私のベスト… 2009年7月 

中村 俊夫
『あなたが選んだローリング・ストーンズ・ゴールデン・アルバム』
(キングレコード/SLC-184)
 洋楽ポップスへの扉を開いてくれたのは、小学校3年生の時から毎週欠かさず観ていたTV番組『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)。当時の海外最新(といっても当時は3ヶ月〜半年ぐらいのタイムラグがあったが…)ヒット曲に日本語詞を付けて、日本のポップス系シンガーたちが歌うという構成のこの番組で、私は同時代の日本の流行歌(舟木一夫「高校三年生」等)とは毛色の違うカヴァー・ポップスの洗礼を浴びたのである。まだ子供だったこともあって、それらのオリジナル・ヴァージョンを聴いたのは、しばらく後になってからだが、その時の偽らざる感想は、大好きだったダニー飯田とパラダイス・キングの「シェリー」や弘田三枝子の「悲しき片想い」の方が、それぞれの“御本家ヴァージョンの百万倍も素晴らしい!”だった(フォー・シーズンズ、ヘレン・シャピロのファンの皆様ごめんなさい!)。
 この2曲に限らず、当時私がご贔屓にしていた日本語カヴァー・ポップスの大半は本家に勝る魅力があった(この認識は現在も変わっていない)。ただし、「ビー・マイ・ベイビー」(ロネッツ)と「抱きしめたい」(ビートルズ)を除いては…。この2曲だけは子供心にも日本語版のショボさを感じた。圧倒的にサウンドそのものが違うのだ。そして、それが本家版への興味に繋がり、次第に海外のポップスそのものに関心を抱くようになっていったのである。

 中学に進む頃には、それまでの日本語カヴァーに替わって、当時台頭してきたグループ・サウンズ(GS)が私の洋楽ポップスへの水先案内人だった。彼らがTVやレコード、ライヴ等で演奏する洋楽レパートリーは、私にとって“未知との遭遇”作品が多くて、特に人気GSの中ではスパイダース、タイガース、ゴールデン・カップスのお世話になった。この3バンドが取り上げたことによって、初めて知った作品やアーティストは数知れない。このように洋楽ポップス/ロックの広報宣伝媒体として、音楽リスナーへの啓蒙を果たしたことも、GSの功績のひとつだったのではないだろうか。
 ローリング・ストーンズもそんなGS経由で好きになったバンドのひとつで、これに関してはタイガースに感謝している。「サティスファクション」や「黒くぬれ!」等はラジオで何度となく聴いていたので知っていたが、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」や「アンダー・マイ・サム」「シー・セッド・イエー」なんて曲はタイガースの演奏で初めて知った。その後、御本家盤を聴くことができたのだが、これらの曲がヒット曲だけでは伺い知れないローリング・ストーンズの奥深さを感じさせ、改めてタイガースの選曲センスの良さに感服したものである。ちなみにタイガースの記念すべき初TV出演番組は、前出の『ザ・ヒットパレード』だった。

 ここにとり上げた『あなたが選んだローリング・ストーンズ・ゴールデン・アルバム』は、当時ストーンズの日本発売権を持っていたキングレコードから67年12月にリリースされた日本企画コンピレーションで、『ミュージック・ライフ』誌と文化放送『ハロー・ポップス』における読者・聴取者投票で選ばれた上位12曲が収録された、まさに究極のベスト・アルバム。クリスマス・シーズンのレコード店頭で初めてこのアルバムを手にした私は、その12曲のラインアップに驚いた!
≪A面≫1. 黒くぬれ! 2. 一人ぼっちの世界 3. ルビー・チューズデイ 4. アズ・ティアーズ・ゴー・バイ 5. 19回目の神経衰弱 6. 夜をぶっとばせ!
≪B面≫1. サティスファクション 2.ダンデライオン 3.マザー・イン・ザ・シャドウ 4.レディー・ジェーン 5.テル・ミー 6.この世界に愛を
 新曲の「ダンデライオン」と「この世界に愛を」を除いては、すべてタイガースのレパートリーではないか!しかも、すでにシングルで持っている「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「アンダー・マイ・サム」ともダブらない。これはもう買うしかないと決意するのに時間はかからなかったが、悲しいかな中学生にとって2000円もする高価なLP(シングル盤370円だって十分に高価だったが…)は高嶺の花。購入するにはお年玉が貯まる年明けを待たなければならなかった。
 こうして翌68年1月、同アルバムは私にとって記念すべき初めて買ったLPとなった(ちなみに、初めて買ったシングルは加山雄三の「夕陽は赤く」)。嬉しくて“投資額”の元を取る以上に聴きまくったし、ブックレットに掲載された星加ルミ子さんのライナーノートや、朝妻一郎さん作成のストーンズ年表も何度も読み返した。何よりも圧巻は見開きで掲載されたディスコグラフィー(写真参照)。越谷政義さんの名著『ローリング・ストーンズ大百科』のようなガイド本など皆無の時代だっただけに、これは重宝した。ノートに書き写して、まだ聴いたことのない曲にチェックを入れたり、旧カタログのジャケット写真を眺めながら、なんとか全てを聴いてみたいと購入計画(実現までにはその後何年も要したが…)を立てては、ひとり悦に入っていたものだ。今でもこのアルバムを開くと、当時のことが鮮明に甦ってくる。
 考えてみれば、ディスコグラフィーを元にアーティストの過去の歩みを遡っていくという作業の楽しさを知ったのは、このアルバムからだった。その後、ストーンズ以外にもどんどん興味の対象を広げて行き、いつしか仕事で自らディスコグラフィー作成を手がけることも。そういった意味では、現在の私の仕事の原点にあるレコードと言えるのかも知れない。それだけに愛着もあり、購入後40年以上経った現在も手放すことができないでいる一枚である。

