2009年8月 

<Now and Then>
爽やかな夏の夜の野外劇場 ・・・・ 本田 悦久 (川上 博)
 ヨーロッパの劇場は今の時期 (7〜9月)、夏休みが多い。替わって、野外劇場の出番だ。ハンガリーでは、「ジーザス・クライスト・スーパースター」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「エリザベート」といった大作が、ブダペストから南へ200キロの地方都市セゲッドの野外劇場で初演され、秋風とともにブダペストへ移った。
本物のヘリコプターが飛来したり、野良猫が跳び入りで出演するハップニングがあったり、野外劇場には予期せぬ面白さもある。筆者が野外で出会った最高の舞台は・・・・。

☆ハイデルベルグ城内の「学生王子」
ハイデルベルグ城内中庭のオープン・エアー・シアターでロンバーグの「学生王子」とは、夏の夜に何とお誂え向きのお膳立てだろう。サンフランシスコで「フラワー・ドラム・ソング」に出会ったことがあるが、それ以上のご当地ミュージカルの決定版のようなものではないか。

 1994年8月13日、滞在していたミュンヘンから3時間の直行列車に乗った。車内検札がきて「キャバレー」のクリフォードの気分で暗い時代に想いを馳せていると、いつの間にか窓の外は暗くなり、大粒の雨が降ってきた。野外劇場で雨だったら、お手上げだ。ハイデルベルグよ、晴れてくれ! 「ガイズ・アンド・ドールズ」のスカイ・マスターソンの心境で運を天にまかせると、シュトゥットガルトを過ぎたあたりから青空になっていた。

 ハイデルベルグに着くと早速お城に向かい、会場を下見した後、原作「アルト・ハイデルベルグ」のモデルとされている酒場ローター・オクセンに寄ってみる。現代のキャシーはといえば、東洋系の女性が甲斐甲斐しく働いていた。これも時代の流れか。劇中の学生達のように「ドリンク! ドリンク! ドリンク!」といきたいところだが、一人では意気も上がらず、制作・演出のヘルムート・ハイン氏との約束時間も近づいたので、ワン・ドリンクだけにしてお城に戻る。

 中庭に設えた舞台は固定されているが、客席は演目と入場者数によって調整自在で、その日は600席が用意されていた。入場料は19マルクから44マルク (当時のレートで2,820円) まで4段階に分かれていた。この演目、1974年に始まり、夏の定番になっており、客の大部分がアメリカ人なので、英語で上演される。日本人客は殆どいないということだったが、広告などさっぱり見当らないし、情報が届かないからだろう。昼間は大勢の日本人がお城を訪れており、案内書に載っている学生酒場には日本語のメニューが置いてあって、日本の若者グループで賑わっているのだから、ガイド・ブックの夏の行事欄にでも紹介されれば、観に来る人が相当いるのではないか。

 開演時間の8時になっても、陽はまだ高い。舞台上手方向に屋根付きのオーケストラ・ボックスがあり、舞台との間の坂道を指揮者が足早に下りてくると、いよいよ開演。架空の王国カールスブルグの皇太子カール・フランツがドイツのハイデルベルグ大学に留学し、学生達のアイドルだったウェイトレスのキャシーに恋をする物語。正面の舞台だけでなく、両横や背後の建物、階段、路地を縦横に使って、劇は進行する。皇太子一行が大学に到着するシーンは、2頭立て馬車で颯爽と現れる。キャストの殆どがオペラ畑の人たちで、マイク無しのナマ音が、静かな夏の夜の城内に快く響く。皇太子役のケヴィン・タルテのテナーも、キャシー役のドーン・マリー・フリンのソプラノも美しい。彼はハンブルグの「キャッツ」や「キャバレー」に、彼女は「ショー・ボート」や「オクラホマ!」に、エンゲル博士役のアヒム・ニージーラは「マイ・フェア・レディ」「ポーギーとベス」等に出ていて、ミュージカル経験の豊富な役者が揃っていた。

 オペラのときは実物は使わないそうだが、ここでは本物のビールやシャンペンで実感を出した。9時を回った頃には夜のとばりも下り、幕間には観客もビールのジョッキを傾けながら、夏の夜のひとときを大いに楽しんだ。

