2009年11月 

マイケル・ジャクソン THIS IS IT・・・吉岡 正晴
夢にあふれるシンガーがいる。夢にかけるミュージシャンがいる。そして、夢を追い続けるダンサーがいる。マイケル・ジャクソンの元に集まるアーティストたちは、みな、大きな夢を持ってオーディションにやってくる。オーストラリアから、オランダから、ヨーロッパから、全米から。冒頭、ダンサーのオーディション・シーンが出てくる。彼らは、マイケル・ジャクソンというアーティストとステージを共にしたいという強烈な夢を胸に秘め、世界から集まってきた。何百人の中から選ばれた10数名の精鋭たち。彼らの目の輝きの素晴らしきこと。

2009年4月から6月にかけて行われた、マイケル・ジャクソンの『ディス・イズ・イット』コンサートのリハーサル模様を編集した音楽映画『ディス・イズ・イット』(監督 ケニー・オルテガ)が2009年10月28日から公開された。ドキュメンタリーではあるが、僕は彼のステージを見ているかのような錯覚に何度も陥った。マイケルのライヴが、スクリーンで繰り広げられている。たまたま実際のステージ(3次元)ではなく、平面(2次元)のステージだが、マイケルのオーラとソウルは、観客に否が応でも飛び出してくる。

第一の感想は、何でこれだけ元気にステージ狭しと動いているこのスーパースターが、6月25日に亡くならなければならないのかという大きな疑問だ。なぜ、一体何が起こったのか。

もうほとんど完成しているではないか。もちろん、リハーサルだから「声をセーヴする」マイケルもいるが、プロダクションは8割方出来上がっていると言える。前半部分は何度もリハを重ね、その記録映像も多くのテイクが残っている。だが、最後の「ビリー・ジーン」や「マン・イン・ザ・ミラー」はほとんど1テイクのみが披露される。おそらくまだ何度も何度もやっていなかったのだろう。「ビリー・ジーン」に限って言えば、まだ6割ぐらいの完成度だが、それでもおもしろい。

曲によって完成度がそれほどでなかったとしても、マイケルはじつにかっこいい。マイケルの踊りの切れもいいし、ダンサーたちも素晴らしい。ミュージシャンも、シンガーも。

マイケルの天才性を垣間見せるシーンが「スムース・クリミナル」であった。マイケルが客席側に向いていて、その後ろのスクリーンにモノクロの映像が流れている。それが終わったところで、歌に入るのだが、そのキュー(きっかけ)が後ろのスクリーンを見ていないとわからないのではないか、とオルテガがマイケルに言う。するとマイケルは、しばし考えて「感じるよ(I'll feel that)」と言い切った。天才だ。

今回、ライヴに付随して使われる映像がすごい。一番感動したのは、「アース・ソング」の密林と少女の映像。また、「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」から「ヒストリー」で使われる11人のダンサーで撮影したものを無限大にコピーした映像。そして、曲ごとの大仕掛けがすごい。映像、仕掛け、ダンス、歌…。すべてがひとつになった瞬間、このライヴ・コンサートは、日常からかけ離れた大冒険になる。これは、マイケルがステージ上で作り上げる2時間のアミューズメント・パークだ。マイケルも全力で夢をファンに与えているのだ。

完成度の高いライヴ・ステージであれば、それは何度でも見たくなる。「いい物は何度見てもいい」ということだ。この映画を見る者は、この本番8掛けのリハから一体どんな完成形が生まれるのか、イマジネーションを広げる。リハでここまでできていたら、本番ではどうなったのだろうか。そら恐ろしい。

マイケルはこのライヴに、「ヒール・ザ・ワールド(世界を癒そう、直そう、治癒しよう)」というメッセージを込めた。地球の温暖化で、地球が傷ついている。早く治療しなければ、だめになってしまう。誰かがやってくれる、ではなく、今、自分たちで始めようというメッセージだ。彼は4年以内にやらなければならないという。なぜ、4年と区切ったのだろうか。

