2018年2月 

  

Classic CD Review【歌曲】

マーラー:「子供の死の歌(国内盤の訳は「亡き児をしのぶ歌」)」、セルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、Ms:ブリギッテ・ファスベンダー(WARNER CLASSICS/WPCS-28125)

 ミュンヘンフィルのオリジナルレーベル“Müchner Philharmoniker Archive”から、チェリビダッケが指揮したマーラーの「子供の死の歌Kindertotenlieder」の録音が出た(国内盤はワーナー・クラシックス)。正規盤としては完全初出である。よく知られているようにチェリビダッケは、マーラーの作品を82年の「子供の死の歌」、92年の「大地の歌」しか指揮していない。この録音はその前者のライヴである。
 演奏は驚くべき水準で作品の魅力の再考を迫られるほどだ。オーケストラの編成を刈りこんだ室内楽的な書法、精密な対位法、墨絵のような淡い色彩のなかに挿入されるトリスタン和声の微細な響きの変化、こうした要素はシェーンベルクの「室内交響曲」を先取りしているようにすら聴こえる。
 また、初期の歌曲で多用された民謡的な4ないし8小節構成のフレーズよりも、息の長い長大な旋律に極度に繊細なダイナミクスが加えられる後期の作風が目立ってきていることが顕著に聴き取れる。「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の第4曲「真夜中に」や「大地の歌」の終楽章「告別」に接近してきているのだ。それによって、子を亡くした親の心情が、瞬間ごとにリアリティを伴って迫ってくる。嘆き、諦め、希望が垣間見えたその瞬間に再び翳りを帯びたり、といった具合だ。
 第2曲「いま私には分かる」では、星が輝くようにハ長調に昇華した直後にふと寂しさがこみ上げるようにハ短調の和音に変化する。倚音の効果的な使用によってハ長調へとトリスタン和声を用い上昇した直後にもっとも単純な同主短調へ移行する。その直接的な真情の変化がダイレクトに刺さってくる。第4曲「よく私は考える」は、マーラーの死生観の直截な表現だ。亡くなった子供は出かけただけで、死後に丘の上でまた会える、という来世信仰が歌われる。マーラーは死後の世界を確信していたのではなく、必死に信じようとしていたのだ。激しい苦痛を忘れようとするかのような「あの丘の上で!(auf jenen Hön!)」の痛切さと、最弱音に力尽きる終結は痛ましさを極める。ここはファスベンダーも素晴らしい。この終結の音型は交響曲第9番の終結に再び用いられている。こうした演奏を聴くとチェリビダッケがマーラーの交響曲を演奏しなかったことが残念でならない。終曲の結尾部では、まったく新しい要素が、マーラーが脱却したかに見えた4小節単位の民謡的な旋律となって登場する。構成が急激に変化したことが明瞭に聴きとれる。「死」と「喪失」を受容し、子守唄に包まれ安息の眠りにつこうとしているのだ。別世界から響いてくるようなチェレスタ、徐々に溶け込んでゆくホルンも聴きものだ。
 これまでに聴いた同作品の演奏(録音を含む)では、2012年のインバル=都響とフェルミリオン(サントリーホール)が鮮烈な記憶となっている。ミュンヘンフィルとは比較にならないほど精密な都響を得て実現された完全な音響体が忘れがたい。しかし、こうしてチェリビダッケを聴くと、インバルの指揮がマーラーの心にぎりぎりのところで届いていなかったのではないかと思い返される。録音はいくつか発売されていた非正規盤と比較するとずっと明晰だが、声楽パートが突出しているのが惜しい。オーケストラ付きの歌曲の録音ではこうなりがちなのではあるが、この作品は声楽と器楽のパートが、一つの流れの中で自在に交代する書法が採られている。もっと全体を俯瞰し声楽も一体となった録音に仕上がっていてほしい。チェリビダッケなら、だから録音は嫌なんだと苦言を呈すのではないか。(多田圭介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

ウィーン・サロン・オーケストラ ニューイヤーコンサート2018(1月7日 東京オペラシティコンサートホール)

J.シュトラウス:皇帝円舞曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番「ジュナミ」(ピアノ独奏:久元祐子)
F.レハール:オペレッタ<メリー・ウィドウ>よりアリア 他
指揮・コンサートマスター:ウド・ツヴェルファー、バレエ:ロミナ・コウォジー、ウラジミール・スニチェク、ソプラノ:グスターヴァ・チョン、バリトン:セバスティアン・スーレ


