2014年11月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲】

「ロッシーニ序曲集:〈絹のはしご〉序曲、〈ブルスキーノ氏〉序曲、〈セビリャの理髪師〉序曲、〈シンデレラ(チェネレントラ)〉序曲、〈セミラーミデ〉序曲、〈コリントの包囲〉序曲、〈ウィリアム・テル〉序曲、アンダンテと主題と変奏/アントニオ・パッパーノ指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団」(ワーナーミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-12870)
 パッパーノとサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の来日記念盤でもある。このCDを聴いた時、これぞパッパーノと思ったのが最初の「絹のはしご」序曲冒頭、第1ヴァイオリンによる4つの四分音符すべてに複前打音が付けられていたことである。これはパッパーノの歯切れの良さを強調する表現であり、長いフェルマータの次に来るアンダンティーノでオーボエに自由に吹かせる美しい歌を目立たせているのだ。聴衆に対して、よりロッシーニを楽しませる技としてパッパーノが考えたことだろう。聴いていても気持ちが浮き立つ。パッパーノ方式とも言えるようなダイナミックスと緩急のコントラストによる急な変化は、彼独特の表現力の素晴らしさであり、これが彼の人気の秘密とも言えるものだ。そしてPPからアチェッランドしながらクレッシェンドする様は何とも爽快であり、パッパーノが演じるロッシーニの世界に聴く人を完全に引き込んでしまう。この曲に続く2曲目の「ブルスキーノ氏」でロッシーニは第2ヴァイオリンでF音のコル・レーニョ(弓の毛の反対側である木部で弦を叩く奏法)を指定している。ここは大御所ロッシーニの愛すべきジョークだ。この他の有名な「セビリアの理髪師」、「ウィリアム・テル」を含む8曲すべてに楽しさが横溢している。そして彼の手兵、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管がパッパーノの考えを見事に表現するアンサンブルは素晴らしい。その中でも木管、特にソロ・オーボエが光っている。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲・器楽曲(ヴァイオリン)】

「パガニーニ・ファンタジー、ヴァイオリン協奏曲第1番、モーゼ幻想曲、カプリース第5番、第11番、第24番、他 / ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン)、 大植英次指揮、RAI国立交響楽団、他」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1677)
 一風変わった現代っ子ヴァイオリニスト、まるでパガニーニが生き返ったようなユーゴスラヴィア生まれのネマニャ・ラドゥロヴィチのメジャー・デビューCDである。CDに添付されているリーフレットの表1,表4の写真だけから判断すると正に現代のロック・ミュジシャンを彷彿とさせるが、彼はヨーロッパで数多くのエネスコ国際、ハノーファー国際等の有名コンクールを制覇した、パガニーニを得意とするれっきとした29歳の若手ヴィルトゥオーゾである。彼の持ち味はその大げさな音楽、そしてすらりとした抜群のスタイルによる存在感の大きさだと言う。このCDで彼は大植英次指揮のイタリアRAI国立響とのヴァイオリン協奏曲第1番を始め、カプリース3曲、モーゼ幻想曲等で超絶技巧を余すところなく発揮し、クラシックの世界では特異とも言えるルックス共々、ヴァイオリニストとしては当時特異な存在であったパガニーニを今の時代に見事復活させてくれた。そして最後に収録されているロック・ミュジシャンとのカプリース24番と5番をロックにアレンジした曲を聴くに付け、クラシックという殻に収まらない新しい音楽ジャンルの先駆者としてのネマニャ・ラドゥロヴィチに、今以上に大きな存在感を持ったアーティストとして活躍して欲しい。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ヴァイオリン)】

