2016年7月 

  

Classic CD Review【交響曲・他】

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47、交響曲第8番 ハ短調 作品65、交響曲第9番 変ホ長調 作品70、劇付随音楽《ハムレット》組曲 作品32a(抜粋) / アンドリス・ネルソンス指揮、ボストン交響楽団」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1741~2)
 ドイツ・グラモフォンと契約を結んだアンドリス・ネルソンスは音楽監督を務めるボストン交響楽団と組んで「スターリンの影の下でのショスタコーヴィチ」を最初のプロジェクトとしてショスタコーヴィチの5回に亘るライヴ・レコーディングを進めることとした。その第1弾は交響曲第10番で、この演奏が2016年のグラミー賞「ベスト・オーケストラル・パフォーマンス部門」に輝いたのである。そして今回発売となった交響曲第5番、第8番、第9番と《ハムレット》組曲より7曲を収録した2枚組がこのプロジェクトの第2弾で、1枚目には第9番、第5番が、2枚目にはハムレットと交響曲第8番が収録されている。この第2弾のどの曲をとっても、どれも甲・乙付けがたい程素晴らしい演奏である。特に最初に入っている第9番冒頭からの軽やかな感じは一度聴いたら,終生忘れることが出来ないネルソンスの強烈な印象となって心に刻みつけられた。
 そして特筆したいのが全体的な音の素晴らしさ。特に管弦打楽器の充実した音色とバランスの見事さだ。そしてネルソンスのダイナミックスによる表現とリズムのこだわりは天賦の才とも言える。それに加えてボストンのシンフォニー・ホールの音の良さは定評のある所だが、ボストン響の上手さとホールの残響が得も言われぬバランスを作り上げ、ここに最高のショスタコーヴィチが再現された。(廣兼 正明)

Classic CD Review【宗教音楽】

「ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ニ長調 作品123/ ローラ・エイキン(ソプラノ)、ベルナルダ・フィンク(アルト)、ヨハネス・クーム(テノール)、ルーベン・ドローレ(バス)、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」(ソニー・ミュージック、ソニー・クラシカル/SICC -30279)
 今年3月5日、ニコラウス・アーノンクールが86歳で亡くなった。このベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」は昨年(2015年)7月3日から5日にかけてグラーツのシュティリアルテ音楽祭でのライヴ・レコーディングである。アーノンクールはベートーヴェンのミサ・ソレムニスを彼の音楽人生の総決算と位置づけていたと言う。従って彼が創り上げたオーケストラである手兵コンツェントゥス・ムジクスを土台に、歌手もコーラスも最も気心の知れた仲間を用いたのも頷ける。正に遺言とも言える演奏である。しかし彼は同じ月の22日にザルツブルク音楽祭にも同じ曲を演奏し、この時の演奏が彼の人生にとっては最後の演奏となったのだ。彼はこのミサ・ソレムニスをそれ程多く演奏してはいない。それは彼にとっては最も大切な曲であり、彼の心から信じる仲間たちとのこの演奏は、彼の人生の最後に仕上げた神への音楽であったに違いない。(廣兼 正明)

Classic CD Review【歌劇】

「バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》/ マティアス・ゲルネ(青ひげ公=バリトン)、エレーナ・ツィトコーワ(ユディット=メッゾ・ソプラノ)、アンドラーシュ・パレルディ(吟遊詩人=語り)、小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD -1431)
 小澤征爾とバルトーク、筆者にとってこの組み合わせで直ぐに思い浮かべるのはどう言う訳かこのオペラ「青ひげ公の城」である。このオペラの粗筋と台本がハンガリー語であり、バルトークの音作りも含め、このオペラ全体に神秘的なムードが漂っている。このCDは2011年8月にサイトウ・キネン・フェスティバル(松本市民芸術館)での4公演のうち、小澤が体調不良をおして指揮をした初日と最終日のライヴ・レコーディングから編集したものである。たった1時間足らずの短いオベラではあるが、彼がまだ体調が完全に元に戻っていない時のこの演奏を聴くと、彼のこのオペラに対する猛烈な執念と、聴衆に対しての責任感の大きさを身近に感じさせてくれる。そして彼のこの気持ちをこのオペラに出演したゲルネを初めとするソリスト、オーケストラ、そしてその他すべてのスタッフが、小澤と気持ちを一にしてこの公演に臨んだことが十二分に伝わってくる。(廣兼 正明)

