2010年6月 

ダンス・ダンス・ダンス Blue Note TOKYOがディスコに!・・・松本みつぐ
4月26日にBlue Note TOKYOでナイル・ロジャース&シックを思いっきり楽しんだ。「エブリバディ・ダンス」「ダンス・ダンス・ダンス」というシックのヒット曲で幕を開けたナイル・ロジャース&シックのステージ。曲名通り、観客総立ちのダンス大会が始まり、約1年振りに登場したBlue Note TOKYOを一瞬にしてディスコに変えてしまった。

ステージ・メンバーは下記の通り・・・
●ナイル・ロジャース(ギター、ヴォーカル)
●キム・デイヴィス-ジョーンズ(ヴォーカル)
●メリッサ・ヒメネス(ヴォーカル)
●ビル・ホロマン(サックス)
●カート・ラム(トランペット)
●リッチ・ヒルトン(キーボード)
●セラン・ラーナー(キーボード)
●ジェリー・バーンズ(ベース)
●ラルフ・ロール(ドラムス)
 
女性ヴォーカルふたりとキーボードのセラン・ラーナー以外は、昨年4月と同じ。ナイル・ロジャースと息の合ったグルーヴは、とても安定感がある。唯一、残念なのは誰もが思うことだが、ナイル・ロジャースと黄金コンビ築いた盟友である故バーナード・エドワーズの姿がないこと。しかし、その思いを察したようにベースのジェリー・バーンズがチョッパー奏法とパフルフルなパフォーマンスで会場を盛上げる。

シックのヒット曲の他にナイル・ロジャースがバーナード・エドワーズとともにプロデュースを手掛けたシスター・スレッジ、ダイアナ・ロスのヒット曲の演奏披露は想定内だったが、デヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」、さらにマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」をフル演奏したのには驚いた。
                  
また途中で催された“ギター・コンテスト”、課題曲は「おしゃれフリーク(Le Freak)」。シャイな民族として有名な日本人男性がナイル・ロジャースの呼びかけによって次々と4人、ステージ上に登場、大カッティング大会がはじまった。これはナイル・ロジャースの進行もうまく、予想以上(失礼・・・)に会場を沸かせた。結果、スーツ姿の仕事帰りと思われる男性が今回の優勝者。会場の拍手量の多さによって決まる審査方法と観客の平均年齢の高さがそんなスーツ姿の男性に有利だったのかもしれない。ナイル・ロジャースも彼を「ビジネスマン・スタイル!」と連呼、会場内をさらに盛上げる。
 
ニューヨーク在住でナイル・ロジャースとも親交のある後輩、DJhondaの情報によれば「最近、ニューヨークではナイル・ロジャースは、セレブやゲイのパーティーで人気者」だという。ライヴ中に観客のために写真撮影時間を設けたり、全ての客席回りながら握手にも応じるナイル・ロジャースの“観客を大切にする”姿勢を目の前にして、hondaの情報にも納得。
 
ファイナルはシックの大ヒット曲「おしゃれフリーク(Le Freak)」と「グッド・タイムス」のメドレー。特に「グッド・タイムス」は途中からナイル・ロジャースが自ら「ラッパーズ・デライト」、ラップ披露。当時、日本のディスコでも多くのDJ達が「グッド・タイムス」と「ラッパーズ・デライト」の2枚のレコードを駆使してこのシーンを作り上げていた。ナイル・ロジャースはこの展開を再現してくれたのだ。懐かしい!31年前のディスコ/DJブースにタイム・スリップさせてくれたのだ。
写真:佐藤 拓央

宝塚ミュージカル「虞美人」を観て・・・本田浩子
5月7日宝塚劇場で宝塚花組公演「虞美人」を見る。かつて、宝塚で白井鋳造氏の作・演出で大好評を博した作品を、その原作となった長与善郎の戯曲「項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)」をもとに、木村信司脚本・演出で構成し直して「虞美人―新たなる伝説―」としての上演。紀元前2世紀、秦の始皇帝亡き後の中国の戦乱の世に楚の武将項羽(真飛聖)と、漢の劉邦(壮一帆)は、互いに叡智の限りを尽くして闘っていく。

物語は虞美人草伝説の項羽の寵姫である虞姫、虞美人(桜乃彩音)と項羽の悲恋を軸に、紀元前の史実など知るべくもないが、男装の武者たちの戦乱の世の活躍は観る者を飽きさせず、ずっと後の日本の武将達が覇権をめぐってしのぎを削った戦乱時代もこうだったかもしれないと思わせる脚本・演出は見事としかいいようがない。

