2012年10月 

「深沢亮子 室内楽の午後〜ウィーン、 ミュンヘンの音楽家たちと〜」
2012年9月8日 浜離宮朝日ホール・・・・・・・・・・・・・・藤村 貴彦
 深沢亮子の演奏歴は50年以上にもなり、彼女のステージは独自の清らかな優しい雰囲気が常に感じられる。筋の良い音楽的資質が、それ自身が持つ豊かな成長力によって、幸福な完成の道を進んできたという印象であった。コンクールで入賞し、バリバリと弾く最近のピアニストが多いなかで、聴衆が一種独特な深沢の温かい音楽に魅力を感じるのはその点にあると思う。今回のコンサートも満員の盛況。まさに芳醇なワインをゆっくり味わうように、一曲一曲が楽しめ、久しぶりに心が洗われる思いをしたのであった。
 今回の協演者は、還暦、古希を経んとする大家であり、深沢との再会は「50年ぶり」とのこと。プログラムの最初は、モーツァルトの「ケーゲルシュタット・トリオ」。ヴァイオリンのエルネ・セバスチャンは、1980年からバイエルン放送交響楽団のコンサートマスターであり、ヴィオラのハルトムート・パシャーは、フランツ・シューベルト弦楽4重奏団の奏者を努め、老練なアンサンブルプレーヤー。ゆとりのある豊かな演奏であり、なんと弦の表情の軟らかかったことか。透明なしゃれた美しさというのはこのような表現を言うのであろう。
 続いてベートーヴェンのピアノとチェロのためのソナタ第4番。チェロのアダルベルト・スコチッチは、ウィーン国立歌劇場、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の奏者を務め、室内楽奏者としてもたびたび来日し、演奏会の他、各地でマスタークラスも行い、指導者としても評価が高い。すこしのテライもなく、二人の呼吸がぴったりと合い、弾きたいものに真っ正直に打ち込んだ演奏である。
 プログラムの後半はシューベルトのピアノ5重奏曲「鱒」。ここでは注目の若手コントラバス奏者、吉田聖也が加わる。特に有名な第4楽章の主題と変奏曲の気分を込めて歌うときの魅力は格別で、優しくこまややかな愛情がいささかも持たれず、すっきりと流れる。と同時に、大きく膨れていく感情の盛り上がりをたくましく弾き出すことにも成功していた。弦楽奏者が互いに目で合図を送り、見ていてもほほえましい。室内楽はかくあるべしという演奏である。
 かつては「人生50年」と言われてきた。今や人生80年、90年である。誰しもが美しく年をとり、充実した生を送り、哲学者カントが述べたように「これでよし」と言って死を迎えたいと願う。深沢は年齢を感じさせない。深沢のこれまでの人生の生き方がステージに現れていた。生きる事の意味を考えさせられた午後の一時であった。ドストエフスキーやトーマス・マンのように、年を重ねるごとに人生の意義を考えさせる小説家は少ない。表現者は年を重ねるたびに自己の芸術を深めてゆくのである。深沢の表現者としての姿を見守り、今後の活躍を祈りたい。
(写真提供:新演奏家協会)

東京二期会「パルジファル」9月13日 東京文化会館大ホール・・・・・・・・・・・・・・宮沢 昭男
 東京二期会が創立60周年を記念してワーグナー「パルジファル」を上演した。1967年に同オペラを日本初演した二期会45年ぶりの、記念事業にふさわしい催しだ。指揮にワーグナー・ファン垂涎の飯守泰次郎を迎え、管弦楽はその日本初演と同じ読売日本交響楽団。       歌手陣では小鉄和広のグルネマンツが抜きん出た成果を上げた。その声質は役柄を浮き彫りにしドイツ語のディクションも言葉の意味を噛み砕くようで聴き手にも説得的。橋爪ゆかは表現の幅が広く、圧巻となった第2幕、クンドリの魔性がほとばしる。第2幕を盛り上げた点で泉良平も特筆に値する。抑揚ある歌はもちろんのこと、背後で暗躍するクリングゾルの企みをズバリ表現し、物語性の深まる役を一手に引き受けた。福井敬はドイツ語ディクションに難が見られたものの、パルジファルの成長を丁寧に描き、自分探しの旅など誠実さが際立った。黒田博は、アムフォルタスの罪の意識に苛む苦悩を描いてさすが。二期会合唱団はハーモニー豊かに、神聖祝典劇の側面を浮き彫りにした。
 飯守の指揮は力むことなく、沈着冷静なテンポで読売日響から厳かな響きと、第2幕の官能性を引き出した。とはいえ飯守、読売日響ならば、金管群と低弦に今一歩インパクトある表現が出せたに違いない。
 20世紀前半を想定したクラウス・グート演出は、功罪相半ばする。映像も合わせてパルジファルの成長物語の側面を分かりやすく表現し、物語の普遍性を押し出した。ワーグナー「パルジファル」が国や民族、さらに時代を超えて向き合える作品であることを明らかにした意義は大きい。回り舞台も巧みで時間の長さを感じさせないアイデアだ。一方、終幕でパルジファルを独裁者に祭り上げたのは、音楽の流れと齟齬をきたさないだろうか。この発想それ自体は今日的でもあり興味深いうえ、昨今の日本をあぶり出しさえしていて真に迫るものがある。そしてクンドリは最後に生き残るものの、難民と化した出で立ちに、それがユダヤ難民ならその後に控えるアウシュヴィッツが、20世紀末の旧東独難民なら、東西ドイツ統一後の苦難が脳裏をよぎり、音楽の後味が悪い。これは今回に限らず、グートのモーツァルト「フィガロの結婚」とも共通し、グート演出の課題だろう。
 演出ほか、美術・衣装・照明など外国勢スタッフを迎えたのは、このプロダクションがバルセロナ・リセウ大劇場、チューリッヒ歌劇場との共同制作ゆえ。「パルジファル」の内容からも、今これを取り上げる上でも、海外陣スタッフは適切な判断だった。
〈写真提供:東京二期会 撮影:三枝近志〉

