2008年8月 

百花繚乱 − パリ・オペラ座バレエ「椿姫」・・・・・・・井内美香(いのうちみか)
 ジョン・ノイマイヤー振付のバレエ「椿姫」がパリ・オペラ座で上演された。「椿姫」はノイマイヤーが1978年にマリシア・ハイデのために作ったバレエで、ノイマイヤーの代表作の一つである。オペラ座では2年前に新制作され話題になった。ノイマイヤーとの長年の協力関係にある美術家ユルゲン・ローズの装置・衣裳をそのまま再現したものだが、オペラ座らしい美意識で細部まで完成度の高い美しさに仕上げられている。

今回の上演は初日を開けるアニエス・ルテステュとエルヴェ・モローのカップルでDVD化が予定されていた。ところが初日の第2幕まで踊ったモローが、舞台裏で照明器具に脚をぶつけて第3幕を降板、予定されていたDVD撮りは結局ルテステュと新人ステファン・ビュヨンが踊るという番狂わせがあった。

6月21日初日の舞台。ルテステュはすらっと背が高い洗練された美女。病に疲れたクールなマルグリットである。モローは上背がある繊細な美青年で踊りも端正。劇中劇に登場するマノン・レスコーとデ・グリューは主役二人と同格のエトワール、デルフィーヌ・ムッサンとジョゼ・マルティネスが出演、白塗りの顔とロココ調の衣裳にふさわしい格のある踊りが素晴らしかった。N伯爵役のシモン・ヴァラストロもマルグリットに報われない愛情を向ける演技が秀逸。他にもナニーヌ役のベアトリス・マルテルなど、オペラ座のダンサーたちはやはり演技が上手い。第一幕の最後、アルマンがマルグリットへの愛を告白するパ・ド・ドゥではモローがリフトやサポートに苦労しているのが分かり、少々残念であった。
第二幕は田舎の家の場面。白い衣裳に淡いピンクのリボンがルテステュに良く似合う。この場面は群舞の見せ場であり、若手たちの華やかな踊りが楽しめた。この場面ではまた、悦楽的なドゥミ・モンドを象徴するガストンとプリュダンスのカップルをカール・パケット、ドロテ・ジルベールという容姿、キャラクターともに申し分ない二人が踊り、見ものであった。パケットは洒脱な雰囲気。ジルベールはチャーミングなプリュダンスを演技と踊りで活き活きと表現して目が離せない。マルグリットがパトロンである公爵と別れ、アルマンとの愛に生きる決心をした後にアルマンの父の訪問がある。ルテステュはアルマンの父役のミカエル・ドナールとの対話を、気品を持って表現する。モローはマルグリットの手紙を受け取った後のソロを踊った後、舞台を縦横に駆け抜けるところで怪我をしたとのことで、第3幕の前に芸術監督ルフェーヴル女史からのアナウンスがあり、最終幕はイザベル・シアラヴォラと若手のステファン・ビュヨンが出演した。若手ビュヨンはベテランのシアラヴォアを相手にパッションのある踊りで観客を魅了し、公演終了後は急場を救った二人に盛大な拍手が贈られた。

23日は日本でも絶大な人気を誇る若き美貌のエトワール、マチュー・ガニオがアルマンを、コケティッシュな魅力のエトワール、クレールマリ・オスタがマルグリットを演じた。ガニオは少女漫画から抜け出してきたような美青年、舞台に出てきただけで皆が注目してしまう華があるダンサーだ。恋する青年の切なさ、色気をあますところなく表現し、少し年上のマルグリットであるオスタにリードされる恋愛関係が魅力的だ。ノイマイヤー特有のアクロバティックなリフトが多いパ・ド・ドゥも慎重にこなし、特に田舎の家の場面での白いパ・ド・ドゥは二人の清純な雰囲気にぴったりあった夢幻的世界を醸し出すことに成功していた。後半のガニオはマルグリットに捨てられた空虚な眼差しなど演技が素晴らしかった。この日はデ・グリュー役にやはり若手で注目されているマチアス・エイマンも出演、豹のようなしなやかな踊り、表情の豊かさで観客を引き付けていた。

25日はオペラ座最高峰のエトワール、マニュエル・ルグリがアルマン、同じくベテラン・ダンサーであるエトワールのデルフィーヌ・ムッサンがマルグリットを演じた。ルグリのアルマンは高貴で美しく、また若々しさにあふれている。踊りの正確さと音楽的センスが群を抜いている。ムッサンは自分の個性を前面に押し出さないので派手な印象はないものの、マルグリットという女性像を的確にとらえ、第一幕のあでやかさ、第二幕の真実の愛、第三幕の苦悩などをあますところなく表現して立派であった。この日はマルグリットのライバル、オランピア役にミリアム・ウルド=ブラームが出演し、踊りに切れがあるだけでなく小悪魔的可愛らしさ、意地悪さなど演技が抜群に良く魅力的であった。