「神尾真由子|愛のあいさつ&夢のあとに〜ヴァイオリン・アンコール/神尾真由子(ヴァイオリン)、ミロスラフ・クルディシェフ(ピアノ)」(ソニー・ミュージックエンタテインメント、ソニー・クラシカル/SICC-1714〜5〔CD+DVD〕DVDは「初回生産限定盤」のみ、通常盤はSICC-1716)
  26曲もの有名アンコール・ピースが入っているCDは初めてではなかろうか。このCDには神尾がアンコールでよく取り上げている曲ばかりであり、ヴィルトゥオーゾ神尾の超絶技巧と名器グァルネリ・デル・ジェスを自在に駆使した美しい音色は聴き手を虜にしてしまう。それはハチャトゥリアン:「剣の舞い」、フォーレ:「夢のあとに」、バッツィーニ:「妖精の踊り」、チャイコフスキー:「レンスキーのアリア〈青春は遠く過ぎ去り〉(歌劇「エフゲニー・オネーギン」より)」、R=コルサコフ:「熊蜂は飛ぶ[ハイフェッツ編]」、エルガー:「愛のあいさつ」、ラフマニノフ:「ヴォカリーズ」、プロコフィエフ:行進曲(歌劇「3つのオレンジへの恋」より[ハイフェッツ編])、シューベルト:「アヴェ・マリア[ヴィルヘルミ編]」、ドヴォルザーク:「わが母の教え給いし歌」、ポンセ:「エストレリータ」、ディニーク:「ホラ・スタッカート[ハイフェッツ編]」、ショスタコヴィチ:4つの前奏曲、グルック:「メロディ[クライスラー編]」、パラディス:「シチリアーノ」、メトネル:「おとぎ話[ハイフェッツ編]」、チャイコフスキー:「メロディ」、ラフマニノフ:「ひな菊[ハイフェッツ編]」、ショスタコヴィチ:「ロマンス」、ヴェチェイ:「悲しみのワルツ」、フランツ・アントン・シューベルト:「蜜蜂」、R=コルサコフ:「インドの歌[クライスラー編]」までは解るが、最後に何とボーナス・トラックとしてNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の最終部分に神尾が演奏している「官兵衛紀行」[菅野祐悟・作曲、名田綾子編曲]のヴァイオリンとピアノによる新アレンジ迄入っているとは驚きだ。そして2枚目に入っているDVDにはベルリンのスタジオでのレコーディング風景とCDにも入っているエルガーの「愛のあいさつ」、フォーレの「夢のあとに」とこのDVDだけのモンティの「チャールダーシュ」3曲の映像(全曲演奏)が収録されている。そして当然のことながら、公私に亘るパートナーであるピアノのミロスラフ・クルティシェフとの相性も抜群である。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】

「ノアンの思い出|ショパン:ソナタ第3番、3つのマズルカ、他/樋口紀美子(ピアノ)」(ユニバーサル・ミュージック、N&F/MF-25702)
  今回リリースされた「ノアンの思い出」のタイトルが付けられたショパンのアルバムは、ドビュッシーの「12のエチュード」全曲に続く樋口紀美子のN&Fレーベル第2弾である。このアルバムにはショパンの晩年、所謂ノアン時代に書かれた8曲がこのCDに入っている。昔から日本人のショパンは皆同じような弾き方をすると言われてきた。しかし第二次世界大戦が終わり、多くの若く優秀な人たちが欧米で外国の優れた教師たちのレッスンを受ける時代になったのだが、それはついこの間のような気がする。その中で40年以上もドイツを中心に研鑽を重ねた樋口の演奏には、ヨーロッパ、特にドイツで培ったであろう年季の入ったしっかりとしたドイツ音楽に根を下ろした表現が感じられる。2年前にリリースされたドビュッシーの「12のエチュード」を聴いたときにもそうだったが、今回のショパンも樋口の演奏は感情過多でなく、暗さの中にも凛としたショパンがここにはある。CDを聴いた後々までしっかりとした構成感が残り、ショパンについてこれまでになかった新しい印象を持つことが出来た。録音は生々しい臨場感に溢れている。 (廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【室内楽(ピアノトリオ)】