男役トップの真飛聖演ずる項羽と、壮一帆の劉邦は、共に動きといい演技といい男優顔負けの凛々しさと美しさで、魅了する。木村信司作詞の音楽(長谷川雅大・手島恭子)はいずれも馴染みやすく、演者たちの歌声も聴いていて心地よく、耳に残る。

「私には羽根がある」は戦乱の世の武将の心意気を項羽が歌う。
私には羽根がある
人にはない羽根がある
羽根を持って生まれたからは
羽ばたけるかぎり 飛べと
幼いころに亡くなった
父の声がこだまする

「赤いけしの花」は命の儚さを歌う。
赤い花びら 恋のいろ
燃ゆる心の 虞美人草
咲けば散るもの 枯れるもの
なぜに咲くのか 美しく

伝説によれば、項羽が劉邦に敗れて追い詰められた時に、死を覚悟した項羽の歌に合わせて舞った後に虞姫は自刃、彼女を葬った墓に赤いヒナゲシが咲いたことから、別名虞美人草と呼ばれるようになったと言われるが、舞台はその伝説通り、虞美人に自刃させ、項羽の悲しみと共に涙を流している観客もみられた。フィナーレは真っ赤な衣装の虞美人草たちによるロケットがいかにも花のように可愛らしく、心を和ませてくれた。

出演は真飛聖、桜乃彩音、壮一帆、愛音羽麗、梨花ますみ、夏美よう、未涼亜希、桜一花、他。

LIFE IS GOOD 発売記念ライヴ ≪1≫・・・鈴木 修一
5月21日 アルバム『LIFE IS GOOD』 発売記念ライヴが原宿のライヴ・ハウスCROCODILEで行われた。この日、東京は今年初めての真夏日となった。金曜日の午後1時すぎ、 この時間と太陽と原宿にあまり似つかわしくない、年齢不詳の大人達が小さなビルの階段を下りて行く、少し不思議な光景が見られた。

『LIFE IS GOOD』、演奏しているユニットに名前はまだない。しかし、そのメンバーの名前を聞けば1970年代に青春、ロックンロールしていた人達は色めき立つ。元キャロルの内海利勝、クールスのジェームス藤木、元ダウンタウン・ブギウギ・バンドの和田静男と人気グループのギタリストが集まったのだ。

3人を結びつけたのは、アルバム・プロデューサーである、JBスタジオの小川清氏。その制作理由「この3人が、一緒に演奏しているアルバムを作り、音を残したかった」と語ったが、3人は「小川氏の思い込みと自己満足の作品だと思うが、出来上がった作品は素晴らしいモノが出来た」と、冗談を交えて語っている。

発売記念ライヴはローリング・ストーンズ・ナンバーにのってMCのマイク越谷氏が登場しスタート。3人の挨拶などがあり、乾杯へ。音頭を取るのは重鎮ミッキー・カーチス氏。「このメンバーなら最高のモノが出来ていると思う、最近はガキの音楽が多いので、是非売れて欲しい」と会場を盛り上げた。会場にはジョー山中氏、元ヴィーナスのコニーさん、クールスのメンバーの姿も見られた。

ライヴは2セットに別れて行われ、最初に登場したのは、内海利勝(ギター、ヴォーカル)、松本照夫(ドラムス)、吉田良三(ベース)、恩田直幸(キーボード)。1曲目は「壊れた街」。内海の作詞・作曲でレコーディングもこのメンバー。いきなり、男の切なさを歌うブルースから始まり、会場は夜の雰囲気に変わった。”優しさが 実をつけて こぼれ落ちてくる” 大人のフレーズに心奪われる。2曲目はゲスト・ヴォーカル が登場。キャロルの名曲「ヘイ・タクシー」を金子マリが歌う。レコーディングの時、内海は「キャロルの曲とわからないように歌って欲しい」と金子にリクエストしたそうだが、完璧に金子マリのブルースになっていた。そして、内海の「もう一曲ブルースやろうよ」の誘いで、アルバム収録曲ではないが、「彼女の笑顔」をセッションした。

2セット目に入る前にはトーク・セッションが行われた。
3人は「縦社会だからね」と言い、座る順にこだわったが、年齢はジェームス、和田、内海の順のようだ。司会者、会場からの質問に彼らが答えていく。「ギタリストが3人いてやりにくいことはなかったのか?」の質問には、内海が「もう、歳なんだし競い合うことはないからね、それぞれ、役割は良くわかっているし問題はなかった」と答えた。「昔、それぞれのグループは仲良かったの?」の問いには「キャロルとクールスは良い関係だよ、キャロルとダウンタウンとは2回ぐらい大乱闘しているかな(笑)」。「それぞれのバンドが、再結成などして、今後一緒の舞台に立つ可能性は?」の会場からの問いには、ジェームスが「おかげさまで、まだ、メンバー誰も死んでいないから可能性はあるよね、生きてる間は可能性あるよ」と期待して良いのかわからない答えが返ってきた。そして、面白かったのは「今の音楽シーンをどう思う?」と言う質問。和田は「若い人達、上手だね」。
内海は「今は、怒っている歌がないね、安心している歌が多い。世の中、何も問題がないのかな…と思うね」。ジェームスは「……」だった。そして、デイリースポーツの記者から、「ユニット名は?」との質問。3人のグッド・ギタリストで≪3G≫はどうかなどの答えが出たが、デイリースポーツの紙面でユニット名を応募することで決着、翌22日の紙面に応募記事が掲載されていた。

