ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Classic Review 2018年5月号

CONCERT Review - オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)

上岡敏之 新日本フィル 豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)

2018年3月31日 すみだトリフォニーホール

アーティスト写真
上岡敏之
アーティスト写真
豊嶋泰嗣

 シューベルト「交響曲第5番」はマシュマロのように柔らかく、羽根が生えたよう。第3楽章メヌエットは、他の指揮者ならスケルツォ風の尖った響きにすることが多いが、上岡はレガートをかけるところがユニーク。
 ソロ・コンサートマスター豊嶋泰嗣が弾くバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番」は、精巧なガラス細工のような繊細さがあった。上岡&新日本フィルも豊嶋と一体感がある万全のバック。この曲は野性的な荒々しい側面があるが、豊嶋のヴァイオリンはどこまでも艶やかで美しく、細やかさを保つ。最も感銘深かったのは、第2楽章アンダンテ・トランクイロ最後の超微細な豊嶋の弱音と上岡&新日本フィルの繊細な音が一緒に高く昇っていく部分。天国的というのか、別次元に移行していくというのか、不思議な瞬間だった。第3楽章コーダは、初演ヴァイオリニスト、ゾルタン・セーケイがバルトークに要望して変更された、ヴァイオリン・ソロがオーケストラとともに終わる版を採用していた。
 シューマン「交響曲第1番《春》」は、シューベルトと同じように響きが柔らかく、レガート気味に進んで行く幻想的な演奏。第2楽章でチェロ・パートがいい響きを出していた。アンコールは同じ変ロ長調のベートーヴェン「交響曲第4番第4楽章」。カルロス・クライバーを思わせる俊敏な演奏だった。(長谷川京介)

写真:上岡敏之(c)大窪道治

CONCERT Review - 器楽・ピアノ

マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル

2018年4月12日 サントリーホール

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 今回が最後の日本ツアーとなるピリス。プログラムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番《悲愴》、第17番《テンペスト》、第32番の3曲。
 小柄なピリスがにこやかに登場。《悲愴》の序奏を弾き始める。ピアノはヤマハ。ピリスの余分なものをそぎ落としたようなシンプルな音に合っている。華奢なものはなく、本質だけを取り出してくる。第1楽章コーダの2つの休止の長さに深いものを感じた。第2楽章アダージョ・カンタービレはたんたんと弾かれる。高音がとても美しい。
 《テンペスト》第1楽章冒頭のラルゴの分散和音は幽玄さがある。イ短調の第2主題には胸を刺すような響きはなかった。ピリスは慈愛の心で音楽に向き合っている気がしたが、そこに一抹の寂しさも感じる。ピリスが好んで引退を決意したとは思えない。頭で描いた音楽を音にする際の体力的な限界を感じたのではないだろうか。ドルチェで歌われる第2楽章第2主題は、心に響く美しさと深さがあった。
 驚いたことは、小柄なピリスが身体とペダルをいっぱいに使って低音をしっかり出すこと。それはベートーヴェン最後のソナタ「第32番」第1楽章で顕著だった。ピリスはベートーヴェンと格闘しているように思えた。痛々しさも感じるが、ピリスの表情には悲壮感は浮かんでいない。
 第2楽章アリエッタ主題は感傷に流されず、淡々となにげなく始まり、かえって味わい深かった。32分音符が絶え間なく高音域で動く第4変奏も、最後に主題が現れる第5変奏の長大なトリルも、感情に溺れることはなかった。ピリスの悟りのような演奏を聴き、感傷的な涙を想定していた自分の居場所がなくなるような思いがした。アンコールは、ベートーヴェン最後のピアノ作品、《6つのバガテル》から第5曲クアジ・アレグレット。ピリスの『これまでありがとう。さようなら。』のメッセージとして聴いた。(長谷川京介)  

