2007年12月 

<Now and Then> 
そんな事がありました 4 現役最高齢95才のシンガー、トニー・マーティン 
本田 悦久 (川上 博)
 今年 (2007年) の8月に、マイケル・ファインスタインがCDの日本初発売を記念して、≪BLUE NOTE TOKYO≫出演のため初来日した。デビューした1980年代から、同世代のシンガーたちが熱中するロックに目もくれず、彼は1940〜50年代のシンガーのように、スタンダード曲を歌い続けてきた。本国では既に25枚のCDを出しているマイケルだが、日本ではジョージ・シアリングとの共演盤 (2005年制作) が最初とは意外だった。
 マイケルとは1991年のコンコード・ジャズ・フェスティバルにマイケルが出演したとき、コンコード・レコードの社長カール・ジェファーソン氏の私邸の庭で開かれた打上げパーティで、ローズマリー・クルーニーから「私の家のお隣に住んでいた人よ」と紹介されたのが初対面で、それ以来16年ぶりの再会となった。
 現在、ニューヨークのリージェンシー・ホテル1階にあるナイトクラブのオーナーでもあるマイケルは、チタ・リベラ、ジョニー・ジェイムズなど往年のスター歌手たちのライヴ・ショーで、オールド・ファンを喜ばせている。10月20日と21日は、このクリスマスに95才になるトニー・マーティンが出演のため、夫人のシド・チャリースとロサンゼルスから飛来するという話を聞いて、こんな機会は二度とないかもしれないと、急遽ニューヨーク行きを決めた。

 思い起こせば、ラジオから流れるトニー・マーティンの歌声を初めて聞いたのは、筆者が高校生だった1950年代初期の頃だった。「I Get Ideas」「Kiss of Fire」といったアルゼンチン・タンゴのアダプテーションで、ソフトで張りのある歌声にすっかり魅了された。ビクターに入社した1958年に、トニーとシドが来日したとき、帝国ホテルで初対面の幸運に恵まれた。トニーは1961年、68年、69年、70年と、アジア諸都市の駐留米軍慰問とナイトクラブ出演に来日したが、1969年に赤坂のナイトクラブ出演で来日した機会に、トニーのアルバムを制作することになった。「港の灯」「ムーンライト・ベイ」「夕陽に赤い帆」「美わしの宵」「引き潮」「マナクーラの月」「カナダの夕陽」「虹を追って」といったトニー向きのロマンティック・バラードを選び、それにトニー自身の希望で、当時の流行曲「悲しき天使」「アクェアリス」「モア」、日本曲に英語詞を付けた「Blue Lights of Yokohama」等、15曲を麹町のスタジオで録音し、ビクターがLPを発売した。但し、日本曲が入るのは違和感があるということで「ブルーライト・ヨコハマ」は、国内では除外されたが、アメリカ、スペインではLPに、香港、台湾、シンガポールではカセットに入って発売された。1991年に韓国でCD化されたが、当時は日本曲が1曲入っているという理由で許可されず、発売に至らなかった。
 1986年に、シド・チャリースが初めて出演したロンドン・ミュージカル「チャーリー・ガール」を観た。ダンスの名手シドは「バンド・ワゴン」「ブリガドーン」「いつも上天気」「絹の靴下」等多くのミュージカル映画に出ているが、歌はインディア・アダムス、キャロル・リチャーズ等が吹替えていたので、シド自身の歌声が聞かれるのは珍しかった。因みにシドはその後、ブロードウェイでも「グランド・ホテル」に出演して、歌っている。「チャーリー・ガール」終演後の楽屋訪問が予告してあったので、シドは「先週までトニーもロンドンにいたの。夕べ電話したら、よろしく言っていたわ」と待っていてくれた。

 さて、本年 (2007) 10月19日にニューヨーク入りした筆者は、21日の夜、トニーのショーを観にリージェンシー・ホテルに出向いた。マイケルの厚意でシド・チャリースの隣の最高の席が用意されていた。シドは80代半ばだろうか、白いスーツに身を包み、老いても衰えない美しい笑顔で21年ぶりの再会を喜んでくれた。暫く食事を楽しんだ後、いよいよマイケルの司会でトニー・マーティンの登場! 舞台に上がるまでの姿は老人そのものだったが、東京でマイケルが言っていた通り、舞台に上がると、とても90過ぎの老人とは思えない立ち姿で、”Almost Like Being in Love” ”To Each His Own” ”I Get Ideas” “You Step Down a Dream” と歌い進んだ。高音が出にくいようで、初めのうちは声をセーブしていたが、ナポリ民謡「オー・ソ・ミオ」に基づく”There’s No Tomorrow” あたりから、声に張りが出てきて歌い上げるようになった。”Let’s Face the Music and Dance” ”The Very Thought of You” と続き、「オクラホマ!」の映画化でカーリーの役をゴードン・マックレーに譲った時のエピソードを、ジョークを交えながら披露して歌った “People Will Say We’re in Love” 、仏語混じりの “La Vie En Rose”、ビング・クロスビーやナット・キング・コールを讃えて “I Surrender, Dear” “Unforgettable” の歌とトークも見事だった。昔と変わらぬ・・・というのは無理だが、トニーならではの美しい歌声で、最後の “Moon River” まで全16曲、一時間以上に亘って観客を魅了し続けた。一曲一曲心を込めて歌う姿は、時に眩しい程美しく、大満足の舞台を実現させてくれた。
隣テーブルのシドは、さすがに年をとったなと思わせる様子だったが、トニーが歌い始めると、しゃんと背筋を伸ばし、とても誇らしげに凛とした美しい姿になったのには、実に60年間という、芸能界きってのおしどり夫婦としての年月が輝いている感じがして感動的だった。
 終演後、トニーに “Hello, Young Man!” と声をかけられた時は、充分年寄になっている当方も、久しぶりで若返った気分になった。1992年、ロサンゼルスのベヴァリー・ウィルシャイア・ホテルのバー以来、15年ぶりの嬉しい再会だった。

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