2011年4月 

"Power To The People"を叫ぶ!内田裕也が渋谷で≪ゲリラ募金ライヴ≫・・・池野 徹
 3月19日土曜日午後3時、内田裕也とその有志達が東京・渋谷のハチ公前広場へ颯爽とその姿をみせた。同所では、東日本大震災/義捐金募金のための団体、学生、家族、パフォーマンス・グループらで、いつもの渋谷と違う異常な雰囲気。そんな異常な広場に、≪HELP!≫の手書き旗竿&≪東日本大震災に熱い心を! Rock'n' Roll!≫の横幕メッセージを掲げ、自らのシャウト・ポスターとともに内田裕也が登場した。人々は、そのロックンローラーに釘づけになった。

 拡声器を手にした裕也は、白髪を振り乱し、サングラス下の眼光を光らせ、口角を尖らせながらシャウト。阪神神戸大震災の時もミカン箱でパフォームした裕也は、「この日本人の非常時に、ミュージッシャンといえども黙っていられない。歌うヤツは、歌だけでない、ロックのヤツはロックだけじゃない、人間としてやらなきゃいけない時は立ち上がるんだ」「今、ROCKがヤレルコト」があるはずだと、≪HELP≫と書かれゴールド募金箱を掲げ、有志達、ジョー山中、白竜、カイキゲッショクのHIRO、近田春夫、石橋勳、トルーマン・カポーティR&R BANDの面々が人々の中へ入っていった。

 そこには携帯電話やカメラを抱えた連中に、報道陣も加わり、一斉に連写されながら、殺到した人々でパニックに落ちいりそうな盛り上がり。撮影していた自分は、最前列から外へ押し出されその光景をアウトサイドから見るはめになったほどだ。周りでは渋谷交番の警官が注視していた、果たしてこの先はと危惧されたその時だ、午後の斜光の中で裕也の白髪が光に揺れ、ガン療養中のジョー山中が元気に口火を切り、ジョン・レノンの「Power To The People!」を歌い始めた。そのオクターブは高くなり、周囲の若者達が唱和し始め、音響を増していった。

 「Power To The People!」「人々に勇気を!」ハチ公広場が文字通り、「ゲリラ募金ライヴ」となった瞬間だった。

 内田裕也は、毎年末の「New Year World Rock Festival」をプロデュース、今年で39回を迎えるが、ジョン・レノン、オノ・ヨーコに刺激され、平和へのアクションをロック・フェスを通して続けて来た。

 裕也は、近くでマイクを握る女子大学生をインタビュー、彼女がシャウトし終わると、「オノ・ヨーコでした」と余裕をみせた。渋谷署交番前で丁寧に挨拶した裕也。この募金ライヴ、前々日に渋谷警察へ開催申請したが受理されなかった。しかし、数多くの団体・個人がこの広場で募金活動していた。この非常時に人々の行為を権力で押さえるのは、人間行為なのだろうか。渋谷の十字路交差点を警官に見られながら大勢のカメラマン、支援者たちと渡り、渋谷西武、パルコ前を進んでいった。そして、渋谷C.C.レモンホール前まで行進。ロンドン/ケーブルテレビ局のインタビューを受け、流暢な英語で裕也は応じていた。参加者全員がカメラに収まり、チョットしたフィーバーは終わったのだった。1週間後、大阪でも再びこの募金ライヴを敢行する。

「オレタチやっぱり、ヤッテ良かった!」裕也
写真:池野徹

第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞記念『ザ・ローリング・ストーンズ レディース&ジェントルメン』のBlu-ray版を徹底検証!・・・犬伏 功
 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞において、ポピュラー部門での≪録音・録画作品(外国人アーティスト)≫に選ばれたローリング・ストーンズの『レディース&ジェントルメン』。ミック・テイラーが加わり最強のアンサンブルを擁した彼らの姿が捉えられながらも、僅かな上映機会を経て封印されていた “幻”の作品だっただけに、昨年10月にDVD発売が実現すると大きな話題になり好セールスを記録、日本武道館で行われた“爆音”の上映会も大盛況に終わった。
 これでこの作品には一旦決着がつけられたようだったが、海外ではすかさずBlu-ray版がリリースされた。一方の我が国では当初の発売予定から約1ヶ月の遅れをとったため輸入盤を買い急いだファンもいたようだが、パッケージに貼られたステッカーにもあるように国内盤は“遅れただけのことはある”内容となっていたのである。
 ここではミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞を記念し、昨年12月15日に発売されたBlu-ray版(WHDエンタテインメント/IEXP-10002)を検証してみたい。

