2012年5月 

<日本のオペラを考える鼎談シリーズ第1回>
〜新国立劇場「沈黙」(2012年2月15日から19日)、
「さまよえるオランダ人」(2012年3月8日、11日、14日、17日、20日)を聴いて〜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鼎談者:関根礼子 藤村貴彦 宮沢昭男
 宮沢:ミュージック・ペンクラブでは、批評の在り方を会員の方々と様々な角度から論じていく企画を考えました。今年はテーマをオペラに絞り、『日本オペラ史1953〜』(水曜社、2011年)を上梓され、『日本のオペラ年鑑』(昭和音楽大学オペラ研究所)編纂委員長の関根礼子さんを迎えて、貴重な意見を聞かせてもらえればと思います。「沈黙」「さまよえるオランダ人」を語る前に、日本オペラ史における位置づけを語ってもらいます。

 関根:簡単に説明するのは難しいですが、基本的な骨組みを申しますと、最初はもちろん外国から移入されました。それが第1期で1870(明治3)〜1951(昭和26)年まで。その間に浅草オペラ(1916〜1925)があり、1934(昭和9)年には藤原義江を中心とする初めてのオペラ公演が行われて、それが藤原歌劇団の発足とされています。

 藤村:浅草オペラを見たことはありませんが、そこでは「ボッカチオ」や「カルメン」などの有名なアリアが歌われていたのでしょう。榎本健一さんや田谷力三さんが活躍していましたね。

 関根:第2期は、1952(昭和27)年〜1996(平成8)年頃まで。1952年は二期会の発足で、1968(昭和43)年に文化庁が設立され、公的助成が促進されていきました。そして第3期は新国立劇場オープンの1997(平成9)年から現在までです。オペラが文化としていっそう定着していくことが期待される時代に入ったといえるでしょう。

 宮沢:関根さんが昨年編纂された『日本のオペラ年鑑2010』からすると、2010年はどのように概観されますか。

 関根:新国立劇場が13年目を迎え、制作面が安定してきました。

 宮沢:関根さんにとって新国立劇場の中で注目するべきオペラをあげてください。

 関根:ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、そして<ニーベルングの指環>から「ジークフリート」「神々の黄昏」です。リヒャルト・シュトラウスの「アラベラ」「影のない女」も印象に残っています。日本作品では池辺晋一郎さんの「鹿鳴館」の初演も良い公演でした。

 新国立劇場の素晴らしい上演が地方にも影響を与え、互いに刺激しあってより優れたオペラ公演を目指しているのが2010年以後の動向だと思います。

 宮沢:地方公演の中でとくに優れていたオペラは何ですか。

 関根:びわ湖ホールの「トリスタンとイゾルデ」、兵庫県立芸術文化センターの「キャンディード」、愛知県文化振興事業団の「ホフマン物語」などです。これらは予算規模の大きいことが立派な成果を挙げた一因になったのだと思います。

 宮沢:オペラと言えば費用が問題になります。この企画の最終回では、経済的な面からオペラの上演について話し合ってみたいと思います。

 関根:地方でもオペラが活発に上演されていますね。今挙げたものは公的事業のものですが、一方、民間のオペラ団体は、冬の時代ともいわれるほど経済的な事情が厳しくなっているのが実情でしょう。一部の団体で助成金不正受給事件が起こり、オペラ界に暗い影を落としました。

 藤村:オペラ界ばかりではなく、今はオーケストラ界も大変で、とくに自主運営オーケストラは悪戦苦闘しています。オペラやオーケストラは経営に始まって経営に終わるといってもよいでしょう。

 宮沢:日本のオペラの動向について短時間では語れませんが、そろそろ今回のテーマである「沈黙」に移っていきましょう。関根さんからこのオペラの感想を一言お願いします。


〈新国立劇場オペラ「沈黙」(2012年初日キャスト)〉(撮影:三枝近志)