28日午後4時からの試写を見て、夜9時から六本木ヒルズの東宝シネマでもう一度見た。ヒルズは満員。何曲か、曲が終わるところで、観客から拍手。映画が終わったところでも拍手が巻き起こった。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT・・・サエキ けんぞう
大感激の一作である。マイケルのこの10年、必ずしも調子が良いとはいえなかったし、死にまつわる状況ももの悲しかったが、このリハーサル映像では歌もリハの歌い回しとはいえ、よく復調していたし、 踊りもリハーサルの流し踊りとはいえ、新しい振り付けも加えられ、 実に意欲的なのだ。本番を期して、仕上げているその姿が、いとおしく悲しい。 こういうことでもなかったら、マイケルのそんな姿を見ることもできなかった。

事件だったからこそ生まれた映像。それが、悲劇性とニュース性と、カリスマ性を高める。死を通した認識、皮相的だが、本物の感動なのだ。

ベスト選曲が、引退を期した覚悟を語る。セット、映像、編曲ともに超一流、人類史上、最高のショーだ。
最先端のミュージシャン、オーディションを踊る数え切れないダンサー達、この躍動は音楽、芸能界の宝だった。
むざむざと至宝を失った我々は、痛恨の涙を流さねばならないはず。

一言いわせてもらう。
マスコミ試写の6時間後のロード・ショーでは、各地で、マイケルを惜しむ真心の拍手がさんざめいたと聞いた。大会場でのマスコミ試写の拍手はチョボチョボ。そんな失礼で曇った感性で、芸術を報道できるとはとても思えない。もちろん私は一緒に見たMike Koshitani氏とともにスクリーン、マイケルに大きな拍手を送った・・・。

写真:映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』10月28日(水)より丸の内ピカデリーほか全世界同時公開!(配給:ソニー・ピクチャーズ)

デレク・トラックス インタビュー・・・細川 真平
 9月に、ドゥービー・ブラザーズとのツアーで来日したデレク・トラックス・バンド。そのギタリストであり、リーダーであり、顔でもあるデレク・トラックスにインタビューした。
 彼は、まだ30歳ながら、世界を代表するスライド・プレイヤーであり、オールマン・ブラザーズ・バンドの正式メンバーでもある。3年前にはエリック・クラプトンのツアー・メンバーに抜擢され、クラプトンを完全に食ってしまう演奏で、日本中に旋風を巻き起こしたことも、記憶に新しい。
 ステージではその無表情ぶりで知られているが、素顔は人なつっこい笑顔が似合う、まさにナイス・ガイ。クラプトンとのツアー、デュアン・オールマン、音楽、ギターなどについて、真摯に語ってくれた。


――もう訊かれ飽きていると思うんですが(笑)、まずエリック・クラプトンとのツアーについてをお訊きします。
デレク・トラックス(以下DT):どんどん訊いてください(笑)。

――エリックがバンドの圧倒的なリーダーなのは間違いないと思いますが、ステージ上での音楽的な部分では、あなたが全体を支配している瞬間が何度もありました。自分がバンドの要になっているという自覚はありましたか?
DT:エリックの素晴らしい点は、僕やドイル(・ブラムホール・セカンドII)にソロの機会をたくさんを与えてくれたことだね。僕がプレイする時間と機会をたっぷりくれた。バンドに加わった当初、僕はそんなことは期待していなかったけどね。だから嬉しかったよ。誰のバンドかは分かっていたけどさ(笑)。

――あなたのバンドみたいでしたよ。
DT:ははは(笑)。そうだね。

――たとえば「リトル・ウィング」や「テル・ザ・トゥルース」など、デレク&ザ・ドミノスの曲を、あなたがデュアン・オールマンに代わって、エリックとともに演奏したわけですが、どんな思いがしましたか?
DT:オールマン・ブラザーズ・バンドに参加したときと同じで、自分が聴きながら育ち、幼いころからインスパイアされてきた音楽をプレイしたわけだけど、それをエリックと一緒にやれたというのは素晴らしい経験だったし、夢みたいだったよ。とても光栄なことだった。自分がそもそも音楽を始めたころの動機に立ち返ったような気がしたね。刺激的だった。確かツアーで初めて「リトル・ウィング」をプレイしたのが、ここ東京だったけど、すごい瞬間だったな。