「アルキュオン・ピアノトリオ2014」(10月4日国立、一橋大学 佐野書院)
 国立駅を降り、一橋通りを歩くと、国木田独歩の描いた「武蔵野」の面影が残り、落ち着いた街並みである。会場は国立駅から歩いて十数分のところにあり、まさに室内楽を聴くのにふさわしい。
 アルキュオン・ピアノトリオは、日野市に在住の演奏家3人で結成し、年に数回このような形で演奏会を開き、独自の行き方として注目に値する。
 プログラムの前半は、セシル・シャミナード レント「ピアノ三重奏曲第2番」より2楽章、フランク・マルタン アイルランド民謡による3重奏曲、パブロ・デ・サラサーテ ナヴァラ「ピアノ3重奏版」。
 いずれも室内楽風雰囲気の濃い好演で、三人の奏者は、曲の気分をしっかりつかんで、地味ながら底光のするような深い味を出していた。特にマルタンの作品は、アイルランド民謡の旋律が美しく、ヴァオリンとチェロの弦の表情の柔らかさが印象に残った。
 プログラムの後半はラヴェルの「ピアノ三重奏曲」。複雑な構成、変則的流れを持つこの作品を、三人の奏者は、はっきりとした主張をもって対処しており、少しもどぎつところがなかったことは立派である。
 ヴァイオリンの安田紀生子は、これまで意欲的な演奏活動を行っており、作曲家の作品の初演も数多い。二人の奏者をしっかりと支え、曲全体を見通す強い把握の上に立って、緊張感あふれる表現を作り上げ、しかも細かな技術はすみずみまでゆき渡っている。チェロは高群輝夫で、2009年から2013年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽のフォアシュピーラーを務める。艶のあるふっくらとしたチェロの響きである。ピアノは蓼沼明子。伴奏の分野でも活躍し、来年はソロリサイタルの予定との事。特に終楽章では感情の盛り上がりをたくましく弾き出すことに成功していたと思う。
 永井荷風、川端康成、池波正太郎をはじめ多くの作家は浅草の下町を愛した。私は小説家ではないが彼らと同じ気持ちである。昼間から酒を飲ませるあの不可思議な景観は国立の地では見られない。ホッピー通りをさまよう私の雑な気持ちは、会場を出た時に消えていた。三人の奏者の音楽に取り組む真摯な姿勢に心を打たれたからである。(藤村 貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「メッツマッハーと新日本フィルのミサ・ソレムニス」(10月4日、14時すみだトリフォニーホール)
 ツィンマーマンの管弦楽のスケッチ「静寂と反転」(日本初演)が終わると、そのままベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に入っていく。2つの作品は共通の音(ニ音とニ長調)を持つためか、続けて聴いても違和感が少ない。
 小太鼓が手とブラシでブルースのリズムを反復するなか、微細な耳鳴りのような音が続く10分ほどの作品の後、管弦楽による力強いニ長調の和音が聞こえてきたときは、夢から現実に引き戻されるような不思議な感覚を覚えた。
 「ミサ・ソレムニス」は、メッツマッハーが切れ味鋭く、劇的に音楽を運ぶのではと予想していたが、やや淡泊なストレートな表現は意外だった。
 昨年1月のシューベルトの「未完成」やブルックナーの9番、9月のR.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」とワーグナー「ワルキューレ」第1幕、今年7月のベートーヴェン「英雄」で見せたような、先鋭的でアクセントが強い表情や、『こういう解釈はどうか』と聴き手に疑問をぶつけてくるような挑戦的な姿勢は見られず、オーソドックスでまとまりのよい演奏という印象を持った。
 新日本フィルも、独唱者たちも、栗友会合唱団もバランスよく美しいハーモニーを響かせたが、聴き手に訴えかけるような力強さや重心の低さはやや不足していたように思う。
 確かに「グローリア」のアーメンを含む長大なフーガからテンポを上げてプレストとなり、最後に「グローリア」と響き渡るまでの合唱は迫力があったし、「クレド」終結部での「アーメン」の二度の連打は強烈だった。