 関根:このオペラは素晴らしいですね。上演を重ねるたびに良くなってきています。こうした日本のオペラの優れた公演は、新国立劇場でもっと採りあげてほしいです。

 宮沢:演出がわかりやすく、下野竜也の指揮がこの作品の良さを巧に引き出していたと思います。オーケストラ、合唱、声楽もバランス良く整い、好感のもてる演奏でした。

 関根:暗い内容ではありますが、全体に照明が明るく仕上がっていて、ラストシーンは観ていてホッとしました。

 宮沢:拷問を受けている信者=島民は、ロドリゴが踏み絵を踏まなければ殺されてしまうなど、現代人の苦悩と共通することがわかりやすい形で示された演出でした。

 藤村:私はみなさんとは違った考えです。まずこのオペラは小説を劇画的に台本化し、ワンシーンの連続で、オペラとしての持続力の強さが感じられませんでした。音楽も色彩感に乏しく、作曲者の松村禎三氏の得意なオスティナートの強烈なエネルーギーといった世界が聞こえ、中途半端なオペラに映りました。声楽パートの書き方も不自然で、オペラを知らない作曲家がオペラを作曲するとこうなってしまうというのが率直な感想です。

 関根:確かにレチタティーボの作りは、作曲技法的には問題があったような気がします。

 藤村:松村氏は基本的に器楽の作曲家で、声楽作品は少ないです。彼は13年もかけて「沈黙」を作曲しましたが、もしオペラを作曲しないでオーケストラ曲を書けば、優れたシンフォニーを2曲ぐらいは世に送り出すこともできたと思います。

 関根:オペラの作曲には高度の技量が要求され、オーケストラ、声楽、作劇法を熟知していないと書けませんね。

 宮沢:「さまよえるオランダ人」はいかがでしょう。


〈新国立劇場オペラ「さまよえるオランダ人」(2012年)〉(撮影:三枝近志)

 関根:このプロダクションを再演したことがどうもよく納得できません。とくに演出がよくありませんでした。

 宮沢:マティアス・フォン・シュテークマンの演出家としての起用に問題がありました。

 藤村:二人の方と全く同意見です。不自然な合唱団の動きなど、何を意図した演出であったか理解できませんでした。

 関根:芸術監督の尾高忠明さんが指揮者、演出家をよく知った上での起用であったのか疑問が残ります。

 藤村:指揮者のサバリッシュと話す機会がありました。彼はバイエルン国立劇場の芸術監督でした。収支決算書に目を通し劇場を清掃する人の給与まで決めるとのことです。芸術監督は大変な責務であると述べていました。果たして尾高さんはどういう点にまで責任を持って新国立劇場の仕事に携わっているのでしょうか。名前だけの芸術監督であればあまり意味がありません。

 宮沢:このような問題も日本のオペラを考える企画で今後話し合っていきましょう。次回は6月上演の「ローエングリン」、そして9月の東京二期会の「パルシファル」を観て日本のワーグナー上演について考えてみたいと思います。多くの方々の忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。(文責:藤村 貴彦)

「第20回セレモアつくばチャリティーコンサート」2012年4月13日
サントリーホール・・・藤村 貴彦
 セレモアつくばは、共同募金、被害者支援都民センターなど、社会事業を通じて社会に貢献している株式会社。メセナ活動の一つとして、チャリティーコンサートを催し、第20回目だという。今回は指揮者の湯浅卓雄、ピアニストの久元祐子、日本フィルハーモニー交響楽団が出演。湯浅卓雄は海外のオーケストラの客演が多く、残念ながら東京で聴く機会が少ないが、都響の定期で指揮したプロコフィエフの「交響曲第6番」の演奏をいまだに忘れる事が出来ない。湯浅の正確無比な棒の指示は、この交響曲の持つ複雑な構成を隅々までに光を与え、すべての骨組みと肉付きと、そして深い表情を描きつくしていたからである。