 ところで、前の年には2〜3回雨に遭い、会場を城内の大広間に移して上演したそうだが、それはそれで、また趣があると思われる。

TOKYOを照らせ!ストーンズ・ナイト!! 7月3日 初台The DOORS・・・町井 ハジメ
 昨年から今年にかけ日本全国で大ヒットを記録した映画「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」のDVD/Blu-rayでのリリースを記念し、7月3日初台The DOORSで≪TOKYOを照らせ!ストーンズ・ナイト!!≫と銘打ったイベントが開催された。このイベントは自他共にストーンズ・フリークを認めるミュージシャン達が集まり、オリジナル曲とストーンズのカヴァーを次々に披露するというものだ。

 トップバッターのVESSEは、村八分やRCサクセションを髣髴させるR&Rバンド。ヴォーカルJunが激しいステージ・アクションで「2000光年のかなたに」「チャイルド・オブ・ムーン」等を熱唱。続いては、圧倒的な存在感を持つジョージ(ex.自殺〜ウイスキーズ)率いる藻の月が「悪魔を憐れむ歌」「サティスファクション」等を演奏。
「この世界に愛を」を日本語でカヴァーしたPyanoは、あのルージュのギタリスト、オスを中心とした4人組。そしてストーンズ・ファンを吃驚させたのが、メイク&衣装バッチリのヴィジュアル系バンド、_:Vout(アヴァウト)。独自の世界観をキープしつつ「ビッチ」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をカヴァーした。

 この日のMC、Mike Koshitani氏の解説による「シャイン・ア・ライト」紹介の後、会場のスクリーンに映し出されたのは、1969年に行われたハイドパーク・フリー・コンサート冒頭でのミック・ジャガーによるブライアン・ジョーンズ追悼詩の朗読シーン・・・そう、このイベントが行われた7月3日は、故ブライアン・ジョーンズの40回目の命日でもある。ストーンズの演奏が始まるシーンに合わせてメイン・アクト、THE BEGGARSが登場。「ホンキー・トンク・ウィメン」や「むなしき愛」などを演奏した。

 ストーンズのサポート・メンバー、バナード・ファーラーが石塚勉と共にレコーディングしたばかりというレゲエ・ヴァージョンの「ハッピー」も披露された(バナードはテープでの参加)。

 イベントも佳境に入り、THE BEGGARSの演奏に続々とゲストが参加。The Sonsで活躍中の鮫島秀樹(ベース)、ichiro(ギター)が加わり「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」「アラウンド・アンド・アラウンド」で渋いプレイを聴かせ、続く「ルビー・チューズデイ」と「無情の世界」では、ジャズ・フルート奏者の西仲美咲が曲の雰囲気をぐっと盛り上げた。
 
 VESSEやα:Voutのメンバーも加わって数曲披露したのち、期待の若手女性シンガー、kimikaがソロで「悲しみのアンジー」を、THE BEGGARSのミック・ジャガリコとのデュエットで「ギミー・シェルター」を歌った。特に「ギミー〜」でのメリー・クレイトンさながらのヴォーカルには惜しみない拍手が送られていた。

 オスやジョージも加わってのラストナンバー「サティスファクション」では、鮫島秀樹の呼びかけによって、来場していたHARRY(元ストリート・スライダース)が急遽ステージに上るという嬉しいサプライズもあり、約4時間にわたって繰り広げられた“饗宴”は、最後までの最高潮のボルテージのまま幕を閉じた。

*写真:轟 美津子

ケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル VOL.2
ストーンズ・レコード初 SHM-CDリリース記念
「ザ・ローリング・ストーンズ・ナイト」・・・・・・・・・細川 真平
 7月9日、ケンウッド・スクエア丸の内において、≪ケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル VOL.2 ザ・ローリング・ストーンズ・ナイト≫が行われた。これは、ストーンズのSHM-CD初リリースを記念して、当ミュージック・ペンクラブ・ジャパンが主催したもの。
 
 司会はストーンズ・ファンにはお馴染みのマイク越谷氏。ゲストには、発売元であるユニバーサル ミュージックの原田実氏、アーティストのサエキけんぞう氏、日本ローリング・ストーンズ・ファンクラブ会長の池田祐司氏、音楽評論家の高見展氏、オーディオ評論家の上田和秀氏をお招きした。
 入場者数60人以上。会場の外にも人が溢れ、『ケンウッド・トワイライトイベント』の動員記録を更新する大盛況となった。

