2008年3月 

<Now and Then> 
そんな事がありました 5-3 「夜来香」物語  本田 悦久 (川上 博)
 1981年7月29日、黎錦光先生と日本の音楽仲間たちとの36年ぶりの再会は、NHK報道番組班が予約してくれたニュー・オータニのピアノ・バーで午後7時頃実現した。山口淑子さん始め、服部良一さん、川喜多かしこさん、野口久光さん等ゆかりの人たちと「ニーハオ、ニーハオ」と固い握手を交わす黎先生。会った瞬間は感無量で、お互いに言葉も詰まりがちだったが、やがて昔話に花が咲く。
 山口さんが、服部さんのピアノ伴奏で「夜来香」を原語で歌い出すと、横では黎先生が指揮のポーズをとる。「20年も歌っていないので、うまく歌えなくて」と、山口さん。「これはあなたの歌です。あの頃と少しも変わっていません」と、山口さんを讃える黎先生。かつての恩師の愛情がにじみ出た、感動のひとときだった。
 この日の様子は成田空港でのインタビューから、ニュー・オータニでの再会、歓迎の歌、団欒のひとときまで、翌7月30日朝9時のNHK「ニュース・ワイド」で放送され、その日は、NHKに坂本会長を表敬訪問。31日はNHKホールでの第13回「思い出のメロディー」(8月8日放送)の公開録画に立ち会い、
 渡辺はま子さんが日本語と中国語で熱唱する「夜来香」に楽しそうに聴き入る黎先生。渡辺さんも1944年の上海慰問で黎先生に出会い、「一度お会いしただけなのに覚えていて下さった」と大感激された。
 黎先生来日の2か月前に川喜多長政さんが亡くなり、楽しみにされていた再会が果たされなかったので、8月4日、鎌倉の川喜多かしこさん宅をお訪ねして、お線香を上げられた。川喜多さんがお隣に移築・保存されている旧和辻哲郎氏邸に案内されたとき、飾られてあった紹興酒の樽は娘が生まれたときに酒を入れて地中に埋め、嫁に出すときに持たせるのだと、黎先生に教えられた。次いで同じ鎌倉市内の我が家にもおいで頂き、エジソンや昔の蓄音機の音に耳を傾け、映画「フラワー・ドラム・ソング」のビデオで、スタッフ・クレディットに弟のC・Y・リーさんの名を見つけて微笑まれた。
 8月6日には芝の迎賓館で日本作曲家協会 (会長: 服部良一) 主催の「黎先生歓迎レセプション」が音楽関係者、マスコミの皆さん約90人が集まって開かれ、日中音楽文化の交流が行われた。会場には、吉田正さん、渡久地政信さんも見え、山口淑子さんと渡辺はま子さんの二大スターの「夜来香」デュエットがあり、パーティーは最高潮の盛り上がりをみせた。
 黎先生は滞日中、青山のビクター・スタジオ見学、いろいろな方々との食事会、マスコミのインタビュー等、多忙なスケジュールの中を横浜中華街にも足を運ばれ、山口淑子さんも加わってミューカル・ショウをごらんになったりと、74才とは思えない若々しさで精力的に行動された。
そして8月9日、「この度の訪日は、私にとって大きな実りとなりました。旧友たちとのうれしい再会、新しい友人たちとのおつき合いから多くのことを学びました。私は音楽を通して日中の文化交流に尽くし、両国の友好関係をより確かなものにしていきたいと願っています。私たちの訪日を実現して下さった方々に心から感謝します」との言葉を残して、黎先生は小東さんと成田空港から一路上海に飛び立った。(以下、次号)

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