2011年6月 

初来日公演大盛況!ジョニー・ウィンター!!・・・大友 博
 すでにさまざまなメディアで紹介されているとおり、1969年のデビュー以来、白人ブルースマンの象徴的存在として活躍してきたジョニー・ウィンターが4月に、67歳での初来日をはたした。コンサートが行われたのは13日、14日、15日の3日間で、会場はZEPP TOKYO。連日、幅広い層の音楽ファンで埋まり、異様な熱気が伝わってきたが、文字どおり超満員となった最終日のステージをWOWOWが撮影している。13台のHDカメラを使った本格的なライヴ収録だ。間もなく放送される予定だが、友人が監督を務めていたこともあり、その収録をちょっと手伝うこととなり、開演前、短時間ながら話を聞くこともできた。
 
 印象的だったのは視線の強さ。年齢相応の穏やかさも漂わせていたが、その存在感はやはり強烈だ。ただし口数は少なく、サポート・ギタリストのポール・ネルソン(バークリー出身で、スティーヴ・ヴァイにも学んだとか)がスポークスマン的に口をはさむという展開だった。
 「あと何年あるかわからないけれど、死ぬまでブルースをやりつづける」という言葉と、それを話している時の表情が忘れられない。常套句的ではあるものの、ウィンターの言葉には重みがある。もちろん、本気でそう考えているのだろう。年内にはニュー・アルバムも出る予定で、デレク・トラックスやウォーレン・ハインズ、ブルーズ・トラヴェラーのジョン・ポッパーなどが参加しているとのこと。まだまだやってくれそうだ。
≪祝 初来日!≫ということで、今月末から来月にかけて<Columbia Years><Blue Sky Years>12作品がリリースされる。

『ジョニー・ウィンター』

『セカンド・ウィンター』

『ジョニー・ウィンター・アンド』

『ライヴ/ジョニー・ウィンター・アンド』

『スティル・アライヴ・アンド・ウェル』

『テキサス・ロックンロール』

『俺は天才ギタリスト』

『狂乱のライヴ』

『トゥゲザー/ジョニー・ウィンター&エドガー・ウィンター』

『ナッシン・バット・ザ・ブルース』

『ホワイト、ホット&ブルー』

『レイジン・ケイン』

「ジョニー・ウィンター」(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル/SICP3097)
「セカンド・ウィンター」(SICP3098〜9)
「ジョニー・ウィンター・アンド」(SICP3100)
「ライヴ/ジョニー・ウィンター・アンド」(SICP3101)
「スティル・アライヴ・アンド・ウェル」(SICP3102)
「テキサス・ロックンロール」(SICP3103)
「俺は天才ギタリスト」(SICP3104)
「狂乱のライヴ」(SICP3105)
「トゥゲザー/ジョニー・ウィンター&エドガー・ウィンター」(SICP3106)
「ナッシン・バット・ザ・ブルース」(SICP3107)
「ホワイト、ホット&ブルー」(SICP3108)
「レイジン・ケイン」(SICP3109)

写真:鈴木敏也(ライヴ・ショット)

歌いたい気持ちと、歌えないもどかしさの中で、ジョー山中は歌い切った・・・池野 徹
 歌い手が歌う時は、自分の身体がどんな状態であろうと、いざオン・ステージしたらそれが精一杯の姿を、声を聴かせるのが当然の事である。素晴らしい歌手達を多く見て聴いて来たが、その中でも、ジョー山中のステージが、人の胸を打つものを、いつも秘めてる魂の声を聴く事が出来るからであった。3オクターブのハイの部分に、ジョー山中しか出せないインスツルメンツがあった。それは、ジョーの血がそうさせるの か、運命の音が聴く人の心に突き刺さるのだった。

