2012年2月 

内田裕也の「ロックがヤレルコト」。
39th New Years World RockFestival開催。・・・池野 徹
 内田裕也が、年末に一度のロックフェスティバルをやる理由は、イロイロあるだろう。単純に歌の放送イベントNHKの紅白歌合戦をロックでぶっ飛ばすという事。日本のロックミュージックが一つのパワーで聴衆に認知させる事。ロックを目指す若者たちをバックアップする事。何よりも、裕也自身ロックに対する盲愛がある事だろう。そして、日本からロックを世界へ発信するリーダーとなる事。そんなロックへの執念的志向がここまで支えて来たのだ。ロックミュージック・ライヴイベントとしては、ギネスものの39回目を迎えたのだ。2012年には、大台の40回目に到達する。

 それにしても2011年は、世界の暴君が倒されたり自滅したりして、と言うか日本にとっても空前絶後の災難の年になった。ロックフェスにとっても、裕也の片腕ジョー山中がガンで逝き、原田芳雄と、柳ジョージと出演した仲間たちがステージから消えてしまった。裕也は、その追悼を込めてロックフェスを進行させたのである。そして東日本震災被災地のロックグループを登場させた。ミュージックは、ロックは、あらゆるジャンルの歌と共に人々の心に届かせるべく動いた。「ロックがヤレルコト」は一部かもしれないが。

 渋谷、浅草、新宿、下北沢と放浪して来たロックフェスも、このところ銀座は博品館で開催されている。浅草の芸人的匂いのあるところが似合う裕也のロックフェスとも云えるが、ロックも洗練されて21世紀ミュージックを目指すとしたら、日本のセンター銀座も、はまるかもしれない。1980年から、毎年恒例で写真を通しての付き合いである自分にとっては、人生の一部になってしまってる事を痛感するものである。内田裕也の芸能人的、クリエイター的、プロデューサー的、カリスマ的ロックンローラーの全てを備えた、破綻を含めて人間的面白さは、言葉に語り尽くせないが、そのロック・スピリット&フィオジカルで、2012年、ここまで来たのはまぎれもない事実である。

 39thの出演者は、列強のシーナ&ロケッツ、桑名正博、白竜、カイキゲッショク。此処に安岡力也がいないのは寂しいが、ジョー山中追悼のFTBの石間秀機、篠原信彦中心の丹波博幸、永本忠、斎藤昇、樋口昌之等のRemind Joe、タップのHIDEBOH、ジャポネスクの氏神一番、上田秀一郎、炸裂のBILLY、AURA、石橋勳バンド、ME-ISM、naoshin、The DEAD P★P STARS。そしてStand Up Japanの東北からのUnder the yaku cedarそして、内田裕也とトルーマン・カポーティR&R BANDであった。世界へは、イギリス・ロンドンで、中国・上海で、アメリカ・ロサンジェルス、韓国・ソウルで20バンドの俊なロックンローラーが出演して盛り上げたのである。

 1回目からの桑名正博が、ジョー山中のララバイ・オブ・ユーを熱唱、ベテラン白竜が締め、トリにシーナ&ロケッツがNo Satisfactionで会場を興奮の渦に巻き込んだ。内田裕也がジョー山中の写真を、ステージ上に置きスポットライトのもとで歌ったのは、まさに印象的なシーンだった。カウントダウンも終わり新しき年を迎え、白みかけた銀座の夜明けは、爽快なけだるさが残っていた。

ミュージカル「I Got Merman」25周年記念に乾杯!!!・・・本田浩子
 宮本亜門の演出家デビュー作「I Got Merman」の25周年記念として上演されている、オリジナル・キャストの(写真左から)田中利花、諏訪マリー、中島啓江の舞台を観に、年が明けた1月6日、シアタークリエに足を運ぶ。実は初演時の1987年4月にたった3日間、築地ブディスト・ホールで上演された折に、大先輩の音楽・演劇評論家(故)野口久光氏にお誘い頂き、大変幸運にも今や伝説となったこの作品の誕生に出会っている。

 メリー・マーティンと並んで、ブロードウェイ・ミュージカルの女王と謳われた個性的な女優エセル・マーマンの生涯を、三人の女優で描き出すという、いささか無謀にも思えるこの初演舞台を観るまでは、どうなるのか少し心配で落ち着かなかった。