――私もそのとき客席にいましたよ(笑)。
DT:あれは素晴らしかったよ。

――あなたのお名前は、デレク&ザ・ドミノスの≪デレク≫から来ているんですよね?
DT:そうだよ。少なくとも、スペルはね(笑)。

――これまでギターを弾いてきた中で、自分が一瞬でもデュアンを超えたと思う瞬間はありましたか?
DT:ないね。デュアンが亡くなったのは、たしか24歳のときだよね。そんなに短い人生で、あれほどの域に達したというのは驚きだよ。でも大事なのは、あらゆる影響とか、すべての経験を基に、何か現代的なものを作り出そうとすることだと僕は思う。オールマン・ブラザーズやクラプトンとプレイするうちに、彼らの遺してくれたものを体得することができてきた。そういうバンドに加われて光栄だよ。でも、音楽はスポーツとは違って、どっちがいいかって競う合うものじゃない。違いがあるってだけなんだ。だから、やらなければならないのは、自分独自のものを見つけていくことなんだ。

――それと関連するのかもしれませんが、デレクさんの音楽性には、ブルースやジャズ以外に、インド音楽を中心としたワールド・ミュージック、非西洋音楽からの影響がありますよね。(インドの弦楽器)サロードも演奏されるし。そういう非西洋音楽のどういうところが、あなたを一番インスパイアするのでしょうか。
DT:世界のどこのものでも、僕は伝統音楽や民族音楽がとても好きなんだ。込められた情感や人間性、そして大変なときも嬉しいときも歌っていたことが感じられるようなものが。いい音楽には、共通する特徴があると思うんだ。ある時代にある特定の場所で生まれたブルースみたいな音楽が、短期間で世界中に広まり、世界各地でブルース・フェスティヴァルが開かれるほどになったのには理由があると思うんだよね。いつだって、人々は自分の感情に触れ、それを表現しようとするものじゃないのかな。生まれた場所に関わらず、僕はそういう音楽のファンなんだ。それはインドの古典音楽かもしれないし、アフリカの音楽かもしれないし、他の伝統音楽かもしれない。でも、どのミュージシャンでもソース(根源的なもの、源)につながりたいと願っているし、それこそ僕たちがしようとしていることでもあるんだ。少しでも多くのエッセンスに触れられれば、自分が探しているものを見つける手助けになってくれる気がする。

――特にライヴ・ステージでのあなたの演奏を聴いていると、私はジェフ・ベックを連想することがあります。ジェフはアーミングやハーモニクスなどを使って、ギターだけで新たな世界を作り出していますよね。あなたも同じように、ものすごいスライド・プレイにワールド・ミュージックの要素を絡み合わせたりして、やはり新しい世界を作り上げています。つまり、まったく違うタイプのギタリストなのに、ギタリストとして目指している理想は同じなのではないかという気が、とてもしてしまうんです。
DT:ジェフ・ベックは大好きだよ。彼は、特にロック界では、すごくオリジナル性のある、革新的ギタリストだよね。最近彼を観たんだけど、ハーモニクスとかアームを使った曲が、信じられないほど素晴らしかったよ。彼もピックを使わないよね?

――ええ、あなたと同じですね。
DT:それもユニークだよね。彼のことはとてもリスペクトしている。彼をすごく聴いているわけじゃないけれど、間違いなくファンだよ。彼は絶えず新境地を拓こうとしているし、常に向上しようとしていると思うんだ。その点では、絶対に僕と似ているよ。彼のプレイを聴けば、彼が現状に満足していないのが分かる。20年ほど前に活動を休んだこともあったけど、その後もずっといいギタリストだし、活動を続けながら、ミュージシャンとして成長している。それって絶対に目標とすべきことだよね。僕も彼がしているように続けられたらいいなと思うよ(笑)。

――:世界を切り拓いていくのは、ジェフの次はデレクさんだと思いますよ。
DT:どうだろうね?(笑)

――あなたにとって、ギターとはどういう存在ですか?
DT:音色が大好きだし・・・僕はギターが大好きだ。でも、僕にとってギターを聴くことは、自己表現しているすごくいいホーン・プレイヤーやシンガーを聴くのと同じことなんだ。ある時点で、楽器から視線を外して、音楽の中心や核心に触れることも大事だと思う。だから、そうだな……ギターというのは、何であろうと自分が表現しなければならないこと、表現しようとすることをするための手段というところかな。