細川 真平  
ジミ・ヘンドリックス「エレクトリック・レディランド」
 長年音楽を聴いていると、好きなアーティストの数はどんどん増えていく。そしていつの間にかそのリストは、膨大なものとなる。だが、その人が出すほんの微かな音や声のただひとつまでも聴き漏らしてはいけないと強く思わせられるアーティストの数は、誰にとってもそう多くはないはずだ。

 ぼくにとってジミ・ヘンドリックスは、その数少ないうちのひとりであり、頂点に位置する。彼のどのアルバムも抱きしめたいほどに大切だが、1枚だけを選ぶなら『エレクトリック・レディランド』だ。
 このレコードに刻み込まれた(今では0と1のデータに変換された)ひとつひとつの音を――例えそれが偶発的に発生した音だったとしても――決して聴き漏らしてはならない。その思いは、まるで天からの啓示のように舞い降り、この作品とぼくの一生のかかわり方を規定してしまった。

 『エレクトリック・レディランド』を買ったのは1978〜79年ごろのこと。ぼくは中学生だった。今から振り返れば、ジミが亡くなってからまだ8〜9年しか経っていなかったわけだが、彼はすでに伝説の存在であり、ぼくはその軌跡をやっと辿り始めようとしていた。ぼくにとってこのアルバムを所有することは、ツタンカーメンの黄金のマスクを所有するのにも匹敵していた。

 以来このアルバムを、そしてこれ以外のジミのすべての作品を聴き続けてきたが、それでも彼がどんなアーティストであるかを表現するのは容易ではない。あまりにも幅が広く、深く、多面的であり、フラクタル図形のように複雑で精緻で美しく、そしてアメーバのように流動的だから。

 だが、今なんとなく思っているのは、ライヴ・パフォーマーとしての彼と、スタジオ・レコーディング・アーティストとしての彼を分けて考える必要があるということだ。ライヴとスタジオの差(演奏における差というよりも、考え方や取り組み方の差という意味で)が小さいアーティストも多くいるが、ジミの場合、両者の差はとてつもなく大きい。どちらかが正しい本当のジミの姿ということはなく、両方ともが正しく本当のジミの姿であり、どちらもが素晴らしく、しかしそれらは相容れないのだ(部分的にしか)。そこを認識しておかないと、ジミというアーティストを見誤ることになりかねない。

 同時に、ブルース/ロック・ギタリストとしてのジミと、シンガー/ソングライターとしてのジミという両面性についても、認識しておく必要がある。バディ・ガイとボブ・ディランから影響を受けたから、と言ってしまうとあまりに単純すぎるかもしれないが、だが確かにそれはそうなのだ。そのふたつの要素は、微妙に絡み合いながら、60年代終盤の時代の風を取り込みつつ、最終的にジミ・ヘンドリックスというアーティストを形作っていくことになった。

 つまり、すごく大ざっぱに言うと、横軸にライヴ・パフォーマー←→スタジオ・アーティスト、縦軸にブルース/ロック・ギタリスト←→シンガー/ソングライターという要素を持つ座標平面を描き、彼のそれぞれの作品を(なるべく)適正な位置に置くことによって(それも、点ではなく面として置くことによって)、少しはジミというアーティストを把握しやすくなるのではないかと思う。

 つまり、『アー・ユー・エクスペリエンスド』は“スタジオ”という平面の中の、少し“ブルース/ロック・ギタリスト”寄りに属し、『アクシス・ボールド・アズ・ラヴ』は同じく“スタジオ”という平面の中の、“シンガー/ソングライター”寄りに属す。『バンド・オブ・ジプシーズ』は“ライヴ”という平面の、“ブルース/ロック・ギタリスト”寄りの位置だ。

 では、『エレクトリック・レディランド』はどうだろうか。このアルバムは、“ブルース/ロック・ギタリスト”と“シンガー・ソングライター”という要素を均等に備えつつ、大部分は“スタジオ”という平面にありながらも、若干“ライヴ”の平面にも侵食しているように思える。
 先ほど「ライヴ・パフォーマーとしての彼と、スタジオ・レコーディング・アーティストとしての彼を分けて考える必要がある」と言ったが、その原則をわずかながらも突き破っているのがこのアルバムなのだ(スタジオ・ライヴ、セッション的なナンバーを聴いていただきたい)。

