。先日国民栄誉賞までとった森光子は、大女優として92歳をまっとうした。藤山一郎は、「影を慕いて」から、「東京ラプソディ」「青い背広で」とあえて明るい歌を歌唱し、多くの軍歌への影響を与え、戦後、「青い山脈」「長崎の鐘」で国民の支持を受け、戦前戦後とその明瞭な歌声とともに、時代を生きたのだった。その心境やいかにであるが、歌手としては、時代に反射し傾斜するのはやむを得ない事だったろう。古賀政男と同じく、国民栄誉賞を受けている。その理由は、歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功と美しい日本語に貢献した事であった。しかし本人の胸の内は希望と美しさという言葉に胸を塞がれたに違いない。

 馬場マコトは、そのあとがきで、満州電電にいた自分の父が、引き揚げに際し4人の子供を亡くし帰国したその背景を、この歌謡歌手たちの行動と共にオーバーラップさせ、戦争の現場、異国の地への反射と傾斜がいかに恐ろしいものか、戦争が起きてしまえば人は確実に戦争に反射し熱くなり疾走すると述べている。今の日本には、すでに戦争を知る人達は80際を越え語り部が消えていっている。戦争を知らない人達が、政権を握りメディアを席巻し、文化アートを操作して、退廃的な幸せを知らずに享受している。戦争とは、人間の殺し合いだという事をキモに命じるべきだろう。若き日、私とともに広告の世界で突き進んだ盟友、馬場マコトは音楽、歌の世界ならずとも現代への警告を発してると思う。

「従軍歌謡慰問団/馬場マコト」(白水社)


ミュージカル「ファンタスティックス」平成24年度文化庁芸術祭大賞受賞!・・本田浩子
 オフ・ブロードウェイ・ミュージカル「ファンタスティックス」の成果に対して、この度、芸術祭大賞が、宝田企画に贈られる。宝田氏の年齢を考えると、この舞台の成功は多くの人に夢と希望を与え、今年最高の嬉しいニュースとなった。

文化庁発表の受賞理由
 小空間を巧みに生かした演出で完成度の高い舞台を創造した。鉄パイプだけのセット、ピアノとハープという極限まで簡素化した舞台上で、製作・演出・出演を兼ねた宝田明の円熟味と若手演技陣が見事に融合し、粋で小じゃれた大人のミュージカルを作り上げた。初演以来四十余年、六百回を重ねた実績が尊い。

http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/media_geijutsusai_121221.pdf
関連リンク先 http://www.musicpenclub.com/talk-201212.html
写真提供: (宝田企画)

ミュージカル「女子高生チヨ」12月5日 グローブ座・・・・・本田浩子
 アトリエ・ダンカン制作の「女子高生チヨ」の宣伝用チラシを見て驚いた! 何と木の実ナナが女子高生姿で写っている。確か還暦を過ぎたナナさん、いくら若々しいとはいえ、高校生役をやるとは・・・と早トチリ。実は、ひうらさとるの漫画を原作にしたミュージカルで、そのモデルとなったおばあちゃん高校生藤井千代江さんが実在すると知り、二度びっくり。

 劇場に着いて手にしたプログラムは大学ノート状になっていて、観る前からちょっぴり学生気分。さて、65歳のチヨ(木の実ナナ)は3年前に夫(大和田獏)に先立たれ、寂しさを紛らわす為に、夜学高校に入学する。それを知ったアメリカにいるシングル・マザーでキャリア・ウーマンの娘は驚いて、日本に残している娘(チヨの孫)の鞠子(高橋愛)に様子を見守るように頼む。

 鞠子は音大の受験に失敗、約束では嫌っている母親の元に行くことになっていたので、日本に留まり、お祖母ちゃんを見守る役を喜んで引き受ける。チヨは張り切って入学したものの、やはり、若者に交じって勉強についていくのは、至難の業でかなり落ち込み、鞠子はやきもきする。夫の幽霊が現れて励ましてくれたり、学校の理事に元同級生のツネ吉(大和田獏の二役)がいて昔話に話が弾んだりと、そこは漫画が原作なので、自由な展開で見ていて楽しい。