 1962年から5年ニューヨークに住んだ私は、週末になるとブロードウェイの劇場街に足を運ぶのが楽しみだった。ミュージカルに夢中だった私にとって、当時リンカーン・センター内の劇場でリバイバルの名作品が上演される状況もとても嬉しいことだった。そして1966年の5月末から7月初めには同劇場で「アニーよ銃をとれ(Annie Get Your Gun)」が上演された。1946年にブロードウェイで初演されたこの作品は、実在した射撃の名手アニー・オークリーをエセル・マーマンが演じて伝説的な名舞台と言われているが、そのミュージカルをエセル・マーマン主演で見られるというので、観る前からワクワク・ドキドキしていたのを昨日のことのように覚えている。ところが、舞台に出てきたマーマンは、役柄上は若い娘の筈が、たっぷりと太った中年の女性で、私自身はがっかりすると同時にとても戸惑ってしまった。一方客席は、マーマンが登場しただけで、もう場内は沸きに沸いて、そんな経験は初めてだった私は彼女の存在の大きさをそこで知ることとなった。そして、マーマンが歌い始めると、不思議なことに生き生きとした若い娘に見えてきたのには驚いた。映画のDVD或いはCD・レコード等で聞くと、独特のコブシを効かせた張りのある歌声はクセが強過ぎる感じがぬぐえないが、舞台でのそんな歌声は芝居を良く盛り上げて、リズム感抜群で圧倒的な魅力に溢れ、マーマンの再演で書き加えられた、「オールド・ファッション・ウェディング(Old Fashioned Wedding)」は、豊かな美声で知られるバリトンのブルース・ヤーネル(Bruce Yarnell) 演ずるフランク・バトラー役に、気の毒な位の迫力と魅力に満ちていて、(”Show Stopping Number” という言葉は知っていたが) 本当に拍手が鳴りやまずに舞台の進行が止まったのを初めて体験した。

5年間滞在中に数えきれないミュージカルの名舞台を観る機会に恵まれたが、エセル・マーマンの舞台は独特の魅力故に未だにありありと覚えている。それだけに、日本人の作・演出による三人の女優の競演で「エセル・マーマン」を描き切れるのか、不安と楽しみが半々だった。

 しかし、そんな懸念は全くの杞憂に過ぎず、大場公之の適切かつ闊達な訳詩の力も大きく、個性的かつ実力派のミュージカル界若手の諏訪マリー、田中利花に加え元々はオペラ出身の中島啓江の三人が、我こそはマーマンと言わんばかりに、歌い踊るその舞台は活気と魅力に溢れていて、マーマンの伝説的な活躍を充分に客席に伝えていて、正に画期的で衝撃的だった。舞台が終わると、野口氏は「凄い舞台ね、三人のキャスティングが抜群で、あんなに若い青年(当時29歳)がこんな見事な舞台を作るとは、何だか口惜しい気がする。」とご自身アーティスト(美大出身の画家)だけに、感動冷めやらぬご様子だった。勿論私自身も、新しいミュージカル形態の誕生に立ち会えた喜びは大きかった。

 その後、同作品は再演を重ねて、10年前にはオリジナル・キャストの他にシルビア・グラブ、浦嶋りんこ等の新しいキャスト版も上演されて話題になったが、今回は25周年とあって、オリジナル・キャスト版の他に、(写真左から) 浦嶋りんこ、シルビア・グラブ、エリアンナのファビュラス・キャスト版、加えて(写真左から) 樹里咲穂、西国原礼子、Mizのニュー・キャスト版の競演という華麗な試みに期待感は増すばかりだが、まずはオリジナル・キャストを楽しませて頂く。

 舞台に25年前の色合いとデザインが殆ど変らぬ衣装の諏訪マリーが登場して歌い始めると、たちまち25年の歳月は吹き飛んでしまった。続く田中利花の衣装もミニ・スカートの丈が膝下になった位で個性的な髪型も昔と変わらず、太めの中島啓江が登場すると、もうそこは懐かしい三人の独壇場となった。歳月を考えてか、コンサート形式と聞いていたが、実際には初演時と殆ど変らぬエクサイティングな舞台になっていた。二台のピアノ演奏の一台は、25年前に編曲を担当した深沢桂子自身の演奏というのも嬉しく、三人のベテラン女優は歳月がタッチしていないかのような若さとパワーで宮本亜門入魂の演出に見事に応えて観客を魅了し、客席は手拍子が絶えない熱気に溢れていた。