写真:マリア・ジョアン・ピリス(c)Felix Brode/DG

CONCERT Review - オーケストラ

シルヴァン・カンブルラン 読響
ストラヴィンスキー《春の祭典》

2018年4月13日 サントリーホール

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 カンブルランの《春の祭典》は緻密だ。楽器ひとつひとつに目配りが効いている。重心が低く衝撃も大きい。カンブルランは、《春の祭典》をショーピースのようなスペクタクル音楽としてではなく、リズム、音色、響きを極限まで研ぎ澄まし、強靭な構造を持つ揺るぎない音楽として再構築したかったのではないだろうか。
 演奏がもたらす興奮は図りしれないものがあった。爆発するエネルギーは第1部「大地の踊り」と、第2部「いけにえの踊り」でピークとなったが、一瞬の休止のあとの最後の一撃は、かつて体験したことのない戦慄が走った。読響の楽員の集中力は凄まじく、《アッシジの聖フランチェスコ》の演奏に通じるものがあった。コンサートマスターは日下紗矢子。
 ポール・メイエを迎えたモーツァルト「クラリネット協奏曲」と、ドビュッシー「クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲」では、作品に合わせて様式感を自在に変化させるメイエのクラリネットに魅せられた。モーツァルトは透明感のある滑らかな音色を創り、ドビュッシーでは、微妙に変化する音色でグラデーションを描いていった。
 最初にチャイコフスキー、バレエ音楽《くるみ割り人形》から4曲が演奏された。「花のワルツ」でのハープのソロが出色の出来栄えだった。(長谷川京介)

写真:シルヴァン・カンブルラン(c)読響

CONCERT Review - 器楽・ピアノ

東京・春・音楽祭 エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)
シューベルト・チクルスVI

2018年4月14日 東京文化会館小ホール

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 1曲目「ピアノ・ソナタ第11番D625」から、好調な滑り出し。身体全体を柔らかく使い、低音は轟くように響かせ、高音は潤いがあり瑞々しい。第2楽章スケルツォのトリオは、雲の切れ間から太陽の光が差し込むよう。今回第3楽章に「ニ長調アダージョD505」を充てたが、後期のソナタに通じる天国的な世界を感じた。
 2曲目「幻想曲D760《さすらい人幻想曲》」は、3年前の「後期三大ソナタ」の名演を凌駕した。冒頭の主和音から強烈なヴォリューム、そのエネルギーと力強さに圧倒される。第2楽章アダージョの「さすらい人の主題」と5つの変奏はいずれも素晴らしい。特に、64分音符の細かな下降音型が膨張していく第4変奏はぞっとするほどの迫力があった。対位法的に進行する第4楽章は、この日の演奏の白眉。レオンスカヤの凄まじい気迫が込められた強烈な音が会場を震わせる。全部を聴いていなくとも、この演奏がチクルスの頂点だと確信させるものがあった。これぞ巨匠の至芸。
 休憩後はチクルス最後の曲「ピアノ・ソナタ第21番D960」。第1楽章モルト・モデラートの主題が朗々と開始される。しかし、レオンスカヤは魂の抜け殻のように精彩がない。何が起きたのか?提示部の繰り返しが始まると、ようやく音楽に血が通い始めた。繰り返しに意味をもたせるという意図があったのかと安心するが、展開に入るともとの演奏に戻ってしまう。そのまま二度と霊感が蘇ることはなかった。
 レオンスカヤも人の子、前半で燃え尽きたのだろう。それでよかったと思う。もし、後半も《さすらい人幻想曲》と同レベルの演奏を続けたら、倒れたかもしれない。アンコールの「4つの即興曲D899」から第2番変ホ長調と、第3番変ト長調は生気が戻り、美しく弾いた。東京・春・音楽祭実行委員長、鈴木幸一氏が花束を持って登場しレオンスカヤをハグ、6回に及ぶチクルスの健闘を讃えた。(長谷川京介)

写真:エリーザベト・レオンスカヤ(c)東京・春・音楽祭

CONCERT Review - オーケストラ

ジョナサン・ノット東京交響楽団
マーラー「交響曲第10番」(ラッツ校訂版)、
ブルックナー「交響曲第9番」(コールス校訂版)

