2006年4月 

Popular ALBUM Review
 
「ストーンド」(エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ/AVCF-22744)
 ザ・ローリング・ストーンズの創始者、ブライアン・ジョーンズは1969年7月3日、27歳という若さでこの世を去った。彼の死については様々な憶測が囁かれている。そんなブライアンの死について描かれた映画「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」はこの夏公開。ストーンズ・ファンはもちろんのこと、音楽に興味のある人々にとっては60年代後半というロックが最も活力のあった時代をダイレクトに感じることが出来るということで、大きな注目を集めることだろう。このアルバムは映画のサウンドトラック盤。カヴァーではあるけど、ストーンズ・ナンバーもふんだんに楽しめる。一足先にこのアルバムを耳にしながら映画公開に期待を寄せたい。(Mike M. Koshitani)

Popular ALBUM Review

「ロック・スターの最期/ロニー・スペクター」
(ビクターエンタテインメント/VICP-63339)
 
フィル・スペクターのプロデュースで1960年代に「あたしのベビー(Be My Baby)」ほかのヒットで我が国でも大きな注目を集めたザ・ロネッツ。メンバーのひとり、ロニー・スペクターが久々にソロ・アルバムを発表、素晴らしい出来映えだ。パティ・スミス、ジョーイ・ラモーン、そしてキース・リチャーズらが参加。キースは「オール・アイ・ウォント」「ゴナ・ワーク・ファイン」の2曲で参加。前者はピッツバーグ出身のシンガー/ソングライター、エイミー・リグビーのカヴァー。後者はアイク&ティナ・ターナーの61年のヒット。ロニー&キースがたまらなくアイク&ティナしていているR&B作品なのだ。(Mike M. Koshitani)

 
Popular ALBUM Review




ザ・ローリング・ストーンズ紙ジャケ(ユニバーサルミュージック)
「イングランズ・ニューエスト・ヒット・メイカーズ」(UICY-93013)
「12 X 5」(UICY-93014)
「ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!」(UICY-93015) 
「アウト・オブ・アワ・ヘッズ」(UICY-93016)
「アウト・オブ・アワ・ヘッズ」(UKヴァージョン)(UICY-930157) 
「ディッセンバーズ・チルドレン」(UICY-93018) 
「ビッグ・ヒッツ(ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス) 」(UICY-93019)
「アフターマス」(UICY-93020)
「アフターマス」(UKヴァージョン)(UICY-93021) 
「ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!」(UICY-93022) 
「ビトゥイーン・ザ・バトンズ」(UICY-93013)
「ビトゥイーン・ザ・バトンズ」(UKヴァージョン)(UICY-93024) 
「フラワーズ」(UICY-93025) 
「サタニック・マジェスティーズ」(UICY-93026) 
「ベガーズ・バンケット」(UICY-93027) 
「スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)」(UICY-93028) 
「レット・イット・ブリード」(UICY-93029) 
「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!」(UICY-93030)
「ホット・ロックス1964-1971」(UICY-93031/32)
「モア・ホット・ロックス+3」(UICY-93033/34)
「シングル・コレクション(ザ・ロンドン・イヤーズ)」(UICY-93035/37) 
「メタモーフォシス」(UKヴァージョン)(UICY-93038)

 ストーンズのデッカ/ロンドン・レーベル時代の22枚のアルバムが遂に紙ジャケット化となった。日本ばかりでなく世界中のコレクター、ストーンズ・フリークが注目。特に今回、アブコではなくユニバーサルミュージックが日本独自という形で実現したことに大きな拍手を送りたい。『サタニック・マジェスティーズ』の 3Dジャケット(ニュー・ヴァージョン)、『スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)』が八角形ジャケットで再現されるなど、担当者の苦労がうかがえる。ストーンズ来日中ということもあってより多くのファンがコレクションすることだろう。(Mike M. Koshitani)


Popular ALBUM Review

「ギミ・サム・ネック/ロニー・ウッド」(ソニー・ミュージック/MHCP1025)
 ジェフ・ベック・グループ、フェイセズとイギリスの名バンドを転々と渡り歩いてついには76年にローリング・ストーンズのギタリストに収まったロン・ウッドの79年の3枚目のソロ・アルバム。ストーンズというバンドの人事力学やヒエラルキーをよく理解していた上に、その長いキャリアから知己も多いロ二?だけに、こういうソロを見事に作り上げることができたのだろう。実に溌溂とした内容で、発売当初はミック・テイラーのソロとあまりにも好対照だったのがあまりにも印象的だった。ストーンズの面々もかなり参加していて、どことなく80年代前半までのストーンズのヴァイブがかもし出されているところがおもしろいし、このアルバム最大の魅力だ。ストーンズに限りなく近いけれども、ストーンズとはやはり異質なロックンロールを聴かせるという意味では、ストーンズのメンバーによるソロ・プロジェクトとして傑作に値する。当時は未発表曲だったボブ・ディランの「セヴン・デイズ」も聴きもの。(高見 展)

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「1 2 3 4/ロニー・ウッド」(ソニー・ミュージック/MHCP1026)
 『ギミ・サム・ネック』に続いて制作されたロン・ウッドの4作目のソロ・アルバム。今回はチャーリー・ワッツ以外にはローリング・ストーンズのメンバーが参加することもなく、ロ二ーの人脈を使ってトラック毎に形にしていった様子が窺われる。前作と較べると性急に制作された感もいなめないが、この時期ストーンズはかなり忙しかったはずなので、それはいたしかたなかったのだろう。骨格としては大好きな曲も多いので惜しいアルバムだけれども、ここで聴くべきなのはここに記録されている、数々のロックンロール・トラックが形となった時のダイナミズムそのものだ。ロ二ーのディランばりのヴォーカルも脂が乗ってきていて、このアルバムの最大の魅力の一つ。バック・トラックだけに終わっている「レッドアイズ」などは是非ヴォーカルをつけたヴァージョンを聴いてみたかった。(高見 展)

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「ミック・テイラー」(ソニー・ミュージック/MHCP1027)
 『レット・イット・ブリード』から『イッツ・オンリー・ロックンロール』までと、ローリング・ストーンズはおろか、全ロック史のなかでもあまりにも重要な作品の数々に参加したミック・テイラー。70年代に入ってストーンズがレッド・ツェッペリンとともにロック・スターダムをアメリカで現実化していくなかで、そうした状況が生むさまざまな軋轢から惜しくも脱退してしまったミックだが、ストーンズの歴史のなかでは紛れもなく最高峰のギターの名手だった。そんなミックが脱退から5年後、さまざまなプロジェクトを渡り歩いた末にリリースしたソロ・アルバム。発売当初は「オール・ダウン・ザ・ライン」のような曲ばかりなのかと思っていたところ意外にも落ち着いた作りで驚いたが、「アラバマ」「スロー・ブルース」などのブルース演奏にミックの真意があるし、「ブロークン・ハンズ」のリード・ギターはもちろん、リズムの切り方はストーンズ時代のように壮絶だ。(高見 展)

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「3121/プリンス」(ユニバーサル ミュージック/UICU1110
 プリンスの約2年ぶりの新作。タイトル「3121」は、プリンスのロスアンジェルスにある自宅の住所の番地らしい。他にもいくつか隠された意味があるようだが、それはおいおい明らかになるのだろう。全体的には、打ち込み曲が多いがファンク曲では、実にのりのいい音を作る。とくに、「フューリー」「ゲット・オン・ザ・ボー ト」は、最高にかっこいいサウンドを聞かせる。また、最初のシングルとなった「テ ・アモ・コラソン」あたりは、ラテン調で、プリンスの新しい側面を見せる。このところのプリンスのリアル・ミュージシャンとしての充実ぶりを見せた1枚だ。(吉岡 正晴)

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「バック・トゥ・ザ・ドライヴ/スージー・クアトロ」(東芝EMI/TOCP-66519)
 アルバムのオープニング曲「バック・トゥ・ザ・ドライヴ」(過去スージーのヒット曲をたくさん手掛けたマイク・チャップマンの書下ろし!)でのっけに存在感のあるヴォイスでヤアイム・バ?ック!ユと一発かましてスージーQが15年ぶりにカムバックして参りました!ズンズンズン?と、そこのけそこのけスージーQのお通り?!ばかりに堂々たるもの。以降もハード・ロック、ロックン・ロール、キャッチーなポップ・ロックにメロウなバラード・・・と余裕しゃくしゃく。中でもニール・ヤングの隠れ名作「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」のカヴァーが何ともカッコいい♪ちょっと歌声のトーンは低くなったように思いますが、55歳にしてこの変らぬロッカーぶり!これからも、クアトロ姐さんについて行きます♪(上柴 とおる)

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「スロウ・ダウン・サマータイム/ダトリー・ビーン」
(バッファローレコード/LBCY-314)

 シンガー・ソングライターの資質に変化が現れている。ひとむかし前だったたらポップ&ロック風味が全盛だったが、近年はノラ・ジョーンの台頭で!?ジャズっぽいサウンドを押し出した歌手が目立つようになった。新進気鋭のジャズ・バンド、トーチのヴォーカリスト、シーラもその例に漏れないが、新人ダトリー・ビーンのアコースティック・ジャズも見逃せない。芳醇なオールド・ジャズの香りをバックに素敵なオリジナル・ソングを唄っている。アルバム表題の「Slow Down Summertime 」にビリー・ホリデイを見た。(鈴木 カツ)


Popular ALBUM Review

「シングルスAs & Bs/ラヴィン・スプーンフル」(ヴィヴィド/VSCD-4703~4)
 1960年代後期、少年時代の私のアイドルはザ・バーズとスプーンいっぱいに愛をすくってくれたこの4人組でした♪そんな彼らのシングル盤のA面&B面曲を2枚組全32曲にまとめたのが復刻盤では定評あるドイツのRepertoire Records。一見ありがちな企画のようですが実は奥深いものがあるんです(と私は感じます)。AB面の曲を順番に並べ立てるのではなくCD1にはA面曲、CD2にはB面曲を中心に収録されておりまして(こういう曲の並べ方はちょっと珍しい?)、つまり彼らの作品はどれもが個性的で多彩でクォリティーが高く、B面といえどもヤ単なるB面曲ユじゃない、A面との対比でも遜色なく大いに存在意義があるのだ、という選曲者の思いが伝わるかのような編集盤です。「サマー・イン・ザ・シティ」のB面「ブッチーズ・テューン」(当時の表記)や「デイドリーム」のB面「ナイト・アウル・ブルース」で彼らにハマってしまった私は彼らのヤ裏ユの魅力をめてアピールしたい気持ちです。ちなみに今回、音質がグッとクリアになってグッド!それぞれの楽曲にまた惚れ直してしまいました?♪ (上柴 とおる)