 SHM-CDというのは、新素材の採用によって高音質化を実現した新たなタイプのCDで、現在大きな注目を集めている。通常のCDプレイヤーで再生できることが大きな長所でもある。冒頭、原田氏よりこのCDの成り立ちに関する基礎的な説明をいただいたあと、イベントの目玉である通常CDとSHM-CDとの聴き比べを行った。オーディオ機器は、開場に常設されているケンウッドの上級機種だ。
 
 聴かれた方々の感想は? ここでは、池田ローリング・ストーンズ・ファンクラブ会長の発言が最もセンセーショナルだった。
「俺には通常のCDのほうがいい音に聴こえる。新しいのは、ストーンズがストーンズじゃなくなったみたいだ」
 これに対する原田氏の反論はこうだ。
「SHM-CDはけっして音を加工しているわけじゃないんです。もともとマスター・テープに入っていたけれど聴こえなかったような音までが、クリアに聴こえるようになっているんですね。だから、別物になったということではないと思うんです」
 これに対して、サエキけんぞう氏はこうコメントした。
「ひな鳥は最初に見たものを親と思うと言いますけど、音というのもそれに近いものがあるかもしれませんね。ずっと聴いていた音に影響されると言いますか……。でも、個人的にはSHM-CDの音はいいなあと、私は思います」。
 
 こう書くと、激論が戦わされ、険悪な雰囲気になったかのように思われるかもしれないが、そんなことはない。参加者全員がストーンズ好きであり、音楽好き。だからこそ、さまざまな意見が出てくるわけであり、お互いにそれが分かっているからこその、和やかなムードは最後まで変わらなかった。

 そのあとは、これらも最近リリースとなった、ライヴDVD『シャイン・ア・ライト』、『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥギャザー』から数曲を鑑賞。'81年の『レッツ・スペンド〜』と'08年の『シャイン〜』の同一ナンバーの映像対比に、観客は沸いた。そして、ストーンズの写真集などが当たるプレゼント・コーナーで再び盛り上がったあと、イベントは終了。音と映像、そして何よりもストーンズというバンドの存在感に、酔わされた1時間半だった。

 SHM-CDについて、最後にもう一度書かせていただきたい。
 SHM-CDの音質が、従来のCDに比べて“物理的”に向上しているのは、間違いのないことだ。ただし、音質が“音楽的”に向上していると思うか思わないか、また、その向上が必要だと思うか思わないかは、人ぞれぞれの好みや、思いに大きくかかわっている。今回のイベントを通じて、そのことがよく理解できた。
 ただ、それは実際に体験してみないと分からないことでもある。自分の耳で聴き、音の変化を感じ取った上で、自分のスタンスを決める。それが大事なのではないだろうか。
 今回のイベントは自然発生的に、そういう提案にもなった気がする。そこにこそ、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンとしてこのイベントを主催した意義があったと思う。(写真:轟 美津子)

=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)

*通常CDとSHM―CDの聴き比べは、はっきり違いがわかって興味深く、多彩なゲストたちが私見を戦わせたのも面白かった。私的にはSHM-CDは音楽的に研究するのには最適だが、ロック・バンドを楽しむには通常CDの方がいいかなと思う。(鈴木 道子)

*出演者の皆さんの熱く、純なコメントの数々に魅了されました。特に音の比較について賛成、反対、色々な意見が出たことで会場が一層盛り上がりをみせたのが良かったと思う。彼等のライヴ映像もあり、大画面で改めてミックやキースのカッコよさを再確認。最後までいっきに楽しめた。(滝上 よう子)

*家で聴く「メモリー・モーテル」と、ちゃんとしたオーディオで聴く「メモリー・モーテル」は別物でした。やっぱりストーンズはエエなー。大音量だとむちゃくちゃエエなー。ものごっつう、ロックやねー。もう、ほんま、それしか言えまへんわ。(原田 和典)

