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ロジャース&ハマースタインの「回転木馬」を初めて観た夜
本田悦久 (川上博)
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1945年ブロードウェイ初演の名作ミュージカル「回転木馬」が、今春14年ぶりに東京で上演され、笹本玲奈と浦井健治のフレッシュ・コンビを中心に、楽しい舞台を見せてくれた。
シャーリー・ジョーンズとゴードン・マックレーの映画でしか知らなかった「回転木馬」の舞台を、劇場で初めて観たのは1993年のロンドンだったが、実は、その前にアメリカのディナー・ショーで出会っていた。それは1977年10月27日のこと。この日の夕刻ワシントンDCのホテルに入ったF氏と私は、メリーランド州バートンズヴィルのバーン・ブレー・ディナー・シアターで上演中の ”CAROUSEL” の新聞広告に気づいた。遠いが行かれない距離ではない。ミュージカル好きの二人は素早く飛び出し、タクシーで小一時間、森の中の一軒家のようなレストラン・シアターに着いた。
ディナーが終わると、ウェイター、ウェイトレスたちは、アクター、アクトレスに変身、舞台に上がってショータイム。このテーブルの係だった人が主役だ、ワイン係はあの役だと、出演者は無名の若者たちだが、皆達者で楽しく、場内は盛り上がる。
食事もショーも充分エンジョイして家路につく頃、外はもの凄い豪雨。地元の人たちは自家用車で、我々だけが事務所でタクシーを頼む。ところが、待てど暮らせど車は来ない。事務所の人は少なくなり、最後の一人も「もうじき来るからね」と劇場の灯りを消して去り、周りは暗闇になった。翌朝はペンタゴン (米国防総省)との約束がある。第二次大戦の米軍側の音の提供を受けて、F氏がドキュメンタリー・レコードを制作するので、挨拶と打ち合わせに行くことになっていた。だんだん心細くなり途方に暮れている時、天の助け、先方に光りが見えて、近づいてきた。助かった! F氏とは、一時期、当クラブの会員で、今は映画ペン・クラブに専念されている福田千秋氏。
ところで余談だが、先頃、埼玉県内の中学校の先生から、ご丁寧なお手紙を、野沢那智さんのパフォーミング・アート・センター経由で頂戴した。かつてNHK -FMで14年間続いた「ミュージカルへの招待」のリスナーの方で、特に17才の頃胸に刻まれた「回転木馬」中の1曲「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」(You’ll Never Walk Alone) の曲が忘れられず、例年、卒業式の時期になると・・・等々、達筆な字で綴られており、さすがロジャース・メロディーは不滅だと私も感動を新たにした。
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松田晃演「スペインのギター音楽」 3月13日 東京オペラシティリサイタルホール
大橋 伸太郎
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クラシックギターの分野で巨匠の域にある、松田晃演が3月13日に東京オペラシティリサイタルホールで「スペインのギター音楽」と題したコンサートを催した。昨年の予定を指の負傷でキャンセル、久方ぶりの東京での演奏である。ギターを弾く知人にコンサートに行った話をしたら、「何、松田晃演!? 一度聴いてみたかった。」と悔しがったほどのカリスマ演奏家である。
松田晃演のギター演奏を最初に生で聴いた時、「これまで聴いた他のどの演奏家とも音色が違う。」と感じた。それから何度も演奏を聴いたが、会場が変わっても音色は不変である。この夜も同じ思いだった。松田晃演はアンドレス・セゴビアの唯一の日本人の正弟子として知られている。私はアンドレス・セゴビアの生前の演奏を聴いた経験がないので、セゴビアの音色と比較できないのだが、度重なるコンサート体験の末に、松田晃演がトーレスと一体になって紡ぎだす自然体の音の境地こそ、ギター本来の音色と信じるようになった。
この夕、演奏会場に入場した時、コンサートはすでに始まっていて、スカルラッティの「二つのソナタ」の演奏が終わったところだった。リサイタルホールは松田晃演のギターに魅せられた人たち、世評に高い音色を一度は聴きたくて詰めかけた音楽ファンで埋まっていて、私は客席のほとんど最後列に着席した。