 ジョーの表情は、何故かその歌の世界の強弱はあっても、いつもある「哀しみ」の眼差しを見せているのだった。その意味を考える必要はないが、ジョーの歌にはリズムの、ビートの強弱はあっても、喜怒哀楽の表現の中に、抜けきれない哀しみの表情があるのだ。聴いた人達は、そのジョーの哀しみから抜け出せなくなる。

 「To the New World」で歌い始めたジョー。ジョーのレゲエは、 ボブ・マーリーと匹敵する。そして、「Jazz Mean Woman」を歌った。しかしその歌声にジョーの哀しみと言うよりジョーのもどかしさを感じてしまったのである。それは無理もない、ジョーは、肺ガンを発症して、1年半もの闘病中なのだ。

 東日本大震災チャリティー・ライヴとして、ジョー山中が、5月5日、原宿クロコダイルに登場した。ミュージシャン仲間が大勢かけつけて、ジョーをフォローした。「What A Wonderful World」を中村裕介が熱唱した。ジョーは、「雨の日にはブルース」で応えた。続いて横浜の仲間、エディ播が「Stormy Monday Blues」「Sweet Home Chicago」とブルースをたっぷり聴かせて くれた。そして、深水龍作がストーンズ・ナンバー「Honky Tonk Women」を演奏した。彼等もジョーのステージと共にする事の喜びを隠さなかった。「When Something Is Wrong With My Baby」の円道一生&スージーキムが続き、ジョーが「No Woman No Cry」で応え、フラワー・トラヴェリン・バンドの仲間、石間秀機、ジョージ和田、篠原信彦が加わり、そして、会場からミッキー・カーチスがブルース・ハープで登場、会場は最高潮に達した。そして、ジョーがいつもエンディングで歌う「Music Loves Me」を、作曲者のミッキー吉野のキーボードで、ステージ・チェアに座って歌った。そこには哀しみを超えた、ジョーの歌に対する想いがしっとりと込められていた。「Stand By Me」でジョーは、観客と共に声を振り絞った。 エンディングは「人間の証明」だった。

 この日は、親しい友人、長い友人、ジョーのファン、 ジョーのファミリーが会場を埋めた。久しぶりに今現在の歌声を聴き、涙している人がいたのは、印象的であった。本当に快復したジョー山中に、また今度逢いたいという気持ちが溢れていた。「One Love !」
Photo by Tohru IKENO

音楽夜噺第55夜「ポップ・バリの現在〜バリ島のポピュラー音楽の流れをたどる」
・・・Mike M. Koshitani(越谷 政義)
 4月30日、 渋谷のダイニングバー/Li-Poでの≪音楽夜噺 第54夜:ポップ・バリの現在〜バリ島のポピュラー音楽の流れをたどる 伏木香織 x 井上貴子≫をしっかり聴講してきた。
 井上さんの編著で昨年刊行された『アジアのポピュラー音楽 -グローバルとローカルの相克- 』(勁草書房)の執筆者の一人、関口義人さんが毎月開催されている音を聴きながら語るトーク・イベント『音楽夜噺』に、やはり執筆者の一人である伏木香織さんが登場、ポップ・バリを取り上げた。バリ音楽のスペシャリスト伏木さんとアジア音楽(特にインド)に造詣の深い井上さんの実にディープな“講演”に聞きいった。


ポップ・バリ最初のアルバム「A.A. Made Cakra(Band Putra Dewata) /Kosir Dokar」


ポップ・バリ・コンベンショナルの代表的歌手Dek Ulik。「Sader Beli」 (Januadi)

 ポップ・バリは、クロンチョンやガムランのような伝統音楽とロックやヒップホップなどの洋楽をミックスした音楽で、1970年代に作られ始め、1990年代末からは「田舎くさい」音楽というレッテルを脱却し、「バリらしさ」を表現する手段として盛んになった。この日に流されたポップ・バリ20曲は、日本人にとっては本当にマニアックでユニークな音楽ばかり。この手の音楽をまとめて聴けるような機会は、これが本邦初と言ってもよいだろう。社会的・政治的影響について詳しく説明されたことも含めて、夜噺の常連にとってもめったにない刺激的な経験となったという。これをきっかけに、アジアのコアなポピュラー音楽にもっとふれてみたいものである。そして、バリの音楽シーンにとっても興味がわいたのも正直な気持ちだ。北中正和さんも大推薦の『アジアのポピュラー音楽』もこの機にぜひご熟読いただきたい・・・。