 ご存知だとは思うが、DVDの収容可能な最大容量が8GB強、一方のBlu-rayはシングル・レイヤーでも25GB、デュアル・レイヤーなら50GBを収容することが可能だ。この数値を比較するだけでも圧倒的な差があるのが分かるだろう。ちなみに本作『レディース&ジェントルメン』は16ミリフィルムで撮影されたものを劇場公開に際し35ミリにブローアップしているため、近年のハイビジョン作品に比べると当然ながら画像の粒子は粗い(余談だが、16ミリはTV作品、劇場映画は35ミリ或いはそれ以上を用いるのが一般的)。このためDVDとBlu-rayでそれほど画質の差はないのではないかという意見もあるようだが、ビットレートが高いほど解像度はアップするのでBlu-rayに優位性があるのは変わらない。それを踏まえてBlu-ray版を見ると、確かに元々のフィルムの粒子の粗さまでがリアルに伝わるBlu-rayの解像度はやはり素晴らしい。むしろその“粗さ”が生々しい雰囲気を醸しており、この時代のストーンズに見事マッチしているといえば言い過ぎだろうか。

 さて、ここで気になるのは先にも触れた“遅れただけのことはある”というフレーズだ。しかもその後には「日本盤、音質・画質向上ヴァージョン!」とある。これについてはマイク越谷氏のメルマガ、“Mike's Rolling News of _THE STONES”(http://keithrichards.blog.so-net.ne.jp/)の2010年11月7日号で第一報が報じられたが、つまり海外版のデータにあった必要のないデータを削除したら非圧縮収録が可能になったというのである。これは聞き捨てならない話だ。早速データ容量を確認すると、海外版Blu-rayは総量20GB強、それに対して国内版は40GB弱もあるのだ。当然海外版には含まれていないボーナス映像の容量もあるが、この容量差から考えてもどうやらこれは「必要のないデータを削除」しただけではないのではないか。なぜなら、海外版はシングル・レイヤーに収まる総容量であるのに対し、国内版は倍の容量を収容可能なデュアル・レイヤーとなっているのである。当然ながら大元のデータは同じであり、海外版は25GBを上限としたディスクに収めるべく圧縮された、ということなのではないだろうか。
 では肝心の画質はどうなのか。圧縮の有無が“差”となっている場合、静止画での比較だけでは違いが分かりづらい。しかも暗い場面の多い本作に極端な違いを見いだすのは難しそうだ。しかし、データ容量の違いは明らかである。そう思って明るい画面で国内版を見た後に海外版を再生すると、 “動き”でごく僅かながら解像度に差を感じるときがある(これについてはモニター自体の精度よっては違いが分からない場合もある)。音も同様で、圧縮された海外版を再生した際に、僅かだが“詰まり気味”な印象を受けるのである。ちなみに収録音声は以下の通りだ。

*海外版
・リニアPCM
・Dolby Digital 5.1ch
・DTS-HD Master Audio 5.1ch

*国内版
・リニアPCM
・DTS-HD Master Audio 5.1ch

 これを見れば分かるが、国内版にはドルビー・デジタルの5.1chが収録されていない。しかし、ドルビーはDTSより低ビットレート(ドルビー=16bit、DTS=24bit)であり、DTS収録されていれば特に問題はない。ちなみにDVDの場合はドルビーの5.1chが標準化されているが、それは古い機種でDTS再生が不可能な場合があるためだ。

 海外版か、国内版か。この選択にいつも悩まされているリスナーも多いと思うが、今回のBlu-ray版は「デラックス版」DVDに収録されたボーナス映像を網羅した完全版であり、しかも非圧縮の最高品質である。本作に関しては国内版の“圧勝”であるといって間違いない。