 一方で「クレド」でのキリストの受難の陰影の濃い重苦しさや、復活での衝撃の強さは充分ではなかったのではないか。 
 「サンクトゥス」の聴きどころでもあるベネディクトゥスの独奏ヴァイオリンのオブリガードはチェ・ムンスが艶やかに奏でたが、天に運ばれるような高みや陶酔感をもたらすという雰囲気とはすこし違う気がした。最後の「アニュス・デイ」は歌詞通り「平和」で穏やかな合唱が美しかったが、スケールの大きさをみせながら壮大なドラマが終わるという筋書きにはならなかった。
 新日本フィルの健闘(特に木管群)や独唱者のレベルの高さ、栗友会合唱団のまとまりの良さなどはあったが、メッツマッハーの指揮に発見や驚きを期待していた私のような聴き手には、やや不完全燃焼のコンサートと言えるかもしれない。(長谷川 京介)
写真:(c)Harald Hoffmann

Classic CONCERT Review【室内楽(弦楽四重奏)】

「第11回ワンダフルoneアワー ウェールズ弦楽四重奏団」(10月10日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 2006年に結成、ミュンヘン国際音楽コンクール第3位を獲得した新世代のアンサンブルが、今回も快い響きを届けてくれた。好評シリーズ「ワンダフルoneアワー」のレジデント・アーティストとしては2回目の登場だ。ゲスト・プレイヤーとしてクラリネット奏者の金子平(読響首席)が参加。全員が黒を基調としたコスチュームをまとっている。演目は「クラリネット五重奏曲 変ロ長調 「断章」 K.516c」(モーツァルト)、「弦楽四重奏曲 第2番 「フレア」」(藤倉大)、「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」(モーツァルト)等。思いのほかポップに楽器たちが絡み合う「フレア」、長丁場をなだれ込むように聴かせる「イ長調」に、メンバーの傑出したチームワークが強くうかがえた。(原田 和典)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「新国立劇場 ワーグナー:パルジファル」(10月11日、新国立劇場オペラパレス)
 メインの歌手陣は熱演。単に歌唱の素晴らしさだけではなく、演技が自然でこなれている。特にグルネマンツのジョン・トムリンソンの重厚で押し出しのよい声と舞台上の存在感は群を抜く。カーテンコールでも一番多くブラヴォをもらっていた。クンドリーのエヴェリン・ヘルリツィウスの第2幕での迫力ある歌唱と女性らしさが出た演技も出色。アムフォルタスのエギリス・シリンスもグリングゾルのロバート・ボークも余裕のある歌唱に安定感がある。パルジファルのクリスティアン・フランツもきれいなテノールで健闘していたが、長丁場のためか第3幕で若干疲れが出ていたようだ。
 飯守泰次郎の指揮はゆったりとテンポをとる堂々としたもの。2012年二期会創立60周年公演でも聴かせたワーグナーの世界にたっぷりとひたることができる指揮を披露した。ただ肝心のオーケストラがいまひとつ鳴らない。弦の響きが薄く金管にも芯の強さがない。舞台上の歌手の力演とオケピットの厚みのない音とのアンバランスが気になった。歌に酔った後、オーケストラだけの部分になると酔いが冷めてしまうことが何度もあった。管弦楽にもう少し厚みと力強さがあったなら、今回の公演の印象もずいぶんと違ったものになっていたと思う。
 パルジファルには「救世主」の言葉はあっても「イエス・キリスト」という名前は出てこない。最後の晩餐や十字架磔と思われるエピソードからイエスを想像するのみだ。
今回のハリー・クプファーの演出は、仏教の僧侶三人を何度も舞台に登場させる。彼らはキリスト教徒とみなされる人々の葛藤や対立を常に見守っている。前奏曲においてはジグザクに配置された光の道(膨大なLEDを使用)の先からそのふもとに横たわるアムフォルタス、クンドリー、クリングゾルらをじっと見ている。第3幕最後はパルジファルが聖杯も聖槍も捨て、三つに切り裂いた法衣をグルネマンツ、クンドリーに着せ、光の道を僧侶たちの先導により歩んでいくところで幕となる。それはまるでキリスト教を捨て仏教に帰依するさまを表すようである。
