2010年12月 

「ロック」の社会性に挑む内田裕也≪日英ロックンロール頂上決戦! ザ・ローリング・ストーンズ×内田裕也≫・・・池野 徹
音楽とは、人間の五感を刺激して、昂揚して、ハッピーの世界へ持って行く感情表現を音に乗せた世界である。レジェンダリー・ミュージックというか、人間が存在してから、自然発生的に、歴史的に引き継がれ、繰り返されて来た音楽がある。民族音楽があり、分りやすく人々がのれる音楽。それが、整理され、表現方法が開発され、その時代にあった音楽が生まれていく。今で言うクラシック音楽だが、18世紀頃から宗教的背景もあるが、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンが現れ、クラシック・ミュージックのジャンルが確立されて、現在にまで至っている。民族音楽は、時代を引き継いで来ているが、その国の民族性による音楽として、日本なら、歌舞伎、能楽、祭事的、神楽的なものから、民謡、浪曲、演歌、歌謡曲とポピュラー・ミュージックなるものが生まれている。これらの音楽ジャンルは、伝統的な固定された音楽となっているが、新しい時代を生きてる音楽としてポピュラー・ミュージックのジャンルに登場してきた、それが「ロック・ミュージック」である。

人間のプリミティブなリズム、アフリカの大地を踏みしめる4分の4拍子のビートで、ストレートに、生きてる感情を音楽にして、エレキギターとドラムスとヴォーカルの基本で始まったミュージックである。1950年代、アメリカで、黒人音楽と白人音楽のフュージョンで、社会の経済や戦争不安による緊張感から、若者がカウンター・カルチュアとして、急速に広まっていったのが、「ロック」である。1950年代中期に、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが突き破り、チャック・ベリー、そして、エルヴィス・プレスリーが登場し決定的となった。1962年にビートルズ、続いて翌年にザ・ローリング・ストーンズが、イギリスから登場。ポップ・ミュージックとしての、ロック・ミュージックが確立したと言ってよい。

この、ポップ・カルチュアとしての「ロック」が若者を中心として、社会的に大きな影響を与えたかは計り知れないものがある。既存の社会へ対するアンチティーゼ、若者のプロテストスピリット、人種問題をオーバーフェンス、男と女の性無差別化、何より人間は、愛と自由<Love & Peace>のフリーの価値観を浸透させた事だ。既存のジャンル音楽、ミュージカルダンスへの影響、芸術アート映像世界への拡張、ジーンズファッション等、カジュアルなものへの解放と、日常的な生活へと浸透している。

11月3日文化の日、日本のロックンロール男、内田裕也が、渋谷のタワーレコード15周年のイベントに登場した。<内田裕也VSマイク越谷トーク・ライブ>でザ・ローリング・ストーンズを語った。ストーンズの「スタート・ミー・アップ」のサウンドに乗りマイクが登場。マイクは、60年代のストーンズ・ファン・クラブの会長でもあり、日本ではストーンズ情報を握っている男である。熱く、最新のストーンズ動向、来年は、ストーンズ再始動するかもと語った。そして「サティスファクション」を歌いながら、日本一のロックン男、内田裕也が登場したのである。

いままで、5回もライヴやインタビューで、ストーンズのミック・ジャガーと会っている内田裕也、お互い40年以上も過ぎて、同世代のロックンローラーとして、尊敬もしているし、内田裕也は、ミック・ジャガーと競演をしてみたいし、自信があると熱く語った。そのとどまる所を知らない裕也のトークに、マイク越谷は、恐れもせず、さらに、裕也流トークはエスカレートしていった。1973年、ローリング・ストーンズの初来日が決まり、そのオープニングアクトに、裕也率いるフラワー・トラヴェリン・バンドが決まっていたが、ストーンズ来日が中止になってしまった。その後、ストーンズの来日を実現させるべく、裕也は動き、グアム島でストーンズ開催を企てるが、実現しなかった。1965年に裕也が歌った、「ハート・オブ・ストーン」音源まで飛び出し、秘蔵映像の上映、リクエストで「ダイスを転がせ」が場内をつつみこむ。

内田裕也は、歌手でもあるが、プロデューサーとしての才能が高い。沢田研二を発見し、「ザ・タイガース」を世に送り出した。ジョー山中を起用「フラワー・トラヴェリン・バンド」は世界へ進出、カナダで大ヒット。また、ユニークな大物ミュージッシャン、フランク・ザッパら多くの海外アーティストを日本へ呼び寄せている。映画でも「コミック雑誌なんかいらない」「魚からダイオキシン」と社会風刺の強い作品も創っている。また、NHK紅白歌合戦をぶっ飛ばせと、<NEW YEAR WORLD ROCK FESTIVAL>を1973年以来37年も続けており、多くのロックンローラーを輩出している。クリエイターとしてのセンスも抜群で、ロック・フェスのユニークなポスターを共に制作した事がある。

オノ・ヨーコから「マリファナ吸って、酒飲んで、女とばっか。そんな事が本物のロックだと思ったら大間違いだ」と言われ、むっとしながらも、ロックを見る目が変わる。「ロック・ミュージッシャンは、歌っているだけじゃねえ」と、裕也の才気は、しばしば、社会に登場する。かつて、都知事選にも出馬した事があるが、最近の事業仕分けとか政治世界への興味も捨ててない様だ。

音楽としてのロックは、変遷し広がり、ポピュラーになり、そのロック・スピリッツも薄れて、刺激に驚かないデジタル時代になってしまったが、そこから新しいポップ・カルチュア、ニュー・ロック・サウンズが期待されるのだが、それよりもミュージックのフレームを超えた、社会的インフルーエンスを与えていける男、内田裕也がそこへ、切り込んでスーパー・プロデュースしてくれるなら、オモシロいことになるかもしれない。そんな予感を楽しむ事が出来た <内田裕也VSマイク越谷トーク・ショー>であった。