Classic CD Review【室内楽曲 (弦楽三重奏)】

「モーツァルト:ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563(オリジナル楽器使用) / 若松夏美(ヴァイオリン)、成田寛(ヴィオラ)、鈴木秀美(チェロ)」(キングインターナショナル、ARTE DEL'ARCO JAPAN/ADJ 049)
 オリジナル楽器では現在日本を代表すると言っても過言ではない、ヴァイオリンの若松夏美、ヴィオラの成田寛、そして大御所でもあるチェロの鈴木秀美によるモーツァルトの名作、トリオ・ディヴェルティメントがようやく発売されたことはうれしい。この曲は演奏する3人がすべて名手であることが必須の条件である。しかしここで言う名手とは、技術的、音楽的、そして室内楽的アンサンブルの全てに長けていなければならない。その昔、現代楽器ではあるが、かのハイフェッツ、プリムローズ、フォイアマンが途轍もなく速いテンポで弾いたレコードを聴いたことがあるが、全く室内楽的な楽しみを感じることが出来なかったことを思い出した。しかし今回リリースされたオリジナル楽器によるこのアルバムは、一つ一つの音からフレーズに至るまで三種類の弦楽器がどれも平等に、そして音を大切に扱っており、充実したアンサンブルを楽しませてくれる。このディヴェルティメントの一つの演奏スタイルとして十分な価値を持っているのではなかろうか。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【室内楽曲 (ピアノ三重奏)】

WPCS-23317

WPCS-23318

WPCS-23319

WPCS-23320

「ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-1、第2番 ト長調 Op.1-2 (WPCS-23317)、ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調 作品1-3、アレグレット 変ロ長調 Wo039(遺作)、ミュラーの私は”仕立屋のカカドゥ”による10の変奏曲 作品121a(カカドゥ変奏曲)、クラリネット三重奏曲 変ロ長調 作品11「街の歌」 (WPCS-23318)、ピアノ三重奏曲 第5番 ニ長調 作品70-1「幽霊」、第6番 変ホ長調 作品70-2、アレグレット 変ホ長調 Hess48、(WPCS-23319)、ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97「大公」、14の変奏曲 変ホ長調 作品44、ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Wo038、(WPCS-23320)/ ダニエル・バレンボイム(ピアノ)、ピンカス・ズーカーマン(ヴァイオリン)、ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ) (ワーナー ミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23317,23318,23319、23320,但し23318の⑦〜⑨(クラリネット三重奏曲「街の歌」)のみピンカス・ズーカーマン(ヴァイオリン)ではなく、ジェルヴァーズ・ド・ペイエ(クラリネット)。全4枚は分売、全て1970年の録音で、海外マスター音源使用の再発盤)
 このベートーヴェンのピアノ・トリオは演奏家にとっては致命的な中枢神経が犯され四岐が麻痺する難病、多発性脳脊髄硬化症のため夭折した天才女性チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ(1945年生まれ)が、難病に罹る以前の最盛期に当時の夫であったピアニストのダニエル・バレンボイム(1942年生まれ)、そして彼等の仲間だったピンカス・ズーカーマン(1948年生まれ)と共に当時のEMIに録音した貴重な全曲集である。彼等はほぼ同世代であり、録音当時最年長であったバレンボイムが28歳、デュ・プレ25歳、そして最も若いズーカーマンは22歳で世界でもトップ・クラスの若手として活躍しており、若さに溢れたエネルギッシュで音楽的にも素晴らしい演奏を聴かせてくれる。そして「街の歌」でクラリネットを吹いたペイエも当時44歳でロンドン交響楽団の首席であり、若い二人をリードする脂の乗りきった演奏を聴かせてくれる。この4枚の小品を含めた全集は非常に高い価値を持っている。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲 (チェロ・ソナタ)】