26日、28日はミラノ・スカラ座のエトワール・ダンサー、ロベルト・ボッレがアニエス・ルテステュと共演することで話題となった。ボッレは過去にもルテステュの相手役として「ドン・キホーテ」「眠りの森の美女」などをオペラ座で踊っている。ギリシャ彫刻と形容される美貌長身のダンサーで、ルテステュと踊るとまさに美男美女のカップルだ。26日は第一幕などに、まだ二人の間に硬さが見られるように思える場面もあったが、後半からはボッレの情熱的なアルマンにそれまでクールな印象を与えていたルテステュも集中力を増していく。

このペアの2回目にあたる28日にはルテステュとボッレの間に素晴らしいケミストリーが生まれた。ルテステュのマルグリットには、身体を売って豪奢な生活に生きる社交界の女王、という役柄にふさわしい美貌と悲劇性がそなわっている。一方のボッレはイタリア人らしい一途な情熱で彼女の心を溶かしていく。第一幕の出会いのパ・ド・ドゥは切れのある踊りで心情を訴えるボッレにほだされたルテステュが、彼女の足元に身を投げ出したボッレの顔にゆっくり手を触れる時、二人の間に恋が芽生える。第二幕は幸せの絶頂にある二人のパ・ド・ドゥのあとアルマンの父親役のミカエル・ドナールとの対話にルテステュが見せた苦悩と諦観。その後マルグリットの別れの手紙を受け取ったアルマンのソロを踊るボッレの爆発的な踊りが鮮やかな対比を見せる。そして第三幕。愛するゆえに彼を拒むマルグリットとそんな彼女を傷つけずにはいられないアルマン。最後の愛の一夜を描く黒のパ・ド・ドゥは、ボッレの愛と情熱が頂点に達し、ルテステュも激しい動きで官能性を表現、技術的にも完璧な名演となった。その後、舞踏会でアルマンに侮辱され、病の床につき、病み衰えて日記を書きながら死にいたるまでのマルグリットを迫真の演技で見せたルテステュは、心理劇の天才ノイマイヤーの描いたこの女性像を余すところなく表現していたと言えよう。ショパンの音楽を奏でるオーケストラと2台のピアノも秀逸な出来であった。(Mika Inouchi)


ファン・ディエゴ・フローレス、マントヴァ公に挑むードレスデン国立歌劇場
(ザクセン州立歌劇場)の「リゴレット」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤 浩子
 ペルー出身、今年35歳のファン・ディエゴ・フローレスは、ベルカント・テノールの大器として世界を席巻している。3点Dまで喉声で出せるという天賦の高音と、輝かしい声、完璧なテクニックを武器に、とくにロッシーニを初めとするベルカント・オペラに驚異的な力を発揮してきた。
 そのフローレスが、このたび、ドレスデン国立歌劇場(正式名称はザクセン州立歌劇場)で、ヴェルディの名作《リゴレット》のマントヴァ公に挑んだ。自分にあったものしか歌わない慎重な姿勢を堅持し、ヴェルディやプッチーニの大半のオペラは「音域が低すぎ」、またボリュームが大きすぎると敬遠してきた彼の、新境地である。同役は母国ペルーのリマで3月に歌っているが、国際的歌劇場で歌うのは初めてで、実質的なロールデビューとなった。関係者の話によると、劇場は2001年からフローレスと交渉したという。大スターの有名役へのデビューとあって、劇場側の受け入れは万全で、当然ながら新プロダクション。ソリストもディアナ・ダムラウら一流どころをそろえ、芸術監督のファビオ・ルイージが指揮を執るという豪華キャストとなった。リハーサル期間も一ヶ月と準備万端で臨んだだけあって、公演は今シーズン一の話題となり、6月21日のプレミエはヨーロッパ全土に中継された。
    