ロックの花散る季節 NIRVANA-Kurt Cobain・・・池 野 徹
 「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と平安時代の武士、僧侶、歌人であった西行が詠んだ和歌である。1994年4月5日、ロック・グループ、ニルヴァーナのギタリスト&ヴォー カルのカート・コベイン(コバーン)が自宅でショットガン自殺を遂げた。亨年27。日本では桜の季節、その花の心を知っ
てか知らぬかは別にして、日本流に言えば、桜散るなかで、散って逝った死とも言えないだろうか。

 カート・コベインは、ロックンローラーのひとつの典型かも知れない。その死は、薬物過剰致死によるものだった。そして、この若過ぎる27歳での天国への階段は、69年7月3日水死した元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ。70年9月18日ドラッグ過剰致死のジミ・ヘンドリックス。同70年10月4日薬物中毒死によるジャニス・ジョプリン。そして翌71年7月3日ドアーズのヴォーカル、ジム・モリソンの薬物過剰による致死。まさに若きロックの天才達の死だった。

 酒と女とドラッグが、ロックンローラーの勲章みたいなものだと断定しても、間違いはないだろう。64年に始まったベトナム戦争が、世界の背景にあり、若者達が狩り出され、その泥沼の闘いから抜け出さんと平和を求めた。そこに現れたロック・ミュージッシャン達がその武器を音に変えて立ち向かって行った時代だった。69年8月にアメリカで開催された「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル」は、ヒューマン・ビーインの人間性回復のコンサートであり、30組以上のロック・グループが参加して、会場には40万人もの若者が押し寄せ、フラワー・ムーブメント、ヒッピー世代のシンボルであった。そこに媒介されていたのがドラッグだった。ロック・ミュージッシャンは、ドラッグのエフェクションにより、高度なサウンドを追求して昇華していった。観客の若者達は、ドラッグによるサウンドの増幅に酔いしれ、ヴァーチャルな平和の世界を横溢したのだった。

 ドラッグを肯定するか否定するか、この70年代をピークに、ドラッグ文化なるものは下降線をたどり、ドラッグに頼らないロック・ミュージシャンは、世の背景と共に変化していった。しかし、カウンター・カルチュアの精神をバックとするロック・ミュージッシャンは90年代にも引き継がれて、フィジカルにも、メンタルにも抜け出せない男達がいた。グランジ・ロックの旗手ニルヴァーナのカート・コベインはロックの若者として、秀逸なギタリストであり、 ロックの危うさを持った男であった。真の意味でのロッカー最後の男と言えるかもしれない。裏返せば、ロックらしいミュージッシャンは、2000年代に入って、現れていない。

 カート・コベインは、91年セカンド・アルバム『Nevermind』で全米300万枚ビッグ・ブレイクした。セックス・ピストルズ以来のパンキッシュ・バンドだったと言える。94年、MTV Unplugged in New Yorkに出演、コベインの魅力が溢れていたのが印象的だった。女優コートニー・ラヴと結婚、生まれた娘は、フランシス・ビーン、今年19歳になるはずだ。歌手デビューの話もある。セックス・ピストルズのベーシスト/シド・ヴィシャスはチェルシー・ホテルで恋人ナンシー・スパンゲンを刺殺その後突然後追い死した。カート・コベインの死は、ロック・ミュージッシャンとして、シドとオーバーラップした運命にあったことは、偶然だけではないだろう。2005年、鬼才ガス・ヴァン・サント監督が描いた映画 『Last Days』は、コベインの死の2日前の孤独と不安と絶望を美しい映像で描いている。コベインは、遺書で言う「消え去るより、燃え尽きた方がいい」、平和、愛、同情。4月5日。1994年。カート・コベイン。
 「もろともに我をも具して散りぬ花うき世をいとふ心ある身ぞ」西行。
*Photo Create by 池野 徹

久々のホール&オーツLIVE IN JAPAN・・・越谷政義(Mike M. Koshitani)
 ダルル・ホール&ジョン・オーツ、1970年代中期から数多くのヒット作を放ったロッキン・ソウル・デュオ。70年代に彼らのことを60年代によく耳にしたブルー・アイド・ソウルと名称で僕は呼んでいた。とにかく、ふたりとも大のR&Bフリークで、80年代に来日した際に六本木にあったソウル・バー“ジョージ”(65年開店。ちなみにその翌年から足繁く通っていた)で2回ほど一緒に同店ジュークボックスから流れるR&Bを楽しんだことがある。年代的に全く同じということもあって、音楽談義も盛り上がった。そんな彼らの2005年以来のライヴ・イン・ジャパン。2月28日に東京国際フォーラム(ホールA)で楽しんだ。