ポップ・バリ・オルタナティヴをメジャーにしたバンド、Lolot。「Bali Rock Alternative」 (Pregina)


ラップやロックなど様々なスタイルを使ってきたバンドXXX(トリプル・エックス)。「The Best of XXX Video"」(Jayagiri)

http://www.musicpenclub.com/review-p-201105.html
*音楽夜噺  http://ongakuyobanashi.jp/

わらび座ミュージカル「おもひでぼろぼろ」東京公演・・・川上 博
 本拠地の東北・秋田県に「わらび劇場」、四国・愛媛県に「坊っちゃん劇場」を持ち、全国ツアーも展開するユニークなミュージカル劇団わらび座。わらび座の新作「おもひでぽろぽろ」が、わらび劇場に先駆けて、4月16日から29日まで、東京の銀河劇場で初演され、4月20日に観劇。

 同名のアニメ映画を、脚本・作詞: 齋藤雅文、作曲: 甲斐正人、演出: 栗山民也でステージ・ミュージカル化した。物語の主人公は銀行で働くOLのタエ子。ある日彼女の前に、小学校5年生の自分が現れる。今の生活に満足できない27才のタエ子は、夏休みに小学校5年生の自分を連れて、山形の田舎に郷愁の旅に出る。村人たちとの交流、祭囃子、獅子舞。都会を離れて自分を見つめ、自然の中で成長するタエ子。そんな過去の「おもひで」を通して、新しい自分を見つけて行く。

 東京公演版の主役には、朝海ひかる (タエ子) と杜けあき (タエ子の母と山形のバッチャの2役) の二人の元タカラジェンヌ、トップ・スターが出演して舞台を盛り上げ、わらび座メンバー、農業青年トシオ役の三重野葵 、タエ子の父役の渡辺哲、小5のタエ子役の石丸椎菜、他に森下彰夫 、平野進一 、丸山有子等の熱演で活気溢れる舞台となった。「私にしか見えない」「夏休み」「獅子舞」「どうして? あべ君」「ばっちゃの夢」等のバラエティ豊かなミュージカル・ナンバーが楽しい。今と過去が重なる、何とも不思議な魅力に包まれたミュージカルだった。ところで、朝海ひかる、杜けあき、主役のお二人が被災地仙台の出身だったとは・・・。 

写真提供: わらび座

訃報 コーネル・デュプリー・・・櫻井 隆章
 ギタリストのコーネル・デュプリーが、2011年5月8日に亡くなった。享年68。主にソウル・ミュージックとフュージョン・ジャズの分野で活躍を続けてきた人だが、そのプレイは常に“いぶし銀”とも称されるものであった。死因は肺気腫。
 1942年12月19日、テキサス州フォート・ワース生まれ。62年にニューヨークに出て、ベーシストのチャック・レイニーなどと共にサックス奏者のキング・カーティスのバック・バンドであるキングピンズに参加。その後、多くのアーティストのバッキング・ギタリストとして名前を知られるようになる。特に有名だったのはアレサ・フランクリンのバックを67年から76年まで務めたことであろう。また、ダニー・ハサウェイやブルック・ベントン、ジョー・コッカーやロバータ・フラックなどのバックも務めた。74年の『ティージン』からソロ・アルバムも10枚以上制作している。
 彼の名前を一躍高めたのは、ニューヨークのセッション仲間と結成したバンド“スタッフ”だった。これはベースのゴードン・エドワーズを中心に集まった6人のメンバーで結成されたバンドで、世界的な成功を収め、アルバムも5枚制作。特に初期の2枚はロング・セラーとなり、日本でも人気の作品であった。ただ、このバンド・メンバーのうち、キーボードのリチャード・ティーが93年7月21日に、またギターのエリック・ゲイルが94年5月25日に、それぞれ癌で他界している。
 近年、肺気腫を患っており、ライヴの際も酸素ボンベを傍らに置きながらのパフォーマンスであった。生前の彼のトレードマークは愛器テレキャスターとパイプであり、皮肉な結果ともなった。また、本年3月20日には、彼の手術代や治療費の捻出の為のチャリティー・コンサートがニューヨークの“BBキング・ハウス・オブ・ブルース”で行われたばかり。肺の移植手術を待っていたところでの逝去だった。亡くなったのはテキサス州フォート・ワースの彼の自宅。
 近年は毎年のように来日しており、最後は2010年8月であった。
*掲載ライヴ・ショットは2010年8月
写真:acane

