2016年3月 

  

Classic CD Review【交響曲】


「ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60、第5番「運命」 ハ短調 作品67 / ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(オリジナル楽器使用)」(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル、ソニー・クラシカル/SICC -30250)
 アーノンクールが昨年の誕生日前日、60年を超える演奏活動から引退する旨の表明に、残念がるファンも多かったに違いない。その結果昨年5月に録音され、この2月日本でも発売されたベートーヴェンの第4番、第5番が彼の最後のレコーディングとなってしまった。本来はこの1枚が彼としては2度目の交響曲全集の第1巻となるはずのものだったという。そして筆者はこの1枚のCDを聴いて新しく考えられていた全集が今後実現する術が全くない事を心から残念に思う。何故ならばこの2曲の出来映えが誠に素晴らしく、そして何よりもアーノンクールの個性そのものだからである。兎に角アーノンクールの今までの演奏では感じたことのない神の導きで作り上げたような孤高とも言える音楽がそこにあるからだ。そしてこの2曲以外の7曲がどのような演奏になるかを考えることは不可能とも言えよう。例えば第4番第1楽章に於ける序奏の美しさから主部に入った時のダイナミックスの新しい感触は今まで聴いたことのない鋭ささえ感じる。これは今まで第4番の第1楽章で言われてきた軽快な解釈とは全く異なる異次元の解釈と言える。第5番「運命」も鋭さに満ちた新鮮な感触を持つ演奏であることに違いない。そして両曲の緩徐楽章のテンポも速く、アーノンクールはテンポもダイナミックスも自由自在に作り上げ、特別な効果を生み出すことに成功している。先ずは何と言っても聴いていただくことが1番ではなかろうか。彼の手兵コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーンも彼の意のままに演奏しており、ここに驚くべきアーノンクールの偉大なベートーヴェンが出来上がったと言って良いだろう。(廣兼正明)

Classic BD Review【管弦楽曲 (ニューイヤー・コンサート)】

「ニューイヤー・コンサート2016 / マリス・ヤンソンス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」(ソニー・ミュージックエンターテインメント、ソニークラシカル/SIXC-12-J〈BD〉)
 ウィーン・フィル2016年初頭を飾る行事、ニューイヤーコンサートの映像が今年もリリースされた。
 今年の指揮者はマリス・ヤンソンス、2006年、2012年に続き、何と3回目のご指名である。 ウィーン・フィルとヤンソンスはお互いに完全に気心の知れた間柄であり、今回のニューイヤー・コンサートでも楽員、聴衆とも楽しそうな雰囲気が演奏開始前からホール内に溢れていたことからも、指揮者と楽員との相性が抜群である事が納得出来る。これまでの75年に及ぶニューイヤー・コンサートの中でもヤンソンスの今年のコンサートは最高の出来映えと言っても過言ではないだろう。ニューイヤー・コンサートではウィンナ・ワルツを始め、その多くはウィーンの舞曲で、どうしてもウィーン・フィルに演奏の主体が移ってしまい、ゲストであるウィーン以外出身の指揮者ではウィーン音楽が持つあの独特な表現をウィーン・フィルに任せてしまったのでは、と思い込んでいた聴衆も今までは多かったようだ。しかし今年のヤンソンスは彼が持つ音楽性を充分に発揮し、どの曲も実に素晴らしい音楽に仕立て上げてしまった。今年の初登場曲は8曲で、その中で特に話題になったのはオーストリアのグラーツ生まれであり、後にアメリカに移住した作曲家ロベルト・シュトルツが1962年に作曲し、国連に献呈した「国連行進曲」である。国連総会の初開催から70年の今年、世界平和を祈念してコンサートの冒頭に演奏されることになったという。第2部ではウィーン少年合唱団も共演、美しい声を聴かせてくれた。少年たちの顔を見るとこの少年合唱団もインターナショナルなメンバーになったものだと思う。そして指揮者も指揮以外の役で結構忙しい。ビデオだけの特典映像もバレエ・シーン、ウィーン・フィル・メンバーによる室内楽、ザルツブルク音楽祭のリハーサル風景などDVD、BDでしか見られないものも楽しめる。
 もうひとつだけ付け加えたいのは、このBDによる黄金のムジークフェライン内部を始めとする素晴らしい映像の美しさである。(廣兼正明)