 30以上のUSシングル・チャート・イン・ナンバー(そのうち20近い楽曲がR&Bチャート・イン、これも凄い)を持っているという彼らだけに、この日のライヴはまさにヒット・チューンのオン・パレード。82年のナンバー・ワン・ソング「MANEATER」でスタート、そして「FAMILY MAN」「OUT OF TOUCH」 「METHOD OF MODERN LOVE」「SAY IT ISN'T SO」とエイティーズが続く。そして6曲目の「IT'S A LAUGH」でようやく70年代のナンバーが登場(78年)。続いての「LAS VEGAS TURNAROUND」はジョンが歌う。そして8曲目「SHE'S GONE」から「SARA SMILE」「DO WHAT YOU WANT, BE WHAT YOU ARE」と76年のヒット曲が3曲。そしてラストが“80年代初頭にはホール&オーツがディスコでも大注目”を思い出させる「I CAN'T GO FOR THAT(NO CAN DO)」。シングル/R&Bチャート両方でのナンバー・ヒットだ。
 アンコールは「RICH GIRL」「YOU MAKE MY DREAMS」「KISS ON MY LIST」「PRIVATE EYES」、4曲中3曲がシングル・チャート1位。「PRIVATE EYES」はジャパニーズ・ディスコ・シーンの大ヒットだったのだ。
そして、ほぼ6年ぶりとなる今回の来日を機会に彼らの75〜90年までのアルバムが紙ジャケ/Blu-Spec CDで登場。


『サラ・スマイル』

『ロックン・ソウル』

『裏通りの魔女』

『ライブタイム』

『赤い断層』

『モダン・ポップ』

『モダン・ヴォイス』

『プライベート・アイズ』

『H2O』

『フロム・A・トゥ・ONE』

『BIG BAM BOOM』

『ライヴ・アット・ジ・アポロ』

『OOH YEAH!!』

『チェンジ・オブ・シーズン』

『グレイテス・ヒッツ - ジャパン・エディション』

『サラ・スマイル』(ソニー・ミュージック・ジャパン/SICP20270) 75年
『ロックン・ソウル』(SICP20271) 76年
『裏通りの魔女』(SICP20272) 77年
『ライブタイム』(SICP20273) 78年
『赤い断層』(SICP20274) 78年
『モダン・ポップ』(SICP20275) 79年
『モダン・ヴォイス』(SICP20276) 80年
『プライベート・アイズ』(SICP20277) 81年
『H2O』 (SICP20278) 82年
『フロム・A・トゥ・ONE』(SICP20279) 83年
『BIG BAM BOOM』(SICP20280) 84年
『ライヴ・アット・ジ・アポロ』(SICP20281) 85年
『OOH YEAH!!』(SICP20282) 88年
『チェンジ・オブ・シーズン』(SICP20283) 90年
一方で、来日直前に日本のファンが投票でセレクションした『グレイテス・ヒッツ - ジャパン・エディション』(SICP2882)も話題となった。

写真:田浦薫(ライヴ・ショット)

「Brian Jones Birthday Live@大阪~ロックンロール・サーカス完全再 Jajouka ワンマン・ライヴ!!」・・・犬伏 功
 初期ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズが生きていれば今年で69歳、そしてあのユニークな才能が失われてもう42年になる。そんな中、ブライアンの誕生日を祝うイベントが大阪で行われたのでリポートしたい。
 大阪本町にあるライヴ・ハウス「Beggar's Banquet」はその名からも分かるようにマスターが熱心なストーンズ・フリーク。そこで2月26日(土)に行われた≪Brian Jones Birthday Live≫は、関西で活動するストーンズのトリビュート・バンド「Jajouka(ジャジューカ)」による“ロックン・ロール・サーカス”完全再現を目玉に開催されたものだが、まずはこの日の主役ジャジューカについて説明せねばなるまい。
 彼らはジョーンズ没後40年となる2009年にシタール・プレイヤーで熱心なブライアン・フリークの片山健雄を中心に結成されたジョーンズのトリビュート・バンド。メンバーは以下の4人だ。