しかし不思議な事というか、現象を感じるのであるが、「ザ・ローリング・ストーンズ」の好きな、取り憑かれた連中は、類を呼ぶ。表立ってストーンズ・フリークとは言わなくても、相通じるサムシングが、オーラがあるのである。それも軽い関係でなく、ストーンズそのもの「石」のごとき重みがあるのである。私も、内田裕也と知り合ったのも、マイク越谷と知り合ったのも、ストーンズであり、これからも、この石と共に、転がり続けるだろう。
「It's Only Rock'n' Roll(But I Like It)」
写真:池野徹

日英ロックンロール頂上決戦! ザ・ローリング・ストーンズ×内田裕也
・・・町井ハジメ
 1974年に完成され“幻の作品”とまで言われたザ・ローリング・ストーンズの72年のライヴ・フィルム『レディース&ジェントルメン』が遂にDVDで登場した(DVDデラックス・エディション、Blu-rayは12月15日発売/WHDエンタテインメント)。そのファンが長きに亘って待ち望んだ作品のリリース記念イベントが11月3日、タワーレコード渋谷店B1「STAGE ONE」で開催された。題して≪日英ロックンロール頂上決戦!ザ・ローリング・ストーンズ×内田裕也≫。ストーンズと同世代でもあり、わが国を代表するロックンローラー・内田裕也氏がストーンズについて語るというもの。聞き手は本DVDでも解説を手がけたマイク越谷氏。

 午後7時、「START ME UP」乗ってにまずは越谷氏が登場、ここでしか聞けないストーンズ関連の最新情報をたっぷりと披露した後、氏のイントロデュースによって、内田裕也氏が姿を見せた。白を基調としたロングコートにシルバーの柄の付いた黒いステッキ、サングラスというスタイルでキメた裕也氏は、場内に大音量で響き渡る「(I CAN'T GET NO) SATISFACTION」に合わせ、早くもパフォーマンスを展開、会場を一瞬にして裕也ワールドに染めた。

 自身の生い立ちからスタートしたトークは、過去5回対談を経験したというミック・ジャガーの人物像や、自身が手がけ実現の手前まで話が進んでいたというストーンズ・グアム公演の話、75年にNYの路上で行われたトレーラーの荷台でストーンズが「BROWN SUGAR」を演奏するという伝説のツアー・プロモーションを目撃した話など、体験者だけしか語れないリアルな語り口で観客をグイグイと引き込んでいた。

 そしてストーンズ関連以外でも、ジョン・レノン、チャック・ベリー、フランク・ザッパとの思い出、つい最近まで滞在していたというヨーロッパの印象、自身がプロデュースし海外でも活躍したフラワー・トラヴェリン・バンドやクリエーションの話など・・・一瞬たりとも聞き漏らせない貴重な話が次々に飛び出した。

 途中、裕也氏が65年にブルージーンズをバックにレコーディングした「HERAT OF STONE」のカヴァー・ヴァージョンがON AIRされると、真剣な面持ちで聴き入っていた。越谷氏に感想を求められた裕也氏は「回転数が違うような声出していたけれども」と笑いつつも、「若い俺がチャレンジしたという事には、がんばったんだなぁと感無量だった」と語った。

 最後は年末恒例の「NEW YEAR ROCK FESTINAL」と、近年取り組んでいるという映像作品への意気込みを熱く語り、「音楽だけではなく色々なものを含めたRock'n Rollでこれからも走り続けたい」と言う言葉で、予定を大幅に超え1時間以上にも渡り繰り広げられた“頂上決戦”を締めた。

 当日のイベントの模様はUSTREAMにて視聴可能・・・
http://www.ustream.tv/recorded/10611735
なお、10月13日に発売されたDVD『レディース&ジェントルメン』は、10月25日付オリコン週間DVDランキング/ミュージックDVD部門の第1位に輝いた。


写真:Suzuki Shu

バーンスタインの「ワンダフルタウン」・・・本田浩子
レナード・バーンスタインといえば、誰もが知っている音楽界の巨匠であり、ミュージカル好きにとってはブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー(1957)」(1961に映画化)の作曲家とし名高いが、私自身にとっては、ニューヨーク・フィルハーモニーの常任指揮者としてバーンスタインが想い出深い存在。というのも、1962年から5年間ニューヨークに住んでいて、クラシック大好きの母と共に、ニューヨーク・フィルの正会員になって、秋のシーズンが開幕すると、隔週にリンカーン・センターに行ってはバーンスタインその人の指揮で、毎年本当に素晴らしい体験をさせてもらっていた。オーケストラの音合わせが始まると、いつも身体が震えたのを今でも忘れられない。そしてバーンスタイン氏が登場すると、会場は何とも心地よい緊張感に満ちて、嫌も応もなく、期待感が高まり、指揮棒が振られるや紡ぎ出されるオーケストラの音は最高で、まさに至福の時間であった。

ミュージカル「Wonderful Town (ワンダフルタウン)」は、バーンスタインの作曲により、1953年にブロードウェイで初演され、ベスト・ミュージカル賞をはじめ5つのトニー賞を受賞しているが、何故かこれまで日本では上演されていない。オハイオから恋と富を夢見てニューヨークに出てきたルースとアイリーンの姉妹が巻き起こす何とも楽しい人間模様は、映画「My Sister Eileen (私の妹アイリーン)」(1955)とストーリーは同じだが、バーンスタインの音楽によるミュージカルの日本初演となれば、見逃すわけにはいかず、10月25日青山劇場に向かう。

音楽監督/島健、指揮/上垣聡によるフル・オーケストラ演奏のオーバーチュアが流れ出すと、舞台にはニューヨークの雰囲気が溢れ、バーンスタインその人の世界に会場は包まれて、観客の期待感がピークになるのが感じられる。