その後、2セット目のライヴに。
内海利勝(ギター)、ジェームス藤木(ギター、ヴォーカル)、和田静男(ギター、ヴォーカル)、妹尾隆一郎(ブルース・ハープ)、小野寺宏実(アコースティック・ギター)、小川孝(ベース)、島崎敦史(キーボード)、くまくらたかし(ドラムス)。ギター3人が揃った。1曲目は「陽の当たらない町」。クールスのヴォーカル村山一海が登場。3人のギターが心地よく響く。それぞれの距離感が聴く者に心地よいアレンジとなっている。
2曲目は「君の窓辺に」。ジェームスの作詞・作曲、ヴォーカル。イントロの美しさが秀逸。そして、その後に続く70年代を思わせる懐かしいメロディー・ラインは涙ものだ。3曲目は和田がフィーチャーされた「生きているうちが花なんだぜ」。宇崎竜童の作品を和田が渋い声で歌い上げる。これは、年齢を重ねた、今だから、表現できる歌だろう。そして、タイトル曲の「LIFE IS GOOD」。村山一海、ジェームスのクールス・コンビが作った、キャッチーな曲。3人のギターを十分に堪能できる。最後はアルバムでもラストに入っている、「ロックンロール・メドレー」。それぞれのグループのヒット曲、「ヘイ・ママ・ロックンロール〜スモーキン・ブギ〜シンデレラ」を繋いでいく。どの曲も古さを感じさせない。

アルバム9曲中、7曲を披露してくれたが、年齢を重ね、様々なジャンルの音楽に関わり、今でも音楽が大好きで、ロックし続けている、ロック親父だから作ることが出来たアルバム、それが『LIFE IS GOOD』だ。同世代の人達の共感を呼ぶことは間違いないと思うが、是非、若い人達に聴いて欲しい、日本にも、こんな格好の良い歌があり、こんなに格好良く歌を歌う大人達がいることを知ってもらいたい。それぞれのヒストリーをリスペクトし、新しい世界を作っていく素敵な大人達のユニットだ。

アンコールでは、ミッキー・カーチス氏、コニーさんも加わり、「ジョニー・B・グッド」で盛り上がった。今後、このユニットでの活動も続けていくという。どんなステージを見せてくれるのか楽しみだ。そして、また誰かがゲストで加わってどんどん、輪が広がっていくのではないかと期待させられる。日本のロックンロールはとてもクールだ。
写真:竹内英士

LIFE IS GOOD 発売記念ライヴ ≪2≫・・・上田 和秀
タレントのベッキーの父親が言った一言「Life Is Good」が余りにもカッコ良かったことから始まった『LIFE IS GOOD』!メンバーが凄いので驚くなかれ、元キャロルの内海利勝、クールスのジェームス藤木、元ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの和田静男という伝説のバンドの名ギタリスト3人衆だ。ただし、『LIFE IS GOOD』は曲名であり、アルバム・タイトルではあるが、3人のユニット名ではない。ミッキー・カーチスの乾杯の音頭で、とびっきり盛大でカッコ良いパーティーは幕を開けた。

この日のファースト・ステージは、内海利勝のヴォーカル曲「壊れた街」からスタートし、金子マリが加わり「ヘイ・タクシー」へと続いた。内海利勝は、実に楽しそうに演奏している。勿論、金子マリのヴォーカルは、未だに衰えを知らないパワーと上手さを兼ね備えている。この後ジェームス藤木と和田静男を加え、司会のマイク越谷を中心に4名のトークが繰り広げられた。

セカンド・ステージは、3人のギタリストにヴォーカル村山一海、ブルース・ハープ妹尾隆一郎ほかがジョイントしアルバム・ナンバーをノリノリで聴かせてくれた。特に、ダウン・タウンでは全く歌う事のなかった和田静男の「生きているうちが花なんだぜ」は、その渋いヴォーカルとギターのフレーズが中高年への応援歌として、胸に響いた。内海利勝は、ストラトキャスターを指で、ピックで、ボトルネックで弾きまくり、ジェームス藤木は、アイバニーズのセミアコを抱えて、バッキングを楽しむ姿が印象的だった。そして、その風貌と時折レスポールから強烈なヴィヴラートを響かせる和田静男に、和製ジミー・ペイジを見出したのは私だけだろうか。3人の力強い歌声とギターが、「ボケた目を覚ませ」と檄を飛ばしているように思えた。