 その結果として、縦軸と横軸が交わるあたり、つまり(ほぼ)0地点に、『エレクトリック・レディランド』は位置することになった。いや、0地点を内包する大きな面として存在する、と言ったほうが正しいだろう。

 それが意味するところは何かというと、『エレクトリック・レディランド』はジミ・ヘンドリックスという大きすぎて捉えどころのないアーティストにとって、もっともフラットなアルバムなのではないかということである。そしてそれこそ、ジミが望み、目指した地点だったのではないかと、ぼくは思う。
 あまりにも多彩であるがゆえに、あまりにもフラット。あまりにもフラットであるがゆえに、あまりにも多彩。この逆説もまたジミ・ヘンドリックスらしいではないか。

 『エレクトリック・レディランド』を、収録された音のひとつも聴き逃すまいとしながら30年間聴き続けてきて、今ぼくはこのように考えている。だが、10年、20年先にどう思っているかは分からない。分からないが、分からないからこそ、楽しみがある。ぼくの中で、『エレクトリック・レディランド』は今後どのように育っていくのだろう?
 ぼくはこうして、一生をこのアルバムとともに生きていく。

町井 ハジメ
ザ・ローリング・ストーンズ『スティール・ホイールズ』
 この4月にMPCJに入会し、早くもこのような難題をテーマに執筆させていただくこととなった(笑)。私の専門分野は1960年代のポピュラーミュージック全般で、その入り口となったのは小学生高学年の時に初めて聴いた『ミート・ザ・ビートルズ』の国内盤LP(当時、母が購入)。ビートルズに一通りハマったあと、次にローリング・ストーンズに手を伸ばしたのは当然の成り行きだったと思う。
 
 90年初頭、ローリング・ストーンズ初来日が翌月に迫り、スポンサーだったポカリスエットのCMでは彼らが演奏する「ロック・アンド・ア・ハード・プレイス」の映像がヘビー・ローテーションされていた。当時中学一年生だった私は、その曲が収録されていたという事もあり前年に発表された『スティール・ホイールズ』を購入した。これが私にとって初めて購入した彼らのアルバムだった。
 収録曲はどれも粒ぞろいで小気味よく、当時私が彼らに対して抱いていた‘ストレートなロック・バンド’という(あまりにも貧弱な)パブリック・イメージを裏切らない期待通りのアルバムだった。特によく聴いたのは「ミックスト・エモーションズ」や「テリファイング」。今では「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」や「スリッピング・アウェイ」(キースのヴォーカルには、なんと味があること!)なんかが胸にグッと来る歳になった。
 残念ながら初来日公演には行けなかったのだが(テレビ中継で観た)、続いて3枚組BOXセット『Singles Collection: The London Years』を手に入れ60年代のストーンズ黄金時代を聴きまくり、それとほぼ同時に、メンバー自身がヒストリーを語るビデオ・ドキュメンタリー作品『25×5: Rolling 63-89』(名作!再発されないのだろうか?)と、CBSソニー出版より発行されていた越谷政義さんの著書「ローリング・ストーンズ大百科」も購入。特にこの本に関しては、多感な時期に一字一句読み落とすまいと真剣に読んだので今でも内容をほぼ覚えている。「大百科」を片手に次々とアルバムを購入していき、全て揃えるまでにもそう時間はかからなかった。今思えばストーンズにどっぷりと浸かった中学生時代を過ごした。
 
 その後はストーンズを通してR&Bやブルースにも触れ、逆に彼らを熱心にコピーしていたザ・タイガースなどグループ・サウンズの本来の姿も知る事ができた。もちろん、ヤードバーズ、ゾンビーズ、デイヴ・クラーク・ファイヴなどの同時代のビート・グループを通過点として'60年代ポピュラー音楽全般も、むさぼるように聴いた。ストーンズを通じて音楽を追求する楽しさを体感できた事が、私のリスナーとしての基礎を形成する上でかなりのウェイトを占めていたのだと実感している。    
 今は特に60年代にリリースされた洋楽の国内盤シングル・レコード収集に情熱を燃やしているのだが、例えばストーンズでも「サティスファクション」の初版では何故か3コーラス目がカットされたヴァージョンが使用されていたり、「イエスタディズ・ペイパー c/w コネクション」や「アンダー・マイ・サム c/w 恋をしようよ」といった独自のカップリングが存在したりと、集めてみると非常に面白い。
 早い時期にストーンズに出会えた事は、私のリスナー人生の中においての大きな幸運だったと感じている。その入り口となった『スティール・ホイールズ』は、今でも聴く度にその頃の気持ちを呼び戻してくれる、とても思い出深い一枚だ。

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