若い姉妹がオハイオ州の田舎町から大都会のニューヨークにやってきて、お金がないので、グリニッチ・ヴィレッジのアパートの地下に部屋を借りての生活は、二人の期待とは大外れで、そのあたりの悲哀は時代を超えて共感できるし、劇中歌われる「オハイオ」をはじめどの曲も少しも古さを感じさせない。さすがにバーンスタイン、没後20年経ってもいきいきとした音楽にのせて、役者たちも日本初上演というプレッシャーをバネに、実にのびのびとした歌声を響かせて心地良さが会場に拡がる。
演出は荻田浩一、出演は安蘭けい、別所哲也、大和田美帆、初風諄、宮川浩、花王おさむ他、全員が歌に踊りに全力投球で、充分現代にも通じるミュージカルらしい楽しさに溢れた舞台を満喫できた。
写真:(c)薈田純一

新生ふるきゃら頑張る!・・・本田浩子
全国を走るミュージカル劇団として、日本の隅々までキャラバン隊を組んでファンを魅了してきたミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」は、「親父と嫁さん」「サラリーマンの金メダル」「地震カミナリ火事オヤジ」など農村の課題や環境問題、会社員の悲哀など、日本の暮らしに根ざした身近な作品で、ブロードウェイ・ミュージカルとはひと味も二味も違う、独特の視点でオリジナル作品を送り出してきたが、今年2月に多額の負債を抱えて自己破産してしまうという、寝耳に水のニュースには全く驚いた。

そして今年4月、多くのファンの願いを受け、名前も「新生ふるきゃら」とかえて新作「トランクロードのかぐや姫」に再起をかけて北とぴあで上演した。専用のバスやトラックも売り払い、劇団員が半分以下に激減しての作品は、シャッター商店街の再生を描く物語。今地方に何が必要か、実は倒産前から約100人の市町村長に取材をして準備を重ねていただけに、地に足のついた作品に仕上がり、そんな地域を見つめ直すヴァイタリティ溢れる作品が、はからずも劇団再生と重なり、観客を魅了したのは記憶に新しい。

その第一作が今回鎌倉芸術館で上演されると知って、芝居好きの友人達を誘って10月20日に再び同作品を見に足を運んだ。全国各地のからのファンの声援を受けて、実際、全国各地からお米や野菜、果物、魚などが、無報酬で手弁当で頑張る劇団員を支えてきたというだけあって、ファンの熱意に応えた劇団員の努力と熱意が実を結び、初演時よりも遙かにパワーアップした活気に満ちた舞台に仕上がっていた。

物語は、都会の娘が失恋の痛手から旅に出て、地方の「シャッター商店街」に立ちより、何故かそこに住み着いてしまうという偶然から始まる。昔の街道筋とはいえ、今はすっかりその面影もなくさびれていたが、都会の娘から見るとじいちゃんの手作りのわらじも、ばあちゃんの古着屋に並ぶ着物もとても新鮮に映る。そして彼女の斬新なアイディアで古着が洒落た仕事着などに変身すると、そんな彼女に刺激されていつか地域の連帯が生まれ、活気を取り戻していく。元市長が市長選に落選して、はじめはメンツにこだわっていたのが、生活の為に妻が始めた保育所を手伝い始めて、いつか子供達との日々に喜びをみつけるというのもほほえましく、好感が持てる。

脚本・演出/石塚克彦、演出助手/天城美枝、作曲/寺本建雄、振付/小澤薫世による舞台は、初演時よりも全員の歌に踊りに力があり、初回よりもぐんと見応えがあり、「新生ふるきゃら」健在!を強く印象づけてくれる舞台に、何かと辛いニュースが多い中、こちらも元気を一杯もらって家路に着いた。

写真提供: 新生ふるきゃら

想い出のアーティストたち (2)
ドリス・デイ訪問記≪3≫・・・本田 悦久 (川上 博)
 ドリス・デイの新LP企画だが、よくある方法としては「ケ・セラ・セラ」や「シークレット・ラブ」など全盛期のヒット・ソングの、デジタル再録音による、所謂 “ベスト” ものとか、過去に吹込んでいなかったスタンダード・ナンバーを集めるといったことが考えられるが、20年ぶりの吹込み第1作としてはつまらない。そこで、最終的に決まったのが、全曲オリジナル曲だという。
 新LPの内容は、作詞・作曲・制作すべて、テリー・メルチャーとブルース・ジョンストンの共同作業。全10曲は必ずしもドリスのための書き下ろしではなく、他のシンガーたちで実績のある曲も含まれる。そのうちの3曲は、オーケストラの音をロサンジェルスでとり、ドリスのボーカル・ダビングをモンテレイのスタジオですませていた。彼女に会う2日前 (1984年7月20日) に吹き込まれたのが「ディズニー・ガールズ」、その日 (22日) の明け方までかかって完成したのが「マイ・ハート」、この2曲をドリスの家で聴かせてもらって、20年前にあってもおかしくないようなドリス向きの曲で、多少のカントリー色があるが泥くさくなく、モダンなサウンドで仕上げられていた。ドリス・デイの個性と特徴を知り尽くしたテリーとブルースならではの、文句なしの作品と言える。

「どうだった?」と、ドリスもテリーもブルースも待ちかねたように感想を求めるので、感じたままを話すと、「全くその通り!」と、わが意を得たりのテリー。「気に入ってもらって嬉しいわ」とドリス。「明日 (23日)、3曲目のヴォーカル・ダビングなので、あなたも是非立ち会って・・・ということになる。「ナンシーというレディが持っているファンシーなスタジオなの。あんなスタジオ見たことないと思うわ。ナンシーも喜んで、あなたを歓迎するわよ」とドリス。「日本のスタジオはずっとモダンで、はるかに進んでいると思うよ。ところでママ、ディナーには一緒に行く? 」とテリー。「夕べの録音が長引いちゃって4時間半しか寝ていないの。今晩は失礼しますね。テリー、何処のレストランにご案内するの? ミッション?」「カーメルは初めて? 静かないい所でしょ? 」「テリー、わたしはヨシを庭に案内してくるわね」とドリス。
 