J.S.バッハの「シシリアーナ、ロンド風ガヴォット」の演奏が始まると、演奏家と楽器が一体になって底光りするような音を紡ぎ出し、ふくよかな音色と深く典雅な響きが空気と溶け合い、演奏会場の隅々までみるみる満たしていった。いうまでもなく、ギターという楽器の音量は決して大きなものでない。しかも、科学的な検討を加えて音響的な改良を重ねられた現代のギターならともかく、演奏者が手にしているのは、1894年製のトーレスである。さらに、松田晃演がコンサートで選ぶ曲目は、ダイナミックな演奏効果を狙ったものでなく、古典時代から近代までの正道に立ち、現代の演奏家が手掛けない秘曲を交え、ギター音楽の真髄を聞かせる厳選され妥協のないものである。それでありながら、演奏会場の空間の隅々まで、豊かな音楽の波動が力強く届き聴き手を酔わせるのはなぜだろう、と考えた。この音楽の浸透力はどこから生み出されるのか、と。
松田晃演が自著『ギターは小さな星のオーケストラ』で語るように、物体は空間的に有限だが、音は(たとえどれほど小さくても)その場の全空間を占有することができる。トーレスという製作後114年を経て己の生命を持った楽器と一体になり、松田晃演の演奏は、自然の音響の天衣無縫さ、変幻自在に限りなく近付く。そうなさしめるものは、松田晃演の自然と音楽への深い畏敬の念である。松田晃演の演奏は、豊かな音の波動を、一瞬たりともその姿が同じでない海のようにたゆみなく送り出し、演奏会場の隅々まで沁み入るように行き渡らせる。静穏で脈々とした生命感、生動感こそ、松田晃演の演奏を他とを分つものであり、浸透力の源なのだ。芸術(音楽)が自然の音響の純粋の域にまで昇華された稀な境地を私はそこに見る。松田晃演の音楽はきらびやかなものではない。しかし、邪念のなさ、音楽への純粋で深い献身がその演奏に土や木のような香気を与えているのだ。
この夜、スペインのギター音楽を中心に全23曲を二度の休憩を挟んで演奏、アンコールにポンセの「24のプレリュード」の第6番、ソルのメヌエットを演奏してコンサートを終えた。約2時間半。東京の聴衆はみな満足されたことだろう。春の夜も更けて、松田晃演は演奏の温かな余韻の漂う会場ロビーで、来場者の一人一人に親しく声を掛けられた。その温かく穏やかな笑顔にふれて、来場者が一様に抱いたのは、いい音楽を聴いたという満足感だけでなかったろう。私もまた、献身的で力強い不屈の音楽家が私たちの近くにいる幸福を実感した一人だった。
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「読売日本交響楽団 第481回定期演奏会を聴いて〜日本のオーケストラと邦人作品」
4月7日 サントリーホール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤村 貴彦
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読売日本交響楽団(以後読響と記す)が設立されたのは1962年であり、私がこの楽団を初めて聴いたのは高校生の時であった。あと三年で創立50周年を迎えるが、月日の流れは随分と速いものである。時の過ぎるのを落ち着いては見守っていられない激しい移りの50年であった。その中をくぐり抜けて、最近の読響はますます新鮮に聴こえてくる。このことを感じるのは私ばかりではないはずである。
確か読響は、設立まもない頃、ウィリス・ページ、オットー・マッツェラート、ウィリー・シュタイナー等の指揮者が、この楽団を訓練し、その模様はテレビで放映されていた。
私はこの番組を見る事が何よりも好きであった。NHK交響楽団と読響のクラシック番組によって、オーケストラの数々の名曲を知ったのであり、私が音楽家を志す契機にもなった。大学生になり、アルバイトをして、一番安い座席を買い、コンサートに通い、読響の実演に接した頃の自分を思い出す。当時の読響のコンサートは、聴衆が少なく、コンサートホールの半分も満たさない時もあって、何故、ファンを拡大しないのか疑問に思ったこともあった。しかし、最近の読響はファンを広げ、若い人もコンサートを聴きに来るようになった。休憩後、熱心に演奏や曲の事を話し合っている人たちの光景が見られ、それは実にほほえましい。毎月読響を聴きに行くので、ファンの方に意見を求められ、楽しい一時を過ごすのも最近の事である。読響の演奏会では、年配の方から若い人まで様々な方が聴きに来て、それが一つの熱気というものを作るようになった。新しい聴衆の育成とは、音楽ファンの拡大であって、その成果が現れたのが第481回の定期であった。
第481回の定期では、芥川也寸志(没後20年)「エローラ交響曲」、藤倉大「アトム」(読売日響委嘱作品・世界初演)、黛敏郎(生誕80年)「涅槃交響曲」の邦人作品だけが取り上げられた。これは日本のオーケストラの定期ではめったにないことである。芥川作品と黛作品については改めて紹介する必要はないと思われるが、少しだけ触れておきたい。