二期会創立60周年記念公演 バルセロナ・リセウ大劇場/チューリッヒ歌劇場との共同制作
「パルジファル」 9月13日 東京文化会館大ホール・・・・・・・・・・・・・・藤村 貴彦
 愛と救済をテーマにしたワグナーの秘曲のオペラ「パルジファル」。二期会は1967年に日本初演し、それから45年が過ぎ、二度目の上演を行った。一度や二度の鑑賞ではこのオペラを理解することは難しい。聖槍と聖杯、自己犠牲等、キリスト教徒ではない日本人にはなじみの薄い世界である。
 演出家のクラウス・グートは、初めてこのオペラを見る人にわかりやすい仕方で舞台を進めてゆく。ワグナーの音楽に含まれている寓意、謎、暗示などの複雑な音楽の進行も、最後にグーとはこの事を言いたかったのかと、ハッとさせるような演出を行った。一例をあげると、前奏曲の中で、聖槍を奪われ、その槍でわき腹を刺されたモンサルバート城の王アムフォルタス、邪悪な心を持つ魔導師クリングゾルが争う場面がある。何の事だろうかと聴衆は舞台を見つめ、その意味する事を最後に答えるのである。実は、ティトゥレルという父親を持つ二人は兄弟だったのであり、パルジファルによって両者は救済されるのである。互いに抱き合い今までの憎しみを忘れるのである。
 中世のスペインからドイツのワイマール期の時代設定、城から館、勿論服装も現代的。多様な解釈が可能なワグナーの楽劇の演出にあって、グートのそれは、すべて指導動機の中にヒントが隠されているといった感じでいかにもドイツ人らしく筋の通った演出であった。決して今はやりの前衛的な演出ではなかった。
 聖槍を手に入れたパルジファルが軍服を着て王になるが、その場面に抵抗を感じた方も多いという。パルジファルが着た軍服はナチスの親衛隊の軍服ではなく、ドイツ国防軍のそれである。ヨーロッパ人は軍服に憧れる。親衛隊と国防軍は仲の良い関係でなかった事は誰しもが知っている。軍人は常に死地に赴くことを意味し、自己犠牲がなくてはできない。パルジファルがヒットラーのような独裁者になる事は考えられなかった。オペラを鑑賞する事は一人一人の感じ方の違いがあってもよい。見終わってから親しい友人と語り合うことも楽しい思い出の一つである。
 今回の公演は、飯守泰次郎の情熱的な力によって成功に導かれたと思う。いかにもワグナーを知りぬいた棒で、曲のつかみ方に迷いもあいまいさもなく、それを確実に管弦楽と歌手に表現させてゆく手段は、並みのものではない。コンクールで入賞し、オーケストラのみを指揮する若手には、なかなかできないことである。バイロイト音楽祭の助手を長年務めてきた飯守だからこそ、ワグナーをあれほどまでに表現できたのである。
 歌手の中ではクンドリ役の橋爪ゆかが芝居もうまく、声の使い分けや表情のこまやかな表現など、全く彼女がクンドリになりきったようなうまさが感じられた。オペラ歌手の中では芝居がうまいが歌が下手、その逆もあるのだが、橋爪にはその心配が全くない。
 クリングゾル役の泉良平の舞台を今まで数度見てきたが、今回のオペラは彼にとって上出来で、声が素晴らしく美しくなって、深い洞察により、独創的な役を懸命な努力によって完成させようとする様子が伝わってきた。今後も伸びてほしいバリトン歌手である。パルジファルの福井敬、アムフォルタスの黒田博も立派な歌い方であった。
 大震災後の人々に見せた温かな援助、そしてボランティア活動。救済は身近な所にあるのである。駅のホームなどでよく見られるちょっとした事での争いごとの光景。確かに人間はクリングゾルのように善と悪の両方を兼ね備えている。
 領土問題で揺れ動いている昨今の日本、一触即発の危機にもさらされ、またしてもあの不幸な時代に逆戻りになるのではないかと心配する人も多い。互いに争わず、人々が友好になる道はないのか。
 借金をし、不倫を重ねてきたワグナー。ワグナーのオペラのテーマは愛と救済であった。今日ほど愛が必要と叫ばれている時代はない。愛を深く考えればいじめは少なくなるだろう。パルジファルを鑑賞する事はそれらの事を考えることである。トルストイは不幸な人々が存在する限り自分は幸福になれないと述べた。頭の回転の遅い私にはなかなか解決のできない問題でもあった。思索の足跡だけが残った。
〈写真提供:東京二期会 撮影:三枝近志〉