 別棟のビルの3階あたりから、何匹かの犬が顔を見せている。犬小屋ならぬ、犬御殿である。それにしても、高台から見おろすたそがれのカーメルが素晴らしい。「まるでハリウッド映画のようですね ! 」と感嘆した後、思わず苦笑する。相手はまさしくハリウッド・スターその人なのだから。「こちらはまた違った景色よ! あの高い山まで60マイル位あるの。冬は雪に覆われているけど、ドライブで行くことは出来るわ。この間、迷い猫が来てね。この椅子でベッドを作って、餌づけして、お医者さんに連れて行って、それから家の仲間に加えたの。この木は、猫の “木登り” 専用よ。あそこが猫のギャラリー、猫たちの部屋よ。見えるでしょ? この小さなプールは私のエクササイズ用。ハイ・キティ! ハイ・ラッキー! ミス・キティとミスター・ラッキー、TVシリーズからとった猫の名前よ。”ガン・スモーク” 、日本でもやってる? 」
 ガーデン・ツァーを終って、再び邸内に。「ディナーにご一緒できなくて残念だけど、明日またスタジオでお会いしましょう。今日は、はるばる訪ねて下さって、本当にありがとう。何てすてきな楽しい日だったでしょう。今までテリーから、あなたについて色々聞いていたけど、実際にお目にかかれて、とてもうれしかったわ。ハヴ・ア・ナイス・ディナー! 」と、別れ際も映画のラスト・シーンよろしく、彼女はあふれる笑顔で送り出してくれた。ところが、あいにく当方典型的な日本人、丁寧に御礼を述べるのがやっとで、Hug & Kissとはいかない。横からテリーが「彼はとってもエンジョイしたよ。ママ、ありがとう!」と口添えしてくれた。

 レストラン・ミッションは、文字通り教会のダイニング・ルームだったところ。田舎の居酒屋風のムードをたたえた店で、気取りのない雰囲気でくつろげる。テリーとブルースと私の3人は、再びカリフォルニア・ワインをあけ、ドリスのこと、録音のこと、コンパクト・ディスクからビデオ・ディスクのこと、音楽業界の将来性にまで話がはずんだ。ドリスに関する3人の会話。
----- ドリスは旅が嫌いかな?
テリー: そんなことはないと思うよ。若い頃は旅の連続だった。もっとも、近頃はどこにも出たがらないなあ。
----- 日本に行くチャンスはないかな?
テリー: 判らないけど、可能性はあるさ。
ブルース: 10年位前だったかな、英国に行ったのは。
テリー: そう、ぼくが企画したんだ。
----- 彼女の歌は相変わらず素晴らしい。全盛期と変わらないように思える。今度のアルバムは、いつ頃完成するだろうか?
テリー: 年内いっぱいで仕上げて、来春には発売したいね。
ブルース: 日本のファンは、彼女のこと憶えていてくれるかな?
----- 勿論。新録音を期待している人も多いと思うよ。映画のテレビ放映やビデオ、それにレコードの復刻盤なんかで、新しいファンも出来ているだろうし・・・。
テリー: 出来れば1枚だけでなく、LPを何枚か作りたいんだ・・・。
その夜は、カーメル・バーリー・ゴルフ・クラブに隣接するクエイル・ロッジに宿泊した。
 ところでカーメルといえば、この2年後の1986年に、クリント・イーストウッドが市長に当選して2年間務めている。
(以下、次号に続く。「レコード・コレクターズ」誌、1985年3月号より抜粋転載)

デノンから、創立100周年記念のA100シリーズ全7製品が登場(前篇)…大橋伸太郎

株式会社デノンは2010年10月1日に創立100周年を迎えた。同社は1910年設立の日本コロムビア株式会社(現在のコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社)の電機部門が分離独立した会社である。
現在も製品に刻まれ音楽/オーディオファンから親しまれている「DENON」のブランド自体は、昭和14年設立の日本で始めての録音機製造会社「株式会社 日本電音機製作所」を発祥とし、国産で始めてNHKに納入された円盤式録音再生機(DR-14-B)形は当時にして画期的な広帯域録音を実現し、戦前にして国産機による録音放送が実現された。
興味深いことに、1945年8月15日に放送され終戦を国民に伝えた「玉音放送」の昭和天皇の御声もDENON製円盤録音機DP-17-Kで記録された。(歴史的記録として現在もDENON円盤録音機と録音盤がNHK放送博物館に保管展示されている) デノンの100周年と歴史がくっきりと切り結ぶエピソードである。
戦後の復興期、昭和22年(1947)に日本コロムビア株式会社(現コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社)系列下の電機部門となり、昭和26年(1951)、LPレコードが同社から発売されたのを背景に、DENONの放送用再生プレーヤーの開発技術が脚光を浴び、局用PUにMCタイプのカートリッジ(PUC-3)が採用される。1963年にMC型ステレオカートリッジDL-103がNHKとの共同開発で誕生、その後、オーディオブーム台頭を背景にしたデノン(日本コロムビア/オーディオブランドとしては国内では「デンオン」と呼ばれた。)の技術開発とAV(オーディオビジュアル)史を彩る数々の名機については、あらためて紹介する必要はないだろう。
筆者宅でも、ステレオカートリッジDL-103 、モノラルカートリッジDL-102、DVDプレーヤーDVD-A1らデノン製品が現役で稼働中である。戦前、機械式録音の円盤録音機に始まったデノンの歴史は1960年代のLPレコード、1970年代末のPCM(デジタル)録音、1980年代デジタルオーディオディスクCDはSACDに進化、そして1990年代には映像再生機器LD、DVD、今世紀に入りブルーレイディスク、今ではネットワークオーディオが加わり、一時も歩みが滞ることがない。「情熱」「芸術性」「テクノロジー」がデノンの社是である。今回の100周年(日本コロムビア発足を原点とする)を記念してA100シリーズが全7アイテムが発売された。アナログレコードプレーヤーとピックアップ(カートリッジ)を生産し続ける稀なる国内メーカーらしく、両品目が含まれているのがまず目をひく。他にステレオアンプ、SACD/CDプレーヤー、レコードプレーヤー、ステレオカートリッジ、AVサラウンドアンプ、ユニバーサル・ビデオオーディオプレーヤー、ヘッドフォンで構成、音と映像の過去・現在・未来がデノンの歩みにオーバーラップして映し出され壮観である。あえて申せば、スピーカーシステムがないのが残念。全アイテムにオリジナルロゴ、100年の歴史を記したブランドブック(写真)が同梱される。
A100シリーズ全品目を視聴する機会を得たので今月と来月の前後編に分けて、100周年記念A100シリーズの全貌をお伝えしようと思う。今月は、レコードプレーヤーDP-A100、ステレオカートリッジDL-A100、AVサラウンドアンプAVR-A100、ユニバーサル・オーディオビデオプレーヤーDBP-A100の4アイテムのプロフィルと視聴印象記をお届けしよう。

