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「屋根の上のヴァイオリン弾き」最新版・・・・・本田悦久 (川上博)
☆今年は「屋根の上のヴァイオリン弾き」日本初演から50周年の記念すべき年。筆者は2017年12月6日に東京の日生劇場で観劇。
ショーレム・アレイヘムの短編、「牛乳屋テビィエ」を元にジョセフ・スタインが台本を書き、ジェリー・ボック作曲、シェルドン・ハーニック作詞、滝弘太郎/若谷和子訳詞。寺崎秀臣演出、真島茂樹振付の大作。
舞台は帝政時代のロシアの寒村アナテフカ。 善良なユダヤ人たちが伝統を守りながら生活している。時は1905年。この物語の主人公テヴィエ (市村正親) は、牛乳屋、信心深い働き者で、5人の娘たち (実咲_音、神田沙也加、唯月ふうか、寺本莉緒、石川鈴菜) を可愛がり、一方25年連れ添った女房のゴールデ (鳳蘭) には頭が上がらない。貧しいながらも幸せな家族だった。一家を取り巻く人たちは、「仲人婆さん」と呼ばれたイエンテ (荒井洸子) 、金持ち肉屋のラザール (今井清隆) 、貧乏な仕立て屋のモーテル (入野自由) 、居酒屋の主人モールチャ (祖父江進) 、村で一番の人格者の司祭様 (青山達三) 。テヴィエに言わせると、「アナテフカのユダヤ人は、屋根の上のヴァイオリン弾きみたいなものだから、落ちて怪我をしないように気をつけながら生活している。ここが生まれ故郷だから愛着があるのだ」ということになる。
イエンテのもってきた縁談は、肉屋ラザールの野添、成り行きで、テヴィエは、ラザールの長女ツァイテルへの結婚を承知する。しかし、翌日ツァイテルは仕立て屋モーテルとの結婚を望んでいることを知り、娘可愛さに承知してしまう。妻ゴールデを納得させるのに、夜中に悪夢を見たと一芝居。死んだ婆さんはツァイテルと仕立て屋のモーテルとの結婚を望んでいるし、肉屋の死んだ女房は結婚したら、娘を殺すと脅すという、作り話を真に受けたゴールデは、仕立て屋との結婚を承知する。
だが、楽しいはずの結婚式当日、ロシヤ兵たちがなだれ込み暴れ、厳しい現実を突きつけられる。次女ののホーデルは、学生運動家のパーチックと恋に落ち、父に二人の結婚を認めさせようと、又もや伝統を破ろうとする。自分たちだけで結婚を決めるなんて、もっての他、伝統はどうなると困惑するテヴィエだが、「私たちは愛し合っています。」という言葉を聞いて驚く。やむなく承知したテヴィエはもゴールデに自分を愛しているかと問いかける。こうして、戸惑いながら、娘二人の結婚を認めたものの、三女のチャバがロシア人のフョートカ(神田恭兵)と結婚すると言った時ばかりは、これを認めたら、ユダヤ人としての自分は壊れてしまうと到底許せないと告げる。しかし、二人はロシヤ教会で結婚してしまう。泣き崩れるコールデにチャバは死んだと思おうと愛しい三女との決別を胸に誓う。
しかし、本当の苦悩はロシアの命令で、ユダヤ人全員が村を追われるという現実を受け入れることだった。
「伝統の歌」(トラディション)、「新婚仲介の歌」(マッチメイカー)、「もし金持ちならば」「人生に乾杯」(トゥー・ライフ)、「陽は昇り、また沈む」(サンライズ・サンセット)、「愛してるかい?」「アナテフカ」等のミュージカル・ナンバーが楽しい。
筆者が初めて「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観たのは、1975年2月25日、奇しくも日生劇場だった。サミー・ベイス演出、森繁久弥、上月晃、倍賞千恵子、木の実ナナ、賀原夏子、村井国夫、淀かおる、谷啓等が出演していた。
外国で初めて観たのは、1977年2月5日、ブロードウェイのウィンター・ガーデン劇場だった。
ところで、今回のこの作品は2018年1月3日から大阪、1月13日から静岡、1月19日から愛知、1月24日から福岡、2月10日から12日まで埼玉で上演される。
舞台写真提供: 東宝演劇部
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(余談)「屋根の上のヴァイオリン弾き」を語るとき、忘れられない名の役者がいる。その名はハイム・トポル。イスラエル出身のユダヤ人だが、1967年のロンドン初演版のテヴィエで大好評、1971 年の映画版で同役を勤め、50代半ばの1990 年アメリカのツアー・カンパニーに加わってプロードウェイ公演目前に来日した。1990年10月3日、五反田簡易保険ホールで上演され、終演後、テヴィエ役トポルとのパーティーとなった。映画で見慣れた温かい人柄そのままのトポルが印象的だった。
ブサールが描いたヴィオレッタ‐自己犠牲による救済劇としての「椿姫」