・イクオ・ジャガー(ヴォーカル).
・ブライアソ健雄ジョーソズ (ギター、シタール、ダルシマー、リコーダー、ハープ、マラカス他)
・センセイ・リチャード (ギター)
・ビル・タケボン (ベース)
・チャーリー・IKKI (ドラムス)

 彼らがユニークなのは、あくまでブライアンからの視点でストーンズを捉えている点だ。そうすることで、ブライアンの功績をリスナーにより深く理解してもらおうと考えているのだ。だからこのバンドのセットリストに「ブラウン・シュガー」も「スタート・ミー・アップ」もない。あくまでブライアンがいたストーンズのナンバーしか演奏しないのである。しかもこのワンマン・ライヴ用にVOXのアンプも調達したというから、その気合いの入りようも伺えるというものだ。

 さて、この日のショウは「ビッグ・ヒッツ」、「ロックン・ロール・サーカス完全再現」の2部構成で行われた。MCを務めたのはマイク越谷。彼の声が響くだけで小さなライヴ・ハウスが見事にショー・アップされたように感じられるのだから不思議だ。ではまず前半の「ビッグ・ヒッツ」のセットリストをご覧いただこう。

1.Not Fade Away
2.Little Red Rooster
3.Come On
4.I Want To Be Loved
5.The Last Time
6.Paint It, Black
7.Ruby Tuesday

 ストーンズのベスト・アルバムに倣って「ビッグ・ヒッツ」と題されたこのファースト・セットだが、なんとマニアックな選曲だろう。①ではハープ、②ではボトルネック・ギターとブライアンの演奏にスポットを当てるにふさわしいナンバーが並ぶが、ストーンズ自身もライヴで殆ど演奏していないデビュー・シングル両面を取り上げたのにはびっくりさせられた。しかも、スタジオ版ではあまりパッとしない印象だった③が、いざ生で聴いてみるとこれが実にライヴ映えするのである。しかもBBCラジオ出演時には省かれた途中のブレイクも再現、後半をBBCでのアレンジに切り替えるという芸の細かさ! これは相当のストーンズ・マニアも唸らせるニクい演出だ。
 そしてバンドが一丸となった⑤を挟み、遂に片山のシタールをフィーチャーした⑥が登場。近年、本家ストーンズもライヴで取り上げているナンバーだが、“生シタール”で聴けるというのは非常に貴重な体験だろう。そして最後を飾るのが、ブライアンが作曲に大きく関わっているともいわれる⑦。ここではリコーダーが美しく響いていた。
 片山を除くメンバーは特段ストーンズらしい衣裳を着ているわけではないが、鳴っている音は正にかつてのストーンズだった。そして暫くの休憩を挟んで、いよいよ「ロックン・ロール・サーカス」のスタートだ。

1.Jumpin' Jack Flash
2.Parachute Woman
3.No Expectations
4.You Can't Always Get What You Want
5.Sympathy For The Devil
Encore
6.Salt Of The Earth
7.(I Can't Get No)Satisfaction

 あの「サーカス」のイントロダクションとともにメンバーが登場、予定通り①でスタート。今や疾走感溢れるアレンジへと生まれ変わっているこの曲だが、ジャジューカは当然ぐっとテンポを落とした1968年のアレンジで演奏する。そしてレアな②、③と続く。ブライアン最後のショウとなったこの「サーカス」だが、68年はストーンズ自体ツアーを行っておらず、よってこの2曲のライヴ・ヴァージョンは珍しいのである。リリース前に演奏された④では実際の「サーカス」よりブライアンの演奏がしっかりフィーチャー、⑤ではイクオが日本語で歌うというサプライズな演出も観客には大ウケだった。
 そしてアンコールの⑥へ。「サーカス」ではテープによるオケをバックに歌っていたが、ジャジューカは当然フル・バンドで演奏、片山のボトルネックが冴え渡っていた。そして大トリの⑦では観客が立ち上がっての大合唱。マイク越谷がステージへと引っ張られイクオと1本のマイクで歌うというサプライズも。そしてショウは大円団となった。