ラストは、ミッキー・カーチスを中心に、ここに集まったミュージシャン全員による「ジョニー・B・グッド」で幕を閉じた。確かに今日ここに集まったメンバーの年齢的は高い、しかし精神年齢は間違いなく10代もしく20代といったファンキーな中高年だ。これから始まるこの3人のライヴは、中高年だけでなく是非若い人にも経験して欲しい。なぜなら、このメンバーのパワーが本物であることを全身で体感して欲しいからだ。
写真:竹内英士

LIFE IS GOOD


ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンの息子
≪ジュウベイ・リチャード・マッコーエン≫日本デビュー・・・池野 徹
1960年代後半、イギリスで、スコットランドのエディンバラから、登場したのが、ベイ・シティ・ローラーズ。タータン・ギアのコスチュームで5人組“タータン・ハリケーン”と呼ばれ、イギリス・アメリカ・日本と熱狂的な社会現象を引き起こした、超人気アイドル・グループになった。その中心にいたのがヴォーカリスト、レスリー・マッコーエンである。その甘いマスクと歌声で、多くのファンを魅了した。日本の若者が家出をしてイギリスで発見されると言う事件まで起きている。代表ヒット曲は「Bye Bye Baby」「Saturday Night」「I Only Want To Be With You」ほか数多くのナンバーをヒット・チャートに送り込んだ。日本にも数回来日している。しかしグループは、メンバー・チェンンジを繰り返し、ふたつのローラーズが存在する状態。現在は、レスリー・マッコーエンは、本国で≪ROLLER MANIA≫と銘打って、「レジェンダリー・ベイ・シティ・ローラーズ」で公演を続けている。

そのレスリー・マッコーエンと結婚したのが日本人、月岡啓子(通称ペコ)だ。1983年、ロンドンの教会で結婚。後に日本で、文金高島田、レスリーは丸坊主の羽織袴で、父が僧侶だったので仏前で結婚、当時話題をさらったものである。その息子が、ジュウベイ・リチャード・マッコーエン(月岡十兵衛・84年生まれ)だ。リチャードは、レスリー似の、甘いマスクで、モデル、俳優として活躍。舞台『Loyal Albert Hall』でマダムバタフライ役を演じたほか、映画『Harry Potter』にも出演している。カンフー、剣道、棒術、チャイニーズ刀を嗜み、ロンドンのPAK MAIKUNG道場で、カンフーのインストラクターもやる身長180cmの好青年である。昨年の後半から日本へ母親と来日、歌、ダンス、演技のレッスンを積み、日本で歌手として登場することになった。

リチャードは、レスリーの大ヒット曲「Saturday Night」を日本語訳カヴァーしている。現在、「SATURDAY NIGHT '10」(01-CM、02-十兵衛の土曜日)として、配信限定シングルでビクター・エンターテインメントより発売予定。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A023057.html

BCRの「Saturday Night」は、上戸彩の出演CM等にも最近は使われ、CMランキングで急上昇している。レスリーは、息子のリチャードに「オレより上手く歌うなよ」と言ったとか。日本マーケットにベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンの息子、ジュウベイ・リチャード・マッコーエンが日本デビューなのだ。もちろん当時のBCRフリークにも注目されるだろう。また、多くの若いファンも気に入るはずだ。日本での親子共演も夢ではない。Saturday Night !

*ジュウベイ・リチャード・マッコーエンのページ
http://www.f-w.co.jp/pickup/jrm.html

ジャパニーズ・ロック・インタビュー集 発売記念トーク・ライヴ・・・鈴木 修一
マイクさんこと越谷政義氏が著した「ジャパニーズ・ロック・インタビュー集〜時代を築いた20人の言葉〜」の発売を記念したトークショーが4月24日タワーレコード渋谷店で行われた。本を購入した150名が参加できる特別イベント、筋金入りのジャパニーズ・ロックファンが集まった。

マイクさんの対談相手はインタビュー集にも登場する仲井戸“CHABO”麗市氏。マイクさんはいつものとおりストーンズをバックに登場、CHABOさんは、ボ・ディドリーで登場した。 二人は同じ年で、越谷くん、CHABOくんと呼び合う仲だそう。
同じ時代をロック一筋に駆け抜けてきた二人だからわかり合える興味深い話がスタートから全開となった。実家がソノシートを作っていて音楽に触れるようになったCHABOさん、4歳からクラシック・ヴァイオリンを習っていたというマイクさん。子供時代の体験から始まり、現在までを、お互いに質問し合いながら絶妙なテンポで、笑いを交えながら話は進んでいった。マイクさんのトークは本職だが、CHABOさんの当意即妙な答えには、驚かされ引き込まれた。二人のエピソードは日本のロック、ポップスの歴史そのもの。結局、日本のミュージック・シーンはこの年代の人達が切り開き、今も牽引しているのだと感じさせられてしまった。