 《リゴレット》は、ヴェルディがベルカントから劇的表現へ移行していく転換期にある作品で、両者が手を取り合って生まれた大傑作である。大半の上演では劇的な側面が強調されてしまうのだが、フローレスの起用は、《リゴレット》がベルカント・オペラでもあることを確認させてくれた。精確無比のテクニックと高音の魅力は第3幕で全開となり、暗い色調の《リゴレット》のなかにあって、漆黒の夜にきらめく銀河のような、クリアで幻想的な美しさをかもしだした。
 他のキャストも粒ぞろい。ジルダを歌ったドイツのソプラノ、ディアナ・ダムラウは、昨今注目を集めているコロラトゥーラ・ソプラノだが、柔らかくまた湿り気を帯びた澄んだ美声で、この役の娘らしさを十二分に表現し、涙を誘った。タイトルロールのリゴレットを歌った旧ユーゴスラビア出身のバリトン、ジェリコ・ルチッチも、決して大仰になることなく道化の悲しみに迫る演唱で、喝采を浴びた。だが音楽面での成功の一番の立役者は、指揮のファビオ・ルイージだろう。緩急の呼吸もたくみに、ダイナミックレンジを広く取り、優秀なオーケストラの響きをたっぷりと聴かせる。寄せては返す波のようなルイージの音楽づくりにより溶け込んでいたのは、フローレスよりダムラウやルチッチだったかもしれない。
 ベテラン、ニコラウス・レーンホフの演出は、シュールな遊びを交えつつ、宮廷の公的な世界と家庭の私的な世界を暗と明で対比した、説得力のあるもの。スター・テノールのフローレスを際立たせる工夫も、随所にされていた。動物の仮面をかぶった宮廷人たちが行き来する宮殿は、レーンホフによれば「マントヴァ公が女性を狩る狩猟場」。リゴレットの嘆きに打たれる場面で、その宮廷人たちが仮面を外すなど、感情描写も細やかになされていた。有名な第3幕の四重唱では、ジルダからマッダレーナに心を移すマントヴァ公の心が、演技によってなぞられた。新しさを出しつつ、音楽とドラマに齟齬がなく、かつ作品の奥にある人間的なメッセージを汲み取った、名プロダクションだったといえよう。
 熱演の連続に、客席は次第に白熱。聴衆すべての集中力が舞台に注がれ、舞台と客席が一体となって呼吸するまれな体験となった。とくに第3幕の有名な四重唱では、音符が途切れても音楽が満ちているという奇跡の瞬間が訪れた。終演後はスタンディングオベーションとなり、ブラヴォーと足踏みが渦巻いた。ドレスデン国立歌劇場には10数回足を運んでいるが、これほどの熱狂を目のあたりにしたのは初めてだった。(6月24日所見)
(Photo:Matthias Cruetziger)

大野和士、モネ劇場音楽監督最終公演《運命の力》レポート・・・・・・・・加藤 浩子
 ベルギーの首都ブリュッセルにある王立歌劇場、俗称モネ劇場の名前が日本のオペラファンに身近になったのは、6年前に大野和士が音楽監督に就任してからだろう。大野の在任中、モネ劇場は新作の委嘱も含めてプログラムを充実させ、初の日本公演も行った。大野の功績は、地元でも高く評価されている。
 その大野が、6年間つとめたモネ劇場の仕事を退くことになった。最後の演目に選ばれたのは、ヴェルディの《運命の力》。劇場の広報誌にあった大野の言葉によると、初めてモネ劇場の管弦楽団を指揮した1999年のコンサートで、プログラムの初めにあったのが《運命の力》の序曲だったから、という「個人的な理由」だそう。4月にスカラ座で指揮した《マクベス》に続き、ヴェルディの連続した季節となった。
 大野の指揮は、細かいところをていねいに整理し、着地させながら、基本的にはインテンポで飛ばしていく爽快なもの。ジュセッペ・パタネに師事した経歴をうかがわせる、すっきりした、同時に知的な音楽づくりだった。ともすれば冗長に聴こえがちな《運命の力》の弱点がまったく感じられなかったことは、特筆するべきだろう。
これがオペラ初演出というディルク・タンゲの演出は、残念ながら創意の感じられない単調なものだったが、グアルディアーノ神父を歌ったカルロ・コロンバーラ、プレジオシッラを歌ったマリアンネ・コルネッティなど、ソリストの健闘で舞台は白熱した。主役陣では、レオノーラを歌ったエヴァ=マリア・ウェストブロックが大健闘。ドン・アルヴァール役のゾルタン・トドロヴィッチは、声はあるものの、恵まれた素質を生かしきれるまでに技術が成熟していないことが惜しまれた。
 カーテンコールでは、大野に敬意を表して聴衆が総立ちに。オーケストラピットや客席からシャワーのように花が投げられ、マエストロ大野を讃えた。また終演後は舞台の上で、劇場のスタッフたちにより送別会が催されたが、何人もの代表者の謝辞や贈り物に加え、大野への感謝の言葉を日本語でTシャツに書いているメンバーも何人もいて、劇場側の大野への感謝の思いがよく伝わってきた。
 余談だが、モネ劇場ではプロンプターを使わない。大野が指揮する時は、演奏中、本人がずっと歌詞を口ずさんでいるとか。オペラ指揮者大野の底力の片鱗を見た気がした。
 大野の次のポストは、フランス、リヨン歌劇場の首席指揮者。日本人が、フランスの国立の歌劇場でポストを得るのは初めてである。この春には48歳の若さで紫綬褒章も受章。ますます羽ばたく大野和士に、世界の楽壇の注目が集まっている。

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