芥川作品は、1958年の作であり、インドのエローラ石窟寺院での経験から構想された交響曲。インド音楽、中近東にみられる速い音型のリズムと前半の重々しい響きの対比から曲が構成されている。劇的な音色の積み重ねや、複雑な音色の動き等がこの作品の特徴であり、芥川のオーケストレーションの巧みさがよく表出されている。日本のオーケストラの作品の中でも傑作の一つであることはまちがいない。
黛敏郎の「涅槃交響曲」が完成されたのは1958年である。6楽章からなるこのシンフォニーは、カンパノロジー(鐘学)のひきおこす力学と声明や経文をうたう男声コーラスの壮大な呪文によって、圧倒的な迫力で聴き手をひきつける。「涅槃交響曲」が日本の作曲家に与えた影響は大きかった。そればかりではない。韓国の世界的作曲家、カン・ツォッキー氏も「涅槃交響曲」を聴いて、作曲家になることを決意し、ベルリンに留学。世界的なコンクールに入賞し、今日の自分があるとのことである。「涅槃交響曲」の中には、わび、さびといった日本の理想美はなく、あるのは、音響の色彩と音のかたまりである。日本人が作曲した交響曲として、まさに世界に誇ってもよい優れた作品である。「年末に第九と一緒に演奏すべき」と評論家の富樫康は語ったが、私も全く同感である。
読響は、2001年以来、新作を委嘱する「読響日響 委嘱シリーズ」を続け、細川俊夫の作品をはじめ多くの作品が作曲賞を受賞するなど、作曲界の発展にも寄与している。読響がよいのは、若い世代の作曲家による委嘱が多く、一部の作曲家によるたらいまわしを避けている事である。毎年、どのような作曲家に委嘱をするのかが楽しみであるが、残念ながら、再演を望みたい曲は少ない事も事実であり、委嘱する難しさも垣間見られるのである。
今回の作曲家は藤倉大である。この作曲家の作品を聴くのは初めてであり、プロフィールを読むと、1979年大阪に生まれ、15歳で単身英国に渡り、ジョージ・ベンジャミンに師事。数々の世界的なコンクールに入賞し、2009年度尾高賞を受賞している。
委嘱作品「アトム」は、作曲者によれば、一つの音の粒から始まり、その粒がだんだんと大きくなったり、小さくなったりするという考えで構成されているとの事。バイオリンのスタカートを伴った波のような音型が提示され、その音型が低音弦に移動し、積み上げられてゆく。弦楽器群の音型の中に金管の持続音が絡み、テンポを変化させて音量を増すと、打楽器のカデンツァを迎える。冒頭を変形して再現し、この作品は閉じるのだが、音響のつくりなど、かつてイギリスの作曲家が試みたような方法が用いられ、奏法自体も従来の伝統的なものを多く感じさせる。私にとっては興味ある作品とはいいがたい。芥川や黛作品に、より新鮮な感じを受け、現在を改めて認識したのである。楽器の多様な組み合わせや、何故、オーケストラ作品を書くのかを更に深く研究してもらいたい。世界に発信する作曲家に成長する事を願うからである。
芸術家の創作が、その本質において、作曲家の固有の営為である事は自明な事である。昨今の「受容史」が強調するように、その個人的営為を現実に支え励ます助力者とその成果に理解を示し、共感し感動する享受者がいて、更には、その影響としてより積極的に受けとめてゆく後援者が育たなければ、時を越えてゆく芸術にはならない。
読響第481回定期は、その事を実感したコンサートであった。指揮者、楽団員、そして聴衆にもある種の熱気があったからである。邦人作品のみのプログラムでは聴衆は少ないのだが、今回のコンサートでは聴衆も数多く聴きに来て、さめた雰囲気は感じられなかった。珍しい現象であり、あえて私は拙な文章を記し、音楽関係者や、ファンの方にも知ってもらいたいと思った。
日本のオーケストラは、邦人作品を演奏する事は確かに少ない。邦人作品のみのプログラムでは、聴衆の動員、練習時間、パート譜の作成等、困難な問題が生じ、オーケストラにたずさわる人にとって、常に頭を悩ます事の一つである。読響はあえて、この困難な問題を解決し、挑戦したのである。
一つの国の音楽文化の真の発展は、なによりもその国の作曲家の隆昌でなくてはならない。その意味からも、今回の読響の定期の意義は大きい。
指揮をしたのは、下野竜也。作曲者の音楽的真情を聴衆の前に明らかにしてみせる、と言った姿勢が感じられ、どの作品も集中度の高い演奏であった。「ヒンデミット・プログラム」等、下野は、誰もがあまり指揮をしない作品をてがけ、個性的なプログラミングを行う。私が最も期待している指揮者の一人であり、機会があったら下野の指揮者論を記したいと思う。読響は更に下野を育成してもらいたい。若い世代の指揮者を育成する事もオーケストラの使命だからである。
微感な幸福が背中に走り、日本のオーケストラの問題について考えさせられた読響の第481回定期演奏会であった。
(Photo:T.Urano)
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