 プログラムの後半に演奏されたドボルザークの「新世界」も同様であり、耳にたこができるぐらいに聞いてきたこの名曲が何と新鮮に響いた事か。殊に音量の増減によるけじめの美しさ、バランスの端正さ、そして旋律の歌わせ方の巧みさなど見事という他ない。第3楽章スケルツォの躍動感、そして終楽章の力強いオーケストラの鳴らせ方など、驚くべき整頓が、少しも理詰めの方向に傾かないのがこの指揮者の特徴のように感じられた。日本フィルは弦が美しく、金管も実に力強かった。湯浅が指揮すると、まるでオーケストラが今までの日本フィルの響きとは違ったように思えた。

 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を弾いたのは久元祐子。表現は堅実。けばけばしいはったりなど少しもなく好感が持てた。どの音も美しく、和音も濁りがなく、特に第2楽章は旋律の柔難な歌わせ方が印象に残った。 以前に比べて、震災以外のチャリティーコンサートは少なくなったが、企業はこのようなコンサートをもっと催し、音楽愛好者を増やしてもらいたい。楽章の間に拍手をした聴衆もいたが、そのような事が気にならないくらいの立派なコンサートであった。

(写真上:湯浅卓雄) (写真下:久元祐子〈Photo=Y.Kojima〉)

「東京フィルハーモニー交響楽団 第814回オーチャード定期演奏会」
2012年4月15日 オーチャードホール・・・藤村 貴彦
 4月の東京フィルの定期は、2011年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した垣内悠希が指揮。垣内はウィーンを本拠として活動し、在京オーケストラは初共演である。垣内の指揮を見ていると、全力を傾注してオーケストラに接しており、実に激しいものだった。エネルギーのある指揮である。オーケストラを巧みにコントロールするのは今一つだが、曲全体を見通す強い把握の上に立って、起伏の明確な点、緊張感あふれる表現を作り上げていたのが印象的。

 プログラムの後半におかれたチャイコフスキーの「交響曲第5番」は間の取り方や、強弱の付け方等、やや一本調子の所が気になったが、全体としては熱気の感じられる懸命の指揮で、特に終楽章の力強いクライマックスの作りは力感あふれ、聴きごたえがあった。 シューマンの「ピアノ協奏曲」を弾いたのは、ソフィー・パチーニ。この曲の持つロマン的な美しさが正直に再現されていたが、全体としての表現は平凡で、内容的に食い足りないものを残していたのが残念である。

 垣内は在京の定期を指揮して、ベートーベンも派手な演出抜きの誠実な表現であった。音楽の一区切りが出来ている半面、それらを緩急濃淡巧みに結びつけて、曲全体として一つの大きな意味を結実させる事はまだできていなかったというのが正直な感想である。若い指揮者にそれを求めるのは無理を承知であえて記す事にした。経験の蓄積こそ指揮者にとって一番重要であり、一回一回のチャンスをものにしてく以外に方法はない。20年30年苦労して本物の指揮者になれるのである。ローマは一日にしてならず、指揮者も同様である。決してあきらめないで、世界に通用する指揮者に成長してもらいたい。日本の楽団のためにも。
(藤村 貴彦)

ロック魂を持った男達。そして、「力也」も逝ってしまった。・・・池野 徹
 昨年の暮れに力也から電話があった。「病院に来て!」と、力也の元気な写真をファイルして病院へ行った。しかし、ガン検査のため転院していたのだ。連絡も取れず会えなかった。気になっていたが、4月8日心不全で死去。ジョー山中に続く訃報とは、驚愕と心痛の何ものでもない。去年病院に妻と見舞った時、「ジョーやオレは二つの国の血が流れてるんだ、だから人より強いんだ」と豪語していた。

