2008年8月 

<Now and Then> 
そんな事がありました 7-1 「ミス・サイゴン」のあれこれ  本田 悦久 (川上 博)
ミュージカル「ミス・サイゴン」が東京・帝劇で、2004年の再演以来4年ぶりにリバイバルしている。
フランスのブーブリル&シェーンベルグ作「ミス・サイゴン」の世界初演は、1989年9月、ロンドンのロイヤル・ドルーリー・レイン劇場。あれから19年近く経った。その間に、ロンドン、ニューヨーク、東京以外の都市では、カナダのトロント(1994)、ハンガリーのセゲッド (1994)、ドイツのシュトゥットガルト (1995)、オランダのシェヴェニンゲン (1997)、スエーデンのストックホルム (1998)、フィリピンのマニラ (2000)、韓国のソウル (2006) 等でこの作品に出会った。それらの中で、特に印象に残る舞台のいくつかを振り返ってみたい。
☆ヘリコプターが飛んできた
「ミス・サイゴン」が英語圏と日本以外で上演された最初は、1994年8月、ハンガリーのマジャール語だった。ブダペストから南へ200キロ、ユーゴスラビア (当時) 寄りの地方都市セゲッドの野外劇場で、この劇場は大きな教会の裏に隣接して設営され、「アメリカン・ドリーム」のシーンで使用するキャデラックなどは教会の中に収納されており、楽屋も教会の中にあった。 夏の2か月間だけ、4500〜6000席の大劇場となる。中央に、5席ずつ囲った枡席のような区域が1列あり、筆者の席もそこに用意されていた。入場券は完売とのことで、ぶらりと行ったのでは入れないところだった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「エリザベート」等、夏にここで上演して、秋風と共にブダペストのロック劇場に移るというのが、パターンになっている。演出はハンガリー・ミュージカル界の第一人者ミクロス・ガボル。出演者は、韓国女優 (ゴーゴー・ガール) とラオス人 (ベトナム兵) の二人の東洋人以外すべてハンガリー人で、主要キャストはダブルだった。その夜のキムは、これが初舞台だという17才の新人ビーロー・エスター。細身ではあるが背が高く、エレン役と同じくらいの背格好だ。東洋風のメーキャップをしても、ベトナム人には見えない。プロフェッサー (エンジニアの役名が、こう変わっていた) 役のソルノキー・テイボル (『エビータ』のマガルディ他) は、大熱演で好感がもてる。その他の役者も、歌・演技ともに一流の多彩な顔ぶれを揃えて、豪華な舞台を作り上げていた。オープニング・シーンから、喧嘩や発砲など、サイゴンのバーの狂騒ぶりも派手だ。左右に拡がりのある舞台を十二分に駆使して、サイゴンやバンコクの歓楽街、獅子舞まで登場させた賑やかな北ベトナム兵の行進など、目を見張るばかりの場面が次々と展開された。「アメリカン・ドリーム」では掃除夫二人を配したり、マフィアやピエロまで登場させるなど、工夫されていた。屋根も天井も無い劇場でのサイゴン脱出シーンは、本物のヘリコプターが飛来した。舞台背後の教会の高い二つの塔が邪魔になるのか、ヘリは上手中央から舞台に横滑りに着地し、脱出米兵たちを収容すると、やがて客席上方から後方へ爆音と共に飛び去った。オープン・エアー・シアターならではの、迫力満点の、夏の夜の忘れがたい「ミス・サイゴン」だった。(次号に続く)

「追悼 レイモン・ルフェーヴル」 三塚 博
フランスのピアニスト、編曲家で作曲家のレイモン・ルフェーヴル氏が2008年6月27日、パリ郊外で亡くなった。78歳だった。1929年フランス北部カレーの生まれ。パリ音楽院を卒業後、ジャズ・ピアニストとしてボビー・ジャスパー等と共演、フランク・プールセル楽団のピアニストを務めるなどして音楽家としての活動をスタートさせた。1956年に女性歌手ダリダの実質的なデビュー曲「バンビーノ」の指揮伴奏を手がけたのが今日の成功をもたらすきっかけとなった。同じ時期「雨の降る日」などのインストゥルメンタル・ナンバーが米国でもチャート・インするなどした。母国フランスに軸足を置き、映画音楽の作曲を手がける一方数多くの楽曲を仏バークレイに吹込んだ。1968年「シバの女王」のヒットでわが国でも彼の名は一躍知られるようになった。当時日本のラジオや有線放送でこの曲を聞かない日は無かったろう。イージー・リスニングという呼称が浸透し、レコード店には≪レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ≫のLPが並んで、新たな音楽市場が誕生するきっかけにもなった。その第一人者がレイモン・ルフェーヴル氏である。厚みのあるサウンドと繊細さ、親しみやすい選曲で多くの日本の音楽ファンの心を捉え1972年から数多くの日本公演を行ってポップス・オーケストラの魅力を届けてくれた。心よりご冥福をお祈りする。
9月10日には代表作を2枚のCDに収めた追悼盤「レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ」(ビクターエンタテインメント/VICP-64552〜3)がリリースされる。

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