こんなエピソードも・・・、1970代前半にフジテレビで放送されていた「リブヤング!」という番組があったが、マイクさんは、洋楽紹介のMCをつとめたいた。ある日のゲストはCHABOさん、ところが何が気に入らなかったのか、生放送にもかかわらずCHABOさん演奏せずに帰ってしまったとい。レアな話題が次々に飛び出してくる。クイズ大会で二人のサインがもらえたり、ストーンズの新曲紹介など盛りだくさんのイベントとなった。

冒頭でマイクさんはこの本を著すきっかけをこう語った、「昨年、友人で元テンプターズの大口広司氏が亡くなった。彼とストーンズやロックについてをいろいろ語り合った。でも、そのことを残しておかなかったのが残念だった。洋楽については多く書いてきたが、日本のロックを一冊にまとめたのは今回が初めて。友人の死が起因となり、ジャパニーズ・ロッカーズたちにインタビューをはじめた」。

この本に登場するミュージシャンの年齢差はなんと30歳を超えている。しかし、そこには年齢を超えた熱いロック魂がたったひとつのモノとして感じられた。マイクさんの思いが引きだしたひとつの答えだったかもしれない。読み物としても面白いが、日本音楽史の資料としても貴重な一冊だといえる。
写真:池野 徹

ジャパニーズ・ロック・インタビュー集~時代を築いた20人の言葉~


ヴァンス・K インタビュー・・・鈴木 修一
ヴァンス・Kが再始動します! FMヨコハマの土曜お昼の番組」「Smilin'! Groovin!"でおなじみのヴァンス。音楽活動は年に数回のカヴァイハエでのライヴ以外、行っていませんでしたいよいよ、動き始めます!新しいバンドの名前は"Vance K BAND"!! このシンプルすぎるぐらいのネーミングにヴァンスの気持ちが詰まっています。
これから、どんな音楽活動をしていくのか、何を目指すのか、このインタビューに全ての答えがあります!

【Vance K (ヴァンス・K) プロフィール】 ハワイ ビッグアイランド ヒロ出身の日系4世。ハワイのラジオ局KKBG-FMで活躍後、1993年来日。FMヨコハマ、インターFMなどで人気ラジオDJとなる。現在、FMヨコハマで土曜の番組"Smilin'! Groovin!"を担当している。
音楽活動もアイランド・ミュージック・バンド”Kawaihae”のリーダー として活躍したが、仕事の関係でメンバーがハワイと日本に別れてしまったため 、4年ほど前より年に数回のライヴを行うにとどまっていた。
しかし、2010年"Vance K BAND"を結成し活動を開始した。新しい、ヴァンスに注目をしたい!

Q:カヴァイハエ以来、音楽活動を積極的には行っていませんでしたが、今年2010年”Vance K BAND"を始めることに、その理由からお聞かせください。
Vance:カヴァイハエでやっていたときに、自分達の音楽を聴いて、楽しんでくれている人達を見ていると、音楽は本当に素敵だなと思って、もっとやりたいなと思っていたんですけれど、カヴァイハエはそれぞれが いろいろなところに行ってしまい、年に2回ぐらいしかライヴが出来なくなってしまいました。最近、ManoaDNAなどと一緒にやらせて貰える機会があったのですが、飛び入りとかではなく、自分の音楽をやりたいなと強く思うようになりました。周りの人からも自分のバンドを作ればと言われていましたが、自分に自信がなかったんです。何故かと言えば、カヴァイハエは自分にとって最高のバンドだと思っていたから、自分だけでは越えられないと思っていたんです。でも、親しい人達から、パフォーマンスのことだけではなく、作っている曲をみんなに聴いてもらったり、自分の気持ちをみんなに伝えることはとても大切なことだから、やってみたらどうかと言われて決心しました。

Q:以前インタビューしたときに、カヴァイハエ以外では音楽やるつもりがないと言っていましたが、音楽に対する欲求とか演奏できないフラストレーションがたまっていたのかな。
Vance:そうですね。僕はソングライティングも好きなので、以前から書いていますが、カヴァイハエに合わない曲もあって、それをどうしようかなと思っていたんですね。友達に聴かせたら、良いと言ってくれて、 歌えばと言われたんです。でも、歌うところがない、フラストレーションもあったので今回はやってみようかなと思いました。自分で気づいたこともあったし、 考え方がすこしずつ変わりました。