@ 「レコードプレーヤー DP-A100」
リターナー層が使いやすいユニバーサルアームのDDプレーヤー。DL-A100が付属
ダイレクトドライブ(DENONクオーツサーボ)方式のA100シリーズアナログプレーヤーで、ベースはDP-1300MKだが各部が大幅にグレードアップされた。トーンアームはピックアップ交換がし易いS字型ユニバーサルタイプだが、DL103系に合わせ最適チューンされた。ターンテーブルはデッドニング処理を施した大径331mm、キャビネットは重厚なダークブラウン光沢仕上げである。
写真を見て分かるように、スピンドル形状もDP-1300 Mk のダルな形状からペンシル型へ改められた。Phono出力コード交換も可能になったのが嬉しい。100周年記念カートリッジDL-A100(下記)が専用ヘッドシェルと共に付属。
クオーツ制御(光パルス検出)の安定度の高さ、モーターのトルクに余裕があり、スタート/ストップのレスポンスと定速回転到達までに要する速さは小気味よく、アナログプレーヤーの地味ながら着実な進歩を窺わせる。ハウリングマージンも高く、現代の再生環境に力を発揮する。ダイナミックレンジも取れており厚味のあるソノリティのオーソドックスなアナログサウンドを楽しませる。
【SPEC】
●駆動方式:DENONクオーツサーボ式ダイレクトドライブ
●回転数:33 1/3、45rpm
●ワウ・フラッター:0.1%以下(WRMS)
●起動時間:0.3秒以内で規定回転(33 1/3rpm時)
●負荷特性:針圧80gで0%
●回転数偏差:±0.003%以内
●アーム方式:スタティックバランス S字型
●同有効長:244mm
●同オーバーハング:14mm
●同トラッキングエラー:3°以内
●同高さ調整範囲:約6mm
●同針圧調整範囲:0〜4.0 g(1目盛 0.25 g)
●付属ヘッドシェル質量:18g
●付属カートリッジ:DL-A100
●電源:AC100V 50/60Hz
●消費電力:10W
●質量:15.8kg
●価格: ¥304,500(税込)

A 「ステレオMCカートリッジ DL-A100」
ステレオカートリッジの「原器」をスケルトンのハウジングで復元
誕生から47年を経た今も現役バリバリのMC型ステレオカートリッジDL103のオリジナル仕様(1964)を復刻、スケルトン(透明)のハウジングで開発当時のエンジニアリングモデルのイメージを再現した。百周年記念ロゴ入りスタンドケース(写真)が付属。
【SPEC】
●出力電圧:0.3mV
●再生周波数:20Hz〜45kHz
●インピーダンス:40Ω
●針先:16.5ミクロン丸針
●針圧:2.5±0.3g
●コンプライアンス:5×10-6cm/dyne
●外径寸法:15W×15H×26.8Dmm
●価格:¥52,500(税込)