 ストーンズをコピーしたバンドは数えられないほどいるだろうが、これほどまでブライアンにこだわったバンドも珍しいのではないだろうか。ブライアンの評価は現在も決して正当なものとはいい難く、彼の貢献は実のところ非常に見えにくかったりする。しかし、ジャジューカはそんな疑問を“演奏”そのもので吹き飛ばしてくれるのである。彼らのショウをすべてのロック・ファンに見ていただきたいのは勿論だが、むしろコアなストーンズ・ファンにこそ体験してほしい、と心から思ったのもこれまた事実なのである。
写真:マッキ―

ザ・ヤードバーズ LIVE・・・犬伏 功
 ポップ・ミュージックの歴史に大きな変革をもたらせた希有のバンド、ザ・ヤードバーズ。バンド自身がそのことをどれだけ自覚していたかは疑問だが、歴史とはそんなものだ。1962年に結成され、68年には活動に終止符を打った彼らだが、92年にはオリジナル・メンバーのジム・マッカーティ(Dr)とクリス・ドレジャ(g)のふたりを中心に再結成、2003年には実に35年ぶりとなるスタジオ・アルバム『バードランド』をリリースし現在までパーマネントな活動を続けている。
 なんと、そんな彼らの来日公演が遂に実現した。バンドにはウィルコ・ジョンソン脱退後のドクター・フィールグッドを支えた名ギタリスト、ジッピー・メイヨやオリジナル・シンガーのキース・レルフそっくりな声を持つジョン・アイダンなどが在籍していた時期もあったが、幾度のメンバー・チェンジを経て現在は以下の布陣となっている。

クリス・ドレジャ (ギター)
ジム・マッカーティ (ドラムス)
アンディ・ミッチェル (ヴォーカル、ハープ)
ベン・キング (ギター)
デヴィッド・スメイル (ベース)

 オリジナル・メンバーのクリスとジムを除けば05年加入のベン・キングが最古のメンバーで、09年に脱退したジョン・アイダン(ヴォーカル、ベース)の後任としてパワフルなヴォーカリスト、アンディ・ミッチェルとデヴィッド・スメイルを迎えまもなく2年目を迎えようとしている。
 さて、日本で最初となった大阪公演をリポートすることにしよう、3月3日@Billboard Live OSAKA。ではまず当日のセットリストをご覧いただこう。

セカンド・セット
1.Train Kept A Rollin'
2.Please Don't Tell Me 'bout The News
3.Drinking Muddy Water
4.Heart Full Of Soul
5.My Blind Life
6.The Nazz Are Blue
7.Shapes Of Things
8.Five Long Years
9.Smokestack Lightning
10.Over Under Sideways Down
11.Little Games
12.For Your Love
13.Happenings Ten Years Time Ago
14.Dazed And Confused
Encore
15.I'm A Man
*ファースト・セットでは⑩のかわりに「Still I'm Sad」が演奏されていた。尚、Billboard Live TOKYOでは両方が演奏されたセットもあったようだ。

 Billboard Liveらしい落ち着いたオーディエンスが大半を占め、ほぼ満員の状態の会場にヤードバーズの歴史を簡潔にまとめたSEが流れメンバーが登場、大きな声援で迎えられる。まずはタイニー・ブラッドショウのジャンプ・ナンバーをジョニー・バーネット経由でロック化した、正に彼らを象徴するナンバー①だ。ここでは流石に御年67歳になるジムにはタイトなようで、リズムをキープするのに懸命に見える。一抹の不安を覚えるが、そんな気持ちは『バードランド』収録の②を聴いて吹き飛んでしまった。ボ・ディドリーのビートを蘇らせたこのナンバーは、かつてのヤードバーズを思い起こさせるに充分、いやそれ以上だったのだ。そして「ローリン・アンド・タンブリン」を改作した③、グレアム・グールドマンのペンによる大ヒット曲④へと続く。アンディのヴォーカルはパワフルそのものでハープも絶品、ベンのギターはこのバンドにかつていたギタリスト達それぞれの個性を見事に包括しているのだ。②と同様『バードランド』収録の⑤に続き、ジェフ・ベック時代の⑥へ。ベンによるスライド・ギターが冴えるが、クリスの分厚いリズム・ギターがこのバンドにとっていかに重要かが実感させられる好演だった。そして、これまた66年のヒット⑦で盛り上げながら劇渋のブルース⑧へ。そして“ヘイ!”の掛け声とともに⑩が始まると観客のボルテージも最高潮へと昇りつめる。
 ⑪はかつて殆どライヴで演奏されかったナンバーだが、なんとジムのドラム・ソロがフィーチャーされベンがボンゴで応酬するという、正にこのショウのハイライトとなるもの。①で僅かながら不安を感じさせたとは思えないジムの絶品なプレイには心から圧倒された。エリック・クラプトンが脱退するきっかけとなった⑫はなにかとロック・ファンから批判されるナンバーだが、この曲がこれほどライヴ映えするナンバーだったとは正直意外だった。そして間髪を入れずにあの13が! この演出はニクいというほかない。そして最後を飾るのはレッド・ツェッペリンへと引き継がれたジェイク・ホウムズのペンによるサイケデリックな⑭。ゼップ直前のなんともいえない緊張感が漂ったこの曲を聴くと、ヤードバーズが後身たちに与えた影響の凄さを感じずにはいられないのだ。
 そしてアンコールは60年代から長年クロージング・ナンバーとして演奏され続けてきた⑮。ボ・ディドリーのナンバーを絶妙なアレンジで聴かせてくれるのである。