*通訳:豊田 早苗


「オールレディ・ライヴ!/デレク・トラックス」B002EBDMF8

ケンウッド・トワイライトイベント MPCJスペシャル VOL.5
創立70周年記念 ブルーノート・ナイト・・・上田 和秀
    
 ケンウッド・トワイライトイベント/MPCJスペシャル第5回は≪創立70周年記念 ブルーノート・ナイト≫である。毎回満員御礼となるMPCJスペシャルだが、今回もご多分に漏れず、多くの音楽ファンで会場はあふれんばかりの大盛況となった。MCは、例の如くストーンズの「スタート・ミー・アップ」でど派手に登場するマイク越谷氏。DVDによる≪ブルーノートの歩み≫を会場のお客さんに鑑賞していただき、今夜のスペシャル・ゲストに登場願う。今回は、現EMIミュージック・ジャパン・プロデューサーであり、長年に渡ってBNレーベルを手掛けてこられた行方均氏とジャズといえばこの方、我らがMPCJのそして我が国ジャズ界の重鎮、岩浪洋三氏である。

 何が飛び出すか想像もつかないおふたりのスペシャル・トークは、シドニー・ベシェの「サマータイム」を聴きながら、ブルーノートの誕生をテーマに始まった。ブルーノートと言うだけあって重い話が続くのかと思いきや、そこは岩浪氏の真骨頂である危ない話へと脱線していく。それに行方氏の内容の濃い話が加わり、ファンの興味は最高潮となり、一音も聴き逃すまいと真剣な姿勢で耳を傾ける。しかし、それにしても危ない話は笑えるし、興味は尽きない。時代背景とは言え、今問題になっている内容からスラム街の話、当時のミュージシャンの裏話と話題が多すぎて、MCが時間配分に困ってしまうほどだ。

 バド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」をバックにモダン・ジャズの始まりやアート・ブレーキーの「スプリット・キック」を聴きながらビバップからハード・バップへの移行と話は核心へそして更なる深みへ続く。マイルス・デイビスの「枯葉」を聴きながらブルーノートのベスト・セラーの話は、行方均氏の得意とするところだ。感慨深げに、当時は本当に良い時代であったと語っていた。ハービー・ハンコックの「処女航海」やルー・ドナルドソンの「アリゲーター・ブーガルー」をバックに、近代となる1960年代・新主流派の幕開けに関しては、ジャズやブルースの多様化に伴うジャズ・ロックの話へと広がりを見せる。ブルーノート最新録音チャイナ・モーゼスの「恋人よ我に帰れ」を聴いた感想は、録音技術の進歩とミュージシャンの時代の流れによる変貌を感じ取ることが出来た。今回、入場されたお客様全員にCD「ブルーノート・サンプラー」が配られたが、それに加えてのプレゼント(ブルーノート・Tシャツ、ブルーノート・キャップ、書籍/21世紀版ブルーノート・ブック)の抽選会も大いに盛り上がった。

 後半は、岩浪氏の秘蔵っ子4名の若手ミュージシャンによるブルーノート・ライヴだ。国内のみならずアメリカでもその実力を認められているギタリスト加藤泉と若き女性ベーシストNo.1の呼び声高い若林美佐によるハング・モグレーの「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」から幕開け。岩浪氏曰く「日本で最も美しい音を持つトランペッター」日高憲男が加わり、リー・モーガンの「アイ・リメンバー・クリフォード」で一段と会場は盛り上がる。若林美佐が残った所へ、今回のグループのリーダーであり、若手女性サックス奏者の第一人者で、岩浪氏に「美しい音を持ったパワフルなプレイはハートを射抜く」と言わせた吉野ミユキのデュオでポール・チェンバースの「ユード・ビー・ソー・トゥ・カム・ホーム」をエレガントに演奏してくれた。ラストは、4人全員によるソニー・クラークの「クール・ストラッティン」をファンキーにジャム・セッション、会場全体をブルース一色に染め上げた。4人揃っての演奏は今回が初めてとのことだが、さすがに第一線で活躍するプロは凄い。単なるジャム・セッションというだけでなく、メインテーマ〜アドリブ〜エンディングの自然な流れは、パーマネントなメンバーと言っても過言でない程、まとまりと貫禄さえ感じる演奏であった。集まった誰もが、このメンバーによるライヴやレコーディングを想像したのではないだろうか。今宵の丸の内は、懐かしくも熱きブルーノート・ナイトとなった。  
*写真:轟 美津子