 勝新太郎、松田優作、原田芳雄、ジョー山中、そして、安岡力也。この血の濃い個性的なマスクを持つ男達は、一つのラインで繋がっていた。それは、ノーマルに流れる一般社会に対して、常にアンチテーゼを示していた。言ってみればそれは、「ロック魂」というヤツだ。ジョーの歌にもある様に、常に「闘い続けた男達」だ。その生を受けた環境故に、イジメや偏見から自分を守るために、男の象徴を誇示するために、身につけたものは「ロック魂」であった。イタリアのシチリア出身の父を持つ力也は、「男は生まれたときから闘い続けるのだ」と言われていた。その結果による、争いの血を経験する事で、自分の存在を守って来たのだ。力也は1966年グループ・サウンズの「シャープ・ホークス」から歌い手としてデビューする。

 エルヴィス・プレスリーから始まったロックミュージックは、当初は、そのヴォリュームをあげたシャウトするヴォーカル、その動きの激しい身のこなし、飢えたオオカミたちは、女を漁り、酒に溺れ、けだるさの中に身をやつしていたが、そのロックパフォーマンスは、キレのあるロックを表現していた。当時のヴェトナム戦争は、いっそうの拍車をかけた。それはロックのベースともなって行った。ローリング・ストーンズも長生きしてるが、出始めの頃はデカダンスに生きながら、でも一番カッコいいストーンズだった。男達の危ういがインパクトのあるサウンズは際立っていたものだ。ハングリーを置き去りにした、今現在のロックは、すっかりだらけてしまって、エキセントリックなロックなどかけらもない。

 力也は、「ホタテのロック」のヒットを出したが、本意ではなかったと想う。プレスリーに心酔していたし、毎年の内田裕也の「ニュー・イヤー・ロック・フェスティヴァル」でのカッコイイロックの力也は、あまり世間に知られてないが、見事にあの巨体で鮮やかなパフォーマンスをしていた。もちろん、ロックで食っていけるわけはないから、頭のいい力也はバラエティに身をさらしていたが、本当は、ロック歌手になりたかったと思うのだ。しかし病魔は、2002年頃から、巨体を蝕んでいた。肝臓病から、ギラン・バレー症候群、息子力斗からの、生体肝移植手術と、若き日のいじめた肉体のツケと重なって襲っていたのだ。 そして、戦い続ける肉体は音を上げていたのだ。息子の力斗は、余命一年と告げられていたのだ。最後に病院へ見舞った時、力也は「負けたよな」と言ったと言う。あの剛毅な男が、悲痛にも最後に言ったのだ。

 力也は、強面の男と思われていたが、反面その優しさに触れた面々も多い。このロック魂を引き継ぐのは、兄貴分の内田裕也、弟分の桑名正博だけになってしまった。新宿の街を真っ白いテンガロンハットにロングの毛皮で闊歩していた姿は、まさに力也そのものだった。力也のくれた電話は、何を言いたかったのだろうか。カッコイイ写真をイッパツ撮って欲しかったのかもしれない。

日本と一つになったイル・ディーヴォ・・・村岡裕司
 3月12日に行われたイル・ディーヴォの武道館初日に行った。2009年の来日公演で一つの頂点を極めた彼らだから、その先への期待と不安はあったし、ある程度の前知識はあったのだが、いい意味で期待と予感が裏切られた感じだ。昨年の本人たちへのインタビューや最近のビッグ・ネームの傾向から、シアトリカルな大作ミュージカルのような展開になると思っていたのだが、むしろ視覚的なコンセプトは、スプリットスクリーンやライティングを効果的に使用したシンプルな演出を採用し、4人のライヴ・パフォーマンスをストレートに表現する手法を採っていたからである。いわゆる、直球型のライヴだった。下手側にオーケストラ、上手側にドラムスを中心としたバンドを配して、従来のステージ以上にクラシックとポップ・ロックを融合させ、クラシカルな音楽表現に、今回はビートを効かせたロック・コンサートのグルーヴを強調。音楽に加えて、客席を照らすライティングの効果も攻撃的。何もかも、オーディエンスにデジタルに訴える内容であった。