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】

「カレイドスコープ(ムソルグスキー:展覧会の絵、ラヴェル:ラ・ヴァルス、ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ / カティア・ブニアティシヴィリ(ピアノ))(ソニー・ミュージックエンターテインメント、ソニークラシカル/SICC -30260)
 カティア・ブニアティシヴィリはグルジアのトリビシ生まれ、2011年にソニー・クラシカルからデビューして今回が4枚目のCDとなる。 6歳の時グルジアでオーケストラとの初協演デビューをして以来、その才能が認められ、天才少女として欧米各地で知られるようになった。カティアの技術は素晴らしいが、彼女自身は彼女が最も尊敬するピアニストであるマルタ・アルゲリッチの独創的なピアニストとしてのあり方を知らず知らずの間に自分の中に蓄えているのではなかろうか。
 今回発売されたCDに収録されているムソルグスキーの「展覧会の絵」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の3曲は確かに技術的にも難曲だが、カティアの持論である「ホールという空間を聴衆と共有するためにその存在を忘れなくてはならない」という自身の言葉は彼女にとって何よりも大切なアルゲリッチの演奏から得た金言ではなかろうか、と筆者は考える。(廣兼正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「アラン・ギルバート 東京都交響楽団」(1月26日、サントリーホール)
 都響とアラン・ギルバートは呼吸がぴったりと合っており、相思相愛のように見える。5年前の初共演が大成功、ラブコールを送り続け、ようやく今回の共演が実現したという。
 武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト─モートン・フェルドマンの追憶に─」は響きがどこか西洋的で、墨絵のようになりがちな日本の指揮者とは違い、ニューヨークの薄暮風景を見るような印象を与える。都響の精緻なアンサンブルと相俟って、響きの細やかな変化と万華鏡のような色彩感があった。
 シベリウスの交響詩≪エン・サガ(伝説)≫では弦が4連符で上下行する冒頭はひそやかで室内楽的な響きをつくる。北欧のほの暗さと冷たい空気感に満たされた曲だが、消え入るように終わるコーダは武満徹と重なるものを感じた。
 後半のワーグナー(ギルバート編)の≪指輪の旅〜楽劇「ニーベルングの指輪」より≫はエーリヒ・ラインスドルフが編纂したものをギルバートが再編したとのこと。「ワルキューレの騎行」から始まる。ダイナミックであると同時に見通しが良く、繊細さも兼ね備えた演奏だった。その意味で「岩山を登るジークフリート」のヴァイオリン群の澄み切った響きに瞠目した。「ジークフリートの葬送行進曲」の金管の存在感や「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」の壮麗でどこまでも高く飛翔していく終末も素晴しかった。(長谷川京介)