B 「AVアンプAVR-A100」
最新のモアチャンネルサラウンドに対応の9.2ch構成。、ネットワーク再生にも対応
創業100周年記念にデノンが発売するA100シリーズ中のサラウンドアンプが本機である。A100 シリーズの他の製品と同様に、同社ではAVR-A100をレギュラー系列のバージョンアップモデルでなく独自の製品系列と位置付け、日本国内での期間限定でなく欧米でも発売される。
AVR-A100の内容は今期新製品のAVR-4311(252,000)とほぼ同一だが、電源部ブロックコンデンサーを大型に換装、フート(インシュレーター)が鋳鉄製に変わりスピーカー端子は金メッキ仕上げ、前面パネルもアルミマイカ入りの光沢のある黒になり、音質は同じではない。しかし、価格差分4311から音質の積み上げを図った製品ではなく、あくまで独立したアンプ新製品として聴いてほしいというのがデノンの考えである。
本機は9.2ch構成でこの点では一体型フラグシップAVC-A1HD(7.1ch)を凌ぐ。デコーダーは11ch分を内蔵する。デノンの場合、ベーシックなシャーシ構成は一定期間それを踏襲していくやり方だが、AVR-A100(AVR-4311)がシャーシ更新のサイクルに当たり完全に新規設計とした。今後はA100のシャーシパターンが母型となる。チャンネル数の増加に伴い、近年の技術課題であるシンプルな構成と各ステージを最短で直結することを推し進めている。
アナログパワーアンプ部はオーソドックスなカレントミラー型回路で、9chディスクリート・モノラル・コンストラクションの電源部を持つ。実用最大出力210W×9(JEITA 6ω)。Audyssey DSX、ドルビープロロジックzプロセッサーを搭載、通常の7.2/9.2ch再生に加えDSXのワイド、ハイトを同時出力する9.2ch再生は本機の大きな魅力。前述の通りプリ出力は11.2chまで対応。自動調整はAudyssey MultiEQで従来比32倍とフィルター解像度の増したXT32。Audyssey MultiSub Calibrationを内蔵し、フロントサブウーファー2台使用時に音量、位相、イコライジングを自動調整する。
DENON LINK4thを搭載し同社ユニバーサル・プレーヤーと接続しHDオーディオのビットストリーム・ジッターレス再生が可能。もちろん、HDMI Ver.1.4を 搭載し3Dパススルー、ARC対応。USB音楽ファイル再生はMP3/WAV/WMA/AAC/FLAC(96kHz24bit含む)に対応、i-Podデジタル入力はデノン独自のアナログ波形創出回路AL24ProcessingPlusでなめらかで歪みを抑えた高音質再生が可能。iTunesライブラリーを高音質ストリーミング再生するAirPlayを搭載。i-Phone/ウPod Touchで本機を操作するiコントロールのデノン版"Denon Remote App”(無償ダウンロード)にも対応した。
デノンのアンプの特徴は、業務用途(店舗でのBGM使用等)で使われることが多く熱心な固定ファンを持つことである。前者は連続使用時の信頼性によるもので、後者は他のアンプにない音の明解な個性が理由。それは一言でいうと鮮度と芯のある音質である。それが昨年の製品からスピード感を重視、解像感は高いのだが、やや「きれいな音」になり個性が薄れたような気がする。結論を先にいうと今回のAVR-A100はある意味デノンファンの声に答えた製品である。
BDソフトを例に本機の音質を具体的に紹介していこう。『ハート・ロッカー』は、冒頭のバグダッド街頭の爆弾処理シーンを視聴した。様々な音の要素が重層的に渦を巻き静と動の変化でリスナーを心理的に包囲するサウンドデザインで、再生においてはデコーダー解像力とアンプとしてのSNと歪みのなさがポイント。本機の場合、Audyssey DSXのアグレッシブな音場の作り方と相まって音場がドーナツ状にならないどころか聴き手を真綿のように締めつける密度がある。アクションを音で描く上で「温度感」「エネルギー感」は重要だが、デノン・サラウンドアンプの特徴はまさにそれ。A100は金属が灼熱を孕んで破裂し四散する時のエネルギーの高まりが実感出来る。低域の重量感とレスポンスもいい。
空間創成力も高い。『レギオン』冒頭のSEの移動感は空気に鋭利なパレットナイフが条痕を残すように鮮明だ。音場創成に、回路レイアウトの最適化とパワーアンプの品位向上がかみ合っている。ハードボイルドな量感を復活させつつ音の鮮度をも研ぎ済ました印象である。ベースになったAVR-4311も試聴したが、A100が密度感でやや上回り量感重視のバランス。聴いていて「血の濃くなる」瞬間を味わえる今最もデノンらしいサラウンドアンプ、同時に最も力を感じさせるサラウンドアンプがAVR-A100である。

【SPEC】
●実用最大出力:210W×9ch
●周波数特性:10Hz〜100kHz(+1,-3dB、ダイレクトモード時)
●S/N比:102dB(JIS-A、ダイレクトモード時)
●歪率:0.005%(20Hz〜20kHz、ダイレクトモード時)
●価格:¥294,000(税込)

C 「ユニバーサルプレーヤーDBP-A100」
CD,SACD,DVDビデオ/オーディオ,ブルーレイを一台で再生。デノンの今がここにある
SACDからDVDビデオ&オーディオまで演奏出来るユニバーサル・プレーヤーはデノンが初めて世に送り出したカテゴリーである。ソニー、パナソニック、パイオニア、東芝らはフォーマットフォルダーである以上、対抗メディア(SACDとDVDオーディオの関係を考えるといい)を手掛けることが出来なかった。現在はディスクメディアに加え、BDとSDカード内のMP3、WMA、JPEG等ネットワークオーディオファイルが新たに演奏メディアに含まれるに至った。万能のユニバーサル・プレーヤーには常にAVの「今」がある。このDBP-A100こそ、デノンの音響メーカーとしての100年の来歴を記念する今回のA100プロジェクトにもっとも相応しい製品ジャンルといえるだろう。
DBP-A100のベースは昨年9月発売のDBP-4010UD(252,000円 税込)である。電源部のブロックコンデンサーを換装、フートに鋳鉄製インシュレーターを採用するなど各種のグレードアップが図られている。フロントパネルもアルミマイカ入りの光沢黒仕上げとなる。しかし、他のA100シリーズ同様に既存機のプレミアム仕様ではなく、独自ラインの一機種としての位置付けで国内専用でなく北米・欧州でも販売される。
本機が再生するメディアはスペックを参照してほしいが、ワン・アンド・オンリーな魅力は、DENON LINK4thを搭載し、AVR-A100(本記事で紹介)等同社製サラウンドアンプとの組み合わせでアンプ内クロックを共有しHDMI音声(BDビットストリーム音声等)のジッターを低減した高品位伝送が出来ることだ。
高音質化へのデノンらしいアプローチには他に、デジタル音声をアナログ波形のなめらかさに近づけて変換出力するデノン独自のデータ補間アルゴリズム技術“Advanced AL24 Processing”を全チャンネルに搭載したことが挙げられる。それに対応し全チャンネル分に192kHz/24bit対応のDAコンバーターを持つ。機構、メカニズムもダイレクトメカニカルコンストラクション、アドバンスドS.V.H.ローダー採用オリジナルメカ等、デノンの「今」を象徴するCI的な技術が奢られている。
それでは、AVR-A100との組み合わせで本機の画質音質を検証してみよう。BDの画質はやや明るめのコントラストで影や暗部をあまり潰さないことが特徴。フィルムのグレインノイズ(粒状感)表出もフィルム地肌を過度に表出せず穏やかな描写。鋭利さよりバランスを重視した階調重視画質である。色彩の豊かさ、自然さを重視し一見穏やかで絵画的だが実は情報量は豊かである。
HDオーディオはDENON LINK4thの効果があらたかで歪みのない広々した空間に鮮明な音群が綿密に描きこまれる。筆者の今年度ソフト・オブ・ジ・イヤー『ハート・ロッカー』はサウンドの解像感が高くバグダッド市中上空を旋回する軍用ヘリのエンジン音を機関内にマイクが入り込んだように生々しく解像。音場が高く大きく、爆発のエネルギーも音が高い所から降り注ぐように落ちてくる。
SACDはカナダの女流ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットの『ベートーヴェン ピアノソナタ第二集』を再生した。映像同様に情報の引き出しに遺漏がなく、楽音を彫刻的にシャープな描線で描く一方、ピアノ(ファツィオーリ)の筐体内の共鳴を濁りなく生々しく再現、トータルな音場の再現、構築とディテール情報の描き込みにデノンらしい鋭利なタッチを見せる。
【SPEC】
●再生可能メディア:
BD-ROM、BD-R/RE、DVD Video/Audio、DVD±R/RW、SACD、CD、CD-R/RW
●再生可能なPCファイル:
AVCHD、WMA、MP3、AAC、JPEG、DivX6
●SN比:125dB
●全高調波歪率:0.0008%
●ダイナミックレンジ:110dB
●消費電力:48W
●価格:価格 ¥294,000(税込)