Q:自信がない・・・。
Vance:自分は、ヴォーカリストが好きなんです。いろいろな人のテクニックとか表現の仕方なんかを聴いて、すごいなと思っているんです。たとえば、スティーブ・ペリー(アメリカの歌手、ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリスト)なんか大好きなんです。でも、自分の歌を聴いてもチョー普通だなとしか思わなかったんです。そういうコンプレックスがあったんです。

Q:次のバンドでカヴァイハエのメンバー以上のメンバーと出会えるかという不安もありましたか。
Vance:それもあったね。カヴァイハエの存在は大きかったね。10年間やっていたから。Vance K BANDを始めても、前みたいに、大きいところでいきなりは出来ないから。でも、カヴァイハエをライバルだと思ったり、越えようと思っているわけではないね。自分の作っているものを完璧に・・・、ちゃんとやりたいと思っている、Vance K BANDでは。楽しいステージなんだけれど、完璧を目指している。音楽もマーケティングも、たとえばステッカー一枚にしてもそうだね。マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見てスケールは違うけれど、感じるモノがあったし、あんな気持ちで取り組みたいと思っています。

Q:新しいバンドのコンセプトは。
Vance:カヴァイハエの場合はパーティー・バンドで楽し くて、ハッピーでルンルンといった感じだったんだけれど、Vance K BANDはもうちょっと、おしゃれで楽しい、大人の楽しさかな、もっと深く音楽をやっていきたい。もっとミュージシャンとして音にこだわってやっていきたいね。そういう意味で今回集まってくれたメンバーは全員プロ・ミュージシャンで最高な人達が集まってくれた。すごくうれしい。みんな、ナイスガイだね。当分はこのメンバー中心でやりたい。この中で僕が一番経験がない。他のメンバーにすごく助けられているからね。アドバイスもくれるし。

Q:Vance K BANDでは何を伝えていくのですか。
Vance:僕はバラードが好きで、ちょっと恥ずかしいけれど愛の気持ちを伝えたい。僕はハワイアンだから、それはAlohaの気持ちから来るんだけれど、Alohaばかりを言ってしまうとハワイアンのバンドと思われてしまうよね。なんだろう、ポップ・ハワイアンかな。この世界に足りないモノを僕たちの歌で少しでも補えたらいいよね。分かち合う、シェアー出来たらと思っています。ハワイだけにはこだわりません。僕はポップスが大好きで、作る曲にウクレレが入っていなければハワイ・テイストがほとんどなかったりするから、ポップ・バラード。

Q:ファンからはもっとハワイを伝えてと言われないですか?
Vance:すごく、言われますよ。新しく作ったホームページも「もっと、ハワイっぽくした方が良いんじゃない」と言われました。でもあのデザインが僕のやりたい方向性を表しているんです。ロックっぽいかな。 まだまだ、ハワイアンを好きな人は少ないですよ。メインストリームではない。僕は今度のバンドでメインストリームに行きたい。もちろん、ハワイは僕のベー スで絶対なくならないし、忘れることもないけれど、ミュージック・シーンのメインストリームで勝負したいと思っているんだ。

Q:たしかにハワイアン・ミュージックはマイノリティーです。だから、ヴァンスみたいにラジオ番組をやっていて、ハワイ出身の人にハワイアン・ミュージックをもっと広めて欲しいと言う思いが僕にはあるのだけれど。ヴァンスにはそういう役割があるんじゃないですか。
Vance:そうだと思います。みんなのおかげでラジオ番組をやれて、メディアの力が大きいのはすごくわかりました。ラジオで自分のライヴの告知が出来るなんてホントに幸せなこと。自分の音楽活動とは別に、もちろんそういうこともしていきたいよね。

Q:ハワイアン・ミュージックをもっと広めるには・・・。
Vance:う〜ん!大きなフェスティバルとか増えているし、多くの人に聴いてもらえる場は増えていますよね。それはとても良いことだと思う。難しいのはビジネスとしてどうか、ということ。ビジネスが絡むと難しいね。でも、リスナーの反応は良くなっていますよ。ハワイアン・ミュージックを受け入れてくれています。以前、インターFMでやっていた頃は4時間の番組で1曲ぐらいしか流せなかった。それでもクレームが来ることがあった。今はFM横浜で20分かけていますから。あとは、僕たちもハワイの曲とポップスやロックをどう混ぜていくかを考えています。ハワイアンだけをやっていたら、興味のない人はすぐ聴かなくなってしまうけれど、その中にボン・ジョヴィやバックストリート・ボーイズの曲を入れてやったら、 あれって思って立ち止まってくるかもしれない。そんなことも大事かなと思っている。もっとみんなに聴いてもらえる方法を考えなきゃいけないですね。