 ウィーン生まれのツヴェルファーがウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のメンバーらを率いたオーケストラ。冒頭、<皇帝円舞曲>が始まると、すぐにウィーンの香りが会場中に広まった。古楽器による演奏かと思わせるような繊細な響きだが、まったく気取らない余裕があった。これぞ伝統、というものだった。生の演奏会では、演奏者の人柄、大げさに言うと、生きざまが聞こえてくる。巨大帝国だった19世紀のオーストリアに生きた人々の息づかいが感じられた気がする。筆者が知る限りウィーン人はあまり強く自分を出さない。物腰が柔らかである。ドイツ人とは違う。ここでも同じワルツを演奏しても、他国のオケではともて出ない味だった。弦楽器はヴァイオリンからコントラバスまで13人、木管が各1、ホルンは2だが、トランペット、トロンボーンは1、それにティンパニ(小太鼓)1という小編成。このオケで弦と管が見事に溶け合っていた。もちろん、小太鼓が時折アクセントをつけていて小気味もよかった。同じ規模のバロック音楽を演奏するオーケストラとはまったく違っていて、非常にこころよかった。
 久元のピアノもこのオケに溶け合っていた。最新モデルというベーゼンドルファーを弾いたが、音が珠を転がしたように奇麗だったこと。ウィーンの舞踏会を彷彿とさせたのはJ.シュトラウスⅡのポルカ「雷鳴と稲妻」だった。オケとバレエが、これまた完全に一体になっていた。コウォジーの長い脚に魅了された。アンコールで「浜辺の歌」が演奏された。チェロ独奏が入ったオケの演奏だったが、個性が前面に出る他国の演奏でもなく、かといって日本人の演奏でもない、ウィーンらしい好感の持てる演奏だった。優しい気持ちにさせてくれた演奏会だった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】

ヘルバシオ・タラゴナ・ヴァリ


荒井里桜


アレッサンドロ・
ベヴェラリ



ノ・ヒソン

第15回東京音楽コンクール 優勝者コンサート(1月8日、東京文化会館大ホール)
 このコンクールは東京文化会館、読売新聞、花王(株)、東京都の4者が主催。新人演奏家の発掘、育成・支援を目的としている。今回の優勝者と、演奏曲目は下記のとおり。
ヘルバシオ・タラゴナ・ヴァリ(クラリネット)*木管部門第1位及び聴衆賞
荒井里桜(あらいりお)(ヴァイオリン)*弦楽部門第1位及び聴衆賞
アレッサンドロ・ベヴェラリ(クラリネット)*木管部門第1位
ノ・ヒソン(ピアノ)*ピアノ部門第1位及び聴衆賞
曲目:
ウェーバー:クラリネット協奏曲第2番 (ヴァリ)
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 (荒井)
コープランド:クラリネット協奏曲(アレッサンドロ)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ノ・ヒソン) 
指揮は、円光寺雅彦。管弦楽は新日本フィルハーモニー交響楽団。
司会は朝岡聡。
 クラリネット第1位を二人で分け合ったことは珍しい。
 ウルグアイ出身のヴァリは、完璧なテクニック。力強い音から繊細な弱音まで、表現の幅が大きい。ウェーバーの第3楽章の音の跳躍、超絶技巧は聴きものだった。
 ヴァリの切れ味鋭い音に対し、イタリア出身のアレッサンドロのクラリネットは、やわらかく、聴く者を包み込むような温かな響きがある。 
 アレッサンドロは、ベニー・グッドマンに献呈されたコープランドの協奏曲が大好きと言うだけあり、ジャズの要素が使われた第2楽章は堂に入っていた。 
 荒井里桜は東京芸術大学音楽学部1年生。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でのテクニックは安定しており、音程も正確。線がやや細く、表現はまだそれほど多様ではない。ただ、第1楽章カデンツァは堂々とした強さがあり、まだこの先伸びていくのでは、と思った。
 最後に登場したピアノのノ・ヒソンは韓国出身。ソウル大学校1年生。テクニックがあり、音の立ち上がりが明快。チョ・ソンジンに似た印象。音楽全体のつかみ方が確固としており、一本筋が通っている。細かな表現の詰めなど課題はあるが、伸びしろは大きい。
 クラリネットの二人はすでにプロとして活動している。その差は演奏に歴然と現れていた。荒井里桜とノ・ヒソンも今後演奏機会が増すごとに成熟していくことだろう。期待しよう。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