Popular ALBUM Review

「シカゴXXX/シカゴ」(ワーナーミュージック・ジャパン/WPCR-12289)
  ん?このタイトルって...そうか「シカゴ サーティ」って読むんですな。ということは30枚目(すごい!)に
なるわけですが、オリジナル・ニュー・アルバムとしては「シカゴ21」(1991年)以来15年ぶり。つまり、この
間にスタンダード集やクリスマス盤、ライヴ盤に各種ベスト盤などが計8枚もリリースされていたということに
なります。これもまたすごいことですが、結成40周年を迎えるという彼らのキャリアと実績がそういった企画盤
を生み出せたのでしょう。そんな彼らがまさしく満を持して発表したこの新作はリキ入ってます、いい仕事して
ますねえ。シカゴがいかにもシカゴらしいというか、21世紀初の新作とはいえ別に新しいことはやってませんが、水を得たシカゴのように(!?)ぴちぴち、生き生きとした演奏にヴォーカル(おなじみのトーンもなんか懐かしくて)を聞かせ(外部からゲスト歌手も参入)、妙にバラードに寄りかかることもなく、ダレません。(上柴 とおる)

Popular ALBUM Review

「ユアーズ/サラ・ガザレク」(オーマガトキ/OMCZ-1019)
 最近新しいジャズ・ヴォーカリストが次々に登場するが、シアトル生まれのサラ・ガザレクも有能な一人。ジャズを始めたハイスクール時代にエリントン・ジャズ・フェスティヴァルの第一回エラ・フィッツゲラルド賞を受賞。大学卒業後コンコード・ジャズ・フェスティヴァルにも出演している。昨年録音のデビュー・アルバムは古いスタンダード曲、ポップ・テューン、オリジナル等で構成され、テクニックは抑えて、ややスモーキーな暖かい声でごく自然体で歌っている。プロデューサーのジョン・クレイトンのアレンジか、曲を新鮮にするピアノ・トリオもスマート。ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」はナイーヴに淡々と歌っていながら味わいがあるし、ビートルズの「ブラックバード」と名曲「バイバイ・ブラックバード」をメドレーにして洒落た一曲に。「マイ・シャイニング・アワー」もタイムを変えながらスマートなジャズにしている。日本盤ボーナス2曲もいい。間もなくの来日も楽しみ。 (鈴木 道子)

Popular ALBUM Review

「ホワッチャ・ゴット・クッキン/キャロル・ウェルスマン」
(コロムビアミュージックエンタテインメント/ COCB53505)

 前述サラと違って、こちらはいわゆるジャズらしいヴォーカル/ピアノ、ソングライターでもある。しっかりとしたテクニックに支えられ、気持ちよくスウィングする。キャロル・ウェルスマンはカナダ・トロント出身。祖父はトロント響の創始者。クラシックからジャズへ転身して名門バークリー音楽院ではピアノを専攻。パリでミッシェル・ルグランの姉クリスティンからヴォーカルを学んだ。もう10数年自分のバンドでプロとして活躍。数々の賞を受賞している。この新作はポピュラー曲と自作からなり、ジャズではあまり取り上げないカントリー系からの選曲が多いのが珍しい。グレン・キャンベルの「恋はフェニックス」をソフトなバラードとして新鮮に蘇らせているし、R&B調の「愛さずにはいられない」も快い。スキャットに工夫がみられる歯切れよい「ヘイ・グッド・ルッキン」、小粋な「ジャスト・ア・リトル・ラヴィン」等、いずれも気持ちよく楽しめる。(鈴木 道子)

 ≪富士通ジャズ・エリート2004≫で初来日したカナダのシンガー、キャロル・ウェルスマンの「ザ・ランゲッジ・オブ・ラヴ」に続くサヴォイ専属第二弾。ハンク・ウイリアムス、ウイリー・ネルソン、パッツイ・クライン、アーネスト・タブからレイ・チャ?ルス、レスリー・ゴア等カントリー系の歌手のヒット・ナンバーをカヴァーしてサックスとギターの入る伴奏によるジャズっぽい味付けで歌う作品。最近流行のノラ・ジョーンズとか、マデリーン・ペルーなどを意識したものだろうか。ちょっぴりノスタルジックな気分にさせられ気持ちよく聴けるアルバム。彼女は、今年度のカナダ・スムース・ジャズ賞にノミネートされている。(高田 敬三)


Popular ALBUM Review

「Act Of Faith/Chris Jagger's Atcha!」(SPV/SPV78572)輸入盤
 ミック・ジャガーの弟、クリスはもう30年以上も確実に音楽活動をしている。この新作では、ブルース、ケイジャン、ルーツ・ロックという彼の音楽性が大きく噴出。まさに良質の素晴らしいサウンド堪能させてくれる。オープニング「It's Amazing(What People Throw Away)」では歌詞にストーンズとビートルズが登場。そしてストーンズ・ファン注目の楽曲が4曲目の「DJ Blues」 だ、クリスがミックとオリジナル・ブルースを完全デュエット。ここの歌詞にも注目、♪マット・マーフィー、エルモア・ジェームス、バディ・ガイ、ルーズベルト・サイクス、アルバート・キング、サニーランド・スリム♪らが登場する。ミックのハーモニカもダイナミックな良い味を出している。アルバムにはデイヴ・ギルモア、サム・ブラウン、ビリー・ジェンキンスらも参加している。(Mike M. Koshitani)

Popular ALBUM Review

「マキズ・バック・イン・タウン/まき みちる」(M&I音楽出版/YKCJ-401
 シナトラがカウント・ベイシーと共演した「アット・ザ・サンズ」のオープニングを模したアナウンスで始まるこのCD。歌うは、まきみちる、バンドは、エリック・宮城のオールスター・ビッグ・バンド。しかし、ライヴ録音ではない。まきみちるは、一昔前の「若いってすばらしい」のヒットで知られるアイドル・シンガーだったあの槙みちるだ。シナトラと同じくパワフルにスイングする「カム・フライ・ウイズ・ミー」から始まる本CDは、彼女の好きなシナトラへのトリビュート。シナトラのレパートリーだった曲を中心にパンチの有る声でエンジン全開といった感じでエネルギッシュに歌い、スインギーで楽しいアルバムになっている。(高田 敬三)

Popular DVD Review

「SWINGING 60's The Rolling Stones」(パンド/PAND-8002)
 期待通り迫力のロックンロールを引っ提げてきてくれたザ・ローリング・ストーンズの来日公演だが、そのストーンズのストーリーをブライアン・ジョーンズという視点からひもとくのがこのドキュメンタリーの内容。そもそもストーンズというバンドを創始した人物だったともいえるブライアンがどうして69年には脱退へと追い込まれることになっていたのかを関係者証言ともに綴っていく。ブライアン他殺説にもとづいた映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男(STONED)』とのからみからキャッチーな内容だが、こちらは状況証拠から最も妥当なストーリーが推理される。作品中に紹介されるジミ・ヘンドリックスとブライアンのセッション音源などは刺激的だが、なんといっても、64年のアメリカでのテレビ出演映像がなんど観ても圧巻である。(高見 展)

Popular CONCERT Review
「ロバータ・ガンバリーニ」 COTTON CLUB 3月14日
 昨年度のスイング・ジャーナルのジャズ・ディスク大賞、ヴォーカル賞に輝き「本格派ジャズ・シンガー」の登場と話題のロバータ・ガンバリーニの初の単独公演が東京駅近くの「コットン・クラブ」で行われているので初日に聞いた。ベテラン・ドラマー、ジェイク・ハナ、ピアノのタミール・ヘンデルマン、ベースのクリストフ・ルティによる演奏のあと登場した彼女は、日本デビュー・アルバム「イージー・トゥ・ラヴ」のタイトル曲を無伴奏でヴァースから入り、お得意のガレスピー、スティット、ロリンズの名演をヴォーカライズした「明るい表通りで」を含め14曲を歌う。「ラヴァー・カムバック・トゥ・ミー」などでは巧みなスキャットも披露、マット・デニスの「エヴリィシング・ハップンズ・トゥ・ミー」では、ミルス・ブラザーズばりの手を上手く使ったトランペットの擬音によるソロも聞かせ技巧的な面もみせる。このクラブは、一部と二部で入れ替えだが、一部では、ステージが長かったせいか、アンコールも起きなかった。二部は、器楽演奏なしでいきなり「ノーバディ・エルス・バット・ミー」から「ディープ・パープル」と続き、バンド・メンバーのソロもはさみ9曲をそつなく歌い。最後には、スキャットにメンバー紹介を織り込んで伝統的なジャズ・コンサートのスタイルで締めた。そしてアンコールに応えてビリー・ストレイホーン作の「マルティ・カラード・ブルー」をしっとりとしたムードで歌った。エラ・サラ・カーメンの伝統を継ぐ素晴らしい歌手だ。とは言っても、聞き終わって何か足りないものがある様な気がする。そうだ心に迫ってくるものが感じられないのだ。聴衆の心を掴むという面では、まだまだ先輩たちに及ばないということだろうか。大いなる可能性を秘めた逸材なので、経験を積んでやがて先輩たちの域に達することを祈りたい。(高田 敬三)

Popular CONCERT Review

Photo by
轟美津子
「RESPECT THE STONES LIVE」初台ザ・ドアーズ 3月8日
 ローリング・ストーンズの来日を記念して制作された日本人アーティストによるストーンズのカヴァー・トリビュート盤『RESPECT THE STONES』。その発売を記念して3月8日、初台ザ・ドアーズで行われたのが、この日のライヴ。トラック提供アーティストもふんだんに参加して豪華な一夜になった。詰めかけたお客さんはストーンズ・ファンともあって、ちょっと高め。みんなそれぞれにお目当てのアーティストがあったのだろうが、ここにいるほとんどの人が同時にストーンズも好きなのだろうなというのがその場の空気でわかる不思議なライヴだった。切り込みを担当したのはアルバムの冒頭も飾ったザ・プライべーツで、1曲目はレコーディングよりも生っぽくて粗っぽい「サティスファクション」。まさにストーンズ的ライヴ・ヴァージョン。そして、そこから「ラスト・タイム」など初期ストーンズの最も魅力的なところをかっ飛ばしていった。アルバムは1曲ずつの提供になるけれども、数曲聴けるところがこのライヴのミソなのだ。ここでハリーがゲストで登場し、「シルヴァー・トレイン」「ストップ・ブレイキング・ダウン」という渋い選曲。抽選会を挟んで次の出番は三代目魚武濱田成夫。「ドント・ストップ」というストーンズの全キャリア的リスペクトともいえるナンバーをピックアップし、絶叫型の「ライトを照らせ」と雪崩れ込む。次のザ・ズボンズのドン・マツオの「リップ・ジス・ジョイント」と「一人ぼっちの世界」は、ロックンロールが極度に凝縮された素晴らしい瞬間だった。続いてDIAMOND☆YUKAIは、「悪魔を憐れむ歌」から「悲しみのアンジー」、そして「スター・スター」というストーンズ・ファンならよくわかるあまりにもYUKAI的なセレクション。再び登場となったハリーはジェームスを引き連れて、1曲のみ「ハッピー」をびしっとキメる。そのキースっぷりがお見事。ザ・ブルース・パワーの永井〝ホトケ〝隆は持ち前のブルース感を生かした「ウォーキング・ザ・ドッグ」、お手の物の「マニッシュ・ボーイ」、必殺の「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」。そしてトリとなった鮎川誠とシーナが「ハート・オブ・ストーン」「ユー・ガット・ミー・ロッキング」「エンプティ・ハート」でショーを締め括った。アンコールは鮎川誠とシーナの呼びかけでそれまでの出演者が舞台に詰め寄せての長い長い「サティスファクション」となり、この曲のブルース感を奇しくも明らかにする。これはオーティス・レディングもカヴァーするわなと思わせるエンディングだった。(高見 展)