 こんなに素晴らしいオリジナル・キャスト版に続く、ファビュラス・キャスト版の三人、そしてニュー・キャスト版の三人は、常に新しさを求める宮本演出によってどんな舞台を繰り広げるのか、益々期待感が膨らんでくる。

 まずは、オリジナル・キャストの三人に「とびきり楽しいひと時に感謝の乾杯を!!!」

写真提供:東宝

“北欧のビートルズ”とも称される最高の60sスウェディッシュ・ビート・グループ、トーゲス。彼らが残した全5枚のアルバムが紙ジャケにて待望の国内初CD化!・・・小松崎健郎
 “北欧のビートルズ”とも称されるスウェーデンのビート・グループ、トーゲス(TAGES)。国内初登場となる彼らのアルバムが、ストレンジ・デイズ・レーベルより紙ジャケ仕様にて発売された(ボーナス・トラックなしのストレート・リイシュー)。

 それにしても今回のCD化は個人的にも本当に嬉しい。いやマジな話、内容の素晴らしさはもとより、僕のこれまでの音楽生活のなかでも、これほどまでに感慨深いロック・バンドはそうはいないのだから。


『トーゲス・ファースト』

『トーゲス・セカンド』

『エクストラ・エクストラ』

『コントラスト』

『スタジオ』

 個人的な回想となってしまい恐縮だが、僕が初めてこのトーゲスを知ったのは今から30年ほど前のこと、当時東京の新宿にあった“CHICAGO”という中古レコード・ショップでエサ箱を漁ってて出逢ったのが、『STUDIO』と題されたこのアルバムだった(てっきり当時は“テイジズ”と呼ぶのだとばかり思っていた...英語で発音するならば“tah-gez”が正しいそうだ)。値段は現在の相場からは考えられないのだが2000円くらいだっただろうか。速攻で買いましたよ、というとウソになる。そう、実はお目当てのアルバムを買うには持ち合わせが足りなくて(15歳じゃクレジット・カードも持てませんでしたしね)、でも、すごすご帰るのはこれまたシャクなわけで、当時からブリティッシュ・ビート信奉者であった僕は、“いかにもそれらしき”ジャケットに包まれていた『STUDIO』を補欠のクジでも引く気分で購入したのである。

 というわけで、さしたる思い入れも無かったわけで、しばらくはほったらかしに.....ところがどうだろう、ある日のこと、何の気なしにプレイヤーに乗せてみたときの衝撃といったら!.....もう一瞬にしてこのアルバムの虜になってしまったのである。最初はこの“テイジス”、レーベルもお馴染みのイエロー・パーロフォンだったこともあり、てっきり英国のグループだとばかり思っていた。けれども趣がやや異なっていたし、メンバー・クレジットにしても英国人っぽくない。彼らがスウェーデンのグループだと気づいたのは、発売元として記されていた“ELECTRIC & MUSICAL INDUSTRIES LTD SVENSKA AB”の“SVENSKA”を目にしてからだった(それにしても前の持ち主の方がどうやって入手されたんだか、今でも気になってしょうがない)。

 以後、彼らに対する関心は高まる一方であったが、肝心の情報も資料も皆無という状況が続く(当時はネットなんてありませんでしたし)。

 そんななか、1983年、トーゲス、ヘプ・スターズ、オーラ&ザ・ジャングラーズ、シェーンズといったスウェディッシュ・ビート・グループそれぞれの2枚組アンソロジーがスウェーデンのEMIから一気に発売され、日本にもごく一部だが輸入されたのである。そして、それらのアルバムによって、1960年代のスウェーデンに、英国に勝るとも劣らないビート・ロック文化が花を咲かせていたことを知ったのであった(インナースリーヴのスウェーデン語による解説の内容知りたさに、スウェーデン大使館に日参したことも当時の楽しい思い出である)。