「吉永小百合20歳の誕生パーティでのビールの味」
〜それは昭和40年春の忘れ得ぬ想い出・・・・・・・・・・廣兼 正明
 大学時代からヴィオラを始め、2年から学生オケに入り卒業後も会社勤めの傍ら、アマチュア・オケやバロック・アンサンブル、そして学生時代からの友人と弦楽四重奏など室内楽を楽しみ、転勤の際の持ち物は先ずはヴィオラというように、時間があれば音楽三昧の歳月を重ねてきた。                                          
 この原稿のタイトル当時、私はフィリップス・レコード全般を取り扱う日本ビクターのレコード本部第二営業部に在籍していた。勤務先が築地でそこには録音スタジオがあったため、録音課の友人から何回か歌謡曲のレコーディングでビクター・オーケストラ(通称ビク・オケ)のトラ(エキストラ)として頼まれることもあった。特に今は亡き作曲家の渡久地政信さんの曲にはヴィオラが入ることが多く、録音の際必需品であるヴィオラを弾く私は、ある程度重宝がられたのだろう。楽器がいくらか弾けることで他の社員仲間が経験出来なかったことを内緒ではあるが楽しめたことは何とも幸せな人生の一刻を経験したと思う。

 さてそんなある日、録音課の懇意にしていたS氏から不可思議な出演依頼を受けたのである。内容を聞いても「今は内緒、しかし今回は舞台なので衣装は黒の上下と黒靴、そして白ワイシャツに白タイでお願い、明日行けばすべて分かるから兎に角よろしく頼みます」の一点張りでとうとう内容が不明のままのOKをさせられてしまった。
 翌日は多分土曜日か日曜日の午後だったと思う、そうでなければわざわざ会社を休んでまでは行かれなかったので。さて当日、ビクター専属作・編曲者の寺岡真三さんのアメ車でスタッフと共に着いたのが、江戸川橋にある「椿山荘」、会場の入り口には何と「吉永小百合様 二十歳の誕生パーティ会場」と書かれていた看板があったのにはビックリした。
 確か控え室で楽器のチューニング、メンバーはビクター・オーケストラのバンマスで、以前は多分初代東京弦楽四重奏団(因みに主宰者は黒柳徹子さんの父上である黒柳守綱氏であるが、今のトーキョー・クァルテットとは別物である)の第2ヴァイオリンを弾いておられた(と私は記憶している)田島巳之助さん、アコーデオンが寺岡真三さん、その他にチェロとギター、ベースなどがいたように記憶している。そして舞台に出てみると、会場は当然のことだが川端康成さん、和泉雅子さんなどの小百合関連超有名人オンパレードという感じである。それよりも私が困ったのはビクターのレコード本部のお偉い面々である。こちらは会社には内緒で行ったのだが、舞台の上だから案の定直ぐに見つかって「あいつ、あんな所で弾いてる、社則違反だ!」などと、冗談半分の声もするではないか。いやはやこれには参ってしまった。しかしそのお偉方の皆さんも既にこの世にはおられない。

 司会者の開会の挨拶の後、どんな順序で会が進行したのかは記憶が定かではないが、多分いろいろと招待客の挨拶があった筈である。ひとつだけ記憶にあるのはあの文豪の川端康成さんが人前での挨拶をとても苦手とされておられたことである。そして小百合さんのピアノ独奏で多分ショパンの有名な嬰ハ短調のワルツだったかを弾いたこと、その後確か小百合さんがクラシック好きだったからなのか、モーツァルトの今や有名なディヴェルティメントニ長調K.136を挟み、そしていよいよ彼女がヒット曲を我々の伴奏で歌う時間が来た。私以外はプロなので目をつぶっても弾けるような曲ばかりであり、最初は実にスムーズに進行したのだが、「寒い朝」だったか「いつでも夢を」だったかで6、7人程度いた伴奏の一人がどうした訳か突然落っこち、連鎖反応からか私以外の音がなくなってしまう緊急事態に陥ってしまったのである。これには私もどうして良いか分からなくなってしまったのだが、ここで私が音を出すのを止めてしまったら、小百合さんは途中で歌を止めなければならなくなってしまう、と考えて殆どメロディとは言えないヴィオラ・パートを弾き続けたが、ビク・オケはやはりプロ!すぐに入ってきて事なきを得た。その間たった5秒から10秒程度の事なのだが、私にはとても長い時間に感じられたことを思い出す。

 会が終わった後、楽器を片付けたり着替えをしたりして、楽隊全員が他の部屋でビールとつまみの簡単なもてなしを受けたのだが、その際に小百合さんのお酌でビールをいただいた時のことは、他のことより鮮明に記憶している。当然そのビールの味は他で飲むよりも数倍美味しかった、ということは事実だと今でも確信している。

 その何日か後、いつものように会社に出勤すると受付の女性が、「週刊明星」と「週刊平凡」のグラビアに吉永小百合と私が二人で写っている、と言ってみせてくれたグラビア写真には、小百合さんがマイクの前で歌っている後ろに私が写っている、今風に言えばツーショット(?)の写真だった。その時に週刊誌を買っておけば良かったのだが、残念ながらこの両出版社は今はなく、発売されたすべての書籍、雑誌、レコードがすべて置いてある筈の国立国会図書館にも聞いてみたが、今は図書館法が変わったのか無いとの返事だった。そしてビクターや会場の椿山荘にも当時のスケジュール、資料などについて問い合わせてみたが、あまりにも昔のことなのでその頃のものは何も残っていないとのこと。こんな事情で証拠はないが、これこそ私にとっては今から47年前の未曾有の体験だったのである。