お問い合わせ:デノン コンシューマー マーケティング
TEL:(044)670-6612
http://denon.jp/
http://www.denon100.com/#/jp/timeline

JVCケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル Vol.17
≪スウィートなMASAKIヴァイオリンの夕べ≫・・・宮沢昭男
「ケンウッド・トワイライトイベント」第17回目は、オーストラリア在住のヴァイオリニスト、MASAKIによるヴァイオリンの夕べ。ヴァイオリニストMASAKIは横浜生まれ、シドニー育ちの作曲家でもある。自作曲によるCDを3枚リリース、4枚目のレコーディングがすでに終わったという。今回、このイベントのためにシドニーから来日。会場は超満員。
 司会・上田和秀と鈴木道子のトークをはさみ、1時間はあっという間。しかし、初めて出会ったファンにもその音楽と人となりを含め、MASAKIの今を伝えられたに違いない。少なくともリポーターを務めさせてもらったわが身としても、会場のある丸の内界隈のイメージまでガラッと変わった。都会の雑踏のイメージを変える、そんな場所がもっと増えていいだろう。MASAKIの取り上げた曲はアンコールを含め全9曲。ベートーヴェン以外はすべてオリジナルというのもインパクトとして大きい。演奏に加え、トークでも1曲1曲に込められ音楽に対する熱い思いが伝わる。

 1曲目「Inner Passion」は、しっとりした旋律に始まり、情熱と高揚感にあふれ、聴き手の気持ちを温める。バックに流れるピアノにMASAKIの熱もさらに高まる。MASAKIと会場とのこのコミュニケーションが快調に進んだ。

 最初のトーク・タイムでは、鈴木道子がMASAKIとの初めての出会いを語った。昨年、王子ホールのMASAKIが開いたリサイタルに出掛け、「珍しく気持ちの良いコンサート」という印象を持ったという。それが縁で交流が始まった。鈴木によれば、MASAKIは6歳で家族とともにオーストラリアに渡った。ご両親とも音楽家。スズキ・メソードで後進を育成し、MASAKIも両親からヴァイオリンを習った。12歳からはユース・オーケストラに入り、世界の主だったホールも体験しているという。
 当初はクラシック音楽畑を歩んだ。しかし音楽を自ら作りたいという欲求にかられて今がある。これがMASAKIの大きな魅力。「日本で演奏したい。そのためには自分の曲を」というのが、多くの音楽家との相違点ではないだろうか。鈴木の質問に答えていう。「自分の楽曲にはすべてストーリーがあり、タイトルとその内容にこだわりがある」。「言葉のない楽器という性格上、内容にこだわらなければ伝わらない」というのがMASAKIの信条だ。

 続いて「じゃからんだ」と「Infinity」。「じゃからんだ」は、冒頭旋律が繰り返し顔をのぞかせる可愛らしさにあふれ、暖かな南の空をイメージさせる。“じゃからんだ”は、オーストラリアの春に咲く紫色の花だそうだ。日本の桜に似ていてとても好まれているが、元は南米から来た「自分と同じよそ者」。「よそ者でありながら、よその土地にしっかり根付き、その元気な姿に自分自身も負けないように生きたい」という思いから作ったという。「Infinity」は“無限”。深い愛情、果てしない愛情を意味するそうだ。ゆったりと流れる旋律が印象的で、のびやかな気持ちが歌うように表現されている。

 次のトーク・パートは、鈴木が「実は自分はヴァイオリンが好きでなかった」と意外な告白から始まった。「神経質なイメージ」がどうしてもついて回っていたそうだ。が、MASAKIの音楽にはそれを感じさせない何かがあるという。「おそらく人柄が出た音楽だからだろう」と、司会の上田とともに会場の笑いを誘いながらMASAKIの本質に迫って行くあたり、TV番組「徹子の部屋」を想像していただくと場の雰囲気が分かっていただけるのではなかろうか。
 ここで鈴木がさらに意外な話を、MASAKIの楽器についてである。「クラシック畑ではいわゆる『名器』を競って追い求めるが、MASAKIの楽器は知人が作った」というのだ。
その知人は、同じく日本からオーストラリアに移り住み、MASAKIの父親からヴァイオリンを学んでいた生徒さん。その生徒さんが後にヴァイオリン制作を志し、イタリア・クレモナに修業に出て2挺のヴァイオリン制作の課題をやり遂げた。その2挺を思い出の地、オーストラリアのMASAKI親子に託したという。MASAKIもその楽器が気に入り大切に使っている。