 さらに時は流れて1994年、日本のビート・ロック・フリークにトーゲスの名を一気に知らしめることになる出来事が起こった。彼らの全音源を纏めたボックス・セット『THIS ONE'S FOR YOU!』のリリースがそれである。その後、インターネット隆盛の後押しもあって、現在に至るもトーゲスに対する日本のファンからの関心は日に日に広がりを見せている。そんななか、彼らの最高傑作とされる『STUDIO』を含む全5タイトルが、ついに国内初CD化となったわけで、まさに痛快! これを機にさらなるトーゲス・ファンが増えてくれればと願っている次第だ。

 スウェーデンの若者たちは、北欧5カ国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランド)のなかでも断トツというか、1950年代末期から早くも、ロックンロールやブルース、R&Bといった音楽を熱狂的に受け入れてきた。それはチャック・ベリーやサニー・ボーイ・ウィリアムソン㈼、ビートルズらがかなり早い時期にこの国を公演して回っていたことからも明らかだろう。総人口が1000万人にも満たない国ではあったが、こうした若者文化、嗜好といったものは、スプートニクスに始まりアバ、北欧メタル、ロクセット、カーディガンズ、マンドゥ・ディアオらが世界中で人気を博す下地ともなる(さらに重要なこととして、英語がほぼ第二公用語に近い扱いで浸透していたことも挙げられよう)。

 さて、1962年のビートルズのデビューに始まるブリティッシュ・ビート・ブーム、それにいち早く反応したのがスウェーデンの若者たちであった。ビートルズ登場に刺激された彼らは、やがて楽器を手に3つボタン・スーツを纏い、各地で開催される“ビートルズ・コンテスト”に競い合うようにして出場する。

 トーゲスも、またそうした動きの中から生まれた5人組のビート・グループであった。首都ストックホルムに次ぐ人口数を誇る港湾都市、イェーテボリにて結成されたのが1963年のこと。

 メンバーはTommy Blom(Vocals/Tambourine)、Danne Larsson((Vocals/Rhythm Guitar/Keyboard)、Anders Topel(Lead Guitar/Vocals)、Goran Lagerberg(Vocals/Bass)、Freddie Skantze(Drums)。

 1964年夏、彼らは地元で行われた“ビートルズ・コンテスト”に出場するや優勝を果たし、10月にはプラチナ・レコード(PLATINA)からTommy作のオリジナル曲「Sleep Little Girl」でシングル・デビュー。これがNo.1ヒットとなったことで、一躍人気グループの座を手に入れることになる。以後もヒットは絶え間なく続き、スウェディッシュ・ビート・ブームの一翼を担う存在となっていった。

 ここで当時のビート・グループ勢がいかにスウェーデンのポピュラー・シーンを席巻していたか、ちょっと調べてみよう。

 スウェディッシュ・ビートの代表格としてはトーゲス以外だと、アバのベニー・アンダーソンが在籍していたヘプ・スターズ(HEP STARS)、トーゲス同様にAnders Henrikssonがプロデュースを手がけたシェーンズ(SHANES)、ここ日本でも主演映画『美しき虹のかけら』が公開されたオーラ&ザ・ジャングラーズ(OLA & THE JANGLERS)、こちらも日本でそれぞれ「La-La-La」や「Stop The Music」をヒットさせたシャムロックス(SHAMROCKS)とリーン&リー・キングス(THE LEE KINGS)、そしてジャックポッツ(JACKPOTS)、マスコッツ(MASCOTS)、ファビュラス・フォー(FABULOUS FOUR)などが挙げられる。とにかく1964年から69年にかけてスウェーデンでは、英国と同じくらいにビート系ロック・グループがひしめきあい、それぞれ人気を博していたのである。

 スウェーデンでビート・ミュージックが大流行していたことは、かの国のヒット・パレード“Tio-i-topp”に残された記録からも明らかだ。“Tio-i-topp”は、レコードの売り上げ枚数、ラジオやテレビ番組へのリクエスト集計などから総合的に判断したランク付けが行われており、英国で喩えるのであればニュー・ミュージカル・エクスプレス誌に近いスタイルなのだが、ヘプ・スターズ(活動期間:1964-69)は12曲をトップ10に送り込み、うち5曲をNo.1ヒットとしている。以下、シェーンズ(1963-68)はトップ10が11曲でうち1曲がNo.1、そしてオーラ&ザ・ジャングラーズ(1964-71)だとトップ10は13曲でうち4曲がNo.1といった具合である。

