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「わいわい&サンデー・オーケストラ第12回定期演奏会」
6月2日 横浜杉田劇場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤村 貴彦
わいわい&サンデー・オーケストラはアマチュアのオーケストラだが、今回の定期では、2007年にウィーン・フィルのメンバーと共に「アンサンブル・ウィーン東京」を結成し、海外でも高い評価を得ているヴァイオリニストの安田紀生子(写真)を迎えての公演。プログラムの前半は、J・Sバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」第1番 第1楽章とベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」である。安田の演奏は、自分がつかんだものを、少しも粉飾せずにまっすぐに語り尽くしたいという誠実さが、すみずみまでゆきわたっているのが特徴である。その面での洞察力の豊かさを今回の演奏で見せてくれたのも、頼もしさを感じた。安田はどちらかと言えば叙情の面よりも活力のある表現の方を得意とするヴァイオリニストのように思っていたのだが、今回のベートーヴェンでは第2楽章が美しく、豊かに歌い、人間的な温かさに満ちあふれ、自分自身の感情と共感から出発し、それを最後まで通した表現であったように思う。
指揮は、地域に密接した活動を行い、アマチュア・オーケストラの育成に努力を重ねている二宮玲子。二宮は作曲家だけあって、モチーフの断固とした提示と、その発展の描き方は、形を実に明晰に示す冴えた手腕があり、オーケストラを力強く鳴らした事が印象に残った。第1楽章と第3楽章の躍動感、そして第2楽章の音色の配合等、よく気を配っていた。
プログラムの後半は、誰でもが知っているポピュラーの名曲。安田紀生子が独奏したアストロ・ピアソラの「リベルタンゴ」がよく、ここでの安田はすっかり軌道にのって、のびのびと弾いていた。アマチュア・オーケストラを聴く機会は少ないが、全員が真剣に音楽に取り組んでいる姿勢が感じられ、充実した一時を過ごした。アマチュア・オーケストラもプロのオーケストラも音楽を表現する行為には変わりがない。(藤村 貴彦)
「奈良ゆみ 歌曲とシャンソンの夕べ 《詩人の魂》」
6月6日 王子ホール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤村 貴彦
奈良ゆみの最新録音『松平頼則作品集。ー声の幽韻』を聴いて、コンサートに行く。松平の作品でも、奈良は感じたものを前面に押し出して、自分の表現を作っていこうとする積極的な歌い方である。奈良ゆみのフランス歌曲とシャンソンを聴くのは初めてであるが、松平作品でもそうであったように、今回のリサイタルでも奈良は、内面の感情と強く結びついて、本当に鮮やかな歌を聴かせてくれた。奈良にとっては、現代作品もフランス歌曲もシャンソンも同じ地平線上にあるように思えた。プログラムの前半は、フォーレ、メシアン、ドビュッシイ、プーランク、セビラック、ベルナーレ、サティの歌曲。なにか高く、優しく、温かな人間に触れたような感じで、これらの作曲家のリートのすべてを知らないが、聴く人に幸福感を与えたのは事実である。フォーレからサティに移るまで、様式や音の響きは異なり、現出する音楽的世界は全く違う。しかし、聴き手は一貫して奈良ゆみの芸を聴く喜びから一歩も外れない。この歌手の身辺がフランスの大作曲家たちの祝福に包まれているようにさえ思われたのである。
プログラムの後半は誰でもが一度は耳にいた事のある有名なシャンソン。枯葉散る街角、美しい花が咲き誇る公園、セーヌ川のほとりを恋人が抱き合いながら歩く、あのパリの光景。シャンソンは確かに、人生の愛や喜び、別れ、悲しみの歌詞が多いが、奈良は、すべて絶妙な技巧で歌い分け、まさにパリにいるような気分に浸らせてくれた。奈良は聴き手の心を満たす歌を歌ったのである。ピアノは寺嶋陸也。実に豊かな伴奏である。どのフレーズにもきわめて敏感でかつ繊細な神経が行き届いている。全般はクラシック、後半がポピュラー。これからのコンサートのあり方を考える上でも興味深い一夜であった。(藤村 貴彦)
大方斐紗子「エディット・ピアフに捧ぐ」5月19日