コーネル・デュプリーのギター・ワークを伝承していきたい・・・菊田 俊介
 ギタリストのコーネル・デュプリーがテキサスの自宅で亡くなった。デュプリーを初めてスタッフで聴いた時、全くピンとこなかった。自分はまだ10代だった。でも、シカゴに来てブルースを中心にブラック・ミュージックの世界にどっぷりと浸かってみて、時間とともにデュプリーの良さ、素晴らしさ、彼のギターの存在価値みたいなのを実感するようになった。

 そして2006年、ジェイムス・コットンとのツアーでニューヨーク州シーラキュースのフェスティバルに出演した時、デュプリーがソウル・サヴァイヴァーズで出演していた。バック・ステージで話す機会があった。その日の様子は、下記のブログに記しているので、ぜひ読んで欲しい。

http://plaza.rakuten.co.jp/shunkikuta/diary/200607030000/

 デュプリーはスタジオ・ミュージシャンとしても数々の名曲でギターを弾いているけれど、やはりブルック・ベントンの「Rainy Night in Georgia」のプレイが一番好きだ。ギターのイントロが印象的なアレサ・フランクリンの「Respect」もデュプリーがギター。

 宣伝になるけど、「Rainy Night in Georgia」はじめデュプリーのリズム・ギター奏法を小生のDVDでも紹介している。彼の功績をこんな形でも残せていければと思う・・・。合掌。

http://www.rittor-music.co.jp/dvd/03517219.html

JVCケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル Vol.20
≪開けごま!エジプト〜チュニジア〜日本からオープン・セサミ!≫・・・滝上よう子
 これまではずっと平日の夜に行われていた「JVCケンウッド・トワイライトイベント」、今回は初めて週末の土曜日開催。内容も音楽に加え、ダンス、それもエジプトの踊りをフィーチャーした舞踊と音楽の即興コラボレーションで、リハーサルも一切なしという初めてづくしのイベントとなった。当日は雨と風に見舞われた生憎の天気ではあったが、オープニングの頃には会場は満員となり、誰もが興味津々といった様子で流れていたアラブ音楽に耳を傾けている。

 まず挨拶代わりに登場したのがREIKAと彼女が率いるイシス舞踊団の二人の女性によるエジプト民俗舞踊の「アレクサンドリア地方の踊り」。日本人として初めてエジプト国立民俗舞踊団で学んだREIKAはエジプト舞踊やベリーダンスを日本に紹介したパイオニア的存在。カラフルな衣装に顔を覆うベールを付け、手の先まで神経が行き届いた妖艶な舞を披露すると、会場はたちまちエキゾチックな雰囲気に包まれる。水瓶を持って踊る2曲目の「水瓶の踊り」が終わるとMPCJの会員でもある池野徹が登場、司会のマイク越谷との出会いや、REIKA、後半に登場のギタリストのKawolとの出会いについて熱く語ってくれた。