 そして折角このトークを書いたのだから、小百合さんの写真を載せるべく八方手を尽くして探していたところ、ビクターエンタテインメントからたまたま10月に歌手活動50周年記念として発売される6枚組CDケース(上の写真)の小百合さんが多分20歳頃の写真だとのご連絡をいただいたので、有難くそれを使わせていただくことにした。
〈写真提供:ビクターエンタテインメント〉

ニール・テナント/ペット・ショップ・ボーイズ・インタビュー・・・村岡裕司
 最近ではロンドン五輪の閉幕式に登場しておなじみの「ウエスト・エンド・ガールズ」を披露していたニール・テナントとクリス・ロウのコンビによるペット・ショップ・ボーイズ。米英でNo.1に輝き、日本を含むワールドワイドの大ヒットとなった同曲から早や27年となるキャリア派だ。既に歴史的な存在であるが、自然体のキャリアを崩さず常にアーティスティックな活動を続けている。音楽も含めて世界的な閉塞感が充満する時代に、彼らのような生き方は羨ましい限りである。そのペット・ショップ・ボーイズのニールが、新作『エリシオン〜理想郷〜』のリリースに合わせてロンドンで取材に応じてくれた。アルバムはカニエ・ウエストの作品でおなじみのアンドリュー・ドーソンを共同プロデューサーに迎えてLAレコーディングを敢行。セッション・シンガーとしてカリスマ的な人気を誇る伝説のグループ、ザ・ウォーターズを迎えるなど地の利を活かした内容になっている。
「僕らはいつもデモを入念に作り込んでレコーディングに挑む。そしてレコーディングではデモの音に磨きをかけて、曲そのもののクオリティ向上を目指している。アンドリューはその期待に応えてくれた。アルバム用に作った25曲を全て聴き終えたアンドリューと選曲を行った。例のカニエ・ウエストのアルバムよりも若干ピーンと張りつめたサウンドにしたかったんだ。僕らはアルバムにありったけのものを詰め込む傾向にあるからプロデュース過多なサウンドになりがち。でもこのアルバムは違う。音の間に空間があるというか」
 彼らの音楽と共に生きてきた世代だからだろうか、冒頭の「リーヴィング」は僕が学生時代に流れていたアーバンなソウルやAORにリンクするためか感傷的な気分にさせるし、日本のボートラを除くラストの「レクイエム・イン・デニム・アンド・レオパードスキン」はこれまた感傷的な気分にさせる。奇しくもこの2曲はかなり前に書かれた曲だという。
「アルバム収録曲中、かなり前に作った曲が二つある。アルバムの最後を飾っている“レクイエム・イン・デニム・アンド・レオパードスキン”は前作『イエス』の為に書いた曲だった。他の曲と音楽的に合わないと言う理由で前作から外した。それから一曲目の“リーヴィング”は2010年に作った曲。別な活動をしている時に突然生まれた曲だ。だから今作に取り掛かる前からこの2曲があることを意識していた。そこで今作では一つの統一されたムードを追及するアルバムにしようと思った。だけど結局“ア・フェイス・ライク・ザット”も入れたことでそこはちょっとずれちゃったんだけどね」
 ちなみに、「ボクらの恋は死んだ(終わった)、でも戻ってほしい」と訴えかける「リーヴィング」は、まさに失意のラヴ・ソングである。既にスマッシュ・ヒットとなった「ウィナー〜君は勝利者〜」にセカンド・シングル。僕にとって今回のアルバムの大きな収穫の一つ。癖になる名曲であり、何度も、何度も聴いている。
「この曲のデモを聴いたら完成曲とあまりにも変わらなくてびっくりするかもしれないよ。デモの出来栄えがあまりにも良くてね。スタジオ・レコーディングしてもデモを超えられないことって実はあるんだよ。何度やり直しても『デモの出来の方が良かった』ということになってしまうことがある。この曲はそういう類のものだった。最終的には納得いく形にできたけどね。アンドリューは冒頭の素晴らしいシンセ・パートを提供してくれた。かなりアーバンなシンセだよ。でも基本的には僕等のアイディアから生まれた曲だ。曲が持つエッセンスは僕たちがデモを作った時と変わらない。ベース・ラインからバック・ヴォーカルのアイディアも僕等のだ。そもそもこの曲がきっかけでLAレコーディングが実現したわけだからね。なめらかなサウンドのバック・ヴォーカルにしたかったからどうしてもLAのバック・ヴォーカリストに参加してほしかった。ある意味、ソウルっぽいアルバムだ。だけどレトロ・サウンドにはしたくなかった。注意深くコードを聴いていると“ウエスト・エンド・ガールズ”をちょっと思い出すよ。“ウエスト・エンド・ガールズ”を作ったグループの曲だってわかるはず。“ウエスト・エンド・ガールズ”からそのまま“リーヴィング”にうまくつながる感じだ」
 「レクイエム・イン・デニム・アンド・レオパードスキン」が僕を感傷的な気分にさせるのは、70年代ソウルをアレンジしたようなメランコリックなアレンジとサウンドもさることながら、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーやジョニー・ロットン、アダム・アントといった、一時代を築いた時代の寵児たちを取り上げているからである。「お別れの最後のチャンス」と歌いかける歌詞もとても切ない。
「残念ながら、本当に最後のチャンスなんだ。というのも、ある人のお葬式について書いた曲だからだ。これは数年前に亡くなった友人のメークアップ・アーティストについての曲。クリスと二人で彼女のお葬式に行った。かなり親しい仲だった彼女はいつもデニムと豹柄を着ていたんだ。彼女の棺はバイクのサイドカーに載せられて教会に到着した。棺の上にはデニム・ジャケットがかけられていた。素晴らしい光景だったよ。葬儀中は彼女が愛した数々の曲がかかっていた。例えばT-レックスとかね。お葬式が終わるとみんなで近くのパブで集まって、彼女のお兄さんが持ってきた彼女の写真アルバムを見せてもらった。彼女は70年代初期から音楽ファンになり、80年代初期にメークアップ・アーティストになった。だからこの曲の頭では彼女の葬儀の模様を綴っている。彼女が確かに存在していたという証拠を、アルバムを通してみんなで確かめていたんだ。70年代前半のロンドンも描いている。ルシアン・フロイドとデイヴィッド・ホックニー、それからブライアン・フェリー、ザンジバルについて触れて、それから80年代に突入してパンクからポップへの移行を歌っている。ジョニー・ロットン、マルコム・マクラーレン、それから実際に存在したお店の名前もでてくる。Johnson's leather jacket(ジョンソン店の革ジャン)、スマイルのキース(ヘアカットサロン)。キースはブライアン・フェリーや僕らの髪の毛も切っていたんだよ。未だに現役だ(笑)。80年代は“sex and style”(セックスと独自のファッション・センス)さえあればビッグになれると言われていた。友人が社会に出たのもそんな時代だった。彼女にとって重要だった時期をこの曲で振り返っている。だから“Last chance for goodbye”なんだよ。これで本当にお別れだからね」
 世代によって、このアルバムの解釈や理解は違うはずだが、70年代や80年代を原体験してきた者にとっては過去を振り返るきっかけになるだろうし、それ以降に生れた世代にとっては未知の冒険になることだろう。ペット・ショップ・ボーイズ、健在である。