 もちろん、彼らのヴォーカル&ハーモニーも直球だ。前から定評があったヴォーカル&ハーモニーにさらにパワーが加わった感じ。珍しく、デイヴィッドの声がかすれ気味(後で聞いたら風邪をひいていたとか)だったことを例外にして、パーフェクトだった。特に今回のコンセプトを代弁する攻撃的な熱唱が新たなステージ突入を物語っていた。オーディエンスの反応も理想的。かねてから日本びいきで知られる4人だが、今回は日本語が得意なデイヴィッド以外も積極的に日本語を使ってコミュニケーション・アップに貢献していた。

 そんな彼らの意外なプレゼントは、美しい日本語で披露した「ふるさと」だった。東日本大震災から一年。追悼の意を込めた日本の名曲で、改めて音楽の素晴らしさを実感することが出来た。まさに、日本と一つになった名唱であった。

撮影:土居政則

日英共同制作バレエ「鶴」世界初演!・・・本田浩子
 神奈川芸術劇場オープン一周年を記念して、日本民話「鶴の恩返し」を原作とする日英共同作品のダンス公演「鶴」が、豪華スタッフ・キャストによって、3月16日に世界に先駆けて初演された。演出・振付はイギリス出身のロイヤル・バレエ・ゲスト・プリンシパルであり、数々のミュージカル、バレエの演出・振付で世界的評価の高いウィル・タケット(Will Tuckett)、台本はやはり世界的に活躍するイギリス出身のアラスデア・ミドルトン(Alasdair Middleton)。この二人の意向で、物語がしっかり伝わるようにと、ナレーターとしてイギリス出身のユアン・ワードロップ(Ewan Wardrop)が起用された。世界への飛躍を目指して、詩的で俳句を思わせるような美しい英語のナレーションが見事で、このナレーター自身マシュー・ボーン(Matthew Bourne)のトニー賞受賞作「スワン・レイク(Swan Lake)」にも出演していたバレエ・ダンサーだけに、舞台に出ずっぱりで、踊り手たちと一体となって動きながらのナレーションは、説得力のある語りと動きの美しさで客を引っ張り続け、舞台に程よい緊張感が満ち溢れ、心地よい。

 鶴を助ける主役の男に、マシュー・ボーンの「スワン・レイク」で主役のスワンと王子の両方を演じて評価の高かった首藤康之、その妻に同じく「スワン・レイク」で王子を演じたクリストファー・マーニー(Christopher Marney)という実力者二人が、ポール・イングリッシュビー(Paul Englishby)の音楽と藤原道山の尺八にのって、日本民話の世界を華麗に繰り広げる。他のダンサー4人も考えられる最高のキャスティングで、鶴にエマ・ブラントン(Emma Brunton)と、 男性ダンサーのキャメロン・マクミラン(Cameron McMillan)、後藤和雄 、ヌーノ・シルバ(Nuno Silva)らが競うように、美しい動きで観客を魅了する。

 これだけの舞台が、ニューヨークでも東京でもなく、神奈川県横浜の舞台で世界に先駆けて上演されたという画期的な試みが、これから世界各国で上演されることを願って、まずはサイト上の舞台写真でお楽しみ下さい。

 物語は、日本人にはなじみ深い「鶴の恩返し」を元に脚色されている。夫婦二人だけの貧しい生活だったが、男が、ある日、罠にかかった鶴を助けたことから、大きな変化が起きる。この鶴はバレエ・ダンサーたちが操る大きなパペットで、ダンサーたちが鶴と一体となって優雅に舞う姿は目を奪う。その夜、鶴は人間の娘になって夫婦の前に現れ、二人は寂しかった生活に娘が加わったことで、つつましい幸せを味わう。娘は「ツル」と呼ばれ、可愛がられるが、何とか恩返しをしたいと、機織り部屋にこもって、はたを織る。「絶対に部屋を見ないで欲しい」というツルとの約束の下にできあがった布はそれは見事で、夫婦は大金を手にするが、たちまち使い果たして、ツルに又布を織るように迫る。ツルにはお金に何故そんな価値があるのか理解できないまま、二人の為に機織り部屋にこもる。出来上がった布の美しさはこの世のものとも思われず、再び夫婦に大金をもたらすが、又もや使い果たして、ツルに布を織るように迫る。しかし、男は誘惑にかられて、約束を守り切れずに機織り部屋をのぞいてしまう。そこには、やつれ果て、血を流している鶴が自分の羽を抜いては、はたを織る姿があった。姿をみられたツルは、夫婦に別れを告げて、弱々しく飛び去っていく。大金に目がくらんで、もっとも大事な娘(愛)を失ってしまって呆然とする男が、一人舞台に残る。