世田谷パブリックシアター・・・本田浩子
演技だけでなく歌唱力にも定評がある、女優・大方斐紗子の出演するミュージカルは、何回となく見ている。どの舞台でも彼女が出てくると、不思議とそこにはその物語の世界が広がり、歌い始めるとたちまち観客を魅了してしまう。いつも全身全霊で舞台に命を賭けているような、それでいて自然体の温かさで観客を包み込んでしまう。そんな彼女が2009年から、「エディット・ピアフに捧ぐ」と本格的な歌手活動を再開していたとは、不覚にも知らなかった。
コンサートの始まる前、ロビーで、音楽評論家でシャンソンの訳詞家として知られる永田文夫氏にお目にかかった。何と80代の大先輩は赤ワインのグラスを傾けておられる。「大方の歌うピアフは最高ですよ」と始まる前から楽しげにグラスを傾けているそのダンディな姿に、何だかパリの雰囲気が漂っている感じさえして、コンサートは永田氏演出?の素敵なオーバチュアで始まった。
黒いドレスで登場した大方は、「今年もボケずにこうして舞台に立てて、皆さんにいらして頂いて、幸せです。」と、甘く美しい声で挨拶、ジャズ・ピアニスト森丘ヒロキの伴奏で、「ムッシュ・ルノーブル」、「哀れなジャン」、「バイク野郎」と次々と歌い、いつの間にか、ピアフの世界に引きずり込まれてしまった。日本語訳詞の分かりやすく、メロディとピッタリ合った素晴らしさと、大方の自然体でありながら一曲毎に人生を歌い上げる姿に、これがシャンソンなんだ、ピアフはきっとこんな風に、まずは路上で歌い、道行く人の足を止めたのではないかと思うに至り、ただただ夢中で舞台に釘付けになっていた。時に可愛らしく、次にはちょっと切なげに、そして歌によっては突然なげやりな歌い振りになったりと、見ている側が息をつけないような魅力的な一幕がアッと言う間に終わってしまった。
一幕「私は気にしない」(抜粋) ミッシェル・エメール作詞・作曲/石井恵訳詞
若い頃のわたしは毎日よく働いた だからいつもわたしは店の人気者
あなたばかりずるいって 焼きもちをやかれて・・・・
わたしはわたし どうなろうとも気にしない
わたしだけの日曜 平凡でもどう思われても
わたしはわたし気にしない
ダンスホール 身体が踊り出す 空には輝くお星さま
男たちはわたしを抱きしめる あとのことは気にしない
ある晴れた日曜日 あの人と踊る
黒い瞳と細い指 わたしに口づけをする
気をつけた方がいいって 焼きもちを焼かれて
遊ばれているだけ いつまでも続かないわよ
わたしはわたし どうなろうとも 気にしない
こんな曲を歌う時の大方は、とてもコケティッシュで、普段の舞台で見せる彼女の姿とは一味もふた味も違う。情熱的で、舞台で鍛えたチャーミングな動きで魅了する。
一幕が終り、「ワインを飲みに行きましょう。」と永田氏に誘われて我に返り、ロビーで赤ワインを傾けながら、氏の解説を楽しんだ。「どう、最高でしょう?歌の上手な役者の歌うシャンソンは、実に味があっていい。でも、おかしいな、彼女は確か73か4になる筈なのに、若くて可愛らしい。」と氏のシャンソン談義を楽しみ、二幕に入る。二幕からはいつの間にか、佐藤芳明のアコーディオンが加わって、更にパワー・アップして、ピアフの世界が広がっていき、「バラ色の人生」、「旅芸人の道」、「ポリシネル」、「ミロール」「パダム・パダム」と続き、「愛の讃歌」で終了、鳴りやまぬ拍手が舞台の素晴らしさを表していた。
<撮影: 山之上雅信>
那須オルゴール美術館 (Nasu Orgel Museum) 訪問 5月26日・・・・・本田浩子
友人に誘われて、栃木県那須にあるオルゴール美術館に足を運ぶ。オルゲルという言葉に馴染みはなく、浅薄にもオルゴールの間違いではないかと思ったが、オルゴールなどという言葉は、どこの国にもなく、日本独特の呼び方と今回初めて知った。オランダ語のオルゲル (オルガンの意) からきているらしい。確かに欧米ではそのものずばり、ミュージック・ボックス (Music Box) としか聞いたことはない。オルゴールは16世紀初めに、ゼンマイが発明され、時計の技術の発展に伴い、時報としてチャイムやベルがつけられるようになってきた。これがオルゴールの原型となって、1830年頃からは、時計とは離れて、音楽を再生するという形で発展を遂げ、初めはフランスの貴族社会で珍重され、ドイツ、アメリカにわたり、一般にも愛好されるようになって、世界の多くの人々に親しまれていった。しかし、トーマス・エジソンが1877年に蓄音機を発明すると、その普及に伴い、急速に廃れていってしまった。