Popular INFORMATION
「2006 Junko Moriya Orchestra At Sweet Basil/2005年度ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞記念ライヴ!」
恒例の守屋純子オーケストラ・リサイタルが、一昨年、昨年に引き続き六本木メSweet Basilモで行われる。昨年守屋純子は日本人初の栄誉となる、2005年度セロニアス・モンク・コンペティション作曲部門でグランプリを獲得。この賞はセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズが1987年より開催し多くの優秀なジャズ・アーティストを世に輩出して世界的な権威を誇る「セロニアス・モンク・インターナショナル・ジャズ・コンペティション」に併設され、1993年から毎年行われているジャズの作曲家に与えられる。 そしてアルバム「Points Of Departure」が2005年度ミュージック・ペンクラブ音楽賞も受賞。今回は日米の賞のダブル受賞を記念したライヴとなる。
<守屋 純子オーケストラ>
リズム:守屋純子(P,Arr)、納浩一(B)、大坂昌彦(DRS)
サックス:近藤和彦(AS)、緑川英徳(AS)、小池修(TS)、Andy Wulf(TS)、宮本大路(BS)
トロンボ-ン:中路英明、片岡雄三、佐藤春樹、山城純子(B-TB)
トランペット:エリック・ミヤシロ、木幡光邦、奥村晶、高瀬龍一
日時:2006年5月17日(水)
時間:6:00pm開場 8:00pm開演(入れ替えなし・座席は先着順となります。)
場所:六本木“Sweet Basil”
チケット:税込み5000円
予約・お問い合わせ
tel:03-5474-0139(月曜-土曜 11.00am-8.00pm)
HP  "http://stb139.co.jp"
ローソンチケット  tel:0570-00-0403

Classic ALBUM Review

「若き日の神童モーツァルト 初期交響曲集 II (全10曲)/ ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」(BMG JAPAN BVCD-37401~02)
 2004年度ミュージック・ペンクラブ音楽賞を獲得した「初期交響曲集」に続く「第二集」である。この第二集は一部を除き、第一集とほぼ同じ時期にレコーディングされた関係で、少年モーツァルトが書いた音一つ一つを、彼なりに研究しつくした演奏と受け取ることができる。また、ニコラウスがレオポルドの、孫のマキシミリアンがヴォルフガングの手紙を朗読しているトラックを曲間に挟んで聴かせてくれるのも前回と同じ。収録曲も第3楽章だけを作り、「にせの女庭師」など以前作った序曲をその前に置いた交響曲も3曲入っている。このような番号からはみ出た曲が少なくとも14曲あるので、41曲とされてきた交響曲は55曲ある、ということになる。第2楽章がまたとなく美しい第17番なども入ってくるであろう第三集が出れば楽しみだ。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review


「ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリュッケン放送交響楽団」(BMG JAPAN BVCO-37424)
 現役最高齢、現在82歳の巨匠スクロヴァチェフスキの交響曲第2番、第3番「英雄」の第1弾に続く「ベートーヴェン交響曲全集」第2弾は「第九」である。80歳を過ぎてから全曲録音とは驚きである。今回の「第九」、一言で言って若々しくて元気がある。最初から可成りのスピード感をもって進んで行くが、それだけではない。スクロヴァチェフスキはさすが人生の先輩といえる節度をもってオーケストラを制御している。第2楽章は軽やか、そして楽しそうに動き回る。第3楽章では矢張り年の功か落ち着いた歌を響かせてくれる。最終楽章では非常にまとまりの良い4人のソリストが素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれるが、合唱の歌い方がそれに較べておとなしすぎるのではなかろうか。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review

「ベートーヴェン:交響曲第6番《田園》、序曲集/ブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他」(アイヴィ〈ナクソス〉8.111032)
 ナクソス・ヒストリカル・シリーズの1枚。ワルター1930?38年にかけての録音で「田園」と「レオノーレ第3」がウィーン・フィル、「フィデリオ」がBBC響、「コリオラン」がロンドン響、「プロメテウス」がブリティッシュ響を振ったものである。「田園」はワルターがナチスを逃れてアメリカに渡る前年までの録音だが、可成り自由にテンポを伸縮させ、ダイナミクスに変化を与え、彼自身の音楽を創りあげている。LP時代になってからの老境に入った表現ではなく、最も脂の乗りきった時期の演奏である。特に2曲目の「レオノーレ第3」は名演と言えよう。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review

「モーツァルト:《グラン・パルティータ》、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》他/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他」(アイヴィ〈ナクソス〉8.110994)
 ヒストリカル・シリーズのもう一枚は、1942~49年録音のフルトヴェングラーのモーツァルトである。最初にフルトヴェングラーが生前に好んで演奏したグルックの「アルチェステ」序曲がベルリン・フィルの演奏(1942年)で入っているが、流石に手慣れた棒さばきで楽しませてくれる。後のモーツァルト2曲はウィーン・フィルを振ったもので、特に「グラン・パルティータ」はウィーン・フィルとの第二次世界大戦後に行なった最初のレコーディング(1947年)であると共に、管楽器のソリストたちがピークだったウィーン・フィルのメ黄金時代モの貴重な録音でもある。この1年半後に録音された「アイネ・クライネ」は録音のせいかアンサンブルに難があるように聞こえる。しかし、これらの曲もフルトヴェングラーの棒にかかるとウィーン・フィルと言えども重厚な音色を聴かせるから不思議だ。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review

「ハミルトン・ハーティ:《コメディ》序曲、《ファンタジー・シーン》、ピアノ協奏曲 ロ短調、ピーター・ドノー (ピアノ)、湯浅卓雄指揮、アルスター管弦楽団 (アイヴィ〈ナクソス〉8.557731)
 ヘンデルの「水上の音楽」のアレンジャーとしてのみ有名な1879年アイルランド生まれの作曲家でピアニストだった、サー・ハミルトン・ハーティの珍しい作品集が出た。彼の出世作である「コメディ」序曲はプロムナード・コンサートで初演された曲だけに、当時は一般受けがしたのだろう。2曲目の「ファンタジー・シーン」は当時人気のアラビアン・ナイトのムードの中、リムスキー=コルサコフのシェヘラザードに模して4つの曲を書いたもの。最後のピアノ協奏曲は如何にもピアニストが書いたピアノ協奏曲という感がある。3曲とも短い音符を数多く使い、性急さが表に出ている。指揮の湯浅は一般には知られていない曲の紹介に力を入れており、この3曲も手堅くまとめた手腕は立派と言えよう。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「松平頼則:ピアノとオーケストラのための主題と変奏」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.555882J)