 バレエ・ダンサーの作り上げている美しい舞台ではあるが、そこここに能を意識したような動きがみられ、道山の尺八が劇場に響き、幽玄な世界が繰り広げられる不思議な舞台に、終演後の観客の拍手は鳴りやまず、衣装と美しい布の作り手であるアカデミー受賞デザイナーのワダ・エミも舞台に上がり、カーテンコールは何回もあったが、最後にアンコールとしての男とツルのデュエット・シーンが見られなかったのは、期待していただけに、とても残念に思った。

撮影: 阿部章仁

アトリエ・ダンカンプロデュース「カルテット!」・・・本田浩子
 4月に入って東京グローブ座でアトリエ・ダンカンプロデュース作品「カルテット!(Quartet!)」が上演された。チラシの表には「クラシックの音楽の調べに乗せて描く、家族の「絆」と「再生」の物語」とあり、裏には「俳優による歌と、演奏家によるクラシックの演奏」とある。ミュージカル役者と書かずに「俳優」による歌と書いてあるのに興味を引かれ、4月20日グローブ座に行く。アトリエ・ダンカンは昨年10月にタンゴ・ショー「ロコへのバラード」をグローブ座で上演、石井一孝の歌に乗せて、彩吹真央、中河内雅貴、宮菜穂子、CHIZUKO、HUGO、西島千博らが華麗かつ甘美な世界を繰り広げて観客を魅了したが、今回はクラシックで紡ぐ舞台、どう観客を引っ張っていくのか、観る前から気持ちが高鳴る。

 原作は鬼塚忠の小説「カルテット!」、2012年新春に公開された同名映画は、浦安でのロケで始まり、東日本大震災の影響で、浦安でも液状化などの被害を受けて、映画製作も危ぶまれた中、地元の人々の協力で完成したと聞いている。今回の舞台はこの作品を元に作られ、浦安に住む永江一家の崩壊と再生を描いている。父、直樹(ピアノ)に榎木孝明、母、ひろみ(チェロ)を秋本奈緒美、姉娘、美咲(フルート)をキタキマユ、弟、開(ヴァイオリン)を法月康平、千尋先生に桜乃彩音、レストラン・オーナーにエハラマサヒロと個性豊かな役者が揃った。永江一家は、父母が音大卒業生という関係で、子供たちは幼い時から楽器を演奏してきたが、父親は生活の為に音楽の道を諦め、その上、今はリストラされて仕事を探しているという過酷な状況にある。妻は、そんな夫に見切りをつけて、ヴァイオリンの才能豊かな中学生の開に人生をかけようと、離婚を考えている。

 開は両親の不仲を察し、家族みんなで笑い合っていたあの頃に戻りたいと、祖母の誕生日に近所のレストランで家族揃って演奏会をしようと計画する。実際に演奏するのは、ヴァイオリンを對馬哲男、フルート・三浦茜、チェロ・井上雅代、ピアノは特別出演の中島剛と何とも豪華な演奏家たちが、4人の家族と一体となって、クラシックのメロディ、「タイスの瞑想曲」、「G線上のアリア」、「トロイメライ」、「ボレロ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「ノクターン」等25曲を美しく奏で、役者たちがその演奏に乗って歌うことで、舞台を構成するという、意欲的で魅力溢れる舞台となった。