 オリジナル・メンバーがたったふたりだということで、既に別のバンドだという者もいるだろう。しかし、既に60歳を過ぎた彼らがステージにこだわり演奏し続けるのを見ると思わず胸が熱くなる。そう、このライヴには確かにヤードバーズのスピリットが溢れていたのだ。
写真:Masanori Naruse

音楽劇「わが町(Our Town)」に感動!・・・本田浩子
 3月10日(東北関東大震災の前日)、俳優座に、音楽劇「わが町」を観にでかけた。「わが町」は、ソーントン・ワイルダーの戯曲で1938年に初演され、ピュューリッツァー賞を受賞しているアメリカを代表する作品で、現在でも世界各国で上演されている。今回はその戯曲を、音楽劇として新しい息吹を入れるという意欲的な試みを、俳優座制作で舞台に上げた。

 ワイルダーのこの作品は背景も特になく、装置らしい装置と言えば、椅子とテーブルと梯子というのが約束事だが、音楽劇となってもそれは変わらず、観る者に新鮮というか、時に戸惑いさえ与える。そんな舞台は10分もすると、役者たちの、特に進行役を勤める原康義の自由に観客に語りかける自然体の演技に引っ張られて、いつの間にか、20世紀はじめのグローヴァーズ・コーナーズという町に共に生活しているような思いになっていく。ごくありふれた町のありふれた生活を描いた何の変哲もない物語だが、三幕もののシンプルな舞台に、宮原芽映作詞、上田亨作曲の数々の歌が見事なハーモニーを奏でて心地よい。

 ありふれた町のありふれた日常にも、恋に目覚める若者ジョージ(粟野史浩)とエミリー(土居裕子)がいて、若々しい歌声と共に静かな舞台に明るさを与えてくれる。ふたりの成長を見守るジョージの両親、ギブス医師(瀬戸口郁)、ギブス夫人(麻乃佳世)、エミリーの両親、ウェブ氏(川井康浩)とウェブ夫人(花山佳子)も生活感溢れる演技と歌で観客を魅了する。不思議な舞台で小道具はゼロ、全ての役者はマイムで演じ、一台のピアノ演奏(小山隼平)にのってきれいな歌声を響かせる。全く出演者の演技力と観客の想像力だけが頼りの舞台で、観る者の心を打つ世界初の音楽劇「わが町」を成功させた西川信廣の演出は見事としかいいようがない。見終わって、平凡な生活の日々の中にこそ人の幸せがあると、しみじみとした思いで帰途についた。
写真提供: 俳優座劇場

「ロベルタ・ピリ ベートーヴェン 後期5大ピアノ・ソナタの夕べ」
2月16日 旧東京音楽学校奏楽堂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大橋伸太郎
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタにはピアノ音楽の過去・現在・未来の全てがある。後期作品を聴く度にその感にとらわれる。フーガ形式の多用によるバッハ的世界への回帰、緩徐楽章に聴くショパン、さらにフランス近代音楽の予見、第32番ソナタ(作品111)第二楽章のシンコペーションを多用した進行は20世紀のアメリカ音楽・ジャズを連想させる。さる2月に東京で意欲的で興味深いコンサートが催された。一人のピアニストがベートーヴェンの最後の5大ピアノ・ソナタ、第28番~32番を一夜で演奏するのである。