 そこでトーゲス(1964-68)だ。まずはデビュー以降の4年間にリリースした全17枚のシングルをリストアップしておこう。発売年月、タイトル(A面/B面)、品番、そして前述の“Tio-i-topp”での最高位の順に記してある(PA品番のものがプラチナ・レコード所属期、一方、SD品番はEMI/パーロフォンに移籍して以降のもの)。

1964.10「Sleep Little Girl b/w Tell Me You're Mine」(PA-102) 第1位
1965. 2「I Shoild Be Glad b/w I Cry」(PA-103) 第2位
   . 5「Don't Turn Your Back b/w Hound Dog」(PA-104) 第2位
   . 8「The One For You b/w I Got My Mojo Working」(PA-105) 第2位
   .11「Bloodhound b/w Whatcha Gonna Do About It?」(PA-109) 第6位
1966. 2「So Many Girls b/w I'm Mad」(PA-115) 第4位
   . 5「I'll Be Doggone b/w Hitch Hike」(PA-121) 第7位
   . 7「In My Dreams b/w Leaving Here」(PA-122) 第1位
   .10「Crazy 'Bout My Baby b/w Go」(PA-125) -
   .11「Miss MaC Baren b/w Get Up An' Get Goin'」(PA-130) 第4位
1967. 2「Every Raindrops Means A Lot b/w Look What You Get」(SD-6004) 第2位
   . 4「I'm Going Out b/w Fuzzy Patterns」(SD-6005) 第2位
   . 6「She's Having A Baby b/w Sister's Got A Boyfriend」(SD-6009) -
   . 9「Treat Her Like A Lady b/w Wanting」(SD-6011) 第3位
1968. 2「There's A Blind Man Playing Fiddle In The Street b/w Like A Woman」(SD-6024) 第10位
   . 5「Fantasy Island b/w To Be Free」(SD-6036) -
   .11「I Read You Like An Open Book b/w Halcyon Days」(SD-6054)(SD-6054) -

 このシングル・ディスコグラフィーからも窺えるように、13曲のトップ10ヒットを放ち、うち2曲がNo.1に輝いてるという記録は、他のグループと比べてみてもまったく遜色は無い。

 トーゲスがスウェーデンで熱狂的な人気を得た理由は、メンバーのルックスの良さはもちろん、当時英国で最先端だったモッズ文化や風俗をいち早く取り入れていたことも大きかった。言うなれば、彼らは一級のビート・グループであると同時に、ファッション・リーダーでもあったというわけだ。

 プラチナ所属時の初期トーゲスの音楽性は、ビートルズ、キンクス、ザ・フー、スモール・フェイセスといった英国のビート・グループ、さらには米国のモータウンやスタックスをはじめとする黒人音楽(R&B、ブルース)の影響下にあった。それは彼らがカヴァーしたナンバーからも窺い知れるわけだが、決して“亜流”的なものでなかったことは「The One For You」や「I Shoild Be Glad」、「Guess Who」といった現在では世界中のビートマニアから名曲として賞賛されるオリジナル曲を早い段階から数多く生み出していることからも明らかだ。

 そもそもトーゲスが真にオリジナルな方向性を打ち出してゆくことになるのには、シングル「The One For You」以降、プロデューサーに就任したAnders Henrikssonの存在も欠かせなかった。Anders Henrikssonは言うなればビートルズに於けるジョージ・マーティンのような立場であり、スタジオでの助言のほか、鍵盤楽器の演奏やコーラス、さらには作曲でも参加するなど、まさに“6人目のトーゲス”ともいうべき人物だったのである。

 1966年12月、(「In My Dreams」以降、Freddieから代わった)Tommy Tausisが脱退、後任のドラマーとしてLasse Svenssonが迎えられたが、時を同じくしてトーゲスはEMI/パーロフォンへと移籍。これは英国進出を視野に入れてのものだった。