WPCS-23321

WPCS-23322

「ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番 へ長調 作品5-1、第2番 ト短調 作品5-2、第3番 イ長調 作品69 (WPCS-23321) 、 第4番 ハ長調 作品102-1、第5番 ニ長調 作品102-2、ユダス=マカベウスの主題による12の変奏曲 ト長調Wo045、「魔笛」の主題による7つの変奏曲 変ホ長調 Wo046、「魔笛」の主題による12の変奏曲 作品66 / ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)、ダニエル・バレンボイム(ピアノ)」(ワーナー ミュージック・ジャパン、ワーナー・クラシックス/WPCS-23321、23322、全2枚は分売、全て1976年の録音で、海外マスター音源使用の再発盤)
 このベートーヴェンのチェロ・ソナタと3曲のバリエーションは、今や伝説のチェリストであるデュ・プレが、難病の多発性脳脊髄硬化症発病寸前の1970年8月に夫バレンボイムとのコンサートをライヴ収録したものである。既に本人には病の兆候があったかも知れないが、前掲のトリオに較べるとデュ・プレの元気のなさが多少気にならないでもない。この2枚のCDを聴く限り、一言で言えば正に神がかった演奏である。天才チェリストのデュ・プレが今生きていれば古稀を越えて71歳、まだまだ充分に活躍しているだろう。
(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「タンゴマドンナ 1stコンサート in山中湖」(5月3日、芙蓉台音泉の間)
 タンゴマドンナは昨年の6月に誕生し、第一回ライブは荻窪のかふぇほーるwith遊で行われた。雄大な富士の麓にある芙蓉台別荘地でのコンサートは第一回であり、今後も継続してゆくとのこと。都会の喧騒を離れ、自然環境が美しいホールで聴くタンゴは耳を洗う。ホールといっても芙蓉台音泉の間は室内に木材を使用し、木のぬくもりと美しい響きが堪能でき、山の秋風のような清涼感と、サロン風で上品な洗練を一緒にしたような独特な感触があった。
 コンサートといえば、演奏家が聴衆の前で演奏し、華々しい効果を狙ったそれが多い。音楽を通して演奏家と聴衆が対話をする機会は少なく、コンサート終了後、再び満員電車に乗り帰宅すると、疲れが出て、明日の事を考えると心にゆとりがなくなってしまうのが現状ではないだろうか。その意味での今回のタンゴマドンナのコンサートは30人の聴衆を前にして対話を楽しみ、タンゴの持つ、あの独特の詩情がきき手に伝わってきた。
 山中湖での今回のコンサートでは「新緑と、音と心が踊る夕べ〜魅惑のタンゴ&シネマミュージック」と題されており、演奏された曲は底に美しく光るものがきき手の心を静かに招き寄せて離さない。
 ヴァイオリンは安田紀生子、ヴォーカルは賀川ゆう子、ピアノ&作編曲は二宮玲子。結成されてまだ一年足らずだが、この三人の演奏を聴いていると、親しみを込めた同感と、ほんのりとした明るさがあって、サロン的娯楽性と、演奏会的真摯さがほどよく調和され、心の通った表現をしているような感じであった。
 コンクリート造りのコンサート会場から離れ、木造建築で聴くコンサートは人々に安らぎを与えてくれるのである。次回のコンサートも楽しみである。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「新日本フィルハーモニー交響楽団 トリフォニー・シリーズ 第559回定期演奏会」(5月27日、すみだトリフォニーホール)
 新日本フィルハーモニーの今回の定期は、27日と28日の二日間、法人作曲家の作品が三曲演奏された。今回の定期のための新作はなく、全ての作品は既に紹介され、演奏される機会も比較的多い。しかしオーケストラの定期で、日本人作品のみを取り上げることは少なく、その意味でも今回の新日フィルの定期は貴重である。どの作品も聴衆に訴えかけてきたのではないだろうか。演奏された三作品は、三善晃「管弦楽のための協奏曲」、矢代秋雄「ピアノ協奏曲」、黛敏郎「涅槃交響曲」である。
 筆者は以前にこれらの作品を何回か聴く機会を持ったが、そのつど大きな感銘を受けた。どの作品も明快な音の使い方、整った形式、鮮やかな管弦楽法、熟達した技巧等があり、それでいて個性的である。日本を代表する管弦楽曲であることは云うまでもない。
 作品について少し触れると、三善作品は1965年の作。一連の和音進行を統一原理に、楽器群を集合的に協奏させ持続する。力強い発想を精密な書法で生かした作品である。
 矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」は、現代作品の中にあって、耳に快い柔らかな感触が伝わり、特に第二楽章のオスティナートの楽想が印象に残る。1964年から67年にかけての作曲。ピアノ独奏はトーマス・ヘルである。
 黛敏郎の「涅槃交響曲」は作曲者自身が「仏教カンタータ」と称しており、大変な巨作であることは云うまでもない。
 指揮は下野竜也。定期で法人作品のみを取り上げた下野の勇気に拍手を送りたい。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「トーマス・ヘル リゲティ:ピアノためのエチュード全曲」(6月3日、トッパンホール)
 リゲティのピアノ作品そのものが異次元の音楽であり、トーマス・ヘルも異次元から来たピアニストではないか。正味1時間とちょっとの演奏だったが、集中度が高く、時間の感覚を忘れた。
 第3巻、第1巻、休憩、第2巻の順で全18曲が演奏された。ヘルは左右の手が完全にコントロールされている。リズム感が完璧。鋼のような高音キーの打鍵が素晴らしい。ロボットのように精確だが、その裏に情感が、人肌の温かさが、詩情がぴったりと同化している。リゲティを弾くために生まれてきたのでは、と思わせる。
 前半のハイライトは第1巻第6曲「ワルシャワの秋」。エチュードの中でも最も複雑で、演奏効果も高い曲。4つのメロディーとリズムがそれぞれ同時に鳴っている。きらめく高音も異常に美しいが最後に強打される最低音の巨大なスケールの響きに呆然。
 後半は第2巻第13曲「悪魔の階段」でピークを迎える。リゲティは猛烈な嵐に遭遇した体験を音楽にしたとのことだが、昇っていく音列に息がつまり、打ち鳴らされる鐘のような音は悪魔祓いを思わせた。フォルテが8個ついているクライマックスが終わって、長く引き伸ばされる音は地獄にひきずりこまれるよう。第14曲「無限柱」で、これでもかと、らせん階段を駆け上って行く音で、空気が薄くなるのを感じた。
 NHKがテレビ収録していたが、終演後一部撮り直したという。完璧だと思ったが、本人は納得できないらしい。稀有なコンサートだった。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「クァルテット・エクセルシオ ベートーヴェン・サイクル」(6月4、9、12、15、18日、サントリーホール・ブルーローズ)
 結成後22年にわたり活躍しているクァルテット・エクセルシオ(第1ヴァイオリン西野ゆか、第2ヴァイオリン山田百子、ヴィオラ吉田有紀子、チェロ大友肇)による、全5回のベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会。9日以外の4回を聴いた。
 第1ヴァイオリンの西野ゆかが、病気療養(左手の腱鞘炎とのこと)から復帰して半年弱であり、本調子でなかったことを考慮しなければならないが、このクァルテットの中心は、チェロの大友肇であり、彼が演奏の骨格や内容を創造し、他の三人はその方向に向かって演奏している、ということが全体を聴いて理解できた。
 第1ヴァイオリンが常に中心ではないクァルテットは、ハーゲン・クァルテットやパシフィカ・クァルテット、モディリアーニ弦楽四重奏団など、このところ増えている。その是非について、簡単に結論は出せないが、今回のサイクルを聴いて、チェロ以外の3人はもっと前に出て、ダイナミックで緊張感のあるベートーヴェンをつくってほしいと思ったことは確かだ。ただ、聴いていると大友肇の音楽性が他の3人よりも明らかに高いので、その差を埋めるのは大変だろうと想像できる。今後は、現在の形を保ちながら、お互いのバランスをとっていくことになるのかもしれない。
 最後に、印象深かった演奏をあげておく。
 第6番。素直な表現で力みもなく、クァルテット・エクセルシオにぴったりだった。
 第7番「ラズモフスキー第1番」。大黒柱、チェロの大友肇のソロから始まる流れもよく、細かなところまで、よく弾きこまれていた。
 第4番、第16番、第8番「ラズモフスキー第2番」もまとまりがよかった。
 こうして見ると、初期から中期の曲のほうが、バランスや曲構成の面で、今のクァルテット・エクセルシオには合っているようだ。
 全ての演奏が終わった後、クァルテット・エクセルシオには、スタンディング・オベイションが送られた。辛口も書いたが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏は、やはり大きな達成であり、その努力は讃えるべきだ。私も立ち上がって拍手した。(長谷川京介)