 ピアニストはロベルタ・ピリ。イタリアの若手女流で現在はウィーンに在住し、バロックからロマン派、新古典主義まで幅広いレパートリーを持つ他、ライフワークにウルトラポリフォニック演奏研究(注)を続け、今回の来日にも新宿でのマスタークラス開催がスケジュールに含まれている。ピリはすでに2009年9月にカーネギー・ホールで後期5大ソナタ連続演奏を行い大変な好評を博した。余談だが、米女優のサンドラ・ブロックに似た美人である。今回の東京のコンサートはピリのウィーン音楽大学の同窓生で和歌山県在住のピアニスト・小路里美氏の招聘によるものである。

 ベートーヴェン演奏史を振り返ると、1878~79年にフランツ・リストの高弟ハンス・フォン・ビューローによって後期5大ソナタが一挙演奏された。今回、演奏会場に旧東京音楽学校奏楽堂(1890年創建の日本最古の西洋式音楽ホール・以下奏楽堂と略記)が選ばれたのも、同時期に行われたビューローの伝説的演奏と演奏会場を重ね合わせ、ベートーヴェンの音楽が内包する<時間の円環>を体感させようという試みだろう。しかし、後述するがこれには問題を残した。

 2月16日当夜の演奏は、作曲順に作品101(ソナタ第28番)、作品106(ソナタ第29番「ハンマークラーヴィア」)、作品109(ソナタ第30番)、作品110(ソナタ第31番)、作品111(ソナタ第32番)の順であった。ピリは造形意志の非常に強い演奏家である。デュナーミクを多用しコントラストのくっきり鮮明な音楽を奏でる。整合感のある万人に好感される美麗な音楽より、作品の構造と本質を炙り出すごつごつした積極的な解釈である。そのせいか、当夜の第一曲の作品101第二楽章"Vivace alla marcia"(「生き生きとした行進曲風に」)は勢い余って曲の流れが淀む箇所も。長旅の疲れがあったかもしれない。しかし、次第に演奏精度を上げていく。休憩を挟んでの第三曲作品109(ソナタ第30番)第一楽章冒頭"Vivace,ma non troppo"は、軽やかに歌いながら虚空に舞い上がっていくのでなく、内部に沈潜降下していく内省的演奏。このあたりからピリは演奏家としての力を発揮する。作品110(ソナタ第31番)の第三楽章"Adagio ma non troppo"は陶然とするほどの美しさ。むしろ緩徐楽章に聴かせる純粋な<歌>に天分を発揮するようだ。

 日本での知名度の低さに加えて当夜は冷え込みが厳しく聴衆は少なかった。木造建築の奏楽堂は寒く大多数はコートを着たまま演奏に耳を傾けていた。そうした中、終始低い周波数の空調ノイズがホール内に篭っている。ベートーヴェン(特にピアノ音楽)は<弱音の作曲家>である。最悪なことに、ピアニッシモの音程と空調ノイズの周波数が一致して音が重なり膨らんで聴こえる瞬間さえあった。地下鉄(?)の通過音も床下から時折侵入する。楽章の間に演奏者ピリが不安げに天井を仰ぐ情景もみられた。本稿冒頭に書いたように<時間の円環>を体感させようという発想には共感する。しかし、奏楽堂は冷暖房の必要のない春・秋は楽しく音楽を聴くことも出来るが、暑さ、寒さの厳しい時期は現代の音楽ホールが備える性能と機能に達していないのが実情だ。遠来のアーティストには気の毒な面があった。

 しかし、約3時間の演奏の最後まで聴衆は帰らなかった。作品111が終わると盛大な拍手が捧げられた。この冬一際寒かった夜、聴衆は遠来のピアニストの大いなる挑戦と音楽への燃えるような純粋な愛情に打たれた。ベートーヴェンの音楽には<支配力>と<優しさ>の二面性がある。ピリの奏でる緩徐楽章ににじみ出る温かい<優しさ>を一人ひとりが懐中に忍ばせて家路に着いたに違いない。

http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/2011/02/10_12088.html

このページのトップへ