 さて、この時点までにトーゲスは『トーゲス・ファースト(TAGES)』(1965年11月/ストレンジ・デイズ SNS-3001)、『トーゲス・セカンド(2)』(1966年7月/SNS-3002)、『エクストラ・エクストラ(EXTRA EXTRA)』(1966年11月/SNS-3003)と3枚のアルバムを発表してきたが、EMI移籍第1弾として1967年4月に登場した通算4枚目のアルバムが『コントラスト(CONTRAST)』(SNS-3004)であった。ビートルズで喩えるのであれば『Rubber Soul』と『Revolver』の中間に位置するかのような同作は、モッズ流サイケデリック・ポップやソフト・ロックをベースにしながらも、オーケストレーションなどを大胆に取り入れた意欲作であり、トーゲスが次なる段階に入りつつあることを知らしめるには十分すぎるほどのクオリティーであった。

 6月にリリースされたシングル「She's Having A Baby」(シュールなプロモーション・クリップはYouTubeなどで観ることが出来る)は、10代の少女の妊娠をテーマにした歌詞が問題となり放送局が自粛したため、さほど話題にはならなかったものの、久々のカヴァーとなった「Treat Her Like A Lady」(「I'm Going Out」同様、オリジナルはレスリー・ゴアで作者はボブ・クリュー。原題は「Treat Me Like A Lady」)のヒットをはさみ、11月に(渡英してEMIアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた2曲を含む)5作目のアルバム『スタジオ(STUDIO)』(SNS-3005)がリリースされると、多くのファン、評論家たちはトーゲスというバンドが一つの頂点に到達したことを知るに至ったのである。

 それにしても、この作品、これぞまさに『SGT.PEPPER〜』に象徴される“英国版サマー・オブ・ラヴ”への北欧からの返答、“サマー・オブ・ラヴ”ならぬ“オータム・オブ・ラヴ”の金字塔とでも言うべき傑作である。随所に香るモッドなサイケデリック・テイストはもちろんのこと、ビートルズ的な旋律、北欧の伝承音楽などの要素、効果的に使われた菅弦楽器や逆回転などのエフェクトが最高のバランスでブレンドされているあたり、まさしく北欧人にしか表現不可能な超一級のサイケデリック・ロックといえるだろう。

 しかしながら、トーゲスのファンの大半を占めていた当時のローティーンの少女たちには、いささか難解に聞こえたのかもしれない。皮肉なことにアルバムは評論家筋からは高い評価を受けながらも、セールス的には苦戦を強いられ、また以後のトーゲス人気そのものにも翳りが見え始めるようになってゆくのである。

 また、EMI/パーロフォン移籍後の1967年秋にはトーゲスは、プロモーションのため渡英、マーキーなどのクラブで演奏も行うなどしており、キンクスのレイ・デイヴィスをはじめとする多くのミュージシャンから賛辞が寄せられたほどであった。けれども、英国でのブレイクにつながらなかったのは今でも悔やまれてならない。

 結局のところ、アルバム発表後のトーゲスは翌1968年、3枚のシングル(うち「Halcyon Days」は、ザ・ハードの「Our Fairy Tale」<ピーター・フランプトンとアンディ・ボウン>の改作で、マイク・ハーストをプロデューサーに迎えロンドンのオリンピック・スタジオでレコーディングされたものだ)を残したのみで、同年暮れにTommyの脱退という事態を招いてしまう。

 Tommyにしてみればグループの一番人気でありながらも、シングルに於いてはGoranやDanneがリード・ヴォーカルを多く受け持つことになったことに対する葛藤などもあったのかもしれない。このあたりザ・バーズあたりでいうとジーン・クラークとロジャー・マッギンとの関係に似てなくもない。とはいえ、ソフトな歌い方のTommy、そしてワイルドな歌唱を得意とするGoran、ともにそれぞれの味があると思うし、「Every Raindrops Means A Lot」(『CONTRAST』収録)なんかでの2人の絶妙な絡み具合など最高だとも思うのだが。