エリシオン/ペット・ショップ・ボーイズ


ジャッキー・エヴァンコ・インタビュー・・・・・・・村岡裕司
 若干11歳でオーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」で世界的なスポットを浴びて以来、プロフェッショナルなシンガーとして着実なキャリアを積んできたジャッキー・エヴァンコ。メジャー・デビューとなったアルバム『ドリーム・ウィズ・ミー』(02年)は全米で初登場2位に輝き、日本でもスマッシュ・ヒット。我が国の人気TV番組でも歌声を披露した。コンサート活動も精力的に行い、昨年10月のデイヴィッド・フォスター&フレンズ以来、日本のステージでもおなじみだ。今年に入ってからの我が国における活躍も顕著で、1月の初来日公演に続いて、8月19日にはBunkamuraオーチャードホール“ミュージック・オブ・ザ・ムーヴィーズ”ジャパン・ツアー2012と題した2度目の来日公演を実施。わずか半年のステージながら、成長期の少女特有のスケールアップさせたヴォーカルを披露してくれた。
「やはり、違いはあります。アメリカのオーディエンスは立ち上がったり歓声を上げたり行動が派手ですね。日本の皆さんは静かに聴き入ってくれます。それが悪いというわけではなく、オーディエンスの違いを楽しんで歌っています」
 コンサートのタイトルが示しているように、今回はニュー・アルバム『SONGS~銀幕を彩る名曲たち』のステージ・ヴァージョンともいうべき映画音楽集というコンセプト。日本ではアルバムに先駆けてコンサートが実現したが、まずアルバム『SONGS~銀幕を彩る名曲たち』の企画が決まり、そこからスタートしたコンサート・ツアーである。
 ミシェル・ルグランの「夏は知っている」(映画『おもいでの夏』より)のような大人の曲の解釈は、年齢を超越した表現力が素晴らしい。
「曲の内容を理解するのは難しいことではありません。歌詞の内容が分らない時は、この曲はどういうことを表現し、どういうことを言いたいのかを、周囲のスタッフに聞いたりしますし、音も何回聴いてみるのです。納得するまでそれをします。歌う曲に向って自分を集中させて、テーマを考えてみて、自分なりに理解して歌うのです。そして自分のスタイルを作り上げます。曲をちゃんと理解した上で、自分なりのスタイルを作るんです」
 日本公演ならではのサプライズは、日本盤のボーナス・トラック「荒城の月」が美しい日本語で歌われたことである。
「予想した以上に楽に歌えました、レコーディングは一日で完了しましたよ。時間的には2、3時間でした。もっとも、外国語で歌うことは楽な作業ではありません。しかし、英語ではない音を声として発して表現することに興味があるのです。日本語以外では、フランス語とイタリア語、ラテン語で歌っています」
 エミー・ロッサムのファンを自認するだけに映画『オペラ座の怪人』が大のお気に入り。「今回日本に来ている間もDVDを何回か観ています(笑)。はい、舞台も観させてもらいました。ただ、正直なところ、映画版が好きですね。どうしてかというと、感情表現がよく出ていて、歌の部分のクオリティが安定しているからです」
 ロバート・レッドフォード監督・主演の最新映画『ザ・カンパニー・ユー・キープThe Company You Keep』には女優として出演するなど、音楽だけでなく演技面でも活躍中。