Q:ヴァンスがミュージック・シーンのメインストリームで頑張ってくれたら、ヴァンスが紹介するハワイアン・ミュージックがもっと広まるよね。
Vance:そうなると思う。ハワイアン・ミュージックは本当に素晴らしいし、すごいミュージシャンがいっぱいいるから。コテコテのトラディショナル、たとえばナー・パラパライから入るか、コンテンポラリー・ハワ イアンから入るか、もっとレゲーっぽいモノからなど入り口をたくさん用意してあげた方が良いと思うね。入り方は自由だし、ハワイの音楽もひとつではないから。

Q:現在のハワイの若者にとって、メインストリームはどんな音楽ですか?
Vance:これはもう、完璧にハワイアン・レゲー。若者達はみんなこれですね。それも、昔のジャワイアンといった感じではなくて、コテコテのレゲーです。日本に紹介したいニュージシャンが沢山いますよ。

Q:今後の活動は・・・。
Vance:ライヴをたくさんやりたい。月に3〜4回はやりたいね。そして、オリジナル曲をCDか配信かわからないけれど出したい。オリジナルは結構たまっています。すぐに出せる曲だけでも20曲以上はあります。選曲もいろいろ広いジャンルから選びたいと思っています。本当はギターをやりたい気持ちもあるけれど、持ち運び大変だから(笑)。それは他のメンバーにまかせてウクレレを弾きます。それも、ロックっぽい弾き方だったり、レゲーぽくだったりといろいろやります。オリジナル曲を聴いて欲しい。ハワイ生まれだけれど、日本生活がもう16年になりました。ハワイへの愛もあるけれど、日本への愛もたっぷり入った歌を聴いて欲しいですね。世界は愛が少し足りない気がします。みんな優しくて、愛があるけれど、まだ少し足りない。もう少しあればいいよね。僕たちの音楽がその少し足りないところに役立てばうれしいね。

Q:ライヴのMCも少し変わりますか(笑)。
Vance:(笑)そうですね、このバンドでオヤジギャグをバンバンはまずいんで、大人のMC 、ミュージシャンらしいMCにしようかなと思っています。歌も楽器も今までにないぐらい練習している。ミュージシャンとして本当に上手くなりたいから。良い曲もいっぱい作りたいし。Vance K BANDはそういうバンドだから。ハワイのフィーリングを感じさせるポップスを聴きたいときは是非遊びに来てください。次の朝、起きるときに昨日楽しかったなと気持ちよく起きられるステージをやります。ファミリーだったり、恋人だったり、みんなで遊びに来てください。これから出来るだけたくさんのライヴをやりますから。よろしく!

写 真:Shu Suzuki

*Vance K Band OFFICIAL SITE
http://www.vancekband.com/vancekband/Vance_K_Band_Home.html
*Vance K Band is on Facebook
http://www.facebook.com/pages/Vance-K-Band/101682639872011

JVC ケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル VOL.12
素晴らしかったボブ・ディラン日本公演≪ディラン・ナイト!≫・・・滝上 よう子

5月20日に開かれた「JVC ケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル」は回を重ねて12回目。これでちょうど1年が経ったことになるが、今回も会場に入りきれない程の盛況で、イベント自体も例月にも増して聴き応えのあるものだった。

タイトルは、先日の来日公演でクラブ・ツアーを行って話題を呼んだボブ・ディランに焦点を当てた≪ディラン・ナイト≫。ディランを語るには欠かせない菅野ヘッケル氏を始め、ディラン・フリークの中川五郎氏やサエキけんぞう氏(3人共にミュージック・ペンクラブ・ジャパンの会員でもある)、それにディランが大好きという若手の女性デュオ、THE DUETによるライヴもあるとあって、いやが上にも期待は高まる。

まずは、日本で撮影されたことで話題となった「タイト・コネクション」のプロモ・ビデオ上映でスタート。続いて、いつものストーンズ・ナンバーをバックに登場したMike Koshitani氏の紹介でTHE DUETが登場、ディランについての語りを交えながら「I WANT YOU」「ディポーティーズ」「ONE MORE CUP OF COFFEE」の3曲をギターの弾き語りで披露。二人とも1960〜70年代のディランの活躍を知らない世代で、ひとりはまだ19歳という若さにも驚かされたが、美しい歌声から紡ぎ出されるクリアーな日本語のメッセージがとても新鮮で、その真っすぐな歌唱が皆の心に染み渡っていくようだった。