写真:堀田力丸/提供:東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「トーマス・ダウスゴー 新日本フィル マーラー交響曲第5番ほか」(1月27日、サントリーホール)
 モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は歌心に満ち、内から起こってくる勢いがあって流れもよい。10型のオーケストラということもあり、透明感のある響きですっきりとしている。ダウスゴーのモーツァルトは初めて聴くが、様式感があり正統的だ。
 マーラーの交響曲第5番は14型対抗配置で、16型大鑑主義のような厚ぼったさや音の混濁はなく、各声部は明快に描かれる。テンポは小気味よく、最後まで集中と緊張が切れなかった。
 新日本フィルはここ最近のなかでは最も力のこもった演奏で、特にマーラーに欠かせない金管が素晴らしかった。トランペットの服部孝也は、冒頭主題や「突然テンポを速め、激情的に荒々しく」と書かれた中間部も見事なソロを聴かせた。ホルンの吉永雅人もほぼ完ぺきで、第3楽章スケルツォの朗々としたテーマを雄大に吹奏、ダウスゴーも特にこの二人を讃えた。トロンボーンの山口尚人は力強い演奏で気を吐いた。木管はクラリネット重松希巳江、ファゴット河村幹子、オーボエ古部賢一、フルート荒川洋が中心となり充実した響きをつくっていた。弦は西江辰郎がコンサートマスターでまとまりがよく、中でも第2楽章展開部でのティンパニのかすかなトリルの上で抒情的な旋律を奏でるチェロの深い響きは忘れがたい。白熱したコーダはオーケストラの集中力も一段と増し最高の高みに達した。
 新日本フィルには音楽性と人間性を兼ね備えたダウスゴーのような指揮者が今最も必要とされているのではないだろうか。(長谷川京介)

写真:(c) Per Morten Abrahamsen

Classic CONCERT Review【器楽曲(ピアノ独奏曲・協奏曲)】

「第17回ショパン国際ピアノ・コンクール2015入賞者ガラ・コンサート」(1月28日、東京芸術劇場コンサートホール)
 6位入賞のドミトリー・シンキンから始まり、最後は優勝のチョ・ソンジンで締めるプログラム。入賞者に共通する点は、美音、テクニック、若さからくるフレッシュな表現。もっとも2位のアムランは27歳とやや年長だが。
 6位のシンキン、5位のイーケ・(トニー・)ヤン、4位のエリック・ルーの差はあまりなく、シンキンはもう少し上位でもよいのではと感じた。
 第3位ケイト・リウになると、さすがに音楽の内容が深くなる。マズルカの第1、2、3番を弾いたが、男性奏者よりも打鍵が強く、演奏には詩情を感じた。
 第2位シャルル・リシャール=アムランはソナタ第3番を弾いた。音楽の深み、表現の大きさは他のピアニストたちよりも勝っており、すでにプロフェッショナルとして活躍していることを示している。アムランの音楽は内省的で少し暗く、チョ・ソンジンのような「華」がない。これが1位と2位を分けた一因ではないかとも思うが、演奏したのはソナタ第3番で、協奏曲の華やかさとは違うためでもある。ピアノはヤマハを使用していた。
 最後に登場したチョ・ソンジンはコンクールのさいと同じく、ヤツェク・カスプシック指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団とともにスタインウェイで協奏曲第1番を弾いた。昨年11月フェドセーエフN響で聴いた時は生気がなく、これが本当にショパン・コンクール優勝者だろうかとまで思わせたが、この日は絶好調、美しく流れるようなピアノで、特に第1楽章再現部で第2主題が奏でられるところは、ショパンの高貴な香しさが溢れんばかりだった。アンコールは「英雄ポロネーズ」を弾いた。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【宗教曲】