 松平頼則に会った人ならば誰しもが、彼の気品と風格に圧倒された事であろう。水戸徳川家の直系であり、殿様らしさが常ににじみ出ていた。松平は人工的なものを愛し、なによりもロコンティシズムやセンチメンタリズムを嫌っていた。松平の作風の変遷は二つに分かれると思われるが、民謡や雅楽を新古典主義と結びつけた第1期。雅楽と戦後西欧前衛の方法とつなぎ合わせたのが第2期であり、松平の代表作「ピアノとオーケストラのための変奏曲」(1951)は、第1期のフィナーレに位置する。主題は雅楽の原曲を西洋管弦楽に移したものだが、変奏が進むにつれて現代的な響きになり、12音音列も使用される。第5変奏は、ブキヴキであり、雅楽とジャズを出合わせる。カラヤンが指揮した唯一の日本人作曲家のオーケストラ曲。「ダンス・サクレスとダンス・フィナル」「右舞」は、世界初録音。松平の第2期の作品で、雅楽とシェーンベルク的な音色旋律の変奏によって構成され、錬金術的な作曲技法が用いられる。大太鼓、タムタム、ティンパニー、シンバルの様々な打楽器の響きの上に、時にはウェーベルンのような点描的な音、息の短い旋律が重ねられ、不思議な音色が形成され、斬新な音楽が提示される。松平はメシアン、武満、ブーレーズの作曲家に影響を与えた。今回のCDは、松平の作風の変化を知る上で貴重な一枚。(藤村 貴彦)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「大栗裕:大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲他」(アイヴィ〈ナクソス〉8.555321J)
 東京に住む人々にとって関西の楽壇に対する知識は乏しく、大阪で活躍している作曲家の作品を聴く機会は少ない。大栗といえば吹奏楽ではスター作曲家であったが、あらゆるジャンルの作品を書いており、彼は大阪の文化や伝統、民族的要素に深くこだわった。大栗は大阪フィルと故朝比奈隆の「座付き作曲家」の立場として多くの管弦楽曲を発表。それらは大阪の美意識、音感と結びついて、まさに「大阪のバルトーク、またはハチャトゥリアン」と形容してもよいと思う。
 1963年の「ヴァイオリン協奏曲」は、リズムの活用が巧みで、太鼓に乗って、ヴァイオリンが精力的な主題を提示し、第3楽章のロンドも「阿波踊り」のリズムである。無窮動な楽想はまさにハチャトゥリアン。
 「大阪俗謡による幻想」と「大阪のわらべうたによる狂詩曲」も大阪を感じさせる曲で、エネルギッシュで熱狂的な祝祭をオーケストらで表現。オーケストレーションが色彩的でクライマックスにむけて金管と打楽器が力強く鳴り響き、聴く人を興奮に誘う。大栗の音楽は、確かに耳で聴く大阪の音楽である。オーケストラが大阪フィルでもあり、この作曲者の意図を生かし、活力のある演奏を展開していることと思う。民族主義的な作風を書いた関東と関西の作曲家の作品を聴き比べてみることも興味深い。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「芥川也寸志 エローラ交響曲・交響三章他」(アイヴィ〈ナクソス〉8.555795J)
 芥川也寸志は、黛敏郎、團伊玖磨と1950年代に「三人の会」を結成し、次々とオーケストラ曲を発表。その後の活躍は誰でも知っており、映画音楽も多数作曲し、NHKテレビドラマ「赤穂浪士」、「武蔵坊弁慶」等はあまりにも有名である。芥川の創作の軌跡は三期に分けて考えられるとのことだが、「交響三章」(1948)は、第一期の最後の作品で、橋本國彦、伊福部昭、ストラヴィンスキーの影響が見られる。第一楽章、第三楽章は、エネルギッシュであり、オーケストラを実に豊かに力強く鳴らし、芥川の個性が明確に刻印された作品。「エローラ交響曲」(1958)は、芥川の創作に於ける第二期の入り口に位置し、エローラとはインドのデカン高原にある都市の名で、30以上の石窟がある。混沌とした楽想から、南インドの舞踊を彷佛させる音楽に発展して行き、クライマックスでは主題が重ねられ、強烈なサウンドを形成する。この交響曲はまさに始源的な歓喜と生産への賛歌。「オーケストラのためのラプソディー」(1971)は、芥川の創作の第三期に属する。この作品でもオスティナートの活用が見られ、ホルンの咆哮やギロ・マラカス・ボンゴの響きが面白い。作曲者自身が指揮したCDもあるが、湯浅卓雄のほうがテンポがやや速めで、特に「エローラ交響曲」は目のさめるような鮮やかな演奏である。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「橋本國彦:交響曲第1番、交響組曲《天女と漁夫》」(アイヴィ〈ナクソス〉8.555881J)
 橋本國彦は20世紀前半の日本を代表する作曲家であり、シャンソン風の「お菓子と娘」の歌曲で有名。主な弟子には黛敏郎、矢代秋雄、芥川也寸志、高橋悠治等。芥川のリリシズム、黛の
ダンディズムやナシャリズムは橋本の影響抜きには語ることができない。 橋本は1934?37年にはヨーロッパに留学し、ベルクの「ヴオツェック」に衝撃を受け、ロサンゼルスでシェーンベルクに師事。現代音楽の技法を身につけた橋本だが、太平洋戦争の時には、数多くの戦時歌謡を書くことになる。橋本の悲劇であり、この時期の作曲家の活動に関しては、秋山邦晴氏が音楽芸術誌上で詳しく論じているので関心のある人は一読をすすめたい。
 「交響曲第1番」は世界初録音であり、この作品は20世紀前半の日本の交響曲を代表する一つに数えてもよいと思う。リリカルな抒情にあふれ、西洋のソナタ形式と、日本の絵巻物的美意識の融合である。第2楽章は5音音階を使用し、確かに沖縄の音楽を感じさせ、一度、聴いたら忘れることができないくらいに旋律が美しい。終楽章の変奏曲の作りも見事で最後のフー
ガでうたに満ちた交響曲を結ぶ。交響組曲「天女と漁夫」は1933年の作。バレエ曲であり、「羽衣伝説」にもとづいているとのこと。「天女の舞」の独奏ヴァイオリンが印象的で、オーケストラも色彩豊かである。近代フランス音楽と日本の伝統文化が幸福に出合った作品。昭和初期は暗い世であったが、このような作品も生まれていたのである。(藤村 貴彦) 

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日本作曲家選輯「諸井三郎:交響曲第3番、交響的二楽章」(アイヴィ〈ナクソス〉8.557162J)
 諸井三郎といえば1927年、当時の文化人と共に「スルヤ」を結成し、作品発表を続け、後にベルリンに留学し、ドイツ音楽の技術と精神を正統的に学んだ日本を代表する作曲家。諸井はベートーヴェンを究極のモデルにし、ピアノや作曲を学んだ人は、彼の著、「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ」や「ベートーヴェン・弦楽四重奏曲」を読まれた方も多いと思う。諸井は管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲を主にしたが、今回のCDに収められた三曲は世界初録音であり、すべて第2次世界大戦中に書かれた作品である。「小交響曲変ロ長調」は、「こどものための」という副題が付されているが、あくまでも大人の鑑賞用のためのものであり、新古典主義的な作風で、特に第2楽章のスラヴ的に活発な舞曲が聴いて楽しい。第3楽章は民謡やわらべ歌にようで日本的な郷愁を感じさせる。
 諸井三郎は交響曲を五曲残しているが、今回の「交響曲第3番」は文字通り彼の代表作であり、何故、今までにCDにならなかったのか不思議である。「死についての諸観念」と名付けた第3楽章が美しく、緩やかな歌に満ちている。諸井の遺書のような音楽であり、音楽を愛する人ならば一度は聴いてもらいたい交響曲。1977年に亡くなった諸井だが、「交響曲第3番」を作曲してから、彼は8つに作品しか残さなかった。諸井は「第3番」で燃焼し尽くしたのである。諸井はこの作品ですべてを語ってしまったからではないだろうか。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「大澤壽人(おおざわひさと):ピアノ協奏曲《神風協奏曲》、交響曲第3番」(アイヴィ〈ナクソス〉8.557416J)
 大澤壽(1907~1953)という作曲家の名は知っていたが、作品を聴くのは初めてであり、彼は日本の近代音楽史上、もっとも不当に扱われてきた。早すぎた死のあとには、彼の存在はほとんど忘れ去られてしまったのが不思議である。1930年といえば、軍部が力を増し、5・15事件や2・26事件がおきる年であり、この時期に大澤はアメリカとヨーロッパで作曲を学ぶ。ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ヒンデミット、バーバの技法を充分に消化し、それらと日本の伝統的音感と結びついた作風を確立した大澤。
 ピアノ協奏曲「神風協奏曲」は1938年の作で、題名の「神風」とは、自殺攻撃のあの神風特攻隊とは関係がなく、朝日新聞所有の民間航空機、神風号とのこと。飛行機の飛び様を表現しており、ラフマニノフやプロコフィエフの音楽を意識した強靭きわまる無窮動の楽想が全体を支配している。
 1937年作の「交響曲第3番」は、4楽章から成り、大規模な三管編成の大作。ヨーロッパやアメリカの技法の影響が影をうすめ、この作品では日本的な旋律が使用され、平明さが感じられる。日本の楽壇はすっかり大澤を忘れてしまった。見直しの時代が21世紀にはいってやっと始まろうとしている。マーラーではないが、大澤の時代が到来したような気がしないでもない。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「武満徹:そして それが風であることを知った、海へ、雨の樹、他」(アイヴィ〈ナクソス〉8.555859J)
  1996年2月20日に武満徹は亡くなったが、彼の音楽は生き続けている。2月にアシュケナージがN響を指揮して武満の音楽を演奏し、室内楽曲のすべても録音された。武満とカナダとの関係は深く、トロントの数多くの音楽家と親交を結んだ武満は、彼等のために次々と作品を生み出し、それらはトロントで初演されている。ナクソスのCDに収録された作品の大半は、カナダの演奏家が武満から直接指導を受け、武満のために演奏したものである。
「雨の樹」(3人の打楽器奏者のための)以外は、フルートソロとフルートと他の楽器の編成のもの。武満はフルートのための作品を数多く作曲したが、武満はこの楽器の中に尺八に通じる風の音や人間の息の音を感じたのだと思う。アルバムの中ではフルート独奏曲が美しく、「ヴォイス(声)」は能の句読法とドラマ性を思い起こさせる。詩が語られ、それがフルートで増幅されるのだが、その間のとりかたは日本的であり、武満以外に書けない音楽である。フルート独奏曲の「巡り」?「イサム・ノグチの追憶に」は、武満中期の「庭の音楽」のコンセプトによって書かれた作品。微妙な音程のゆれが水の流れるような音楽を作ってゆく。武満の音楽を聞く人のための入門盤であり、静謐の美学を感じてもらいたい。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「大木正夫:交響曲第5番〈ヒロシマ〉、日本狂詩曲」(ナクソス8.557839J
 大木正夫はカンタータ「人間をかえせ」の作曲で知られているが、彼の生涯は戦前、戦中、戦後という時代に翻弄され、作風も著しく変化してゆく。太平洋戦争が始まる前の大木は音楽とは社会的力になりえ、良い音楽は民衆の幸福の追求に貢献できると信じていた。「日本狂詩曲」は大木の初期に属する作品であり、それは「ヒロシマ」とあまりにも対照的。福島県の平に伝わる律音階の盆踊り歌と、「木曽節」が使用され打楽器を派手に活用し底抜けに明るい。大木の戦中は戦争高揚のための作品を書き、その反省から生まれたのが「ヒロシマ」である。原爆の悲惨さを伝える絵画、丸木夫妻の「原爆の図」に触発され作曲された全8楽章からなる交響曲。「ヒロシマ」の音楽を特徴づけるのは、半音階的旋律、2度や7度の不協和、トーン・クラスター的な響き、弦や管の特殊奏法であり、この作品が1953年に書かれた事を思えば本当に驚きである。確かにシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」とショスタコビッチのシリアスな音楽での瞑想や苦悩等を兼ね揃えたものになっている。ペンデレッキの「ヒロシマの犠牲者に寄せる哀歌」よりも7年前に作曲されたのであり、オーケストラのみで原爆投下後の街と被爆者の姿を描く。オーケストラの団員も苛烈な響きに耐えかねて卒倒したという伝説も生まれたという。原爆の惨禍を忘れてはならないのでありナクソスはこの願いをこめてCDを制作したと思う。多くの人に聞いてもらいたい。(藤村 貴彦)

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「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 & ロマンス/クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)、ジンマン & チューリヒ・トーンハレ管弦楽団」(BMG JAPAN BVCE-38094)
 前回の三重協奏曲、七重奏曲に次いでジンマン、トーンハレのベートーヴェン録音・第2フェーズ・第4弾はクリスティアン・テツラフのソロでヴァイオリン協奏曲とロマンス2曲。例によってジンマンは爽快且つ力感溢れるベートーヴェンを聴かせてくれるが、今回も毎度特徴のある演奏を披露するティンパニが思わぬ所で大活躍していて面白い。それは第1楽章のカデンツァで、ベートーヴェンがこの曲をピアノ協奏曲として編曲した際のティンパニ入りカデンツァを基に、テツラフ自身がヴァイオリン用に作り直したものを使用しているからである。初めて聴く人はびっくりすることだろう。もう一つ、テツラフの知性豊かな現代感覚に裏打ちされた演奏は、ジンマンの解釈とマッチして見事な造形美を作り出すことに成功した。2曲のロマンスでは彼のセンスの良さを感じることが出来る。(廣兼 正明)