写真は6月15日撮影。提供:サントリーホール

Classic CONCERT Review【室内楽】

「ウィーン・フィルトップメンバーによる室内楽の夕べ」(6月4日、東京文化会館小ホール)
 ウィーン・フィル初の女性コンサートマスター、アルベナ・ダナイローヴァ、ヴィオラ首席トビアス・リー、フルート首席カール=ハインツ・シュッツに、ピアノの加藤洋之が加わっての室内楽。
 首席3人によるベートーヴェン「セレナード ニ長調」は、音色といいハーモニーといい、まさに「ミニ・ウィーン・フィル」。
シュッツのシューベルト「≪しぼめる花≫の主題による変奏曲」は、華やかで品があり、いつまでも聴いていたい気持ちになる。
 ダナイローヴァのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」は、端正な美しさがあった。加藤洋之のピアノが単調だったのは残念。
 ヴィオラのトビアス・リーと加藤によるブラームスのヴィオラ・ソナタ第2番(クラリネット・ソナタの作曲者自身による編曲)は、内向的で渋い演奏だったが、第3楽章の変奏は聴かせた。
 アンコール1曲目は4人全員が登場、イギリスの作曲家ゴードン・ジェイコブ(1895-1984)の「トライフル」から第4番を演奏した。「トライフル」とは「スポンジケーキと生クリームを使った伝統的なデザート」と「つまらないもの」という2つの意味があるが、スコティッシュダンスのような乗りの良い曲は、後者だろうか。2曲目は3人で、ハイドンのディヴェルティメント第2番ト長調からアレグロ。これも楽しい曲だった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「トリオ・ワンダラー ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲全曲第2夜」(6月9日、三鷹市芸術文化センター 風のホール)
 最後の曲「大公」の第4楽章のコーダの雄大な演奏を聴きながら、「新しいベートーヴェンを聴かせてもらった」という思いが浮かんできた。会場で会った招聘元に聞いたが、ピアノのヴァンサン・コックは『ドイツ音楽は楽しいですよ』と語っているという。彼らは喜びをもってベートーヴェンを演奏している。
 もうひとつ発見があった。メンバーそれぞれがソリストであり、アンサンブルプレイヤーであること。彼らは協奏曲のように室内楽を演奏する。ソロのように弾くが、同時にアンサンブルを完璧に合わせる。3人は各々独立していると同時に有機的に結びついている。
中でも、チェロのラファエル・ビドゥはすごい。全ての音とフレーズが、生き生きとしている。彼こそトリオ・ワンダラーの支柱だ。ヴァイオリンのジャン=マルク・フィリップ=ヴァルジャベディアンも良い音だった。なお、ピアノは会場備え付けのニューヨーク・スタインウェイが使われた。
 この日は、トリオ・ワンダラーの凄さを何度も思い知らされた。第3番第4楽章のプレスティッシモの激しい序奏の迫力。「大公」第1楽章展開部のピチカートの掛け合いの凄さ。抒情的な面では第1番、第1楽章第2主題のチェロのフレーズと、続くセンチメンタルな第3主題のピアノの表情などに魅了された。
 トリオ・ワンダラー、その名の通り古典から現代音楽まで、広くさすらいの旅をこれからも続けて行ってほしい。(長谷川京介)