上岡敏之 新日本フィル (1月13日、すみだトリフォニーホール)
 ニュー・イヤーにふさわしくヨハン・シュトラウス・ファミリー・プログラムだが、知られざる曲が多い。最初と最後にラヴェルのワルツを置くという上岡らしいプログラム。
1 ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
2 ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「踊るミューズ」
3 J.シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「狩り」
4 J.シュトラウス2世:ワルツ「東方のおとぎ話」
5 J.シュトラウス2世:歌劇『騎士パーズマーン』よりチャールダーシュ
6 J.シュトラウス2世:ロシアの行進曲風幻想曲
7 J.シュトラウス2世:ワルツ「加速度」
8 エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「電気的」
9 J.シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛美」
10 J.シュトラウス2世:新ピッツィカート・ポルカ
11 J.シュトラウス2世:ワルツ「北海の絵」
12 ラヴェル:管弦楽のための舞踏詩 「ラ・ヴァルス」
 上岡の指揮は、ドイツの歌劇場で長く活動した経験が生かされ、シュトラウス・ファミリーの雰囲気が実に良く出ている。ウィーン風の二拍目にアクセントを置くワルツは本場の味がある。ヨーロッパの憂愁と退廃を、上岡のように醸し出すことができる指揮者は日本にはいないだろう。
 しかし、演奏は雰囲気だけの表面的なものではなく、隅々まで神経が通う。たとえば「踊るミューズ」の激しいコーダや、歌劇『騎士パーズマーン』チャールダーシュの生命力にあふれた表現、ワルツ「北海の絵」の開始の重厚さなどは、シュトラウス・ファミリー作品が娯楽だけではないことを示す。
 ラヴェルは2曲とも繊細緻密で、色彩感とエネルギーが素晴しかった。
 アンコールのJ.シュトラウス2世喜歌劇「こうもり」序曲は、この日最高の出来。シルクのように柔らかく繊細なヴァイオリンの響きには唸った。シャンペンの泡が沸き立つような軽やかさと華やかさ、そして憂愁に溢れた演奏。上岡の指揮する「こうもり」の楽しさが目に浮かぶ。
 上岡はオペラ演奏会形式はやらないと、記者会見で返事していたが、こういう演奏を聴いてしまうと、何が何でもやってほしいとリクエストしたくなった。(長谷川京介)

写真:上岡敏之(c)K.Miura

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

千葉フィルハーモニー管弦楽団 第32回演奏会(2018年1月13日 習志野文化ホール)
 千葉フィルハーモニー管弦楽団は、千葉県を中心に活動するアマチュアオーケストラであり、音楽監督兼常任指揮者は金子建志である。楽員に意欲が盛り上がっているのがよくわかり、演奏もなかなか立派で、最後の一音まで飽きずに聴くことができた。昨年聴いた時よりも音がよく出ていて、力感と色彩感が増したような気がする。
 プログラムは、ラフマニノフ「交響曲第一番」とブラームスの「交響曲第四番」。
 ラフマニノフの「交響曲第一番」は、彼の野心作との事だが、初演は失敗したという。ラフマニノフの青年期の終わりに作曲され、彼の生前には二度と演奏されなかった。ラフマニノフは、神経衰弱に陥り、その後奇跡的な復活を遂げ、「ピアノ協奏曲」や「交響曲第二番」などの名作を生み出す。人生は諦めてはいけないのである。
 昨今の日本は自殺者が少し減ったというが、それでも数万人の方々が、毎年自らの命を絶つ。とんでもないことである。
 話がそれてしまった。演奏の良し悪しを記すのは難しい。コンサートでこの曲を聴いたことがないからである。若き日の作曲者の溌剌とした個性のひらめきが、適切なリズムとテンポ、そして明快な音色とロマン的な情緒によって聴衆を快い気分に誘ったことは間違いない。私もその一人。
 ブラームスの交響曲第4番は、彼の老年期を迎えつつあった作品。
 高齢社会になった日本は、認知症になるのではないだろうかと心配する人は多い。友人と話すと、最後にはバッタリと死にたいね、と別れるのである。孤独の世界とは違う。また余分なことを記してしまった。
 作品の核心を突く立派な表現である。金子建志の優れた音楽性を感じさせたコンサートであった。次回のコンサートを楽しみにしたい。プロのオーケストラからはあまり感じられない、新鮮な魅力があるからである。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・オペラ】