 チヨは仕事熱心な先生(新納慎也)に助けられて補習を受けて何とかやっていかれるようになる。働きながら学ぶ他の生徒たちとも、段々溶け込み始め、オバアチャン高校生は、本来の明るさを取り戻していく。働きながら夜学に通う他の学生たちも、様々な問題を抱えながら、チヨの前向きな生き方に少しずつ影響を受け、学園祭には普通科の学生に負けまいと、夜学生だけでなく、父兄(?)の鞠子も特別参加で舞台を盛り上げる。

 この公演は、16歳でデビューした木の実ナナの祝デビュー50周年記念ミュージカルとのことで、懐かしい既製曲を使い、脚本・斎藤栄作、演出・板垣恭一、他の若い出演者、馬場徹、大山真志、才川コージ、大橋ひろえ、窪塚俊介等も、若い!ナナさんの刺激を受けて、大いにハッスル、生き生きとした楽しい舞台となっていた。
〈写真提供: アトリエ・ダンカン〉

ミュージカル「プロミセス・プロミセス」12月15日 新国立劇場・・・・・本田浩子
 

 宮本企画制作のミュージカル「プロミセス・プロミセス(Promises Promises)」は、1960年のアメリカ映画「アパートの鍵貸します(The Apartment)」のブロードウェイ・ミュージカル版。映画はビリー・ワイルダー脚本・監督の、ジャック・レモンとシャーリー・マックレーンのラブ・ロマンス・コメディで、アカデミー作品賞、アカデミー監督賞、アカデミー脚本賞を受賞している名作として知られている。この映画を原作として、ニール・サイモンが脚本を書き、バート・バカラックが音楽を担当したのが、ミュージカル版で、ブロードウェイで1968年に舞台化されている。都会的センスあふれるニール・サイモンの脚本と軽妙な音楽のバカラックの音楽は、良くマッチしていて、大きな話題となった。



 良く知られているコメディとはいえ、セクハラなどもっての他の現代に、成り行きから上司たちに情事の場所を提供する羽目になり、その見返りに出世を約束(promise)してもらう独身男のチャック(中川晃教)は、客席からブーイングが起こりかねない役どころだが、「これって全く非倫理的ですよね!」「でも、こんな時、他にどうすればいいんですか?」と客席に語りかけたりして、いつの間にか観客を味方につけていくのは、台本・演出(田尾下哲)の良さといえる。楽曲の良さと、ダンス(振付:本間憲一)ナンバーも楽しく、飽きさせない舞台になっている。人事部長のシェルドレイク(岡田浩暉)、ドービッチ(Kentaro)、アイケルバーガー(田村雄一)ら、有力な上役にアパートの部屋の鍵を渡してという、描き方次第では感じ悪さが目立つストーリーだが、主演の中川の軽妙な芝居に支えられ、おまけにチョイ悪男の上司たちの歌も演技も申し分なく、客席からは時折笑いが聞こえる楽しいものとなった。



 チャックがひそかに惚れていたフラン(大和悠河)が、実は人事部長シェルドレイクの愛人と知って、チャックは失恋の痛手から安酒場で一人お酒を飲んでいると、色気たっぷりのマージ(樹里咲穂)に逆ナンパを受ける。樹里咲穂の思いっきり羽目を外したナンパ振りは、可愛いらしく、色気たっぷり、チャックは抵抗することも忘れて、自分のアパートに連れて行く。ところが、そこにはシェルドレイクが単なる遊びと知ったフランが、睡眠薬自殺を図って倒れている。チャックは大慌てで、隣人のドレイファス医師(浜畑賢吉)に助けを求める。チャックが毎夜入れ替わりに違う女性を連れ込んでいると誤解したまま、ドレイファスは危機一髪フランの命を救う。フランとチャックの「もう恋はしない」のデュエットは二人の幸せを予感させ、やがてチャックとフランは・・・ハッピー・エンディング。酸いも甘いも知り尽くした、ドレイファス医師役のベテラン浜畑の軽妙洒脱な演技と、チャックと二人で歌う「小さな秘密」も聞いていて心地よい。

 12月21日以降は、チャック役は藤岡正明にバチン・タッチとなるので、又違ったチャックに会える楽しみがある。
〈写真提供::宮本企画 〉

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