・・・・・多田圭介
ブサールが描いたヴィオレッタ‐自己犠牲による救済劇としての「椿姫」
2017年11月に、新国立劇場で2015年に続いてヴァンサン・ブサール演出による「椿姫」が採り上げられた。ブサールの演出に絞ってレポートをしたい。
古今の文学や舞台作品では自己犠牲をはらうことを厭わない愛こそが真実の愛として讃えられてきた。恋愛であれ、母の愛であれ、人類愛であれ、ただ相手のために貫かれる行為は気高いとされてきた。一般的に言って、ヴェルディのオペラ「椿姫La Traviata」では、その愛は第二幕において表現されていると解されている。ヴィオレッタがアルフレードのために豪勢な生活を捨てる犠牲であり、また、ジェルモンの娘(つまりアルフレードの妹)のために自ら身を退く犠牲である。
しかし、ヴァンサン・ブサールはこの犠牲を第三幕にこそ見出した。それによって、あたかもワーグナーかのような「自己犠牲による救済劇」をこの作品に読み込んでいったのだ。演出上の最大の特徴は紗幕によってヴィオレッタと他の人物が隔てられた第三幕だ。ヴィオレッタと他の人物の間には紗幕が下ろされ、ヴィオレッタは誰とも直接に接することはなかった。紗幕による「切断」を介して、因習の犠牲になって死んでゆくヴィオレッタを救うことは誰にもできないことを強調したのだ。アルフレードとの再会、そしてその喜びを歌う二重唱「パリを離れて」すらこの紗幕に隔てられたままだった。ヴィオレッタは自らの死を通して、ジェルモンたちを因習への囚われから解放するしかなかった。その役割をまっとうすることによって、自らの魂もようやく「生の意味」を得ることができたのだ。ヴィオレッタの「死」は最後の歌詞“rinasce”にあるとおり「再生」である。幕が閉じるときヴィオレッタは光に包まれた。さらに、医者の「ご臨終です」とジェルモンらによる「なんという悲しみ!」という最後の歌詞はカットされた。これによって、ヴィオレッタの死が再生なのだという印象を強めた。
舞台芸術や文学はそれぞれに時代の制約を受けざるを得ない。しかし、その制約を外してもなお残る人間存在の本質が描かれているかどうか。これは作品が古典たり得るかどうかの条件となろう。特定の時代の常識を自明視することが、自由を求める人間の魂をいかに圧殺することになるか、さらに、その常識への囚われから魂を解放するにはいかに大きな犠牲を要するか、ブサールは椿姫La Traviataからこの2点を巧みに取り出すことに成功したと言える。しかも、ブサールの舞台は一見すると、澄んだ色調の美しい衣装とセットに囲まれたいたってオーソドックスな装置に見えがちである。大胆な読み換えを施すことなく、つまり19世紀フランスの社会像を壊すことなく、ヴィオレッタの死に意味を与えることに成功したブサールのセンスに称賛の言葉を贈りたい。
しかしまた、この成功はヴィオレッタを歌ったイリーナ・ルングなしにはありえなかっただろう。ヴィオレッタは、自由を求める強さと厭世的な脆さ、この両面を持っている。歌い手によってその性格は大きく変わる。ルングはすべてを備えていた。第一幕前半では、愉悦に身を任せることで憂さを忘れようとする厭世的な側面が強いが、後半からは振り払おうとしていた「生の意味」がヴィオレッタに襲いかかる。この振幅をルングは見事に表現した。第二幕で表出された、気丈に振る舞うなかに垣間見える「壊れやすさ」、これに涙した観客は多かったことだろう。第二幕でヴィオレッタが自ら身を引いたのは、実のところ、自己犠牲という面よりも、娼婦という自身の身分への「負い目」のほうが強いのだ。ブサールとルングはこのことをよく理解していた。負い目に貫かれた魂までが真に救済されるためには第三幕の「病による死」が必要だったのだろう。
また、第一幕の序曲が静かに響く中、舞台には半透明の幕がかけられ、その幕には原作のモデルとなったマリー・デュプレシスの肖像と墓が映し出された。これは、アルマン(オペラのアルフレード)による「ぼく」という一人称の回想によって綴られたデュマ・フィスの原作に近い。すべてはアルフレードによる回想なのだという印象を強めた。序曲がおわり幕が上がると、青味がかった舞台が非現実的なほど儚い。記憶のなかのヴィオレッタを手繰り寄せるようだった。アルフレードの回想としての原作の世界観、世間の「目」に翻弄された女性を描いたマリア・ピアーヴェの台本、19世紀パリの社会、そして普遍的な人間存在への洞察、これらすべてを余すことなく掬いとり、そこに「自己犠牲による救済劇」を読み込んでいったブサールのプロダクションはオペラファンの記憶に長く残ることだろう。
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