 上田が紹介するMASAKIの人柄、音楽性が興味深い。「MASAKIのいずれの曲も、題材が自然のものであれ、歴史上の人物であれ、つねに自分の中に一度フィードバックした中から音を紡いでいる」。「この楽器も、まだ有名でないかもしれないけれど、MASAKIの気持ちが楽器を引き立てているところが良い」と。するとすかさずMASAKIが、「彼は必ず有名になります」と上田に反論して会場が笑いの渦に・・・。

 さらに会場を笑いに包んだのが、鈴木の次の質問だ。「ガーデニングが趣味だそうだけど、何を育てているのですか?」、「老人みたいですが・・・ミツバ、シソ、コマツナ」と日本の馴染みの草、野菜の名前を上げた。つまり鈴木の言いたいのは、「オーストラリア人という部分と日本人のDNAがひとつになったところがMASAKIの音楽だ」という点である。

 この日は取り上げられなかったけれど、アルバムの中に「鎌倉」という曲があり、それを作るにあたっても「彼は日本の歴史を勉強して、自分の中に日本を作って音にする。それは彼の二面性ではなくて、オーストラリアと日本の『二層』が彼と彼の音楽を作っている」。

 4曲目からはチェロの安田心裕とのデュオで、ベートーヴェンの「クラリネットとファゴットのための3つの二重奏曲」から第1番のハ長調をヴァイオリンとチェロで演奏。安田は現在、都内でスズキ・メソードの講師も務め、ふたりは世代こそ多少異なるのだろうけれど心意気は旧知の間柄のようなもの。清楚な曲想とハギレあるベートーヴェンの意気込みを、古典の醍醐味として短時間ながら伝えた。
再びMASAKIのオリジナルに戻って、「自由が丘の犬」「風速54.1m/s」。MASAKIが自由が丘に行ったとき、そこで見た子犬と彼の記憶にある昔の日本の飼い犬とのイメージのギャップから音楽が沸いたというだけあって、楽しそうな音楽だ。気取って歩いてそうな犬を思い浮かべたくなる節回しとリズム感。安田のチェロの音も深く、お洒落に仕上がっている。
「風速54.1m/s」とは、考えただけでも私たちにはあまり体験のない、想像を絶する自然の脅威だ。風速50mといえば家屋が倒れる。MASAKIは、それでも頑張りを利かせたい強い意思を表現したかったというだけあって、これまでと打って変わって短調と強烈なボウイングが心を引く。

 次はMASAKIの音楽の社会性がうかがえる音楽で「独りのダンス」。彼は最近初めて長崎に行き原爆の悲惨な様を知ったという。別のところでたまたま同じく悲惨な戦争の報道写真を見たのは、家族も友人もすべてを失った孤独な少年だった。そこからMASAKIは悲しみを共感しながら、その少年が独りで踊る姿を想像したという。物悲しい曲想の中に、少年の立ち直りと平和への希求を祈る思いが如実に示される感動的な音楽だ。

 最後に来年2月リリースのアルバムの中から1曲披露、「最後のプレゼント」。それは友人の父親が急死したことからできたという。その父親はわが子への誕生日プレゼントを用意していたが直接渡すことができなかった。英語で「プレゼント」というと、「贈り物」と「今」という二つの意味があり、「今を大切に」というメッセージを込めている。そして、「November Song」をアンコールに弾いた。オーストラリアの11月は春。これから冬に向かう日本に「暖かな思いを込めて」という趣向だ。

 会場ではCD販売も好調で、この日発足したファン・クラブに早くも多くのオーディアンスが入会していた。
 1時間の中でヴァイオリニスト、MASAKIの感性と音楽の源がどこにあるのか、その一端を垣間見ることができた素晴らしい日ひとときだった・・・。

写真:轟 美津子

≪MASAKI ディスコグラフィー≫


「Infinity/MASAKI」(DOOLOO RECORDS/DLCD-1001) 2005年9月



「Jacaranda/MASAKI」(DOOLOO RECORDS/DLCD-1002) 2007年4月



「Banksia/MASAKI」(DOOLOO RECORDS/DLCD-1003) 2008年12月 


=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)

ヴァイオリンとチェロの透明で美しい音色がクリスマス・イルミネーションに彩られた丸の内にピッタリだった。ストーリーがある曲作りをしているとのコメントがあったが、一曲一曲映像が想像でき楽しかったし、曲名も素敵だ。クラシックの分野に収まらない、新しい音楽と感じたのは私だけではないはず。日本でも大いに演奏をしてほしいと願う。(鈴木 修一)

クラシカルで優しいMASAKIのヴァイオリンの調べ。詩情豊かなその演奏を聴いていると、タイトルに即した情景が頭の中に浮かんでくる。オーストラリア育ちだけに、とつとつとした日本語の語りもいかにも彼らしく誠実さに溢れたもので、心がほんわかと暖まった一夜だった。(滝上 よう子)

演奏もさることながら、彼の書いたメロディーそのものが耳に、心に残った。限りなく優しい中に、強さがある。それは、何かを声高に主張する強さではなく、しっかりと根を張った静かな強さだ。(細川 真平)

MASAKIのヴァイオリン生演奏を間近で体感した贅沢な夜! 彼が奏でる音色は温かく、安らぎをもらいましたね。(松本 みつぐ) 

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