写真:(c)Francois-Sechet

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「イジー・シュトルンツ指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第298回定期演奏会」(6月9日、東京オペラシティコンサートホール)
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:三浦文彰)
ドヴォルジャーク:交響曲第7番
 シュトルンツのきびきびとした緊張感溢れる序曲でコンサートが開始された。この夜の客席は若い人たちが多いのに気づいたが、それはNHK「真田丸」のヴァイオリンを聴きに来た人たちなのだろう。現在23歳の三浦の演奏は、まず自信に満ちた堂々としたものだった。ヴァイオリンの音色に圧倒された。使用しているのは1748年製のガダニーニだそうだが、その深みがあり、暖かい音はそれだけで聴衆の心を奪ってしまった。三浦は第1楽章冒頭では淡々と弾き始めたが、それが聴衆の共感を呼んだと思う。ねちっこく演奏されるよりずっと爽やかだ。第2楽章では音色が同じ楽器かと思うくらい変わった。今度は繊細な音になっていた。素晴らしい。オケとのアンサンブルも非常によかった。シュトルンツの伴奏もうまかった。アンコールで「アルプス一万尺」による変奏曲が弾かれたが、これがまたヴァイオリンの魅力を堪能させてくれた。これからがますます楽しみのヴァイオリニストだ。
 シュトルンツはチェコ生まれの47歳。ドヴォルザークの第7番はニ短調の作品だが、会場を優しく包み込むような響きが印象的だった。弦楽器奏者が多すぎたせいか管がいくぶん隠れた感じがして、これは少し残念だった。とはいえ、指揮は非常に明快だった。的確な指示が出され、オーケストラ団員はそれによく応えていた。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「東京フィルハーモニー交響楽団 第102回 東京オペラシティ定期シリーズ」(6月10日 東京オペラシティコンサートホール)
 東フィルの東京オペラシティ定期公演は、ドヴォルザークの名曲、三曲が演奏された。序曲『謝肉祭』、チェロ協奏曲、交響曲第8番。指揮は尾高忠明、チェロの独奏が岡本侑也である。どの作品も派手な演出抜きの誠実な表現で、良い響きが出ていたし、念入りに磨かれ、いかにも尾高らしい格調の高い音楽であった。今回演奏された三曲は、指揮者によっては、曲の様式に従って、直線的に速くしたり、かなり大胆に緩急の変化をつけて表現する人も多い。
 最初に演奏された『謝肉祭』も、尾高の感受性と好みでしっかりと把握した音楽を、真っ正直にきき手に訴えかける。尾高の強みとも言うべきで、それでいて、どの楽想にも程良いぬくもりが感じられるのである。
 チェロ協奏曲の独奏者は、岡本侑也で彼は、1994年の生まれ。2011年の第80回日本音楽コンクールチェロ部門第一位、併せて岩谷賞(聴衆賞)を含む四つの特別賞を受賞したとのこと。岡本のチェロは装飾的ではなく、彼の内面の感情と深く結びついた表現を行うように思えた。それでいて、リズム、テンポ、フレージングなどに生硬さがなく、音楽的な美しい流動感で、聴き手を引き込んでゆく。これからの成長が楽しみなチェリストである。
 後半は交響曲第8番。尾高と東フィルのこれまで数々の演奏をしてきた経験がはっきりと感じられ、すみずみまで見事に統制された表現であった。形式主義の足跡もなく、特に第三楽章のあの美しい3拍子の舞曲の表情は、尾高と東フィルの熟した味と品格が感じられ、感銘の残る演奏であったことは云うまでもない。尾高と東フィルは平日の午後のコンサートも発足させるという。楽しみである。(藤村貴彦)

写真:(c)Martin Richardson, (C)TakafumiUeno

Classic CONCERT Review【オーケストラ (室内オーケストラ)】

「紀尾井シンフォニエッタ東京 第105回定期演奏会」(6月18日(土)、紀尾井ホール)
 紀尾井ホールのレジデンス・オーケストラとして創設されたこのオーケストラもはや21年が経ち、来年からはネーミングも新たに「紀尾井ホール室内管弦楽団」と改称、新設の首席指揮者にはウィーン・フィルのコンサート・マスターであったライナー・ ホーネック氏を迎え、若返りと発展を見据えた新体制へと移行するという。従って今回の演奏会は「紀尾井シンフォニエッタ東京」として105回目のそれも最後の定期演奏会となった。今回のプログラムはこのオーケストラの最終定期として誠に聴き応えのあるものだったと言えよう。最初に演奏されたフランク・ブリッジの「弦楽のための組曲」は、上品な美しさと哀愁味がほのかに感じられるイギリスの作曲家らしい佳曲である。2曲目の「タブラ・ラサ」はエストニア出身のアルヴォ・ペルトが書いた曲で、2丁のソロ・ヴァイオリンとプリペアド・ピアノ、そして弦楽合奏という組み合わせで、筆者にとっては初見参の曲だが聴いてみると意外に面白い。そしてこのオーケストラのリーダーを務めるアントン・バラホフスキーとリュドミラ・ミンニバエヴァ夫妻の見事なソロ・ヴァイオリンがこの曲をより楽しませてくれた。そして今回のトリはこのオーケストラの実力が充分に発揮できるドヴォルザークの弦楽セレナーデである。プログラムのメンバー表を見るとよくこれだけの素晴らしい実力者たちが集まったものだと感心させられる。聴く方にしてみたらこれ程幸せなことはない。今回の見事な演奏を聴くと来年からの新体制にも大きな期待が感じられる。(廣兼正明)