*今回は≪ザ・ローリング・ストーンズ≫、これも先月の≪神谷郁代≫に続いての大入り満員となった。場所柄、会場は仕事帰りのサラリーマン、OL風情の来場者で埋まり、どう見てもクラシック・ファンの集まりのような錯覚に陥ってしまった。
 そして司会者が登場し、70インチの大型モニター、大音量のスピーカから絵と音が出た途端、錯覚はどこかに消し飛んだ。しかしストーンズだからある程度会場が騒然となることを予想していたが、それでも極めて大人しいファンの胸の内は大きく深く燃えていたに違いないと思うのだが、最後の出演者との質疑応答でようやく内に秘めた情熱が其処ここにはじけ飛んだ光景を見ることが出来た。(廣兼 正明)

*MPCJ主催で行われた≪ストーンズ・ナイト≫で、SHM-CDと通常のCDの聴き比べを体験してきた。同じマスタリングが施された音源であっても、SHM-CDの方ではギターやドラムなど一つ一つ音の輪郭が明確になり、ヴォーカルに関してはまるで目の前で歌っているような錯覚を覚える一瞬もあった。その傾向は新しい録音のものにより顕著に感じられた。ロックというジャンルでは、音が明確であれば必ずしも優れているというわけではないので、リスナーによって好き嫌いも出てくると思う。しかし特別な機器を必要とせず全てのCDプレイヤーで再生可能という規格で、これだけの違いを感じ取れたのは非常に興味深かった。自分の好きなタイトルがSHM-CD化された場合には、購入を検討するつもりだ。(町井 ハジメ)

*「1972年のローリングストーンズ全米ツアーの前座はSでした」、という客席にいらっしゃったMPCJ会員の音楽評論家、鈴木道子さんの言葉に来場のストーンズ・ファンがどよめく!MPCJのイベントらしさが出た一場面だと思います。Sとは現在の大御所シンガー&ソングライター(ワンダー)。このような驚愕の事実が平然と公開されるMPCJ主催イベント。次回以降も御期待を!(松本 みつぐ)

辻井伸行くんの人と芸術・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩谷由喜子
 第15回ショパン国際ピアノ・コンクール開催中の2005年10月、第二次予選が終わった翌日のこと、ワルシャワのホテルのお部屋に辻井伸行くんをお訪ねしました。お部屋の中が上下階になっているメゾネット・タイプのスイーツ・ルームで、そこにお母さまのいつ子さん、カワイのピアノとともに辻井くんは住んでいました。

 ショパン・コンクールの出場者には、ワルシャワ音楽院か、コンクール会場のフィルハーモニー・ホールの地下レッスン室にあるピアノが練習用として貸与されることになっていましたが、使える時間は限られていましたから、いつでも好きなだけ練習のできる自分用のピアノを確保するためには、ピアノのある家庭にホームステイをしたり、一軒家を借りてピアノを入れたりするなど、出場者はあの手、この手と、知恵を絞っていたのです。でも、一軒家となるとどうしても郊外まで出なければならず、会場との往復にエネルギーをとられてしまいます。そこで、辻井くんの場合は、ご両親の英断により、フィルハーモニーから至近のこのホテルに予備予選から長期にわたって滞在されていたのでした。これはたいへんなことで、ご両親が少しでも彼のためによいことならばと、いかに全面サポートなさっていたかがよくわかります。
 
 インタビューに同席してくださったのは、辻井くんが6歳のときから師事してきた川上昌裕氏。愛弟子のために、空かないスケジュールをなんとかやりくり算段して予備予選からワルシャワに同行され、連日この部屋で辻井くんを鍛え上げておられたのでした。つまり、いつでも気兼ねなく音を出せるお部屋、ほかの誰とも共有しなくてすむマイ・ピアノ、そして長所も短所もすべて飲み込んでくださっているお師匠さんの3拍子揃った環境のもと、17歳になったばかりの辻井くんは日夜自分のピアニズムを磨いていたのです。
 
 こうした彼をとりまく環境が恵まれているといえばいえますが、周囲にそうさせる力、そうしてあげたくなる吸引力が彼にそなわっていたこともまた、実力のうちといえましょう。

 この第15回からコンクール・システムが変わり、テープ審査が廃されてすべての応募者がワルシャワで予備予選を受けることになったため、世界各国から350名ものピアニストがその予備予選に参加していました。これ実施方法を巡ってはさまざまな混乱や議論があったのですが、ともかくもここを通り抜けないことには始まりません。辻井くんにももちろん、戸惑うことや、システムの不備に泣かされることもあったのですが、努力の甲斐あってその80名の通過者のひとりとなった彼は、一次予選に進出して以下の曲を弾きました。