 クプファーはインタビューで「敬虔なキリスト教徒だったワーグナーは仏教に強い関心を持ち、『パルジファル』でキリスト教と仏教という二つの宗教を倫理的なレベルで結び合わせたのです。」と語っている。
 しかし「救済者に救済を」という合唱の歌詞とともに、キリスト教の矛盾を仏教の世界に解決させようとする演出は、宗教に優劣をつけるようで、好きになれなかった。ヨーロッパでもしこの演出を見せたら果たしてどんな反応が返ってくるだろうか。おそらくすさまじいブーイングになるのではないか。
 クプファーは仏教がキリスト教よりも優れていると言おうとはしているのではない。「ふたつの宗教を倫理的なレベルで結び合わせた」だけだ。それでも実際に舞台で見る印象は仏教の優位性が強く感じられ、また演出をクプファーに依頼した日本側に対する阿諛(あゆ)が透けて見えるようで釈然としないものが残った。(長谷川 京介)
撮影:寺司正彦
提供:新国立劇場

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「30周年記念 ミシェル・ダルベルト ピアノ・リサイタル」(10月16日、紀尾井ホール)
 スキーやスキューバダイビングを趣味としているというミシェル・ダルベルトは決して大きくはない体格だが、鍛えられた身体を駆使して、ノミで彫刻を刻むようにピアノから筋肉質で力強い音を抉り出す。この音でなければ作曲家の作品に込めた思いは伝わらないという情熱と衝動がダルベルトの演奏から伝わってくる。ピアノはファツィオリを使用していたが、この楽器の持つ明るく豊かな響きで歌い上げるようなイメージとは違う重量級の芯のある音が続いた。
 ベートーヴェンの月光ソナタ。第1楽章の三連符の主題は微妙に揺れ、その下で左手の重厚な和音が深く沈み込む。第2楽章のアレグレットは遅いテンポで重々しく、軽快さとは程遠い。第3楽章は嵐の吹きすさぶ中、髪を乱したベートーヴェンが英雄的に雄々しく屹立する光景が浮かぶ。これぞベートーヴェンという激しさ。早くもブラヴォが飛ぶ。
 シューベルトはふだん我々が聴く歌謡的で抒情的な演奏とは違うスケールの大きな音楽になっていた。
「楽興の時」からの4曲では第5番の激しさはまるでベートーヴェンのようでもある。第1番中間部の深み、第3番の素朴さ、第6番の祈り。これらからシューベルトの純粋さと孤独が表現されていた。
 「4つの即興曲」D935からの2曲。まず第3番の「ロザムンデ」の主題は独特のリズムとイントネーションがあり、何かを語りかけてくる。5つの変奏も個性的だ。第1変奏の高音部は歌うより語るように弾かれる。語るという点では第2変奏のシンコペーションは朴訥な語り部のリズムのようで、味わいと深みが増す。第3変奏は重い。第5変奏の美しい真珠のような6連符はひとときの憩いのように感じる。
即興曲第4番は男性的で雄大。ローラーコースターのように上下する中間部の粒立ちのはっきりとした音は美しいだけではなく、力強さを持っている。滝つぼになだれ落ちる奔流のような一気に駆け降りるコーダに圧倒される。
 後半の1曲目ラヴェルの「ソナチネ」はドライな表現。都会的で、聴くものを突き放すように醒めているが、その奥に秘めた情熱が感じられる。
フォーレを敬愛しているというミシェル・ダルベルトだが、即興曲第3番ではあこがれに満ちた中にエネルギーがみなぎる。傑作、ノクターン第6番は隈取がはっきりとした力強さがあり、上品で典雅なフォーレというイメージとはかなり違う。
 最後のショパンの「ピアノ・ソナタ第3番」はダルベルトのこの日の演奏の総括のように、全てが力強く英雄的に堂々と弾かれた。第1楽章アレグロ・マエストーソの雄々しい開始、苦悩を突き破るように現れるカンタービレの第2主題は苦味もある。第2楽章スケルツォも優雅軽快というよりも激情が強い。第3楽章ラルゴの開始の重々しさは男性的であり、通常甘く語られる中間部は深く沈潜する。そして第4楽章フィナーレの爆発はまさにベートーヴェンの熱情ソナタに匹敵する激しさ。圧倒的な力でコンサートを終わらせたダルベルトはブラヴォが叫ばれる中、アンコールを3曲弾いた。