=MPCJ会員からの声=(アイウエオ順)
*裏話を交えたトークは、会場に集った約60名の観客に、多くの発見をもたらしたようだった。岩浪、行方両氏の息の合った掛け合いは、即興的要素もあったと思われるが、≪ブルーノート愛≫がそれを可能にしたのだろう。若手ミュージシャンによる生演奏も楽しめた、意義深い内容であった。(杉田 宏樹)

*ブルーノート・レーベル70周年を記念してのイベントは、シンプルですっきりしていてストレートに楽しめた。映像+音楽(CD)+トーク+ライヴと内容ある構成で、何より行方均さんと岩浪洋三さんの息の合った中身の濃い裏話も含めてのお話が面白く、すぐ時がたってしまった。最後は吉野ミユキさん(as)、日高憲男さん(t)、若林美佐さん(bs)、加藤泉さん(gtr)の生演奏。これも楽しかった。(鈴木 道子)

*ジャズの巨人達の素顔が伝わるような人間臭いエピソードの数々を楽しく聞かせていただいた。まだまだ裏話がありそうなので、ぜひまた続編をお願いしたい。後半のライヴでは、は特に日高憲男のトランペットの音色が素晴らしかった。会場が小さいことで、逆にベース等の楽器を間近で見られたし、密な一体感を醸し出していたと思う。(滝上 よう子)

*ブルーノートを語らせたらこの人しかいない行方均氏。縦横無尽にジャズの世界で遊ぶ岩浪洋三氏。このおふたりの対談は、楽しく、ためになり、そしてスリリングだった。時にクール・ジャズのように端整にジャズ史を語り、時にビバップのようにファンキーで、時にハード・バップのように熱くなり、時にフリー・ジャズのように魂の自由さを感じさせてくれる。まさに対談自体が≪ジャズ≫だったと言っていいだろう。そのあとの、4人の日本人ミュージシャンによる、ブルーノート・ナンバーの生演奏がまた素晴らしかった。特に日高憲男のトランペット。プレイもさることながら、その音色のなんと素晴らしかったことか。魂の震えを音にできる人だと思った。(細川 真平)

*ブルーノートに70年の歴史あり。DJとしてアート・ブレーキーからファンキーを学び、近年はUS3のヒット曲にお世話になった私。ブルーノート・ファンにとっては見慣れた映像「ブルーノート・レコードの歩み」も、私にとっては感慨深いものがありました。岩浪さんと行方さんの熱いブルーノート・ジャズ談義にも思わず耳が傾く。そんな緊張感の中で「ブルーノートで一番売れたのは?」という岩浪さんの質問に対し、「ノラ・ジョーンズでしょう!」とあっさり答えた行方さんに場内が爆笑。ブルーノートをリスペクトする日高憲男、吉野ミユキ、加藤泉、若林美佐の4人のホットな演奏は、とてもリラックスして楽しめました。これで無料?! かなり得した気分の一夜でございました。(松本 みつぐ)


加藤和彦さんの死を悼む・・・サエキけんぞう
偉大なる日本のオリジネイターの死に、ショックを隠せません。

その大いなる功績は・・・。「帰ってきたヨッパライ」の初のインディーズ発大ヒット。そのシングル売り上げ枚数は史上最高クラス。

サディスティック・ミカ・バンドにより、日本のロック・バンドが初の海外第一線プロデューサーとの作業。ミカ・バンドの欧米発売と、それに伴うパブリシティは日本初にして、おそらく日本アーティストで、日本史上最大クラス。

ソロ・アルバムでの様々な、実験的サウンドのトライと、海外録音の先駆的実践。2回復活したミカ・バンドでの記録的な売り上げ。

その他、フォークとロックの境界線上から、日本のポップスを革命してきた貢献は、計り知れないものがあります!

今はただ、呆然と、それらを心に去来させるのみです。どうか安らかにお眠り下さい。

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