「福島章恭 J.S.バッハ《マタイ受難曲》」(1月30日、めぐろパーシモンホール大ホール)
 この演奏会は3月1日ライプツィヒ聖トーマス教会での演奏へ向けての「壮行コンサート」でもあったが、現地でも大成功するのではないだろうか。(ライプツィヒでは今回の合唱の約半分の人数、オーケストラとソリストは現地のアーティストで構成される。)
 成功の要因は何か。
 ひとつには熱のこもった合唱。合唱指揮者として長年活躍してきた福島の指揮は呼吸が自然で安定しており、第45曲「バラバを!」「十字架につけろ!」など、ここぞというときには劇的な力強さを引き出す。合唱団は福島が指導している「東京ジングフェライン」「長岡混声合唱団」「厚木マタイを歌う会」の総勢132人に、「いな少年少女合唱団」の26名という大きな規模で迫力があり、「マタイ受難曲」の柱が合唱であることを認識させる。
 ふたつ目に素晴らしいソリストたち。エヴァンゲリストが畑儀文、イエス青山貴、ソプラノ星川美保子、アルト谷地畝晶子、テノール升島唯博、バス・バリトン山下浩司とプロが出演。中でもエヴァンゲリスト畑儀文の会場のすみずみまで響き渡る深々と美しいレチタティーヴォは演奏全体に格調を与え、物語を推進する最大の力となっていた。
 三つ目に福島の呼びかけで集まった古楽器の名手たちによる「東京バロックコンソート」の正統的で味わいのある演奏。第1オーケストラ14名、コンサートマスター天野寿彦。第2オーケストラ14名、コンサートマスター長岡聡季、オルガン能登伊津子の布陣。第48曲ソプラノの「良き行いの数々」でのオーボエ・ダ・カッチャの愛らしい二重奏や、第57曲「来るのだ、甘い十字架よ」でのヴィオラ・ダ・ガンバの独奏は素朴な雰囲気を醸し出す。
 テンポはゆったりしており、また児童合唱の出入りや合唱団の起立と着席もあり、休憩をはさみ3時間半近くとなったが長さを感じなかった。温かく手作り感のある演奏会で、コンサートホールというよりも、町の教会で聴いているような親しみやすさと純粋さを感じた。舞台正面に大きく映し出される日本語字幕も見やすく鑑賞に役立った。(長谷川京介)

写真:(c)Norikatsu Aida

Classic CONCERT Review【室内楽】




「ひまわりの郷ライジングスター・シリーズ#5 水谷晃&日橋辰朗」(1月31日、横浜市港南区民センター ひまわりの郷ホール)
 東響のコンサートマスター水谷晃と読響の首席ホルン日橋辰朗という若手名手二人にベテラン・ピアニスト加藤洋之が入った室内楽。
 前半のシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番(水谷)、ラインベルガーのホルン・ソナタ変ホ長調(日橋)が技術的には問題がないとはいえ、やや譜面通りの演奏だったのに較べて、後半のブラームスの「ホルン三重奏曲変ホ長調」が素晴らしい出来映えだった。
 難関のミュンヘン国際音楽コンクール第3位入賞を果たしたウェールズ弦楽四重奏団のメンバーであった水谷の力強く音楽を推進していくヴァイオリンに、日橋の正確でスケールが大きく、自由自在にフレーズを紡いでいくホルンが絡む。その上に加藤の安定したピアノが加わり、全員が有機的につながる理想的な室内楽が実現した。ブラームス唯一のホルンを使った室内楽であるこの作品の真価を伝える演奏だった。
 アンコールは非常に珍しい曲。ワーグナー「アルバムの綴りハ長調≪メッテルニヒ公爵夫人のアルバムに」(A.ヴィルヘルミによる室内アンサンブル編)」。甘くロマンティックな小品のため、作曲者名を告げられない限りワーグナーと結びつけるのは難しい。水谷が「加藤さんはリゲティのホルン三重奏曲にしようと言ったんですが、とんでもなく難しい作品です。」と笑いを誘っていた。「ブラームスへのオマージュ」という副題からして、プログラムにはぴったりだが、どの楽章も超絶技巧を要する難曲。これはこれで三人の演奏で改めて聴きたいと思う。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ(声楽)】