写真:三好英輔

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「小山実稚恵の世界〜ピアノで綴るロマンの旅 第21回」(6月18日、オーチャードホール)
 ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」が、最も小山実稚恵の世界に合っていて、心地よく聴くことができた。ヘンデルの主題が、アポロ的で端正で格調高く、音もみずみずしい。25の変奏曲も、優しく美しい変奏と、確固として激しい変奏の描き分けが、よくできていた。 
 バルトークのソナタは、激しい打鍵とリズムの切れ味ではあるが、小山実稚恵のおおらかな世界に溶け込んでいる。第1楽章などラフマニノフを得意とする小山には無理なく入っていけるものだろう。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」は、大きな壁を前にして、全貌をもれなく把握することは、まだできていないように思われた。第4楽章の長大なフーガは、破綻はなく、構造は良く捉えられていた。しかし、その内容がいかなるものなのか、聴いていて理解することはできなかった。聴き手としても「このフーガはこう演奏されるべきだ」という、確固たる視点は持ち合わせていない。啓示に満ちた演奏の体験がないだけかもしれない。第3楽章はしかし、コーダの弱音を筆頭に、美しい演奏だった。
 小山実稚恵の世界とは、聴き手を幸福にし、おおらかな愛で包み込む音楽だと思っている。テクニックだけなら、小山よりも優れたピアニストはいるだろうが、いつも温かい音楽で聴き手を満足させてくれるピアニストは少ない。アンコールのシューベルトの即興曲を聴きながら、小山実稚恵の音楽を感じていた。(長谷川京介)

写真:(c)ND CHOW

Classic CONCERT Review【ヴァイオリン】

「五嶋みどり&オズガー・アイディン デュオ・リサイタル」(6月20日、サントリーホール)
 全編そっとささやくようなヴァイオリン。五嶋みどりはいつから、こういう弾き方になったのだろうか。昨年10月のヤルヴィN響とのショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番では、確かに弱音の美しさはあったが、同時に強靭な響きもしっかりとあった。今日は、最初から最後まで、ソットヴォーチェ(静かに抑えた声)で、演奏されていた。
 賛否分かれるだろうが、私はとてもよかったと思う。特に、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」がよかった。五嶋本人が書いたプログラム解説によれば、この曲はシューマン夫妻の息子で、ブラームスが名付け親だったフェリックス・シューマンが、24歳で亡くなった直後に作曲されたとのこと。クララへの思いやりの気持ちが反映されているとすれば、ブラームスがクララの横に座って語り掛けるような演奏は、まさにぴったりの解釈と言える。第2楽章アダージョ中間部のエスプレッシーヴォのヴァイオリンの重音による、哀しみと慰めの表情は素晴らしかった。
 シェーンベルクの「ピアノ伴奏を伴ったヴァイオリンのための幻想曲」は、神秘的な美しさがあり、繊細で研ぎ澄まされた演奏だった。
 後半のモーツァルト「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調K454」は軽やかな五嶋みどりのモーツァルトが楽しい。第3楽章で、コーダの冒頭に、「フィガロの結婚」序曲のフレーズを即興で入れるのも面白い。
 ピアノのオズガー・アイディンは、最初は気にならなかったが、最後の曲、シューベルト「ピアノとヴァイオリンのための幻想曲 ハ長調」は、ピアノが五嶋みどりの邪魔をしているとしか思えなかった。出だしのアンダンテ・モルトのトレモロから、シューベルトのファンタジーが感じられず、アンダンティーノのシューベルトの歌曲「挨拶を送ろう(Sei mir gegrusst)」の美しい旋律も全く情感が感じられない。これでは曲の魅力が半減するどころか、曲を破壊してしまうほどだ。ベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者清水直子の夫君であり、3年前の日下紗矢子のリサイタルではいい印象を持っていただけに、今回の表情のない演奏は信じられない思いがした。
 アンコールはクライスラーの「愛の悲しみ」「愛の喜び」が続けて演奏された。五嶋みどりのテクニックは完璧のさらに上を行く。純粋で、峻厳な音色と、ピアニッシモの繊細さと、裏に秘めた強靭さもますます磨きがかかっている。どのような表現も可能と思われるが、今は世俗を離れ、どこか別の世界に向かっているようにも見える。(長谷川京介)

写真:(c)T.Sanders