 衣装をチェンジして踊った「ジプシーの踊り」は、小さなカスタネットといった感じのフィンガー・シンバルを指先につけて鳴らしながら踊る楽しいナンバーで、間に入る甲高い喜びの声も印象に残る。

 そして、いい気分転換となったのがREIKAの指導により会場の皆で行った「エジプト体操」。アラビア語の挨拶の言葉も交えながら身体を動かせば心身ともにリラックス。和やかな空気が会場を流れた。

 後半はギターをアラブの弦楽器、ウードの調律で弾くギタリストのKawolが登場。今回はアラブ音楽ではなく、レナード・コーエンの「バード・オン・ワイヤー」や四谷文子の「タンゴを踊ろう」といったユニークな選曲で、原曲から離れた全く独自の個性的な歌とギター・プレイを披露してくれた。そして「タンゴを踊ろう」では再びREIKAも登場し、音楽とダンスの即興コラボレーションが実現。白いベレーに白いワンピース姿のREIKAがギターの音に寄り添い、しなやかに踊る“平和、復興、希望への祈り”で、この日のイベントは静かに閉じられた。     
写真:池野徹 鈴木道子

=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)
エジプト・ダンスにギターと歌。得をしたという印象の、とても盛りだくさんの楽しい一夜でした。(石田 一志)

好奇心旺盛なわたしでも未知のパフォーマンスに耳と目が釘付けになった。中東やトルコの舞踊と似て非なるエジプト・ダンス(REIKA)。チュニジアの音楽を貪欲に取り込んだKAWOL。二人は日本での第1人者とのこと。特に両者による即興演奏とダンスがひとつの異空間と“物語”を作り出していたのが面白い。それぞれのパフォーマーの人生やイマジネーションがダイレクトに放出され、そこから新たな世界が生み出されていた。こんなイベントは偶然にしても滅多に見られない、と思った。(齋藤 弘美)

いわゆるベリーダンスは、ハリウッド映画でくらいしか見たことがなかったが、当夜はクラシック・エジプシャン・ダンスというので、興味深かった。私はもっぱらカメラをのぞいていたので、全体像は知れないが、即物的で分かりやすく面白かった。これでおヘソを出すダンスがあれば、もっとよかったのだが。(鈴木 道子)

REIKAさんと KAWOLさんによるエジプトとチュニジアの中東の舞踊と音楽、初めて見聞きするものでした。限られた時間とスペースでそのエッセンスみたいなものを要領よく披露していただき勉強になりました。(高田 敬三)

今まで、エジプト舞踊はおろかエジプトの文化に触れること自体、皆無といえる程だったが、この道の第一人者REIKAさんらによる、華麗でどこかミステリアスな舞にすっかり魅了された。REIKAさんご自身が開発されたという「エジプト体操」や、簡単なアラビア語の紹介などもあり来場者も一緒になって楽しんでいた。ギターのKAWOLさんを交え即興で行われたセッションは、むしろバトルと言い換えた方が良いほどに緊迫感のあるステージが展開された。(町井 ハジメ)

JVCケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル Vol.21
≪ボサ・ノヴァの夕べfeat. 森 郁≫・・・高田 敬三
 森郁は、長嶋茂雄と争ってホームラン王、打点王に輝いた中日ドラゴンズの元四番打者、森徹のお嬢さんだけに身体は大きいが、声は大変可愛らしい。岩浪洋三MPCJ会長が彼女とのトーク・コーナーでで「ボサ・ノヴァのアストラッド・ジルベルトは、キッチン・シンガーと呼ばれ、台所で料理をしながら鼻歌の様に歌う歌手だ」と、語っていたが、郁の声は、まさにそんな感じでボサ・ノヴァ向きだ。