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モーツァルト:《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》、《セレナータ・ノットゥルナ》、《ディヴェルティメント 第10番》/ペッター・ズンドクヴィスト指揮、スウェーデン室内楽団」(アイヴィ〈ナクソス〉8.557023)
 スウェーデン室内楽団はスウェーデンのエーレブルーを本拠地として1995年に設立され、2005年10月に初来日を果たした38人編成の室内管弦楽団である。演奏は全体的に心の温もりが感じられ、技術的にも相当に経験を積んだアンサンブルであることが分かる。最初の「アイネ・クライネ」はおとなしく、極く常識的な解釈に終始している。中でも興味を持たせられるのが「セレナータ・ノットゥルナ」で、独奏楽器群コンチェルティーノに対しては装飾音符を多用して十分に活躍させ、この曲にかなりの面白みを与えている。(廣兼 正明)

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「ヘンデル、J.S.バッハ、ヴィヴァルディ:協奏曲と合奏協奏曲集/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(アイヴィWHLive0005)
 クリストファー・ホグウッドが1973年に創設したアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックはピリオド楽器オーケストラの草分けであり、6大陸を股にかけたコンサート・ツアーや、既に250曲以上のレコーディングをこなしていることでも分かるように、バイタリティ溢れるアンサンブルである。このCDは昨年の1月、ロンドンのヴィグモア・ホールでのライヴを録音したもの。曲目はヘンデルの「合奏協奏曲」6の1と10、ヴィヴァルディの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」と「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」、そしてJ.S.バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の5曲で、ドイツ・バロックの間にイタリアン・バロックを挟む気の利いた構成。演奏は例によってレガート、スタッカートの対比を明白にしていることで、各パッセージの色づけがされており、そこに生き生きとした躍動感が生まれている。加えて多くの装飾音符を散りばめ、バロック音楽の醍醐味を十分に味わうことが出来る。(廣兼 正明)

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「モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番、第2番/フォーレ四重奏団」(ユニバーサル ミュージック UCCG-1282)
 ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせにより、常時活動している四重奏団はそれほど多くない。しかもこのフォーレ四重奏団はその中でもトップクラスと言える四重奏団である。名前からみてフランスのグループを連想しがちだが、実はフォーレ生誕150周年の1995年にカールスルーエで結成されたれっきとしたドイツのグループである。演奏はデリケートで密度の濃いアンサンブルが身上で、これまでに多くの賞を得ていることが、このCDの出来からだけでも十分に納得できる。ここに入っているモーツァルトの2曲はこれまでに聴いた中では最も美しい演奏と言えよう。ヴァイオリンのエリカ・ゲルトゼッツァーの音楽性は素晴らしい。(廣兼 正明)

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「仲道郁代/告別ソナタ~ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集[9]/仲道郁代(ピアノ)」(BMG JAPAN BVCC-34135
 ベートーヴェンのソナタとしては8ケ月目のリリースである。これで仲道のベートーヴェン・ソナタも7枚目を迎え、あと4枚で完結する。今回は第26,27,28番の3曲で中期、ロマン・ローランの名言である「傑作の森」時代と後期の間に挟まれ、作風の変化を知る上ではとても重要な時代の3曲と言える。第26番はベートーヴェンのソナタの中で第8番の「悲愴」とともに序奏付の第1楽章を持っている曲である。ベートーヴェンの研究家でもある作曲家、諸井誠のサポートを得て益々充実のレコーディングを完成に向けて進めている仲道のライフワークも、いよいよあと4枚を残すのみとなった。1枚毎に着実に進化しているベートーヴェンへの思いはここに来て確実に盛り上がっているようだ。(廣兼 正明)

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「軍隊行進曲~シューベルト:4手のためのピアノ作品集/エフゲニー・キーシン&
ジェームス・レヴァイン(ピアノ)」(BMG JAPAN BVCC-38352~53)

 キーシンは1971年10月生まれだから現在34歳、レヴァインは1943年6月生まれだから62歳である。時代は違うが彼等は10歳で協奏曲デビューを飾った天才少年たちだった。親子ほどの歳の違いがあるが、今回のカーネギーホールのライヴでは誠に息の合ったデュエットを披露している。この日のプログラムは、幻想曲 へ短調、アレグロ イ短調「人生の嵐」、ソナタ ハ長調「グランド・デュオ」、それにアンコールとして2曲、性格的な行進曲 第1番、軍隊行進曲 第1番だった。シューベルトの音楽には合わない表現だが、まさにメ豪放なタッチで迫力満点の演奏モで圧倒された1時間半、と言うことになろうか。軍隊行進曲の良さを再認識したCDでもある。(廣兼 正明)

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「パガニーニ:〈ギター音楽集〉ソナタ、ギリビッツィ、3つのカプリース/マルコ・タマヨ(ギター)」(アイヴィ〈ナクソス〉8.557598)
 ヴァイオリンの鬼才パガニーニは、19歳の時、ギターの好きな女性と知り合い、4年間ヴァイオリンから離れ、ギターに没頭したため、かなりの数のギター曲がこの頃に生まれている。パガニーニの曲は超絶技巧の曲も多いが、一方実に美しいメロディの曲も多い。ギターのマルコ・タマヨはキューバ出身で、技巧と音楽性を兼ね備えたギタリストとして知られている。どの曲も親しみやすくBGM的な要素が濃い。タイトルにあるギリビッツィはカプリース(奇想曲)と同様な意味。最後は有名な「24のカプリース」から3曲をアレンジしたものである。(廣兼 正明)

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21世紀のワーグナー名歌手たち1「ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》名場面集/ロバート・ディーン・スミス(テノール) & リンダ・ワトソン(ソプラノ)」(BMG JAPAN BVCO-37425)
 今ワーグナーが熱い。2005年のバイロイトでは指揮の大植英次が「トリスタン」で日本人初の幕開けを飾り、日本のファンを歓喜させてから半年が過ぎた。その時にトリスタン役を務めたのがアメリカ出身のテノール、ロバート・ディーン・スミスだった。2000年には「ローエングリーン」のタイトルロール以来バイロイトではなくてはならない存在となったばかりでなく、幅広い役柄をこなす歌手として世界の歌劇場で今や引っ張りだこのヘルデンテノールである。一方ドラマティック・ソプラノのリンダ・ワトソンもアメリカのサンフランシスコ生まれ、存在感のある歌手としてバイロイトを始めとして矢張り世界各地の歌劇場で活躍している。このCDでは彼等の素晴らしい張りのある声を十二分に楽しむことが出来る。(廣兼 正明)

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21世紀のワーグナー名歌手たち2「ワーグナー:《ニーベルングの指環》名場面集/ジョン・トレレーヴェン(テノール)」(BMG JAPAN BVCE-38093)
 2003年と2004年の東京新国立劇場での「ジークフリート」と「神々の黄昏」で、センセーショナルな日本デビューを果たしたジョン・トレレーヴェンは、イギリス出身のテノール歌手である。このハイライトCDでは「ニーベルングの指環」の《ワルキューレ》、《ジークフリート》、《神々の黄昏》よりの名場面で彼の抑制のきいたヘルデンテノールが堪能できる。50歳を超えて円熟味も増し、体力が必要なワーグナー歌手として世界の歌劇場に出演、今やその存在価値は大きい。(廣兼 正明)

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「ハイドン:オラトリオ《天地創造》/ルチア・ポップ(ソプラノ)、ロルフ=ジョンソン(テノール)、ベンジャミン・ラクソン(バス)、クラウス・テンシュテット指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」(アイヴィ〈ナクソス〉LPO-0008[2CDs])
 「天地創造」はハイドン晩年の作。ハイドンが言う「天使が歌う」というより、素朴といえるほどの押しの強い演奏だが、生き生きとオーケストラと歌手を歌わせ、そこに湧き立つような生命力を示している。ドイツの伝統的な一面と、現代的な一面があるようなハイドンで、「天地創造」をリヒターやミュンヒンガーの演奏と聴き比べてみると面白い。テンシュテットの解釈は純音楽的でありながらどこかノスタルジック。ルチア・ポップ(ソプラノ)、ロルフ=ジョンソン(テノール)、ベンジャミン・ラクソン(バス)の起用もよし、名歌手にふさわしい歌い方で好演である。ロンドン・フィルハーモニック合唱団の豊かな響きもこのCDの聴き所の一つ。ハイドンの意図が読みとれる演奏である。(藤村 貴彦)

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「J.S.バッハ:ヨハネ受難曲/鈴木美登里(ソプラノ)、ロビン・ブレイズ(カウンターテノール)、ゲルト・テュルク(テノール)、浦野智行(バス・バリトン)、ステファン・マクラウド(バス)、鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン」(アイヴィ〈ナクソス〉[DVD]2050396)
 2000年に東京サントリーホールで行われた「バッハ没後250周年記念演奏会」のライヴ映像のDVDである。この曲のCDにはバッハの宗教曲を得意とする演奏家たちがきら星の如く登場しているが、このDVDに収録された演奏はその中でもトップクラスに位置するものである。DVDを見て感じるところは、このところ日本のバッハ演奏、特に宗教曲に関して、決して本場ヨーロッパの演奏者たちに引けを取るどころか、それ以上のクオリティを持った演奏が多くなってきたということである。ピリオド楽器の奏者や愛好者が増え、今や世界に冠たるバッハ演奏が自前で出来る所まで到達したことは厳然たる事実である。(廣兼 正明)

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モーツァルト:レクイエム/ミリアム・アラン(ソプラノ)、アンネ・ブター(メッツォ・ソプラノ)、マルクス・ウルマン(テノール)、マーチン・スネル(バス)、ゲヴァントハウス室内合唱団、モルテン・シュルト=イェンセン指揮、ライプツィヒ室内管弦楽団」(アイヴィ〈ナクソス〉8-557728)
 ゆっくりと演奏される「モツレク」が多い中で、このテンポは異常に速い。全体で41分足らずで、永らく決定版として君臨していたミシェル・コルボの55分半、コーリン・デイヴィスの53分は兎も角、速いほうのアーノンクール(旧盤)の48分、コープマンの47分と比較しても如何に速いかが分かる。しかし、これだけ速く演奏してもそれほど奇異には感じない不思議な説得力を持つ演奏なのだ。すべてを聴き終わった後に残るのは爽やかさであり、しかも「レクイエム」を聴いた充実感である。ライプツィヒ室内管弦楽団は全員ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーであり、今年48歳のデンマーク出身、シュルト=イェンセンが素晴らしい統率力を発揮し、ユニークな「レクイエム」を創りあげた。ソリストも合唱もきれいで、特にソプラノ・ソロであるオーストラリア出身、ミリアム・アランの好演が光る。「レクイエム」の前に収録されている「洗礼者ヨハネ祭のためのオッフェントリウム《女より生まれし者として》K..72」と「四季斎日のオッフェントリウム《主よ憐れみたまえ》K..222」は殆ど聴く機会のない珍しい曲である。2004年11月ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで収録。(廣兼 正明)