『エチュード ハ長調 』op.10-1、
『エチュード 嬰ト短調』op25-6、
『ノクターン 変ロ長調 』op.62-1、
『舟歌 嬰ヘ長調』 op.60、
『ワルツ 第4番 ヘ長調』op.34-3、
『24のプレリュード』op.28 より6曲
 第19番 変ホ長調、
 第20番 ハ短調、
 第21番 ロ長調、
 第22番 ト短調、
 第23番 ヘ長調、
 第24番 ニ短調、
『スケルツオ 第2番 ロ短調』op.31

 なんと難曲揃いのことか、と驚かれる方も多いかもしれませんが、彼はチャレンジ対象が難曲であればあるほど燃え上がるタイプでした。というよりもむしろ、技術的な意味での難曲は難曲と感じないタイプといったらよいのでしょうか。常人の、おそらく数百倍も耳のよい彼は、いくつもの声部が複雑に絡み合う楽曲も、和声が刻一刻と変化する楽曲も、すべて耳から覚えることができるようでした。もちろん、まず耳で覚えたその楽曲をよくよくチェックしなおして、音楽的にも掘り下げ、技術もさらに向上させていくという過程はワルシャワに来てからも川上氏とともに休むことなく続けられたのです。
 
 その甲斐あって、第一次予選を無事通過し、32人のセミ・ファイナリストのひとりとなった彼は、第二次予選では大好きな『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』、味わいゆたかなマズルカop.24、強い集中力に貫かれたソナタ第3番で会場をどよめかせました。結果的に、本選進出はならなかったものの、最年少参加でセミファイナリストのひとりとなったのですから、その健闘ぶりはあきらかです。そんな彼には、批評家賞が贈られて努力が顕彰されました。
 そして、それから早くも4年の歳月が流れました。
 
 この間、筆者は紀尾井ホールでのリサイタルも拝聴しましたし、彼が上野学園大学に進学して横山幸雄氏についたことも耳にしていました。また、その横山氏からも、彼の耳のよさ、音楽の把握力のすばらしさをうかがってはいましたが、ヴァン・クライバーン・コンクールに参加されていたとは当初まったく存じ上げませんでした。本選進出のニュースをきいて嬉しい驚きに打たれ、これはもしかしたら、と思っていたところ、その「もしかしたら」が的中しました。本当に、心から「おめでとうございます!」と申し上げたい気持ちでいっぱいです。

 今回は、第一次予選ではショパンのエチュードop.10とドビュッシーの『映像』第1集、リストの『ラ・カンパネラ』を弾き、第二次予選のリサイタルの部ではベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』およびコンクールのための委嘱作品、ムストの『インプロヴィゼーション&フーガ』を弾かれたとか。これだけでも驚きですが、第二次予選はこのほか室内楽の部があって、そこではタカーチュ四重奏団とシューマンのピアノ五重奏曲を共演、本選リサイタルでは、ベートーヴェンの『熱情ソナタ』とショパンの『子守歌』、リストの『ハンガリー狂詩曲第2番』を演奏し、いよいよ本選では、ショパンの1番とラフマニノフの2番で審査員、批評家、聴衆をうならせました。
 
 彼のピアノの最大の特徴は、耳の鋭敏さからくる、音の美しさと響きへの配慮のよさということでしょう。さらに、天与の超人的記憶力を持つ彼は、暗譜の不安という世のピアニストたちの悩みとも無縁です。そのため、流れにためらいがなく、音楽に一筆書きの勢いがあるといつたらよいでしょうか。
 
 これらの美点を生かして、これからも辻井くんだけのピアノをさらに磨いていってほしいと思います。国際的人気アーティストとして席の温まる暇もないことでしょうが、商業主義にスポイルされることなく、一回りも二回りも大きな成長を是非遂げていっていただきたい気持ちでいっぱいです。

 辻井伸行くん、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール優勝、本当におめでとうございます。

(写真左から、川上昌裕、辻井伸行、萩谷由喜子の各氏 = 2005年、ワルシャワにて)

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