「パーヴォ・ヤルヴィ NHK交響楽団 ブルックナー交響曲第5番ほか」(2月6日、NHKホール)
 筋肉質で強靭なブルックナー。重厚ではないが、インパクトは極めて強い。速めのテンポの演奏は隅々まで明晰で充足感をもたらす。流れるように進んでいく音楽は解放感と広がりを持っている。神でも厳格な絶対音楽でもない、何物にも囚われることのない自由な音楽と言ったらいいだろうか。
 ブルックナーの対位法の極致を聴かせてくれたことも素晴らしい。例えば第4楽章、展開部の2つの主題によるフーガの立体感や、コーダのいくつもの主題がからみあって巨大なクライマックスをつくる部分では、金管と弦が奏でる異なる主題がクリアに聞こえる。チェロが金管に負けずと渾身の演奏で主要主題を奏でるのは聴きものだった。
 N響の金管は磨き抜かれた輝かしいもので、その充実した響きは第4楽章最後の高みでは身震いするような高揚感をもたらした。
 ヤルヴィの独自性が際立つブルックナーであり、現代感覚に裏打ちされた稀有なブルックナーとして記憶に残る演奏だった。
 前半はバリトンのマティアス・ゲルネを迎えてのマーラー「亡き子をしのぶ歌」。ささやくような弱音から全身を聴き手にぶつけてくるような強力な歌唱まで、表情の振幅が大きかった。ヤルヴィN響の繊細な演奏がゲルネを包み込むように支えていた。(長谷川京介)

写真:(c)Julia Baier

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「高関健指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第44回ティアラこうとう定期演奏会」(2月11日、ティアラこうとう)
バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン:会田莉凡)
プロコフィエフ交響曲第5番
 このところ、20世紀前半、特に二つの大戦間の音楽が熱いようだ。新ウィーン楽派の流れを受けて、完全な無調へ、オーケストラ全体を打楽器的に扱うか、あるいは新古典主義的にこの流れに竿を指すか。この日のバルトークはいわば前者、プロコフィエフは後者と言えよう。それだけに面白かった。
 バルトークは演奏の技巧的にも内容表現面でも難しい。言わずと知れた難曲だ。これに挑んだ会田は「やんちゃ」(高関がプレトークでこのように彼女の性格を形容していた)ぶりを見事に見せてくれていた。バルトークの魅力はやはり民俗的な素朴な力強さだと思うが、おそらく彼女の性格に合っているのだと思う。音がストレートで気持ちがいい。オケの伴奏に遠慮などしないくらい、もっともっとやんちゃぶりを発揮してもよかったくらいである。これからもどんどん経験を重ねてほしい将来性あるヴァイオリンだった。
 プロコフィエフは高関の言う「社会主義リアリズム」を反映した作品。調性による古典的な、しかし新しさも取り入れた作品。一般聴衆には、曲の構成、特に主題を把握するのはバルトークよりずっと容易だ。聴いていて快かったのは木管、打楽器、そしてホルンなどの浮き立つような響き。それらが第2、3楽章では交響詩の物語を描くように楽しく演奏していた。そして、なんども繰り返される主題や動機を楽しませてくれた。(石多正男)

Classic CONCERT Review【器楽曲(ピアノ)】

「桐榮哲也ピアノ・リサイタル」(2月14日、東京文化会館小ホール)
 日本演奏家連盟による新進演奏家育成プロジェクト、リサイタル・シリーズ第49回。桐榮哲也(とうえいてつや)は桐朋学園大学とベルリン芸術大学を卒業後パリ・エコールノルマル音楽院でも学んでいる。
 今日のプログラムは新人とは思えない大曲2曲を中心とした堂々とした内容。前半はモーツァルト「幻想曲ハ短調K.475」とシューマン「クライスレリアーナ」、後半はスクリャービンのピアノ・ソナタ第4番ロ短調とリストのピアノ・ソナタロ短調。
 彼のピアノには折り目正しい様式感があり、作品本来の姿に忠実で、楽曲の起承転結や物語性を過不足なく表現する。ペダリングも正確で無駄がない。趣味の良いピアニストとも言えそうだ。
 モーツァルトの幻想曲では冒頭から右手と左手のバランスがよく、ニ長調の主題を美しく歌わせる。シューマンの「クライスレリアーナ」は各曲の性格が丁寧に描かれていた。聴き手としては第6曲「きわめて遅く」はもっと情感を込めてもよいのではとか、第7曲「非常に速く」はもう少し激しく情熱的にと期待するが、抑制の効いたシューマンのバランスを保つためには、桐榮の弾き方が最適なのだろう。スクリャービンはロマンティックな味わいが出ていた。 
 最後のリストのソナタはピアニストの力量を問われる大作だが、技術的にはほぼ完璧に弾かれていた。構成はしっかりしており、物語を聞くようによどみなく音楽が流れていく。どこにも無理がなく30分近い曲を弛緩なく最後まで聴かせる腕前は立派なものだ。
 この上、桐榮哲也に求めるものは何か? 更なる深み。何気ないフレーズに意味を与えること(特にモーツァルト)。色彩感。聴く者の心を鷲掴みにする強い表現力。こういったところが浮かんでくる。彼は一歩一歩着実な歩みを積み重ねていくタイプに見える。スケールの大きさと、奥行きを出すことのできるピアニストに成長することを期待したい。(長谷川京介)