私自身が知っているオルゴールといえば、例えばサン・フランシスコで買ったケーブル・カーの小さな模型にオルゴールが仕込んであるのと、蓋を開けると「乙女の祈り」を可愛らしく奏でるジュエル・ボックスという程度のもので、いずれも、音楽という感じまでは遠い。
オルゴール美術館に到着すると、五月晴れの天候にも恵まれ、爽やかな公園に心を奪われた。(写真参照) パリのシャンゼリゼ通りに立つ街灯が立ち、19世紀イタリアで作られた砂岩彫刻の春夏秋冬の女神像が4対、その中央に公園の象徴としてロンドンに1865年に建てられた聖ポプラ教会の鐘が設置されている。1900年頃のフランスのアール・ヌーボーの大理石の橋の欄干を切って作ったベンチが、公園の片隅にさりげなく設置されていて、遠くにはなだらかな山並みが見えて何だか別世界にいる感じ。そのベンチに腰を下ろして、コーヒーでも頂きながら、ここでの時間をゆっくり過ごしたいと思った。
美術館の入り口にはフランスのシュナイダー工房で1930年代に制作された門扉が開いていて出迎えてくれた。米チェイスマンハッタン銀行のパリ支店で使われていたものを譲り受けたと聞いていたので、事前にホーム・ページで
http://nasuorgel.jp/
見てはいたが、高さが5メートル以上あるアール・デコ調の門扉の荘厳な美しさに (写真参照) 圧倒された。館内はまさに別世界、見事なオルゴールが展示されていて、どれを見ても美しい工芸品揃い。当時の贅を尽くした逸品揃いで、見ているだけで楽しい。演奏時間が始まり、1860年代のスイス製の「インターチェンジャブルシリンダー・オーケストラボックス」(ブレモンド)で (写真参照)、ビゼーの「カルメン」が響き渡り、思わずオルゴールってこんなにも美しい音を奏でると感動し、夢の世界に浸る思いがした。この機種はシリンダー1本で8曲を演奏し、全部で25本のシリンダーを納め、シリンダーを交換することによって、全200曲の演奏が可能との説明を聞き、ドラムやオルガンも仕込まれているので、オーケストラ・ボックスいう名の通りと納得する。夢見心地にいくつか他の機種を聞かせて頂いた後、珍しい日本の曲が入っているスイス製の機種「日本シリンダー」から「ちょんきな」という曲を聞いて日本情緒に遊ぶ。
オルゴールが奏でる音は、言葉では十分に説明不能な何ともいえない神秘的な美しさで、蓄音機が奏でるSPから、LP、CDと進化した音とは全くの別物で、心が洗われるよう。感動していたら、エロイカと呼ばれる高さ2メートルを優に超えるオルゴールの前に案内された。写真で分かるように、まさにオルゴールの「英雄」と呼ばれるのに相応しい気品と貫禄がある。その姿の美しさに見惚れていたら、ドイツの作曲家アプトの「森の祈り」という曲が奏でられた。初めて聞く曲だったが、その曲の持つ気品と「エロイカ」の音の響きの美しさに、思わず体が震え、涙が溢れそうになった。芸術の持つ力をオルゴールから感じて、しばしその場を離れられなかった。
最後に案内されたのは、思わず声を上げるほど大きな機種で、高さが2メートル50位あるだろうか、その名も「ジャズバンド」で、オーケストリオンと言われるフランス製の自動演奏楽器で、ピアノ、シンバル、ベル、ドラム等が組み込まれているもので、バレルで制御する合奏形式のものと説明を受ける。演奏が始まると、のけぞる程の大きな音楽が流れだし、すぐ傍で覗き込んでいた小さなお嬢さんはびっくりして、急いで戻ってお母さんにしがみついてしまった。多彩な音色と見事なアンサンブルの演奏は「エロイカ」の奏でる荘厳な美しさとは又違うが、大変賑やかで楽しい雰囲気を醸し出している。
楽しいひとときはアッという間に過ぎていき、もっと色々と聞いてみたいと、文字通り後ろ髪をひかれる思いで、ミュージアムを後にした。
<写真提供: 那須オルゴール美術館>
ふるきゃらミュージカル「ドリーム工場」6月5日 日本青年館・・・・・本田浩子
東北大震災からはや2年以上経ったが、かつて「ふるさときゃらばん」時代にも全国公演をしていた現「ふるきゃら」は前作「稲村の火」に続いて、被災地への応援メッセージとして、新作「ドリーム工場・・・東北のプレタポルテ」を制作して、まずは被災地仙台で初日を開け、大きな反響を呼んだ。どんな舞台だろうか、辛過ぎる現実をどんな舞台にするのか不安と期待を胸に日本青年館大ホールでの公演に、友人たちにも声をかけて足を運ぶ。
