そこには携帯電話やカメラを抱えた連中に、報道陣も加わり、一斉に連写されながら、殺到した人々でパニックに落ちいりそうな盛り上がり。撮影していた自分は、最前列から外へ押し出されその光景をアウトサイドから見るはめになったほどだ。周りでは渋谷交番の警官が注視していた、果たしてこの先はと危惧されたその時だ、午後の斜光の中で裕也の白髪が光に揺れ、ガン療養中のジョー山中が元気に口火を切り、ジョン・レノンの「Power To The People!」を歌い始めた。そのオクターブは高くなり、周囲の若者達が唱和し始め、音響を増していった。
「Power To The People!」「人々に勇気を!」ハチ公広場が文字通り、「ゲリラ募金ライヴ」となった瞬間だった。
内田裕也は、毎年末の「New Year World Rock Festival」をプロデュース、今年で39回を迎えるが、ジョン・レノン、オノ・ヨーコに刺激され、平和へのアクションをロック・フェスを通して続けて来た。
さて、ここで気になるのは先にも触れた“遅れただけのことはある”というフレーズだ。しかもその後には「日本盤、音質・画質向上ヴァージョン!」とある。これについてはマイク越谷氏のメルマガ、“Mike's Rolling News of _THE STONES”(http://keithrichards.blog.so-net.ne.jp/)の2010年11月7日号で第一報が報じられたが、つまり海外版のデータにあった必要のないデータを削除したら非圧縮収録が可能になったというのである。これは聞き捨てならない話だ。早速データ容量を確認すると、海外版Blu-rayは総量20GB強、それに対して国内版は40GB弱もあるのだ。当然海外版には含まれていないボーナス映像の容量もあるが、この容量差から考えてもどうやらこれは「必要のないデータを削除」しただけではないのではないか。なぜなら、海外版はシングル・レイヤーに収まる総容量であるのに対し、国内版は倍の容量を収容可能なデュアル・レイヤーとなっているのである。当然ながら大元のデータは同じであり、海外版は25GBを上限としたディスクに収めるべく圧縮された、ということなのではないだろうか。
では肝心の画質はどうなのか。圧縮の有無が“差”となっている場合、静止画での比較だけでは違いが分かりづらい。しかも暗い場面の多い本作に極端な違いを見いだすのは難しそうだ。しかし、データ容量の違いは明らかである。そう思って明るい画面で国内版を見た後に海外版を再生すると、 “動き”でごく僅かながら解像度に差を感じるときがある(これについてはモニター自体の精度よっては違いが分からない場合もある)。音も同様で、圧縮された海外版を再生した際に、僅かだが“詰まり気味”な印象を受けるのである。ちなみに収録音声は以下の通りだ。
*海外版
・リニアPCM
・Dolby Digital 5.1ch
・DTS-HD Master Audio 5.1ch
カート・コベインは、91年セカンド・アルバム『Nevermind』で全米300万枚ビッグ・ブレイクした。セックス・ピストルズ以来のパンキッシュ・バンドだったと言える。94年、MTV Unplugged in New Yorkに出演、コベインの魅力が溢れていたのが印象的だった。女優コートニー・ラヴと結婚、生まれた娘は、フランシス・ビーン、今年19歳になるはずだ。歌手デビューの話もある。セックス・ピストルズのベーシスト/シド・ヴィシャスはチェルシー・ホテルで恋人ナンシー・スパンゲンを刺殺その後突然後追い死した。カート・コベインの死は、ロック・ミュージッシャンとして、シドとオーバーラップした運命にあったことは、偶然だけではないだろう。2005年、鬼才ガス・ヴァン・サント監督が描いた映画 『Last Days』は、コベインの死の2日前の孤独と不安と絶望を美しい映像で描いている。コベインは、遺書で言う「消え去るより、燃え尽きた方がいい」、平和、愛、同情。4月5日。1994年。カート・コベイン。
「もろともに我をも具して散りぬ花うき世をいとふ心ある身ぞ」西行。
*Photo Create by 池野 徹
30以上のUSシングル・チャート・イン・ナンバー(そのうち20近い楽曲がR&Bチャート・イン、これも凄い)を持っているという彼らだけに、この日のライヴはまさにヒット・チューンのオン・パレード。82年のナンバー・ワン・ソング「MANEATER」でスタート、そして「FAMILY MAN」「OUT OF TOUCH」 「METHOD OF MODERN LOVE」「SAY IT ISN'T SO」とエイティーズが続く。そして6曲目の「IT'S A LAUGH」でようやく70年代のナンバーが登場(78年)。続いての「LAS VEGAS TURNAROUND」はジョンが歌う。そして8曲目「SHE'S GONE」から「SARA SMILE」「DO WHAT YOU WANT, BE WHAT YOU ARE」と76年のヒット曲が3曲。そしてラストが“80年代初頭にはホール&オーツがディスコでも大注目”を思い出させる「I CAN'T GO FOR THAT(NO CAN DO)」。シングル/R&Bチャート両方でのナンバー・ヒットだ。
アンコールは「RICH GIRL」「YOU MAKE MY DREAMS」「KISS ON MY LIST」「PRIVATE EYES」、4曲中3曲がシングル・チャート1位。「PRIVATE EYES」はジャパニーズ・ディスコ・シーンの大ヒットだったのだ。
そして、ほぼ6年ぶりとなる今回の来日を機会に彼らの75〜90年までのアルバムが紙ジャケ/Blu-Spec CDで登場。