写真:(c) Yoshinobu Fukaya/aura.Y2

Classic CONCERT Review【オペラ】

「東京二期会オペラ劇場 ヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》」(2月17日、東京文化会館大ホール)
 第2幕までは歌手もオーケストラ(都響)もノリが悪く、バッティストーニの指揮も最強音は決まるが、ヴェルディ特有の湧き立つようなリズムや生命力が不足していた。都響はオペラに慣れていないように見えた。歌手陣も初日ということもあるのか、思い切った歌唱ではない。それが休憩後の第3幕以降は見違えるようになり、オケと歌手の一体感が出てきた。バッティストーニの指揮も生き生きとしてきて、ようやくヴェルディらしい音楽になった。 
 もともとアズチェーナが主役のようなこのオペラで清水華澄が迫力ある聴く者を圧倒する歌唱で見事だった。演出家ロレンツォ・マリアーニがマンリーコ、レオノーラ、ルーナ伯爵の三人が20代そこそこの若者達であり、彼らの愛の物語に真実味を持たせないとアズチェーナの物語になってしまうとプログラムに書いているが、清水の歌唱が目立つことで、皮肉にもこれが証明されていた
 しかし、マンリーコ(エクトール・サンドバル)、レオノーラ(並河寿美)、ルーナ伯爵(上江隼人)は終幕に向かってどんどん良くなっていき、特に第4幕終盤の囚われたアズチェーナとマンリーコの二重唱にレオノーラとルーナ伯爵がからむ四重唱には心を揺さぶられた。
 演出はシンプルなもので、場面により色が変わる月がつねに中央にあり、夜の物語である「イル・トロヴァトーレ」の雰囲気をよく醸し出していた。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「秋山和慶指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第295回定期演奏会」(2月19日(金)東京オペラシティ)
ブラームス交響曲第3番 へ長調 作品90
ブラームス ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83(ピアノ:江口玲)
 前半に交響曲、後半がピアノ協奏曲という、これだけ聞くと通例とは違うプログラムの曲順だ。しかし、曲の演奏時間、性格、規模などを考えればこの方がよかったかもしれない。ブラームスのピアノ協奏曲第2番は交響曲に準じる4つの楽章で書かれているし、独奏楽器の扱い方もよく言われる「独奏付き交響曲」的な書法が顕著だからである。ブラームスを堪能させてもらった一夜だった。ブラームスと言えば絶対音楽、形式美だが、秋山はそれを明解な解釈で味合わせてくれた。深みのある十分な音量で大オーケストラの生の響きを存分に楽しませてくれた。ブラームスが好んだクラリネットやホルンの美しい音色の余韻がコンサート終了後も快く残った。江口のピアノが加わったピアノ協奏曲では、特に第2楽章あたりからオーケストラの響きが清澄さを増した。江口のピアノは必ずしも美しい音色ではないかもしれないが第3楽章でのピアノとチェロ独奏(長明康郎)の対話は素晴らしかった。ここでのモーツァルトを想起させるような変ロ長調の世界は天上的、比類ないものだった。第4楽章では逆に江口のダイナミックな演奏が快かった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「コルネリウス・マイスター指揮 ウィーン放送交響楽団」(2月22日、サントリーホール)
 マイスターは36歳と若いが、21歳でハンブルク国立歌劇場にデビュー以来世界の一流オペラハウス、オーケストラと共演を重ね、今や立派なマエストロと言っていい。彼の指揮は溌剌とした勢いと生命力があり、しなやかで腰が強い。ウィーン放送響は弦のすっきりとした響きと、木管のやわらかな音色、土台のしっかりとした中低音弦という特長を持ち、彼らの演奏を聴いていると、ウィーン郊外のホイリゲで新酒の白ワインを呑んでいるような爽やかな気持ちになる。
 1曲目ベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番からその特長が全開、勢いと切れ味のある演奏に一気に惹きこまれる。トランペットのファンファーレは舞台裏ではなく、2階席最後部から吹かれ、会場いっぱいに輝かしい音が広がった。
 ベートーヴェンの交響曲第7番では序奏がテヌートで始められたのには驚かされたが、すぐにリズム感抜群の音楽になっていく。第2楽章アレグレットのヴィオラとチェロによる対旋律はよく歌う。終楽章は思い切り速めるが、オーケストラに乱れがないのは感心した。
 ブラームスの交響曲第2番は緻密で周到な指揮。第1楽章はゆったりと始め、第2主題もたっぷりと歌う。結尾のホルンソロも見事だった。第4楽章は目いっぱい盛り上げるのかと思ったが、それは最後の最後で爆発した。こうした音楽の構築力にもマイスターの非凡さがうかがえる。
 アンコールのブラームス「ハンガリー舞曲第5番」とヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス「ピチカート・ポルカ」は定番だが、3曲目のミア・ツァベルカ「有機的分離」は奏者全員が身体をゆらしながら立ったり座ったりして不協和音を弾き続け突然休止するユーモラスなもので、会場中が爆笑した。(長谷川京介)