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「夕暮れの情景~シューベルト歌曲集/クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)、ゲロルト・フーバー(ピアノ)」(BMG JAPAN BVCC-34137)
 歌の専門家ならいざ知らず、普通の音楽ファンにとつては殆どが知らないシューベルトのリートばかりであろう。しかしゲルハーヘルという歌手の素晴らしさはドイツ・リート歌手の伝統をまさに受け継いでいると言える。どの曲も聴くほどにシューベルトの歌の世界へ引き込まれてしまう。
この17曲の中から最も知られている「君はわが憩い(Du bist die Ruhユ)」を聴くとき、絶妙な間の取り方をも含め、心の表現は見事の一語につきる。もう一つどうしても付け加えたいのは、ピアノ伴奏の上手さ、これほど息が合い高い音楽性を持った伴奏は、かのフランツ・ルップを凌駕したと言っても良い。(廣兼 正明)

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「ユニバーサル ミュージック モーツァルト大全集」特集(8回に分けて連載)

第1巻「交響曲全集」(1) UCCG-4001~14(CD14枚組)
 モーツアルトファン、音楽愛好家ならば誰しもがモーツァルトが41曲の交響曲を作曲したことは知っている。モーツァルトの旧全集(ブライトコップ・ウント・ヘルテル版ライプツィヒ1867?1905)は41曲の交響曲が収録されているからである。新しい発見によってその数は増え、今回のCDでは41曲の他に更に11曲の交響曲が収められており、これらの交響曲の中には自筆稿がないものがあって、モーツァルトの作品であるかどうかは未だに決定的な説はない。最初の交響曲は1764?5年(8歳の終わり頃)のものであり最後のそれは1788年(32歳)である。モーツァルトの交響曲の作曲は約24年間にわたって書かれた事になる。
 モーツァルトの全41曲の交響曲はカール・ベーム、マリナー、ホグウッド等のCDがありジェイムズ・レヴァインの演奏と比較して聴くと面白い。ベームのモーツァルトは端正で、表現は重厚雄渾な趣で、ゲシュートリヒな含蓄があり、ワルターのような流麗さがあまり感じられない。内的感情が心の中から自然に湧き上がり、それが整然と秩序づけられ造型されたモーツァルト。それがベームのモーツァルトだと思う。アーノンクールもモーツァルトの交響曲の大半を録音しているので彼の演奏についても少し触れておく。アーノンクールのモーツァルトに貫かれており、繊細なアーティキューレーション、リズムの愉悦、透明なテクスチュア、そして対話としての音楽。アーノンクールの明快な主張が感じられ、どれをとっても陳腐な表現は皆無。レヴァインは1978年にザルツブルグ音楽祭でウィーン・フィルを指揮したメ魔笛モが絶賛された。マーラーの交響曲の録音でデビューしたレヴァインだが、彼はモーツァルトも得意とする。
 レヴァインの実際の指揮を見たことがある人ならば、彼がバーンスタインの様に指揮台の上で飛び上がることなど想像もできない。現在の人気指揮者にありがちな、舞踏のような格好の良さがないのである。レヴァインは腕だけでただ、上下するような身振りで指揮をする。レヴァインの音楽はリズムが軽く、流れがよい。オーケストラや聴衆にまで、さあ、一緒に音楽を楽しみましょうと呼びかけるような親しみあふれる風格があって押しつげがましいところがない。最後の交響曲メジュピターモまであきないで一気に聴いてしまった。弦のふくらみと透明感、木管の落ち着いた表情、バランスを微妙に変化させて・それぞれのパートを殆ど全て浮かび上がらせる。モーツァルトの交響曲を一癖も二癖もある指揮者で聴かされてきた人達にとってレヴァインの解釈の裡に思いがけない新鮮な美しさを発見するであろう。
 紙数の関係で全41曲の交響曲の全ての演奏を詳しく記することはできない。初期の交響曲から晩年の熟成に至るまでのそれを聴いて筆者が印象に残った演奏を記することにする。
 ヴォルフガングが少年の作曲したシンフォニー群は1765年の2月21日、5月13日の2回の公開音楽会で演奏され、5曲作られたと思われるが現存するのは3曲。初期の交響曲演奏のレヴァインの特徴は、「別格の指揮者」というよりは、アンサンブルのリーダーとして、楽員と共に喜びを分かち合っているようで、基本的には端正で明快な古典的な運びである。「第1番」は溌刺としており、モーツァルトの特徴である流れるような旋律美を生かしている。レヴァインとウィーン・フィルはモーツァルトの交響曲を一番から時代を追って取り組む事で、作曲者の書法の発展と自分達の解釈のそれを一つにむすんでいるのである。それよりも最初の交響曲が8歳で書かれた事に驚きの一言。
 モーツァルトがイタリアに旅して、イタリアのシンフォニーの形式で書いた一群の交響曲と少年期のザルツブツグのシンフォニーの中では、「交響曲第13番」が良い。この作品は「1771年11月2日、ミラノで」と完成の場所と日付が明記されており、管はオーボエ2ホルン2が使用される。特に第2楽章が美しく、第一ヴァイオリンが主旋律を歌い、ギターの伴奏を思わせるスタッカートの音型が続き、南国的なセレナードを奏でる。まことに気持ちの良い素直な解釈で批判などする余地は少しもない。第4楽章のモルト・アレグロもリズムが豊かで音楽は躍動し、しっかりつかまれたテンポが快い。レヴァインでこの曲を聴くと、音楽が自然に躍り出てくるような感じがする。〈以下次号〉(藤村 貴彦)


第2巻「セレナード全集」(1) UCCP-4001~6(CD6枚組)
 今回の全集の第2巻が「セレナード」、そして第3巻が「ディヴェルティメント」だが、もう一つのジャンル「カッサシオン」は「ディヴェルティメント」に入っている。そもそもこの3つのジャンルはどのような違いがあってモーツァルトは分けたのだろうか。誰がどう考えても曖昧模糊としてよく分からないのが現状である。ここで取り上げる「セレナード」は、18世紀後半にはやった多楽章形式の器楽合奏曲でモーツァルトが自らこのジャンルに分類した曲に限定した。モーツァルトの場合、「ディヴェルティメント」との違いはあまり目くじらを立てて論じるべきものでもないだろう。モーツァルト自身も厳密に考えて付けたものでもないと考えるのが妥当である。「交響曲」だってそうだ。2つの部分から成るオペラの序曲の後に速い楽章をさっと作り付けて、「はい、これで交響曲の出来上がり」なんてことも結構あるのだから。
 しかし「セレナード」も「ディヴェルティメント」も素晴らしい曲が多い。さてこの「セレナード全集」は12曲収録されているのだが、本来は13曲あり、この全集ではヘ長調の第2番は入っていない。「セレナード」については2回に分けて4曲ずつ紹介したい。演奏者は第1番から第9番「ポストホルン」までと第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、サー・ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、第10番「グラン・パルティータ」がサー・ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのメンバー、第11番、第12番がホリガー・ウィンド・アンサンブルのメンバーである。
第4番 ニ長調 K.203(189b) 全曲の中でもセレナードの名前が一番ぴったりする曲ではなかろうか。全部で8つの楽章からなっており、その内の3つはヴァイオリン協奏曲的なものである。これはその他の楽章のBGM的要素のものと違い、客に聴かせる要素を持った楽章となっている。他の曲にも当てはまるのだが、マリナーはメリハリの効いた如何にも英国紳士風な端正な表現をしているのだが、その中にほのぼのとした気持ちをのぞかせている。ヴァイオリン・ソロのアイオナ・ブラウンの楚々とした風情もいい。
第6番 ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」バロック時代のコンチェルト・グロッソ・スタイルである独奏部(ヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス)と合奏部ティンパニを含む弦楽四部に分かれている。実に可愛らしい曲でセレナードの中では最も短い曲である。いわゆるコンチェルティーノ部分のソロは技術的にもそれほど難しくない。マリナーは第1楽章の行進曲でいささかの威厳を持って演奏し、第3楽章のロンドでは少し遅めのテンポで落ち着いた感じを与えている。
第7番 ニ長調 K.250(248b)「ハフナー」50分を超える長大なセレナードである。ザルツブルクの名門ハフナー家の娘、エリザベートの結婚披露宴のために書かれた曲であり、第2楽章から第4楽章までの3つの楽章は可成りヴィルトゥオーゾ的なヴァイオリンのソロを伴っている。特に第4楽章のロンドは今もヴァイオリニストたちのアンコール・ピースとして単独でよく演奏されている。マリナーはこのセレナードを遅めのテンポで始め、豪華絢爛なムードをうまく演出している。ここでもブラウンのソロは清楚である。
第8番 ニ長調 K.286(269a)「ノットゥルノ」この曲は1つのメイン・オーケストラと3つのエコー・オーケストラ、合計4つのオーケストラで演奏するように作られた曲である。メイン・オーケストラが1フレーズ演奏すると第2オーケストラがエコーを奏で、そのエコーが第3オーケストラ、第4オーケストラと徐々に短く、そして小さな音になって受け継がれ、面白い効果を上げるように出来ている。このCDでは第3、4オーケストラはミュートをつけて演奏している。この曲も第6番の「セレナータ・ノットゥルナ」同様3楽章の曲となっている。〈以下次号〉 (廣兼 正明)


第6巻「ヴァイオリン協奏曲全集」(1) UCCG4015~8(CD4枚組)
 モーツァルトは協奏曲形式の完成者といわれる。50曲を越す協奏曲作品を残しているが、ヴァイオリンの曲は、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネの他、1775年に書いた5曲のヴァイオリン協奏曲、偽作及び真筆でない作品の部に入れられている2曲のヴァイオリン協奏曲、アダージョ、アンダンテ、ロンドなどの単一楽章の4曲、断片、そしてヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲がある。このヴァイオリン協奏曲全集には、断片及び散失したアンダンテを除く全作品が収められている。録音は1972年?1991年。1775年、モーツァルトが19歳のときにザルツブルクで作曲した5曲のヴァイオリン協奏曲はメザルツブルク協奏曲モと呼ばれている。いずれも自分用か、あるいはザルツブルクの首席を務めていたアントーニョ・ブルネッティのために書かれたものと思われる。このCD-1にはクレーメルとアーノンクール&VPOの演奏による、第1番K.207、第2番K.211、第3番K.216がまとめられている。これらはアーンクールがVPOを指揮した初録音にあたり、第1番はクレーメルとアーノンクールの初顔合わせによるモーツァルト/ヴァイオリン協奏曲録音の第1作。クレーメルのソロは、研ぎ澄まされた現代的センスと洗練さを併せ持っており、第1番の透明感と豊麗さ、第2番の繊細なニュアンス、第3番の精緻さ、いずれも三者の組み合わせならではの絶妙かつ鮮やかで闊達な表現と明敏な音楽性に富んだ名演が聴ける。〈以下次号〉(横堀 朱美)


