2009年3月 

「映画吹替物語」(2)      本田 悦久 (川上 博)
☆吹替えられたり、吹替えたりのエヴァ・ガードナー
「ショウ・ボート」 (1951) のジュリー役で、”あの人を愛さずにはいられない”と “ビル” を歌ったエヴァ・ガードナーにまつわるエピソードを一つ。「ショウ・ボート」はサウンドトラック盤も出ており、エヴァ・ガードナーの名もクレディットされている。サントラ盤に入っている声はエヴァに違いはないのだが、問題はスクリーンに流れたジュリーのナンバー2曲。「その昔、ヘレン・モーガンの当たり役だったジュリーに、エヴァの歌声はそぐわない」というので、彼女の歌はアネット・ウォーレンが吹替えることとなった。そこまでは、エヴァも納得したのだが、それがレコード化されると知って、エヴァが怒り出した。そこで、レコードにはエヴァ自身の歌を入れることで妥協が行なわれたのだ。その結果、スクリーンに流れる彼女の歌はアネット・ウォーレンの声、サントラ盤から聞こえるのはエヴァ・ガードナーの声、というややこしい話になった。二人の声があまり違いすぎても不自然なので、エヴァはレコーディングに際し、アネット・ウォーレンに出来るだけ似せて、つまり本人が吹替に似せて歌おうとしたのだから、なおさら話はややこしい。ご興味おありの方は、DVDとサントラCDの聞き比べをされてみては如何でしょうか。

☆踊るスターが、ステージ・ミュージカルで歌った !
 ミュージカル映画スターの中には、歌えて踊れて・・・・の達者な人もいるが、踊りが図抜けて・・・・という人もいる。その一人、シド・チャリース。「ブリガドーン」(1954)、「いつも上天気」(1955)、「絹の靴下」(1957) でシドの歌を受け持ったのはキャロル・リチャーズだったが、「バンド・ワゴン」(1953) の時はインディア・アダムスだった。
 映画では自声で歌わなかったシド・チャリースの歌を初めて聞いたのは、ロンドン・ミュージカル「チャーリー・ガール」(1986) の舞台だった。劇中シドは3曲歌い、オリジナル・ロンドン・キャスト盤 (英国ファーストナイト・レコード) も発売された。その後1992年に、シドはブロードウェイ・ミュージカル「グランド・ホテル」にバレリーナのグルシンスカヤ役で出て歌い踊り、70才のブロードウェイ・デビューとなった。
 フレッド・アステアのパートナーを2回つとめたヴェラ=エレンの場合は、MGMでの「土曜は貴方に」(1950)、「ニューヨーク美人」(1952、日本未公開)で、共にアニタ・エリスが歌の代役をつとめた。アニタは「ギルダ」(1946) でリタ・ヘイワースが歌って評判になった ”罪はご婦人に” の声の主だったし、「紳士はブルヘネット娘と結婚する」(1955) のジーン・クレインの歌も彼女だった。
 ヴェラ=エレンがパラマウントで出た「ホワイト・クリスマス」(1954) の時の吹替はトルーディ・スティーヴンス、20世紀フォックスの「コール・ミー・マダム」(1953、日本未公開) ではキャロル・リチャーズだった。
 リタ・ヘイワースも、いくつかのミュージカル映画に出ているが、フレッド・アステアとの「晴れて今宵は」(1942) 、ジーン・ケリーとの「カバー・ガール」(1944) は、いずれもナン・ウィンの歌声である。「メリー・ウィドウ」(1952) でラナ・ターナーは、フェルナンド・ラマスとのラブ・デュエットで、味のある歌を聞かせてくれたが、あの声はトルーディ・アーウィンの借り物であった。
 パリジェンヌのレスリー・キャロンはバレリーナで、デビュー作「巴里のアメリカ人」(1951) では歌うシーンは無かったが、「リリー」(1953) で、人形使いのメル・ファーラーを相手に ”ハイ・リリー・ハイ・ロー” を歌っていた。それは素人臭くて、かえって、その雰囲気に合っていたのだが、「恋の手ほどき」(1958) での彼女のナンバーは、ベティ・ウォンドという無名歌手によるものだった。
 そのレスリー・キャロンが、奇しくもバレリーナ・アクトレスの先輩シド・チャリースと同じくミュージカル「グランド・ホテル」に出演、グルシンスカヤを演じた。シドより9か月早い1991年4月、ベルリンのテアター・デス・ウェステンズで、パリジェンヌだったレスリーがドイツ語の特訓を受け、60才目前の挑戦だった。彼女のステージ・ミュージカルは、これが初めてではなく、アメリカのロード・カンパニーで「カン・カン」「オン・ユア・トーズ」等に出たことがあった。
 さて、ここまでは、スター自身が歌っているが如く吹替えられ、吹替の事実は殆ど公表されないのだから、あまりタネ明かしをしない方がいいのかもしれない。(続く)

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