 Tommy脱退後、残されたGoran、Danne、Anders、Lasseの4人はバンド名をブロンド(BLOND)と改め再出発。こちらも現在ではサイケデリック・ポップ・クラシックとして評価の高いアルバム『THE LILAC YEARS』を1969年に残すが、度重なるメンバー・チェンジの末、自然消滅してしまう。その後、Tommyはソロ歌手、DJとして、またGoranは作曲家として活動を続けるが、かつての人気には及ばないものであった。

 とはいえトーゲスが世界中のビート・ロック、モッド・ロック、サイケ・ポップ愛好家たちに及ぼした影響力のデカさ、これは時空を超えた現在でもなおますます大きなものになりつつある。40数年前の彼らのアルバム群がこうして再び世に送り出されたことが、なによりもそれを物語っているといえるだろう。

 今後はアルバム未収録のシングル曲や当時のオムニバス盤などでしか聴けなかったナンバー等が、国内編集盤として企画されるなんてことも望みたいところだ。

アジアの巨人・CAVが満を持して導入する2種の大型フロア型システム・・・大橋伸太郎
 CAVは広州に本拠を構え中国国内のシネコンへ業務機の高い納入実績シェアを誇るスピーカーメーカーである。近年CAVジャパンの設計による管球式プリメインアンプが日本で好評を博しているが、中国のCAV本体が設計した家庭用大型フロア型システム二機種(DX-8/MD-Ⅵ)がこのほど日本に導入された。

  CAVジャパンはパイオニアやTADで数々のスピーカーシステムやアンプの設計に携わった技術者が中枢を占める。そのCAVジャパンが自信をもって導入を決めた二機種(DX-8/MD-Ⅵ)に注目したい。

オーソドックスかつ入念な設計が素材のよさを引き出す旗艦機種DX-8
  CAV家庭用システムのフラグシップDX‐8はペアで¥2,940,000。3ウェイ4スピーカーのリアバスレフ方式で、バス(25cmコーン×2 パラレル駆動)独etone(イートン)社のハニカムドライバー、ミッド(16cmコーン)とハイ(3cmドーム)にはやはり独Acutone(アキュトーン)社のセラミックコーンで構成される。板厚100mmの前面バッフルを刳り抜いて以上のユニット群を頑強に固定している。

 近年の動向として音源(振動源)をフローティングマウントする手法が増えているが、本機はその逆を行くオーソドックスでリジッドな手法を採る。エンクロージャー内部は5層の補強材で剛性を上げ、内部音圧による振動の悪影響を抑止している。外装仕上げに全面ウォールナットバール(胡桃根元の木目の入り組んだ部分)の突き板を使用している。

 前面バッフルの幅をバスドライバーの口径に可能な限り近づけたスリムなエンクロージャーで、しかも単純なレクタンギュラー型(箱型)でなく非常に手の込んだ面構成である。内容積を稼いで中低音を朗々と鳴らそうとしたらこういうエンクロージャー形状にはならない。もちろん回析が位相に及ぼす悪影響を排することが目的で、音質最優先の理詰めの設計から本機が生まれたことが分る。見た目の豪華さと音の量感以上に高忠実度を最優先したことが伝わってくる。

 下位機のMD-Ⅵと音調は異なる。MD-Ⅵは低域を厚くたっぷりと響かせる大らかで大陸的な鳴りっぷり(後記)だが、本機は解像力豊かな中高域と節度を持った低域がバランスした端整で引き締まった澄明な音質である。余計な色付けがなく情報量も豊かである。

 箱鳴りを活用せず低域の遅れと音の曇りがなくドイツ製高品位ドライバーの音の持ち味をエンクロージャーの剛体設計が素直に引き出している。

 ワイドレンジと素直な帯域バランスを生かし、試聴室前方にオーケストラやコンサートグランド(ピアノ)が生々しいスケール感を伴って出現する。音場表現力もなかなかのものである。水平方向の広がり感と密度ばかりでなく前後の奥行きのデプスも十分で、聴き手を音楽に没入させるオーディオ製品としての力がある。

 中国国内の一般的な嗜好に迎合せずハイエンドスピーカーシステムとしてグローバルに通用するニュートラルな高音質を目的にした製品であることが理解された。本機に関してCAVジャパンが日本の厳しいオーディオファイルの耳に適うよう時間をかけて音の詰めを行ったと聴く。オーソドックスな設計による素性のよさがこのファインチューニングでさらに引き出されている。