舞台は突然の津波シーンから始まり、足のすくむ思いを味わい、被災地の人々はどんな気持ちで見ていたのだろうかと思いを馳せた。大震災で被災した従業員20人ほどの縫製工場、津波で工場の半分は残ったものの、壁は穴だらけ。それでも水がひいた3日後から、鳩村社長(小山田錦司)は泥や塩水をかぶったミシンの洗浄を始める。「塩水を被った機械は錆がすぐ出てくる、時間とのたたかいだ!」という社長に、様子を見に来た縫い娘たちは心を動かされる。大手の会社で働く弟の達男も心配して故郷に戻り、塩水を被ったミシンは使い物にはならないと思いながらも、兄に手を貸す決心をする。縫製工の水間充子(佐藤水香)、岡辺俊子(坪川晃子)、安代(北村華那)、羽沢(振付も担当する小澤薫世)等も社長の復興の夢に加わって、仕事再開を目指す。安代の夫の中ちゃんが元機械工と知った社長は、釣りに夢中の中ちゃんに協力を懇願する。
鳩村は船が全国から寄贈されている現実に、他の工場で使わなくなったミシンを集めたり、何とか自力での復興を目指す。そんな折、弟の達男が学生時代の恩師で高い縫製技術を誇る仕立て職人、高木(小島茂夫)を連れてくる。日本で売られている既製服の95%はアジアからの輸入品で、アジア各国では真似のできない高い技術の製品だけが、高級服として売られているという高木の厳しい指導の下、縫製工たちはメキメキと腕を上げていく。地方の町工場ではあるが、その5%の一部になる良い仕事が入ってくるようになる。辛い被災地の話ではあるが、おーのーお、寺西結歌姫(ゆうき) 、螺澤真一郎はじめ、出演者全員が被災地の代弁者たらんとしての熱演は、緻密な脚本・演出の石塚克彦、下座バンドの上条千尋、二宮聡、江沢由記に支えられ、明るい歌声とパワフルなダンスで、見事に客席を魅了し尽くした舞台となった。
恒例の送り出しでは、ベテラン職人高木こと小島茂夫と熱い握手を交わした。「いつもの頑固爺さんと違って、アスコット・タイなどとお洒落して、見違えた!」と言うと、「ホント? 嬉しいな!デザイナーに見えた?」と握った手を離さず、喜び一杯の姿にこちらも嬉しくなってしまった。しかし、この舞台の一週間後の6月12日、大阪公演の日、持病の心臓発作で帰らぬ人となった。彼のとっておきの笑顔にファンも多く、存在感のある役者だっただけに、惜しまれる。(合掌)
ミュージカル劇団「ふるきゃら」の醍醐味は、何といっても時間をかけた丁寧な取材とそれを物語として昇華させての舞台づくりに尽きる。今回のこの話は、岩手県久慈市の久慈ソーイングという町工場の社長中田利雄氏の奮闘が元にあるという。中田氏は震災の三日後からミシンの洗浄とメイテナンスを始め、復興支援のお金は漁業にいっても、商店や工場には回ってこない現実にめげずに、仕事を再開して、地域の人に働く場を与えていこうという目標を持ち、自力で三ヶ月で復興を果たしたという、素晴らしい現実に基づいていると後で知り、舞台が説得力を持って訴えてくる迫力に納得がいった。
因みに、復興資金が我々の想像とは遠く、新聞等で時折報道されるように、復興予算にはどうやら羽があるらしい。舞台の歌声が今も聞こえてくる。
復興予算にゃ羽がある 西へ南へ彼方の海へ 「方向が逆じゃない!」
沖縄の道路つくるとか 何でぇ、東日本の災害に学んで
沖縄の海岸線の道路はガンジョウにつくる 東北の震災復興予算で、沖縄にィ
そうだ、ゲェー!ブンチャ ブンチャ ブンチャブンチャ ブヒャー!
アーチストの海外公演も復興予算で出かけて行く、何で
震災があっても日本は元気ってアピールするため、ここが青息吐息なのにィ
ゲェーッ!ブンチャ ブンチャ ブンチャブンチャ ブヒャー!
奈良、京都、厳島神社に、世界の青少年を招待する
復興予算の中から国際交流に72億円、何で、震災の風評被害を払拭
日本の観光地は安全で美しい ここは野原のまんまだよ
それもあれも震災復興予算!
どんなに街を愛しても 狭い日本の地の果てか
むなしい風の吹きさらし 政治の力も届かない
(劇中歌「復興予算にゃ羽がある」より抜粋)
<撮影: STINKS>
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