「歌う機会はすごく増えたのですけど、実はリラックスするための自分の時間をちゃんととるようにしています。遊びに加えて、寝たり、友だちを呼んで家にあるプールで泳いだりしています。お友だちが泊まりにくることもあります。お友だちはとても優しくて、私のことをよく理解してくれているので、プロとしての私ではなく自然体の友人として私に接してくれています。普通に触れ合ってくれるので、私もリラックス出来るんです」
 普通の少女として生活することが、今の彼女のエネルギー源のようである。
<撮影:Yuka Yamaji>

「ブラス・ロック名盤選」について思うこと・・・・・・・上柴とおる
 ソニー・ミュージックのシリーズ企画「ブラス・ロック名盤選」はこれまでありそうでなかったものというか、なかなかに興味深い。ジャンルのようでジャンルでない(?)'ブラス・ロック'という言葉はかつて1970年前後の一時期、ブラス・セクションをメンバーに加えた大型編成で新しいスタイルのシカゴやBS&Tというグループが売れてフォロワーが相次いで登場というシーンの状況を鑑みて日本のレコード会社がセールス・ポイントにするべくこぞって使っていたと記憶する。当時はニュー・ロックだのなんだのと新しい指向を持つロック・グループが続出していただけに新進グループのサウンドを特徴づけてインパクトを持たせ、わかりやすく紹介するには便利な言葉だったと思われる。
 とはいえ実際にその言葉が前線だったのは1970年代前半まで。それ以降はもうあえてそれを前面に押し出すようなロック・グループも出て来なくなり、EW&Fに代表されるようなソウル&ディスコ関係等ではブラス・セクションの導入はもはや日常的なものになっていた。今回のシリーズで再びクローズ・アップされて来たブラス・ロックという言葉を表立って耳にするのは数十年ぶりかも。この言葉自体を知る(リアルタイムで経験した)世代はもうかなり年配になると思うのだが学校のクラブ活動でブラス・バンド部に所属しているような若い世代にとっては時代に関係なく関心を持つのではないかとふと気が付いた(遅い!)。そうか、これってそういう若い層を'取り込める'企画なのだと(これまた気付くのが遅い!)。ブラ・バンをやってる子供たち(or 若いミュージシャン)には教科書にもなるなぁと。この「ブラス・ロック名盤選」は雑誌「サックス&ブラス・マガジン」(監修で参画)とのタイアップ企画になるもので、各アルバムの復刻に先行して日本独自に組まれたオムニバス盤「ブロウ・アップ!ブラス・ロックのすべて」(全16曲:8/29発売)のキャッチ・コピーにはちゃ〜んと'ブラバン・ティーンズも必聴'と記されている!なるほどね。
 こういうあれから若い世代が新たに昔の洋楽に興味を抱いてくれるようになるならば筆者のような年寄りの業界人にも希望の灯が♪ ギターにスポットを当てた企画は珍しくもないがブラス等楽器を軸にするというのは新鮮で面白いかも。何を隠そう筆者はラジオ番組を受け持つたびに必ずといってもいいほど「ブラス・ロック特集」を企画して来た。家の資料室(レコード室)にはそういう系統をまとめて収納してあるし♪ おなじみのアーティストに加えてあとMOB(日本盤出てたかな?当時ならポリドール)とかイラストレイション(当時日本コロムビア:ビッグ・バンド・ロックと紹介)、ラスタス(当時テイチク)、ママズ・アップル・パイ(当時東芝音楽工業:ホーン・ロックと紹介)。。。アフロ・ロックのアサガイ(日本フォノグラム)もそんな中に入れてたなぁと思い出す。そうそう、山下達郎も大好きだという「遥かなる夏の陽」のジェイムスタウン・マサカ(当時ワーナー・パイオニア)も外せない。アイズ・オブ・マーチの大ヒット「ヴィークル」(1970年:No.2/当時東芝音楽工業〜のち日本での発売元はワーナーへ)は今回のオムニバス盤に他社からの貸し出し音源として収録されている。
 ラジオではブラス・ロック特集以外にも'オルガン・ロック'(キーボードではなくあくまでオルガン!)とかも企画して特集してたなぁ(遠い目。。。)。フォーク・ロックとかカントリー・ロックとかソフト・ロックとかバブルガム・ロック。。。といったようないわゆる'ジャンルもの'の復刻企画だけではなくこういうのもありなんだと改めて気付かされた。しかしこのブラス・ロックの企画はソニー・ミュージックだけ?他社もこの際、いっちょかみして何枚か便乗?してマニアックなファンのためにも日本初(or世界初)CD化というのをやらかして欲しいなぁ♪と思った次第。
 ちなみにこのシリーズでのアルバム復刻(Blu-Spec CD仕様&紙ジャケット&最新リマスタリング)のライン・ナップは次の通り。

◇9/5発売
*BS&T「子供は人類の父である」(1968年)「血と汗と涙」(1969年)「ブラッド・スエット&ティアーズ3」(1970年)
*チェイス「追跡」(1971年)「ギリシャの神々(エニア)」(1972年:本邦初CD化)「復活」(1974年:本邦初CD化)
*アステカ「アステカ」(1972年)「月に立つピラミッド」(1973年:本邦初CD化)