第14巻「ピアノ小品、4手のための作品、オルガン作品全集」(1) UCCP4042~50(CD9枚組)
 この巻はCD9枚組みで、ふだん聴く機会が少ない作品がたくさん収められているのをはじめ、「モーツァルト大全集」ならではの貴重な録音が集められている。ピアノ協奏曲やピアノ独奏のためのソナタは別の巻で扱われ、この巻には含まれていない。何よりもうれしいのは、イングリット・ヘブラーを中心に、モーツァルトの様式をきちんとわきまえた好演ぞろいであることだ。
 CD1は、アンダンテK6.1aに始まってメヌエットK.5まで、さらにメヌエットK.355、幻想曲とフーガK.394、カプリッチョK.395、幻想曲K.396、397、ロンドK.485、494、511、アダージョK.540、小さなジーグK.574の20曲が収録されている。モーツァルト5歳のときの曲など幼児期の作品は初めて耳にされる方も多いのではないか。大半の曲は初心者でも弾けるものだが、ヘブラーとバルサムは心のこもった誠実な演奏を繰り広げていて、愛らしく、優美だ。(青澤 唯夫)


第15巻「初期イタリア語オペラ集」UCCG-4043~55(CD13枚組)
 全24巻のうちオペラ、歌曲集など、歌ものが第15巻より10巻に収められた。イタリア語オペラだけ初期、中期、後期の3巻構成だ。
 初期には、モーツァルト12歳から16歳の作品が収録されている。「みてくれのばか娘」、「ポントの王ミトリダーテ」、「アルバのアスカーニョ」、「シピオーネの夢」、そして「ルーチョ・シッラ」5作。10代前半から半ばのモーツァルトに直に触れることができる。しかもいずれもCD2、3枚を要すとあっては、改めてモーツァルトの才能に舌を巻く。
12歳のときの「みてくれのばか娘」の物語もさることながら、音楽の大人びた顔つきに誰しも目、いや耳を疑うに違いない。マン・マレーの歌う第6曲アリアなど唸ってしまう。女心を捉えた信じ難い音楽表現は末恐ろしい。事実私たちはその末を知っていて、後の「ドン・ジョヴァンニ」や「コジ」の芽がすでにここにある。「ポントの王ミトリダーテ」第20曲アリアでは冒頭に3年後の第25番ト短調交響曲の開始音が顔を出すなど、モーツァルトの成長過程にニヤッとしてしまう。成長著しく「ルーチョ・シッラ」は第2、第3幕と進むにつれ珠玉のアリアが続く。第22曲アリアはハ短調独特の味わいを表現。♭系の調性に心情を発露するモーツァルトの素顔が刻印されている。
 一作を除くすべてが70年代録音というのは考えものだろう。いずれもすばらしいキャストでこれを越える企画自体難しい。だが音楽がデジタル時代に入って四半世紀。戦後第2世代を育てるべき音楽界、レコード業界は何をしていたのか、その責任が問われるに違いない。指揮L・ハーガー、P・シュライヤー、ザルツブルク・モーツァルトテウム管、C・P・E・バッハ室内管、E・グルベローヴァ、A・バルツァ、P・シュライヤーほか。〈この巻完結〉(宮沢 昭男)

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「東京交響楽団 第533回定期演奏会」2月25日 サントリーホール
 東響の定期は「早熟と天才のかぎりなき美学」と題されオール・モーツァルトプロ。曲目は「交響曲第29番」、ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、「交響曲第39番」である。N響の定期も一月はブロムシュテットがモーツァルトを取り上げ、読響も今年はモーツァルトの主要作品が名曲
シリーズの中で演奏される。モーツァルト・ファンにとっては嬉しい一年になると思う。
 指揮者のユベール・スダーンはザルツブルク・モ‐ツアルテウム管弦楽団の主席指揮者を経て2004年9月から東響の音楽監督に就任。正当をゆく手堅い表現で、その色調と表情にモーツァルトの香りが漂う。1月に聞いたブロムシュテットのモーツァルトは質実剛健で、音楽は少し硬く、モーツァルト特有の優美さはいま一つ伝わってこなかった。スダーンは旋律を自然に歌わせ、オーケストラを内から盛り上がらせる。コンサートの中ではイリア・グリンゴルツが弾いたヴァイオリン協奏曲が楽しめた。グリンゴルツは1998年パガニー二国際ヴァイオリン・コンクールに、16才で史上最年少優勝を果たし、世界的に注目されている。このヴァイオリニストの長所はヴァイオリンの技巧よりも、まず音楽の豊かさでききてをとらえてしまう。強音よりも弱音の響きを大切にし、確かな表情をもって歌わせ、第一楽章の冒頭やカデンツァなど、テンポを遅めにとるが、そこに不自然さはなく、どのフレーズもきわめて鋭敏である。美しいモーツァルトであった。
 スダーンが指揮した「交響曲第39番」は、しみじみとした情感がゆきわたり、大変奥行きの深い音楽をきかせてくれた。これで更に弦の豊かなふくらみや透明感が加われば申し分ないのだが。(藤村 貴彦)

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「ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団」2月19日ザ・シンフォニーホール
 シュツットガルトに程近いドイツ南西部の都市ロイトリンゲンに本拠を置くヴルテンベルク管が、音楽総監督の飯森範親に率いられて初来日した。同管弦楽団は1945年に結成され、2001年より飯森が指揮者に迎えられた。オーケストラの溌剌とした響きは、両者の相性がかなりよいことを物語っている。
 テノールの佐野成宏が歌ったイタリア・オペラのアリアの中で、プッチーニ作品が冴えた。「トスカ」より<星は光りぬ>は声に潤いがあり、「蝶々夫人」の<愛の家よ、さようなら>には哀調がにじみ出ていた。オーケストラはロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲で伸びやかにうたったが、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」では、ざらついたところがあり、キメの細かさがほしいところ(椨 泰幸)

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「NHK交響楽団 第1562回定期公演 Aプログラム」2月25日 NHKホール
 N響が創立80周年を記念して、アシュケナージの指揮で、スクリャーピンの「交響曲第1番」とプロメテウス「火の詩」を演奏した。「火の詩」はオーケストラ編成の規模が大きく、照明も使われるのでコンサートでは滅多に演奏される事がない。今回の定期は楽壇でのN響の80年の活動を記念する意味があった。N響が設立されて80年が過ぎたのであり、時の過ぎるのを落ち着いて見守っていられないような激しい移り変わりの80年でもあった。N響に初めて接してから50年近くになるが、今後も更に充実した活動を期待したい事を記しておく。
 今回の2曲のオーケストラ作品はコンサートで聞くのは初めてなので、演奏の良し悪しを記すのは難しく作品を紹介すると「交響曲第1番」は1900年にサンクトペテルブルグで初演され、6楽章から成る。この作品は初期のピアノ曲に通じるロマン派的な楽想をもち、終楽章では作曲者がロシア語で書いた詩がメゾ・ソプラノ、テノール、混声合唱で歌われる。芸術に捧げる賛歌、人間の本質に働きかける芸術の力の信念と言ったものが詩の内容である。半音階的な楽想と跳躍的な楽想が交互に提示されるが、楽章間の対比がすくなく、音楽が同じような響きに聞こえてしまう。しかし、声楽が入った終楽章は壮麗で力強い終結部が特に印象に残った。
 プロメテウスは、打鍵によって光を発する「色光ピアノ」が使われ、スクリーンに光が映しだされ、ホール全体がまさに光の饗宴である。映像や形は今回の定期のためにスタッフが考案したとの事だが、スタッフだけでも20人に近い。N響だからこそできたのだと思う。費用もかかりN響も総力を結集してこの作品にあたったのである。アシュケナージも理想の形でこの作品を再現したかったに違いない。(藤村 貴彦) 

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写真:三浦 興一
「東京佼成ウィンドオーケストラ 第88回定期演奏会〈吹奏楽と合唱の融合〉」 3月1日 東京芸術劇場
 東京佼成WOは1960年に創立されたプロの吹奏楽団だが、いまや世界中で活躍する演奏活動をおこなっている。指揮者ダグラス・ボストークは2000年より常任指揮者に就任しているが、今回で降板することになった。結局2004年に亡くなった桂冠指揮者のフレデリック・フェネルの功績には及ばなかったが、その間の空白を立派に埋た。今回が最後になるので演奏は燃えていた。曲は前半が伊藤康英の吹奏楽のための交響詩[ぐるりよざ」だった。ぐるりよざとは江戸時代に隠れキリシタン達によって歌れていたグレゴリア聖歌のグローリオーサが訛ったものであった。赤尾三千子の龍笛もその雰囲気を盛り上げていた。後半も大合唱と独唱を交えた演奏時間が1時間以上にも及ぶ、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」で生命の燃え立つような強い意志を表現した。まさに熱演であった。(斎藤 好司)

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「ペーテル・ヤブロンスキー・ピアノ・リサイタル」3月4日ザ・シンフォニーホール
 スウェーデン生まれ、若手ピアニストの登場である。確かなテクニックに支えられて音楽性も備わり、有望な素材である。ムソルグスキー「展覧会の絵」を弾いたが、小さくまとまらずに、若さにまかせて押しまくるところに好感がもてた。リスト「ハンガリー狂詩曲第3番、第11番」もまずまず。しかし、ワーグナー(リスト編曲)「トリスタンとイゾルデ」より<愛の死>では微妙なコントロールに欠けて、不満が残った。強弱のアクセントも一工夫したいところで、肩の力が抜けたら、ひと回りもふた回りも大きくなることだろう。(椨 泰幸)