1.Jumpin' Jack Flash
2.Parachute Woman
3.No Expectations
4.You Can't Always Get What You Want
5.Sympathy For The Devil
Encore
6.Salt Of The Earth
7.(I Can't Get No)Satisfaction
オリジナル・メンバーのクリスとジムを除けば05年加入のベン・キングが最古のメンバーで、09年に脱退したジョン・アイダン(ヴォーカル、ベース)の後任としてパワフルなヴォーカリスト、アンディ・ミッチェルとデヴィッド・スメイルを迎えまもなく2年目を迎えようとしている。
さて、日本で最初となった大阪公演をリポートすることにしよう、3月3日@Billboard Live OSAKA。ではまず当日のセットリストをご覧いただこう。
セカンド・セット
1.Train Kept A Rollin'
2.Please Don't Tell Me 'bout The News
3.Drinking Muddy Water
4.Heart Full Of Soul
5.My Blind Life
6.The Nazz Are Blue
7.Shapes Of Things
8.Five Long Years
9.Smokestack Lightning
10.Over Under Sideways Down
11.Little Games
12.For Your Love
13.Happenings Ten Years Time Ago
14.Dazed And Confused
Encore
15.I'm A Man
*ファースト・セットでは⑩のかわりに「Still I'm Sad」が演奏されていた。尚、Billboard Live TOKYOでは両方が演奏されたセットもあったようだ。
Billboard Liveらしい落ち着いたオーディエンスが大半を占め、ほぼ満員の状態の会場にヤードバーズの歴史を簡潔にまとめたSEが流れメンバーが登場、大きな声援で迎えられる。まずはタイニー・ブラッドショウのジャンプ・ナンバーをジョニー・バーネット経由でロック化した、正に彼らを象徴するナンバー①だ。ここでは流石に御年67歳になるジムにはタイトなようで、リズムをキープするのに懸命に見える。一抹の不安を覚えるが、そんな気持ちは『バードランド』収録の②を聴いて吹き飛んでしまった。ボ・ディドリーのビートを蘇らせたこのナンバーは、かつてのヤードバーズを思い起こさせるに充分、いやそれ以上だったのだ。そして「ローリン・アンド・タンブリン」を改作した③、グレアム・グールドマンのペンによる大ヒット曲④へと続く。アンディのヴォーカルはパワフルそのものでハープも絶品、ベンのギターはこのバンドにかつていたギタリスト達それぞれの個性を見事に包括しているのだ。②と同様『バードランド』収録の⑤に続き、ジェフ・ベック時代の⑥へ。ベンによるスライド・ギターが冴えるが、クリスの分厚いリズム・ギターがこのバンドにとっていかに重要かが実感させられる好演だった。そして、これまた66年のヒット⑦で盛り上げながら劇渋のブルース⑧へ。そして“ヘイ!”の掛け声とともに⑩が始まると観客のボルテージも最高潮へと昇りつめる。
⑪はかつて殆どライヴで演奏されかったナンバーだが、なんとジムのドラム・ソロがフィーチャーされベンがボンゴで応酬するという、正にこのショウのハイライトとなるもの。①で僅かながら不安を感じさせたとは思えないジムの絶品なプレイには心から圧倒された。エリック・クラプトンが脱退するきっかけとなった⑫はなにかとロック・ファンから批判されるナンバーだが、この曲がこれほどライヴ映えするナンバーだったとは正直意外だった。そして間髪を入れずにあの13が! この演出はニクいというほかない。そして最後を飾るのはレッド・ツェッペリンへと引き継がれたジェイク・ホウムズのペンによるサイケデリックな⑭。ゼップ直前のなんともいえない緊張感が漂ったこの曲を聴くと、ヤードバーズが後身たちに与えた影響の凄さを感じずにはいられないのだ。
そしてアンコールは60年代から長年クロージング・ナンバーとして演奏され続けてきた⑮。ボ・ディドリーのナンバーを絶妙なアレンジで聴かせてくれるのである。
2月16日当夜の演奏は、作曲順に作品101(ソナタ第28番)、作品106(ソナタ第29番「ハンマークラーヴィア」)、作品109(ソナタ第30番)、作品110(ソナタ第31番)、作品111(ソナタ第32番)の順であった。ピリは造形意志の非常に強い演奏家である。デュナーミクを多用しコントラストのくっきり鮮明な音楽を奏でる。整合感のある万人に好感される美麗な音楽より、作品の構造と本質を炙り出すごつごつした積極的な解釈である。そのせいか、当夜の第一曲の作品101第二楽章"Vivace alla marcia"(「生き生きとした行進曲風に」)は勢い余って曲の流れが淀む箇所も。長旅の疲れがあったかもしれない。しかし、次第に演奏精度を上げていく。休憩を挟んでの第三曲作品109(ソナタ第30番)第一楽章冒頭"Vivace,ma non troppo"は、軽やかに歌いながら虚空に舞い上がっていくのでなく、内部に沈潜降下していく内省的演奏。このあたりからピリは演奏家としての力を発揮する。作品110(ソナタ第31番)の第三楽章"Adagio ma non troppo"は陶然とするほどの美しさ。むしろ緩徐楽章に聴かせる純粋な<歌>に天分を発揮するようだ。