写真:(c)Rosa Frank

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ウィーン放送交響楽団日本ツアー プログラムA コルネリウス・マイスター指揮 」(2月22日、サントリーホール)
ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番、交響曲第7番、ブラームス交響曲第2番
 とにかく楽しかった。伝統あるオーケストラを35歳の若いコルネリウス・マイスターが指揮した。ベートーヴェンでの若さの爆発には圧倒された。あれだけ溌剌と、全身を使って元気いっぱい振ってくれると、しかもコンミスとの競演も面白く、それだけで視覚的にも楽しい気持ちにさせられた。ベト7の第4楽章のスピードとパワフルさは年を重ねた聴衆には違和感があったかもしれないが、ドイツの高速道路をスポーツカーでびゅんびゅん飛ばす爽快感を与えられた。生演奏はこうでなきゃいけない。ところが、後半のブラームスの第2番、これは別の味わい、大人の味を出してくれた。慎重に丁寧によく勉強して、細部にわたるまで的確な表現が意図されていたと思う。第2楽章の繊細さ、第3楽章の牧歌的雰囲気、そして第4楽章の迫力、ブラームスのさまざまな表情を聴かせてくれた。これからもさらに楽しみな指揮者だった。
 オーケストラはやはりウィーンの伝統の中にあることを感じさせてくれた。全体が一つの楽器だった。弦が繊細で美しいのはもちろん、管楽器や打楽器(特にティンパニ)は存在を主張しつつもオケ全体の響きにしっくりと溶け込んでいた。しかも、まったく無理がない。アンコールの〈ハンガリー舞曲第5番〉(他に、ピッチカート・ポルカ、ミア・ツァベルカ<有機的分離>と計3曲もアンコールに応えた)でもこれらの特徴がはっきり出ていた。
(石多正男)