 中国製品というと物量の利が真っ先に連想されるが、本機はそれをこれ見よがしに鳴り響かせるのでなく、逆に色付きのない高忠実度再生に昇華した製品である。一度聴く価値がある。なおDX-8は89dBと比較的能率が高いため、プリメインアンプで十分ドライブ可能だが、本機の素性のよさを引き出すため色付きの少ないハイスピードなアンプと組み合わせたい。一台119kgもあるから床を強化するかオーディオボードを併用すること。

朗々と鳴りファンの溜飲を下げさせる本格的フロア型システム MD-Ⅵ
  DX-8と同時に日本に導入されたもう一つの家庭用大型フロア型システムがMD-Ⅵである。DX-8同様に日本企画ではなく、中国のCAV本体が設計した製品である。価格はペアで¥1,575,000。某雑誌社のオーディオ試聴室でMD-Ⅵの試聴を行った。一台が90.5kg!もあるので、TADのアンプ設計がパイオニアでの最後の仕事だったという長身痩躯のS氏も手を貸し同社の担当メンバーが総がかりでヨイショとセッティングする。

 3ウェイ4スピーカーのバスレフ方式で、バス(20cmコーン×2 パラレル)独etonのヘキサコーン(ハニカム)ドライバー、ミッド(12cmコーン)にはスキャンスピークのやはりヘキサコーン・セラミック素材ドライバー、ハイ(2.5cmドーム)には高価な圧延ベリリウム製ドライバーを奢っている。これらのユニット群が上位機種同様に厚さ50mmの重量級ブロック形状バッフル板に深々とリジッドに固定される。

 一言で表現すれば、剛体設計の正しさと物量の投入が反映され、共振を排除し切った堂々としたスケール感豊かで雄大な音である。音のにじみ、滞留がない。グリップ感が高く、波動を淀みなく正確に脈々と生み出している。帯域の広さ、特に低域の伸びと分厚さは申し分がなく、朗々と流れ出る量感は改めて「劇場育ち」を思わせる。

 ピアノ音楽を再生すると試聴室前方にコンサートグランドが堂々と出現する。試聴室の天井高に余裕がなかったために、録音現場の「高さ」まで表現し切れないのが残念だが、水平方向の広がり感と密度、前後の奥行きの深さも十分で暫し時間を忘れて暫し聴き入った。音の厳しいリアリズム、高忠実性という点ではDX-8に一歩を譲る。MD-Ⅵはあくまでおおらかで外向的、DX-8は内省表現も加わったスピーカーシステムと性格付け出来よう。

 中国が国土の豊かさと人件費の有利を生かした「世界の工場」であった時代は終わった。未来への確信に満ちたパワーが渦巻く大国だから生み出すことの出来る、屈折せずに朗々と歌う力強い音楽再生がここにある。アメリカや日本のスピーカーもかつてはそうでなかったか。オーディオの初心を気付かせるCAVの大型フロア型スピーカーシステム二機種との出会いであった。

[SPEC]
DX-8
■ 使用ユニット:
25cmウーファー×2、16cmセラミックコーンミッドレンジ、3cmセラミック逆ドーム型トゥイーター×1
■再生周波数特性:28Hz〜40kHz
■クロスオーバー:190Hz/2.2kHz
■出力音圧レベル:89dB
■入力インピーダンス:4Ω
■外形寸法:455W×1,375H×715Dmm
■質量:119kg(1台)
■価格:¥2,940,000(税込)
■問い合わせ先:CAVジャパン(株)
http://www.cav-japan.co.jp/product/index.php?product=dx8

MD-Ⅵ
■ 使用ユニット:
20cmウーファー×2、12cmセラミックコーンミッドレンジ、2.5cmベリリウムトゥイーター×1
■再生周波数特性:30Hz〜40kHz
■クロスオーバー:240Hz/3.2kHz
■出力音圧レベル:88dB
■入力インピーダンス:4Ω
■外形寸法:392W×1,258H×536Dmm
■質量:90.5kg
■価格:¥1,575,000(税込)
■問い合わせ先:CAVジャパン(株)
http://www.cav-japan.co.jp/product/index.php?product=md6

このページのトップへ