会場にいらしていた方の中にも先日の日本公演全てを見たという人がいらしたが、菅野ヘッケル氏は更にソウルにまで足を延ばしたそうで、中川五郎氏、サエキけんぞう氏を交えてのトーク・セッションでは韓国と日本の観客の違いや毎日変わったというセット・リスト等、クラブ・ツアーの話を中心に興味深いトークが繰り広げられた。けんぞう氏がディランの歌声を“胆汁”のようと表現したのにも妙に納得させられたが、一番の聞きものはヘッケル氏が明かしてくれたディランのオフの姿。彼の偉大さについては誰もが認めながらも、どうしても近づき難いイメージがあるが、宝塚や歌舞伎を見に行った等というエピソードの数々で、少しは彼が身近に感じられたのではなかろうか。

最後はけんぞう氏と五郎氏によるライヴ・タイムで、まずけんぞう氏が、メロディーに載せる詞(譜割り)の言葉が多くなったきっかけの曲だというディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を、オリジナルのCDにのせて手書きのメッセージ付きで披露。機関銃のような言葉の放出がいかにも彼らしいパフォーマンスだった。

そしてトリをつとめたのが五郎氏のライヴ。まず、ボブ・ディランに触発されたというお馴染みの「受験生ブルース」のオリジナル・ヴァージョンを、新たに書き加えた歌詞を交えて披露(高石友也のヒット曲として知られるが、作詞は五郎氏だ)。続いて横須賀の街で歌い続けている友人を歌った「1台のリヤカー」、前政権の“狸親父”の言葉を並べて皮肉った「お手並み拝見」を説得力ある歌唱で歌い上げ、会場を魅了した。

更にはTHE DUETを再びステージに呼んで、3人で極め付きの「時代は変わる」「ライク・ア・ローリング・ストーン」を熱唱。終わってみれば予定時間を30分以上も過ぎていたが、誰もが時が経つのを忘れていた程、引き込まれていたように思う。出演者の年代も個性もヴァラエティーに富んでいながら、根っこの部分では皆、ディランとつながっている。時と場所を越えて私達を触発し続けるディラン。紅白歌合戦のキャッチフレーズではないが、歌の力、言葉の重みをあらためてひしひしと感じさせられた密度の濃いイベントだった。
写真:轟 美津子
                  
=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)

1960年代半ばの若者が牽引したカウンター・カルチャーの時代を懐かしく思い出させた。また「時代が変わってしまった」ことも確認させた、なかなか貴重な一夜であった。(石田 一志)

THE DUETのアコースティック・ライヴに始まり、菅野ヘッケル・中川五郎・サエキけんぞう・マイク越谷による中身の濃いボブ・ディラン裏話、サエキけんぞうによる危ない歌詞説明付ライヴ・パフォーマンス、そして中川五郎によるプロテスト・ソング・ライヴとケンウッド・イベント始まって以来のバラエティに富んだ内容は、出演者全員の個性がカラフルなトーンとなって表現され、この日集まった観客を120%満足させる内容となった。(上田 和秀)   

菅野ヘッケル、中川五郎、サエキけんぞう、皆さんMPCJのメンバー。さすが、ディランに造詣が深く、それぞれの思いでディランについて語り、歌ってくれた。100分では物足りないほどの内容だった。それにしても、ヘッケルさんのディラン情報には本当に驚かされる。THE DUETの優しい感じも良かった。(鈴木 修一)

韓国公演を含め、ボブ・ディランの全アジア公演を制覇した菅野ヘッケルはじめ、中川五郎、サエキけんぞう、THE DUETと多彩な顔ぶれが、熱くディランを語り、演奏したのに感動し、心から楽しんだ一夕でした。ディランが常に世の中に向かって毅然たる態度と文学性をもってメッセージを発していることも、再認識させられました。(鈴木 道子)

菅野ヘッケルさんによる、ボブ・ディラン来日ツアーの総括は、ディランに対する熱い思いに満ちていて、聞いているこちらまでワクワクした。中川五郎さんとTHE DUETの歌には、軽々と世代を越えて影響を与えるディランのパワーを感じた。サエキけんぞうさんの、ディランに対する鋭い分析力とそれに基づくパフォーマンスには脱帽。こうして様々に、ディランは愛され続けているのだと再認識させられた。(細川 真平)

実は私、フォークソング系は苦手です。従って、ボブ・ディランもエレキ・ギター&皮ジャン以降の楽曲しか、対応出来ません。そんな一抹の不安を抱えながら迎えた今回のイベント。不安を払拭してくれたのはサエキけんぞうさんでした。通常の2倍以上のボリュームがある歌詞を一気に早口で歌うサエキさんには、ラッパーとクラブ・ミュージックの匂いを感じた。また、ボブ・ディランの芸術的な歌詞の韻のふみかたは、ラップのライムと比較すると、とても興味深いことに気付いた夜でした。(松本 みつぐ)

このページのトップへ