 ここで初めてダルベルトは集中と緊張から解放されたかのようにリラックスし、ラヴェルの「夜のガスパール」から「オンディーヌ」をみずみずしく輝くように弾き、ショパンの前奏曲嬰ハ短調作品45をしみじみと聞かせた。最後はシューベルトの「クッペルウィーザー・ワルツ」でユーモラスに締めた。(長谷川 京介)
写真:(c)Jean-Philippe Raibaud

Classic CONCERT Review【オペラ】

「新国立劇場 モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ」(2014年10月22日、新国立劇場オペラパレス)
 2008年、2012年に続く新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」。2012年は世界最高のドン・ジョヴァンニ役マリウシュ・クヴィエチェンひとりが際立つ舞台だったが、今回は歌手全員のレベルが粒ぞろいであり、ソロだけではなく重唱でのアンサンブルも聴きものだった。加えて152作品ものオペラのレパートリーを持つ実力者ヴァイケルトの指揮が的確で音楽の運びが自然でよどみがない。歌手やオーケストラへの指示は明確ではたから見ていても非常にわかりやすい。あの指揮なら歌手は歌いやすく、オーケストラは弾きやすいだろう。ヴァイケルトのリードのもと、舞台からは和気藹々とした雰囲気とチームワークの良さが感じられ、総合的には前回をしのぐ公演になっていた。
 なお、当日は冷たい雨が降る中気温が低く会場内も寒く感じられ、オペラ開始後しばらくの間いま一つ場内が盛り上がらなかったが、第1幕第7場の農民たちの踊りと合唱の場面あたりから雰囲気が温まり出し、以後終幕に向かって熱気を帯びていった。
 歌手陣は全てよかったが、中でもドンナ・アンナ役のカルメラ・レミージョとドン・オッターヴィオ役のパオロ・ファナーレが目を惹いた。
第1幕ジョヴァンニが立ち去ったあと、父を殺した犯人だと気づいて歌うアンナのレチタティーヴォとアリア「ドン・オッターヴィオ私、死にそう!」の決然としたレミージョの歌いぶりは存在感がある。続くオッターヴィオのアリア「彼女の心のやすらぎこそが」でのファナーレの美しく繊細な歌いぶりは清潔感があり素晴らしい。その魅力ある歌唱は第2幕の苦悩するアンナへの心遣いを歌った「まずは私の大切な人を」でさらに発揮された。テノールにとって難しいこのアリアを力むことなく滑らかに細やかに歌い上げたファナーレはまだ若く先が楽しみだ。
 アドリアン・エレートはいかにも人柄が良さそうで、ドン・ジョヴァンニとしてのあくの強さはクヴィエチェンほどではないが、騎士としての品格が感じられる。柔らかな歌い方や佇まいは、ジョヴァンニの弱くもろい面も見せることになり、性格表現に幅が出た。
 ほかの歌手もよい。アガ・ミコライは前回アンナ役だったが、エルヴィーラ役も合っており、ジョヴァンニに対する愛憎相半ばする女心を見事に表現していた。歌唱も力強い。
 レポレッロのマルコ・ヴィンコは声が少し小さめに聞こえたが、軽妙な演技が役にぴったりとはまっていた。
 新国立劇場の研修所公演から本公演に初登場というツェルリーナ役の鷲尾麻衣が海外の歌手と較べてもそん色のない落ち着いた堂々とした歌唱と演技を披露したことはうれしい。
 歌手ひとりひとりの歌唱だけではなく、重唱のアンサンブルの良さは今回特筆すべきことで、それは第1幕フィナーレで舞踏会に招待されたアンナ、オッターヴィオ、エルヴィーラが歌う三重唱「公正なる天よ、お守りください」での各々の音程の正確さとハーモニーの美しさに端的に表れていた。
グリシャ・アサガロフの演出は奇を衒うことのないおなじみのもので、すっかり定着している。
 ツェルリーナのアリア「ぶって、ぶって、大好きなマゼット」のバックで弾くチェロのソロはもうひとつだったが、ヴァイケルトの指揮のもと東フィルも安定した演奏ぶり。またチェンバロの石野真穂がレチタティーヴォで臨機応変の演奏を聴かせ、カーテンコールでも舞台上の歌手陣から拍手を浴びていた。(長谷川 京介)
撮影:寺司正彦
提供:新国立劇場