2011年5月 

Kyoji Yamamoto and Atsuko Matano Supports Japan
「Finally, I found you...ついに私はあなたを見つけた」・・・山本恭司
あの震災直後、僕の心の中に溜まっていたものをどうにか吐き出したくて一気にレコーディングした曲、その曲を友人のクリエーター、俣野温子さんに送り、詩と映像をお願いしました。

そしてお互い納得のいくところまで何度もやり取りをしながら、こういう作品が完成しました。

「Finally, I found you...ついに私はあなたを見つけた」

音楽には人の心を前向きに動かすことの出来る力があると信じています。

そしてそれが言葉と絵という、より具体的なものとひとつに溶け合った時、その力は何倍にもなるのではないのでしょうか。

一人でも多くの被災地の方たちにこの作品を届けたいと願っています。

皆さんの温かいご協力もお願い致します。下記サイトでご覧、お聴きください・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=Jjz_gnNc_tA

「アイノラ交響楽団第8回定期演奏会」4月3日 東京・杉並公会堂・・・・・・・・・廣兼正明
 シベリウスはヘルシンキ郊外の自邸を愛妻アイノに因んでアイノラと名付け終の棲家としたが、このアイノラの名を冠したアイノラ交響楽団は東京の一アマチュア・オーケストラである。このオーケストラはシベリウスの曲の管弦楽曲のみを演奏するという一風変わった目的をもって2001年に創設された。モーツァルトならいざ知らず、このような作曲家の曲だけを演奏するオーケストラはプロでは絶対に不可能だ。外国でもシベリウスだけしか演奏しないオーケストラなんてアマチュアを入れてもないだろう。では何故このようなオーケストラが誕生したのだろうか。先ずオーケストラ・メンバーたちは第一に音楽はシベリウスしかない、と考えているシベリウス・オタクの集まりであり、なかには恐らくシベリウスのすべての曲についてすべてを諳んじている人もいるだろう。昔からアマチュアのクラシック音楽愛好家の中にはそのような知識を自慢げにひけらかす人たちも多かった。
 そして子供の頃から楽器を嗜んでいたシベリウス・ファンが10年の間にこのアイノラ交響楽団に吸い寄せられ、67名の正メンバーを含む80人がこの日の演奏を楽しんだ。そして「好きこそものの上手」と言われるとおり、アマチュアとしては上出来の演奏を聴かせてくれたのである。
 今回の演奏会成功の裏には指揮者新田ユリの献身的な努力があったようだ。新田は国立音大、桐朋を出てブザンソンのファイナリスト、東京国際音楽コンクール第2位となった後、東響を始め国内プロオケでの指揮経験も多く、シベリウスの生国フィンランドでの研修を経験したことも含め、まさにこの「アイノラ交響楽団」にとっては、願ってもない格好の指導者だったのだ。
 この日は日本初演という「序曲イ短調」、メーテルリンクの劇音楽から「ペレアスとメリザンド」、最後は最も有名な「交響曲第2番」というプログラム。指揮者新田はアマチュアでは珍しいほどのダイナミック・レンジの広い演奏を仕掛け、オーケストラはその分かり易い棒さばきに実力を出し切ったと言える。特に弦楽器での全弓を使った奏法、交響曲では第2楽章のコントラバスのピッツィカートでの完全なタイミングが印象に残った。全曲制覇まであと何年かかるかは知らないが、最後まで頑張って偉業を達成されることを祈っている。
 最後に余談ながら、筆者も学生時代オーケストラを大いに楽しんだ一人なのだが、当時オケの常任指揮者だった小船幸次郎氏は日本人でただ一人のシベリウスの弟子であり、たしかシベリウスが亡くなった1957年に追悼文を朝日新聞に寄稿しておられたことをふと思い出した。

このページのトップへ