2018年4月14日 サントリーホール

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 マーラー「交響曲第10番」からアダージョは、ノット&東響が作り出す独自の響きがした。切れの良い弦、輝かしく時に切り裂くような音の金管、品格ある木管、という特徴が良く出ていた。コーダのピアニシモの精度がいまひとつだったが、翌日の川崎公演では修正されたのではないか。
 ブルックナー「交響曲第9番」は、第2楽章スケルツォが凄絶。第1楽章はホルンの瑕などもあり、いまひとつ聴き手として集中できなかったが、このスケルツォは、これまで内外のオーケストラで聴いた中で、最も衝撃的だった。ユニゾンで弾かれる第1主題を、コンサートマスター水谷晃以下、ヴァイオリン奏者は椅子から腰を浮かせるように、渾身の力を込めて弾く。全管弦楽の咆哮は、この世の終わりが来たかと思わせるような、震動とエネルギーで迫ってくる。常軌を逸したようなノットの指揮の真意は何か。
 続く第3楽章アダージョを聴いて分かる気がした。ひとつに曲想の劇的なコントラストの強調。ふたつに、アダージョの天上に向かうために、一度すべてを否定する必要があると考えたのではないか。みっつに、アダージョ最初の高い頂きに到達するための強烈なステップボードとして、スケルツォの狂気は必要だと考えたこと。実際は、本人に聞かなければわからないが、そう受け取った。少なくとも第3楽章でノットと東響の演奏は、一段と高いところへ到達したことは確かだ。
 東京交響楽団は憑りつかれたように演奏する。聴く側も演奏の瑕疵を気にするという段階は遥か下方に追いやられ、ひたすら演奏に集中するほかなく、形容する言葉も浮かばない。
 この演奏にはクラウディオ・アバドが残してくれた言葉がふさわしい。
『ほとんどの人がライヴ演奏の価値を理解していないと私は思う。それは演奏全体の美しさでも、再現の完璧性でもない。ただひとつのことで、最良の場合でもひとつのコンサートで2、3秒しか起こらない。それは、時間が止まったところ、あるいは時間の概念が膨張したところに生まれる感情である。』(長谷川京介)

写真:ジョナサン・ノット(c)K.Miura

CONCERT Review - 器楽・ピアノ

ルース・スレンチェンスカ サントリーホール リサイタル

2018年4月21日 サントリーホール

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 93歳のピアニスト、ルース・スレンチェンスカの初めての東京公演。彼女のピアノに魅せられた岡山の歯科医師三船文彰氏がこれまで9回日本に招聘しているが、会場は岡山が中心だった。
 1925年カリフォルニア生まれ。5歳でカーティス音楽院に入学。ホフマンに学ぶ。そのほか師事したピアニストはラフマニノフ、ペトリ、シュナーベル、バックハウス、コルトーといった伝説的な巨匠が並び、ロシア、ドイツ、フランス三大ピアニズムを受け継いでいる。小柄だが姿勢が良く、すり足でゆっくり歩く。
 ショスタコーヴィチ「24の前奏曲とフーガ作品87-5」はシンコペーションの前奏曲をゆったりと弾くので、曲想が判然としない。しかしフーガは遅いテンポながら、しっかりした音。J.S.バッハ「平均律クラヴィア曲集より第5番前奏曲とフーガBWV850」は、大きな流れがあった。
 ブラームス「3つの間奏曲」と「2つの狂詩曲」はブラームスをロマンティックに弾くとこうなるという見本のような演奏。
 「間奏曲作品117の1」は、通常の1.5倍は遅い。「作品117の2」が前半では最も感銘を受けた。演奏が若々しく、音が瑞々しい。泉から新鮮な水がこんこんと湧き出るようだ。「間奏曲作品117-3」から「狂詩曲」2曲へアタッカでつないだ。「狂詩曲第1番&第2番」はペダルをしっかりと使ったヴィルトゥオーゾ風でスケールが大きい嵐のようなブラームス。
 19世紀のピアニストが現代に現れたらスレンチェンスカのように弾くのではないだろうか。フォルムやテンポを現代のピアニストのように厳格に守るということはしない。
 後半は、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第17番作品31-2《テンペスト》」」から。第1楽章冒頭ラルゴの分散和音をそれぞれの音がわかるくらいゆっくり弾いた。第2楽章アダージョでは左手の轟くような音型に続く第2主題が素晴らしかった。主題にかかるスラーを息長くたっぷり歌う。長く滑らかなレガートには巨匠の風格があった。
 ラフマニノフ「絵画的練習曲作品33-7」は自由に崩して弾き、「大洋」という副題で呼ばれることもあるショパン「練習曲作品25-12」も雄大。
 会場は、スタンディング・オベイションとなった。93歳のスレンチェンスカの健闘を讃えるだけではなく、演奏に感動した自然な反応と思う。アンコールのショパン「ワルツ第7番作品64-2」はフレーズひとつひとつを愛おしむように弾いた。瑞々しい音は豊かな自然の中で、本物のおいしい湧水を飲むように感じられた。(長谷川京介)