◇10/10発売

BS&T
「イン・コンサート」

バッキンガムス
「タイム&チャージ」


ライトハウス
「ワン・ファイン・モーニング」

*BS&T「ニュー・ブラッド」(1972年)「イン・コンサート」(1976年)
*バッキンガムス「タイム&チャージ」(1967年)
*エレクトリック・フラッグ「ア・ロング・タイム・カミン」(1968年)
*ライトハウス「ワン・ファイン・モーニング」(1971年:本邦初CD化)
*メイナード・ファーガソン「征服者〜ロッキーのテーマ」(1976年)

<注:ジャケット写真掲載のアルバムは筆者が解説を担当させていただきました♪>

ジョー山中のいない「Joe's Birthday Live」。・・・・・・・池野 徹
 歌の歌唱力とは、その人の持って生まれた天性のものに違いない。近頃、サッカーとかスポーツにおける国歌斉唱のセレモニーで、時として既成の演奏でなく、歌手が会場でナマで歌うことがある。大観衆の中での特別の緊張感のなかでの斉唱になるが、我が国歌「君が代」を歌った歌手で、感動を呼ぶ程の歌唱を聞いた事が無いのは残念な事である。アメリカのスーパーボウルで国歌を歌ったホイットニー・ヒューストントまではいかなくても、いまいち感銘を得る歌手がいないのは何とした事か。W'sの宿命を持って生まれた、歌手ジョー山中が逝って1年経った。思い出すのはジョーの国歌斉唱である。2回聞いた記憶がある。全日本空手道選手権大会とボクシングミドル級竹原慎一の世界選手権大会である。当然ながらジョーのハイトーンのソウルフルな「君が代」が会場にこだましたのを記憶している。「君が代」は曲としては、マイナーでシンプルで難しい。だからこそ、よほどの歌唱力がないと歌えないのだ。

 そのジョー山中の一周忌の誕生日であった9月2日、原宿クロコダイルで「Joe's Bag」tribute Johnnyがあった。かっての音楽仲間達が集まった。エディー藩(vo,g) 石間秀機 (g) ミッキー吉野(vo,k)篠原信彦(k) 浅野孝己(g) 鮫島秀樹(b) 樋口昌之(ds) 丹波博幸(g)永本忠 (b) 斎藤昇(s) 竹越かずゆき(k) スージー・キム (vo)金子まり(vo) 森園勝敏(g) 中村祐介(vo,g) 深水龍作 等。それぞれ、歌もインスツルメンツもレベルのあるミュージッシャン達でジョーとは数多くの共演をした連中である。

 フラワーの作詞をしたスージー・キムのソウルフルなヴォーカルが秀逸だった。「Mans Mans World」はジョーをフューチュアして見事だった。ジョニー吉長を想い、歌った金子マリのブルースは小気味良いものだった。「人間の証明」をフラワーの石間秀機のシターラで、中村裕介が歌った。エディー藩の「横浜ホンキートンクブルース」は思い出が詰まっていて何かもの哀しい気分があった。キーボードのミッキー吉野、篠原信彦はジョーを支えていた音そのものだった。フラワーのジュン小林もカナダから駆けつけ、ジョーの息子の山中ヒカリも会場に現れ、エンディングは、メンバーオンステージで、「Stand By Me」にジョーの口癖「ドーモアリガトウ」を入れて観客と共に盛上がった。

 いつもの年はジョーのワンマンショーで、Happy Birthday Songを歌い、おなじみのファンたちに会える楽しい和やかなライブであった。この日のライブは仲間達の暖かい気持ちが溢れていたが、いちまつの寂しさは隠せなかった。何と言ってもコアになるジョー山中の歌唱がナマで聞こえてこないのは、ジョー山中という歌手が、いかに歌唱力のある歌手であったかが証明されたのであった。

<Photo By Tohru IKENO>

D・O・T (エジプシャン・ダンサー、REIKAの新ユニット)・・・・・町井ハジメ
 83〜4年にかけて、GIRLS HARD COREの先駆けとも言えるバンド<The Nurse>のヴォーカルとして活動し、現在ではエジプト舞踊の第一人者として多方面で活躍しているREIKA。昨年4月には、JVCケンウッド・丸の内ショールームで開催されたMPCJスペシャル・イベントにも出演し、華麗な舞を披露してくれた(その時の模様は、http://www.musicpenclub.com/talk-201106.html に)。そんな彼女が、なんと新ユニット<D・O・T>でヴォーカリストとして完全復活!サイドを固めるのは<あぶらだこ>のHIROSHI(bs)、ex.<ラフィン・ノーズ>のMARU(ds)という超強力リズムセクション。元来のHARD CORE SOUNDに加えて、REIKAの持ち味とも言えるエジプシャン・テイストが融合し、どのような世界を創り出していくのか?去る9月15日に行われた青山<レッドシューズ>での初GIGも大成功に終わり、WEB上では早くも大きな反響を呼んでいるという。今後の<D・O・T>からは目が離す事が出来ない。

今後のライヴの予定
10/21(日)
[D・O・T] Naked Live!
渋谷Bar Isshee Open: 19:30 Start: 20:00 
投げ銭(別途バーチャージ500円+ドリンク代) 
限定先着30名。要予約。
http://www.bloc.jp/barisshee/

11/22(木)
ヤンラ・ビーナ!!  NEKO完全復活!新編成![D・O・T] ワンマンライヴ
この日はギターに川上啓之(swaraga / DIGZIG)が参加。
渋谷チェルシーホテル Open: 19:30 Start: 20:00  
前売り2,500円 当日3,000円(ドリンク別)
http://www.chelseahotel.jp/top.html