大野和士 東京都交響楽団 第58回日本赤十字社 献血チャリティ・コンサート「ニューイヤー・コンサート2018」(1月14日、サントリーホール)
 ソニー音楽財団が主催するチャリティ・コンサート。指揮は大野和士、管弦楽は東京都交響楽団。
 ヴェルディ歌劇「椿姫」より『乾杯の歌』は大村博美(ソプラノ)と笛田博昭(テノール)が、二人だけだが充分な声量で盛り上げた。大村は『花から花へ』の最高音部でも安定した歌唱だった。
 ビゼー歌劇「カルメン」から『恋は野の鳥(ハバネラ)』『ジプシーの歌』を歌った脇園 彩(わきぞのあや メゾ・ソプラノ)は初めて聴いたが、大変な逸材だ。イタリアで活動しており、昨年ロッシーニ・オペラ・フェスティバル「試金石」主役でデビュー。長い黒髪のエキゾティックな風貌と大胆な赤のドレスで登場した瞬間、聴衆を惹きつける。海外の一流歌劇場で活躍する本物の歌手が持つオーラがある。声量で押すのではなく、表現力が深い。スター誕生と言っていいだろう。
 脇園に負けてはいられないと、大村博美と笛田博昭は、プッチーニ歌劇「ラ・ボエーム」から二重唱『愛らしい乙女よ』で感動的な歌唱を聴かせた。
 大野和士指揮都響はヨハン・シュトラウス2世喜歌劇「こうもり」序曲と、ストラヴィンスキー「火の鳥」(1919年版)で、力強い演奏を展開したが、力みが感じられ、時に音楽が硬直する点が気になった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

太田 弦(指揮) 東京フィル 「オーケストラ・クライマックス!」(1月21日、東京オペラシティコンサートホール)
 太田 弦は2015年第17回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で第2位ならびに聴衆賞を受賞。藝大大学院に在籍中の弱冠23歳の若者で、人懐っこい風貌だが、その指揮はあなどれないものがある。プログラムは「オーケストラ・クライマックス!」、興奮状態をもたらす元気のいい曲が並ぶ。グリンカ歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、ビゼー組曲「アルルの女」第2番「ファランドール」は快速で切れ味がよく、濁りのないスッキリとした響きをつくる。
 ベートーヴェン交響曲第7番第4楽章は、元気溌剌だが、勢いだけで終わっているようにも感じる。それでも、おろしたての白いワイシャツを手にするような爽快さ、買ったばかりのスピーカーを思い切り鳴らすようなエッジの鋭い音は新鮮だ。
 後半のチャイコフスキー交響曲第4番第4楽章は輝かしいが、やや単調。また交響曲第6番「悲愴」第3楽章は、オーケストラと太田に疲れがあったのか、少し精彩を欠いたが、太田は音楽の核をつかむ才能を持っており、最後のラヴェル「ボレロ」の全管弦楽が咆哮する驚天動地のフィナーレには感心した。
 太田はタクトを使わない。指揮者にとって大切だと言われる体幹がしっかりしており、身体がぶれない。
 東京フィルは全力で演奏し太田を支えた。コンサートマスターは三浦章宏。コンサートは経験の浅い指揮者にとって最大の勉強の場になる。若い指揮者にチャンスを与え、後押しする東京フィルの姿勢を讃えたい。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

東京フィルハーモニー交響楽団 第74回休日の午後のコンサート(2018年1月21日 東京オペラシティコンサートホール)
 東京フィルの休日の午後のコンサートは2015年、第17回東京国際コンクール〈指揮〉第2位並びに聴衆賞を受賞した、太田弦が指揮をした。太田は1994 年生まれで、今年24歳である。会場には人があふれ、20代のこの指揮者に聴衆がどんなに大きな期待を抱いているかがわかる。
 オーケストラクライマックス!と題され、昂揚感あふれる音楽が演奏された。力強い音が出ていて、聴かせようとする音楽がまっすぐに客席に届いている。おそらく太田と楽団員との信頼関係がうまくいっていたのではないだろうか。太田は今後本当に良い音楽とは何かをしっかり学び、聴き手を感服させる努力を続けてもらいたい。時間がかかることであり、あわてる必要はない。
 プログラムの前半は、グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲、ベートーヴェン:交響曲第7番より第4楽章、ビゼー:『アルルの女』第2番よりファランドールである。太田の音楽は神経質な表現ではなく、自然にこみあげてくる。確かに今回のプログラムは全楽器を動員した壮大なクライマックスを持った曲を選んだ。太田は自分の抱いている音楽に自信を持っていたのであろう。音楽が自然にこみあげてきて、聴き手も心から踊ってしまうようであった。
 後半は、チャイコフスキー:「交響曲第4番より第4楽章、「交響曲第6番『悲愴』より第3楽章、ラヴェル:ボレロである。音色の変化、テンポの動かせ方、バランスの微妙な工夫など、今一つであったが、クライマックスの作りはさすがであった。
 太田は音楽以外にも哲学、文学、絵画などにも興味、関心を持ち、人間的にも成長してもらいたい。芸術は高貴な精神の営みだからである。(藤村貴彦)