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「バッハ〈ミサ曲ロ短調〉」3月5日兵庫県立芸術文化センター
 1951年の創立以来主に宗教曲の合唱活動を進めてきたコードリベット・コールが、テレマン室内管弦楽団とともに、ミサ曲ロ短調を演奏した。キリエに始まる敬虔な祈りは、パセムで結ばれる天国的な終曲まで、いささかの揺るぎもなく、密度の濃いものになった。第2部ニケア信条(クレド)の後半あたりから、求心力が一段と高まった。アマチュア合唱団として、いま至福の境地に到達しつつある。
 合唱を指導し、自らもテノールをうたった畑儀文は、起伏に富んだ感情のうねりを自然体で表現した。カウンターテノールの青木洋也は透明感にあふれた美声で清浄な世界へ誘う。指揮の延原武春はアンサンブルをよくコントロールし、禁欲的な響きで合唱を支え、とりわけチェロとコントラバスの低声部が光った。長大なこの曲を途中で弛むこともなく聴かせたのは、宗教曲一筋に歩む延原の豊かなキャリアの賜物である。(椨 泰幸)

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地方都市オーケストラフェスティバル2006 「九州交響楽団演奏会」3月5日 すみだトリフォニーホール大ホール
 九響の東京公演を初めて聴いた。すみだトリフォニーの地方オーケストラの企画があったればこそ、得られた演奏会だった。遠く離れた地にあっても、どうしてすばらしいサウンドであった。指揮者の広上淳一の指揮も言いたいことが良く分かる明解な演奏であった。ことに良かったのは、ブルッフの「スコットランド幻想曲」作品46で色彩感が美しく、重厚な響が印象的だった。管打も調和が取れていてバランスが良かった。ヴァイオリンの堀米ゆず子の独奏も冴えていた。(斎藤 好司)

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「鈴木理恵子と素晴らしき仲間たち~ワンダーランドVol.3」3月6日 代々木上原ムジカーザ
 鈴木理恵子は桐朋学園大学卒業後、新日本フィルの副コンサートマスターとなり、その後ソロ活動をしながら読響の客員コンサートマスターとしても活躍しているヴァイオリニスト。この会もこれで3回目を数えるが、今回は新しい世代のギタリスト鈴木大介との協演となった。プログラムはイタリア、ドイツのバロックに始まり、インドネシア、タイの現代作品、フランスのイベールと続き、後半は武満、フリャ、ニュージーランド、コロンビア、アルゼンチン、そしてハンガリーのバルトークで終わる世界一周コンサートである。
 ヴァイオリンとギターのジョイント・コンサートは結構多いが聴衆の側からみて、本当に楽しめるコンサートは今まであまり多くなかったようだ。今回も最初の2曲、ルクレールとバッハのソナタでは必ずしも楽しめる演奏ではなかった。両者の曲に対する表現の仕方にも幾分の差異が感じられたが、これは聴く側のオリジナルに対する先入観が災いしたのかも知れない。しかし3曲目の東南アジアからは初めて聴く曲も含め演奏者、特にギターに関してのノリが感じられ、聴衆も十分楽しめたのではなかろうか。そして聴き終えて感じたことは、ヴァイオリンとギターの組み合わせはアンサンブルが大変難しいということである。最後に会場について一言。いつも感じることだが、換気が不十分で長時間中にいると息苦しい。何らかの対策をお願いしたい。(廣兼 正明)

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「東京フィルハーモニー管弦楽団〈音楽の未来遺産〉雅なる舞の響き」2006年3月10日 サントリーホール
 戦前・戦中・戦後にあって時代のうずの中に翻弄されながらも、着実に自己の音楽語法を確立していった日本の作曲家は多い。戦時中は戦争高揚のための曲を書き、戦後は楽壇から姿を消した人もいる。演奏されない作品は多数。1970年、80年代は前衛の嵐が吹き荒れた時代でもあり、それが鎮静していった時に何が残ったのか。新たな見直しが始まろうとしている。東フィルは、我が国の作曲界を俯瞰する意味で、「音楽の未来遺産」と題したコンサートを催した。意義のある企画として高く評価したい。
 プログラムの前半は、伊藤昇「コンポジション」(室内管弦楽版)、橋本國彦 交響的舞踊組曲「天女と漁夫」より、松平頼則「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、近衛秀麿「越天楽」が演奏された。伊藤昇以外の作品は、ナクソスのCDでも聞け、コンサートでも演奏された事があり、ここでは伊藤昇について紹介しておく。伊藤昇(1903ー93)は、映画の伴奏音楽で活躍し、シリアスな作品も残し、今回の作品は1930年代の作。打楽器を活用し、色彩感に溢れた音楽で実にのびのびとして明るい。1930年代といえば、5.15事件や2.26事件がおき、軍部が力を増し、世相的には暗い時代でもあった。このような時代に、伊藤昇のような作曲家がモダン的な作品を書いていたのである。日本人の郷愁をさそう曲であった。
 プログラムの後半は当時の作曲家に多大な影響を与えたラヴェルの作品。コンサートの中では、「ラ・ヴァルス」と「ボレロ」がどちらも充分な管弦楽的色彩・音量が引き出されており、リズムがすばらしかった。渡邊一正が指揮するのを聞いたのは3年ぶりであったが、スケールが前に比べて大きくなったように思う。今後の活躍を期待したい。(藤村 貴彦)

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「ベッリーニ〈カプレーティとモンテッキ〉より」 3月15日ザ・フェニックスホール(大阪)
 グランドピアノが3,4台置ける程度の狭い舞台でも、ドラマティックなオペラが立派にできることを見事に立証した。これも歌手たちの熱演と演出の鮮やかな手並みによるものであろう。ロメオとジュリエッタの愛の悲劇をテーマにしたベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」に基づく作品は、ピアニストを含めて出演者は4人だけとわづかながらも、見事に緊迫した空間を築いて、小ホールオペラへの新しい道を切り開いた。
 もともとこのオペラは、対立する両家の決闘シーンや名門一家の華やかさなどを考慮すると、大ホール向きである。それを歌手はロメオ(福原寿美枝=メゾ・ソプラノ)とジュリエッタ(尾崎比佐子=ソプラノ)の関西勢2人に絞り、語り手(栗塚旭=俳優)が登場するだけで、ピアニスト(河原忠之)にも場面転換に一役買わせた。作品もシェイクスピアが名高いが、こちらはポルト原作、ロマーニ台本である。男性役に敢えてメゾ・ソプラノを充てたベッリーニの美学は見事に再現されて、福原は恋に悩む青年を何の違和感もなく演じた。自らオペラを制作した尾崎も一途な女性の姿を張りのある美声に託した。
 原語上演ながらオリジナルスコアを一部カットしたが、映像を交えた簡素な舞台づくりで、登場人物を少なくしたことも筋立てを分かりやすくして、悲劇性が強調された。岩田達宗の実験的な試みは成功したといえる。会場を提供したザ・フェニックスホールの協力も見落とすことができない。小ホールならではのオペラに、さらに挑戦してほしいものである。(椨 泰幸)

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「現代の音楽展 尺八フェスタ」3月12日 横浜みなとみらいホール小ホール
 現代音楽協会(現音)が主催する尺八フェスタと題されたコンサートで尺八と他の邦楽器との共演、電子音楽やライヴ・コンピュータとの組み合わせ等、傾向が異なる14の作品が演奏された。一晩で14曲の作品が紹介されたのだが、現作曲家による尺八曲と言うと聴き手にもある種のイメージの固着化ができてしまい一曲一曲ごとの作風は異なるが結局は同じような印象に受け止められる危険をはらんでいるような気がした。制作者はなるべく多くの作品を聴いてもらいたいとの気持ちがあったのだろうが、結果的には全作品を聴き通すと印象は薄い。難しい問題でもあり、ここでは今後の研究課題の一つである事だけを記しておく。
 今回披露された14作品のうちで、最も強く記憶にとどまるのは、二宮玲子の女声、三本の尺八、二面の箏、十七絃による「実朝幻影」である。北原みなみの台本を音化したもので、モノドラマ風に仕上げ、歌と語りによって個性的な音楽を築いてゆく。曲の流れに古典的な構成が感じられるが、語りの部分では、音色や音楽の進め方に、能や歌舞伎といった日本的な手法からの導入が感じられ、尺八奏者の掛け声がこの作品の独創性を生んでいる。メゾ・ソプラノの手嶋眞佐子の表現力のある歌唱がこの作品を聴きごたえのあるものにしていた。
 松尾祐孝のディストラクション・ー尺八と二十絃の為は、尺八と二十絃が協調しながら楽想を発展させ、それが少しずつ溶解してゆき二つの楽器が反発しながら個性のある響きを作り、再び二つの楽器は同化してゆく。尺八と二十絃のパートの対比の表現が興味深く、細やかに画かれた音の織物である。廣瀬量平の「ブルートレイン」は8人の尺八奏者のために三橋貴風が編曲したもので、楽しい合奏曲であった。(藤村 貴彦)

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「郡愛子リサイタル」5月13日 午後2時 京都コンサートホール
 「母の日」にちなんで各地で様々のコンサートが開かれるが、郡は原語の歌を自らの手で日本語にして、親しみやすい形で聴衆に届けている。例えばドヴォルザークの名曲「わが母の教え給いし歌」は「お母様が教えてくれた歌」として、硬い印象を避けている。この他「故郷」「見上げてごらん夜の星を」など日本の歌も交える。劇画「ベルサイユのバラ」をヒットさせ、ソプラノ歌手でもある池田理代子もゲスト出演。お問い合わせは京都音響(075‐221‐8411)へ。山本奨。(T)

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「バンベルク交響楽団演奏会」5月28日 午後2時 京都コンサートホール
 ドイツ南部の古都から屈指の実力を誇るバンベルク響が、気鋭の指揮者ジョナサン・ノットに率いられてやってくる。若手のホープ庄司紗矢香とともにプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」を演奏し、マーラー「交響曲第2番」では分厚な響きが楽しみである。お問い合わせは同ホール(075‐711‐3090)へ。(T)

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「アルバン・ベルク四重奏団演奏会」5月29日 午後7時 いずみホール(大阪)
 モーツァルトがハイドンを称えて献呈した弦楽四重奏曲6曲(ハイドンセット)をメインプログラムにして、いずみホール(06‐6944‐1188)ではシリーズで全曲演奏する。その第1陣としてアルバン・ベルク四重奏団が登場し、ハイドンセットの最初の2曲(第14番「春」、第15番)を演奏する。(T)

Audio ALBUM Review
  
「大いなる神秘‐グレクス・ヴォーカリスのクリスマス」(東京エムプラス/2L 26SACD)
 CDで既発売だが、このクリスマス曲集はぜひマルチチャンネルSACDの再生環境で楽しみたい。自然な残響の広がりのなかで各声部の動きが見事に溶け合い、再生装置の純度が高ければ高いほど、空間のスケールが大きく広がっていく。特にフロント音場の奥行きの深さは特筆すべきものがある。大半はアカペラだが、オルガン伴奏でテノールがソロを歌う「木枯らしの風、ほえたけり」はレンジの広さが聴きどころだ。(山之内 正)