 彼女は、2004年に≪スリー・フォー・ブラジル≫で来日したブラジル人のポリーニョ・ガルシアが活躍するシカゴを訪ね、ボサ・ノヴァをじっくりと学んでいる。そして、今回、ポリーニョと組んだアルバムを発表、6月には≪スリー・フォー・ブラジル≫として全国ツアーも予定されている。

 今回のイべントでは、新調のサングラスをかけて登場、見事なボサ・ノヴァ・ギターを弾く田辺充邦の伴奏でジョビンの「メディテーション」から入る。伴奏と合わなくて戸惑っている感じだ。「黒いオルフェ〜ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・フール」「ノ—・モア・ブルース」と続くが、汗だくでメガネが曇ってしまい、メガネをはずす爲に小休止。そこで、田辺が「実は、一曲目で私が、間違った曲の伴奏で入ってしまい、彼女は戸惑ってそこでどっと汗が出てしまったのです」と、落語家を兄に持つだけにユーモアたっぷりに舞台裏を話し取り繕う。会場は、大変和やかな雰囲気だ。

 岩浪会長とのトークで今回のニュー・アルバム『ボサ・ノヴァ・ソングブック』では、ヨーロッパの映画音楽を何曲かボサ・ノヴァで歌ったという話が飛び出し、そこからから「サマータイム・イン・ヴェニス」をエア・プレイ、素晴らしいサウンド・・・。

 後半も彼女が最初にボサ・ノヴァに魅かれたというマイケル・フランクスの「アントニオの唄、震災以来よく歌われるチャップリンの「スマイル」等を優しく軽やかに歌った。最後は、アンコールに応えて「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、50人近い超満員のお客さんから大きな拍手をもらっていた。ほんわかとしたボサ・ノヴァを楽しむ夕べだった。彼女は、先生のポリーニョに「ボサ・ノヴァは、語るように会話するように歌うのだ」と、教えられたというが、そういう面ではもう少し勉強が必要かもしれない。このイベントはUSTREAMで全世界に配信され、彼女の先生のポリーニョ・ガルシアもシカゴで見ていたという。世の中、随分便利になったものだ。
写真:轟美津子

=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)
「ボサ・ノヴァ・ソングブック」の発売を記念しての催し、ファンもいっぱい集まり、楽しいイベントとなった。まず森郁がギタリスト田辺充邦の伴奏で4曲「メディテーション」「コルコバド」などを歌った。彼女の美しく、温かいソフトな歌声はボサ・ノヴァにぴったりだ。アルバムはブラジルのギタリスト、歌手ポリーニ・ガルシアと共演しており、6月いっぱいニュー・アルバムと共演しているグレッグ・フィッシュマン(ts、fl)と3人で発売記念コンサートを全国10ヶ所で行うという。
4曲歌い終ったところで、ぼくとの対話を10分ほど行った。彼女はこのボサ・ノヴァ・アルバムをシカゴで録音したという。彼女はヨーロッパ映画の主題歌も好きということなので、アルバムから一曲「サマータイム・イン・ヴェニス」をかけた。ここで2人の対話は終り、ふたたびギターの田辺充邦とのデュオで、得意曲をつぎつぎに歌った。彼女ほどボサ・ノヴァをうまく歌うジャズ系女性歌手は日本には少ないので、今後、人気急上昇の予感がする。(岩浪 洋三)

この日のイベントでも「ボサ・ノヴァを歌ったらどうかと勧められた」と森郁は自ら語っていたが、確かにくせのない涼やかな歌声はボサ・ノヴァにぴったりで、特にテンポのいい明るいナンバーに彼女の持ち味がよく出ていたように思う。「アントニオの歌」やジョビンのナンバー等、田辺充邦の達者なギターをバックに繰り出されたお馴染みのナンバーの数々。どこまでも心地良い“ボサ・ノヴァの夕べ”だった。(滝上 よう子)

*当日のライヴは下記で楽しめます!
http://www.ustream.tv/channel/showroom-live

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