<撮影: 北島元朗>

ミュージカル「シカゴ」・・・・・・・・・・本田浩子
 猛暑真っ只中の8月3日、キョードー東京主催のブロードウェイ・ツアー・カンパニー「シカゴ」を見に赤坂ACTシアターに向かう。
ミュージカル「シカゴ」は、ジョン・カンダー作曲、フレッド・エブ作詞、フレッド・エブ、ボブ・フォッシー脚本により1975年にブロードウェイで、初演された。物語は、人妻でヴォードヴィル・ダンサーを夢見るロキシー・ハートが愛人を射殺して、その罪をお人好しの夫に身代わりに引き受けさせる。しかし、すぐにばれてロキシーは投獄されてしまう。牢獄には女性殺人犯が何人もいるが、中でもスター級の殺人犯は、新聞でいつも話題になっている、元ヴォードヴィルの花形ダンサー、ヴェルマ・ケリー。ロキシーもヴェルマも罪に対する意識は全くなく、そこに悪徳弁護士ビリー・フリンが絡む。ヴェルマに憧れていたロキシーだったが、ビリーの活躍で新聞をにぎわすようになり、殺人犯としての人気?はロキシーに移っていく。

 ミュージカル「キャバレー」、「その男ゾルバ」、「蜘蛛女のキス」等のカンダーとエブのコンビの楽曲の素晴らしさは、開幕して最初の曲「All That Jazz」はもとより、いずれも1920年代のジャズ全盛時代のアメリカらしさに溢れていて、ストーリーのおどろおどろしさとは裏腹に、いつ聞いても見事で実に楽しく、ボブ・フォッシーの振り付けによるゴージャスでダイナミックなダンスが特徴的である。ブロードウェイ初演時には、ロキシーを当時フォッシー夫人だったグエン・ヴァードン、ヴェルマをチタ・リヴェラという圧倒的なスター二人が熱演。踊りによるさや当てで、観客を魅了したのは、いまだに語り草だが、今回はロキシーをブロードウェイで、2012年7月に同ミュージカルの主演を見事に演じきった米倉涼子の凱旋公演である。ヴェルマは、ブロードウェイ版の同役のアムラ・フェィ・ライト、そして悪徳弁護士ビリーをトニー・ヤズベックが華やかに共演している。

 米倉涼子は2008年、2010年の日本版「シカゴ」のロキシー役で鮮烈な印象を残したが、まさかブロードウェイで主役を勝ち取るとは・・・、選り抜きのブロードウェイの役者たちに交じって、群を抜いてスター性を発揮しなくてはならない役どころなので、見る前から期待感と多少の不安がよぎりながら劇場に向かった。

 「All That Jazz」が終って、米倉のロキシーが登場すると、何とも愛らしくチャーミングな彼女の魅力が舞台に満ち溢れて、期せずして会場には拍手が起きて、観客は舞台にくぎ付けになっていく。彼女の存在感とセリフの切れの良さが、アメリカ人キャストに交じって何の違和感もなく、爽やかに舞台から伝わってきて、心を打つ。

 余談だが、このミュージカル、初演時は普通のミュージカルだったが、1996年にリバイバル上演(トニー賞受賞)された時から、コンサート版になり、舞台上にオーケストラが入り、シンプルな舞台上で上演されるようになった。ロンドン(1998年アデルフィ劇場)、ストックホルム(1999年オスカーズ劇場)で観た時にもこの方式がとられて、観客の想像力を掻き立てるエキサイティングなものとなり、今ではこの方式がすっかり定着している。日本初演は1983年、植木等(ビリー)、草笛光子(ロキシー)、上月晃(ヴェルマ)の主演だったが、この頃はまだコンサート版ではない。かたや元松竹SKDスターの草笛と元宝塚スター上月の競演は文句なく素晴らしかったが、植木等の圧倒的な存在感は未だに記憶に残っている。

 ところで、この奇想天外の話は、実は1924年にシカゴで実際に起きたセンセーショナルな殺人事件が元になっている。二人の殺人犯が腕利き弁護士?の活躍で、無罪を勝ち取ったのも事実で、当時の女性記者モーリン・ワトキンズがシカゴ・トリブューン紙に書いて、大変な話題となり、余りの人気?にワトキンズはこの事件を元に本を書いて、1926年に舞台化され、1927年には無声映画化され、今日のミュージカルに繋がっていく。

 劇中、ロキシーを取材する情にもろいメアリー・サンシャイン(D.ミシッシェ)という女性記者が、美しいソプラノでロキシーの殺人動機に無理もないと理解を示す歌が一幕にあるが、二幕のシーンでかつらをとって野太い声で歌い、男と判明して会場を沸かす。これはこのミュージカルのお約束事ではあるが、そうと分かって見ていても、毎回驚くし、そもそも20年代に実際にあった事件を取材していた人の作品と分かれば、こんな形で記者の存在をアピールするのも納得できる。

 ところで、舞台では無罪となった二人が、チームを組んで「殺人犯」のショー・ダンサーとして踊るという落ちで幕となるが、このシーンで念願叶って、ヴェルマと歌い踊る米倉ロキシーの喜びが弾ける姿が印象的だった。観客は総立ちで、ブロードウェイ・デビューという快挙を果たしたシンデレラ・ガールに惜しみない拍手を送り、その熱演を称えた。
<撮影: Makoto Watanabe>


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