 開はヴァイオリンの個人レッスンを受けている千尋先生に憧れ、ほのかな想いを寄せているが、先生役の桜乃彩音は宝塚時代の娘役トップの頃の「虞美人」http://www.musicpenclub.com/talk-201006.htmlとは、趣の違うきりっとした雰囲気で、本物の芸術家に育てようと開をビシビシ指導していく。一方、レッスンを受けながら開の心は先生への想いで一杯、タイスの瞑想曲を弾きながら(演奏は對馬哲男)、「しあわせな時」を初々しく歌う。

開  このままいつまでも この幸せな時間(とき)が
   つづけばいいのにと願う僕はダメなのかな?
   こうして彼女(せんせい)の奏でるピアノに寄り添い
   弾き続けていたい 一緒にいたい
   そうすれば僕は時代さえ超える
   ・・・愛の物語を生きる

 レストランでの発表会は、父のピアノの失敗で無残な結果に終わり、家族は益々バラバラになるが、開の才能に気づいたオーナーから、レストランでの仕事が舞い込む。開の熱心な説得が実を結び、やがて家族「カルテット」がレストランで実現する。その上、開の才能が、海外で活躍する指揮者重松先生(エハラマサヒロの二役)の耳に入り、重松オーケストラへの誘いがくる。思いがけない幸運に喜ぶ開だが、「自分の音をみつけなさい」と指導する千尋先生への答えを探して悩む。姉の美咲は才能あふれる弟へのコンプレックスと自分を認めてくれない両親に反発している。そんな娘の不満に気づいた両親だが、今更昔には戻れないと「亡き王女のためのパヴァーヌ」に乗せて「忘れてはいけないこと」を歌う。

直樹   子供たち ずっと前に 気づいてる
     僕ら家族が終わってることを
ひろみ  ああ 私達ふたりも 戻れない
     あの子の気持に近づけなかった
     知らぬ間に傷つけていた
直樹   悩んでいること 判っていたのに
     ひとりで苦しめてしまった
二人   古ぼけたアルバムに閉じ込めてしまった記憶 忘れたくない
     ああ たいせつな想い出 捨て去る

 両親の歌声は「前に戻りたいけれど、戻れない」という誰にでもある切ない思いが伝わってくる。両親が離婚を覚悟していることを知った開は、家族最後のコンサートをコンサート・ホールでやろうと必死で家族を説得、日々の練習の甲斐あって、かつて音大生だった夫と妻の心も通い出し、姉娘と母親も和解、カルテットは良い音を奏でるようになる。家族が元に戻れるかもと胸をふくらます開だったが、重松先生のコンサートが家族コンサートの日と同じになるハップニング! カルテットはどうなると悩む開は、指揮をして家族の音をまとめ、自身は重松先生のコンサートに出演すると決意する。しかし、重松コンサートの途中で家族のカルテットへの参加こそ今の自分に必要、これこそ僕の音楽と悟る。演奏家たちの奏でる「ボレロ」に合せて、開は弾む心で「最後のコンサート」を歌う。

開  ねえ どうすればいいのだろう?
   震えるからだ 高鳴るこの胸
   ・・・・
   僕が心の底から立ちたいと思うステージに
   そう今僕が魂込め いい音出せるのは
   家族のコンサートだ 四人そろったステージなんだ
   みんながいてこそのカルテット 僕なしなんてありえない
   行こう! そこに僕の音楽があるんだ!

 千尋先生のバイクの背中に乗って、開はコンサート会場にかけつけ、コンサート後半に参加を果たす。勿論「最後のコンサート」は大成功、その記念写真を囲んで、4人は家族の絆がしっかり元に戻った喜びを分かち合う。 

 脚本の鈴木哲也、台本・作詞・演出の菅野こうめい、音楽(編曲)の羽毛田丈史のトリオはクラシックに日本語の詞を乗せるという大胆というか無謀な位の離れ業を実現し、4人の演奏家たちと一体になって、役者たちもこの難しい注文に良く応え、満足度の高い舞台となった。

撮影:加藤孝

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